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10/30/2004

「新旧司法試験合格者数に関する声明」に関する逐語的検討

私大の法科大学院の院長さんたちが「新旧司法試験合格者数に関する声明」を発表されたようなので、これに関する逐語的検討を行ってみたいと思います。

 最近の新聞報道によると、10月7日の司法試験委員会において、新旧司法試験合格者数に関する法務省素案が示された。同素案は、2006年度の新旧司法試験の合格者数を各800名、計1600名にとどめ、2007年度については新1600名、旧400名とすることなどを内容とするという。しかし、同素案の内容は、新旧の割合においても合格者総数においても、法科大学院を中心とした法曹養成システムに切り替えるという制度改革の理念を十分に反映しておらず、法科大学院制度の健全な発展を損なう危険性の高いものであり、到底賛同できない。

 2006年度及び2007年度は、制度改革に伴う移行措置期間ですから、新制度の理念が100%反映しないのは当然ですね。
 それはともかく、少なくとも合意された新たな法曹養成システムは、「法科大学院を中心とした」ものではあるにせよ「専ら法科大学院によるもの」ではなく、経済的な事情等で法科大学院に通うことができない人々のために「予備試験」というルートをも一定程度用意するものですので、2007年度の「新1600名、旧400名」という内容が「制度改革の理念を十分に反映して」いないとはいえませんね。将来的に、予備試験枠が全体の2割程度確保されたら「健全な発展」ができなくなるほど法科大学院制度というのは柔なものなのでしょうか。

 法科大学院制度の創設を提言した司法制度改革審議会意見書は、法科大学院の教育について、「その課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7~8割)の者が新司法試験に合格できるよう、充実した教育を行うべきである。」とした。

 つまり、新司法試験に合格できるための「水準」がまずあって、法科大学院卒業者の相当程度をその水準以上に引き上げるべく教育を行う責務が法科大学院にはあるということですね。

同提言に応えるべく、全国の法科大学院は、「法曹養成に特化したプロフェッショナル・スクール」(改革審意見書)に相応しい教育の実践に向けて懸命の努力を払っている。また、学生達もこれに応え、毎日大量の予習課題をこなし、文字通り寝食を惜しんで学修に取り組んでいる。法科大学院制度は、その理念に向かって予定通りに船出したのである。

 「法科大学院制度の理念」は、法科大学院の教員に「懸命の努力」を払わせることでも、学生たちに「毎日大量の予習課題をこなし、文字通り寝食を惜しんで学修に取り組」ませることでもありません。法科大学院での教育活動によって、司法研修所での1年間の司法修習により法曹として必要な能力を身につけることができるようになるであろうレベルまで学生たちを引き上げることです。
 それに、「懸命の努力」なんて、的がはずれていれば意味がないことはいうまでもないことです。日本のような成文法主義を採用している国において、未習コースの学生に、最初から大量の判決文を読ませて満足している教員がいるとの話を側聞しますが、このようなものは単に学生に意味のない(そこまでは言いすぎだとすれば意味の乏しい)苦役を学生に課して満足しているだけに見えます。スポーツの世界ではとっくに科学的トレーニングが普及しているのに、法曹養成の世界では、いまだに根性論的アプローチが幅をきかせているとすれば、驚き、そしてあきれる他ありません。

 そのような中で最も懸念されているのが、新司法試験の在り方、とりわけ合格率である。  前記素案をもとにシミュレーションすると、2006年度における新司法試験の合格率は約34%、2007年度以降は約20%になるという。しかし、これでは、上記の厳しい学修に才能ある人材を引き付けるには余りにもリスクが大きく、新たな法曹養成制度の中核と位置付けられた法科大学院制度を崩壊させかねない。
   2004年にスタートした法科大学院制度は、少なくともその後に司法研修所を中心とした法曹教育を受けることを前提に制度が組み立てられており、そして、司法研修所を中心とした法曹教育を受けることができる人数については3000人を目標に漸増させていくということが合意されていました。したがって、法科大学院の入学者全体に対しする新司法試験合格率が20%程度に留まると「法科大学院制度を崩壊させかねない」というのであれば、法科大学院の入学者の数をこんなに増やすべきではありませんでした。  
 このことは、法曹志願者の年齢や出身学部にかかわりなく指摘しうる問題であるが、とりわけ、社会人や他学部出身者が法曹を目指して積極的にチャレンジしようとする気運を大きく損ね、法科大学院志願者の大半は従前通り法学部出身者ともなりかねない。そうなれば、「多様なバックグラウンドを有する人材を多数法曹に受け入れるため、法科大学院には学部段階での専門分野を問わず広く受け入れ、また、社会人等にも広く門戸を開放する必要がある。」(改革審意見書)とした多様性の理念は、たちまち暗礁に乗り上げることになる。

 法科大学院の入学者全体に対しする新司法試験合格率が20%程度に留まると、何故に、「とりわけ、社会人や他学部出身者が法曹を目指して積極的にチャレンジしようとする気運を大きく損ね、法科大学院志願者の大半は従前通り法学部出身者ともなりかねない。」ということになるのか、意味が不明です。法学未習者については3年コースとし、法学既習者については2年コースとしたのは、法学未習者であっても、1年間で法学既習者と肩を並べる程度の法律知識や法的思考法が身に付くということを前提としていたからであって、その前提が間違っていないのであれば、社会人や他学部出身者が「とりわけ」積極的にチャレンジしようとする気運を損なうという事態には陥らないはずです。まさか、社会人や他学部出身者は、法学既習者よりも法的知識や法的思考法が劣る状態のままで、法曹資格を付与されるべきだというわけではないでしょう。
 

 のみならず、学生の意識・関心は、法科大学院における地道な学修よりも、新司法試験における競争のための受験勉強に傾き、法科大学院教育そのものを変質させて、「点による選抜」から「プロセスとしての法曹養成」への転換(改革審意見書)を企図した法科大学院制度による教育の理念を根底から揺るがすことになろう。

 これはおかしいですね。
 司法制度改革審議会は、各法科大学院に対し、「その課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7~8割)の者が新司法試験に合格できるよう」な充実した教育を行うように要求したのであり、新司法試験に合格できるような水準へと学生を引き上げることはそもそも法科大学院教育に課せられた使命なのです。
 新司法試験の合格者数を増加させることによって、各法科大学院が好き勝手なことをやっていても、全体としてみれば自ずと「その課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7~8割)の者を新司法試験に合格させざるを得ないようにする」というのは、法科大学院制度による教育の理念とは全く関係がないことです。 
 

 そして、将来の日本社会が必要とする専門的能力を備えた法曹を養成するために多くの法科大学院が用意した多様な先端科目・実務科目や留学制度等は、まったく省みられない結果となるであろう。

 法科大学院にて先端科目や実務科目を履修することや、法科大学院在学中に留学することが、法曹になったときに、市場において高く評価されないということであれば、省みられない結果となるのは当然ですね。普通に考えれば、日本の法曹資格を取った後に留学して米国の法曹資格をとる方が、法科大学院在学中に留学するよりよほど合理的であることがわかります。
 

 新司法試験の合格率を引き上げるべきであるという主張は、ともすると法科大学院独自の利益主張のように受け取られるおそれがないではない。しかし、これと同様の意見は、司法制度改革推進本部の法曹養成検討会、司法改革国民会議、弁護士会その他さまざまなフォーラムにおいてもすでに表明されているところであり、広く支持を得つつある。

 弁護士会としてはそのようなことは表明していなかったはずですが。日弁連会長がなにか意見表明をしていたようですが、法科大学院の総入学者数が6000人を超えたことがわかってから、それにあわせて新司法試験の合格率を引き上げる=新司法試験の合格者数を引き上げることに関して、弁護士会の会内で意見調整がなされたという話を私は聞いたことがありません。また、法科大学院の卒業生の大半が法曹資格を得られないことになりそうだということは一部マスコミに報道されるようになりましたが、だからといって新司法試験の合格者数を大幅に増やせという声は、法科大学院関係者及び法科大学院の学生以外からはほとんど聞かれないのが現状です。
 

 そもそも法科大学院は、その設立母体となった各大学の独占物にとどまるものではなく、司法制度改革の一環としての公益的な目的を有するものである。各大学は、新たな時代に望まれる理想の法曹像を目指してカリキュラム等を工夫し、最大限の努力をもって法科大学院を設立した。これに呼応して、最高裁判所や法務省、弁護士会はいうに及ばず、さらには有志法曹や企業もが、教員の派遣や研修、学生研修などの面で、法科大学院の設立および運営のために多大なる協力と貢献をしている。それは、とりもなおさず、政府・国会によって法科大学院が新たな法曹養成システムの中核に据えられたことを踏まえ、これへの協力が法曹人口の量的および質的な抜本拡充という公益すなわち国民の利益のために不可欠であるとの認識に立脚してのことであるはずである。

 仮に、法科大学院の入学者に対する新司法試験合格者の割合が低いことにより法曹の「質的な抜本拡充」という公益が果たせなくなるというのであれば、法科大学院の入学者数の大幅な削減等の措置を講ずるのが、法科大学院という「公益的な目的を有する」システムを預かる人々の責務ではないかと思います。「法科大学院を有しない法学部は、二流、三流のものとして見られてしまう」等という狭い心根から、自校での法科大学院の運営にこだわり、法曹の「質的な抜本拡充」という公益を危険にさらすのは、「公益的な目的」を第一に掲げる方々が行うべきことではありません。

 我々は、司法試験委員会がこのたびの法曹養成制度改革の理念を十分に見据え、法科大学院を法曹養成制度の中核に位置付けてその健全な発展を図る観点から、前記の素案に追従することなく、法科大学院の課程を修了した者の大半が新司法試験に合格することをより早期に可能ならしめる方向で合格者数問題を抜本的に検討されるよう、強く要望するものである。

「法科大学院を法曹養成制度の中核に位置付けてその健全な発展を図る観点」からするならば、法科大学院の課程を修了した者の大半が、新司法試験の合格レベル、すなわち、司法研修所での1年程度の司法修習を受けることにより、旧来の司法試験の合格者が1年半程度の司法修習を受けることによって身につけてきた程度と同程度ないしそれ以上の法的知識と法的思考法、そして法曹として要求される技術を習得できるであろう法的知識や法的思考法等を習得するという「結果」がまず重視されます。しかし、現時点では、法科大学院は1人の卒業生も出していないのですから、当然、何の結果も出していません。この段階で、法科大学院の課程を修了した者の大半がどの程度のレベルに到達したかを問わず新司法試験に合格できるように新司法試験の合格者を大幅に増員せよというのは、全く筋が通っていないというよりほかにありません。

 なお、法科大学院制度の根本的な問題は、まさに法科「大学院」と位置づけられてしまい、大学を卒業した後でなければ入学できないことにあります。それゆえ、法科大学院に一旦入学してしまうと、法曹となれなかった場合に、修正が利きにくいところにあります。そこが一番の問題なのです。「入学者の大半が資格を取れないプロフェッション・スクール」なら、そのような世の中にいくらでもあります(もっとも厳しいのは、プロの将棋棋士になるための奨励会でしょうか。)。

Posted by 小倉秀夫 at 02:40 PM dans D'autre problème de droite | | Commentaires (1) | TrackBack (0)

10/29/2004

資格試験としての司法試験に要求されるレベル

10月27日のエントリーに対して、ふたたび「ぐっちっち」氏からコメントをいただきました。

なぜ、資格試験に合格したとたんに、すぐに、既存の実務家と同様のレベルの職務執行能力まで達しなければならないのでしょうか?大体他の資格では、資格をとってそれから実務を覚えていくものです。いくら、司法修習を廃止したからといって、そこまでの能力を新人に問うのはどうでしょうか?

