12/24/2011

「原則自由」な社会における自炊代行論争

 自炊代行というサービス自体を著作権法により規制するのは、過剰規制なんだと思うのです。

 これは、なぜ著作権が保護されるのかという議論に繋がる話です。

 著作物の創作にかかる投下資本を回収する機会を保障するために、そのような資本投下を行っていない第三者との価格競争に晒すことを一定期間猶予し、その間、創作者等に超過利潤を得さしめる。──これこそが著作権の存在意義だと考えた場合、当該著作物に関して創作者等が対価等を得るために通常用いる利用方法を一定期間創作者等に独占させれば足りるのであり、著作権の保護を名目として、当該著作物についてそれ以上の自由を第三者から奪うのは、過剰規制ということになります。

 では、自炊代行は、当該著作物に関して創作者等が対価等を得るために通常用いる利用方法と競合し、著作物の創作にかかる投下資本を回収する機会を失わせるといえるのでしょうか。

 自炊代行業者が自炊作業を行うために分解した書籍を自炊作業終了後廃棄した場合、当該書籍に記録されていたアナログ形式のデータはデジタル形式に変換されてその利用者に引き渡される反面、当該書籍自体は消滅します。すなわち、当該著作物が記録されている媒体が紙から電子媒体に移転するだけで、その著作物を同時に閲読可能な人が増えるわけではありません。そして、自炊代行業者に持ち込まれた書籍は、その顧客が市場において正規に購入したものであり、著作権者又はその許諾を得た者により、著作権者の印税が乗っかった状態で市場に置かれたものです。したがって、顧客が手にするデジタルデータは、著作権者の印税を載せて市場に置かれた著作物が単にデジタル形式に姿を変えただけだということができます。

 すると、譲渡権について消尽論を肯定し、著作権者の印税を載せて市場に置かれた著作物の複製物の転々流通は著作物の創作にかかる投下資本を回収する機会を失わせないと考える我が国においては、上記自炊業者が書籍の廃棄と引き替えに書籍のデジタルデータを顧客に引き渡したとしても、そのデータに関する報酬は廃棄された書籍を市場に置いたときに著作権者に渡っているので、著作物の創作にかかる投下資本を回収する機会は損なわれていないということになります。

 このことは、紙の書籍から電子媒体へデータを移し替える作業を、その書籍の所有者自身が行うか、事業者が業として委託を受けて行うかによって変わることはありません。事業者が得る報酬は、書籍の存在形式を変換したことに対する報酬であって、著作物の複製物を頒布したことに対する報酬ではありません。

 人格権的な要素を捨象すれば(もっとも、著作物の複製物を廃棄する行為は著作者人格権を侵害しないとするのが多数説です。)、著作物の創作にかかる投下資本を回収する機会を損なわない行為を著作権に基づき規制するのは、過剰規制であると言えます。従って、少なくとも自炊作業完了後書籍の残骸を廃棄するタイプの自炊代行業者の事業を著作権に基づいて差し止めるのは、憲法上の疑義が生ずるおそれがありますし、著作権法はそのような憲法との抵触が生じないようになるべく解釈されるべきです。私たちは、「原則自由」の社会にいるのであり、その原理は、「著作権」というマジックワードによって枉げられるべきではないのです。

 なお、このような見解に対しては、たとえば、書籍がデジタル化されるとそれが違法アップロードされる危険が生ずるではないか(その場合、著作物の創作にかかる投下資本を回収する機会が損なわれるではないか)という反論がなされるかもしれません。しかし、デジタル化された書籍データをネット上にアップロードする行為は、自炊又は自炊代行の是非とは無関係に、著作権侵害行為として取り締まることが可能です。また、自炊または自炊代行がなされると必然的にあるいは高度の蓋然性をもってデジタルデータがネット上にアップロードされるという事実はないようです。したがって、自炊代行を規制することの可否を議論するにあたって、そのような事情を斟酌することは適切ではないと言うべきです。

Posted by H_Ogura at 08:38 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (2) | TrackBack (0)

