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07/28/2006

coup de boule

 サッカーW杯決勝戦でのジダンの頭突き事件は世界に衝撃を与えました。

 で、フランス人は、衝撃のあまり、頭突きをテーマとする楽曲を作ってしまいました。

 その名も「coup de boule」(「頭突き」の意味)です。

 なお、この「coup de boule」(敢えてカタカナで書けば「クドゥブル」くらいでしょうか。)ですが、今週のフランス・シングルチャート第2位です(1位は、「ZIDANE Y VA MARQUER」ということで、ジダンもので1・2フィニッシュです。)。

 なお、「coup de boule」のリフレイン部分の歌詞は、

Zidane, il a frappé, Zidane, il a tapé
となっており、だいたい「ジダン、彼はぶつかっちまったぜ、ジダン、彼は攻撃してしまったぜ」くらいの意味だったりします。

Posted by 小倉秀夫 at 11:10 PM dans musique | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

著作権の保護期間延長の既存著作物への遡及適用における不公正性の緩和に関する一提案

 映画の著作物以外の著作物についても、著作権の保護期間を50年から70年へと延長することを求めることで、関係団体が一致したというニュースが流れています。

 著作権の保護期間の延長は、既に創作されている著作物について遡及的に適用される場合には、「既得権の擁護」以上の意味を持ちません(「新たな創作活動の障害」などのマイナスの意味ならもつのですが。)。なにしろ、創作のインセンティブは過去に遡ることはありませんから。したがって、「既得権益を打破して活力のある社会を作ろう」みたいなことを言っている新自由主義者が既存の著作物にも遡及する形での著作権の保護期間の延長論に賛意を示していたら、その人の「既得権益を打破しよう」的な態度はいわゆる「似非」だと言ってしまって差し支えないでしょう。

 また、著作権の保護期間の延長による利益が専ら現在の著作権者に帰属するというのはあまり公正ではありません。短かった保護期間を前提に著作権を譲渡しあるいは一括して許諾料をもらい受けた著作者は、保護期間が延長されたことによる著作物の経済的価値の増加分につき、現在の著作権者から更なる給付を受ける権利が認められて然るべきです。また、その著作物が第三者の著作物の二次的著作物であった場合、当該原著作物の著作権者(だった者)に対して、その原著作物についても延長された保護期間が適用されていたら保護されていたであろう期間分につき、使用料相当金を支払うのが公正なのではないかと思います。

 それらの負担を覚悟した者だけが、著作権の保護期間延長の既存著作物への遡及適用を主張できる(その意思を表明するための登録制度を用意する)ということにすれば、著作権の保護期間延長の既存著作物への遡及適用の不公正性は少しは緩和されそうな気がします。もちろん、それでも、「インセンティブ論」からの正当化の困難性という問題は残るわけですが。

Posted by 小倉秀夫 at 12:03 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

07/13/2006

2006年秋期弁護士研修講座

 東京弁護士会弁護士検収センター運営委員会が企画されている「2006年度 秋期弁護士研修講座」の一環として、9月7日に、著作権関係で、講座を1つ担当することになりました。

 具体的に何を話すのかは全く白紙状態なのですが。

Posted by 小倉秀夫 at 03:48 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

07/05/2006

アクセス可能性の有無から蓋然性の高低へ

 依拠性を推認させる間接事実として、先行著作物への「アクセス可能性の存在」をあげる見解があります。中には、複製権・翻案権の侵害の存在を主張する側が、被疑侵害者の先行著作物への「アクセス可能性」があったことを主張立証した場合には、複製権・翻案権の侵害の存在を否定する側が、被疑侵害者が先行著作物に依拠しなかったことを積極的に主張・立証しない限り、依拠の存在が推認されるとする見解もあります。

 ただ、「アクセス可能性」の「有無」を問題にしてしまうと、先行著作物が広く公衆に対して提示または提供されている場合には、抽象的には被疑侵害者を含む何人にも先行著作物への「アクセス可能性」があったといえるわけで、その程度の事実が主張立証されてしまうと、被疑侵害者が先行著作物に依拠しなかったことという積極的立証が非常に困難な事実を立証しなければ依拠が推認されてしまうというのは非常に難儀なことです(例えば、ネット上にアップロードされている文章には、誰にでもアクセス可能性がありますが、だからといって「その文章にアクセスしなかったことを積極的に立証できなければ依拠があったと推認するのだといわれてしまうと、結構困ってしまいます。)。

 実際のところ、「被疑侵害者による先行著作物への依拠」という要証事実の存在の蓋然性は、先行著作物への「アクセス可能性」の有無できっぱりと左右されるというよりは、先行著作物への「アクセスの蓋然性」の高低により段階的に決まっていくのではないかと思います。そして、先行著作物へのアクセスの蓋然性があまり高くない場合は、「先行著作物と偶然に共通・類似することのあり得ない度」が相当高い等、依拠性を強く推認させる他の間接事実がある場合に限って、依拠性の存在を推認することが許されるのではないかという気がします。

 このように先行著作物への「アクセスの蓋然性」の高さと「先行著作物と偶然に共通・類似することのあり得ない度」の高さとを相関させることにより依拠性が推認できるという見解に立つと、記念樹事件において東京高裁が、あの程度の間接事実であっさり「依拠性」を推認してしまったことが何とか説明できるのではないかと思います(高裁の裁判官は、「どこまでも行こう」と「記念樹」との間の「先行著作物と偶然に共通・類似することのあり得ない度」を相当高く見積もっていたことは判決文から明らかです。)。

Posted by 小倉秀夫 at 01:58 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)