 現在の司法研修所で行われている2回試験に合格するレベルというのは、「既存の実務家と同様のレベルの職務執行能力」まで達しているかどうかを図るものというよりも、実務家として出発点に立てるだけの職務執行能力に達しているかどうかを図るものです。そして、そこからさらに実務経験を得ていくことによって、さらなる実務能力を磨いていきます。すなわち、2回試験に合格するレベルというのは、まさに、これまで新人にこそ問われてきた能力なのです。
 「ぐっちっち」氏が想定されている「資格試験としての司法試験に要求されるべきレベル」というのがどういうものなのかわからないのですが、
 
 1 現在の裁判実務で行われている事実認定手法に沿った事実認定を行う能力があること
 2 実体法及び手続法についての、基本的な法令や判例等の知識を有しており、標準的な実務運用を行う能力があること
 3 社会に存在する様々な紛争を法的に構成する能力があること
 4 短時間に、一定の書式に則った、そしてそれなりに読みやすく論理的な文章を作成する能力があること
 
くらいしか2回試験では問うていませんし、そういう能力が大きく欠けている人に法曹資格を与えてしまうのは正直どうかと思うのです。「ぐっちっち」氏はそういう能力を未だ身につけない状態でもかまわないから自分に法曹資格を付与せよと言いたいということなのでしょうか。

 司法研修所では、上記2及び3を一から養成するほどの時間的な余裕はないし、まして4のうち短時間に読みやすく論理的な文章を作成する能力というのは一朝一夕に身に付くものではないので、司法試験を通じて、上記2ないし4について一定の水準にある者を選抜した上で、その者に対してのみ上記1ないし4の能力を付与すべく教育を施しているにすぎません。
 
 司法修習制度を前提とした法科大学院は、司法試験合格者数を大幅に増やしたとしても、新司法試験合格者の底辺層において従前の司法試験合格者と同レベルまたはそれ以上の能力を有するという状態を確保することを目標にしていればよいのですが、司法修習制度を前提としない場合は、新司法試験合格者の底辺層において従前の司法修習修了者と同レベルまたはそれ以上の能力を有するという状態を確保することを目標にしなければなりません。法科大学院での教育の結果、従前の司法修習修了者と同レベルまたはそれ以上の能力を有する者が多数養成されないのだとしたら、法科大学院は司法修習制度を前提としたものに留まるをえず、従って新司法試験合格者の数は司法修習システムの収容能力を上限とせざるを得ないことは明らかです。
 
 法科大学院制度が、制度維持のために法曹の質の低下を甘受するように求めるようになったら、まさに本末転倒と言うより他にありません。

Posted by 小倉秀夫 at 01:51 AM dans D'autre problème de droite | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

10/28/2004

Open Source Way 2004

2004年12月1日に行われる「Open Source Way 2004」にて、「ソフトウェア等の提供者の法的責任 ~ファイルローグ事件とWinny事件を題材に~」という題で講演を行う予定です。

まだ具体的なレジュメ等も作成してはいないのですが、ハイブリッド型P2Pファイル共有サービスにおいて、クライアントソフトをオープンソース化したり、検索用中央サーバに接続するためのプロトコルを公開した場合に、なおも、検索用中央サーバの管理者が著作権法上の規律の観点から送信可能化の主体と見なされるのであろうかとか、少し前から考えていた問題について何らかの見解を発表できればいいなと考えています。

最近、ロースクールの学生さんにもこのblogを見て頂いているようですが、たまには、こういうカンファレンスなどを覗くのもよいのではないかと思います(「平日はロースクールの授業があるので」という方は、こちらはいかがでしょうか。)。

Posted by 小倉秀夫 at 10:48 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (1)

既得権益・業界エゴ

 法科大学院問題に関するコメントに関して、町村先生が批判されているようです。
 
 しかし、新司法試験の合格率に関して言えば、文部科学省がほとんどの法科大学院の設立申請に対し認可を行った時点で「7~8割の合格率」はあり得ないと言うことは誰でもわかったことですし、そのことの当否はいろいろなところで論じられていたわけですから、それにもかかわらず法科大学院入試の段階で「7~8割の合格率」を信じて疑わなかった学生には問題があるし、法曹としての適性があるかすら疑わしいといえるでしょう。
 
 まあ、彼らに同情すべき点があるとすれば、法科大学院問題に限らず、昨今の「司法改革」に関しては、ごく一握りの「推進派」に都合の悪い意見は、十分に採り上げられないか、または既得権益擁護に凝り固まった守旧派の戯れ言として問答無用に切り捨てられる傾向があり、「懐疑派」の問題提起は国民一般に伝わりにくかったという点でしょう。
 
 実際には「推進派」=善、「懐疑派」=悪という単純な構造ではないことはいうまでもありません。むしろ、推進派の方々は、それぞれ出身母体のエゴを「司法改革」のなかに必死に盛り込もうとするので、司法改革は、その究極の目的を離れて、どんどんと歪んだものとなっていったというのが実態です。法科大学院制度というのは、その一つの表れにすぎません。
 
 思えば、「司法改革」において、最初のころは、「法律事務所の広告解禁」が話題となっていました。国民の司法へのアクセスをスムーズにするという観点からは、広告を解禁するより(まあ、解禁したってかまいませんが)、業として弁護士を斡旋することを一定の条件の下で解禁する方がよほど役に立つ(広告なんてあくまで自己申告情報しか掲載されません。)わけですが、広告を解禁することがとにかくよいことであるかのように喧伝されていました。それは、よくよく考えてみれば、広告代理店と新聞社の利益になることなのですね。そこからたどっていくと、「司法改革国民会議」の代表に電通の顧問が座り、国民会議の運営委員や常勤監査役にマスコミのお偉いさんがずらりとそろっていることは、まあうなずけます。法曹養成システムについても、新校舎の建設により土建業者が利益を得たとともに、法科大学院が各種マスメディアに広告を出したことにより広告代理店とマスメディアは大きな利益を得ました。で、広告を見てやってくる依頼者がいるかというと、普通のところはそういうことはないわけで、結局、広告を活用しているのは、非弁提携しているところを含めて、個人破産を大量に処理する事務所にほぼ限られてしまっているというのが実情ですね(広告代理店は広告主がどのような活動を実際に行っているのかをチェックしませんから、非弁提携事務所かまともな事務所かなんて広告を見たってわからないですね。)

Posted by 小倉秀夫 at 09:04 AM dans D'autre problème de droite | | Commentaires (0) | TrackBack (2)

10/27/2004

司法試験を純粋な資格試験にした場合に

昨日のエントリーに対して「ぐっちっち」というハンドルを名乗る方からコメントをいただきました。

大体司法試験は資格試験です。 一定程度の学力があれば、全員合格させるべきなんです。なんで定員を設けるのかわかりません。

とのことですが、これは簡単です。司法修習制度があり、司法研修所の定員は、実務修習まで考慮すれば法曹三者の受け入れ態勢を無視しては決定できませんので、自ずと司法試験合格者の数の上限は定まります。弁護士の数が全体で3万人もいないのに、年間3000人を実務修習で受け入れるということ自体、異常事態です。まして、裁判官も検察官も、弁護士より遙かに人数が少ないのです(裁判官がだいたい全国で3000名程度です。)。法科大学院関係者は、新司法試験を通してしまえば後は野となれ山となれでしょうが、彼らを受け入れなければならない法曹三者は大変です。

 ですから、司法試験を定員無視の純粋な資格試験とするためには、司法研修所を中心とし、法曹三者の実務を一通り体験させるという方式で行われる司法修習システム自体の継続を断念しなければなりません。そしてそれは、「法曹三者は、修習時に法曹三者の実務を一応一通り学んでいるので、相互交換性を与えても問題はない」という前提に支えられている「法曹一元」制度自体の見直しをも迫られるものです。これらの点は、公開の場で議論され、コンセンサスを得られたものではありません。法科大学院が乱立してしまい、このままでは法科大学関係者が責任を追及されてしまうという現実は、これらの法曹養成制度の根幹に関する事項をなし崩しに決定してしまうことを肯定するに値するものではありません。
 
 なお、司法研修所を中心とする司法修習制度を廃止し、司法試験を定員無視の純粋な資格試験とするためには、新司法試験を、「それに合格した者は直ちに法曹としての資格を与えて実務を行わせても問題がない程度の法律知識と実務能力を兼ね備えている」かどうかを図るものでなければならないですね。「法科大学院でまじめに課題をこなしていれば7~8割が合格する」なんていうレベル設定は意味がありません。
 そうだとすると、その場合に行われるべき「司法試験」というのは、むしろ司法研修所で行われてきた「二回試験」のようなものである必要があると思います。
 法科大学院における、法律既習者で2年、未習者で3年の「プロセス」教育で、「二回試験」と同様の試験問題に対してそれなりのレベルの起案が作成できる程度に法教育がなされうるというのならば、法科大学院は司法研修所に代替する教育機関であるといえそうですが、おそらく法曹三者の中では、法科大学院にそのような教育能力がないと考えている人の方が多数でしょう。
 
 いや、「ぐっちっち」さんが「一定程度の学力があれば、全員合格させるべきなんです」といった場合の「一定程度の学力」って、どの程度のものを想定されているのかわからないのですが、「一定程度の学力があれば、全員合格させる」こととした場合の「一定程度」とは相当高いものが要求されるというべきでしょう。他人の法的権利を左右する職業に就くのですから。
 
 なお、

法曹三者が既得権益を確保しようと、司法試験合格者を著しく制限しててきたのは周知の通りでしょう?

とのことですが、それは正確ではありません。そもそも市場競争原理にさらされるわけではない最高裁や検察庁には、司法試験合格者数を著しく制限することによって確保される「既得権益」はありません。また、弁護士か所属の弁護士の多くは、司法試験が易しくなってその結果合格者数が大幅に増加したとしても、「既得権益」は害されません。むしろ、「平成○○年度からは法曹資格は金さえ出せば誰でも得られるようになった」ということになれば、それ以前からの法曹資格とそれ以降の法曹資格は、市場において、別のものとして評価されることになるから、「既得権益」という点からは、かえって好都合です。しかも、新規法曹資格取得者の給与水準は大幅に下がりますから、パートナー弁護士が手に入れる所得はかえって増加します。さらに、地方会などについていえば、「薄利多売」を目指す新規法曹資格取得者に、国選やら当番弁護士等のまさに「薄利」というか「割に合わない」仕事を引き受けてもらえるならば、負担が軽くなります。このように自分たちの権益を第一に考えるのならば、司法試験の合格者数が大幅に増えたとしても、法曹三者としては痛くも痒くもありません。

Posted by 小倉秀夫 at 01:28 AM dans D'autre problème de droite | | Commentaires (2) | TrackBack (1)

10/26/2004

「責任転嫁の見本」としての緊急声明

「司法改革国民会議」なる組織が緊急声明を行っています。

結論としては、

現下の新司法試験をめぐる司法試験委員会の検討の現状に強い危機感を表明するとともに、政府が、法科大学院構想の原点に立ち返り、意見書の求める通り、法科大学院修了者の7~8割が合格できる方向に検討案を改めることを、強く求めるものである。

とのことです。

 しかし、2006年度については、現行司法試験から新司法試験への移行期として当初から位置づけられており、新司法試験の合格者数を3000人にすることはそもそも不可能であったことは明らかです。また、司法研修所を東西2つに分けるにしても2006年度の新司法試験受験者が修習を開始する2007年度までに関西方面に敷地を確保して建物を建築することは極めて困難であり、それ以上に、2007年度までに、3000人もの修習生の実務修習先を確保することがほとんど不可能に近いことは、現在の法曹三者の実態を調査すれば容易に知り得たはずです。とすれば、「法科大学院修了者の7~8割が合格できる」ようにするためには、法科大学院の総定員をどの程度にすればよいかということは、一次方程式が解ける程度の知能があれば、容易にわかったはずです。
 それにもかかわらず、大学の経営者たちは、我も我もと法科大学院の設立に殺到し、初年度から「3年未修者コース3417名、2年既修者コース2350名」もの学生を受け入れてしまいました。このようなことをすれば、厳格な成績評価・修了認定が行われない限り、「法科大学院ではその課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7~8割)の者が新司法試験に合格できる」等ということが無理であることは中学生にだってわかります。
 
 「新司法試験の合格者が、法科大学院修了者の3割あるいは2割しか合格できないということになれば、法科大学院はプロフェッショナル・スクールとして成り立ち得なくな」るとすれば、司法修習を受け入れる側の法曹三者の意見も聞かずに、我も我もと法科大学院の設立に殺到した大学関係者とそれを容認した文部科学省に専ら責任があるのであって、あたかも法曹三者の側に問題があって「法科大学院修了者の3割あるいは2割しか合格できない」ということになったかのごとき緊急声明は、法曹三者の一員として、非常に不愉快です。
 
 また、この緊急声明では、

 もし、「司法研修所の収容能力」を理由に新司法試験の合格者数を検討しているとすれば、すでにスタートしている新しい法曹養成制度の理念と精神を理解しないものであり、本末転倒と言わざるをえない。司法研修所の収容能力に限界があるというのなら、合格者増に対応できない現在の司法修習のあり方こそ見直されるべきである。法科大学院教育は、理論と実務の双方を対象とするものであり、実務教育の充実によって、司法修習を代替することは十分に可能である。