11/07/2011

権利請願21

 「日本にもフェアユース規定を設けるべき」って、それには基本的に賛成なのですが、それはいつになるか分からないし、文化審議会の議論を見ている限り、米国のフェアユース規定に比べて適用範囲のかなり狭いものとなりそうだし、規定の抽象度が高い分、誰かが訴えられて判例が形成されるまではどういう行為に適用があるか否かの判断が確実になし得ないわけで、「日本にもフェアユース規定を設けるべき」一本で行くことがよいことなのかなあということに躊躇を感ずる今日この頃です。

 考えてみると、私たちは、「こういう個別的権利制限規定が必要なんだ」ということを集約して、文化庁なり、国会議員なりに持っていったことがあるのか、というと、結構お寒い限りだったなあと反省せざるを得ないように思ったりします。

 もちろん、知的財産戦略本部等がパブリックコメントを募集したときには、個人的にこういう権利制限規定が必要ではないか?ということを進言してきたわけですが、パブリックコメントってかなり受け身の意思表明手段であり、それによって新たな論点形成まではしてくれないというのが、これまでの実績で明らかになったところだといって差し支えなさそうです。

 そういう意味では、私たちは、そろそろ、「著作物や実演、レコード、放送等のこういう利用は文化の発展にとって有益であり、かといって、こういう利用について事前に権利者の許諾を得ることはこういう理由で困難なので(あるいは、こういう利用について権利者にさらに対価を与えるのはこういう理由で利益の二重取りになると思うので)、こういう利用を可能とするような個別的権利制限規定を設けて欲しい」ということを、ある程度意見集約して文化庁や二大政党に陳情することが必要なのではないでしょうか。

 これまで、私たちは、著作権法の改正問題については、フェアユース導入要求を除けば、ほぼ受け身だったわけですが、そろそろ、能動的になって、いわば権利請願をしてもいいのではないかと思うのです。

 こういう21世紀型の新たな権利請願運動、いわば「権利請願21」の意見集約母体にMIAUがなってくれればなあと期待している月曜日の朝でした。

Posted by H_Ogura at 11:26 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (1)

06/14/2011

エンターテインメント法

 金井重彦=龍村全編著「エンターテインメント法」が学陽書房から出版されました。

 私は、「インターネット配信」の部分を担当させていただいています。

 初稿は随分前に出版社に送ってあったのですが、さあそろそろ出版かなという時期になって、放送法の大改正があり、緊急に内容を大幅に差し替えることになってしまいました(さらに、まねきTV事件、ロクラクⅡ事件の最高裁判決に見舞われるという大惨事!)。だから、私の担当部分はばたばた感が否めないのですが、全体的には、一流の実務家が現実のエンターテインメントビジネスを解説したという意味で貴重な書籍だと思いますので、7560円という定価にもかかわらず、お買い得だと思います。

Posted by H_Ogura at 01:42 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0)

02/13/2011

ポケモンのセーブデータの売買

 『ポケットモンスターDS』についてのセーブデータがヤフーオークションなどで売買されていることを問題視している人たちがいるそうです

Zakzakの記事によれば、

ポケモンのポータブルゲームとは、プレーヤーが数百種類の「ポケモン」と対戦し、経験値やお小遣いを増やしながらキャラクターを捕獲するのがストーリー。キャラの種類を増やしたり、データ通信で捕獲したキャラの交換もできる

とのこと。これに対して、ポケモン社の「関係者」は、

そもそも、セーブしたデータを何らかの手法で繰り返しコピーし、販売するだけでも著作権法違反にあたります。任天堂が配信してない改造ポケモンを発売したりするのも、オリジナルの楽曲に手を加えてアーティストに無断で販売しているのと変わりません

とのべているのだそうです。

 しかし、「経験値」や「お小遣い」等とパラメータデータは、思想または感情を表現したものではないし、それを創作的に表現したものでもないので、著作物にあたりません。したがって、これをコピーし、販売しても、著作権法違反とはなりません。

