02/07/2017

演奏の「指導そのもの」から得た利益の一部をJASRACに支払うのは不自然

 東京大学の付属研究機関である先端科学技術研究センターに所属し、JASRACで外部理事を務める玉井克哉教授が以下のようなツイートをしています。

はい。そして、その「指導そのもの」が、他人の創作を用いた営利事業なのです。得た利益のごくごく一部を創作者に払うのは、当然ではないですか。

 このクラスの肩書きを持った方にも、著作権法の基本的な枠組みをご理解いただけていないのかと、がっくりきてしまいます。

 著作権法は、著作物を用いた営利事業全てを著作権者の支配下に置くものではありません。あくまで、著作権法21条以下の規定により著作者が専有すると規定された「法定利用行為」についてのみ、著作権者は自己の著作物に関してそれがなされることをコントロールできます。したがって、「指導そのもの」が「他人の創作を用いた営利事業」であったとしても、「指導そのもの」が著作物の法定利用行為にあたらなければ、得た利益の一部を著作者に支払うべき合理的な理由はありません。そして、第三者の演奏を指導すること自体は法定利用行為にあたりません。

 もちろん、指導に当たって教師が自ら見本を見せるために演奏をしてみせることが「公の演奏」にあたるかどうかは争点となり得るでしょう。しかし、それは、指導に際してなした「演奏」が法定利用行為にあたるとすればこれによって得た利益の一部を著作者に支払うとの条件で許諾を得る必要があるというだけのことです。演奏を指導する際に自ら手本を見せることは必須ではないので、「指導そのもの」は、利益の一部を支払うことを約束してでも著作権者から許諾を受けなければいけない行為にはあたりません。

 なお、「得た利益のごくごく一部」なんて言いますけど、音楽教室の利益率はあまり高くないので、授業料収入の2.5%も支払わされたら、利益の大半が飛んでしまうと思いますけどね。その分生徒からとればいいではないかと言われても、「授業料収入の2.5%」ということだと、JASRAC管理楽曲を使用していない生徒から徴収した授業料収入を含めて2.5%をかけて算出した金額をJASRACに支払わなければいけなくなるわけで、だからといって、JASRAC管理楽曲を使用していない生徒からは著作物利用料は徴収できないし、とはいえ、JASRAC管理楽曲を使用していない生徒から徴収した授業料収入に2.5%掛け合わせた分を、JASRAC管理楽曲を使用している生徒に上乗せして徴収するわけにも行かないし、結局その分は音楽教室の自己負担になるんですよね。

Posted by 小倉秀夫 at 11:32 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (38)

02/06/2017

還元の要否に関する原則と例外

 音楽教室とJASRACとの関係についての議論を見ていて気になることがあります。著作物を用いて事業者が利益を上げたらその利益の一部は著作権者に還元されなければならないという間違った考え方をお持ちの方が少なからずいるということです。

 少なくとも日本の現行の著作権法は、そういう考え方を採用していません。著作物を公衆に提示・提供する行為のうち所定の態様で行われるもの(並びに、その準備行為たる著作物の複製行為、二次的著作物の創作行為)のみを法定利用行為として著作権者に独占させる制限列挙方式を採用しています。著作物の創作に一定の資本を投下した人に投下資本回収の機会を与えるために一定期間競合を排除するという著作権法の基本的な枠組みからすれば、新たな公衆への提示・提供態様が著作物にかかる本来的な投下資本回収手段の一つとして位置づけるに値するものとなったときに、新たに支分権を創設する立法を行えばよく、そのような立法がなされるまでは、著作物を利用して事業者が利益を上げてもその利益の一部を著作者に還元する必要はありません。実際、例えば、漫画喫茶は他人の著作物を用いて事業者が利益を上げているわけですが、営利目的で著作物の複製物を公衆に展示することが法定利用行為に含まれていない現行法上は、漫画喫茶の経営者は漫画本の著作権者等にその利益を還元する必要はありません。

 従って、音楽教室におけるJASRAC楽曲の使用についても、それが「公衆に直接聞かせる目的でなされる演奏」にあたらなければ音楽教室が上げた利益を著作権者に還元する必要はありませんし、「公衆に直接聞かせる目的でなされる演奏」にあたって著作権の制限事由のいずれかに該当する場合は音楽教室が上げた利益を著作権者に還元する必要はありません。また、法定の権利制限規定のいずれも当てはまらない場合であっても、事業者の上げた利益の一部を著作権者に還元させることが不適切とされ、権利侵害の成立が否定される場合があります(消尽論が適用される場合もその一つです。)。その場合も、事業者は利益を還元する必要はありません。

