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10/31/2006

日本に足りないのは

 読売オンラインに、松田 陽三さんという編集委員の方による、「知財立国への道険し」という記事が掲載されています。その中に、次のような記述があります。

 エンターテインメント業界のビジネス事情と世界各国の法律の両方に通じている弁護士が足りない。日本の芸術家や製作会社の代理人として、外国の映画、音楽会社とのタフな交渉をこなせる日本人弁護士は4人程度しかいないという。

 松田編集委員は、何を根拠にそのようなことを言っているのか疑問です。日本に足りないのは、「日本の芸術家や製作会社の代理人として、外国の映画、音楽会社とのタフな交渉をこなせる日本人弁護士」ではなく、日本の法曹事情に精通していて、正しい情報を国民に伝達できるマスコミ人なのではないかという気がしてなりません。

 さらにいうと、日本の芸術家や制作会社の代理人として日本の弁護士が乗り込んできたときに、弁護士との交渉を厭わない日本の映画、音楽会社が乏しいことをまず報ずるのが先なのではないかという気もします。米国のエンターテインメイントロイヤーというのは、まず国内業務で業務の基盤を形成できるからこそ、エンターテインメントロイヤーとして専業化できるのであり、日本のようにエンターテインメントロイヤーには国内業務の需要が乏しいところでは、エンターテインメント部門は「特筆すべき分野」の一つにカウントするのがせいぜいということになります。それに、国内業務が乏しいところでは、なかなか実務経験が付かなかったりします。

 ということで、読売新聞社として「日本の芸術家や製作会社の代理人として、外国の映画、音楽会社とのタフな交渉をこなせる日本人弁護士」が少ないことを嘆くのであれば、系列の日本テレビや日本テレビ音楽(株)等から、「日本の芸術家や製作会社の代理人として」弁護士が交渉の場に立つことを受け入れたらいいのではないかと思います。

 でも、読売系列のプロ野球球団において選手の代理人として弁護士が交渉窓口に立つことをきちんと受け入れられているのかということを考えると、読売系列には難しすぎることをいってしまったような気もします。

Posted by 小倉秀夫 at 11:17 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

002  はじめに(02) 「コンテンツ振興」とは

 もっとも、一口に「コンテンツ振興策」といっても、そもそも何をもって「コンテンツ振興がなされた」とみるのかが問題です。このあたりの話というのは、各人が置かれている立場やもっているイデオロギー等でてんてんばらばらになるので、議論したって見解の一致などでるはずもありません。

 ということで、私としては、「より多くの人がコンテンツをクリエイトしまたはパフォーマンスすることを生業とすることができるようになること」をもって「コンテンツ振興がなされた」とみることとします。

 ここで重要なのは、クリエイターとパフォーマーを中心に置くということです。もちろん、クリエイターとパフォーマーだけではコンテンツを製作して需要者の元に届けることは大変なわけで、したがって、クリエイターとパフォーマー以外のステークスホルダーの利害にも一定の配慮をしないとコンテンツ振興など覚束ないのですが、とはいえ、それらステークスホルダーの権益保護というのは、コンテンツ振興の目標の一つではなく、あくまで「手段」としてとらえていくということです。

 もう一つ重要なことは、コンテンツをクリエイトしまたはパフォーマンスすることを生業としていかれる人々を増やしていくことです。コンテンツについていえば、「数を打たないとあたらない」という側面がありますので、裾野の広さは質の高さを導く大きな要素ともなります。もちろん、突然天才が現れ、質の高いコンテンツを残して去っていくということもあり得なくはありませんが、そういう偶然の要素に過度に期待するのはもはや「政策」とはいいがたいように思います。

Posted by 小倉秀夫 at 01:27 AM dans 規制強化に頼らぬコンテンツ振興策 | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

10/27/2006

YouTubeリンクと引用

 YouTubeへの動画リンクについて、ITmediaのIT戦士こと岡田有花さんから取材を受けていたのですが、その結果岡田さんがまとめられた記事がようやくITmediaに掲載されました。

 テレビCM等の批評サイトにおいて、批評の前提として、読み手に批評の対象となる「動き」を示すためにYouTubeにキャプチャー動画をアップロードして、批評エントリーからリンクを貼るという行為が、著作権法第32条第1項の適法な引用の要件に合致するかという問題は、今年の学部のゼミでも取り扱ったのですが、「自らアップロードしてリンク」の場合と異なり、「他人による違法アップロード動画にリンク」の場合、「自動公衆送信の幇助」が著作権法第32条第1項にいう「利用」にあたるのかという問題を孕んでいて、条文解釈的には一段階複雑だったりはするのです。