とも述べられていますが、いまだに最初の卒業生もでていない段階で「法科大学院教育は……司法修習を代替することが十分に可能である」かどうかなんてことはわからないわけで、そんなわからないものに期待して現在そこそこうまくいっている法曹養成システムを捨てよというのは、学者特有の無責任の極みとしかいいようがありません。法科大学院教育では司法修習を代替することができず、裁判実務に耐えうる法曹を生み出すことができなかった場合に、「司法改革国民会議」の面々は一体どういう責任をとるというのでしょうか。
 さらにいうならば、法科大学院制度を創設するにあたって、司法研修所による司法修習制度は存続させることが同時に決まっているわけですが、現在の法科大学院の総定員のもとで「法科大学院修了者の7~8割が合格できる」ほどに新司法試験の合格者を増員させた場合に、それに対応できる司法修習制度とはいかなるものなのか、法学研究者ならば具体的な青写真を見せてから、「司法研修所の収容能力に限界があるというのなら、合格者増に対応できない現在の司法修習のあり方こそ見直されるべきである」云々ということは述べるべきではないでしょうか。
 
また、
そもそも、このような国家の基本政策の方向を左右しかねない決定が、非公開の「密室の場」で議論されていること自体、問題がある。司法試験委員会の所掌事務はあくまで司法試験を「実施」することにある。実施すべき司法試験制度がいかにあるべきかは、国民に開かれた場で、教育を担う法科大学院関係者をはじめとする国民の声を十分に吸収、反映しつつ行なうべきである。

とも述べられていますが、問題のそもそもの原因である「法科大学院の総定員数」は、法科大学院関係者と文部科学省との「密室の場」で、議論して決められているのです。これに対し、法科大学院制度導入後も司法研修所による司法修習を存続させるということは公開の場で議論されているのです。

最後に、

法曹の数は、意見書が述べているように市場原理の中で決まるべきものであり、その教育の質の担保は、意見書が述べるように、「厳格な成績評価及び修了認定」で行い、それらの実効性の担保は「第三者評価という新しい仕組み」によるべきである。

と述べられています。しかし、法曹の養成には、時間と費用がかかります。そして、国家なり社会なりが法曹の養成に向けられる資源にも、個々人が法曹となるために向けられる資源にも限りがあります。したがって、需要を大きく超えて法曹を新たに輩出しても、それは社会にとっても個人にとっても大いなる無駄となります。
 「失われた10年」の間、特に文系大学院の修士・博士の需要など社会にはほとんどないのに大量に修士・博士を作り上げ、有為の若者の人生を棒に振らせました。文部科学省と大学関係者は、また同じ悲劇を生み出そうとしています。そりゃ、法科大学関係者としては、卒業生の7~8割が新司法試験に合格してくれれば「後は野となれ山となれ」ということで、卒業生が法曹資格取得後路頭に迷おうとも、そんなことはどうでもよいことでしょうけど、でも、それはあまりに無責任すぎないでしょうか。
 

Posted by 小倉秀夫 at 01:50 AM dans D'autre problème de droite | | Commentaires (1) | TrackBack (0)

10/24/2004

急いては事をし損じる

 昨日のエントリーに対し、落合先生からトラックバックをいただきました。
 落合先生は、
 

 そういった中で、現実的に可能ではないかと思うのは、3000名という総合格者の中の、新司法試験と現行司法試験の割り振りを、2009年まで、新司法試験に多めに傾斜して配分するということです。

とおっしゃるのですが、私は、賛成ではないです。私は、法科大学院制度を継続させるということを前提とした場合、新司法試験枠を800人、現行司法試験枠を800人として5年ほど様子を見るということを提唱します。その上で、最高裁、法務省、各法律事務所での採用状況等を見て、それ以降の法科大学院コースと「バイパス」コースとの枠の割り振りを決めたらいいと思います。とにかく、現段階では、法科大学院が司法研修所の代わりを務められるほどの教育機能を有するものとなるのか、司法試験予備校未満の教育機能しか有しないものとなるのか全くわからない状態ですから、法曹養成を法科大学院に一本化するのはあまりに危険すぎるというべきでしょう。
 そうすると、大量の三振法務博士が輩出されてしまうという問題点はあるわけですが、それは、法科大学院の定員等が大幅に削減されない限りどうにもならない話であって(司法研修所を廃止して、新司法試験の合格者数を大幅に増員してしまえば、三振法務博士は少なくなりますが、その分、失業弁護士が増えるだけの話で、単なる問題の先送りでしかありませんし、むしろ、社会に迷惑を与える危険が高い分、失業弁護士が大量にはき出される方が問題といえるでしょう。)、三振法務博士の受け皿を増やす方向で改革を進めていくより他にないでしょう(例えば、裁判所書記官登用試験や、検察事務官登用試験においては、法務博士に限り、年齢制限を設けないというのもありでしょうし、法務博士には政策秘書の資格位は与えたっていいでしょう。また、マスコミに対し、法務博士を司法記者として雇い入れるように働きかけるのもよいでしょう。レコード輸入権問題の際に痛感しましたが、法律案を読んでどういう点が問題になるのか理解する能力に乏しい記者が、役人のコメントを垂れ流しして世間をミスリードすることが多いのではないかと思いますし。)。

Posted by 小倉秀夫 at 03:08 AM dans D'autre problème de droite | | Commentaires (6) | TrackBack (0)

10/23/2004

どの段階で、どのような基準で引導を渡すのがもっとも人道的なのか

 新司法試験の合格者数を巡る問題は、未だ混迷を極めています。
 おそらく、文部科学省及び法科大学院の教員たちは、新司法試験の合格率が著しく低下すると自分たちの責任問題になりかねないので、新司法試験の合格者数を大幅に増員せよと要求してくることが予想されます。おそらく、馬鹿の一つ覚えで「もっと増員せよ」としかいえない財界人とその腰巾着的な知識人やマスコミ人がこれに同調すると予想します。
 しかし、おそらく、司法修習生が2000から2500人を超えると、司法研修所での修習は、関西圏に司法研修所分室を作ることにより何とか対応できるにせよ、実務修習がパンクします。「増員せよ」と口先で叫ぶだけなら馬鹿でもできますが、急激すぎる変化を押しつけられると、それに対応しなければならない現場がついて行かれなくなることは、何処にでも見られる光景です。
 そこで、司法研修所廃止論が台頭してくることが予想されます。
 その場合、弁護士会は、弁護士補制度を採用し、弁護士のもとで一定期間実務経験を経た者しか弁護士登録させないこととすることが予想されます。とはいえ、現状では、2000人も弁護士補を受け入れる能力は弁護士業界にはありませんから、新司法試験合格者の多くは弁護士補となって弁護士のもとで実務経験を積むことができず、ついに弁護士になることができずに終わることが予想されます。

 従前は、一定の法律知識と、短時間に問題を把握し文章化する能力が乏しい人が、司法試験不合格を何回か繰り返すことによって、自分に適性のないことを悟り去っていきました。まあ多くは、大学在学中(せいぜい1〜2留中)にそのことに気が付いて方向転換していきました。そして、4年次までに方向転換した人は勿論、在6くらいまでに方向転換できれば、公務員になることもできるし、それなりの民間企業に就職することもできました(司法試験受験生はある程度ブランド力の高い大学出身者が多いですので。)
 もちろん、ねばり強い人や見極めの悪い人は何処にでもいるわけですが、しかし、長期間にわたり就職もせずに勉強だけして司法試験に落ち続ける方々というのは、司法試験受験者数からするとほんの一部なのではないかと思います。

 法科大学院制度においては、既習コースを選択した場合でも、学部を卒業してから2年間は法科大学院に通わなければならず、2年後に法科大学院を卒業した後に、新司法試験を受験することになります(その日程はいまだ発表されていません。)。法科大学院制度のもとでは、卒業までの段階でかなり金銭的、時間的に浪費してしまっていますから、1回落ちたからといって方向転換するのは難しいでしょう。新司法試験ではどのような出題がなされるのかはわかりませんが、新司法試験で要求される才能・資質に欠ける人は、「5年以内に3回」という受験回数の枠を上限まで使い切ってから、方向転換を図ることでしょう。しかし、何処に方向転換することができるのか、法科大学院制度推進論者の根拠なく勇ましい発言は聞こえるものの、全く予断を許さない事態です。
 法科大学院制度において、司法研修所を廃止して弁護士補制度を採用した場合、法科大学院卒業時に弁護士補に採用されなければ、実際には法曹資格を得られないことになります。すると、法科大学院制度+司法修習制度よりは、引導を渡される年齢は低くなります。ただし、引導を渡される基準は公正なものでなくなる可能性は高くなるといえます。おそらく、出身法科大学院のブランド力とコネの強弱が大きな要素となることでしょう。
 もちろん、法科大学院制度において司法研修所を廃止し、かつ弁護士補制度を採用しないということもあり得なくはないでしょう。その場合は、法科大学院卒業後に法律事務所に就職できるかどうかが重要であり、法律事務所への就職に失敗した人(日本の弁護士業界全体で新規に勤務弁護士を2000人も雇う力はないのではないかと思います。2000人といえば、弁護士15人で1人の新規勤務弁護士を雇う計算になりますから。)、論理的にはいきなり開業して潜在的な需要を開拓する可能性はあるわけですが、実際にはそのほとんどが方向転換を迫られることでしょう。この場合も、出身法科大学院のブランド力とコネの強弱が大きな要素となることが予想されます。

 こうやって考えてみると、25歳を過ぎてもサラリーマン経験のない若者の受け皿が乏しい我が国では、新司法試験の合格者数をどんなに増員させようとも、法科大学院制度を続ける限り、旧司法試験制度よりも非人道的になることは避けられないのではないかと思います。

PS
 法科大学院の「ブランド力」ですが、これは新司法試験への合格率ではなく、卒業生の1年目の収入の平均額の多寡でランク付けがなされていくのだろうなと予想します。新司法試験に合格できても、まともな就職口が見つからないような法科大学院には、優秀な学生は集まらなくなっていくと思いますから。

Posted by 小倉秀夫 at 01:56 AM dans D'autre problème de droite | | Commentaires (4) | TrackBack (3)

10/21/2004

パブコメ提出完了

著作権法の改正に関する2004年度版のパブリックコメントを提出し終えました。

それにしても、こういう形で社会貢献しようという弁護士が他にあまりいないのは悲しいです。

それ以上に、こういう形で社会貢献を果たしても、弁護士会公認の奉仕活動(プロボノ活動)ではないので、弁護士会からは奉仕活動を行ったものとして扱ってもらえないのが悲しいです(自白事件の国選弁護よりはよほど時間を使っているのに。)。

まあ、「プロボノ活動をさぼっている弁護士」として名前が公表される程度の制裁しか受けないからいいといえばいいのですけど。

Posted by 小倉秀夫 at 07:17 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (2) | TrackBack (2)

著作権法改正パブコメ2004_04_追加

既に送信済みの「著作権法改正要望事項について【4.関連】」に追加します。

 インターネット上で提供されている各種検索サービスが著作権法により阻害されないように必要な法整備を行ってほしいと思っています。
 
 インターネット上では、汎用的な検索エンジンを始め、各種の検索サービスが提供されています。しかし、検索サービスを有効に機能させるためには、検索対象となるデータを取り込んでインデックス化しなければなりませんし、キーワード等で検索をかけて検出した結果のうち利用者の希望に適合するものを利用者に取捨選択してもらうためには、検索対象となるデータの一部を利用者に知覚させることが必要となります。検索対象となるデータが第三者が権利を有する著作物等であった場合には、検索サービスが行っているこれらの行為は、現行著作権法のもとでは、厳密に言えば違法行為となります。もちろん、しかるべき権利者から逐一利用許諾を受ければ適法になりますが、膨大な量のデータにつきそれぞれ著作権者を捜し出して、許諾をもらいに行くというのは非現実的ですし、各著作権者にライセンス料を支払わなければならないとすると、ほとんどの検索サービスは運用を中断せざるを得ないでしょう。
 他方、自己が著作権を有するデータが検索対象となるということは、当該データにアクセスする人が増加する可能性が生ずるということに繋がりますから、著作権者の経済的利益を増進することこそあれ、不当に損なうことはありません。
 従いまして、検索サービスを公衆に提供する者が、検索対象となるデータを取り込んでインデックス化し、検索対象となるデータの一部を利用者に知覚させることは、著作権等の侵害とならないよう、著作権等の制限規定を整備して頂けたらと思います。
 
