08/01/2016

ポケストップの削除請求

 PokémonGoが日本でもサービスを開始するや、「ポケストップ」に多くの人が集まる現象が早速生じています。そして、そのような事態を受けて、最高裁判所や、様々な行政機関や、大学その他が自己の施設ないし敷地から「ポケストップ」を削除するようにとの要請がPokémonGoの運営会社になされているようです。

しかし、施設や敷地の占有者ないし所有者に、その施設ないし敷地から「ポケストップ」を削除するように求める権利はあるのでしょうか。

 「ポケストップ」とは、「PokémonGo」において、ゲームを進める上で最も重要なアイテムを入手するスポットであり、アイテムを入手する為には、ユーザーは、ポケストップが設置されている場所として設定されているところに物理的に近づく必要があります。もっとも、ポケストップは、現実空間と連動した仮想空間上に設置されているに過ぎず、「PokémonGo」上の仮想空間上ポケストップが置かれている場所と紐付けられている現実空間上の場所には何も置かれていません。

 では、現実空間と連動した仮想空間上に「ポケストップ」のような仮想の設備を設置することは、当該仮想空間と連動した現実空間において、仮想空間上の上記仮想設備の設置箇所と紐付けられた場所の設備または敷地の所有者の所有権ないし占有者の占有権を侵害することになるのでしょうか。

 一般に所有権は、目的物たる有体物に対する排他的支配権とされています。しかし、通説的見解によると有体物の所有者が排他性を有するのは、当該目的物を物理的に排他的に利用することだけで、自己の所有物を第三者が仮想的に利用することまでは排除する権限を持ちません。したがって、自己の執筆する小説の中でゴジラに大阪城を破壊させるのに、大阪城の所有者の許諾を得ておく必要はないのです。したがって、自己の所有又は占有する施設または敷地に対応する仮想空間上に「ポケストップ」が設置されたとしても、所有権又は占有権に基づく妨害排除請求権として、その削除を求めることはできないと解するのが素直です。

 もっとも、自己の所有又は占有する施設又は敷地上に「ポケストップ」が設置されてしまうと、専らアイテムを取得する目的で「PokémonGo」の利用者が当該施設または敷地に立ち入るユーザーが少なからず現れることになり、当該施設等の円滑な運用が妨げられる可能性があります。これを阻止する為に、当該施設等から「ポケストップ」を削除するように運営会社に求めることは法的に可能でしょうか。

 そもそも一般人が立ち入ることが禁止されている場所に「アイテム」取得目的で立ち入ることは刑事法的には住居侵入罪に当たるとともに、民事法的には当該施設又は敷地についての所有権ないし占有権を侵害する行為にあたります。また、当該施設等の管理者において特定の目的での当該施設等への立ち入りを許容している場合に、当該目的以外の目的で当該施設等に立ち入ることもまた、刑事法的には住居侵入罪に当たるとともに、民事法的には当該施設又は敷地についての所有権ないし占有権を侵害する行為にあたります。したがって、一般人が立ち入ることの予定されている施設等においても、専らアイテム取得目的で立ち入ることを禁止したり、中に立ち入ってアイテム取得行為をすることを禁止したりすることは許されます。問題は、当該施設等内に対応する仮想空間上に「ポケストップ」を設置することが、上記違法な立ち入り行為を教唆するものとして、差し止め請求に対象となり得るかということです。

 そして、ここでは、そもそも「ポケストップ」の設置行為は違法な立ち入り行為の「教唆」にあたるのかということと、さらに、仮に「教唆」にあたるとして、「教唆」行為自体の差し止めを求めることができるのかということの双方が問題となります。

 前者に関して言えば、現実空間における特定の施設等が、フィクションにおける重要な施設と紐付けられることで、「聖地巡礼」のような形で人を集める効果を持つことがあったわけで、その結果当該施設等の円滑な運用が妨げられたことにうんざりした施設管理者が「聖地巡礼」目的での立ち入りを禁止したときに、さらに、自己の所有又は占有する特定の施設等をフィクションにおける重要な施設と紐付けることが違法な立ち入り行為の「教唆」にあたると言いうるのかということにも繋がっていきます。フィクションを構成するものとしては、その受け手が現実空間における法的なルールを遵守することをある程度期待することは許されると思いますので、当該施設の管理者の意思に反した違法な立ち入りまで教唆したとは言えないとして、「教唆」にはあたらないとするのがバランスがとれているのではないかと思います。

 仮にこれが「教唆」にあたるとした場合には、「ポケストップ」の設置それ自体は直接的には特定の施設等についての所有権ないし占有権を侵害するものではないのに、当該施設等についての所有権ないし占有権に基づいて差し止めを求めることができるのかということが問題となります。これは、特定の態様での著作権等の侵害行為を教唆又は幇助する行為自体について著作権者等が差止請求をすることが許されるのかという問題と構造は一緒であり、これについては、下級審裁判例は東西で分かれています。

 さあ、裁判所は、いかなる判断をするのでしょうか。

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07/24/2016

独立後も「能年玲奈」と名乗ることは許されないのか

能年玲奈あらため「のん」

NHKの朝の連続テレビ小説「あまちゃん」で主役を務めた能年玲奈さんが芸名を「のん」としたことに関して、以下のような報道がなされています。

 6月末で契約が満了する能年に対し、レプロは6月下旬、昨年4月から能年との話し合いが進まず、仕事を入れられなかったとして、その15カ月分の契約延長を求める文書を送付。

