06/14/2017

2017年上半期

 次週の関ジャムが、2017年上半期ベスト10を発表するようなので、私も先に上半期気になった曲を紹介することにします。

 まずは、それでも世界が続くならの「消える世界のイヴ」

 こんな純粋な歌を作り、歌える人たちが未だに社会に受け容れられていないのが信じがたいです。この歌を聴いて心を動かされないような大人にだけはなりたくありません。

 次に、サビが耳に残るチリヌルヲワカの「ドルチェ」。

 メロディラインは何とも古風なんだけど、歌謡曲ではなく、バンド楽曲として演奏しきったのが勝因のような気がします。

 スチャダラパーとEGO-WRAPPIN' の「ミクロボーイとマクロガール」は、PVが8割と言ったところでしょうか。能年玲奈の勝利です。

 PVと楽曲とで合わせ技一本というべきなのは、Christophe Maéの「Marcel」。この格好よさとおしゃれ感がそうして日本で受け容れられないのか不思議です。

 メランコリック写楽の「ヨーロッパ返して」は、もうタイトルの勝利です。

 凡人が100年考えたって、「ヨーロッパ返して」なんてタイトルは思い浮かびません。

 大森靖子「ドグマ・マグマ」は、設定の勝利ですね。

 神様目線の楽曲なんて、なかなか作れるものではありません。

 ウォルピス・カーターの「晴天前夜」。

 男性ボーカルの歌とは信じがたい出来。

 復活したゲスの極み乙女の楽曲の中では「Darumasan」が最高です。

 楽曲の格好よさと歌詞のくだらなさのバランスが、これぞゲスの極みというか。メジャーデビューで失われかけていたものが戻ってきたというか。

 ColdplayがチャリティイベントOne Love Manchesterで演じた「Viva la Vida」。

 この歌は、こうやればライブでできるんだという驚き。ティンパニー凄いとしか言いようがありません。というか、こういう悲劇のあとのチャリティイベントでちゃんと歌うべき歌を持っているって、みんなさすが。

Posted by 小倉秀夫 at 02:07 AM dans musique | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

06/12/2017

芸能人の不祥事と損害賠償

 俳優等の不祥事が発覚したときに、その俳優等が出演していたコンテンツのテレビでの放送や映画館での上映等が中止されることがあります。この場合、これにより当該コンテンツにかかる権利者(テレビ局や映画製作会社等)は当該俳優やその所属事務所に対し、その中止により生じた損害の賠償を求めることができるのでしょうか。

 まず、出演契約に「不祥事特約」がない場合について考えてみましょう。

 この場合、

  1. コンテンツホルダーとの間の出演契約に付随する義務として一定期間不祥事を発覚させない義務を負うのか、
  2. 1.の義務違反とコンテンツの放送・上映の中止との間に相当因果関係が認められるか、
の2点が問題となります。

 まず、売買契約等の一回的な契約はもちろん、建物賃貸借契約のような継続的な契約であっても、不祥事を犯さない、あるいは発覚させない義務を契約の相手方に対して当然には負わないというのが、我々の社会の原則です。雇用契約のように相手方に対する一定の人格的信頼を前提とする継続的契約の場合、その前提となる信頼を損なうような不祥事が発覚したことを理由とする契約解除等が可能となることは有り得ます。しかし、それは、当該相手方が給付すべき役務の内容等との関係で、当該不祥事を犯した者からの当該役務の提供を希望しないことがやむを得ない等の事情がある場合に限られるでしょう(なので、建物建築請負契約において、建設会社の社長が不倫をしても、債務不履行解除はできません。)。

 もちろん、俳優等には当該コンテンツの製作期間中は、予め決められたスケジュールどおりに所定の現場に赴き、監督等の指示に応じて所定の演技等を行う契約上の義務があります。従って、逮捕・勾留され、あるいは任意捜査の対象として連日呼び出しを受けることとなれば、このような俳優等としての本来的義務が果たせなくなる危険が十分に生じます。したがって、当該コンテンツの製作期間中、身柄拘束等を伴うような捜査を受ける犯罪を犯すべきではないという限度で、不祥事を犯さない義務を認めることはできるでしょう。

 では、予定されたスケジュールをこなし、自分が求められた演技等の収録が終わったあとまで、身柄拘束等を伴うような捜査を受ける犯罪を犯すべきではないという意味での「不祥事を犯さない義務」を当然に負うと言えるでしょうか。

