コンテンツの価値
コンテンツ系商品における中古売買規制の導入を推進する側の論理には、「コンテンツ系商品においては、消費者は専らコンテンツに着目して商品を購入する」ということを当然の前提としているようにも思えます。その前提の下で、「同一のコンテンツを享受できる以上、新品と中古品との間には商品としての差異はなく、従って、中古品売買が野放しにされると新品が売れなくなる」と心配しているようにも見えます。
しかし、果たしてそうなのでしょうか。
私は、中古ゲーム訴訟のころから、コンテンツ系商品においては、「コンテンツ」の価値に負けず劣らず、「物」自体の価値が大きいと考え、そのように主張しています。新品のゲームソフトと中古のゲームソフトは、ゲーム機にかけると同じ画面が出てきて同じ反応をするでしょうが、消費者が適正と考える価格は自ずと違っています。これは、音楽CDについても、書籍についても同じことがいえます。書籍なんかは、同一のコンテンツについて、媒体の「質」に応じて、複数の価格帯の商品が同時並行的に生産・販売されることは少なくないわけですから、この点は顕著です。特に嗜好品の価値は、多分に記号論的に決まっていくのであり、「コンテンツ」のみが記号論的な商品価値を高めるものでもなければ、「コンテンツ」こそが記号論的な商品価値を高めるものでもありません。「コンテンツ」は、記号論的な商品価値を高めうる「One of Them」に過ぎません。
でも、「コンテンツ」が記号論的な商品価値を高めうる程度は、他の商品において「創作性」が記号論的な商品価値を高めうる程度よりも一般的に大きいではないかとの反論もあり得るとは思いますが、本当にそうなのかは実はよくわからないところです。書籍の価格を決める大きな要因は、「コンテンツ」の善し悪しではなく、媒体の品質、ページ数、発行部数など、「物」に関する部分です。音楽CDについても、「コンテンツ」の善し悪しによらず、収録されているCDの枚数と流通経路が価格を決める大きな要因となっています。実は音楽CDなんかでも「コンテンツ」自体の価値というのはそれほど大きくなくて、レンタルCDのレンタル料程度なのかもしれません。まあ、レンタルCDをダビングして得られる音質というのはCD−RレベルないしMDレベルですから、それよりも音質が良ければ、そういう音質を含めた「コンテンツ」の価値は高まるでしょうし、それより音質が低ければ価値も低下することでしょう。
もちろん、その商品の市場における価値を無視した価格設定をすることは供給者の自由ではあるわけですが、大量生産品の場合、適正な価格を設定して売上高を増やした方が、供給者側により多くの利益をもたらす可能性が高いともいえます。
ついでにいうと、日本の音楽配信サービスが「いけていない」理由の一つは、「コンテンツ」の価値を過信しすぎていることにあるのではないかと思います。iPodに収録できるコンテンツと、MDにしか収録できないコンテンツとは等価値ではないし、ましてダウンロードしたパソコンでしか聞けないとか、高くて持ち運べない専用家電機器を用いなければ聞けないコンテンツとは全く商品価値が異なります。iTunes Music Storeは、iTunes、そして、iPodと結びつくことによって、1曲99セントという価格に見合うだけの価値を消費者に与えているのです。あれは、「ユビキタス」込みの価格です。それなのに、それを無視した商品設計、価格設定をしている日本の音楽配信サービス。同じ「コンテンツ」を配信するにしても、これでは流行るわけがないと私は考えてしまいます。
Posted by 小倉秀夫 at 11:16 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | Permalink
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Notifié: 29 août 2004, 10:18:24
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Commentaires
はじめまして
私も同じ考えを抱いています。
HDDにおけるデータにしろ、もっと知覚できるCDにしろそういった「有体」という形にして、初めて価値が創出され、固定化される「無体」な物は、「有体」レベルにおける価値を抜きにして考えてはいけないと思います。
同時に、そういった部分を不必要に貶めているコンテンツ業界のアピールには「うさんくささ」を感じます。
どう考えてもCD音源と、その圧縮音源であるものとを、同一の価値あるものと考えることはできません。またDRMによって自身の利用可能性の範囲を狭めたり、データによる他人譲渡不可の形式をとることによって、CDといった物と比較して、その価値は低くならざるを得ません。
追記
中古ゲームの訴訟で扱われた頒布権は、これを認めるとエンドユーザーの財の処分という権利を奪うので、ゲームソフトのこの面における経済的価値は低下するため、従来とおなじ値段では売れないことに気がついていないのでしょうか?
(ここは蛇足)また映画のフィルムといったいわゆるB2Bに限って認められた権利を、B2Cという別の場面にも拡大して適用できるとソフト側は考えていたとしていた点は、権利の性質から考えて無理があると思います。
Rédigé par: yukiusagi | 23 juin 2004, 07:41:13
このエントリの内容は基本的に賛成です。
僕自身、WinMXなどを容易に使える環境にありますが、ほとんど使うことはなく、欲しいCDは購入しています。それはやはり、CDという作品をトータルな作品として考えているからです。そして、輸入盤を購入することが多いのですが、これは、世界で多くの人が手にとっているものとなるべく近いものを所有したいという、気持ちがあるためだと僕自身は思っております。
しかし、先生の「記号論的」という言葉遣いにはあまり賛成できません。この言葉が意味することは、複雑で、普通の人に正しく理解を得られる言葉だとは思えないからです。
揚げ足を取るようなコメントで申し訳ありませんが、この点は先生のような影響力を持っている方が、いろいろな場面で説明する際に、とても大事なことだと思うので、ぜひ言葉遣いを検討していただきたいと思います。
Rédigé par: netwind | 22 juin 2004, 23:50:46