Posted by 小倉秀夫 at 03:54 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (1) | TrackBack (0)

02/05/2017

音楽教室でJASRAC管理楽曲は「演奏」されているのか。

 ヤマハ音楽振興会が運営している「ヤマハ大人の音楽レッスン」は、どんなことをやるのかを動画で説明しています。

 例えば、エレキギターについてはこれ、ドラムについてはこれです。

 これを見ると、果たして、これらの授業において、JASRACが信託譲渡を受けている「音楽著作物」が「演奏」されていると言えるのかに疑問を持ってしまいます。仮に、ここで生徒さんが演奏するのが、特定のJASRAC管理楽曲における特定のアーティストによる特定の音源ないしライブでの実演とほぼ同じ内容だったとして、そこまでJASRACは管理しているのだろうか、ということです。ドラムをどう叩くのか、エレキギターにおいてどのように弦を抑え、はじくのかということまで作曲家が決めるというのは、ポピュラーミュージックにおいては通常形態ではない以上、作曲家の権利について信託譲渡を受けているにすぎないJASRACは、そこまで専有する権限を持っていないのではないかということです。

 実際、ある楽曲のある音源におけるドラムが格好いいからこれを勉強したいということで、特定のCDに収録された楽曲におけるドラム譜を教材にした場合、ドラマーはそのドラム譜についてJASRACに何の信託譲渡もしていないので、仮に音楽教室が許諾料をJASRACに支払っても、そのドラマーには何も還元されないんですよね。

 そう考えると、ボーカルが入るなど主として主旋律が使用されている例外的な場合を除けば、音楽教室においては、そもそもJASRACが信託譲渡を受けている音楽著作物は「演奏されていない」といえるのではないかという気がします。

Posted by 小倉秀夫 at 07:10 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

02/02/2017

音楽教室とJASRAC

ヤマハや河合楽器製作所などが手がける音楽教室での演奏について、日本音楽著作権協会(JASRAC)は、著作権料を徴収する方針を固めた。
というニュースが話題となっています。

 音楽教室では、既存の楽曲について、教師が一部のフレーズを演奏して見本を示し、生徒がその見本に従ってそのフレーズを演奏してみるということが通常行われます。生徒については、一曲通しで演奏することもまま行われるのでしょう。このような形での楽曲の演奏は、音楽教室の教師(ないしその雇い主である音楽教室の運営会社)による著作権侵害に当たるのでしょうか。

 まず、一部のフレーズの演奏したに過ぎない場合に、元の「音楽著作物の利用」と言えるかどうかが問題となります。元の音楽著作物の表現上の本質的特徴部分を直接感得できるものでないと、著作物の「利用」たり得ないからです。4小節なり8小節なりという単位で演奏したときに、そこだけで「元の音楽著作物の表現上の本質的特徴部分を直接感得できる」かと言われると、そうでない楽曲も多そうです。

 次に、生徒による演奏について、著作権法上の演奏の主体を、音楽教師又は音楽教室運営者と認定できるのかが問題となります。この場合、ロクラクⅡ事件最高裁判決後もなおカラオケ法理ないし拡張されたカラオケ法理が適用されうるのかも問題となります(もっとも、生徒が演奏の主体である場合には、無償かつ非営利目的でなされており、適法なものといえますので、ファイルローグ法理は使えそうにありません。)。

 生徒が音楽教室に通うタイプですと、生徒による演奏も、音楽教室の運営会社が用意した建物内部で、運営会社が用意した機材等を用いて行われることになります。この場合、カラオケ法理を適用できるかどうかは、演奏する楽曲の選択の範囲を音楽教室側である程度コントロールしているのかどうかが問題となります(生徒の側で自由に演奏したい楽曲を指定してくる場合、音楽教室側の管理下において生徒が演奏しているとは言いにくくなります。)。音楽教師が生徒の自宅に派遣されるタイプですと、さらに音楽教室側の管理のもとで生徒が演奏しているとは言いにくくなります。