 この場合、もはや当該俳優等の身柄がどうなろうとも、当該コンテンツの成否自体には影響がありません。そして、犯罪を犯した(またはそのような嫌疑がかけられている)俳優等が出演したコンテンツをテレビで放送し又は劇場で上映してはならないという法令上の制限は日本にはありませんので、完成したコンテンツを放送または上映することに法的な支障はありません。ぼかしを入れる必要すらありません。その意味では、自己のスケジュール終了後いかなる不祥事を犯そうとも、コンテンツホルダーには客観的には迷惑をかける心配がないのだから、コンテンツホルダーに対して、そのような不祥事を犯さないという信義則上の義務を負うべき合理的な理由はないともいえそうです。

 しかし、実際には、そのコンテンツに出演している俳優等の不祥事が発覚した場合、当該俳優等の登場部分をカットすることが困難であるときには、当該コンテンツの放送・上映自体が中止になることが多いことも事実です。当該コンテンツの放送・上映を中止することは、法的な義務ではなく、倫理的な批判を逃れるためのコンテンツホルダーの自己保身に基づく決定であるとは言え、そのような結果に至ることは十分に予想される以上、そのような結果の招来を避けるために、自己のスケジュール終了後においても、一定の限度を超える不祥事を犯してはならないとする信義則上の付随義務が出演契約に付随するものとして当然に発生するという考え方にも一理はあります。

 仮にそのような付随義務を認めるとしても、それは、コンテンツホルダが当該コンテンツの放送・上映等を自主的に中止するに至るのもやむを得ないという状況を作り出すべきではないということに由来するわけですから、① 当該コンテンツにおける当該俳優等の役柄の重要度と、② 当該コンテンツの公開時期等との関係で、どの程度の不祥事を回避するべき義務を負うかが決まっていくこととなるように思います。

 出演契約の付随義務としての「不祥事を犯さない義務」に頼ろうとすると、その範囲は不明確です。したがって、出演契約において明示的に不祥事を犯さない義務を定めることは有益です。ただし、その場合、犯してはならない不祥事の内容、程度やその期間等を具体的に定めなければ、裁判官の事後的な判断に委ねられることになるので、予見可能性を欠くことになります。

 では、契約書上明文で定めておけばどんな「不祥事」についても回避義務の対象とすることができるのでしょうか。

 犯罪に該当するものはともかくとして、芸能人の「不祥事」と言われるものの多くは、私生活の領域の属するものであり、契約等によって第三者がこれを抑制することが公序良俗に反する恐れのあるものです。したがって、例えば、例えば「本件映画封切り後1年が経過するまでは、異性と不純な交友をしてはならない」「離婚してはならない」という条項が直ちに有効となるかと言えば、多分に疑問です。もっとも、役柄を離れた、俳優等の私生活上の地位等がもたらす幻想が当該コンテンツに高い商業的価値をもたらすことが予定されている場合に、一定期間、当該幻想を破壊するような私生活上の諸活動を発覚させないように求めることまでは、直ちに公序良俗に反するとまでは言えないようにも思います(それは出演料や役柄設定等に反映している以上、もはや純粋に私的領域に関する事柄とも言えなくなっているからです。)。

Posted by 小倉秀夫 at 01:38 AM dans D'autre problème de droite | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

芸能人の不祥事と損害賠償

 俳優等の不祥事が発覚したときに、その俳優等が出演していたコンテンツのテレビでの放送や映画館での上映等が中止されることがあります。この場合、これにより当該コンテンツにかかる権利者(テレビ局や映画製作会社等)は当該俳優やその所属事務所に対し、その中止により生じた損害の賠償を求めることができるのでしょうか。

 まず、出演契約に「不祥事特約」がない場合について考えてみましょう。

 この場合、

  1. コンテンツホルダーとの間の出演契約に付随する義務として一定期間不祥事を発覚させない義務を負うのか、
  2. 1.の義務違反とコンテンツの放送・上映の中止との間に相当因果関係が認められるか、
の2点が問題となります。

 まず、売買契約等の一回的な契約はもちろん、建物賃貸借契約のような継続的な契約であっても、不祥事を犯さない、あるいは発覚させない義務を契約の相手方に対して当然には負わないというのが、我々の社会の原則です。雇用契約のように相手方に対する一定の人格的信頼を前提とする継続的契約の場合、その前提となる信頼を損なうような不祥事が発覚したことを理由とする契約解除等が可能となることは有り得ます。しかし、それは、当該相手方が給付すべき役務の内容等との関係で、当該不祥事を犯した者からの当該役務の提供を希望しないことがやむを得ない等の事情がある場合に限られるでしょう(なので、建物建築請負契約において、建設会社の社長が不倫をしても、債務不履行解除はできません。)。