 また、ロボット型検索エンジンなどに代表される、「自動的に検索対象となるデータを収集し、インデックス化するシステム」においては、検索対象となるデータが他人の著作権等を侵害するデータであるかを判別することができません。そのため、他人の著作物を複製又は翻案して作成したデータの自動公衆送信を結果的に幇助してしまうことも不可避的に生じてしまいます。しかし、現在、Googleに代表される「自動的に検索対象となるデータを収集し、インデックス化するシステム」は、大量のデータを検索対象とする安価なデータベースとして広く活用されており、これらをフェアユース規定も、中立的行為保護のルールもない日本に在住する者だけが利用できないとしたら、我が国の文化の発展にとって大きな足かせとなります。
 つきましては、検索サービスが結果として違法な自動公衆送信を幇助してしまったとしても、著作権侵害ないしその幇助責任を負わないで済むような法整備をして頂けたら幸いです。

Posted by 小倉秀夫 at 06:51 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

著作権法パブコメ2004_03

(24)について

 市販の音楽CDに収録されている楽曲に関して、現行法では、音楽著作物(曲、詞)の著作権者には放送権、有線放送権が認められているのに対し、レコード製作者には報酬請求権しか認められていません。しかし、音楽著作物の著作権に関しては、権利集中管理機構が機能しており、市販の音楽CDに収録されている楽曲を放送等で利用しようとする者は、権利集中管理機構にしかるべき許諾料を支払って許諾を得れば、適法に利用できる環境にあります。しかし、レコード製作者は、排他的権利が付与されている送信可能化権についてすら、「そこに許諾料を支払って許諾を得れば適法に利用できる」という権利集中管理機構が整備されていません。このような現状のもとでレコード製作者に放送権、有線放送権を付与した場合には、しかるべき許諾料を支払うから利用許諾をして欲しいとの放送事業者等の申入れをレコード製作者が聞き入れず、結果的に、放送等において市販の音楽CDに収録されている楽曲を自由に(しかし有料で)利用することができなくなる虞があります。
 従いまして、(24)には反対します。
 
 その他、(19)(20)(21)(27)も、「そこに許諾料を支払って許諾を得れば適法に利用できる」といえるだけの権利集中処理機構がないのに禁止権を求めているものであるといえ、とうてい賛同できるものではありません。
 
(30)はデジタル放送における「スクランブル」を著作権法上の「技術的保護手段」に加えよというものですが、我が国の法体系のもとでは、この種のアクセスコントロールは不正競争防止法にて対処することとしておりますので、(30)には賛成できません。

(31)は、「アクセス権」に関するものです。著作権法を、現行法のような著作物の拡布行為禁止権中止の法体系から、知覚行為禁止権中心の法体系に転換することは、著作権法の基本的な考え方を、「競合他社規制法」から「エンドユーザー規制法」へと転換するものであります。そして、それは、「いつ誰が誰と何を鑑賞したのか」という事実を権利者が把握することを公的に許可することによって初めて成り立つところ、それは、憲法が保障する思想・良心の自由を踏みにじる事態ともなりかねません。よって、私は、(31)には反対します。

(34)については、「出版物を複製する」(送信可能化する云々も同様)がどの範囲のことを指すのかがわからないのですが、それが出版物に含まれる文章その他のコンテンツを別のレイアウトで複製、送信可能化等する行為をも禁止する趣旨を含むのであれば反対します。コンテンツの創作者としては、著作隣接権者としての出版権者が倒産し、あるいは当該コンテンツを絶版とし、あるいは何らかの理由(例えば作家と仲違いした等)で一切の利用を禁止することとした場合に、自己の創作したコンテンツを公衆に提示、提供し続けることができなくなるからです。
 また、著作隣接権者としての出版権者に貸与権を付与することにも反対です。正規に購入した商品を公衆に貸与することは自由であるべきであり、出版社が当該商品(書籍)に経済的リスクを負っているということは、他の工業製品の製造者と全く同じ立場に立たされているだけであって、上記正規に購入した商品を公衆に貸与する自由を制約する理由にはならないからです。

Posted by 小倉秀夫 at 06:20 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

著作権法改正パブコメ2004_08

(136)について
 コンピュータプログラムは、他のプログラムを開発する際に作成したモジュール等の部分を適宜組み入れることによって、効率的に行うことができます(同じ動作を行うモジュールを、その都度新たに開発するのは非効率的ですし、一人のプログラマが同じ動作を行うモジュールについて思いつくパターンには自ずと限界があります。)。したがって、ソフトハウスが発注されたプログラムを発注者に納品する際に、当該プログラムの一部を利用して新たなプログラムを創作する権利まで発注者に移転することとしてしまうのは、ソフトハウスにとっては相当の痛手となります。
 他方、発注者としては、発注したプログラムで使用されているモジュール等を利用して新たなプログラムを創作するということは希であり、実際には、ソースコードの引き渡しすら求めない例が少なくありません。すなわち、プログラムの著作物においては、発注者たるプログラムの著作物の譲受人に、当該プログラムの一部を利用して新たなプログラムを創作する権利まで移転させても、「宝の持ち腐れ」となる可能性が高いといえます。
 同じ動作を行うモジュールをその都度新たに、そして以前作成したモジュールとは似ても似つかないように創作させるという時間と才能の無駄をプログラマーに押しつけない方が、社会全体にとってもメリットが大きいと思われますので、著作権の譲渡がなされても、著作権を譲渡する契約において、第二十七条又は第二十八条に規定する権利が譲渡の目的として特掲されていないときは、これらの権利は譲渡されていないと推定する現行60条2項の規定は維持されるべきだと思います。

Posted by 小倉秀夫 at 05:27 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

著作権法改正パブコメ2004_05

(106)(107)について

 著作物は、創作活動へのインセンティブを失わせない程度の期間著作者に排他的な権利を与えたら、その後はパブリック・ドメインとして、後発の創作者のための創作の「糧」になることが望ましいものであります。では、「創作活動へのインセンティブを失わせない程度の期間」とはどの程度かという問題ですが、著作権と利益状態が比較的近い商品形態模倣商品規制(不正競争防止法第2条第1項第3号)の規制期間が「商品が最初に販売された日から3年間」であることからするならば、公表後3年間でもよいといえます。また、特許権の保護期間が特許申請の日から20年間であることを考えれば、長くとも創作の日から20年間保護されれば創作活動へのインセンティブを失わせることはないといえます(一般に、著作物を創作するより、特許発明を行う方がコスト等もかかります。)。
 とはいえ、ベルヌ条約第7条に配慮する必要もありますので、著作権の保護期間については現状を維持すべきであると考えます。
 なお、著作権の保護期間が著作者の死後70年に延長された場合、既存の著作物を利用して新たな創作活動を行ったり、絶版になった書籍を復刊させようとしたりする場合、当該著作者の曾孫たちを探し出して、それらすべてから利用許諾を受けなければならないということになりますが、そのためのリーガルコストは非常に高く付きます。また、著作者の死後70年ということは、公表後100年以上が経過している場合が十分あり得るわけですが、既存の著作物の著作権が法人に帰属していた場合、その100年の間に当該法人が倒産し、権利の帰属がわからなくなっている危険も増大します。すると、既存の著作物を利用して新たな創作活動を行ったり、絶版になった書籍を復刊したりという、我が国の文化の発展にとって有益な行為が、著作権法によって阻まれる結果となってしまいます。
 他方、著作権の保護期間を延長することによって利益を受けるのは、主に、他人の創作活動の成果から収入を得て生活をしている人々です。彼らの利益をいくら手厚く保護してみても、新たな創作活動の奨励にはつながりません。また、著作者の曾孫の保護をいくら手厚くしても、新たな創作活動の奨励にはつながりません(孫の世代までしか著作権が保護されないならば一生懸命創作活動を行う気になれないが曾孫の世代まで保護されるのならば一生懸命頑張ろう等というクリエイターが実際に存在するということは、考えがたいといえます。)。
 このように著作権の保護期間を延長することは、多くのデメリットを生じさせる可能性が高いのに対し、「新たな創作活動へのインセンティブの維持」というプラスの効果を生むものではないという意味で、まさに「百害あって一利なし」ということが可能です。

Posted by 小倉秀夫 at 05:03 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

著作権法改正パブコメ2004_07

7. 紛争処理

(124)は、日本でも法定賠償制度を導入せよというものですが、私は反対です。
 「みなし」規定にせよ推定規定にせよ、一定の経験則上の蓋然性に支えられたものとなっていますが、(124)の提唱者たちが想定する法定賠償制度は、経験則上の蓋然性に何ら支えられていない金額を「法定損害額」として定めよとするものだからです(なお、送信可能化権侵害で損害賠償を命じた裁判例はありますが、もちろん著作物1個あたり100万円等というべらぼうな賠償額は認定されていません。)。そして、そのような制度が設けられた場合、コンテンツホールダーは、本来ならば得られなかったであろう利益を「賠償」してもらえる、すなわち「やられ得」という状態が発生するのですから、第三者による著作権侵害に何らかの関連を有する者に対し片っ端から訴訟を提起し、10のうち1つでも勝てればその相手方の財産を根こそぎ奪えるので、多少弁護士費用等を使ってでも片っ端から訴訟を起こすことが経済的に合理的な行動となることが予想されますが、それが社会的に望ましいとは思えません。また、このような制度のもとでは、第三者の行為が自己の著作権の侵害となる可能性があれば一攫千金のチャンスとなるわけですから、新たな情報通信サービスを始めようとする事業者が、そのサービスが著作権侵害とされるリスクを解消するために、著作権管理団体に一定の使用料を払う代わりに利用許諾をしてくれるように頼んだとしても、著作権管理団体としてはこれを拒絶し、新規事業者がグレーゾーンの行為を無許諾のまま開始してくれるのを待つのが経済的な合理的な行動となることも予想されます。しかし、それが社会的に望ましいとは思えません。不法行為制度は、損害の公平な分担を図るための制度であって、被害者が一攫千金を図るための制度ではありません。「やられ得」となる社会では、それはそれでモラルハザードが発生します。
 法定賠償制度がある米国でも、「1枚のCDをネット上にアップロードする行為は、一人の人間を医療事故で死に追いやるより悪いことなのか」と揶揄する声が上がっているが、著作権を人命より重視するのは国家として行ってはいけないことなのではないかと思います。
 また、この法定賠償制度を導入した場合には、何をもって著作物を1個、2個と数えるのかという問題を解決しなければなりませんが、できるのでしょうか。
 また、(124)を支持する見解の中には、「いつからいくつ著作物を侵害したのかを一番明確に知っているのは侵害者だ」との意見もありますが、我が国の裁判例は、現実的、物理的に侵害行為を行ったわけではない者を「著作権法の規律上の観点から」侵害主体と見なしてしまう傾向があるところ、「著作権法上の規律の観点から」侵害主体と見なされた者は、「いつからいくつ著作物を侵害したのか」など全く皆目見当が付かず、権利者から常識的に考えられないような莫大な数字を損害額として示されても反証のしようがない場合が考えられます(例えば、社団法人日本音楽著作権協会が、巨大な電子掲示板を運営するヤフー株式会社に対して、同社の運営する電子掲示板上に利用者が市販のCDに収録されている楽曲の歌詞を書き込み不特定多数人が閲覧可能な状態に置いたことについて、当該電子掲示板を介した歌詞の自動公衆送信を管理しこれにより利益を得ているヤフー株式会社こそが上記歌詞についての送信可能化の主体であるとして、損害賠償請求訴訟を提起することも理論的には考えられます。その場合に、ヤフー株式会社としては、過去ログの保管期間がすぎた時期にいくつ著作物を侵害していたのかということは、いくら著作権法上の規律の観点からはお前が送信可能化の主体だといわれても、わからないのではないかと思います。)。
 
(127)について、著作権の場合、特許権とは違い、著作物性の有無や著作権による保護の範囲、著作権の制限の範囲がわかりにくく、罰則を強化すると、後発の表現者に対し、より一層の萎縮効果を生むことになります。それは、表現の自由が保障される先進国の一員として恥ずかしいことです。また、軽微な著作権侵害行為は、多くの人々がそれとは知らずに行っていることであり(それは、著作権法による規制の範囲が国民の健全な常識に反して広いことが原因です。国民に著作権意識が足りないのではなく、著作権法が国民の意思に合致していないのです。)、そのようなことを行ったことをもって、前科前歴のない健全な市民が実刑判決を受けるというのは、非常に不健全です。したがって、私は(127)には反対します。
 むしろ、表現の自由を保護するという観点、あるいは新たな創作活動を奨励するという観点からは、少なくともいわゆる二次的著作物の創作及びその利用については、刑事罰の対象から外すことを明文で規定する必要があるのではないかと思います。原著作物の著作権者への経済的権益の確保は、損害賠償請求権等によって行うことができますので、既存の著作物を利用した創作活動自体を禁止するのは、我が国の文化の発展に繋がらないのみならず、憲法上も問題があるように思います。