 パラメータデータが収録された媒体を販売することがゲームについての同一性保持権侵害を惹起させるとした最高裁判決はありますが(ときめきメモリアル事件)、これは、その「使用によって,本件ゲームソフトにおいて設定されたパラメータによって表現される主人公の人物像が改変されるとともに,その結果,本件ゲームソフトのストーリーが本来予定された範囲を超えて展開され,ストーリーの改変をもたらすことになる」ものであったことが前提です。したがって、上手な人が実際にポケモンをプレーした結果取得したセーブデータをコピーして販売した場合には、そのゲームソフトのストーリーが本来予定された範囲を超えて展開したわけではありませんから、上記判例の基準で言えば、同一性保持権侵害を生じていないということになります。

 「任天堂が配信してない改造ポケモンを発売」した場合はどうかという問題はあります。「改造ポケモン」というのが、ユーザーの側で独自に制作したオリジナルの「ポケモン」という意味ならば、それをゲーム上に登場させることができるようになることによって、「ストーリーが本来予定された範囲を超えて展開され」ることになると言えるか否かによることになります。ただ、どうなんでしょう。いくつか独自キャラクターが登場するくらいでそこまで言えるものでしょうか。

 もう一つ検討すべきは、セーブデータの中に、任天堂が配信する「ポケモン」についての画像データが含まれている可能性です。この場合、そのようなデータをコピーして販売すると、客観的には複製権侵害、譲渡権侵害が生ずる可能性があります。

 ただし、セーブデータを保有しているユーザーとしては、セーブデータの解析をしない限りそこにどのようなデータが含まれているのかを知り得ないのであり、仮に、「ポケモン」についての画像データが含まれていたとしても、通常そのことを知り得ないということになります。そうすると、故意が必要とされる著作権侵害罪が成立しないことはもちろん、故意または過失が必要な著作権侵害に基づく損害賠償請求権すら成立しないのではないかという気がしなくはありません。

 ユーザーの行動に文句をつけるのであれば、もう少し丁寧に説明をすべきなのではないかと思う次第です。

Posted by H_Ogura at 07:32 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (1)

01/25/2011

Persona non grata

 話題になっている写真があります。地デジ推進キャラクターの草彅剛さんや、地デジカ、萩本欽一さんや高橋英樹さんら「地デジ化応援隊」、そして地デジ推進大使の各局アナウンサーらが明治記念館に集合した際に撮影した集合写真です(このページの上方に掲載されている写真です。実は、この画像この画像の二つの画像から成り立っています。)。

 どうしてこのような無様な写真になっているのかというと、地デジ推進キャラクターである草彅剛さんの所属するジャニーズ・エンターテインメントがその所属するタレント(草彅さんを含みます。)の肖像をインターネット上に掲載することを許さないため、元の集合写真のうち、草彅さんが写っている部分を縦に切除してつなぎ合わせたからです。

 インターネットもまた重要な広報手段となった現代において、その肖像をインターネット上で掲載させてくれないタレントを広報キャラクターに使うこと自体が間違っています。また、草彅さんも、広報キャラクターとして十分な役目を果たせないのだから、そもそも広報キャラクターのオファーがあっても辞退すべきだったというべきでしょう(草彅さんの肖像を削除したために、北島三郎さんたちがせっかく持っている横断幕の文章が途中で途切れてしまっています。)。

 それはともかく、このページの掲載者であるインプレスは、あの集合写真のうち草彅さんが移っている部分を切除する必要があったのでしょうか。

 1つ考えられるのは、切除しないと、肖像権侵害にあたるのではないかということでしょう。しかし、芸能人については、その肖像が撮影され、使用されたとしても、原則として人格権(肖像権)侵害にはあたらないとするのが、従前の裁判例の流れであり、多数説です。芸能人の私的生活領域における肖像がどこまで保護されるのかという点については争いのあるところですが、公的生活領域における芸能人の肖像については、元々多くの人に見られ知られることを希望して芸能活動に身を投じたわけですから、これが撮影され、様々なメディアに載せられて広く公衆の目に触れることになったとしても、その受忍限度を超えて人格的価値が損なわれることはないと考えるわけです。