 その際、契約が終了しても、「能年玲奈」を芸名として使用する場合には、レプロの許可が必要と“警告”していた。

 そして、その根拠として、能年さんの従前のプロダクションであるレプロ社は、以下のように回答したとされています。

一般論として、その旨の契約がタレントとの間で締結されている場合には、当事者はその契約に拘束されるものと考えます

 果たして、そうなのでしょうか。

加勢大周事件との関係

 芸能人とプロダクションとの間で独立・移籍騒動が勃発し、プロダクションが芸名の使用を禁止することで対抗しようとする構造──知財クラスタなら聞き覚えがありますね。そう、あの「加勢大周」事件と同じ構造です。

 加勢大周事件の第一審判決における「争いのない事実」によれば、芸能人(X)とプロダクション(Y)との間の専属契約には、

 Xは、Yの専属芸術家として、本件契約期間中、Yの指示に従って、音楽演奏会・映画・演劇・ラジオ・テレビ・テレビコマーシャル・レコード等の芸能に関する出演その他これに関連するすべての役務を提供する義務を負う。

 Xは、右契約期間中、第三者のために、右役務の提供をすることができない。

という条項や、

 Yは、Xの芸名「加勢大周」・写真・肖像・筆跡・経歴等の使用を第三者に許諾する権利を有する。

 Xは、Yの許諾なしに右芸名等を第三者に使用させることはできない。

という条項が含まれていました。

 そして、第1審判決(東京地方裁判所平成4年3月30日判タ781号282頁)は、上記「芸名の使用を第三者に許諾する権利」を、

社会的評価、名声を得ている芸能人の氏名・肖像等を商品に付した場合に、当該商品の販売促進の効果をもたらすことは公知の事実であり、被告川本の芸名である「加勢大周」も、原告によって商標登録がされているところである。芸能人の氏名・肖像等の有するこのような効果は、独立した経済的利益ないし価値を有するものであり、このような芸能人の氏名・肖像等は、当然に右経済的利益ないし価値を排他的に支配する財産的権利の一つに該当するものというべきである。

として法的なものと評価した上で、上記専属契約に基づき、「芸名「加勢大周」を使用して、第三者に対し芸能に関する出演等の役務の提供をすることの禁止」を命じたのです(同事件の控訴審(東京高判平成5年6月30日判時1467号48頁)では、専属契約がその後終了したとして、上記禁止命令を解きましたが。)。

 おそらく、能年さんの件についても、プロダクション側の主張内容は同じようなものなのではないかと思います。もっとも、能年さんの件では、「契約が終了しても、「能年玲奈」を芸名として使用する場合には、レプロの許可が必要と“警告”していた。」とされている点からすると、「契約終了後もなお有効とする」条項の中に、芸名の独占的使用許諾権限に関する条項が含まれていたのだろうと思います。

パブリシティ権の排他的許諾権設定契約の効力

 では、レプロ社は、芸能人の氏名・肖像等の有する上記「右経済的利益ないし価値を排他的に支配する権利」(通常、「パブリシティ権」といいます。)について独占的に使用許諾を行う債権的な権利を能年さんに対して行使することができるのでしょうか。

 ここで一つ考慮すべきことは、加勢大周事件第一審判決は平成4年に言い渡された古い判決だということです。このころは、「パブリシティ権」を一種の無体財産権と考える見解が幅をきかせてきたのですが、その後、ギャロップレーサー事件最高裁判決において立法によらずして無体財産権としてのパブリシティ権の行使を認めることが否定され、さらにピンクレディ事件最高裁判決においてパブリシティ権が氏名権・肖像権等の「人格権に由来する権利」と位置づけられるに至ったのです。

 もっとも、パブリシティ権が「人格権に由来する権利」と位置づけられたからといって直ちに「独占的に使用許諾を行う債権的な権利」を設定することが許されないと解されるとは限りません。人格権は一身専属権ですので、これを第三者に譲渡する旨の合意は効力を有しないものと解するのが一般的ですが、人格権の行使条件を契約により制約することまで一身専属権ということから直ちに言えるかは微妙です。著作者人格権について包括的な不行使特約を締結しても有効であるとする見解が有力であり、実務は有効であることを前提に権利処理を行っています。現に、プロ野球選手会事件控訴審判決(知財高判平成20年2月25日)では、「人は,生命・身体・名誉のほか,承諾なしに自らの氏名や肖像を撮影されたり使用されたりしない人格的利益ない し人格権を固有に有すると解されるが,氏名や肖像については,自己と第三者との契約により,自己の氏名や肖像を広告宣伝に利用することを許諾することによ り対価を得る権利(いわゆるパブリシティ権。以下「肖像権」ということがある。)として処分することも許されると解される」とした上で、プロ野球の統一契約書16条1項「球団が指示する場合,選手は写真,映画,テレビジョンに撮影されることを承諾する。 なお,選手はこのような写真出演等にかんする肖像権,著作権等のすべてが球団に属し,また球団が宣伝目的のためにいかなる方法でそれらを利用しても,異議 を申し立てないことを承認する。」に依拠した契約条項について、「商業的使用及び商品化型使用の場合を含め,選手が球団に対し,その氏名及び肖像の使用を,プロ野球選手としての行動に関し(したがって,純然たる私人としての行動は含まれない),独占的に許諾したもの」と解した上で、公序良俗に反しないと判示されています。

 専属契約存続中は、芸能プロダクションに芸名の使用許諾権を一本化すること自体は合理性がありますから、芸能人個人がパブリシティ権を保有するという前提のもと、その一部について、専属契約に基づいて独占的な使用許諾権を芸能プロダクションが取得すること自体を公序良俗に反するとするのはハードルが高いように思います。たとえそれが戸籍上の氏名と同一であったとしても、専属契約の対象となる「芸能活動」に関するものである限りは、同様ではないでしょうか。