 もちろん、俳優等には当該コンテンツの製作期間中は、予め決められたスケジュールどおりに所定の現場に赴き、監督等の指示に応じて所定の演技等を行う契約上の義務があります。従って、逮捕・勾留され、あるいは任意捜査の対象として連日呼び出しを受けることとなれば、このような俳優等としての本来的義務が果たせなくなる危険が十分に生じます。したがって、当該コンテンツの製作期間中、身柄拘束等を伴うような捜査を受ける犯罪を犯すべきではないという限度で、不祥事を犯さない義務を認めることはできるでしょう。

 では、予定されたスケジュールをこなし、自分が求められた演技等の収録が終わったあとまで、身柄拘束等を伴うような捜査を受ける犯罪を犯すべきではないという意味での「不祥事を犯さない義務」を当然に負うと言えるでしょうか。

 この場合、もはや当該俳優等の身柄がどうなろうとも、当該コンテンツの成否自体には影響がありません。そして、犯罪を犯した(またはそのような嫌疑がかけられている)俳優等が出演したコンテンツをテレビで放送し又は劇場で上映してはならないという法令上の制限は日本にはありませんので、完成したコンテンツを放送または上映することに法的な支障はありません。ぼかしを入れる必要すらありません。その意味では、自己のスケジュール終了後いかなる不祥事を犯そうとも、コンテンツホルダーには客観的には迷惑をかける心配がないのだから、コンテンツホルダーに対して、そのような不祥事を犯さないという信義則上の義務を負うべき合理的な理由はないともいえそうです。

 しかし、実際には、そのコンテンツに出演している俳優等の不祥事が発覚した場合、当該俳優等の登場部分をカットすることが困難であるときには、当該コンテンツの放送・上映自体が中止になることが多いことも事実です。当該コンテンツの放送・上映を中止することは、法的な義務ではなく、倫理的な批判を逃れるためのコンテンツホルダーの自己保身に基づく決定であるとは言え、そのような結果に至ることは十分に予想される以上、そのような結果の招来を避けるために、自己のスケジュール終了後においても、一定の限度を超える不祥事を犯してはならないとする信義則上の付随義務が出演契約に付随するものとして当然に発生するという考え方にも一理はあります。

 仮にそのような付随義務を認めるとしても、それは、コンテンツホルダが当該コンテンツの放送・上映等を自主的に中止するに至るのもやむを得ないという状況を作り出すべきではないということに由来するわけですから、① 当該コンテンツにおける当該俳優等の役柄の重要度と、② 当該コンテンツの公開時期等との関係で、どの程度の不祥事を回避するべき義務を負うかが決まっていくこととなるように思います。

 出演契約の付随義務としての「不祥事を犯さない義務」に頼ろうとすると、その範囲は不明確です。したがって、出演契約において明示的に不祥事を犯さない義務を定めることは有益です。ただし、その場合、犯してはならない不祥事の内容、程度やその期間等を具体的に定めなければ、裁判官の事後的な判断に委ねられることになるので、予見可能性を欠くことになります。

 では、契約書上明文で定めておけばどんな「不祥事」についても回避義務の対象とすることができるのでしょうか。

 犯罪に該当するものはともかくとして、芸能人の「不祥事」と言われるものの多くは、私生活の領域の属するものであり、契約等によって第三者がこれを抑制することが公序良俗に反する恐れのあるものです。したがって、例えば、例えば「本件映画封切り後1年が経過するまでは、異性と不純な交友をしてはならない」「離婚してはならない」という条項が直ちに有効となるかと言えば、多分に疑問です。もっとも、役柄を離れた、俳優等の私生活上の地位等がもたらす幻想が当該コンテンツに高い商業的価値をもたらすことが予定されている場合に、一定期間、当該幻想を破壊するような私生活上の諸活動を発覚させないように求めることまでは、直ちに公序良俗に反するとまでは言えないようにも思います(それは出演料や役柄設定等に反映している以上、もはや純粋に私的領域に関する事柄とも言えなくなっているからです。)。

Posted by 小倉秀夫 at 01:35 AM dans D'autre problème de droite | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

05/14/2017

インターネット放送の合法化

 今日の著作権法学会の午後のシンポジウムは、CD等に収録されている音源をインターネット放送で送信する際の権利処理コストを引き下げるための制度設計に関する話でした。

 この点に関する私の意見を述べてみたいと思います。

 私は、当該コンテンツの視聴を選択したユーザーが同時に同じ音声を聴くように設計されているものについては著作権法上の放送または有線放送にあたるとする見解に立ちます。しかし、この見解は現状少数説に留まるので、この見解に立脚したビジネスを立ち上げるのは勇気が要ることでしょう。したがって、日本国内にベースをおいたインターネット放送事業を支援しようと思ったら、法改正が必要です。では、どんな法改正が必要なのでしょうか。

