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10/26/2004

「責任転嫁の見本」としての緊急声明

「司法改革国民会議」なる組織が緊急声明を行っています。

結論としては、

現下の新司法試験をめぐる司法試験委員会の検討の現状に強い危機感を表明するとともに、政府が、法科大学院構想の原点に立ち返り、意見書の求める通り、法科大学院修了者の7~8割が合格できる方向に検討案を改めることを、強く求めるものである。

とのことです。

 しかし、2006年度については、現行司法試験から新司法試験への移行期として当初から位置づけられており、新司法試験の合格者数を3000人にすることはそもそも不可能であったことは明らかです。また、司法研修所を東西2つに分けるにしても2006年度の新司法試験受験者が修習を開始する2007年度までに関西方面に敷地を確保して建物を建築することは極めて困難であり、それ以上に、2007年度までに、3000人もの修習生の実務修習先を確保することがほとんど不可能に近いことは、現在の法曹三者の実態を調査すれば容易に知り得たはずです。とすれば、「法科大学院修了者の7~8割が合格できる」ようにするためには、法科大学院の総定員をどの程度にすればよいかということは、一次方程式が解ける程度の知能があれば、容易にわかったはずです。
 それにもかかわらず、大学の経営者たちは、我も我もと法科大学院の設立に殺到し、初年度から「3年未修者コース3417名、2年既修者コース2350名」もの学生を受け入れてしまいました。このようなことをすれば、厳格な成績評価・修了認定が行われない限り、「法科大学院ではその課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7~8割)の者が新司法試験に合格できる」等ということが無理であることは中学生にだってわかります。
 
 「新司法試験の合格者が、法科大学院修了者の3割あるいは2割しか合格できないということになれば、法科大学院はプロフェッショナル・スクールとして成り立ち得なくな」るとすれば、司法修習を受け入れる側の法曹三者の意見も聞かずに、我も我もと法科大学院の設立に殺到した大学関係者とそれを容認した文部科学省に専ら責任があるのであって、あたかも法曹三者の側に問題があって「法科大学院修了者の3割あるいは2割しか合格できない」ということになったかのごとき緊急声明は、法曹三者の一員として、非常に不愉快です。
 
 また、この緊急声明では、

 もし、「司法研修所の収容能力」を理由に新司法試験の合格者数を検討しているとすれば、すでにスタートしている新しい法曹養成制度の理念と精神を理解しないものであり、本末転倒と言わざるをえない。司法研修所の収容能力に限界があるというのなら、合格者増に対応できない現在の司法修習のあり方こそ見直されるべきである。法科大学院教育は、理論と実務の双方を対象とするものであり、実務教育の充実によって、司法修習を代替することは十分に可能である。

とも述べられていますが、いまだに最初の卒業生もでていない段階で「法科大学院教育は……司法修習を代替することが十分に可能である」かどうかなんてことはわからないわけで、そんなわからないものに期待して現在そこそこうまくいっている法曹養成システムを捨てよというのは、学者特有の無責任の極みとしかいいようがありません。法科大学院教育では司法修習を代替することができず、裁判実務に耐えうる法曹を生み出すことができなかった場合に、「司法改革国民会議」の面々は一体どういう責任をとるというのでしょうか。
 さらにいうならば、法科大学院制度を創設するにあたって、司法研修所による司法修習制度は存続させることが同時に決まっているわけですが、現在の法科大学院の総定員のもとで「法科大学院修了者の7~8割が合格できる」ほどに新司法試験の合格者を増員させた場合に、それに対応できる司法修習制度とはいかなるものなのか、法学研究者ならば具体的な青写真を見せてから、「司法研修所の収容能力に限界があるというのなら、合格者増に対応できない現在の司法修習のあり方こそ見直されるべきである」云々ということは述べるべきではないでしょうか。
 
また、
そもそも、このような国家の基本政策の方向を左右しかねない決定が、非公開の「密室の場」で議論されていること自体、問題がある。司法試験委員会の所掌事務はあくまで司法試験を「実施」することにある。実施すべき司法試験制度がいかにあるべきかは、国民に開かれた場で、教育を担う法科大学院関係者をはじめとする国民の声を十分に吸収、反映しつつ行なうべきである。

とも述べられていますが、問題のそもそもの原因である「法科大学院の総定員数」は、法科大学院関係者と文部科学省との「密室の場」で、議論して決められているのです。これに対し、法科大学院制度導入後も司法研修所による司法修習を存続させるということは公開の場で議論されているのです。

最後に、

法曹の数は、意見書が述べているように市場原理の中で決まるべきものであり、その教育の質の担保は、意見書が述べるように、「厳格な成績評価及び修了認定」で行い、それらの実効性の担保は「第三者評価という新しい仕組み」によるべきである。

と述べられています。しかし、法曹の養成には、時間と費用がかかります。そして、国家なり社会なりが法曹の養成に向けられる資源にも、個々人が法曹となるために向けられる資源にも限りがあります。したがって、需要を大きく超えて法曹を新たに輩出しても、それは社会にとっても個人にとっても大いなる無駄となります。
 「失われた10年」の間、特に文系大学院の修士・博士の需要など社会にはほとんどないのに大量に修士・博士を作り上げ、有為の若者の人生を棒に振らせました。文部科学省と大学関係者は、また同じ悲劇を生み出そうとしています。そりゃ、法科大学関係者としては、卒業生の7~8割が新司法試験に合格してくれれば「後は野となれ山となれ」ということで、卒業生が法曹資格取得後路頭に迷おうとも、そんなことはどうでもよいことでしょうけど、でも、それはあまりに無責任すぎないでしょうか。
 

Posted by 小倉秀夫 at 01:50 AM dans D'autre problème de droite |

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Commentaires

こんばんは。
あるHPからここにたどり着きました。
私は司法改革国民会議の意見に大賛成です。
なぜなら、7,8割の合格率に達しない法科大学院であれば、誰もローにいこうとせず司法改革の理念は根底から崩れ去るからです。
>法曹三者の側に問題があって「法科大学院修了者の3割あるいは2割しか合格できない」ということになったかのごとき緊急声明は、法曹三者の一員として、非常に不愉快です。
とおっしゃってますが、その通りじゃないですか?
法曹三者が既得権益を確保しようと、司法試験合格者を著しく制限しててきたのは周知の通りでしょう?
文部科学省やローに責任転嫁するのはやめていただきたいですよ。不愉快なのは彼らのほうじゃないですか。
反省すべきなのは法曹三者のほうです!

大体司法試験は資格試験です。
一定程度の学力があれば、全員合格させるべきなんです。なんで定員を設けるのかわかりません。
法曹の数は市場原理で決まるべきですよ。わざわざ、事前に制限すべきものではありません。現在の司法試験は職業選択の自由を制限するものですよ。
今までの法曹三者は、既得権益の確保にやっきになって、合格者拡大を阻んできましたね。ローができても制限しようとするのは本当に憤りさえ感じます。
もう少し、後から入ってくる後輩たちに対して、暖かい目でみてやれないですかね。

Rédigé par: ぐっちっち | 26 oct. 2004, 18:50:06

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