著作権法改正パブコメ2004_07
7. 紛争処理
(124)は、日本でも法定賠償制度を導入せよというものですが、私は反対です。
「みなし」規定にせよ推定規定にせよ、一定の経験則上の蓋然性に支えられたものとなっていますが、(124)の提唱者たちが想定する法定賠償制度は、経験則上の蓋然性に何ら支えられていない金額を「法定損害額」として定めよとするものだからです(なお、送信可能化権侵害で損害賠償を命じた裁判例はありますが、もちろん著作物1個あたり100万円等というべらぼうな賠償額は認定されていません。)。そして、そのような制度が設けられた場合、コンテンツホールダーは、本来ならば得られなかったであろう利益を「賠償」してもらえる、すなわち「やられ得」という状態が発生するのですから、第三者による著作権侵害に何らかの関連を有する者に対し片っ端から訴訟を提起し、10のうち1つでも勝てればその相手方の財産を根こそぎ奪えるので、多少弁護士費用等を使ってでも片っ端から訴訟を起こすことが経済的に合理的な行動となることが予想されますが、それが社会的に望ましいとは思えません。また、このような制度のもとでは、第三者の行為が自己の著作権の侵害となる可能性があれば一攫千金のチャンスとなるわけですから、新たな情報通信サービスを始めようとする事業者が、そのサービスが著作権侵害とされるリスクを解消するために、著作権管理団体に一定の使用料を払う代わりに利用許諾をしてくれるように頼んだとしても、著作権管理団体としてはこれを拒絶し、新規事業者がグレーゾーンの行為を無許諾のまま開始してくれるのを待つのが経済的な合理的な行動となることも予想されます。しかし、それが社会的に望ましいとは思えません。不法行為制度は、損害の公平な分担を図るための制度であって、被害者が一攫千金を図るための制度ではありません。「やられ得」となる社会では、それはそれでモラルハザードが発生します。
法定賠償制度がある米国でも、「1枚のCDをネット上にアップロードする行為は、一人の人間を医療事故で死に追いやるより悪いことなのか」と揶揄する声が上がっているが、著作権を人命より重視するのは国家として行ってはいけないことなのではないかと思います。
また、この法定賠償制度を導入した場合には、何をもって著作物を1個、2個と数えるのかという問題を解決しなければなりませんが、できるのでしょうか。
また、(124)を支持する見解の中には、「いつからいくつ著作物を侵害したのかを一番明確に知っているのは侵害者だ」との意見もありますが、我が国の裁判例は、現実的、物理的に侵害行為を行ったわけではない者を「著作権法の規律上の観点から」侵害主体と見なしてしまう傾向があるところ、「著作権法上の規律の観点から」侵害主体と見なされた者は、「いつからいくつ著作物を侵害したのか」など全く皆目見当が付かず、権利者から常識的に考えられないような莫大な数字を損害額として示されても反証のしようがない場合が考えられます(例えば、社団法人日本音楽著作権協会が、巨大な電子掲示板を運営するヤフー株式会社に対して、同社の運営する電子掲示板上に利用者が市販のCDに収録されている楽曲の歌詞を書き込み不特定多数人が閲覧可能な状態に置いたことについて、当該電子掲示板を介した歌詞の自動公衆送信を管理しこれにより利益を得ているヤフー株式会社こそが上記歌詞についての送信可能化の主体であるとして、損害賠償請求訴訟を提起することも理論的には考えられます。その場合に、ヤフー株式会社としては、過去ログの保管期間がすぎた時期にいくつ著作物を侵害していたのかということは、いくら著作権法上の規律の観点からはお前が送信可能化の主体だといわれても、わからないのではないかと思います。)。
(127)について、著作権の場合、特許権とは違い、著作物性の有無や著作権による保護の範囲、著作権の制限の範囲がわかりにくく、罰則を強化すると、後発の表現者に対し、より一層の萎縮効果を生むことになります。それは、表現の自由が保障される先進国の一員として恥ずかしいことです。また、軽微な著作権侵害行為は、多くの人々がそれとは知らずに行っていることであり(それは、著作権法による規制の範囲が国民の健全な常識に反して広いことが原因です。国民に著作権意識が足りないのではなく、著作権法が国民の意思に合致していないのです。)、そのようなことを行ったことをもって、前科前歴のない健全な市民が実刑判決を受けるというのは、非常に不健全です。したがって、私は(127)には反対します。
むしろ、表現の自由を保護するという観点、あるいは新たな創作活動を奨励するという観点からは、少なくともいわゆる二次的著作物の創作及びその利用については、刑事罰の対象から外すことを明文で規定する必要があるのではないかと思います。原著作物の著作権者への経済的権益の確保は、損害賠償請求権等によって行うことができますので、既存の著作物を利用した創作活動自体を禁止するのは、我が国の文化の発展に繋がらないのみならず、憲法上も問題があるように思います。
(少し訂正)
Posted by 小倉秀夫 at 02:13 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | Permalink
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