 要するに、特定の音源について「公衆のそれぞれが選択する場所及び時期において利用が可能となる」と、それはその音源をCD等に収録して販売するというレコード製作者の通常のビジネスとバッティングするので、レコード製作者に排他権を付与すべきというのが実演及びレコードに関する世界知的所有権機関条約14条の趣旨であります。逆に言えば、特定の音源について「公衆のそれぞれが選択する場所及び時期において利用が可能となる」もの以外については、レコード製作者に排他権を付与する必要はないと言うことになります。

 では、具体的にどのようにするのがベストでしょうか。シンポジウムでは、強制許諾制度を導入するべきとする見解や、権利制限規定を設けた上でレコード製作者等に報酬請求権を付与するべきという見解が示されていました。利益状況としては放送におけるCD音源の使用と同様なので、法的な取扱いとしても放送におけるCD音源の使用と同様とするのが理想です。すなわち、特定の音源について「公衆のそれぞれが選択する場所及び時期において利用が可能となる」公衆送信以外の公衆送信以外をレコード製作者及び実演家の排他権の対象から除外しつつ、レコード製作者及び実演家に対する二次的使用料の支払い義務を負わせるというものです。

 では、具体的にはどうしたら良いでしょうか。

 まずは、2条1項各号の定義規定の中に、排他権の対象から除外するインターネット放送の定義規定を入れてみましょう。

インターネット放送 レコードの送信可能化であって、公衆のそれぞれが選択する場所及び時期において当該レコードの利用が可能となるような状態に置くものでないもの(政令で定める除外条件を具備するものを除く。)

 シンポジウムでは、放送事業者は放送法により放送事業主体の名称、所在地等が明らかになっているのに対し、インターネット放送の場合必ずしもそうではないので、後者について報酬請求権化してしまうと取りっぱぐれてしまうリスクが高まることが問題視されました。そうであるならば、放送法上の放送事業者と同程度に名称、所在地等を登録してある事業者に限定して、排他権の対象から除外すればよいだけのように思います。

 例えば、2条1項各号の定義規定の中に次のような条項を加えてみましょう。

インターネット放送事業者 業としてインターネット放送を行う者であって、政令で定めるもの

 放送事業者、有線放送事業者がそのコンテンツをサイマル送信したりすることも有り得ますから、放送法上の認定基幹放送事業者及び登録一般放送事業者は、上記インターネット放送事業者に含めるべきでしょう。さらに、文化庁長官の登録を受けた事業者をインターネット放送事業者とすれば足りるでしょう(登録申請にあたって、氏名又は名称及び住所(並びに法人にあつてはその代表者の氏名)とインターネット放送に用いるURLを申請書の必須記載事項とし、さらに、破産等を認定資格喪失事由とすれば、二次的使用料等をいつまでも支払わずにインターネット放送だけ続けることは難しくなります。)。

 その上で、現行の著作権法第96条の2

レコード製作者は、そのレコードを送信可能化する権利を専有する。

レコード製作者は、そのレコードを送信可能化(インターネット放送事業者によるインターネット放送に該当するものを除く。)する権利を専有する。

としてしまえば、済むように思います。

 その上で、例えば、95条1項を

放送事業者、有線放送事業者及びインターネット放送事業者(以下この条及び第九十七条第一項において「放送事業者等」という。)は、第九十一条第一項に規定する権利を有する者の許諾を得て実演が録音されている商業用レコードを用いた放送、有線放送又はインターネット放送を行つた場合(営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けずに、当該放送を受信して同時に有線放送を行つた場合を除く。)には、当該実演(第七条第一号から第六号までに掲げる実演で著作隣接権の存続期間内のものに限る。次項から第四項までにおいて同じ。)に係る実演家に二次使用料を支払わなければならない。

としたり、97条1項を、

放送事業者等は、商業用レコードを用いた放送、有線放送又はインターネット放送を行つた場合(営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、レコードに係る音の提示につき受ける対価をいう。)を受けずに、当該放送を受信して同時に有線放送を行つた場合を除く。)には、そのレコード(第八条第一号から第四号までに掲げるレコードで著作隣接権の存続期間内のものに限る。)に係るレコード製作者に二次使用料を支払わなければならない。

としたり、44条3項として、

2  インターネット放送事業者は、第二十三条第一項に規定する権利を害することなくインターネット放送することができる著作物を、自己のインターネット放送(放送を受信して行うものを除く。)のために、自己の手段により、一時的に録音し、又は録画することができる。
との規定を新設した上で、従前の第3項を第4項とし、「前二項」とあるのを「前三項」とするなどの調整をしたらいいように思います。