(少し訂正) 

Posted by 小倉秀夫 at 02:13 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

10/20/2004

著作権法改正パブコメ2004_06

6. 侵害とみなす行為等 

(111)のような改正がなされた場合、パッケージソフトの購入者や、ソフトウェアがプレインストールされているコンピュータの購入者は、購入時に、いちいち当該ソフトウェアがその著作権者の許諾を得てパッケージに収録され、あるいは、プレインストールされたのかを確認しなければならず、その確認を怠ったならば「過失あり」と認定され、ちゃんとお金を出したはずなのに使用を禁止されるという事態を招きます。それはかえって正規のパッケージを購入しようという意欲を薄れさせることになります。また、正規に購入したプログラムが、他人が著作権を有するプログラムのコードの一部を流用していた場合に、コード流用の可能性を検証せずに当該プログラムを漫然と購入したことを「過失」といわれてしまうと、購入者としてはお手上げです。
 他方、ソフトウェアの著作権者は、著作権侵害行為を摘発する能力がありますし、侵害行為をやめさせる権限もあるのに、そのような能力も権限もないソフトウェアの利用者に負担を押しつけようというのはフェアではないように思います。したがって、私は、(111)には反対します。

(112)(114)について
 特許法上の「間接侵害」は、例えば「物」発明であれば、「特許が物の発明についてされている場合において、業として、その物の生産にのみ用いる物の生産、譲渡等若しくは輸入又は譲渡等の申出をする行為」又は「特許が物の発明についてされている場合において、その物の生産に用いる物(日本国内において広く一般に流通しているものを除く。)であつてその発明による課題の解決に不可欠なものにつき、その発明が特許発明であること及びその物がその発明の実施に用いられることを知りながら、業として、その生産、譲渡等若しくは輸入又は譲渡等の申出をする行為」に限定されています。また、米国著作権法上の寄与侵害の規定は、権利侵害ではない用途に用いられる可能性がある場合には適用されないこととされています(ベータマックス事件連邦最高裁判決)。しかし、社団法人音楽著作権協会が引用する二つの裁判例が如実に示しているとおり、日本のコンテンツホルダーが求めてやまない「間接侵害」規制は、特許法上の間接侵害や米国著作権法上の寄与侵害とは全く異質のものです。
 すなわち、自己の提供する商品やサービスがその利用者による著作権侵害行為に用いられる可能性がある場合には、それを探し出して、著作権侵害行為に用いられないようにしなければならず、それができないのであればその商品やサービスの提供全体をやめさせるというものです。そして、それは、より経済実態に即していうならば、著作権者は侵害者を探し出して侵害行為をやめさせるために自らコストと労力をかける必要はなく、権利侵害行為にも利用されうる汎用的な道具やサービスの提供者に命じて、強制的に、無償で、権利侵害者を探し出して侵害行為をやめさせる役割を担わせるということになります。そして、それができない場合、その汎用的な道具やサービスの提供者は、まさに人々の役に大いに立つ汎用的なサービス等を提供してしまったがために、いつまでもいつまでも半永久的に著作権者に対して「間接強制金」を支払い続けなければならないということになります。
 そして、このような「現代型農奴」としてコンテンツホルダーから狙われているのが情報通信サービス業者です。検閲が禁止されている電気通信事業者はもちろん、検閲は法的には禁止されていないけれども24時間いつでも利用者が送信した情報が瞬時に他の利用者に到達するシステムを構築してしまったが故に検閲を行うことが技術的経済的に困難となっている情報通信サービス業者(電子掲示板の管理者を含む。)は、利用者が送信しようとしている情報が第三者の著作権を侵害するものであるかどうかをチェックすることなく、その送受信を媒介してしまいます。これは形式的にいえば著作権侵害の「幇助」とされる可能性はありますが、瞬時になされる情報の送受信を阻止する能力は、情報通信サービス業者にはありません。かわいそうに、間接強制金を支払うしかなくなります。
 (112)で提案されるような改正がなされた場合、市民による情報発信をサポートする業者は、市民が発した情報の内容を逐一検閲した上でなければ、これを特定人又は公衆へ伝達することができなくなります。国が民間業者に対して法律により検閲を義務づける国家に日本が成り下がるということです。(112)を支持するということは、「利用者から送信された情報を、内容を検閲することなく、受信者に届けることが許されない」ということと同義です。著作権者たちの権益は、憲法が定める表現の自由の保障、検閲禁止の原則等をも凌駕すべきといっていることと同義です。私は、言論の自由は大切だと思うし、検閲は許されないと思うし、情報通信サービス業者がコンテンツホルダーから農奴のようにただ働きさせられ、あるいは間接強制金という名の年貢を納めさせられることがフェアだとは思わないし、そのような法制度がとられている社会ではIT産業を担おうとする人材がいなくなっていくことと危惧します。
 「有益な用途に用いられる可能性があるのであれば、その新しいサービスを保護しよう」という「自由の国、未来志向の国アメリカ」に対して、「既得権者の権益を害する用途に用いられないようにできるようになるまで新しいサービスを公衆に提供することは罷り成らん」という「規制大国、既得権者のパラダイス」に成り下がっていて、日本が今後のIT革命競争でまともに戦えるようになるとは思えません。私は、音楽著作権者等のエゴを優先させたがために、日本が一人IT革命の波に乗り遅れ、10年後に、欧米諸国のみならず、近隣のアジア諸国からも嘲笑される「時代遅れの国」になることを望みません。ので、(112)には反対します。
 これに対し、(114)は、利用者の行為の責任を情報通信サービス業者に安易に押しつけがちな裁判所から情報通信サービス業者を守るという点からも有益であり、私はこれに賛成します(もちろん、情報通信サービス業者を守るという目的だけであれば、プロバイダ責任制限法の改正でもよいのですが、Winny事件で危惧されているように、プログラムを利用者が悪用したことの責任をとらされる危険からプログラムの提供者を守る必要もあるので、適用範囲を主体的に広げる(114)のような規定ぶりには賛同できます。)。

(少し訂正)

Posted by 小倉秀夫 at 09:49 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

著作権法改正パブコメ2004_04_05

(92)(93)(96)については、方向性は正しいと思いますが、条項案はスマートではないように思います。また、今日、多くの辞書・データベースソフトがCD-ROMやDVDなどで提供されていますが、通常のコンピュータはCD/DVDドライブが一つしかないため、複数の辞書・データベースソフトを同時起動させるには、これらの内容をパソコンのハードディスクにコピーすることが必要となりますが、著作権法第30条1項をパーソナルユースに限定する多数説の見解に従う限り、これを正当化する規定は現行法にはないということになります。また、企業においては、ソフトウェアを含めて購入代金をリース形式で調達する場合が少なからずありますが、その場合には著作権法47条の2の適用を受けられないとする見解もあり(確かに、文理解釈するとそうなります。)、実際の運用と法律が乖離してしまう危険があります。
 これらの諸点を解決するためには、著作権法第47条の2を次のように改正するとよいのではないかと思います。
 
 (プログラム等の著作物の複製物の所有者による複製等)
第四十七条の二  プログラム等の著作物の複製物の正権原のある所持人は、自ら当該著作物を電子計算機において利用するために有益と認められる限度において、当該著作物の複製又は翻案(これにより創作した二次的著作物の複製を含む。)をすることができる。ただし、当該利用に係る複製物の使用につき、第百十三条第二項の規定が適用される場合は、この限りでない。
2  前項の複製物の正権原のある所持人が当該複製物(同項の規定により作成された複製物を含む。)のいずれかについて滅失以外の事由により占有しなくなった後には、その者は、当該著作権者の別段の意思表示がない限り、その他の複製物を保存してはならない。

(98)は、同一性保持権侵害となる著作物の改変を「著作者の名誉又は声望を害する」ものに限定しようというものです。これにより、著作物の利用者の権限が国際標準に近づくとともに、実演家人格権としての同一性保持権に関する著作権法90条の3とも平仄がとれることになります。したがって、私は(93)に賛成します。

 (99)は、改変された著作物が公衆に提示又は提供されない場合には同一性保持権侵害としないこととせよというものです。改変された著作物は、それが当該著作者のものとして公衆に提示又は提供されればこそ著作者の社会的評価に影響を及ぼすことが可能となるのであって、それが公衆に提示又は提供されない間は、著作者の人格的価値をいささかも損なっていないわけですから、この段階では未だ同一性保持権侵害とはしないというのは理にかなっています。
 加えて、エンターテインメントビジネスでの実際の流れを考えた場合には、先に他人の著作物を改変して新たな著作物を創作した後に当該著作物の著作者に同意を得るということは通常行われているところですが、改変された著作物をいまだ公表していなくとも同一性保持権侵害が成立するとなると、上記例では、当該著作物の著作者から同意を得られなかった場合には、法理論上は、当該著作者が望めば、新たな著作物の創作者は、損害金を支払わされたあげく、刑事罰に処せられることとなり得ます。それは、既存の著作物を元にして新たな著作物を創作していくという文化の継承的発展を、文化の発展に寄与することを究極的な目的としているはずの著作権法が、断ち切ることに繋がります。そのような事態が望ましくないことはいうまでもありません。
 したがって、私は(99)の、特に252頁の意見に賛成します。
 
 (101)は、要するに「楽譜」については著作権法上特別扱いせよというものです。
  しかし、一般家庭にもピアノやギターなどの楽器が普及し、これを家庭内やあるいは友達や恋人を呼んで演奏するということが一般的に行われており、それにあわせてピアノやギターなどで容易に弾き語りができるようにシンプルにアレンジされた楽譜集が市販されております。このような楽譜集を購入した者が、とりあえず練習しようとしている楽曲に関する譜面のみをコピーして用いるというのは、非常に自然な行動です(分厚い冊子のままでは、演奏中に勝手にめくれないようにするのは大変です。)。(101)は、こういう市井の音楽愛好家たちの合理的な行動を「犯罪行為」と位置づけようとするものであって、とうてい賛成することはできません。また、(101)に示された改正を行うと、学校の音楽の時間において、ある特定の楽曲を生徒たちに演奏させるためには、当該楽曲が収録されている楽譜集(著作権法上特別扱いが必要となるほどに高価なものなのであろう)を一冊丸ごと生徒たちに購入させなければならないことになりますが、そうすると教育現場においては文科省の検定を通った音楽の教科書に掲載されていない楽曲を生徒たちに演奏させることは断念せざるを得なくなることが予想されます。そのようなことが、我が国の文化の発展に寄与しないことは明らかです。
  
(104)については、このような改正を行うと、観光地に設置されている銅像などとともに撮った写真を用いて年賀状等を作成し、友人知人等に送付する行為が犯罪とされる虞がありますが、それがよいことだとは思えません。原作品が屋外に恒常的に設置されている美術の著作物については、それが公衆の目に触れることを拒むことがそもそもできないのですから、そのような規制をする必要はないように思います。 

Posted by 小倉秀夫 at 08:50 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (2) | TrackBack (1)

法務博士の受け皿

公証人法を以下のように改正するという案はいかがでしょうか。

現行法


第十二条  左ノ条件ヲ具備スル者ニ非サレハ公証人ニ任セラルルコトヲ得ス
一  日本国民ニシテ成年者タルコト
二  一定ノ試験ニ合格シタル後六月以上公証人見習トシテ実地修習ヲ為シタルコト
○2 試験及実地修習ニ関スル規程ハ法務大臣之ヲ定ム

第十三条  裁判官(簡易裁判所判事ヲ除ク)、検察官(副検事ヲ除ク)又ハ弁護士タルノ資格ヲ有スル者ハ試験及実地修習ヲ経スシテ公証人ニ任セラルルコトヲ得

第十三条ノ二  法務大臣ハ当分ノ間多年法務ニ携ハリ前条ノ者ニ準スル学識経験ヲ有スル者ニシテ政令ヲ以テ定ムル審議会等(国家行政組織法 (昭和二十三年法律第百二十号)第八条 ニ定ムル機関ヲ謂フ)ノ選考ヲ経タル者ヲ試験及実地修習ヲ経スシテ公証人ニ任スルコトヲ得但シ第八条ニ規定スル場合ニ限ル

