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12/26/2004

毎日新聞のレベル

 毎日新聞社も、司法改革に関して社説 を掲載したようです。
 
 この社説も、「ろくに事実関係を調査せずに記事を作成する」日本のマスメディアの体質がにじみ出ています。
 「同大学院修了を受験資格とする新しい司法試験では、修了者の7割から8割が合格する見通しとされていた。」なんて言ってしまっていますが、それは少なくとも法科大学院の総入学者数にあわせて新司法試験合格者数を設定せよという意味では、法曹養成システムとして法科大学院制度を選択することとした際には、全然言われていなかったのであって、「修了者の7割から8割」というのはむしろ各法科大学院に対して法科大学院修了のレベルをそこまで引き上げろという意味で用いられていたことは、過去の議事録等を調べれば分かることです。法科大学院による教育の結果、法科大学院修了者の上位7~8割がどの程度のレベルにまで到達したかを問わず、彼らを全て新司法試験に合格できるようにしようということについては、当時コンセンサスとして成立していなかったわけです。
 
 毎日新聞は「新制度への期待感の表れか、予想を上回る68校の同大学院が開設され、定員も6000人規模に膨らんだことの影響も無視はできない。しかし、新試験の合格率を抑えれば、同大学院の予備校化を招き、改革を逆行させかねない。」というのですが、「法科大学院の理念に従った学習をしない」学生を各法科大学院が卒業させなければそういう事態は発生しないわけですし、そもそも「プロセスとしての法曹養成制度」としての法科大学院制度において、その「プロセス」を担う法科大学院は、質的に問題がある者が法曹とならないように「プロセス」の中でこれを除去する役割を担っているはずなのであって、その役割を果たす気のない法科大学院が「法科大学院の理念に従った学習をしない」学生までも法科大学院を卒業させることを当然の前提としていることこそが「改革を逆行させかねない」のです。
 
 それに「法務省などには合格者の質の低下への懸念があるというが、そもそも資格試験に合格枠を設定するのも奇妙な話だ」というけれども、「法科大学院→新司法試験→司法研修所→二回試験」というプロセスを採用した時点で「合格枠」≒「司法研修所の入所定員」が設定されるのは当然のことです。
 
 もっと根源的なことをいえば、毎日新聞の社説は「超難関のため多くの受験生は大学より司法試験予備校に通い、マニュアル化した受験教育を受けているのが実情だからだ。合格するために有名大学に、有名大学に入るには有名高校にといった受験偏重主義も幅を利かせている。」というのですが、「超難関のため多くの受験生は大学より司法試験予備校に通い、マニュアル化した受験教育を受けているのが実情」ということと「合格するために有名大学に、有名大学に入るには有名高校に……といった受験偏重主義も幅を利かせている」ということは一見して矛盾しているように思われます(大学に通わなくとも司法試験予備校に通えば合格できる程度のもので現行司法試験があるならば、「合格するために有名大学に、有名大学に入るには有名高校に」なんていう受験偏重主義は意味がないし、むしろそれは「法学部出身者に限らず、幅広い分野から人材を受け入れ」るのに役に立っているではないかとも言えそうです。)。
 
 また、「その結果、20年近くも受験勉強を続けた者が裁判を担うようになり、人情の機微に通じていない法律家が生まれたり、いびつな司法判断が目立つ、といった指摘を受けるようになっていた。」と毎日新聞がいう場合の「受験勉強」の始期をどこに捉えているか今ひとつ分からないのですが、現行司法試験において、現役又は1浪程度で大学に入学し、そのまま受験勉強を続けて、30台を超えてようやく司法試験に合格するという「苦節十数年」型の合格者というのは非常に例外的な存在であることはきちんと取材すれば容易に分かる話ですね。それなのに、現行司法試験が超難関であるがために、「20年近くも受験勉強を続けた者」がやっと合格するのが一般的であるとの誤解を招きかねない表現をするのはいかがなものかと思います(しかも、そういう例外的な方はほとんど裁判官になっていないのだから、それが「いびつな司法判断が目立つ」原因には全然なっていないことは明かですし。)。
 
 それに、法科大学院制度って、「人情の機微に通じた法律家」を生み出すのに役立つ制度でないことは明らかです。法科大学院制度を採用し、かつ、法科大学院入学者は、高額の学費を納め続け、かつ、3年間法科大学院の教員たちに表立って楯突かずにやり過ごせばその7~8割が新司法試験に合格できるようにすれば「人情の機微に通じた法律家」が生まれるだろうだなんて、馬鹿げた話です(だいたい、大手マスメディアの多くは、超難関の大手マスメディアに苦労せずに入社した「コネ入社組」を少なからず抱えているのだから、彼らが「正規入社組」と比べて「人情の機微に通じ」ているかどうかなんてことはよく知っているはずだと思うのですが。)。
 
 毎日新聞社は、この程度のことも分からない人が社説を書くポジションにいるということでしょうか。あるいは、その程度のことは実は分かっているけれども、広告料収入のことを考えると、たくさんの法科大学院が乱立する状態が望ましいと考えてあえて国民を騙そうとしているのでしょうか。

Posted by 小倉秀夫 at 11:21 AM dans D'autre problème de droite |

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Commentaires

 この社説によると、「市民が利用しやすい裁判制度の実現には、法曹人口の大幅増員が必要とされ」とありますが、市民が紛争解決手段として、裁判を利用しにくい理由は、弁護士の数じゃないんですよ。弁護士費用と裁判官の数です。
 100万円の売掛金回収に50万円使うんでは割が合わないし、裁判官が仕事が忙しくてじっくりと話を聞いてくれないというのでは裁判にしても意味がありません。
 裁判費用助成制度の充実、裁判官の増員。どちらも膨大な国費を必要とします。

Rédigé par: 井上 | le 12/29/2004 à 07:11

 日本の学校で、入学時定員が卒業までに半分以下になるような学校なんてありましたっけ?ないですよ。70年代までのドイツのギムナジウムのようなものは日本にあった験しがないのです。
 厳しい選抜と教育の両方を同時に行うような学校文化のない日本で、ロースクールだけがプロセスで不適格者を排除しろといっても、それは無理です。
 大学教員には、学生を厳しく評価するだけの自信も力量もないでしょう。不適切な成績評価で退学させられれば、確実に訴訟になりますので、訴訟で負けない程度の客観性は不可欠です。そういう取り組みの蓄積もありませんし。
 つまり、最初からロースクールは破綻することが運命づけられていたんだと思うしかないんではないでしょうかねえ。卒業者の、せいぜい25%しか合格しないような状況では、講義や演習は適当にこなして浮いた時間で司法試験の勉強をした方が得になります。以前の法学部とどこが違うんでしょう。公務員試験や司法試験の受験予定者は、大学にはあまり来ないで、予備校に通っているというような。
 年限が延びただけコストがかかって、余計に悪い制度になったとも言えます。

Rédigé par: 井上 | le 12/27/2004 à 10:22

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