Posted by 小倉秀夫 at 04:09 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (2)

02/07/2017

演奏の「指導そのもの」から得た利益の一部をJASRACに支払うのは不自然

 東京大学の付属研究機関である先端科学技術研究センターに所属し、JASRACで外部理事を務める玉井克哉教授が以下のようなツイートをしています。

はい。そして、その「指導そのもの」が、他人の創作を用いた営利事業なのです。得た利益のごくごく一部を創作者に払うのは、当然ではないですか。

 このクラスの肩書きを持った方にも、著作権法の基本的な枠組みをご理解いただけていないのかと、がっくりきてしまいます。

 著作権法は、著作物を用いた営利事業全てを著作権者の支配下に置くものではありません。あくまで、著作権法21条以下の規定により著作者が専有すると規定された「法定利用行為」についてのみ、著作権者は自己の著作物に関してそれがなされることをコントロールできます。したがって、「指導そのもの」が「他人の創作を用いた営利事業」であったとしても、「指導そのもの」が著作物の法定利用行為にあたらなければ、得た利益の一部を著作者に支払うべき合理的な理由はありません。そして、第三者の演奏を指導すること自体は法定利用行為にあたりません。

 もちろん、指導に当たって教師が自ら見本を見せるために演奏をしてみせることが「公の演奏」にあたるかどうかは争点となり得るでしょう。しかし、それは、指導に際してなした「演奏」が法定利用行為にあたるとすればこれによって得た利益の一部を著作者に支払うとの条件で許諾を得る必要があるというだけのことです。演奏を指導する際に自ら手本を見せることは必須ではないので、「指導そのもの」は、利益の一部を支払うことを約束してでも著作権者から許諾を受けなければいけない行為にはあたりません。

 なお、「得た利益のごくごく一部」なんて言いますけど、音楽教室の利益率はあまり高くないので、授業料収入の2.5%も支払わされたら、利益の大半が飛んでしまうと思いますけどね。その分生徒からとればいいではないかと言われても、「授業料収入の2.5%」ということだと、JASRAC管理楽曲を使用していない生徒から徴収した授業料収入を含めて2.5%をかけて算出した金額をJASRACに支払わなければいけなくなるわけで、だからといって、JASRAC管理楽曲を使用していない生徒からは著作物利用料は徴収できないし、とはいえ、JASRAC管理楽曲を使用していない生徒から徴収した授業料収入に2.5%掛け合わせた分を、JASRAC管理楽曲を使用している生徒に上乗せして徴収するわけにも行かないし、結局その分は音楽教室の自己負担になるんですよね。

Posted by 小倉秀夫 at 11:32 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (1) | TrackBack (38)

02/06/2017

還元の要否に関する原則と例外

 音楽教室とJASRACとの関係についての議論を見ていて気になることがあります。著作物を用いて事業者が利益を上げたらその利益の一部は著作権者に還元されなければならないという間違った考え方をお持ちの方が少なからずいるということです。

 少なくとも日本の現行の著作権法は、そういう考え方を採用していません。著作物を公衆に提示・提供する行為のうち所定の態様で行われるもの(並びに、その準備行為たる著作物の複製行為、二次的著作物の創作行為)のみを法定利用行為として著作権者に独占させる制限列挙方式を採用しています。著作物の創作に一定の資本を投下した人に投下資本回収の機会を与えるために一定期間競合を排除するという著作権法の基本的な枠組みからすれば、新たな公衆への提示・提供態様が著作物にかかる本来的な投下資本回収手段の一つとして位置づけるに値するものとなったときに、新たに支分権を創設する立法を行えばよく、そのような立法がなされるまでは、著作物を利用して事業者が利益を上げてもその利益の一部を著作者に還元する必要はありません。実際、例えば、漫画喫茶は他人の著作物を用いて事業者が利益を上げているわけですが、営利目的で著作物の複製物を公衆に展示することが法定利用行為に含まれていない現行法上は、漫画喫茶の経営者は漫画本の著作権者等にその利益を還元する必要はありません。

 従って、音楽教室におけるJASRAC楽曲の使用についても、それが「公衆に直接聞かせる目的でなされる演奏」にあたらなければ音楽教室が上げた利益を著作権者に還元する必要はありませんし、「公衆に直接聞かせる目的でなされる演奏」にあたって著作権の制限事由のいずれかに該当する場合は音楽教室が上げた利益を著作権者に還元する必要はありません。また、法定の権利制限規定のいずれも当てはまらない場合であっても、事業者の上げた利益の一部を著作権者に還元させることが不適切とされ、権利侵害の成立が否定される場合があります(消尽論が適用される場合もその一つです。)。その場合も、事業者は利益を還元する必要はありません。