 ロクラクⅡ法理を用いた場合、生徒による演奏についての「枢要な行為」を音楽教室側が行ったといえるのかどうかが問題となります。教師が手本を見せること、あるいは、生徒が音楽教室に通うタイプの場合に,演奏する場所や演奏に用いる機材を提供することが、ここでいう「枢要な行為」に当たるのかという問題です。「枢要な行為」について判示した裁判例が未だ集積されていないので、なんとも言い難いところです。

 また、生徒による演奏については、公衆に直接聞かせる目的での演奏と言えるのかどうかも問題となります。音楽教室において生徒は、音楽著作物を公衆に伝達することではなく、自分の演奏につたない点がないかどうかをチェックしてもらうために演奏するのが通例であり、自分の歌声に酔いしれることを前提とするカラオケボックスにおける客の歌唱と同列に扱うことができるのかという問題があるからです。練習のための演奏について、従前から「公衆に直接聞かせるための演奏」としてきましたかね、ということですね。

 また、また、音楽教室において、教師による演奏の対価として料金が支払われるのではなく、生徒による演奏を指導する対価として料金をもらっているので、無償かつ非営利の演奏であるとして、著作権法38条1項の適用を受けるのではないかという問題もあります。ただし、無償要件はともかく、非営利目的といえるかという点が苦しそうです。

 また、音楽教室における教師による見本としての演奏は、演奏のテクニック等に関する説明の一環として行われるのが通常ですので、著作権法32条1項にいう「引用」に当たるのではないかも問題となり得ます。「引用」の目的として、「演奏のテクニックとして縷々説明した要素を、実際の演奏を見せることによって、分かりやすく示す」という目的も含まれるとするならば、生徒の目の前で特定のフレーズを演奏してみせることは、「引用の目的上正当な範囲」にとどまるように思います。

 さらにいえば、既に著作権の保護期間が経過した楽曲を演奏する分には何人の著作権をも侵害していないことになりますし、楽器の演奏の練習のために作成された、JASRACに信託譲渡されていない楽曲を使用する分には、少なくともJASRACの著作権を侵害することにはなりません。

 このような状況下で、「著作権料を年間受講料収入の2・5%とする」というのは無茶ではないですかね、と私などは思ってしまいます。

Posted by 小倉秀夫 at 11:44 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (3) | TrackBack (0)

01/30/2017

「PPAP」との商標を登録しても「PPAP」を歌うことは邪魔できない

 ベストライセンス株式会社が「PPAP」との文字標章について商標登録出願をした件に関して、様々な人が様々な見解を述べています。「未だ商標登録が認められていない現時点ではもちろん、仮に将来商標登録が認められたとしても、ピコ太郎はなお『PPAP』を合法的に歌い続けることができる」という結論は間違っていないものの、理由付けにおいて間違っている見解が多いようです。

 まず確認しなければいけないのは、そもそも「PPAP」の歌詞の中に「PPAP」という言葉は含まれないということです。「PPAP」と類似する文字列も歌詞には含まれません。したがって、「PPAP」を歌っても「PPAP」という文字列ないしこれと類似する文字列を使用しないわけですから、商標権侵害となるわけがありません。

 とはいえ、「PPAP」を音楽配信サービスで販売しようと思えばタイトル名として「PPAP」という表示をせずにはいられませんし、テレビ番組の中で「PPAP」を歌うとなれば(あるいは「PPAP」のミュージックビデオを流すとなれば)タイトル名として「PPAP」というタイトルを表示せざるを得ません。「PPAP」との文字列について誰かが商標登録してしまった場合には、そのようなタイトル表示は商標権侵害となるのでしょうか。

 現在の通説・判例を前提とすると、これは商標権侵害とはなりません。その理由は以下のとおりです。

 現行法において、「商標」の本質は、出所表示機能にあると考えられています。このため、出所表示機能を有さない標章についてはそもそも「商標」たり得ないし、出所表示機能を果たさない態様で標章を使用しても、それは商標としての使用にあたらないと解されています。

 そして、著作物の題号(タイトル)は、通常、出所を表示するのではなく、内容を表示する機能を有しているため、これを「商標」として保護することは適切ではないと考えられています。このため、著作物の題号はそもそも「商標」にあたらないとする見解や、著作物の題号としての使用は商標としての使用にあたらないとする見解が通説となっています(ただし、新聞や雑誌等の定期刊行物の題号や、百科事典・辞書類の題号については、「商標」性を認める見解が有力です。)。