Posted by 小倉秀夫 at 11:31 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (1) | TrackBack (1)

10/25/2006

001 はじめに(01)

 昨日、東京国際映画祭におけるエンターテインメントロイヤーズネットワークのブースにおいて法律相談を4時間ほど担当していました(一応、発足時メンバーだったりします。)。

 法律相談を終えた後レセプションに向かう途中でS弁護士と雑談をする中において、コンテンツホルダーやその周辺にいる人達は、著作権法等による流通等の規制を強化することなくしては、創作者たちは早晩やって行かれなくなると本気で思っているように感じました。

 しかしながら、流通側の代理人として、あるいはクリエイター側の代理人として、あるいはいち消費者として、あるいは学生と接する教員として、現在の日本のコンテンツビジネスを改めて見直してみると、著作権等の規制強化に頼ってみたところでコンテンツビジネスを発展させることはおろか現状維持を図ることすらできない反面、著作権等による規制を最大限利用しなくとも、否、最低限度の利用に留めることにより、コンテンツビジネスをより発展できるように私には思えてならないのです。

 そこで、このブログにおいては、「規制強化に頼らぬコンテンツ振興策」について、不定期連載をしていこうと思います。

Posted by 小倉秀夫 at 07:54 PM dans 規制強化に頼らぬコンテンツ振興策 | | Commentaires (1) | TrackBack (0)

10/20/2006

休眠著作物にも税金を

 現在、税務上、著作物の価額は「年平均印税収入の額×0.5×評価倍率」として算定されています(財産評価基本通達148)。これだと、著作権者がその著作物をを誰にも活用させず眠らせておいた場合には、税務上、価格0円として扱われることになります。

 ただ、この考え方というのは、著作物の財産的な価値は孫子の代まで経済的な対価を期待できる点にある(それが期待できないのであれば創作のインセンティブが湧いてこない)という考え方とはあまり整合性がとれないように思います。実際に賃料収入等を得ていなくとも不動産の価格が0査定されないのと同様に、著作物についても、実際に印税収入を得ていなくとも、積極的に活用した場合に得られるであろう印税収入等からそのあるべき取引価格を推計して財産評価を税務上すべきなのではないかという気がしなくもありません。まあ、著作物といっても範囲が広いので、商業的な「コンテンツ」に限定した話でもよいのでしょうが。

 で、著作物をパブリックドメインに出したり、CC等により不特定人に向けて無償で許諾を行ったりした場合に限り、税務上0査定とすることにすると。

 そうすることにより、著作物が著作権者のもとで活用されずに囲い込まれるという事態をだいぶ防ぐことができるのではないかと思わなくはありません。

Posted by 小倉秀夫 at 01:47 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (1)

10/19/2006

PC向け有料音楽配信サービスのあるべき価格と配分

 中央大学での来年度の著作権法ゼミのゼミ員を募集したところ、今年は募集定員を大きく超える応募がありました。この週末は、ゼミ選抜用のレポートの読み込みに充てなければならなくなりそうです。

 なお、今年のレポートの課題は、下記のとおり、至ってシンプルです。

PC向け有料音楽配信サービス(ただし、携帯型プレイヤーに音源データを転送できるもの)において1ダウンロードあたりの料金は幾らとするのが妥当か、また、その場合徴収された料金は誰に幾ら配分されるべきかを、理由を付して論じて下さい。

Posted by 小倉秀夫 at 11:10 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

10/16/2006

「プログラマーの常識」と「著作権法の建前」の乖離

以前、ゲームラボに載せたコラムを一部手直ししたものです。


 私が被告代理人として参加した「さきがけ」事件の地裁判決を事務所のウェブサイトにアップロードしたところ、Slashdot.jpでだいぶ話題になり、あの小飼弾さんまでそのブログで取り上げて下さったようです。

 特殊な業務に特化したデータベースソフトについていえば、どのような項目をデータ項目として組み入れまたは組み入れないか、あるいはどの項目とどの項目とに関連性をもたせるのか等の仕様確定までの道程が大変です。クライアントである事業者は従前一定の法則に従って業務を処理してきたはずで、これをクライアント側でわかりやすく図式化ないし言語化してくれればあっさり仕様確定ができるのでしょうが、実際にはそういうきっちりとしたクライアントというのはそれほど多くはなく、多くの場合、クライアントの発言の端々からクライアントの業務準則を推測し、確認しながら、SE主導で仕様を確定していかざるを得ないというのが実情でしょう。