 すると、地上デジタル推進全国会議の「完全デジタル化最終行動計画」の記者発表会において、地デジ推進キャラクターとしての仕事の一環として撮影された草彅さんの肖像を、草彅さんの許諾なくして、同記者発表会があったこと及びその内容を報ずるウェブニュースにおいて掲載することが、草彅さんの人格権(肖像権)を侵害するものとは考えられないというべきかと思います。

 もう一つが、切除しないと、パブリシティ権にあたるのではないかということでしょう。

 判例法上の財産権としてのパブリシティ権はギャロップレーサー事件最高裁判決で否定されたのではないかと私は思っているのですが、仮に、判例法上の排他的権利としてのパブリシティ権を認める見解に立ったとしても、パブリシティ権は、著名人の氏名・肖像等が有する顧客吸引力を専ら利用する目的でその氏名・肖像を利用することを禁止する権利ですから、地上デジタル推進全国会議の「完全デジタル化最終行動計画」の記者発表会についての報道を行う際に、地デジ推進キャラクターたる草彅さんを含む関係者一同の集合写真を、草彅さんの肖像部分を切除せずに掲載することが、パブリシティ権侵害になるとは到底思われません(草彅さんの肖像が見たくてその集合写真にアクセスする人ってそんなにいないと思いますし。)。

 そういう意味では、インプレスの行動は、過剰規制だったような気がします。

Posted by H_Ogura at 02:27 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (1) | TrackBack (0)

01/07/2011

2011年パブコメの続き

昨日の中間まとめに対するパブコメですが、さらに2つ追加しました(最後のは多少反則気味ですが)


第2章 10頁


中間まとめ」では次のように記載されている。


○ このようなアクセスコントロール機能とコピーコントロール機能とが一体化 している保護技術を著作権法上の技術的保護手段の対象外としていることは、 保護技術の高度化・複合化など技術の進展に著作権法が対応できないという問 題とともに、前述したように著作権等の実効性の低下が強く指摘されている中 にあって、著作権者等の保護の観点から、もはや放置することのできない問題 となっていると言える。

○ また、ネット上の違法流通を恐れて著作物のインターネット配信等を躊躇し 著作物の円滑な利用を妨げることにもつながるなど、インターネット上の著作 物流通の促進の観点からの問題、さらに、欧米諸国にあっては広くアクセスコ ントロール「技術」を含め著作権法の規制対象としており、国境を越えた著作 物流通が増大する状況にあって、国際的な協力のもと著作権保護を図っていく ことの重要性の観点からも問題があり、対応が急務となっているものと考える


しかし、著作権法は既に、著作物の違法ネット流通については送信可能化権を創設することにより対応しており、さらに昨年は、音楽・映像等に関して違法アップロードサイトからのダウンロードを違法化させる改正法を施行しています。また、中国を含む主たる諸外国も、著作物の違法ネット流通については著作権法による網をかけるとともに、ISP等を通じて違法アップロードの迅速な削除を行えるような仕組みが採用されています。したがって、今ある法的な権利を適切に行使すれば、著作物の違法ネット流通は相当程度抑止することが可能です。

ところが、我が国のコンテンツホルダーは、新たな法的な仕組みを作ることには熱心ですが、これを活用することは不熱心です。新たな制度に市民が恐れおののいて自主的に著作物の違法ネット流通に関与するのを回避することを求めるがあまり、規制を求める範囲が過剰に広がってしまっています。しかし、権利を創設しても権利者がこれを積極的に活用しなければ当初予定していた効果が得られないのは当然のことで、これは現行制度がさらなる法規制を必要とするほどに不備であることの結果ではありません。

つきましては、新たな法規制を行う前に、既に創設した諸権利をコンテンツホルダーたちがどの程度活用してきたのか(民事訴訟や民事保全を国内外でいくつ申し立てたのか、刑事告訴をいくつ行ったのか、ISP等への削除要求はどれだけ行ったのか、著作物の違法ネット流通を発見するためにどのような体制を組んだのか)等を調査した上で、十分に活用してもなお現行法では足りないと言えるのかを、検討していただければ幸いです。