 裁判所も、例えば、井上陽水がそのアルバムタイトルを「UNDER THE SUN」とし、これをそのCD盤の表面やジャケットに「UNDER THE SUN」「アンダー・ザ・サン」という標章を用いたことが、「おもちゃ、人形、娯楽用具、運動具、釣り具、楽器、演奏補助品、蓄音機(電気蓄音機を除く。)、レコード、これらの部品及び付属品」を指定商品とする「UNDER THE SUN」との登録商標に関する商標権侵害にはあたらないとしています(東京地判平成7年2月22日判タ第881号265頁)。また、表紙、背表紙に『高島象山』の文字が表示されていても、「図書、写真及び印刷物類」を指定商品とする「高島象山」との登録商標の使用に当たらないとした裁判例もあります(東京高判平成2年3月27日判時1360号148頁)。

 したがって、ピコ太郎が歌う楽曲のタイトルとして「PPAP」との標章を用いる分には、仮に第三者が「PPAP」についてどんな指定商品・役務について商標登録をしたところで、商標権侵害とはならないのです。

 なお、ベストライセンス株式会社は「PEN PINEAPPLE APPLE PEN」についても商標登録出願をしているようです(商願2016-116675)。これが登録されてしまった場合、ピコ太郎は歌詞の中で「PEN PINEAPPLE APPLE PEN」と歌えなくなるのでしょうか。

 もう、お分かりですね。ピコ太郎が歌詞の中で「PEN PINEAPPLE APPLE PEN」と歌っても、それは、その歌の出所を表示するものではない以上、商標としての使用には当たらないので、いかなる指定商品・指定役務についても、商標権侵害とはなり得ないのです。

Posted by 小倉秀夫 at 09:44 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

01/19/2017

森のくまさん

 パーマ大佐による「森のくまさん」について、童謡である「森のくまさん」についての馬場祥弘の訳詞に係るの同一性保持権を侵害するものであるとして、馬場氏よりクレームがつけられた件が話題になっています。

 ただ、パーマ大佐による「森のくまさん」の歌詞を見る限り、馬場氏の訳詞を流用している部分は、特に改変等をしておらず、単に、馬場氏の訳詞の一部と一部の間に、パーマ大佐が創作した文章表現を挿入しているだけのように見えます。

 そうだとすると、ここでは、「既存の言語作品の一部を複数切り取って、その間に、新たな文章表現を挿入することが、既存の言語作品に係る同一性保持権を侵害するものと言えるのか」ということが問題となると言えます。

 同一性保持権について定めた著作権法第20条1項は「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。 」と定めていますので、既存の言語作品をその意に反して切除すること自体が同一性保持権侵害にあたるのだとする見解もあり得なくはないでしょう。しかし、言語著作物は古来より「引用」されてきたことを考えると、既存の言語作品の一部が切り取られて別の作品に挿入されて利用されたとしても、必ずしもそれがその言語作品の全体だと受け取られるおそれが低く、その切り取られて別の作品に挿入された部分だけを見て、元の言語作品の作者に対する評価を決める人は希であると考えられるので、切り取り方が不適切で、その部分から感得される作者の人格的評価が歪められるような方法による場合を除けば、同一性保持権を侵害するものとまでは言えないのではないかと思います。

 パーマ大佐による「森のくまさん」についていえば、馬場氏の訳詞について、その部分から感得される作者の人格的評価が歪められるような不適切な切り取り方をしていないので、同一性保持権侵害にあたるとまでは言えないのではないかと思います。

 では、パーマ大佐による「森のくまさん」における、馬場祥弘の訳詞の一部の利用が、訳詞者である馬場氏の名誉または声望を害するものであって、馬場氏の著作者人格権を侵害する(著作権法113条6項)ものと認められるかというと、これが一種のパロディであることが明確であること、その方向も特に一般の人をして嫌悪感を抱かせるようなものではないことを考えると、難しいのではないかと思います。

 童謡である「森のくまさん」についての馬場氏の訳詞は、JASRACによる管理がなされており、馬場氏は翻案権以外の著作権を有していないので、馬場氏自体がパーマ大佐等に対して著作権を主張することはできません(だから、「同一性保持権侵害だ」と言っているのではないかと推測します。)。