Posted by 小倉秀夫 at 03:54 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (1) | TrackBack (0)

02/05/2017

音楽教室でJASRAC管理楽曲は「演奏」されているのか。

 ヤマハ音楽振興会が運営している「ヤマハ大人の音楽レッスン」は、どんなことをやるのかを動画で説明しています。

 例えば、エレキギターについてはこれ、ドラムについてはこれです。

 これを見ると、果たして、これらの授業において、JASRACが信託譲渡を受けている「音楽著作物」が「演奏」されていると言えるのかに疑問を持ってしまいます。仮に、ここで生徒さんが演奏するのが、特定のJASRAC管理楽曲における特定のアーティストによる特定の音源ないしライブでの実演とほぼ同じ内容だったとして、そこまでJASRACは管理しているのだろうか、ということです。ドラムをどう叩くのか、エレキギターにおいてどのように弦を抑え、はじくのかということまで作曲家が決めるというのは、ポピュラーミュージックにおいては通常形態ではない以上、作曲家の権利について信託譲渡を受けているにすぎないJASRACは、そこまで専有する権限を持っていないのではないかということです。

 実際、ある楽曲のある音源におけるドラムが格好いいからこれを勉強したいということで、特定のCDに収録された楽曲におけるドラム譜を教材にした場合、ドラマーはそのドラム譜についてJASRACに何の信託譲渡もしていないので、仮に音楽教室が許諾料をJASRACに支払っても、そのドラマーには何も還元されないんですよね。

 そう考えると、ボーカルが入るなど主として主旋律が使用されている例外的な場合を除けば、音楽教室においては、そもそもJASRACが信託譲渡を受けている音楽著作物は「演奏されていない」といえるのではないかという気がします。

Posted by 小倉秀夫 at 07:10 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

02/02/2017

音楽教室とJASRAC

ヤマハや河合楽器製作所などが手がける音楽教室での演奏について、日本音楽著作権協会(JASRAC)は、著作権料を徴収する方針を固めた。
というニュースが話題となっています。

 音楽教室では、既存の楽曲について、教師が一部のフレーズを演奏して見本を示し、生徒がその見本に従ってそのフレーズを演奏してみるということが通常行われます。生徒については、一曲通しで演奏することもまま行われるのでしょう。このような形での楽曲の演奏は、音楽教室の教師(ないしその雇い主である音楽教室の運営会社)による著作権侵害に当たるのでしょうか。

 まず、一部のフレーズの演奏したに過ぎない場合に、元の「音楽著作物の利用」と言えるかどうかが問題となります。元の音楽著作物の表現上の本質的特徴部分を直接感得できるものでないと、著作物の「利用」たり得ないからです。4小節なり8小節なりという単位で演奏したときに、そこだけで「元の音楽著作物の表現上の本質的特徴部分を直接感得できる」かと言われると、そうでない楽曲も多そうです。

 次に、生徒による演奏について、著作権法上の演奏の主体を、音楽教師又は音楽教室運営者と認定できるのかが問題となります。この場合、ロクラクⅡ事件最高裁判決後もなおカラオケ法理ないし拡張されたカラオケ法理が適用されうるのかも問題となります(もっとも、生徒が演奏の主体である場合には、無償かつ非営利目的でなされており、適法なものといえますので、ファイルローグ法理は使えそうにありません。)。

 生徒が音楽教室に通うタイプですと、生徒による演奏も、音楽教室の運営会社が用意した建物内部で、運営会社が用意した機材等を用いて行われることになります。この場合、カラオケ法理を適用できるかどうかは、演奏する楽曲の選択の範囲を音楽教室側である程度コントロールしているのかどうかが問題となります(生徒の側で自由に演奏したい楽曲を指定してくる場合、音楽教室側の管理下において生徒が演奏しているとは言いにくくなります。)。音楽教師が生徒の自宅に派遣されるタイプですと、さらに音楽教室側の管理のもとで生徒が演奏しているとは言いにくくなります。

 ロクラクⅡ法理を用いた場合、生徒による演奏についての「枢要な行為」を音楽教室側が行ったといえるのかどうかが問題となります。教師が手本を見せること、あるいは、生徒が音楽教室に通うタイプの場合に,演奏する場所や演奏に用いる機材を提供することが、ここでいう「枢要な行為」に当たるのかという問題です。「枢要な行為」について判示した裁判例が未だ集積されていないので、なんとも言い難いところです。

