精密ではあるが正確ではない刑事司法
我が国の刑事司法は「精密司法」といわれることがあります。広辞苑によれば「精密」とは「くわしくこまかいこと」だそうですが、そういう意味であれば「精密」といえるかもしれません。検察は、被告人の生い立ちから趣味嗜好まで、どうでも良さそうなことまで立証しようとします。
しかし、我が国の刑事司法は、「精密」ではあっても「正確」なものではありません。残念ながら、裁判所も検察も、「実体的真実」の追究にあまり熱心ではないからです。いわゆるWinny正犯事件において、裁判所が弁護人の弁護活動について判決文の中で難癖をつけた件は、図らずも我が国の刑事司法のこの病理を明らかにしたものということができます。
警察官も、検察官も、犯罪捜査のプロではありますが、神様ではありませんので、時に間違えることがあります。そして、間違いに自分で気が付くというのは得てして難しいものです。したがって、警察官や検察官の捜査活動を批判的に検証する弁護人の活動というのは、警察官や検察官の思い違いを排除し、裁判所が真実に近づくのにとても有益です。
そして、「警察官や検察官の捜査活動を批判的に検証する」という活動を弁護人が効果的かつ効率的に行うためには、警察官や検察官が捜査活動を行うにあたって収集した資料を全て(すなわち検察官等に取捨選択させることなく)弁護人に開示し、検証させるのが合理的です。警察官や検察官が捜査活動を行うにあたって収集した資料のうち、被告人が有罪であるとの印象を裁判官や陪審員に与えるであろうと検察官が考えたもののみを弁護人に開示し、そうでないものは弁護人の目の届かないところに隠匿する権限を検察官に認めた場合、検察官が隠匿した資料や、その資料の存在又は内容を知っていたとしたら弁護人が収集できたであろう資料が証拠として法廷に提出されていたとしたら無罪となっていたはずの被告人に刑罰を科してしまうことになるからです。
検察官と被告人(弁護人)を対立当事者として訴訟活動を闘わせることにより実体的真実を追究していこうという当事者主義的な訴訟構造を採用している諸外国においても、訴訟テクニックを駆使して無実の者を刑務所に送り込むゲームをプレイする権限を検察官に与えているところは、少なくとも日本以外にはありませんので、警察官や検察官が捜査活動を行うにあたって収集した資料を隠匿する権限を検察官に与えません。例えば、カナダでは、いわゆるスティンチコム事件における最高裁判決において、「検察の手中にある捜査の成果は、有罪を確保するための検察の財産ではなく、正義がなされることを確保するために用いられる公共の財産である」として検察官は被告人に対して全面的に証拠を開示する義務があるということを判示しました。
ところが、日本では、証拠を隠匿し、これにより被告人を有罪に陥れる権限が事実上検察官に求められており、検察官は頻繁にこの権限を行使します。裁判所は、「弁護人に証拠を開示してあげなさい」と検察官に命ずる権限はあるのですが、この権限を行使したがりません。これは、検察官も裁判官も、実体的真実の追究なんてものにはさしたる関心がないからに他なりません。
Winny正犯事件において裁判所は、
弁護人は,裁判所に対し,証拠の取調を請求するに当たり,虚偽の事実を告げたものといわざるを得ない。このように裁判所に対して虚偽の事実を告げて証拠請求をするなどという弁護活動は,裁判所と弁護人との間の信頼関係を著しく損ない,事件の審理ひいては実体的真実発見にも多大な悪影響を与えかねないものであって,弁護士倫理の観点からも到底許されるものではないと判示しています。しかし、弁護人が、検察側の立証の問題点を明らかにするために、検察側が保有していて出したがらない資料を証拠として取り調べてもらう必要はあると判断したのであれば、その資料について取調べを請求するのは当然のことであって、虚偽の事実を告げなければこの要求に応じないという裁判所の姿勢こそが問題であると言えます。この程度の証拠取調べ請求を行うのに虚偽の事実を告げなければならないとすれば、既に弁護人の裁判所に対する信頼はとっくに損なわれているということができるわけですし、捜査機関が作成・収集した証拠を、弁護人が取捨選択して証拠として取り調べてもらうということは実体的真実の発見に資することはあっても、多大な悪影響を及ぼす危険などないとすら言えます。
なお、日本の刑事司法が実体的真実の発見に無関心と思われる事情としては、他に、弁護側の証拠取調べ請求を取り上げることに対する裁判所の消極性や、弁護人による反対尋問の成果を判決に反映させることに対する消極性(刑事訴訟法321条1項2号が簡単に適用され、密室で作成された検面調書の記載が公開の法廷での証言よりも優越的に採用されます。)等をあげることができます。
で、さらに議論を広げるとすると、「100年に一度の司法改革」等といいながら、諸外国並みの、全面的証拠開示義務を検察側に負わせなかった今回の司法改革は、少なくとも刑事司法に関していえば、無実の者を刑務所に送り込むゲームをプレイする権限を検察官に与え続ける、救いようのない改革であるということができそうです。
Posted by 小倉秀夫 at 02:22 AM dans D'autre problème de droite | Permalink
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Voici les sites qui parlent de: 精密ではあるが正確ではない刑事司法:
» 「精密ではあるが正確ではない刑事司法」なのか? de 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」
小倉弁護士のブログで取り上げられていた http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2004/12/post_15.html ... Lire la suite
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