改正試案

第十二条  左ノ条件ヲ具備スル者ニ非サレハ公証人ニ任セラルルコトヲ得ス
一  日本国民ニシテ成年者タルコト
二  一定ノ試験ニ合格シタル後六月以上公証人見習トシテ実地修習ヲ為シタルコト
○2 試験及実地修習ニ関スル規程ハ法務大臣之ヲ定ム

第十三条  法務博士タルノ学位ヲ有スル者ハ前条第一項第二号の試験ヲ経スト雖モ同号ノ実地修習ヲ経テ公証人ニ任セラルルコトヲ得

第十三条ノ二  削除


 日本の公証人は、著名な元裁判官や元検察官の方にお出ましいただくような難しい仕事はあまり求められていない(元法務省職員でもできるのですから)ので、法務博士の学位を有する方々なら十分にこなせるのではいないかと思います。

Posted by 小倉秀夫 at 02:20 AM dans D'autre problème de droite | | Commentaires (0) | TrackBack (2)

著作権法改正パブコメ2004_04_4

 (46)及び(47)は私的録音録画補償金の問題です。現在の私的録音録画補償金は、(ア)著作権の付いた音楽やテレビ番組等の録音・録画に対象機器を用いなくとも権利者団体へ間接的に上納金を納めさせられる一方、(イ)私的録音録画補償金の対象となる機器を購入して権利者団体へ間接的に上納金を納めたからといって、多数説によれば企業内コピー等が適法にならないという問題があります。(ア)の問題(すなわち、私的録音録画に用いないのに補償金を上納させられる)は、汎用機器を録音録画補償金の対象に含めることによりさらに拡大します(例えば、データ用CD-Rの主要な用途は、特にオフィシャルユースに関していえば、なおも自分たちで作成した巨大なファイルの受け渡しです。最近はフロッピードライブのないパソコンが増えたのと、セキュリティの関係で添付ファイル付きのメールをはじくところが増えてきたので、このような用途でCD-Rを使用する機会が増えています。)。また、(イ)の問題があるため、録音録画補償金の対象となる機器を企業ユースで購入した場合には、まさに「お金は上納させられるは、複製は禁止されるは」で典型的な「やらずぼったくり」状態に陥ることになります。このような「ハイコスト・ノーリターン」の強制を汎用機器にまで拡張されるのでは、権利者団体と機器購入者との間の利益バランスが権利者団体側に傾きすぎているといわざるを得ません。
 したがって、私は(46)(47)には反対です。また、仮に企業内コピーには著作権法第30条1項が適用されないとするならば、企業が私的録音録画補償金の対象となる機器を購入した場合は、補償金の上乗せ分を店頭で返還することを義務づけるべきだと思います。
 
(49)は、技術的保護手段がとられているレコード等については私的録音録画金の配分を受けられないようにするなどの抜本的な改正を求めるものです。複製を技術的に規制しておきながら私的複製に対する補償金をもらうというのはある種詐欺的であるとすら言えますから、当該機器を用いての複製が技術的に制限されているコンテンツの権利者には補償金が分配されないような制度が必要だと思います。

(50)は、スキャナ等についてもデジタル複写補償金制度を導入せよというものです。しかし、出版物のデジタル複製に用いるという用法はスキャナ等の主たる用途とは言い難いのが現状です(例えば、法律事務所であれば、相手方の準備書面をスキャンし、OCRソフトを利用してテキストデータに変換し、反論の準備書面を作成する作業を容易にするという用途が主流でしょう。)。それなのに、なぜ出版社団体がスキャナ等に関して補償金を配分せよと要求できるのか私には理解できません。したがって、(50)の意見について私は反対します。

Posted by 小倉秀夫 at 01:52 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

10/19/2004

著作権法改正パブコメ2004_04_03

(57)は、商業目的の「調査研究」を目的として文献の複製を求める者に対して図書館等はこれに応ずるなとするものです。
 しかし、図書館等には、もはや市場では入手困難な貴重な文献が多く収蔵されており、そのような貴重な文献は往々にして「貸出禁止」扱いにされていることが多いようです。すると、貴重な文献の必要な部分の写しを手元に置いて「調査研究」を行うことが企業等には許されないということになり、我おいて、企業が商業目的で行う「調査研究」の質は大いに低下することが予想されます。
 商業目的であれ、質の高い調査研究が行われ、これが公表されることは、我が国の文化の発展に大いに寄与するものであるところ、これを阻害するような法改正というのは、我が国の文化の発展に寄与するという著作権法の究極の目的に反するものであるといえます。したがって、私は(57)の意見には反対します。

(58)は、図書館等における複製は、複製物を図書館内の利用者に交付できる場合に限定せよとするものです。
 しかし、図書館等には、もはや市場では入手困難な貴重な文献が多く収蔵されており、そのような文献の中には、ごく少数の図書館にしか収蔵されていないものが少なからずあります。特定の研究のためには先行論文等に引用されている当該文献等を入手しなければならないことも少なからずあるわけですが、その場合に、当該文献を所蔵している図書館まで出向かなければならないとすると、研究者の時間と交通費を無駄に浪費させることとなりますし、場合によっては、予算等との関係で当該研究を断念せざるを得なくなる場合すら生じます。
 また、そのような希少本以外についても、研究者に図書館に出向く時間と費用を浪費させることだけを目的とする法改正を行うことが、我が国の文化の発展に寄与するものとは思えません。
 したがって、私は(58)の意見には反対します。

(61)は、図書館における複製に対し補償金制度を設けよというものです。
 国も地方公共団体も財政難で、図書館にかけられる予算が大幅に増加することが期待できない現在、利用者のための複製に対して補償金を支払えと言うことになれば、多くの地方公共団体で図書館を廃止するか、文献複製サービスを中断せざるを得ない事態を招きかねません。また、図書館等において利用者に対し補償金相当額を複写料として上乗せすると言うことになれば、一部の富裕層以外は、必要な文献を入手してこれを読み込んで特定の研究を行うことが困難になるとも予想されます。
 既に刊行されている書籍・論文等の著者の多くが、必要な参考文献等を図書館等で複製して使用しておきながら、未来の研究者に対しては金を支払えというのは、あたかも天につばを吐くようなものです。
 私は、(61)のような、我が国の文化の発展を阻害する方向での改革には反対します。

Posted by 小倉秀夫 at 09:42 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

著作権法改正パブコメ2004_04_02

(77)は、要するに図書館等で映画等が無償で上映されるのはけしからんから禁止しろというものです。
しかし、著作権法の究極の目的は「文化の発展に寄与すること」であって、著作者等の権利の保護を図ることはそのための手段にすぎません。そして、一部の富裕層だけが著作物を享受でき、そうでない階層に生まれた者は著作物を享受できないというのでは、新・貴族文化の発展に寄与することはできても、全国民を巻き込んだ文化の発展には寄与することができません。著作権法は、著作権法による保護の成果として多様な著作物が輩出した恩恵をあまねく国民が受けられるように、図書館等において非営利かつ無償で著作物を公衆に提示することくらいは大目に見よとすべての著作物の著作権者に求めているのであり、「映画の著作物」の著作者だけが「金を払えない貧乏人の目には自分たちの作品を触れさせたくない」と文句をたれるのは大人げないとしか言いようがありません。このような文化の担い手としての社会的責任に無自覚な映画産業のエゴが露出する(77)の意見に私は反対します。

(78)は、「営利を目的」とする場合というのを制限的に規定せよというものです。私も、当該著作物の利用行為が広告料収入や入場料収入、飲食物等の販売収入等の収入を得て利益を上げることを目的とする場合に限られるべきだと考えており、例えば、家電量販店等において商品たるテレビ受信機の性能を消費者に見せるために、店頭でテレビ番組を受信し表示した状態でテレビ受信機を陳列するような場合を違法行為とするのはおかしいと思います。したがって、私は(78)の意見に賛成します。

(80)(81)は、方向性は悪くないと思いますが、営利目的の定義を明確化、限定化することによって対処するのが筋だと思います。

Posted by 小倉秀夫 at 08:59 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

著作権法改正パブコメ2004_案04_01

4. 著作権等の制限について

(39)について、方向性は悪くないと思いますが、社内コピー問題の根幹は、企業内コピーについては一律に著作権法第30条1項の適用を受けないと解する多数説及び下級審裁判例にあります。30条1項の文言自体は、企業内コピーを排除していないし、作成した複製物を営利活動に用いることをも排除していないのに、「家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において」というふうに「家庭内」という文言が用いられているのを過度に重視して「だから企業内コピーには適用がないのだ」と曲解されているのが現状です。このような誤解をなくすために著作権法第30条第1項の該当部分を「限定的かつ閉鎖的は範囲内において」と変更することによって、企業内コピーであっても、一定の場合に、著作権法第30条1項が適用されるのだということを明示し、現実の社会では普通に行われていることを違法としてしまうことをさけることができます。

(40)は附則第5条の2を廃止せよというものです。その理由としては、学術著作権センターなどの集中処理機関が整備されてきたことをあげていますが、書籍や雑誌に掲載された文章の著作権については、集中処理機関の網羅性には未だ不十分なところがあり(権利集中機関を社団法人化したからといって、網羅性を達成できるわけではありません。1著作物あたりの想定許諾料収入が低いこと、集中処理する権利が限定的であること、著作権者の数が多いこと等を考えると、集中処理機関に権利を付託するメリットが書籍・雑誌等の文章については低いので、網羅性が飛躍的に向上することは見込めないと思います。)、現段階で附則第5条の2を廃止した場合、複製をしたくとも、許諾を受けるに受けられないという事態が生じてしまう虞が高いといえます。したがって、現時点で附則第5条の2を廃止するのは時期尚早です。

(41)は、著作権法第30条1項の目的を「個人的に使用すること」に限定せよというものです。しかし、子供から頼まれてビデオの録画ボタンを押してしまった母親を著作権法違反(複製権侵害)で逮捕起訴して懲役刑を科すことを法的に可能とせよというのがまともな人間の考えることとは思えません。よって、私は(41)には反対します。

(42)については、「著作権者の利益を不当に害することとなる複製」か否かというのは、著作権法を得意とする法律実務家の目から見ても非常に難しい問題です。「著作権者の利益を不当に害しない利用」一般を個別的救済規定たるフェアユース規定に用いるのはともかくとして、定型的な免責規定である著作権法30条1項にこのような抽象的な規定を設けることには反対です(そもそも、30条1項は、閉鎖的かつ限定的な人的な範囲でのみ使用されることを目的とする複製のみを対象とした規定であり、著作権者の利益を侵害する度合いが軽微なものであり、それはデジタル技術が普及しても何ら変わるところはありません。著作権法は消費者に無駄を強制することによる需要の創出を「正当な利益」に含めないのです。)。

(43)については、「知りながら」という文言が未必の故意を含んだり、大量の情報の中の一部に著作権を侵害して送信可能化されているものがあることを知っている場合を含む場合には、ウェブブラウザー等を用いたネットサーフィンなど、いつでも逮捕起訴され場合によっては懲役刑を受ける覚悟がなければできなくなります。例えば、電子掲示板等を開設していると、新聞等の記事を引用の要件の範囲を超えて複製した投稿が書き込まれることがありますから、未必の故意でも著作権侵害罪が成立するということになると、自分が開設する電子掲示板を閲覧することも危なくてできなくなります。また、未必の故意は含まないとしても、他人の電子掲示板を閲覧した際に、著作権侵害となるような投稿が書き込まれているのを発見してしまった場合、再びその掲示板を閲覧すると、著作権侵害罪に問われる可能性が出ていきます。したがって、私は、インターネット文化を破壊する効果をもつ(43)には反対します。