契約期間満了後も特定の条項をなお有効とする合意の効力

 当該契約を構成する条項のうち特定のものについては契約期間が満了した後においても有効に存続する旨の合意をすることは、よくあります。例えば、秘密保持義務を創設する条項が契約期間の満了に伴って当然に効力を失うとなれば、契約に基づいて相手方に提供していた秘密情報は契約満了と同時に秘密性を失ってしまうわけで、そういうことを回避するためにそのような条項を敢えて挿入するのです。

 芸能プロダクションとしては、専属契約期間中にその芸能人が出演して作成されたコンテンツについては、自ら一定の投資ないし寄与をしているので、専属契約終了後においてもなおこれを市場に供給して投下資本の回収を図ること自体は公序良俗に反するとは言えず、芸名について使用許諾を行う債権的な権利をプロダクション側に設定する旨の条項について専属契約終了後も有効に存続させる旨の合意自体を無効とすることは難しいのだろうと思います。

 ただし、「独占的に」芸名について使用許諾を行う債権的な権利がプロダクション側について残っていると、従前の芸名を用いて芸能活動を継続することができず、芸能活動に大きな支障が生じてしまいます。もっとも、芸能活動をやめる前提で元のプロダクションとの専属契約を合意解約しておきながら、別のプロダクションとの間で新たに専属契約を締結し、元のプロダクションのプロモート活動によって周知性ないし著名性を獲得した芸名を利用して芸能活動を再開するというのはただ乗り感が強くあります。すると、芸能活動をやめる前提ではなくして専属契約が終了した場合になお元のプロダクションが芸名の独占的使用許諾権を主張することを法的に抑制すれば良いように思います。

 そうだとすると、独占的使用許諾権設定条項それ自体、ないし、かかる条項の契約期間終了後存続条項を公序良俗に反するとするよりは、芸能活動をやめる前提ではなくして専属契約が終了した場合に、当該芸能人が芸能活動を行うにあたって自らその芸名を使用しまたは第三者に使用許諾したことについてこれを主張することは権利の濫用に当たり許されないとする方が良いのではないかと思います。

Posted by 小倉秀夫 at 11:29 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0)

05/06/2016

鳥獣戯画のアニメ化

 スタジオジブリが、「鳥獣戯画」をアニメーション化した作品を発表したことに関し、唐津真美弁護士の見解が弁護士ドットコムニュースに掲載されています。

 その中で気になるのは、以下の部分です。

本件の場合、鳥獣戯画の作者は、800年を経て、生き生きと動き出した動物達を見たら、むしろ喜ぶのではないでしょうか。ジブリが作成した鳥獣戯画のアニメ―ションは、鳥獣戯画の作者の著作者人格権を侵害するものではないと思います

 著作者人格権は著作者の相続人に相続されず著作者が死亡した時点で消滅しますが、著作権法は、「著作物を公衆に提供し、又は提示する者は、その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。」として、著作者が生きていたとすれば著作者人格権の侵害となるであろう行為を原則禁止します。ただし、著作者が死亡している以上同意を取りに行くことが不可能なので、「ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。」という但し書きを置いています。この規定に違反した行為については、その遺族(死亡した著作者の配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹)が差止請求権及び名誉回復等措置請求権を民事的に行使できる(116条1項)他、500万円以下の罰金に処されることになります(120条)。120条の罰則規定については非親告罪となっているため、著作者が何百年たっても、著作者が生きていたならば著作者人格権となるだろう行為を行うと刑事罰の対象となり得るのです。

 おそらく唐津弁護士は、鳥獣戯画のアニメーション化が、その著作者が生きていたとしたら同一性保持権侵害行為にあたるであろう行為と言えるかどうかという観点から、上記のような当てはめをしたのだろうと思います。ただ、「改変された結果生まれた作品が質の高い作品であるから、元の著作物の著作者もむしろ喜ぶはずであり、したがって著作者人格権を侵害するものとはならない」という思考過程を採用したのだとすれば、いかがなものかという疑問が生じます。改変の結果、元の作品の著作者の意図やクリエイティビティに誤解を生じさせかねないものであれば、改変された結果生まれた作品自体は大変質の高いものであったとしても、同一性保持権侵害となり得るからです。

 さらにいえば、この鳥獣戯画のアニメーション化のケースでは、もう一つ重要な論点を検討するべきでした。それは、「著作権法上『著作物』として取り扱われるのは、一定の時期以降に創作されたものに限られるのか、その場合、いつ以降に創作されたものに限られるのか」という問題です。

 ここでは、現行著作権法の附則においては、「改正後の著作権法(以下「新法」という。)中著作権に関する規定は、この法律の施行の際現に改正前の著作権法(以下「旧法」という。)による著作権の全部が消滅している著作物については、適用しない。」(附則2条1項)、「この法律の施行の際現に旧法による著作権の一部が消滅している著作物については、新法中これに相当する著作権に関する規定は、適用しない。」(附則2条2項)と定められているのに対し、旧著作権法の附則においては「本法施行前ニ著作権ノ消滅セサル著作物ハ本法施行ノ日ヨリ本法ノ保護ヲ享有ス」(47条)と定められているのをどう見るべきかということが問題となります。