 では、JASRACは、パーマ大佐等に対して著作権を行使することができるのでしょうか。

 おそらくその場合、馬場氏の訳詩の一部を切り取ってパーマ大佐版のの「森のくまさん」に利用したことが著作権法32条の適用を受ける「引用」にあたるかどうかが問題となろうかと思います。

 パーマ大佐が新たに挿入した部分の方が明らかに多いので、主従関係が認められることが明らかです。明瞭区別性について言えば、実際のパフォーマンスにおいて、原曲たる「森のくまさん」の一部を歌っているのか、パーマ大佐が新たに創作した部分を歌っているのかが区別できるようになっていれば、十分に満たされるのではないかと思います。

 あとは、いわゆる「本歌取り」という目的が著作権法32条にいう「報道、批評、研究その他の引用の目的」に含まれるのか、そして含まれる場合に、パーマ大佐版「森のくまさん」における馬場氏の訳詞の利用が、「目的上正当な範囲内で」行われたといえるかどうかが問題となろうかと思います。パーマ大佐版「森のくまさん」のストーリー展開を前提とすると、「目的上正当な範囲内で」行われているように私には思えるのですが。

Posted by 小倉秀夫 at 12:37 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

01/10/2017

自動作曲と依拠

 近年はAIブームです。私的には、近年のAIの嚆矢は、ヤマハが提供した「VOCALODUCER」なのではないかと思っています。

 それはともかく、作曲、とりわけ主旋律の作成作業というのは、普通の人が発生できる音階が限定的であることから、ただ作ればいいのであれば、コンピュータ向きの仕事であると言えます。コードと主旋律の中で使われる音階との間のルール設定をした上で、コード進行に関して一定のルール付けをしておけば、聴くに堪える主旋律が生まれる蓋然性が高まります。

 もちろん、それらの多くは「聴くに堪える」というだけで、商用音楽として訴求力を持つものが生ずる蓋然性はさほど高くはないでしょう。コンピュータが自動作曲したものを商用音楽として利用しようと思えば、コンピュータが自動作曲した大量の主旋律の中から商用音楽としての利用に耐えるものを、人間が聴いてピックアップする必要が生ずることでしょう。

 主旋律をゼロから作り上げる才能はないが、コンピュータが自動作曲したものの中からピンときたものを拾い上げる才能に秀でている人材が音楽業界で大きな地位を占める社会が近い将来やってくるかもしれません。その場合に備えて考えておくべきことが2つあります。

 1つは、この「コンピュータが自動的に作成する膨大な数の主旋律の中から、商用音楽としての訴求力を有するものをピックアップする作業」を、ピックアップ作業するものによる著作物の創作行為(とりわけ「作曲」)と見て良いのかということです。もちろん、コンピュータが自動的に主旋律を作成する作業自体を著作物の創作行為とする方向で立法をしていこうという見解があることは承知しているものの、コンピュータが自動的に主旋律を吐き出した時点では、そこに何人の思想も感情も表現されていないので、立法政策としての方向に疑問を抱いてしまうので、こういう問題設定をしているわけです。「ピックアップする行為」を著作物の創作行為とし得るのであれば、何をピックアップするのかという点にその人の思想又は感情の表出を見ることができるというわけです。

 もう一つは、コンピュータが自動的に作成した膨大な数の主旋律の中に、先行作品と同一または類似するものが含まれていた場合に、これをピックアップして利用する行為は著作権侵害に当たるのだろうかと言うことです。複製権侵害や本案権侵害等が成立するためには、先行著作物と同一又は類似の表現を利用したというだけでは足りず、その際に先行著作物に依拠していたことが必要だとされています。しかし、コンピュータが自動的に主旋律を生み出す時点では、コンピュータもこれを操作する人もその自動作曲プログラムを組んだ人も、その先行著作物と同一または類似する旋律を吐き出してやれと考えているわけではありませんから、先行著作物への「依拠」があったと見ることは困難です。