 また、生徒による演奏については、公衆に直接聞かせる目的での演奏と言えるのかどうかも問題となります。音楽教室において生徒は、音楽著作物を公衆に伝達することではなく、自分の演奏につたない点がないかどうかをチェックしてもらうために演奏するのが通例であり、自分の歌声に酔いしれることを前提とするカラオケボックスにおける客の歌唱と同列に扱うことができるのかという問題があるからです。練習のための演奏について、従前から「公衆に直接聞かせるための演奏」としてきましたかね、ということですね。

 また、また、音楽教室において、教師による演奏の対価として料金が支払われるのではなく、生徒による演奏を指導する対価として料金をもらっているので、無償かつ非営利の演奏であるとして、著作権法38条1項の適用を受けるのではないかという問題もあります。ただし、無償要件はともかく、非営利目的といえるかという点が苦しそうです。

 また、音楽教室における教師による見本としての演奏は、演奏のテクニック等に関する説明の一環として行われるのが通常ですので、著作権法32条1項にいう「引用」に当たるのではないかも問題となり得ます。「引用」の目的として、「演奏のテクニックとして縷々説明した要素を、実際の演奏を見せることによって、分かりやすく示す」という目的も含まれるとするならば、生徒の目の前で特定のフレーズを演奏してみせることは、「引用の目的上正当な範囲」にとどまるように思います。

 さらにいえば、既に著作権の保護期間が経過した楽曲を演奏する分には何人の著作権をも侵害していないことになりますし、楽器の演奏の練習のために作成された、JASRACに信託譲渡されていない楽曲を使用する分には、少なくともJASRACの著作権を侵害することにはなりません。

 このような状況下で、「著作権料を年間受講料収入の2・5%とする」というのは無茶ではないですかね、と私などは思ってしまいます。

Posted by 小倉秀夫 at 11:44 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (3) | TrackBack (0)

01/30/2017

「PPAP」との商標を登録しても「PPAP」を歌うことは邪魔できない

 ベストライセンス株式会社が「PPAP」との文字標章について商標登録出願をした件に関して、様々な人が様々な見解を述べています。「未だ商標登録が認められていない現時点ではもちろん、仮に将来商標登録が認められたとしても、ピコ太郎はなお『PPAP』を合法的に歌い続けることができる」という結論は間違っていないものの、理由付けにおいて間違っている見解が多いようです。

 まず確認しなければいけないのは、そもそも「PPAP」の歌詞の中に「PPAP」という言葉は含まれないということです。「PPAP」と類似する文字列も歌詞には含まれません。したがって、「PPAP」を歌っても「PPAP」という文字列ないしこれと類似する文字列を使用しないわけですから、商標権侵害となるわけがありません。

 とはいえ、「PPAP」を音楽配信サービスで販売しようと思えばタイトル名として「PPAP」という表示をせずにはいられませんし、テレビ番組の中で「PPAP」を歌うとなれば(あるいは「PPAP」のミュージックビデオを流すとなれば)タイトル名として「PPAP」というタイトルを表示せざるを得ません。「PPAP」との文字列について誰かが商標登録してしまった場合には、そのようなタイトル表示は商標権侵害となるのでしょうか。

 現在の通説・判例を前提とすると、これは商標権侵害とはなりません。その理由は以下のとおりです。

 現行法において、「商標」の本質は、出所表示機能にあると考えられています。このため、出所表示機能を有さない標章についてはそもそも「商標」たり得ないし、出所表示機能を果たさない態様で標章を使用しても、それは商標としての使用にあたらないと解されています。

 そして、著作物の題号(タイトル)は、通常、出所を表示するのではなく、内容を表示する機能を有しているため、これを「商標」として保護することは適切ではないと考えられています。このため、著作物の題号はそもそも「商標」にあたらないとする見解や、著作物の題号としての使用は商標としての使用にあたらないとする見解が通説となっています(ただし、新聞や雑誌等の定期刊行物の題号や、百科事典・辞書類の題号については、「商標」性を認める見解が有力です。)。

 裁判所も、例えば、井上陽水がそのアルバムタイトルを「UNDER THE SUN」とし、これをそのCD盤の表面やジャケットに「UNDER THE SUN」「アンダー・ザ・サン」という標章を用いたことが、「おもちゃ、人形、娯楽用具、運動具、釣り具、楽器、演奏補助品、蓄音機(電気蓄音機を除く。)、レコード、これらの部品及び付属品」を指定商品とする「UNDER THE SUN」との登録商標に関する商標権侵害にはあたらないとしています(東京地判平成7年2月22日判タ第881号265頁)。また、表紙、背表紙に『高島象山』の文字が表示されていても、「図書、写真及び印刷物類」を指定商品とする「高島象山」との登録商標の使用に当たらないとした裁判例もあります(東京高判平成2年3月27日判時1360号148頁)。