おわりに 26〜27頁


「中間まとめ」26頁には、第10期文化審議会著作権分科会法制問題小委員会 技術的保護手段ワーキングチーム 名簿が掲載されています。そこには、社団法人日本映像ソフト協会(JVA)管理部部長代 理兼管理課長である酒井信義氏が入っています。酒井氏は、有識者ではなく、むしろ、著作権法による規制範囲が広がることにより利益を受ける業界団体の側の人間です。このような人物をワーキングチームに加えるのが文化審議会の公平性・公正性の理念に合致するのか疑問があります。

 他方、この中間まとめが作成されるに至る過程で、その提言に基づく立法がなされれば不利益を受ける側の人々(たとえば、「マジコン」の製造・流通に関与している事業者等)からのヒヤリング等は全くなされていません。

 このようなアンバランスな体制で審議を行えば、今回の中間まとめのような、とにかく必要性や許容性などさして配慮せず、とにかく新規規制を行うのだという答申ができあがるのは無理もないところです。しかしそれは、文化審議会、ひいては、政府に対する信頼を失わせるものであります(一部の業界団体の声のみを聞き入れる政府に国民が満足する時代はとうに終わっていることに、文化庁はいい加減気がつくべきです。)。

 つきましては、今後は、その提言する法改正によって不利益を被る側のヒヤリングをも行い、それを最終的な答申に反映させることを望んでやみません。

Posted by H_Ogura at 09:24 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

01/06/2011

文化審議会パブコメ第1弾

 文化審議会著作権分科会法制問題小委員会「技術的保護手段に関する中間まとめ」に関する意見募集について、さきほど、下記のとおり私なりの意見を送信しました。

第2章 14頁

ニンテンドーDSに用いられている保護技術は、任天堂が供給する記録媒体に記録されたコンテンツのみを実行可能とするものです。任天堂が供給する記録媒体以外の記録媒体に記録されているコンテンツについては、その著作権者等が自ら又は第三者に許諾して送信可能化しているものであっても、その実行を制限するものです。しかも、自社が開発したコンテンツを任天堂が供給する記録媒体に記録することができるのは任天堂の工場のみであり、報道等によれば数千個というロットで発注することを余儀なくされ、その代金は前金で支払うことが求められるとされており、数百万円単位を予め支払わなければ自社コンテンツを上記記録媒体に記録して販売することは叶いません。さらにいえば、それだけの資金を工面して自社コンテンツを上記記録媒体に記録するように任天堂に申し入れても、この申し入れに応ずるか否かは任天堂の胸三寸で決まるのであり、また、そのコンテンツがヒットしたときに、いつまでに、何個追加生産するのかも、任天堂の了承無くしては決定できません。

 このため、アマチュアプログラマーが開発したコンテンツ、プロのプログラマーが会社等の業務とは別に趣味で開発したコンテンツ、あるいは、零細のソフトハウス等が開発したコンテンツ等(以下、「自主制作ソフト」といいます。)については、任天堂が供給する記録媒体に記録する術が事実上存在しないため、インターネット上で無償で送信可能化したり、これを記録したminiSD等を「同人系ショップ」等で販売するなどした上で、利用者の側でニンテンドーDSに「マジコン」をセットしてこれを実行してもらっているというのが実情です。

 これまで我が国では、ある機器等で稼働するコンテンツを制作し、販売等をするにあたって、当該機器の開発・製造会社の許諾を要しないものとされてきました。その考え方が今後も維持されるのであれば、自主制作ソフトは「非正規のゲーム」にはあたらないのではないかと思います。法制問題小委員会は、この考え方自体を改めたのでしょうか?