 では、コンピュータが自動的に作成した主旋律の1つが先行著作物と同一又は類似していることを知りつつ敢えてこれをピックアップして利用した場合、その先行著作物に「依拠」しているといえるのでしょうか。少なくとも建前上は、それが先行著作物と同一又は類似であることを知りつつも、コンピュータが自動的に作成した主旋律を利用しているに過ぎない以上、その先行著作物自体には依拠していないと言えるでしょうか。依拠していないといってしまうと理論的には楽ですが、そうすると、音楽については、先行のヒット作品と同一または類似する主旋律をコンピュータが自動生成するのを待てばこれを無許諾で利用できることになり、先行著作物の保護の範囲が狭くなりすぎるのではないかとの戸惑いも生じます。

 この問題に答えを出すためには、依拠とは何なのか、なぜ依拠がないと著作権侵害が成立しないとされるのかについて、もう少し考察を進めていく必要がありそうです。

Posted by 小倉秀夫 at 02:49 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

12/27/2016

LIVE in 2016

 私が2016年に自腹で行ったライブは、下記の通りです。

日付 会場 Artist
1/30赤坂BLITZ水曜日のカンパネラ/ワンダフルボーイズ/Shout it Out
2/28 NHKホール MIKA
3/4 原宿ASTRO HALL宇宙人
4/25下北沢SHELTER藤岡みなみ&ザ・モローンズ / カラスは真っ白
5/7DOMe柏UQiYO他
5/13Zepp 東京SCANDAL
5/29渋谷La.mamaThe Peggies /Cettia. /絶景クジラ/
6/25STUDIO COAST水曜日のカンパネラ
7/6Zepp DiverCityクリープハイプ/フジファブリック
7/28clubasiaThe Peggies
9/20東京DOMEBABYMETAL
11/4FEVERUQiYO 他
11/30駒澤大学駒沢キャンパス記念講堂夜の本気ダンス
12/1下北沢SHELTERポルカドットスティングレイ/絶景クジラ
12/4赤坂BLITZThe Peggies / 大森靖子 他
12/8渋谷CLUB QUATTROThe Peggies
12/10新宿SAMURAIそれでも世界が続くなら
12/25豊洲PITSCANDAL

 ライブトータルでは、12/8のThe Peggiesのワンマンが素晴らしかったですね。勢いがあるって、こういうことなんだと思います。曲を単体としてみたときには、12/4の大森靖子の「音楽を捨てよ、そして音楽へ」が凄まじかったですね。ARABAKI ROCK FEST.16のときのパフォーマンスがYouTubeにアップロードされていますが、サポートミュージシャンの違いもあり、これよりも二割増の力強さがありました。

 ワンダフルボーイズや藤岡みなみ&ザ・モローンズのように、MC込みで聴衆を楽しませるのもいいですね。赤坂BLITZという比較的小さい会場で水曜日のカンパネラを見れたのも、今となっては貴重な体験です。下北沢SHELTERでポルカドットスティングレイを見れたのも、来年の今頃は思い出話として語れるかも知れません。

Posted by 小倉秀夫 at 01:56 AM dans musique | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

12/03/2016

私的ベスト5 in 2016

 今年も性懲りもなく、今年(正確には昨年の12月以降)から聞き始めた楽曲での私的ベスト5を公表していこうと思います。

 The Peggiesの「グライダー」は、リーリース自体は昨年の11月ですが、インディーズ系の作品が届くには時間がかかるので、「今年」に含めてしまいましょう。

 世間的には、リードボーカルの北澤ゆうほの容姿が注目されがちですが、The Peggiesのすごさは、① ガールズバンドでは卓越した作詞力、② ドラムとベースの圧倒的な力量にあるのだと思います。②については。正真正銘今年発表された「Love Trip」の方がわかりやすいかもしれません。

 滅火器 Fire EXの「繼續向前行 Keep On Going」は、震災から復興しようとする東北地方(宮古市)をメンバー自身が周り、現地の人々と交流し、PVという形で残して世界に向けて発信した作品です。この楽曲の前向きの歌詞と力強い演奏が、「被災地の復興」というテーマにまさに合致します。

 フランスのポップスでは、Sopranoの「En Feu」が群を抜いていた感じがします。

 歌詞はともかく、そののりの良さ、メロディのセンス等さすがといわざるを得ません。

 Stereoact feat. Kerstin Ottの「Die Immer Lacht 」は、PVが特徴的です。

 「いつも笑っている人」ということなので、笑顔の美しい女性を全面に押し出すというのは、王道っぽさを感じます。曲自体は、凄く素直で、聴きやすい楽曲です。

 大森靖子 feat.の子の「非国民的ヒーロー」は、その歌詞のセンスが圧巻です。出だしでまず引き込まれます。メロディやアレンジは、さすが神聖かまってちゃんという感じで安定感があります。