 そして、データベースソフトとしての仕様が確定してしまえば、その仕様を満たすようなプログラムをコーディングする作業自体は、ミスの許されない骨が折れる作業であるにせよ、華麗な工夫が求められるような作業ではありません。特に、 Delphi等のような便利な開発ツールが用意されている現在、ウィザード機能を利用することによって、プログラマーとしての特別な訓練を受けていない人でも、実用に耐えうるプログラムを作成することが可能となっています(例えば、弁護士業界でも、関根稔弁護士のように業務用の小ネタアプリを開発して公開されている方がおられます。)。

 コンピュータプログラムを著作権法で保護するのか、特許法ないし特許法類似の工業所有権法で保護するのかについては昭和の御代には争いがありましたが、結局外圧に負けて著作権法で保護することになりました。著作権法で保護する以上は、「アイディアは保護しない」「アイディアの凡庸な表現は保護しない」という著作権法の基本原則は、プログラムにおいてもなお妥当するといわざるを得ません(その後、プログラム関連発明も特許として受け付けることになりましたが、特許法によりアイディアの保護を受けるためには特許申請を行い、これが特許庁により認められる必要があります。)。

 したがって、仕様確定までの段階でどんなに創意工夫が必要であったとしても、仕様自体は「アイディア」であって著作権法による保護の対象とはならないし、コーディングが如何にミスの許されない骨の折れる作業であったにせよ、創意工夫が発揮できる領域ではない以上、著作権法による保護の対象とはならないという結果が導き出されるのは仕方ないということになります。

 Slashdot.jp等での議論を拝見させて頂く限り、このあたりのことについての技術者とおぼしき方々の不満は大きいようですが、無登録主義の簡便性や保護期間の長さ等に目がくらんでプログラムを著作権法で保護することにしてしまった以上、「プログラマーの常識」と「著作権法の建前」とが乖離するのはやむを得ないことです。原告プログラムの著作物性をクリアしたところで、被告プログラムが侵害品となるためには、表現=ソースコードの同一性ないし類似性を原告が主張立証していかなければならないのであって、さらにいえば、機能(=アイディア)がどんなに似通っていたところでそのことから表現=ソースコードの同一性ないし類似性を推認することも許されない(「その機能を具備している以上その部分は同じようなソースコードになっているはずだ」という主張をしたが最後、「その部分には創作性がないということですね」と切り返されて終わってしまいます。)ので、「プログラムの著作物」については、デッドコピー以外は複製権・翻案権侵害が認定されにくく、「プログラマーの常識」ではパクリだと思われるものが侵害品とならないということになりがちなのではないかと思います。

Posted by 小倉秀夫 at 09:23 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

10/12/2006

L'or de nos Vies

 Fight Aidsの「 L'or de nos Vies」がフランスシングルチャートの上位をひた走っています(歌詞は、こちら)。まあ、KyoだのJeniferだのといった人気アーティストが多数集まって作った企画ものユニット(目的はグループ名から明らかですね。)なので「売れて当然」といえば当然なのですが。

 しかし、これは「Amazon.co.jp」では買えないのです(「Amazon.com」では買えるのですが。)。それなのに、日本でお買い物をしましょうだなんて!まあ、日本のHMVでもTowerでも取り扱ってくれないので、また、外国のAmazonを頼ることになってしまいます。

Posted by 小倉秀夫 at 01:04 AM dans musique | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

10/10/2006

My Samurai

 日本人女性4人組からなる「Shanadoo」の「My Samurai」がドイツ語圏で大ヒットです(リンク先サイトからPV映像が見れます。)。先週は、オーストリアチャートで15位、ドイツチャートで17位です(今週は少し順位を下げましたが。)。

 歌詞はこのとおりなので、今やヨーロッパでJ−POP(というか、もろパラパラって、ドイツ語サイトでも "Para Para Dance" って表記されていますね。)をヒットさせるには、現地語に翻訳する必要すらないのだなあとしみじみ思ってしまいます。といいますか、日本ではまだヒット曲を出していないアーティストでもヨーロッパで売り出すと面白いですよという、これまで折に触れ言ってきたことが実践されているのは嬉しい限りです。

 知財戦略本部は、既に新たな作品をクリエイトできなくなった「大家」の声ではなく、彼女たちのような実践者の話を聞くのが先なのではないかという気がします。

Posted by 小倉秀夫 at 12:24 AM dans musique | | Commentaires (0) | TrackBack (3)