 それはともかく、この保護技術が社会的にどのように「機能」しているかといえば、次のとおりです。

 エンドユーザーとの関係でいえば、メーカーを通じて、任天堂が供給する記憶媒体を1コンテンツに付き1枚購入することを義務づけるものとして機能しています。そのコンテンツが「違法に複製され、さらに違法にアップロードされたゲームソフトを単にダウンロードしただけ」のものか、著作権者の許諾を得て複製され、アップロードされ、ダウンロードされたものであるか否かは、ここでは全く関係がありません。

 コンテンツ提供者との関係でいえば、この保護技術は、適法に複製され、適法にアップロードされた自社コンテンツを、単にダウンロードするだけでは、これをエンドユーザーが記録した記録媒体にはゲーム機本体にあるセキュリティに適合する信号が記録されていないため、結果としてゲーム機で使用することのできない、意味のない不完全な複製とすることにより、アップロードの際に行われる適法な自社コンテンツの複製を抑止する技術だということになります。すなわち、これは、コンテンツの流通を妨げる技術だということです。

 したがって、仮にこのような技術を技術的保護手段の対象として位置づけるのであれば、コンテンツ提供者が自らまたはその許諾を得て自社コンテンツをアップロードすることを抑止しないものであることを要件に含めるべきだと思います。具体的には、任天堂が供給する記憶媒体の複製不可能領域に記録されている信号が記録されていない場合にはコンテンツの稼働が中断するような仕組みをゲーム機本体ではなくコンテンツの中に組み入れるなどすれば、その実現は容易です。

 コンテンツは表現物であり、その創作、頒布等は表現行為として、憲法第21条により手厚く保障されるべきものです。そのような表現行為が、現在、ゲーム機器本体の開発・製造者によって踏みにじられています。本来であれば、文化審議会は、そのような表現行為に対する妨害行為をやめるように任天堂に対し行政指導等をする立場にいるとすらいえます。しかるに、今回の中間まとめでは、むしろ、表現行為に対する妨害行為を側面から支援するような法改正が提言されています。多様な作品を世に送り出し公衆に享受させることにより文化の発展を図ろうとする著作権法の究極目的からすれば、本末転倒とすらいうべきものです。

 文化審議会におかれましては、巨大な資本に迎合したいという誘惑に打ち勝ち、コンテンツの多様性を確保するための施策を打ち出して行かれますよう期待しております。

第2章 10頁

中間まとめは、概ね次のように提言しています。

現行のように保護技術の「技術」のみに着目して、コピーコントロール「技術」か否かを評価するのではなく、後述するように、ライセンス契約等の実態も含めて、当該技術が社会的にどのような機能を果たしているのかとの観点から保護技術を改めて評価し、複製等の支分権の対象となる行為を技術的に制限する「機能」を有する保護技術については、著作権法の規制対象とすることが適当であると考える。

 しかし、「当該技術が社会的にどのような機能を果たしているのかとの観点から保護技術を改めて評価し」た結果「複製等の支分権の対象となる行為を技術的に制限する「機能」を有する保護技術」とされることになる技術とは、結局のところ、「複製等の支分権の対象となる行為が行われた結果利用者の手元に届いたデータからは著作物等を再生できないこととする技術」を指している過ぎないようにも見えます。そうであるならば、不正競争防止法上の技術的制限手段の回避装置の流通規制とは別個に、著作権法でこれを保護する必然性を見いだすことができません。

 また、中間まとめでは、技術的保護手段の対象として位置づけることが適当であるとされている「エラー惹起型」技術の例として、「コピーコントロールCD」が挙げられています(13頁)。しかし、これは、PCでの音楽データの読み取りを妨害する技術であり、支分権の対象ではない「公衆に直接聞かせる目的なき音楽の演奏」をも妨害するものであり、有り体に言えば、著作物の再生に用いる機器の種類をコントロールしようとする技術です。このようなものまで「中間まとめ」が「複製等の支分権の対象となる行為を技術的に制限する『機能』を有する保護技術」と位置づけていたとなると、今後開発されるである新技術のうちどのようなものが「複製等の支分権の対象となる行為を技術的に制限する『機能』を有する保護技術」に含まれるとされるのか、皆目見当がつかなくなります。

 さらにいえば、「コピーコントロールCD」は、機器メーカーの団体等と協議して定めた規格に則って異常動作を引き起こすような信号をコンテンツに混在させるのではなく、コンテンツ提供者の側で一方的にエラー惹起情報をコンテンツに混在させてエラーを惹起させるものです。このようなものまで「複製等の支分権の対象となる行為を技術的に制限する『機能』を有する保護技術」に含まれるとなると、機器メーカーとしては、特定の種類のエラー情報によって機器が正常に動作しないというクレームが寄せられたときに、これを是正して機器が正常に動作する仕組みを講じてよいものかどうか、コンテンツ提供者に確認しなければいけないということになります。これは、エラーに強い高機能な機器を開発して世界的な競争に打ち勝とうという機器メーカーにとって大きな足かせとなるおそれがあります。