 ベスト5というとこのあたりになりますが、その他注目すべきものとしては、それでも世界が続くならの「弱者の行進」や、
ポルカドットスティングレイの「テレキャスター・ストライブ」
Ikkyu Nakajimaの「sweet sweat sweets」
MOSHIMOの「猫かぶる」
My Hair is Bad「戦争を知らない大人たち」とかですね。

Posted by 小倉秀夫 at 07:58 PM dans musique | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

10/16/2016

チケットの転売問題

 コンサート等のチケットが高額で転売されることを音楽産業が問題視し始めています。しかし、チケットを必要とする人と不要になった人とがいれば、この間に売買契約が成立しうることは当然のことです。また、チケットが不要になった人より必要となった人の方が多ければ、価格が高騰するのも、資本主義社会においては自然なことです。そして、音楽産業側としては、チケットの提示と引き替えに会場に入場することを許された人々に対して、特定のアーティストの実演を一定時間鑑賞させれば、チケットの販売によって約した債務の本旨を履行することができるのですから、チケットが……流通しようと、そしてその転売価格が高騰しようがどうでも良いはずです。では、なぜ、チケットの高額転売が問題視されるのでしょうか。

なぜ、チケットは譲渡されるのか。

 そもそも、正規に発行されたコンサート等のチケットは、なぜ譲渡されるのでしょうか。これにはいろいろな理由があります。

⑴ 特定の人に譲渡する目的で購入される場合

 そもそも、最初から特定の人に譲渡する目的でチケットが購入された場合、当然、そのチケットはその人に譲渡されます。たとえば、あるアーティストの大ファンである子どもにプレゼントする場合や、友人や恋人と一緒に特定のライブに行きたくてその人の分までチケットを購入する場合がこれに当たります。

⑵ 不特定の人に譲渡する目的で購入される場合

 高値で転売する目的でチケットを購入する場合の他、たとえば、商店街における福引きの景品とする場合なども、不特定の人に譲渡する目的でチケットを購入することになります。

⑶ ライブに行けなくなった場合

 当初は自分で行くつもりでチケットを購入したけれども、その後都合がつかずライブに行けなくなった場合や、事情変更の結果行くつもりがなくなった場合、そのライブに行きたがっている知人に無償でチケットを譲渡したり、支払済みの代金を回収するために有償でチケットを譲渡したりすることがあります。

⑷ 特定の人に譲渡しようとしたが受領を拒絶された場合

 たとえば、子どもにプレゼントしようとチケットを購入したもののその子には既にその日に別の予定が入っていた場合や、好意を持っている人と一緒にライブに行こうとその人の分までチケットを購入したのに一緒にライブに行くことを断られた場合など、せっかく購入したチケットが余ってしまいます。余ったチケットを第三者に有償または無償で譲渡しようとすることは実に自然です。

チケットの譲渡を禁止することのメリット・デメリット

 チケットの譲渡自体を禁止した場合、これら全てが許されなくなります。しかし、たとえばクレジットカード決済ができる大人がクレジットカードを持たない子どものためにチケットを購入してあげることや、友人や恋人と一緒に特定のライブに行くことが予定されている場合に一人の人が全員分のチケットを購入することを禁止するメリットがあるようには思われません。特に、後者を禁止すると、共通体験としてのライブ参加と言うことが行いにくくなるので、ライブ人気に水を差すこととなるでしょう。

 自らライブに行く予定だったのに行けなくなった(行く気がなくなった)とか、特定の人に譲渡するつもりでチケット購入したのに受け取ってもらえなかったという場合になおチケットの譲渡を禁止した場合、その分、ライブに参加する人の割合が減り、座席が指定されている会場であれば、空席が生ずることになります。その割合が大きくなればなるほど、ライブとしては寂寥感が増すことになります。そして、そのライブに参加したいと考えている人がいて、参加させる余地が物理的にある程度あるのに、参加させられないというのは、効率性を損なうものとなります。