10/07/2006

李下に冠、天下り

 少し古い話ですが、社団法人日本音楽著作権協会を含む著作権管理団体らは、著作権の保護期間を延長するようにとの要請を文化庁に対して行ったのだそうです。

 私は、著作権の保護期間を延長することには反対ですが、各利益団体が自分たちの利益になるような法改正を政府に要求すること自体は否定しません。様々な利益団体から寄せられる要求を調整することによって「最大多数の最大幸福」を目指す政策が実現していくというのが、民主主義社会の基本だからです。

 ただし、このような調整を行う部門は、対立する利害関係者たちとの間で中立性を保つことが必要です。利害調整部門が一部の利害関係者に偏ったポジションを取っていると、その利害関係者に有利に政策が歪められ、「最大多数の最大幸福」を実現することができなくなってしまう虞があるからです。実際にはその利害関係者に特に有利な政策を採用しなかったとしても、その利害関係者に有利となるような歪んだ政策が採用されたのではないかとの疑心暗鬼を呼ぶことになるわけですから、利害調整役が中立性を保たないことによるデメリットは結構大きいのです。

 日本音楽著作権協会の現在の理事長である吉田茂氏は、元文化庁長官です。吉田氏が日本音楽著作権協会の理事長に就任する以前から同協会は幾度も文化庁に対し自分たちの利益になるような法改正を要求してきたわけで、吉田氏としては、自分が同協会の在任中も文化庁に対し自分たちの利益になるような法改正を要求することになるであろうことは予測できていたはずです。文化庁の元長官が理事長を務める利益団体から政策要求がなされるとき、文化庁は、中立的な利害調整役としての役割を果たせなくなるであろうこと、あるいは、少なくともそのような役割を果たせるとの信頼を失うであろうことは、十分な予測ができたはずです。そうであるならば、吉田氏は、日本音楽著作権協会の理事長に就任するべきでなかったといえます(吉田氏のようなキャリア官僚には、再就職しなくとも、普通に生活する分には一生困らない程度の退職金と年金が支給されるはずです。)。

 日本音楽著作権協会は、今後も単独でまたは他の著作権管理団体と共同で、文化庁に対し一定の政策提言をするつもりがあるのであれば、文化庁のキャリア官僚を理事等に迎えるべきではないし、文化庁のキャリア官僚もそのような団体の理事等に就任すべきではありません。李下に冠を正さず──私は「エリート」に国家のために命を捧げる覚悟など求めませんが、利害調整役としての「国家」の信頼を維持するために、生きている間に使い切れないほどのお金を手にしたいという欲望を自制するくらいのことは求めていきたいと思います。

Posted by 小倉秀夫 at 07:20 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (1) | TrackBack (0)

10/06/2006

「効率よく著作権違反サイトを見つけ出す」のに必要なこと

 国産の検索エンジンを開発する経済産業省の研究会から生まれた産学連携プロジェクト「情報大航海プロジェクト」のCEATEC内のブースで、私の母校である早稲田大学は、「Web検索を活用して著作権のあるコンテンツを探し出し、効率よく著作権違反サイトを見つけ出す技術」のデモを出展したのだそうです。

 「二次的著作物の送信可能化」にまで対象を広げなければ、「効率よく著作権違反サイトを見つけ出す」こと自体は技術的にはそう難しくはないと思うのです。特に、「デモ出展」だと保護すべき著作物の数が限定されていますから、動きもきっとサクサクでしょう(ファイルローグだって、守らないといけない著作物が10や20の単位なら、裁判所の命令に従ったフィルタリングだってできたと思いますし。)。

 ただ、この種の技術の最大の難関は、「著作権違反」か否かを審査するためには、非侵害著作物に関する情報をコンピュータに入力しなければならないというところです。具体的には、著作物たる表現と当該表現の権利者に関する情報が入力されていなければコンピュータはロボット収集してきたサイトが「著作権違反」か否かを判断することができません。「ネット外→ネット」型の著作権違反の場合は「ネット外」で公表されている著作物たる表現を「著作権違反サイトを見つけ出す」コンピュータに取り入れなければいけませんし、「ネット→ネット」の場合は、どのサイトが当該著作物の著作権者ないし著作権者から許諾を得たものによるサイトなのかという情報を入力しなければなりません。