 したがって、「中間まとめ」にて提言されているような法改正は、見送るべきだと思います。

Posted by H_Ogura at 08:35 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

11/22/2010

電子書籍に関する市場分割への対処

 電子書籍のもう一つの問題は、「著作物に関する地理的な市場分割」にどう対処するかということです。

 平たくいえば、送信要求をするIPアドレスあるいは利用者が決済用に使用するクレジットカードのビリングアドレスによって、特定の電子書籍をダウンロードできるか否かが決まっていることについて、どう対処するのかという問題です。

 既に、Barnes & Noble系のNook等は、基本的にUS onlyであり、Nook本体を並行輸入で入手しても、日本在住者は正規にコンテンツをダウンロードして読むことができません。今は、「電子書籍 Only」という書籍がほとんどないので、紙の書籍を並行輸入することで「そこに書かれている内容を知る」ことはできていますが、今後「電子書籍 Only」という書籍が増えていくと、日本にいては世界の最先端の議論に触れることすらできないという事態だって生じて来かねません。

 もちろん、お金に糸目を付けなければ、米国在住者に所定の電子書籍をダウンロードしてもらって、それが収蔵されている端末機器を購入するという方法も物理的にはとりうるのですが、著作権者の許諾を得た第一頒布がないだけに、「US Only」のコンテンツがインストールされた電子書籍が関税法第69条の12にいう「輸入してはならない貨物」(特許権、実用新案権、意匠権、商標権、著作権、著作隣接権、回路配置利用権又は育成者権を侵害する物品)にあたってしまうのではないかという危惧があります。

 電子書籍が本格的に普及し、少なくない作品が「電子書籍 Only」で発行されるようになる前にこの問題って立法により解決される必要があるように思えてなりません。

Posted by H_Ogura at 12:14 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (1) | TrackBack (4)

11/21/2010

電子書籍とプラットフォームの選択権

 昨日は、早稲田大学で行われたJASRAC公開講座「電子出版をめぐる著作権法上の課題」を聴講してきました。で、最後に質問もしました(後でツイッターで聞けばいいではないかという声はこの際無視です。)。

 質問の背景はこういうことです。

 電子書籍について、著者、出版社、利用者の3者関係で語られることが多く、実際今回の公開講座でもそうだったのですが、実務的には、プラットフォーマー(Kindleを出しているAmazon等)を含めた4者関係で考えないといけないのでは、という問題意識があります。そして、プラットフォーマーに関しては、通常の人は何種類もの端末を持ち歩かないでしょうから、必然的に寡占化します。それは、音楽配信サービスにおいてもビデオゲームについても見られる現象です。

 で、音楽配信サービスでは、特定のプラットフォーマーと特定のレコード会社が強い結びつきを持っていたことにより、そのレコード会社が隣接権を持っている楽曲についてはそのプラットフォーム用にしか配信サービスを行うことができないという事態が発生しました。つまり、実演家が、他のプラットフォーム向けにも自分の楽曲を配信したいと考えても、実演家にはプラットフォームを選択する自由がなかったわけです。

 このことは、電子書籍に関して、出版社に強い権限を与えると、同じように出現する可能性があります。出版社に送信可能化権を含む広い版面権を付与した場合や、出版権に送信可能化権を含めた場合もそうですし、利用許諾契約により送信可能化に関する独占的利用許諾(再許諾権を含む。)の設定を受けた場合もそうです。で、それでいいんだろうか、ということがひとつの問題です。作家としては、できるだけ多くの人に自分の作品を読んでもらいたいと考えるのが一般的であり、「特定のプラットフォームを市場で優位に置く」ために自己の作品の普及が犠牲になるというのは耐え難いのではないかということです。