 また、メジャーなアーティストのライブの場合、1人1万円前後というかなり高額の値付けをする一方で、先行予約をライブ実施日の数ヶ月前に設定するケースが珍しくありません。多くの人は、数ヶ月後の予定を確実に把握することができないので、その後の事情で行けなくなったときにこれを換価する手段が存在しないとなると、チケットを先行的に購入することのリスクが高まってしまいます。それは、よほど好きでない限り高額のチケットを購入しないという方向に消費者を向かわせることになります。

 もっとも、チケットの転売を完全に自由とした場合、転売目的で大量にチケットを仕入れて高いマージンを付けて転売するという業態をも容認することとなります。この場合、本来、チケットぴあなどの正規のチケット販売事業者からエンドユーザーにダイレクトに販売することを前提とした価格設定よりも高い価格を支払わなければ多くのファンがチケットを入手できないことになり、結果として、本来の想定よりも、ライブの顧客層の可処分所得帯が上昇することとなります。それ自体が必ずしも悪いこととは言いませんが、それを好ましくないと考えるアーティストやその所属事務所があっても不思議ではありません。

転売目的のチケット購入を抑制する他の手段

 以上によれば、転売目的でチケットを大量に仕入れた事業者がこれを高額で転売することを抑制できればよく、抑制の対象がそれ以外に拡張されるのは好ましくないと言うことが言えます。そのためには、どのような手段があり得るでしょうか。

 チケットに購入者を特定する情報を記載し、会場でチケットを提示した人がその本人でない場合には入場を拒否するという手法は、チケットの譲渡全般を規制することとなるので、規制の範囲が広範すぎて不適切と言えるでしょう。代表して購入した人と同伴であれば入場できることとすれば入場が拒否される場合はかなり減りますが、それでも、会場内で集合するわけにいかなくなりますし、代表購入者がたまたま会場に行かれなくなると、全員会場に入場できなくなるというのも困りものです。

 では、どうすればいいでしょうか。

 1つは、需要の側をコントロールするという手法が考えられます。なぜ消費者が高額のチケットを事業者から購入するかと言えば、正規のチケット販売業者から販売されるチケットの数が、そのアーティストのライブを鑑賞したいというファンの数に比して少なすぎるからであり、それは、そのアーティストのライブの数がファンの数に比して少な過ぎるからです。CDや音楽配信の売上や前年のライブのチケットの売れ行き等から、ライブを鑑賞したいファンの数というのはある程度見当がつくのですから、それが「プラチナ化」しない程度にライブの上演回数を増やすというのが根本的な解決策と言えるでしょう。

 もっとも、日本はライブ会場が少ないので、人気アーティストから順にライブの本数を増やすと、ブレイク前のアーティストのライブ機会が失われる危険があります。したがって、ライブの回数をある程度増やしてチケットのプラチナ化をある程度抑えていただくとしても、さらに別の解決策を講ずる必要が生じます。おそらくそれは、正規のチケット販売事業者がチケットを販売する段階で講ずるのが良いのではないかと思います。業者が転売目的でチケットを大量に仕入れることさえ抑えてしまえば、その業者が細々と高額転売を継続したとしても、前記弊害の発生を抑えることができるからです。

 具体的には、購入希望者が殺到することが予想されるライブのチケットの購入は会員限定とした上で、その会員の購入履歴と、その会員が購入したチケットの使用状況等から、業としての転売がなされていると推認されるときは、告知聴聞の機会を設けた上で、会員契約を解除するという手法が考えられます。もちろん、それをするためには、1つの事業者が複数の会員資格を取得することがないように、本人確認をある程度厳格に行う必要があります。ただ、クレジットカード決済を原則とするとか、会員カードを自宅に郵送することにするとかすると、1つの事業者が数十、数百のアカウントをもつということは大分防げるのではないかと思います。

 また、チケット販売事業者の側で、チケットの流れを管理するのも、業者による転売を抑制する1つの手段となり得ます。一部で実施されているように、チケットをスマホや携帯メール等に送るシステムを採用すれば、そのチケット情報の別端末への転送は必ず事業者サーバを介しなければできないようにすることが可能であり、チケットデータの移転経緯を販売事業者が把握することが可能です。チケットデータ流通のハブとなっているアカウントがあれば、そこが転売業者なのではないかとの推認ができます。

Posted by 小倉秀夫 at 01:00 PM dans musique | | Commentaires (0) | TrackBack (0)