アクセス可能性の有無から蓋然性の高低へ
依拠性を推認させる間接事実として、先行著作物への「アクセス可能性の存在」をあげる見解があります。中には、複製権・翻案権の侵害の存在を主張する側が、被疑侵害者の先行著作物への「アクセス可能性」があったことを主張立証した場合には、複製権・翻案権の侵害の存在を否定する側が、被疑侵害者が先行著作物に依拠しなかったことを積極的に主張・立証しない限り、依拠の存在が推認されるとする見解もあります。
ただ、「アクセス可能性」の「有無」を問題にしてしまうと、先行著作物が広く公衆に対して提示または提供されている場合には、抽象的には被疑侵害者を含む何人にも先行著作物への「アクセス可能性」があったといえるわけで、その程度の事実が主張立証されてしまうと、被疑侵害者が先行著作物に依拠しなかったことという積極的立証が非常に困難な事実を立証しなければ依拠が推認されてしまうというのは非常に難儀なことです(例えば、ネット上にアップロードされている文章には、誰にでもアクセス可能性がありますが、だからといって「その文章にアクセスしなかったことを積極的に立証できなければ依拠があったと推認するのだといわれてしまうと、結構困ってしまいます。)。
実際のところ、「被疑侵害者による先行著作物への依拠」という要証事実の存在の蓋然性は、先行著作物への「アクセス可能性」の有無できっぱりと左右されるというよりは、先行著作物への「アクセスの蓋然性」の高低により段階的に決まっていくのではないかと思います。そして、先行著作物へのアクセスの蓋然性があまり高くない場合は、「先行著作物と偶然に共通・類似することのあり得ない度」が相当高い等、依拠性を強く推認させる他の間接事実がある場合に限って、依拠性の存在を推認することが許されるのではないかという気がします。
このように先行著作物への「アクセスの蓋然性」の高さと「先行著作物と偶然に共通・類似することのあり得ない度」の高さとを相関させることにより依拠性が推認できるという見解に立つと、記念樹事件において東京高裁が、あの程度の間接事実であっさり「依拠性」を推認してしまったことが何とか説明できるのではないかと思います(高裁の裁判官は、「どこまでも行こう」と「記念樹」との間の「先行著作物と偶然に共通・類似することのあり得ない度」を相当高く見積もっていたことは判決文から明らかです。)。
Posted by 小倉秀夫 at 01:58 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | Permalink
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