 もう一つ、昨日は直接質問しなかったこととして、プラットフォーマーからその作品の配信を拒まれた場合をどう考えるのかという問題です。今は電子書籍は紙の書籍の補完でしかないので、それで大して困ることにはなりませんが、電子書籍がむしろ主流となり、紙の書籍はむしろマニアグッズになっていった場合、プラットフォーマーからその作品の配信を拒まれると、その作品を広く流通させる機会が大きく損なわれることになります。すると、そこでは、プラットフォーマーは、緩やかながらも、事実上の検閲を行いうるということになるが、それでよいのかということです。「検知→可能型」のアクセス制御を法的に保護するということは、プラットフォーマーによるコンテンツ支配を許すということになるのです。そして、その弊害は、電子書籍において「検知→可能型」のアクセス制御がなされるときに最も大きくなります。

 前者の問題は契約でクリア可能ですが(でも、実際にはそんなところに最初から気を配れる作家ってほとんどいないのでは?)、後者は契約ではクリアできないので、立法的な対処をしておくべきなのでは?ということです。

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10/26/2010

講談社の電子書籍に関する契約雛形

 池田信夫さんが、講談社の電子書籍に関する契約雛形に関し、次のようなことを言っています。

最大の問題は、上の第3条と第4条の講談社がデジタル化権を著者から奪って独占するという規定である。したがって他の出版社から電子出版したいという話があっても、著者は出すことができない。しかも講談社は、この本を電子出版すると約束していないので、彼らが出さないかぎりどこの電子書店でも売れない。

 でも、この種の契約書の作成を弁護士が受注したら、100人が100人その旨の条項を入れるのではないかと思います。日本法では、書籍を電子化した事業者に対して、版面権等の排他権を付与していないので、電子書籍化に伴い行った投下資本を回収する機会を維持するためには、契約で縛りを掛ける必要があるからです。

 それに、紙の書籍だって、同じ作品について、同一スタイルの書籍を同時に他の出版社から出版されて黙ってはいないと思うのですけどね(文庫本を出すときに出版社を変えるということはあるかもしれませんが、ハードカバーと文庫は市場的には別物ですから。)。

 さらにいうと、講談社が「所有権」を持つと記載されている「デジタル化の過程で発生した本デジタルコンテンツ」というのは、元の書籍をデジタル化した上で、電子書籍の規格にあわせて、読みやすいように適宜タグを埋め込んだデジタルデータのことを言っているように思われます。だとしたら、「所有権」という用語を使ったことは勇み足だとしても、そのデジタルデータに一種の独占権が自分のところにあるのだと契約書上で謳い上げるのは、それほど不思議なことではありません(まあ、謳い上げたからって、契約当事者ではない者にそこまでそれが通用するかという問題はありますが、謳い上げておかないと積極的債権侵害という議論もしにくいですし。)。

 ちなみに、英米法で言う「property」に近い概念として「所有権」という言葉を使う契約書(案)というのは、現実には結構見かけますので、日本法に基づく契約書としては適切さを欠くとは思いますが、まあ、よくある話といったところでしょう。

 で、「講談社は、この本を電子出版すると約束していないので、彼らが出さないかぎりどこの電子書店でも売れない」かどうかですが、それは、この条項だけ見てもわからないです。さらにいえば、契約期間が何年とされていて、著作者の側から更新拒絶ができるように成っているかにも大きくよってきます。これが短いと、作者の意に反して電子書籍の出版を講談社が拒んだ場合、契約の更新を拒絶されてしまうので、講談社が囲い込むだけ囲い込んでおいて電子書籍を出させないとすることは難しくなります。

 もちろん、更新期間の到来を待てない著作者は、電子書籍の出版時期・流通プラットフォームの選択等について、自らが主導権を握れるような条項を挿入するように、署名する前に要求すればよいだけの話です。出版社と著者の契約なんて、保険約款等と異なり、適宜修正が可能です。

 講談社とは敵対することはあっても仕事を依頼されることはないので肩をもつ筋合いはないのですが、あまりにもあまりにもだったので、言及してみました。

Posted by H_Ogura at 08:28 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)