(44)については、著作権法第2条1項20号が「著作物、実演、レコード、放送又は有線放送(次号において「著作物等」という。)の利用(著作者又は実演家の同意を得ないで行つたとしたならば著作者人格権又は実演家人格権の侵害となるべき行為を含む。)に際しこれに用いられる機器が特定の反応をする信号を著作物、実演、レコード又は放送若しくは有線放送に係る音若しくは影像とともに記録媒体に記録し、又は送信する方式によるもの」という要件を設けたのは、規制対象の明確化を図ったものです。技術的保護手段の回避を専らその機能とする装置等の公衆への譲渡等や、業として公衆からの求めに応じて技術的保護手段の回避を行う行為が刑事罰の対象とされている以上、罪刑法定主義の観点からも、規制対象たる「技術的保護手段」を明確に規定する定義することは必要です。また、社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会の意見をみると現行法では特定の「プログラム」に反応する信号は保護されないかのように見えますが、特定の信号に反応する「プログラム」が組み込まれたコンピュータはここでいう「機器」にあたると解されており、社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会の意見は前提を間違えています。また、技術的保護手段の定義を(44)の求めるように改正した場合には、「回避」等の定義も変更せざるを得ず、例えば、パソコンのOSのCDドライブを制御する部分において、エラー情報を訂正し、CD等の表面に細かい傷がついていたとしてもCDドライブが異常動作しないような機能を組み込んだ場合に、これが違法とされる虞もあります(一部のレコード会社が採用したCDS-200方式のコピー制御技術は正に、CDにエラー情報を混入してパソコンのCDドライブに異常動作を行わせることによってパソコンを使ったコピーを制御しようというものだったので、あながち杞憂ではありません。)。
 今後コピープロテクトは進化、多様化することはあろうかとは思いますが、それに対しては、ソフトメーカーと機器メーカーと消費者団体とが協議をして、法的に保護するに値するということについて意見の一致を見たコピープロテクトについて、それが「技術的保護手段」の定義に合致するようにその都度法改正をすれば足り、また、罪刑法定主義の観点からはそのような手続きを踏むことが望ましいと言えます。したがって、私は(44)の意見に反対します。
 また、社団法人日本映像ソフト協会は、DeCSSを著作権法により規制するために法改正を望んでいるようです。しかし、DeCSSは、必ずしも商業的に配布されているわけではないOS(例えば、Linux等)を用いてコンピュータを稼働させている者が、正規に購入したDVDソフトをそのコンピュータを用いて再生するために開発されたという側面もあり、これをDVDを複製するためのソフトと安易に位置づけてこれを禁止するような立法を行うことには大いに疑問があります(なお、DVDソフトには、CGMS等のコピー制御技術が用いられており、これは著作権法上の技術的保護手段にあたるので、DeCSS等を違法化しなくとも、コピー制御することに問題はないはずです。)。

Posted by 小倉秀夫 at 08:28 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (1)

10/18/2004

著作権法改正パブコメ2004_案02

(7)は、要するに、著作物の複製物の中古品を販売した物に対して上納金を著作権者に納めさせよとするものです。工業製品には様々な知的財産が用いられていることは日本のみならず、世界各国で共通している事象であり、その物理的な寿命に比して消費者に十分な満足を与えることができる期間が短い商品については中古品市場が形成されることも、日本のみならず世界各国で共通している事象です。それなのに、なぜ、日本の、著作権者のみが、中古品の販売業者の営業努力の成果を搾取することが許されるのか、全く理解不能です。知的財産権法においては、「知的財産権が組み込まれた商品を正規に購入した者がこれを活用して利益を得たときはその利益の一部を当該知的財産権の権利者に還元しなければならない」という原則はありません。新品を購入せずに中古品やレンタルで済ます消費者が少なからず存在するという点は、特許や商標の実施品(例えば、自動車やブランド物のバッグなど)においても共通しているのに、です。著作権関係の権利者団体はスタートの時点で勘違いをしているように思います。
 したがって、(7)の意見には反対します。

(8)は、最高裁判決の趣旨を明文化せよというものですが、「条文を読めば、権利義務の範囲が明らかにわかる」という法の理想に近づけようというものですから、(8)の意見には基本的に賛成です。

(10)は、コピー問題の伴わない貸与については貸与権の対象からはずせということと、書籍・雑誌等の貸与については禁止権ではなく報酬請求権に留めよというものです。
 前段部分についていえば、借主が借りてきたオリジナル商品の私的複製物を製作して返却するという利用法が通常とられるものについては、通常の工業製品の貸与と何ら変わるところはなく、当該工業製品に自己の著作物が用いられている者にだけ、貸与権(貸与に対する報酬請求権を含む)を付与する理由はありません。ベルヌ条約は貸与権の創設をそもそも加盟国に義務づけていませんし、WIPO著作権条約も、私的複製物を製作するために貸与を受けるという利用方法が通常化していない場合にまで貸与権を創設することを義務づけていません。そして、その物理的な寿命に比して消費者に十分な満足を与えることができる期間が短い商品については、使い捨てをやめ、レンタルなどを活用するということが、環境立国日本の国是にも沿うことを考えるならば、貸与権の範囲を限定する(10)の前段の意見に賛成します。
 後段の部分については、前回の著作権法改正により書籍・雑誌の貸与に対しても著作権者に貸与禁止権を付与することとした際に、著作権者側の代表は、書籍等のレンタルを禁止するつもりはない等といって国民や国会議員を安心させておきながら、上記改正法が施行される平成17年1月1日が目前だというのに、「こことライセンス契約を結べば書籍・雑誌について合法的にレンタル業を営むことができる」という組織ができあがっていません。このまま上記改正法が施行された場合には、貸本業者はすべて廃業するか刑罰を受けることを甘受するかという選択を論理的には迫られることになります。書籍・雑誌等は、著作権者側で理想の読者として想定する高額所得者だけが享受すればよいというものではないことはいうまでもないことでありますが、このままでは、地元の公立図書館が収蔵しない類の書籍について、低所得者や子供たちはこれを閲読し、それをその精神の発展に活かすことができなくなります。もともと文化庁やコミック作家等は、レンタルコミックなどの収益の一部を漫画家に還元すべきといって国会議員を説得して法案を通したのに、改正法が「貸本業撲滅」という、国会が予定していない事態を生じさせることになってしまいます。そのような事態は可能な限り回避すべきであり、したがって、上記改正法の施行日である平成17年1月1日までに「こことライセンス契約を結べば書籍・雑誌について合法的にレンタル業を営むことができる」という組織が成立する見込みがないのであれば、書籍・雑誌の著作権者から貸与禁止権を取り上げる立法を行うことが必要となります。よって、私は(10)の後段に賛成します。
 
 (13)は、要するに漫画喫茶等でコミックを利用した場合に漫画家に上納金を支払うようにせよとするものです。しかし、工業製品には様々な知的財産が用いられていることは日本のみならず、世界各国で共通している事象であり、工業製品を購入した者がこれを活用して利益を得るということもまた、日本のみならず世界各国で共通している事象でありますが、当該工業製品を活用した利益を得たらその一部を、当該工業製品に用いられている知的財産に関する権利者に「還元」しなければならないとは一般に考えられていません。なぜ、漫画家だけは、その作品の購入者がその創意工夫と営業努力の結果生み出した利益の一部を搾取できてしかるべきだと考えられるのか、私には不思議でなりません。したがって、私は(13)の意見には反対します。
 漫画喫茶においては、正規に出版された書籍を仕入れて活用しているのであり、経済学的な意味での「フリーライド」は全くありません。漫画喫茶が不当に利益を得ているというのであれば、漫画家ないし出版社が漫画喫茶ビジネスに参入すればよいのであって、その程度のことをも行わずに、ロビー活動により漫画喫茶等が得た利益の一部をピンハネしてしまおうというのは、経済学的に見て何ら筋は通っていないのみならず、道徳的に見ても問題があるといえます。

(少し修正)

Posted by 小倉秀夫 at 12:11 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (2)

10/17/2004

著作権法改正パブコメ2004_案01

ということで、10月21日提出期限の、著作権法改正に関するパブリックコメントの案を作成してみました。
順に掲載します。

「1.著作権の定義」について

 著作権法の究極的な目的は「文化の発展に寄与すること」であり(著作権法第1条)、それ故、著作権による保護の対象となる著作物を、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」に限定しています。
 (1)は、「デザイン」を著作権法により保護せよとするものですが、そこでいう「デザイン」とは結局「物品の形状、模様若しくは色彩又はこれらの結合であつて、視覚を通じて美感を起こさせるもの」のことであって、公的な審査を受けたものだけが、登録料の継続的な支払いを条件として、15年間に限り保護を受けられるとされている「意匠」のことをいっているに他なりません。
 したがって、(1)の意見は、結局「意匠」について、排他的な保護を受けるための要件及び保護の範囲の変更を求めるものにすぎず、それは意匠法の改正問題として、経済産業省主管のもとで行うべきものです。「美術の範囲」にすら属さない「デザイン」を産業上の利用可能性があるからといって「著作物」に取り込むことは、「著作物」の範囲についての統一的な理解を困難にするだけではなく、意匠法との抵触問題を引き起こすことになります。したがって、(1)の意見には反対します。
 
 (3)は、工業ノウハウを著作権による保護の対象とせよとするものですが、工業ノウハウというのは著作権法が保護すべき「表現」ではなく「アイディア」にすぎません。そして、工業ノウハウの保護については、それが秘密性を有しているときは不正競争防止法で一定の要件のもと保護されています。したがって、著作権法は「アイディア」ではなく「表現」を保護するものであるという著作権法の基本的な考え方を根底から覆す(3)の意見には反対します。なお、(3)においては、中国への技術流出を引き合いに出していますが、それを防ぐためには中国において工業ノウハウを保護する法律を制定させればよく、また、中国にそのような法律を制定させなければ、日本の著作権法で工業ノウハウを保護させても意味はありません。
 
 (4)は、「教材」を、教材に含まれている著作物等の保護とは別個の著作物として保護せよという意見のようですが、「教材」の定義がこなれていないこともあって、その必要性に疑問があります。
 
 (6)は、他人の原作をもとに新たな著作物を創作する場合であっても、映画の著作物については特別扱いせよとするものですが、何故に映画の著作物だけが特別扱いを受けてしかるべきとするのか不明です。
 問題は、著作権法28条に定める原著作物の著作者の権利が、報酬請求権ではなく、利用禁止権として構成されていることにあるのですから、二次的著作物が映画の著作物である場合に限らず、二次的著作物の原著作物の著作権者の権利を、利用禁止権から、報酬請求権へ変更することこそが抜本的な解決に繋がります。

Posted by 小倉秀夫 at 04:11 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (4)

10/09/2004

著作権法施行令の改正に対する意見

標記件につき、先ほどパブリックコメントを提出しました。


意見:
 著作権法第113条新第5項にいう「七年を超えない範囲内において政令で定める期間」については、「三ヶ月」と政令で定めるべきである。その理由は以下のとおりである。
 
 邦楽CDのアジア諸国への進出が邦楽CDの日本国内での販売を妨げないようにすることが改正法の趣旨である。そして、アジア諸国への進出が期待されているのは、浜崎あゆみ等に代表される、いわゆる「J-POP」といわれるジャンルである。
 
 そして、「オリコン」等のランキングを見ると、J-POPにおいては、発売日から3ヶ月以上もの間上位100位以内にランクされることは希である(オリコン2004年10月04日号のデータ(調査対象は2004/9/20〜9/26)でいえば、シングルチャート上位100位以内にランクされているシングルCDのうち、85作品が2004年7月1日以降に発売されたものであり、アルバムチャート上位100位以内にランクされているアルバムCDのうち、93作品が2004年7月1日以降に発売されたものである。なお、シングルCDでもっとも発売日が古いのは2001年3月23日発売の夏川りみの「涙そうそう」であり、アルバムCDでもっとも発売日が古いのは2003年7月30日発売のホー・リーの「冬の恋歌 Classics」である。)。簡単に言えば、発売日から3ヶ月もすれば、邦楽CDは普通売れなくなるということである。したがって、各レコード会社においても、この最初の3ヶ月での売上げで投下資本の回収を図っていることが予想される。
 また、発売日から3ヶ月も経過すれば、国内向け音楽CDを「定価で」購入することに躊躇する消費者は、レンタルCDや中古CD等により当該楽曲を享受することも可能となることから、アジア諸国からの正規品の並行輸入を禁止したからといって、国内向け音楽CDを定価で購入しなくとも、当該音楽CDに収録されている楽曲をそれなりに享受することができる。
 したがって、J-POPに関していえば、発売日から3ヶ月間、アジア諸国向け商品の並行輸入を禁止すれば当初の目的を達することになる。
 
 そして、著作権法第113条新第5項は、並行輸入の促進による内外価格差の是正という我が国の基本的な貿易政策に対する例外規定であるから、その適用範囲はなるべく限定すべきであることはいうまでもない。したがって、アジア諸国からの正規品の並行輸入がなくとも大きな売上げを見込めない「発売日から3ヶ月後」以上も邦楽CDの並行輸入の禁止を継続することは許されるべきではない。

 なお、輸入禁止期間を4年とした場合、禁止期間経過後は、既にアジア諸国向けのCDは廃盤になっており、結果的に並行輸入できないという事態が十分に予想される。それは、同一のアーティストによる同一の作品についていろいろな国のバージョンを収集したいというマニア層には非常に気の毒な結果となることを付言する。