 旧著作権法の施行日である明治32 (1899) 年7月15日に既に著作権が消滅していた著作物については、旧著作権法による保護を受けることができず、したがって旧著作権法上の著作者人格権をも認められてこなかったのです。したがって、旧著作権法施行時は、「他人ノ著作物ヲ発行又ハ興行スル場合ニ於テハ著作者ノ死後ハ著作権ノ消滅シタル後ト雖モ其ノ著作物ニ改竄其ノ他ノ変更ヲ加ヘテ著作者ノ意ヲ害シ又ハ其ノ題号ヲ改メ若ハ著作者ノ氏名称号ヲ変更若ハ隠匿スルコトヲ得ス」(18条2項)があったにも関わらず、明治32年7月15日に既に著作権が消滅していた著作物については、「其ノ著作物ニ改竄其ノ他ノ変更ヲ加ヘテ著作者ノ意ヲ害シ」ても良かったのです。それが、現行著作権法の施行とともに、明治32年7月15日に既に著作権が消滅していた著作物についても、明治32年7月15日に既に著作権が消滅していた著作物についても、現行著作権法の下で創作された著作物と同様の規定が適用され、「著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。」ということになるのかということが問題となるのです。

Posted by 小倉秀夫 at 08:03 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

03/27/2016

演歌の復権はあり得るのか

 「自民、民主、公明など超党派の有志議員が2日、演歌や歌謡曲を支援する議員連盟「演歌・歌謡曲を応援する国会議員の会」の発起人会合を国会内で開いた。」というニュースが今月初め話題となりました。しかし、議員連盟を作って何とかなる問題でしょうか。

 ここで、まず演歌が置かれた状況を見てみましょう。

 Joysoundが発表している年代別カラオケランキングをみてみましょう。2014年度のそれをみると、10代から30代まで、トップ20に、演歌は入ってきません。40代でようやく石川さゆりの「天城越え」がランクインします。50代だと、石川さゆりの「天城越え」と「津軽海峡・冬景色」が入ります。坂本冬美の「また君に恋してる」を演歌に含めるべきかは少し迷います。60代になるとさすがに演歌が多く歌われているようで、福田こうへい「南部蝉しぐれ」「峠越え」、石川さゆりの「天城越え」「津軽海峡・冬景色」、吉幾三「酒よ」、大川栄策「さざんかの宿」、石原裕次郎「北の旅人」、秋元順子「愛のままで…」、美空ひばり「みだれ髪」、川中美幸「ふたり酒」、テレサ・テン「つぐない」「時の流れに身をまかせ」、三山ひろし「あやめ雨情」、渥美二郎「夢追い酒」、そして坂本冬美の「また君に恋してる」がランクインします。2015年も演歌に関してほぼ同じようなもので、60代に関して、さらに牧村三枝子「みちづれ」、小林旭「昔の名前で出ています」、平和勝次とダークホース「宗右衛門町ブルース」がランクインし、その代わり「峠越え」や「あやめ雨情」がランク外に落ちているに留まります。

 これを見てわかることは、もはや演歌は、10代、20代に見放されているだけではなく、30代、40代、50代にも見放されていると言うことです。そして、60代が好んで歌う演歌のうち、比較的最近リリースされたのは三山ひろし「あやめ雨情」(2014年)、福田こうへい「南部蝉しぐれ」(2012年)「峠越え」(2014年)、秋元順子「愛のままで…」(2008年)くらいなものです。2008年を「最近」というのもどうかと思いますが。このくらいの年代になると、もはや新しい曲を聴いてレパートリーに加える意欲すらなくなっていくと言えそうです。

 先ほどの記事に依れば、「今後、議連では地方のカラオケ大会などに歌手を招いて演歌や歌謡曲に直接触れる機会を設けて愛好者の裾野を広げるなど、振興策を検討する。」とのことです。しかし、演歌を好んで聴いていると思われる60代ですら、受け入れられる新譜が年に1つあるか否かというのが実情です。そして、40代、50代に関しては、昔ながらのヒット曲を知らないってわけではないものの(子どものころに音楽番組を観ていればそのころに聞いていますから)、敢えて歌う気にならないというのが実情です。このような状況下で、地方のカラオケ大会で歌手本人が出てきて歌ってくれたらその曲を聴き、歌うようになるかっていうと、絶望的な感じがします。

 では、50代以下の人々に演歌に親しんでもらうためにはどうしたら良いのでしょうか。単にCDが売れればいいと言うことであれば、小林幸子のように歌手それ自体のキャラクターを若い世代に浸透させるというのもありなのかもしれません。しかし、普通の若者は、小林幸子のことは知っていても、小林幸子の持ち歌のことは知らないのであって、そういう歌手のキャラクター重視の売り方は、演歌自体の復権には繋がらないような気がします。

 やはり、ここは、50代以下の音楽ファンがなぜ演歌を聴こうとも歌おうともしないのかを知るところから始める必要があります。

 私自身、演歌って年一回、紅白歌合戦の時に聴くくらいですのでその理由は定かにはわかりかねますが、その範囲でいえば、1つは歌詞にインパクトがないということはいえるのではないかと思います。60代以上には受け入れられた「あやめ雨情」や「南部蝉しぐれ」の歌詞を見ても、引っかかる言い回しもなく、はっとするストーリー展開もありません。もちろん、50代には受け入れられている「天城越え」はその点に関してはクリアできているとは思いますが、そこで描かれている女性像が若い世代の共感を呼ぶものなのかというと、40代の私でも引いてしまうかなという気がしなくもありません。演歌関係者は自分たちこそ「日本人の心」を歌っているという自負があり、歌詞には自信を持っているのかもしれませんが、平均的な「日本人の心」自体、社旗構造の変化に沿って変わっていくものなのです。もはや、既に別れた元彼のために、どうせ着てもらえないことを知りながら、寒さをこらえてセーターを編み続ける時代ではないのです。

