優先すべき統一性
ネット上ではJASRACを「悪の魔王」かのごとくネガティブに評価する見解が一定の支持を集めているようですが、おそらくそれは的を射ていないのでしょう。管理著作物を無料で利用している人や企業を見つけてはそれらの者から使用料ないし賠償金を徴収するのは彼らの本来的業務の一つだし、そこではでくるだけ広範囲にできるだけ高額の使用料等を徴収することが求められているからです。また、既存のコンテンツをネットで利用する際にむしろ障壁となるのは、JASRACではなく、レコード会社やテレビ局などの隣接権者であるというのがネットビジネスを弁護士としてサポートしてきた私の正直な感想です。
また、裁判に関していえば、音楽著作物の利用に間接的に関与するに過ぎない者に対して訴訟や仮処分を申し立てるJASRACが悪いというよりは、そのような訴訟等が提起された場合に、既存の法理論や裁判例を乗り越えてこれを認容してしまう裁判所に問題があるというべきでしょう。
例えば、大阪地判平成6年4月12日判タ879号279頁は、
弁護人は、カラオケの伴奏部分は適法とされているにもかかわらず、客等の歌唱の部分のみを取り上げて演奏権を侵害するというのは、犯罪構成要件明確性の原則、類推解釈禁止の原則を唱った罪刑法定主義に違反する旨主張するが、カラオケ伴奏自体はやはり歌唱に対して付随的役割を有するにすぎないとみざるを得ず、カラオケ店における客によるカラオケを伴奏とする歌唱が、店の経営者による演奏権の侵害になるという結論自体は前記の判例等から確定的であるといってよい。然るに、民事上は演奏権の侵害とされるのは仕方がないとしても、刑事上は罪刑法定主義の観点から演奏権の侵害にはならないかの如き解釈は、演奏権の概念を徒らに混乱させるものであって、到底採り得ない。演奏権の概念自体は民事上、刑事上を問わず一義的に明確であるべきものであり、また同一内容のものとしてとらえるべきものと解する。と判示しています。しかし、最判昭和63年3月15日民集42巻3号199頁[クラブキャッツアイ事件]は、
けだし、客やホステス等の歌唱が公衆たる他の客に直接聞かせることを目的とするものであること(著作権法二二条参照)は明らかであり、客のみが歌唱する場合でも、客は、上告人らと無関係に歌唱しているわけではなく、上告人らの従業員による歌唱の勧誘、上告人らの備え置いたカラオケテープの範囲内での選曲、上告人らの設置したカラオケ装置の従業員による操作を通じて、上告人らの管理のもとに歌唱しているものと解され、他方、上告人らは、客の歌唱をも店の営業政策の一環として取り入れ、これを利用していわゆるカラオケスナックとしての雰囲気を醸成し、かかる雰囲気を好む客の来集を図つて営業上の利益を増大させることを意図したというべきであつて、前記のような客による歌唱も、著作権法上の規律の観点からは上告人らによる歌唱と同視しうるものであるからである。と判示しているのであり、この「同視しうる」から演奏権侵害の主体とみなしてかまわないのだという民事的な論理を刑事法にそのままスライドさせて「同視しうるから著作権侵害罪の正犯とみなしてかまわない」といいうるのかというと実は疑問です。著作権法の解釈についての民事と刑事との統一性よりは、第三者による刑罰法規に違反しない行為に関与した者を正犯者として処罰しうる場合(ex.間接正犯等)に関する著作権法と他の法律との統一性を優先させるべきではなかったかと思われるからです。
Posted by 小倉秀夫 at 03:24 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | Permalink
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Commentaires
要するに、JASRACは裁判所にまともな判断能力がないことを初めから見込んで裁判所込みのマニュアル立ててるということですね。たまりませんね、コレ。
Rédigé par: コマプ墨田 | 5 mars 2007, 21:03:42