Posted by 小倉秀夫 at 05:34 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (4)

10/08/2004

相手の建前を利用する

レコードの輸入禁止期間に関する政令についてのパブリックコメントの提出期限が迫ってきました。この3連休が事実上最後のチャンスですね。

今度のパブリックコメントは、ある意味条件闘争にしかすぎないので、あまり愉快なものではないですね。しかし、世の中には思い通りにいかないことはよくあることで、その場合に、100%希望が叶えられないからといって投げやりになるのではなく、少しでも希望が叶えられるようにねばり強く行動するということが結構重要だったりします。

その際によく行われるのは、相手の「建前」を利用して、それに沿った条件を提示するというテクニックです。相手の「建前」を大合唱して、相手の「本音」を実現させないということもまた、次善の策として模索されるべきなのです。

Posted by 小倉秀夫 at 12:43 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (3) | TrackBack (1)

10/04/2004

ロースクールの学費

 ロースクールの授業料の件については、異論もあるようです。

 しかし、齋藤隆広弁護士の「 オーストラリア法曹教育調査報告 」によれば、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州における唯一の法曹資格認定機関である法曹資格認定委員会(The Legal Practitioners Admission Board)は、ロースクールで勉学できる時間的・経済的余裕がある者のみならず、勤労者、ロースクールの学費を調達できない者、その他の理由でロースクールに入学できない者などにも法曹となれる機会を付与するため、夜間の法曹養成講座を主催し、「設備や教授陣をシドニー大学から流用するとともに、大教室による授業形態を採用し、教員はすべて非常勤、学生との通信にはインターネットを多用する」等のコストダウンの努力をした結果、政府等からの補助金なしで、1科目の受講料を365豪ドル(約23,700円)に留めることができたとのことです。
 
 そして、「教員をすべて非常勤にすればコストダウンとなる」という構造は、夜間ロースクールに限りません。全日制のロースクールだって、教員をすべて非常勤講師ないし非常勤講師と同程度の処遇にしてしまえば、独自の教授、助教授を抱え込んでしまっている現在のロースクールよりもコストダウンとなることは明らかです。これと、ロースクールの位置づけを、大学院から大学に引き戻すことを組み合わせれば、従前司法試験に挑戦することができた階層が再び司法試験に挑戦できるようになります。
 
 とはいえ、ロースクールの教員にだって生活はありますから、どこかで生計を得る手段を確保しなければなりません。生活に必要なお金は、弁護士等に最新の法律情報や特殊分野に関する法律情報を伝授することによって稼いだらよい話です。我々弁護士は、それが役に立つとなれば、数時間の講義・講演に対して数万円の受講料を支払うことだってあるわけで(経費で落ちますし)、法律実務家から一目置かれる研究をしておりかつ講義・講演が上手な研究者であれば、全く不安に思う必要はありません。そして、法学研究者が、法律実務家から一目置かれるような研究を指向するようになることは、悪いことではないでしょう。
 
 あるいは、日本のロースクールの多くは、法学部がある大学が主体となって運営していますから、法学部の教授陣を非常勤講師としてロースクールに流用し、非常勤講師の給与水準で彼らに働いてもらうことによって、人件費を削減することだってできます。法学部の教授、助教授とは別個に、併設ロースクール専属の教授、助教授を置き、高い人件費を支払うなどというのは、コスト的にはばかげた話です。これは、文部科学省が法科大学院の設置基準を改めない限りどうしようもないのかもしれません。無駄を強制する文部科学省は、法曹養成からは一刻も早く手を引くべきだと思います。

Posted by 小倉秀夫 at 12:23 AM dans D'autre problème de droite | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

10/03/2004

ロースクール制度の改革について

 私は、最初から法科大学院制度には反対だったのですが、国立大学の独立行政法人化にあわせて強引に法科大学院制度が始まってしまいました。しかし、始まってみると案の定制度設計のまずさが露呈してきています。そうはいっても、各法科大学院だって人を集めたり箱物を作ってしまったりしているし、何より、高い入学金を支払い、人生を棒に振るリスクをかけて法科大学院に入学してしまった学生が少なからずいるわけですから、いまさら全く法科大学院制度を白紙に戻すわけにはいかないでしょう。そこで、私なりの改善案を示したいと思います。
 
1 「法科大学院」を「法科大学」あるいは「法学部法曹養成コース」に変更する。

 すなわち、「ロースクール」を専門職大学院扱いではなく、学部扱いとするということです。法律家として活動していて、学位が「学士」止まりで困るということはありませんので、「ロースクール」を大学院として位置づけるメリットはありません。既に「ロースクール」に入学した学生の大部分は、「新司法試験を受験するための切符」としてのロースクール卒業資格がほしいだけで、JDの資格がほしいわけではないでしょうから、そのような改革をしたからといって、特に不利益にはなりません。
 他方、学部扱い(すなわち、高校卒業後入学することを標準とする)にすることにより、ロースクール卒業時に新司法試験を受けて法曹を目指すか、または、公務員や民間企業への就職を目指すかを、最終的に選択することができます。22~3歳程度の新卒ならば、十分やり直しのチャンスがあります。
 
2 「法科大学」の認定権限を、文部科学省から日本型BAへ移行させる。

 米国では、司法試験の受験資格を付与できるロースクールを認定するのはABAです。すなわち、法律家(弁護士、裁判官、検察官)の集まりが、次世代の法曹を輩出する役割を担うに足りる教育機関を認定する方式をとっています。これは、法律家たるに必要な資質とはなんぞやということを理解していない文部科学省の役人に新司法試験の受験資格を付与できるロースクールを認定する権限を与えている日本方式よりも優れています。
 日本でも、法曹資格者(弁護士、裁判官、検察官)からなる組織(日本型 Bar Association)を立ち上げ、そこに新司法試験の受験資格を付与できるロースクールを認定する資格を与えることが望ましいように思います。これにより、教員の少数無力説を押しつける旧態依然としたロースクールを排除することができます。
 
3 「法科大学」の教員の給与を非常勤講師並みに引き下げる等して、学費の低廉化を図る。

 法科大学院制度の最大の問題は、学費が高すぎて、挑戦できる階層が限られてしまう点にあります。その原因の一端は、文部科学省が認定権限を握ってしまったため「箱物」の充実を要求しすぎたために、必然的にコスト高の体質になってしまったということもあるとは思います。他方で、ロースクールバブルに伴う引き抜き合戦のために人件費が上昇してしまったということもまた、学費の高額を招いているといえるでしょう。
 法科大学院構想は、そもそも大学の教員が「研究」にかこつけて教育をないがしろにしている間に学生を司法試験予備校にとられてしまったということに端を発しているわけですし、司法改革に関して積極的に意見を進言した法学者の多くは、これから法律家になる人たちに対しては「安上がりに使われる法曹」になることを期待して実需を無視した大幅な新規資格取得者増を提案したわけですから、彼らはある程度「痛み」を分かち合ってしかるべきです。
 そして、学生から高額の学費を巻き上げないこととする埋め合わせは、たとえばお盆期間中やGW中などに、弁護士等を相手に先端的な法分野に関する集中講座を開くなどして行えばよいわけです(既に弁護士として活躍しているものであれば、少数無力説を押しつけるだけの講義等は相手にされない反面、それが自己の実践的能力を高めるのに役立つとなればそれなりに費用をかけることができるし、なにより先端的な法分野を学ぶのに必要な基礎的な法分野について一定以上の理解を有しているので、法科大学院の学生に先端的な法分野を学ばせるより効率的です。)。

Posted by 小倉秀夫 at 02:15 AM dans D'autre problème de droite | | Commentaires (3) | TrackBack (1)

10/01/2004

輸入禁止期間に関するパブリックコメント

文化庁が輸入禁止期間についてパブリックコメントを求めているようですので、この点について考えてみましょう。

レコード輸入権の趣旨は、アジア諸国から低価格の正規CDが日本国内に並行輸入されてしまうと、特別に高い価格で提供されている国内盤が売れなくなってしまうが、それは日本のレコード会社がアジア諸国にて積極的に事業展開する上で支障が生ずるので、一定期間日本のレコード会社がアジア諸国で販売している正規CDの並行輸入を禁止しようというものでした。

したがって、輸入禁止期間を考える際には、


  1. アジア盤が並行輸入されなければ国内盤が大いに売れていたであろうという期間だけアジア盤の並行輸入を禁止すればよい

  2. 邦楽CDがアジア諸国で積極展開できるようにすることが大切なのであって、諸外国のレコードの売上げを保護してあげる必要はない

  3. 著作権者(著作隣接権者を含む)の権利は強化すればするほどよいという時代は終わっている

という視点が大切ですね。

では、具体的なデータを参照しながら考えてみましょう。

オリコン2004年10月04日号のデータ(調査対象は2004/9/20~9/26)を使用します。

シングルチャート上位100に入る楽曲を、発売日ごとに集計すると次のようになります(100位で週間売り上げ枚数が1237枚です。)。

04.9.1以降のもの 53
04.8.1~04.8.31のもの 18
04.7.1~04.7.31のもの 14
04.6.1~04.6.30のもの 02
04.5.1~04.5.31のもの 02
04.4.1~04.4.30のもの 05
04.3.1~04.3.31のもの 00
04.2.1~04.2.29のもの 01
04.1.1~04.1.31のもの 00

03.1.1~03.12.31のもの 04
02.1.1~02.12.31のもの 00
01.1.1~01.12.32のもの 01

アルバムチャート上位100に入る楽曲を、発売日ごとに集計すると次のようになります(100位で週間売り上げ枚数が3019枚です。)。

04.9.1以降のもの 68
04.8.1~04.8.31のもの 18
04.7.1~04.7.31のもの 07
04.6.1~04.6.30のもの 00
04.5.1~04.5.31のもの 01
04.4.1~04.4.30のもの 00
04.3.1~04.3.31のもの 01
04.2.1~04.2.29のもの 01
04.1.1~04.1.31のもの 00

03.1.1~03.12.31のもの 04
02.1.1~02.12.31のもの 00
01.1.1~01.12.32のもの 00

つまり、シングルもアルバムも、94%は過去6ヶ月以内に発売されたものであり、シングルについては2001人3月に新発売されたものがもっとも古く、アルバムについては2003年7月に新発売されたものがもっとも古いということがいえます。

では、2003年以前に新発売されたものを具体的に見ていきましょう。

シングルについては以下のとおりです。

タイトル          アーティスト  発売日
モーメント/最初から今まで リュウ     2003.12.10
しあわせになろうよ     長渕剛     2003.05.01
さくらんぼ         大塚愛     2003.12.17
涙そうそう         夏川りみ    2001.03.23
世界に一つだけの花     SMAP    2003.03.05

アルバムについては以下のとおりです。
タイトル          アーティスト  発売日
Beautiful days       ZERO/イ・ジョン  2003.10.29
  ~美しき日々~      ・ヒョン/リュ・シウォン 
ケツノポリス3       ケツメイシ   2003.10.01
君繋ファイブエム      ASIAN KUN-FU 2003.11.19
               GENERATION
冬の恋歌 Classics     ホー・リー   2003.07.30

これらについて2004/9/20~26の売上げの全体の売上げに対する割合を見てみましょう。
モーメント/最初から今まで    4.297%
しあわせになろうよ        0.523%
さくらんぼ            0.580%
涙そうそう            0.311%
世界に一つだけの花        0.067%

Beautiful days~美しき日々~   3.961%
ケツノポリス3          0.717%
君繋ファイブエム         1.574%
冬の恋歌 Classics        1.636%

このようにみると、「売れ時」が未だ続いているのは、シングルの「モーメント/最初から今まで」とアルバムの「Beautiful days~美しき日々~」だけといえます。

そして、「モーメント/最初から今まで」は韓国ドラマ「冬の恋歌」の挿入歌、「Beautiful days~美しき日々~」は同名の韓国ドラマのサントラ盤であり、日本の消費者に犠牲を強いてまで保護しなければならないものではないですね。

このように見ていくと、文化庁が提案した「4年」という数字が言語道断であることはもちろん、「1年」ですら長いですね。長くとも「6ヶ月」、本当のことをいえば「3ヶ月」程度でもよいくらいです。

Posted by 小倉秀夫 at 05:29 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (6) | TrackBack (4)

新blog

Hotwired Japanに請われて、本日より、もう一つblogを持つことになりました。
こちらのblog共々、よろしくお願いいたします。

Posted by 小倉秀夫 at 10:38 AM dans おすすめサイト | | Commentaires (1) | TrackBack (0)