 あと、演歌の場合、ベースやドラムなどのリズムセクションが弱いかなという印象派あります。伴奏を管弦楽団にやらせてしまうと、リズム感不足というクラッシックの欠点をそのまま引きずってしまうのかなあとは思ってしまいます。さらにいえば、ハモらない、韻は踏まない、メロディ展開に意外性がないなど、いろいろな点は指摘できそうです。

 まあ、もっとも、マーケッティング手法を駆使して若い世代にも受け入れられる楽曲を作っていった場合に、それはもはや「演歌」なのだろうか、という問題は生ずるのですが。

Posted by 小倉秀夫 at 05:38 AM dans musique | | Commentaires (1) | TrackBack (0)

03/06/2016

『日本における追及権導入の可能性-欧州の見地から―』を聞いて

 昨日、早稲田大学の8号館に行き、「2016春RCLIP国際シンポジウム 『日本における追及権導入の可能性-欧州の見地から―』」を聞いてきました。その上で、疑問に思ったことを少し羅列してみることにしました。

  1.  追及権を著作権(著作財産権)と位置づけておきながら「譲渡不可」とするという構成があり得るのか。
  2.  原作品の特定の売り主に対する追及権に基づく金銭支払請求権は差押え禁止財産となるのか。
  3.  追及権を「譲渡不可」とした場合、自然人たる著作者が破産した場合どうするのか。
  4.  追及権を「譲渡不可」とした場合、自然人たる著作者が死亡し、その法定相続人が限定承認した後の換価をどうするのか。
  5.  追及権を「譲渡不可」とした場合、法人著作との関係をどうするのか。
  6.  法人著作についても「譲渡不可」な追及権が成立するとすると、当該法人が破産したり、解散した場合にどうするのか。
  7.  原作品が裁判所の競売手続で換価された場合にも、追及権は及ぶとするのか。
  8.  裁判所の競売手続における換価についても追及権が及ぶとした場合、差押え債権者や一般債権者との優劣はどうなるのか。
  9.  原作品が譲渡担保に提供された場合、担保提供時に金員の支払い義務が生ずるのか、あるいは清算時に生ずるのか。
  10.  ある建物内の動産全体に集団動産譲渡担保が設定された場合に、当該建物内に絵画の原作品が含まれていた場合、どうするのか。
  11.  ある建物内の複数の絵画が一括して売却された場合に、どの絵画の著作者(又はその相続人)にいくらの支払い義務を有するかをどのように算定するのか。
  12.  追及権創設後に新たに原作品が第一譲渡される場合、将来の追及権負担を考慮して価格水準が低下することとならないか。
  13.  追及権を創設することが、絵画の著作物の創作のインセンティブを高めることに繋がるとするメカニズムは何なのか。

Posted by 小倉秀夫 at 05:43 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

01/29/2016

首都大での期末試験

 今年は、一年間サバティカルをお取りになっている山神先生のピンチヒッターとして、首都大学東京の法科大学院で、半期だけ著作権法の講義を担当しました。昨日期末試験が終了し、あとは採点だけということになりました。今の著作権法を半年、15回で回すというのはきついですね。

 なお、期末試験の問題は、下記の通りです。

A新聞社の記者Bは、C社が主催するスキーツアーにおいて旅行客らを乗せたバスが転倒し、旅行客Dが死亡した事故について記事Eを作成した。記事Eは、事故の翌日のA新聞の朝刊に掲載された。

問1 Dは生前、D所有のスマートフォンを友人Fに渡して撮影してもらうことで作成したDの肖像を含む写真画像Gを 、Dの個人ブログにアップロードしていた。Bは、記事EにおいてDの肖像写真を掲載したかったので、Dの個人ブログにアクセスして写真画像Gの画像データをダウンロードし、A新聞社の編集長Hにそのデータをメールで送信した。編集長Hは、部下Iの命じて、D以外の人物の肖像についてぼかし処理をした上で、記事Eの真下に掲載されるように、写真画像GをA新聞の事故翌日の朝刊の組版に挿入させた(新聞掲載時、画像もモノクロで印刷されることになっていた。)。

 Dの唯一の法定相続人であるDの母Jは、A社のこのような行為に憤りを感じているが、A社に対してどのような主張をすることができるか。これに対し、A社としては、どのような抗弁を主張することができるか。

問2 A新聞社では、A新聞のWEB版に記事Eを掲載することとした。その際、写真画像Gについて、① A新聞のWEB版用にA新聞社が確保しているサーバ領域に写真画像Gの画像データを新たにアップロードした上で記事Eの本文を記録したウェブページから同画像データに埋め込み型リンクを貼るという手法を採用すべきか、② Dの個人ブログにアップロードされている写真画像Gの画像データに、記事Eの本文を記録したウェブページから直接埋め込み型リンクを貼るという手法を採用すべきかが問題となった。両手法の著作権法上の取扱いの差を説明した上で、A新聞社の法務担当として適切なアドバイスをせよ。

問3 Bは、A新聞社が発行する週刊誌Kにおいて、上記事故後1年が経過した段階で上記事故を振り返る記事を執筆した。その中で、Bは、旅行客Dの無念を強調するため、Dが小学生の時に作成した卒業作文の中から、Dの将来の夢を記載した一節を抜き出した上で、ひとこと、「このようなDの夢を打ち崩した、もうけ優先主義のC社のずさんさは、決して許されるべきではない」と締めくくった。抜き出された一節部分に創作性が認められる場合に、Jは、A社に対してどのような主張をすることができるか。これに対し、A社としては、どのような抗弁を主張することができるか。

