脱落者を出さないロースクール
落合弁護士のBLOGによると、大宮法科大学院の宮澤節生教授が昨日の日経新聞で「新司法試験の単年度合格率 理念維持へ最低5割」などといったテーマで寄稿されたそうです。
「法科大学院の理念」を大切にするならば、「法科大学院の理念」に沿った法科大学院による教育を軽視して、在学中から予備校教育に頼る学生については、「進級・卒業させない」という選択を各法科大学院が行えば済むだけの話ですね。実際、卒業生の司法試験合格率が5割を超えているという米国のロースクールは、当該ロースクールで行われている教育に対して手抜きをしているような学生は脱落して行かざるを得ない(といいますか、手抜きをしていなくとも、能力の劣る学生も脱落していってしまう)システムを採用しており、ロースクールの卒業資格を得るということ自体が大きな試練になっているわけです。さらにいうならば、米国のロースクールにおいては、ロースクールにおける成績が良くないとまともな就職先が見つかりにくかったりするわけで、そういう意味でも、ロースクール自体が厳しい「淘汰の場」となっているわけです。
実際、1年間で入学者の15%が脱落していくと仮定すると、未習者コースで入学者の55%、既習者コースで入学者の70%しか法科大学院を終了できず、したがって、新司法試験を受験できないわけですから、第1回目の新司法試験の合格者数を800人とし、徐々に1500人まで引き上げるという施策をとると(500名程度は旧司法試験ないし予備試験枠)、だいたい新司法試験の単年度合格率は4~50%に近づいていくのではないかと思います。
ところが宮澤教授等法科大学院関係者の話を聞いていると、従来の法学部の感覚が抜けていないのでしょうか、どうも、法科大学院の入学者のほとんど全員が法科大学院を卒業できるということが暗黙の前提となっているようです。つまり、日本の法科大学院は、米国のロースクールとは異なり、それ自体が「淘汰の場」となることを基本的に予定していないようです。これで、「新司法試験の単年度合格率を50%にせよ」といわれても、困ってしまいます。比較的弁護士資格を得やすいといわれる米国の法曹養成制度だって、そんなに甘くはありません。
宮澤教授は、法曹の質は市場原理に委ねればいいといっているそうですが、それならばそもそも法科大学院制度自体不要だというべきでしょう。
Posted by 小倉秀夫 at 03:44 PM dans D'autre problème de droite | Permalink
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Voici les sites qui parlent de: 脱落者を出さないロースクール:
» 司法制度を支える法曹の在り方 de 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」
宮澤氏が所属されている大宮法科大学院大学のサイト http://www.omiyalaw.jp/index.html では、「司法制度改革審議会意見書ー21世紀の日本を支える司法制度ー」(平成1 ... Lire la suite
Notifié: 12 déc. 2004, 20:14:48
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Commentaires
はじめまして、失礼します。
年15%の法科大学院生の脱落を仮定していますが、
実際アメリカではどのくらいの生徒が最終的に卒業できないのでしょうか?
ご存じでしたら教えていただけると幸いです。
Rédigé par: yakan1 | 24 févr. 2005, 17:20:33
井上さん、科挙でしたね。
「か」で始まる言葉という記憶がありましたが、ご指摘があるまで忘れていました。
法科大学院のカリキュラムなど見たことがありませんが、誰でも卒業出来るような甘い世界だとしたら、卒業時に修士ではなく、マイクロソフトのMOUSのように誰でも取れる資格程度にしたらいいなと思います。
☆井上さんもブログをやってらっしゃるのでしたら、アドレスを教えてください。落合さんのお友達はお話が面白い方が多いようなので、勇気を出してコメント欄に投稿して良かった♪
Rédigé par: koneko04 | 21 déc. 2004, 14:33:58
>昔の中国の宦官の試験だったかしら?
科挙です。「科目選挙」の略。宦官ではありません。官僚登用試験。男なら誰でも受験できました。清代で、だいたい3000人に1人の合格率でした。最初の試験から最終試験まで、6次ものペーパーテストがあり、最後は口頭試問(この辺、司法試験とちょっと似てます)。
宮崎一定「科挙」(中公新書)にはその模様が歴史を追って書いてありますが、著者の結論は、「官吏養成のための学校教育にはコストがかかるから、教育をせずに安直に試験にばかり寄りかかった結果、能力を高めた結果試験に合格するのではなく、試験に合格するためだけに学習するという本末転倒な現象が生じ、しかも試験内容が古典の暗記や詩歌の作成といったもので、実用とかけ離れていた。科挙の効用は、優れた人材の発掘というより、貴族たちの係累を政権中枢から遠ざけ、地縁血縁とは無縁な一般人から官僚を採用することで、皇帝権力を強化することだった」
としています。
Rédigé par: 井上 | 21 déc. 2004, 05:51:46
落合先生は4年次に、私ですら5年次に合格しているのですから(二人とも東大出なんかではありませんし)、現行司法試験は極端に難しい試験ではもともとなかったといえます。
ただ、従前は法学部の教員は必ずしも教育熱心ではなかったので上から500人くらいしか使い物にならなかったということでしょう。で、教育熱心な法科大学院の教育のもとで使い物になるのが上から何名くらいでるのか、現状ではよく分からないとしかいいようがないのですが。
Rédigé par: 小倉 | 21 déc. 2004, 01:19:16
一人ずつの成績には当然(試験ごとに成績が違うという意味で)エラーバーが付くわけですが、個人成績のエラーバーの大きさが合格者成績のエラーバーより十分に小さければ、「もともと合格できない人は3回受けてもまず合格しないし、もともと合格できる人は番狂わせがあっても、3回受ければまず合格できる」という設定を保つことはできると思います。
現在手元で計算中ですが、個人成績および全体の成績が正規分布に従うと仮定すれば答えが出せそうです。
Rédigé par: きたじま@織姫 | 20 déc. 2004, 17:01:29
小倉先生、こんにちは〜☆
落合先生にブログのアドレスを教えて頂きましたので遊びに来ました。
昔の中国の宦官の試験だったかしら? とんでもなく膨大な量の知識があっても合格するのは奇跡であるような非現実的な試験では(司法試験は)ないですよね?
とすると、司法試験の合格率は一桁だったと思いますが、試験に受かるように勉強の計画を立てて効率的に勉強したら受かるのかなと勝手に想像しています。
もし大学が法学部で大学院でも法律を専門に勉強したのであれば、単純に計算して6年間も法律全般を勉強して来たことになります。それだけの時間を割いて然も予備校などにも通っても司法試験に受かることがないとしたら、その人は弁護士などの法律の専門家には向いていないのではないかなと思います。
そういう法曹界に不向きな人材を法曹界に送り込む機関にロースクールがならないことを祈っています。
Rédigé par: koneko04 | 20 déc. 2004, 14:54:19