 したがって、ピコ太郎が歌う楽曲のタイトルとして「PPAP」との標章を用いる分には、仮に第三者が「PPAP」についてどんな指定商品・役務について商標登録をしたところで、商標権侵害とはならないのです。

 なお、ベストライセンス株式会社は「PEN PINEAPPLE APPLE PEN」についても商標登録出願をしているようです(商願2016-116675)。これが登録されてしまった場合、ピコ太郎は歌詞の中で「PEN PINEAPPLE APPLE PEN」と歌えなくなるのでしょうか。

 もう、お分かりですね。ピコ太郎が歌詞の中で「PEN PINEAPPLE APPLE PEN」と歌っても、それは、その歌の出所を表示するものではない以上、商標としての使用には当たらないので、いかなる指定商品・指定役務についても、商標権侵害とはなり得ないのです。

Posted by 小倉秀夫 at 09:44 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

01/19/2017

森のくまさん

 パーマ大佐による「森のくまさん」について、童謡である「森のくまさん」についての馬場祥弘の訳詞に係るの同一性保持権を侵害するものであるとして、馬場氏よりクレームがつけられた件が話題になっています。

 ただ、パーマ大佐による「森のくまさん」の歌詞を見る限り、馬場氏の訳詞を流用している部分は、特に改変等をしておらず、単に、馬場氏の訳詞の一部と一部の間に、パーマ大佐が創作した文章表現を挿入しているだけのように見えます。

 そうだとすると、ここでは、「既存の言語作品の一部を複数切り取って、その間に、新たな文章表現を挿入することが、既存の言語作品に係る同一性保持権を侵害するものと言えるのか」ということが問題となると言えます。

 同一性保持権について定めた著作権法第20条1項は「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。 」と定めていますので、既存の言語作品をその意に反して切除すること自体が同一性保持権侵害にあたるのだとする見解もあり得なくはないでしょう。しかし、言語著作物は古来より「引用」されてきたことを考えると、既存の言語作品の一部が切り取られて別の作品に挿入されて利用されたとしても、必ずしもそれがその言語作品の全体だと受け取られるおそれが低く、その切り取られて別の作品に挿入された部分だけを見て、元の言語作品の作者に対する評価を決める人は希であると考えられるので、切り取り方が不適切で、その部分から感得される作者の人格的評価が歪められるような方法による場合を除けば、同一性保持権を侵害するものとまでは言えないのではないかと思います。

 パーマ大佐による「森のくまさん」についていえば、馬場氏の訳詞について、その部分から感得される作者の人格的評価が歪められるような不適切な切り取り方をしていないので、同一性保持権侵害にあたるとまでは言えないのではないかと思います。

 では、パーマ大佐による「森のくまさん」における、馬場祥弘の訳詞の一部の利用が、訳詞者である馬場氏の名誉または声望を害するものであって、馬場氏の著作者人格権を侵害する(著作権法113条6項)ものと認められるかというと、これが一種のパロディであることが明確であること、その方向も特に一般の人をして嫌悪感を抱かせるようなものではないことを考えると、難しいのではないかと思います。

 童謡である「森のくまさん」についての馬場氏の訳詞は、JASRACによる管理がなされており、馬場氏は翻案権以外の著作権を有していないので、馬場氏自体がパーマ大佐等に対して著作権を主張することはできません(だから、「同一性保持権侵害だ」と言っているのではないかと推測します。)。

 では、JASRACは、パーマ大佐等に対して著作権を行使することができるのでしょうか。

 おそらくその場合、馬場氏の訳詩の一部を切り取ってパーマ大佐版のの「森のくまさん」に利用したことが著作権法32条の適用を受ける「引用」にあたるかどうかが問題となろうかと思います。

 パーマ大佐が新たに挿入した部分の方が明らかに多いので、主従関係が認められることが明らかです。明瞭区別性について言えば、実際のパフォーマンスにおいて、原曲たる「森のくまさん」の一部を歌っているのか、パーマ大佐が新たに創作した部分を歌っているのかが区別できるようになっていれば、十分に満たされるのではないかと思います。

 あとは、いわゆる「本歌取り」という目的が著作権法32条にいう「報道、批評、研究その他の引用の目的」に含まれるのか、そして含まれる場合に、パーマ大佐版「森のくまさん」における馬場氏の訳詞の利用が、「目的上正当な範囲内で」行われたといえるかどうかが問題となろうかと思います。パーマ大佐版「森のくまさん」のストーリー展開を前提とすると、「目的上正当な範囲内で」行われているように私には思えるのですが。

Posted by 小倉秀夫 at 12:37 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)