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12/12/2015

私的ベスト5 in 2015

 今年聴いた楽曲の中で私的に上位5位以内に入ると思ったものを公表します。

 私が今年一番だと思ったのは、Miley Cyrus & Melanie Safkaの「Peace Will Come (According to Plan)」です。

 少なくとも日本のiTunes Storeではダウンロードできないので、いつもYouTubeで視聴するしかないのが残念です。曲自体は、Melanie Safkaの1970年のヒット曲ですが、Miley Cyrusと新たにデュエットすることで、命を吹き返した。そんな感じです。

 LIVEで初めて聞いて以来注目し続けたのが水曜日のカンパネラの「シャクシャイン」です。

 まさに、"material world"を生きているという感じが出ていて、聞いていて元気が出ます。

 今の日本の閉塞感と戦争に向かってひた走っていく恐怖の中でMarvin Gayeの「What's Goin' On」を聴きたくなる機会が増えてきたのですが、そんな中、突如として現れたのが、Charlie Puth ft. Meghan Trainorの「 Marvin Gaye」です。

 こちらは特に反戦ソングというわけではなく、普通にラブソングですが、それでも、明るい男女の掛け合いソングとして、十分楽しめます。

 今年は、マイナンバー法や個人情報保護法、不正競争防止法の改正など「秘密」が問題となりましたが、J-POPからは、カラスは真っ白(A crow is white) 「HIMITSUスパーク」という歌が出てきました。

 

 演奏のスピード感といい、歌詞における言葉の選択といい、スゴイといわざるを得ません。

 C-POP系だと、人人有功練/熊仔 PoeTek/∞無限「再聯絡」ですね。

 今年は総じて、J-POPを良く聴いたなあという感じがします。今年リリースという縛りをはずすなら、最近のヘビーローテーションはこれですし。

 また、法学クラスタ向けには、The Putinsの「恋愛契約書」という凄いのが出てきましたしね。

 

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09/15/2015

最強という程ではないけど

9月13日にロージナ茶会主催で行われた「ぼくがかんがえるさいきょうのちょさくけんほう」イベントで、観客の一人として発言した内容を少し整理するとこんな感じです。


 著作権法が第1条にてその究極的な目的とする「文化の発展」とは、より多くの文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属する作品が創作され、公表され、公衆に伝播されることにより、社会を構成する人々がそのような作品を広く享受できるようになることをいいます。

 そして、そのような「文化の発展」をもたらす手法の一つとして、そのような作品を創作した人々に対して、そのような作品を公衆に提示又は提供するにあたって、これが純粋な市場原理に基づいてなされた場合に得られるであろう利益を超える利益(超過利潤)を得る機会を、第三者が一定期間当該作品を公衆に提示又は提供することを排除する権限を付与することにより保障することによって、新たな創作活動を行うインセンティブを付与することとしたのです。これが、「著作権」(著作財産権)の存在理由です。

 しかし、著作権は、行使の仕方次第では、特定の作品の公衆への伝播を阻害する要因ともなり得ます。そして、ある作品の公衆への伝播が阻止され、人々がこれを享受する機会を失うということは、人々の知る権利が制約されることとなるとともに、著作権法の究極目的である「文化の発展」を阻害することにも繋がってしまいます。したがって、市場競争をある程度制約して超過利潤を発生させて創作者に投下資本回収の機会を保障するという基本線を維持しつつも、著作権があるが故に却って作品の伝播が阻害される自体を回避するような政策が求められるわけです。

 ところで、日本国は、著作権法に関しては、ベルヌ条約及びWIPO著作権条約に加入していますから、上記政策を遂行するにあたって、両条約を遵守する必要があります。ベルヌ条約においては、特別の場合について著作物の複製を認める権能は同盟国の立法に留保される(すなわち、著作者の許諾なくして著作物を複製することができる場合を設定する規定を置くことが許される)としつつ、そのような複製(そのような立法により適法とされる複製)が当該著作物の通常の利用を妨げず、かつ、その著作者の正当な利益を不当に害しないことを条件とするとされます(9条2項)。また、公衆への伝達権(これが日本法では送信可能化権や自動公衆送信権などになります。)などの新しい権利についても、「著作物の通常の利用を妨げず、かつ、著作者の正当な利益を不当に害しない特別な場合」には、加盟国は権利の制限規定を設けることができます(WIPO著作権条約10条1項)。日本は伝統的に、憲法と条約とが抵触する場合には憲法が優位するという憲法優位説が通説となっている国ですから、憲法上保障されている知る権利を守るために著作権の制限規定を設けることは許されることとなるわけですが、「著作物の通常の利用を妨げず、かつ、著作者の正当な利益を不当に害しない」となれば、なおさら大手をふるって権利制限規定を設けることができるわけです。