 「著作権法第32条の要件を具備した引用か否か」云々は被疑侵害作品の文面のみから判断できますので意味解析技術の発展により何とかなるかもしれませんが、著作物たる表現と当該表現の権利者に関する情報に関しては、被疑侵害作品を如何に解析しても何の答えも出てきませんので、ここがどうしてもネックになってしまいます。

Posted by 小倉秀夫 at 08:57 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

10/05/2006

地域コードでは海賊版対策はできない。

日経の記事より

地域コードは現行DVDでも全世界を6つに区分する方式が採用され、北米と日本が別区分となっていた。BDは暗号技術を使った高度な複製防止機能が特徴。消費者の利便性などを考慮し、地域コードの全廃も検討されたが、海賊版対策などに悩むハリウッド勢などの意向が反映された。

 海賊版を作るような人たちは、海賊版を販売しようとする地域で再生できない地域コードをわざわざ埋め込むわけがないのですから、地域コード自体が海賊版対策になるわけがありません。地域コードというのは、あくまで正規商品の国際的市場分割のために埋め込まれるものです。中国・インドに低価格のDVDソフトを売り込みに行きたいが、それが日本等に並行輸入されると嫌なので、その対策として中国と日本とを地域コードで市場分割したいというのがおそらく本音でしょう(中国・インド・ロシアとそれ以外に分けるとさすがに露骨なので、日米と欧州を別コードにしただけではないかと思います。)。もちろん、中国では正規品の価格を低廉にしないと海賊版がどんどん作られるので、正規品の価格を引き下げるのだという意味では海賊版対策といえなくもないのですが、それを正直に言ってしまうと、誰も海賊版を作らないと真面目な消費者が高いものを買わされるという意味で犠牲になってしまうということに気付かれてしまうので、それも難しいのでしょう。

 「海賊版対策などに悩むハリウッド勢などの意向が反映された」結果「ブルーレイ・ディスク(BD)」陣営は地域コードを導入したのだというストーリーをどなたが考えたのかわかりませんが、仮にBD側のスポークスマンがそういっていたのだとしたら、それをそのまま記事にするのではなく、それは理に適っていないのではないですかと突っ込むのがまともなジャーナリストというものです。

Posted by 小倉秀夫 at 12:46 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (1) | TrackBack (0)

10/03/2006

立ち読み

 10月1日付の日経新聞朝刊によると、湯川れい子さんによって、今度は書店での立ち読みがやり玉に挙げられているようです。

 自分のお小遣いで新刊が買える範囲内でしか書籍等を読まない人や、読みたい書籍等を新刊で買えるだけのお小遣いがもらえる人にとっては、「立ち読み」等という所業は信じがたいところがあるのかもしれません。ただ、一般には、読みたい書籍等の数や一冊あたりの価格が上昇したからといってそれにあわせてお小遣いが増える人というのは限定されているので、「新刊を買うことなしには書籍等を読むことはできない」というシステムのもとでは、新刊の売り上げが増大して作家たちの懐が潤うということになる可能性よりも、「読書」という娯楽が一部の富裕層に許された贅沢になっていくのだろうという気がします。特に、書籍等が子供たちの知的好奇心を満足させるに足りないものとなる(子供たちがそのお小遣いで新刊が買える範囲内でしか書籍等を読めないということになれば、書籍等という情報流通手段は、好奇心旺盛な子供たちから見放されることになります。)。

 しかも、この種の作家たちは、読者に対しては立ち読みせずに新刊を購入して読むことを要求するのに、それがつまらなかった場合にその書籍等を読者が返品することを認めません。書籍等は、実際に読んでみなければ各消費者にとっての価値がどうなのかわからない特性を持っているわけですし、IT革命以降のマスコミュニケートされる情報の単価の大幅な下落を前提とすると「一回読み捨てれば満足」できてしまう程度の情報の入手手段としては新刊書籍は高すぎるわけですから、何度も繰り返し読みたくなるような内容であることを確認してからでないと、新刊書籍の購入というのはリスクが大きすぎるということが消費者サイドからはいえます。これはバランスを大いに欠きます。

 割高かつリスクの高い商品というのは敬遠されやすくなるのであり、しかも「読書」という娯楽はこれを享受できるようになるためには一定の修練を必要とするわけですから、書店での立ち読みを禁止するなりして「新刊を買うことなしには書籍等を読むことはできない」というシステムを作り上げることは、書籍市場の需要者の裾野を狭めようとするものであって、作家たちにとってもあまり面白いことにはならなそうな気がします。

Posted by 小倉秀夫 at 01:28 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (1) | TrackBack (1)