 以上のような前提の下で、私は、次のような仕組みを導入することを提唱します。例えば、絶版となっている書籍についてこれを書籍または電子書籍の形で再発行したり、日本国在住者向けに配信されていない実演について日本国在住者向けに配信したりするなど、著作者や隣接権者において投下資本を回収すべく作品を日本国内の広い範囲において公衆に提示・提供していない場合には、第三者がこれを公衆に提示・提供したとしても、差止請求権の行使を認めず、また、刑事罰の対象としないこととしてほしいのです。この場合、「著作物の通常の利用は妨げられ」ていないわけです。もちろん、国民の知る権利を優先させる以上、上記のような取り扱いを受けるのは公表された著作物に限られるべきでしょうし、人格権的な理由での差止請求権の行使は認容されるべきなのでしょう。また、歌詞やメロディ自体はJASRAC等を通じて広く許諾されているものの特定の実演についてはこれを最初に収録したレコード製作者が日本国内での流通を拒むが故に日本国居住者がこれを享受できないという場合には、JASRAC等との間では事前に許諾を受けるべきだとは言えるでしょう。また、当該著作物が公表されてから日本国内で投下資本を回収すべくの公衆への提示・提供が行われないままどのくらいの期間が経過したら上記のような利用をなし得ることとするのかをどのような基準に基づいて決めるのかについても異論が生ずることでしょう。それでも、原則として、超過利潤を上乗せして作品を日本国内において公衆に提示又は提供することによって投下資本を回収する機会を与えられておきながらこれを行使しない人たちに過度に配慮することによって、その作品を人々が享受する機会を喪失すること、そして、その作品を通じた文化の発展が阻害されることを、なるべく回避すべきだと考えるわけです。

 もちろん、このような形でその著作物が利用される場合、あくまで無許諾利用なのですから、損害賠償請求権の行使は許されるべきでしょうし、文化庁長官による裁定による利用ができるように法制度を整えた方がいいのだろうとは思います。そのような利用が無許諾でなされても金銭的な補償は得られるということであれば、「著作者の正当な利益を不当に害しない」ということに繋がりやすいのですから。

 もう一つ私が提唱したのは、著作権原簿または著作権等管理事業者が提供する権利者データベースを調べてなお現在の著作権者が誰であるのかがわからない場合には、著作権法67条の裁定手続きを利用できることとしようというものです。著作者が著作権を第三者に譲渡しないまま死亡した場合、その著作権はその相続人が相続するのが原則ということになりますが、特定の相続人が単独相続したのか、全ての法定相続人がその法定相続分の割合に応じて相続したのか、あるいは第三者に遺贈されたのかについて、理論的には、戸籍謄本を取り寄せることによって、当該著作者の法定相続人(またはその法定相続人、またはさらにその法定相続人、または、さらにその法定相続人、または、さらに法定相続人)を探し出して事情を聞くことにとって確認できる可能性はあるものの、そこに至るまでのコストは過大であり、かつ、それだけのコストをかけても結局空振りに終わる可能性も大ということとなります。そうなると、よほどその作品を利用することによって大きな利益を得られる見通しが立たないと、すでに亡くなった人の作品を利用することは困難となってしまいます。それは、文化の発展に寄与するとの著作権法の究極目的からすれば、本末転倒です。したがって、著作物を利用しようという人たちの調査コストを引き下げる必要があるのです。

 このような制度にしたとしても、著作権登録等をしなかった著作権者は、自分がその著作物について著作権を有していることを告げることにより、過去の利用に関する供託金を取得できる外、将来の利用について差止めを求めることができるわけですから、ベルヌ条約が定める無方式主義に抵触することはありません。参照すべき「権利者データベース」に、外国政府ないし外国の登録事業者が提供している権利者データベースを含めれば、外国人が権利を有する著作物についての保護が不当に欠けることにはならないかと思います。

Posted by 小倉秀夫 at 05:42 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

08/25/2015

TPP知財以降の国内法整備について──保護期間編

 TPP交渉がまとまるかどうかは未だ予断を許しません。そして、TPP交渉がまとまった場合に、知的財産権関連の条項がどうなるのかも未だよくわかりません。

 仮にTPP交渉がまとまった場合、国会でこれを批准したときに初めて日本としてこれに拘束されることとなり、TPP上の立法義務に合わせた国内法を国会が制定したときに初めて、私たちはこれに拘束されることとなります。

 そういう意味では、TPP交渉がまとまったら即時著作権の保護期間が延長されるわけでも、著作権侵害罪が非親告罪化するわけでも、法廷賠償制度が導入されるわけでもありません。

 ただ、包括通商条約というTPPの性質上、一部の条項だけ留保して批准と言うことも難しいでしょうし、与党が衆議院で3分の2以上の議席を有している以上、議会で批准をひっくり返すというのも難しいでしょう。したがって、農村部選出の議員を中心に反対意見が表明されるだろうとは思いますが、程なく批准はされてしまうのだろうと思います。したがって、鍵は、どういう風に国内法を制定していくのかという話になりますが、WIPO著作権条約の時も世界に先駆けて国内法を整備してしまった日本政府のことですから、一気に法改正がなされてしまう危険があります。

 だからこそ、TPP交渉がまとまる前に、リークされているTPP知財の条項案を前提に、いかに国内法を整備していくのかを論じ、ある程度まとまったら文化庁や各政党に提示しておくことが有益だと思います。

 例えば、著作権の保護期間については、どのようなことが考えられるでしょうか。

 現行著作権法51条は次のような規定になっています。

(保護期間の原則)
第五十一条  著作権の存続期間は、著作物の創作の時に始まる。
2  著作権は、この節に別段の定めがある場合を除き、著作者の死後(共同著作物にあつては、最終に死亡した著作者の死後。次条第一項において同じ。)五十年を経過するまでの間、存続する。

 TPPにおいて著作権の保護期間を最低70年とすることが義務づけられた場合、この「五十年」の部分が「七十年」に置換される法改正が予想されます。

 では、何も出来ないのでしょうか。そうでもありません。

 例えば、著作権法を改正する際には、通常、「附則」というのを定めて、法改正前にすでに存する著作物等について改正法をどの範囲で適用するのかを定めることになっています。著作権の保護期間については、例えば、

(著作物の保護期間についての経過措置)
第××条  改正後の著作権法(次条において「新法」という。)第五十四条第一項の規定は、この法律の施行の際現に公表されている著作物については、なお従前の例による。

という規定を附則に置けば、著作権の保護期間が70年に延長されるのは、改正法施行後に公表された著作物に限定されることとなります。日本では、著作権法は、「著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする」(1条)ものとされており、著作権法による保護、言い換えれば著作物の利用について著作権者への独占権の付与は、それが新たな創作活動へのインセンティブの付与に繋がるからこそ例外的に認められているとの考えが一般的ですので、新たな創作活動へのインセンティブの付与に繋がらない「すでに公表されている著作物についてまでその保護期間を延長すること」は、その立法目的を超えて他者の権利(表現の自由ないし営業の自由等)を制約することとなり許されないといえますので、理屈は立つことになります。

 また、公表された著作物又は相当期間にわたり公衆に提供され、若しくは提示されている事実が明らかである著作物については、文化庁長官の裁定を受け文化庁長官が指定する特定の登録機関にその現在の著作権者が登録されていない場合(登録上の著作権者がすでに死亡している場合を含む。)には、裁定手続きの対象とするような法改正を行うことにより、著作者の死後50〜70年後の、転々相続による著作権の共有者全員を探し出すコストから、その著作物の利用希望者を解放することが出来ます。

Posted by 小倉秀夫 at 12:04 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

同人誌の表紙絵

同人誌の写真をネットで公開することについて法律的にどのような問題が生じてくるのかについて、AVANCE LEGAL GROUP LPCの山岸純弁護士と児玉政己弁護士に聞いたニコニコニュース内の記事が反響を呼んでいます。その真偽について検討してみましょう。

 両弁護士によれば、

この種の同人誌は、既存のマンガなどのキャラクターの特徴が忠実に再現されていてこそ購買意欲が生じると言われていますので、『同人誌の製作者』のオリジナリティはかえって購買者にとって邪魔になるだけであり、このようなオリジナリティの発現はおのずと否定される場合が多くなるかと思います。とすると、“オリジナリティが欠ける”=“著作権が発生しない”ということになりますので、『二次創作系同人誌』の表紙については、無断掲載されても、『同人誌の製作者』への著作権侵害の可能性は低くなると考えることができるわけです

とのことです。

 どうも、同人誌というものを誤解されているような気がしてなりません。二次創作系の同人誌においては、既存の漫画のキャラクターの特徴を押さえつつ、各同人作者の個性を反映させたり、ストーリーにあわせたり、さらにデフォルメしたり、むしろデフォルメを弱めたりして、元のキャラクターとは明らかに異なるキャラクター絵を生み出す方がむしろ一般的です。ピカチュウすらHに変身させるのが同人誌です。既存の漫画のキャラクターに同人作家の創作性が加えられた新たなキャラクターが表紙に登場することは何ら不思議ではありません。

 さらに言えば、キャラクターの描き方自体は元の漫画のキャラクターに忠実だったとしても、表紙絵における構図、各キャラクターのポーズやその衣装の組み合わせ、背景等の描き方にその同人作家の個性が反映されていれば、表紙絵自体、二次的著作物たりうると言うことになります。

 記事では、上記両弁護士の見解から、

『二次創作系同人誌』は、そのほとんどが“著作権が発生しない”。よって、写真をネットにアップすることは法的には問題ないようだ。

との結論を導きます。これはとんでもない間違いです。同人誌の表紙絵が二次的著作物にあたるかどうかに関わりなく、元の漫画のキャラクターの表現上の本質的特徴を直接感得できるものである限り、これをウェブ上にアップロードすることは、原則として、元の漫画の著作権を侵害することとなります。二次的著作物の利用についても、原作品の著作権者は権利行使をなし得るのです(著作権法27条)

 さらに、同記事では、両弁護士の発言として、以下のように続けます。

例えば、写真全体に表紙が納まるように撮影する場合などは、表紙の「複製」と評価される可能性が高く、「著作権」侵害となりますが、表紙だけではなく、ほかの被写体(同人誌を持って立つ購買者、東京ビックサイトの外観、そのほかの背景等)とともに撮影されている場合には、当該写真は表紙の「複製」と評価することは難しくなるものと考えられます。

 しかし、表紙が他の被写体とともに撮影されていようとも、その表紙の表現上の本質的特徴部分がその写真から直接感得できる限り、その写真はその表紙の複製物ないし二次的著作物たりうるのです。もちろん、その表現上の本質的特徴部分を直接感得できない程度に「引き」で写真撮影をすれば「複製」に当たらないこととなる場合もあるとは思いますが、それはむしろ、小さくしか取れていないことによるものであって、他の被写体とともに撮影されていることによって生じた現象ではありません。

 あとは、著作権法30条以下の権利制限規定に当たるかどうかの問題です。コミケ会場等の写真を撮る際に、自分と無関係の参加者が持っていた同人誌の表紙等が写り込んだと言うことであれば、著作権法30条の2が適用される可能性がありますが、撮影時に敢えて同人誌をもって表紙を前面に掲げて写真を撮ったということですと、同条の適用は難しいのではないかという気がします。この場合、当該同人誌の表紙絵は、「写真の撮影等の対象とする事物又は音から分離することが困難である」とは言いがたいからです(仲間を撮影する際には、「その同人誌の表紙絵が写り込むとまずいので、一旦下に置いて下さい云々と指示するのは大変ではありませんので。)。

Posted by 小倉秀夫 at 02:12 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)