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04/11/2007

著作権法上の「複製」の要素としての「再製」

 昨日、東京弁護士会の東弁知的財産権法部会において、

「著作権法上の『複製』について
──夢は時間を……──
という題で講演をしてきました。せっかくなので、そのときのレジュメの一部をウェブ用にアレンジしたものをアップロードします。


  1. 「再製」とは、既存の表現等に依拠しつつ、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを作成することをいう(最判昭53.9.7民集32巻6号1145頁[ワン・レイニー・デイ・イン・トーキョー事件])。「複製」と「翻案」が峻別された現行法の下で、後段はしばしば、当該既存表現等と実質的同一性のあるものを作成することと言い換えられる。

  2. 「依拠」とは、表現等を作成するにあたって既存の表現等を利用する意思をいう。既存の著作物と同一性のある作品が作成されても、それが既存の著作物に依拠して再製されたものでないときは、その複製をしたことにはあたらず、著作権侵害の問題を生ずる余地はないとされる(前記・ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー事件最高裁判決)。

    •  「既存の著作物等の表現内容を認識していたこと」は「依拠」の要素に含まれるか(cf.東京高判平8.4.16判時1571号98頁〔悪妻物語事件〕)。

    •  先行作品の著作物性の有無、保護期間の経過の有無、著作権者等が誰であるのか等の認識や、後行作品の独自性の認識等(東京高判平14.9.6判タ1110号211頁〔記念樹事件〕)は、依拠性の有無には関係がない。

    •  既存の表現等の翻案物に基づいて新規の表現等を作成した場合に原作品に依拠したといえるかは問題

    •  依拠ありとするためには、意識的に既存の表現等を利用する意思があることを要するか、過去に知覚した表現等を無意識のうちに利用してしまった場合でもよいのか(cf.「My SWeet Lord」訴訟における「潜在意識の内における盗用」論)。

    •  作品を作成した後にこれと実質的に同一な表現を含む先行作品を知った場合に、さらに当該新作品を増製することは、先行作品中の表現に依拠したものといえるか。

  3.  依拠の存在は、複製権侵害の存在を主張する側に主張・立証責任があるが、直接これを立証することが困難な場合が少なくない。その場合、依拠の存在を推認させる間接事実を積み重ねることによって、依拠性の存在を立証する。

    •  既存表現等と新表現等とが偶然の一致とは思えないほどに酷似しているとの事実は、依拠の存在を推認させる間接事実となる(東京地判平4.11.25判タ832号199頁〔土産物用暖簾事件〕、東京地判平6.4.25判タ873号254頁[城と城下町事件]、東京地判平7.5.31判タ883号254頁[ぐうたら健康法事件]、前記記念樹事件高裁判決)。

    •  既存表現等にあった誤記・誤植(敢えて「罠」として埋め込まれたものを含む。)と同一の誤記・誤植が新表現等にも複数見られるという事実(東京地判平4.10.30判時1460号132号〔観光タクシータリフ事件〕、名古屋地判昭62.3,18判時1258号90頁〔用字苑事件〕)

    •  また、権利者の作品が公表された後程なくして類似した内容の作品が被疑侵害者により公表されたという例が繰り返されたという事実(東京地判平17.5.17〔通勤大学事件〕)。

    •  被疑侵害作品の作成に携わった者が既存作品に実際に触れ、または、触れる機会があったとの事実(但し、実際に触れたであろう蓋然性の肯定は、依拠を推定される力の大小に影響)。なお、「権利侵害者が『アクセス可能性の存在』を立証した場合には、被疑侵害者側が「アクセスしなかったこと」を主張立証する責任を負う」との見解は、「ウェブ上にアップロードされている全ての表現について、インターネット端末を操作しうる全ての人にアクセス可能性はあるが、ウェブ上にアップロードされている各表現について、インターネット端末を操作しうる特定の人がこれにアクセスした可能性は決して高くない」現実に適合していないのではないか。

    •  既存表現等の創作者等の署名・落款印と類似する署名・落款印が新たな表現等に用いられているという事実(大阪高判平9.5.28知裁集29巻4号481頁[エルミア・ド・ホーリィ贋作事件])。

    •  侵害被疑者が新表現等を独自に作成できるだけの能力を有していなかったとの事実。

  4. 「再製」といえるためには、既存の表現等と実質的同一性のあるものを作成すれば足り、多少の修正、増減、変更がなされてもよい(東京地判平15.2.26判タ1140号259頁[池田大作肖像ビラ事件]、大阪地判平8.1.31判タ911号207頁[エルミア・ド・ホーリィ贋作事件])。

    •  著作物については、既存の著作物に創作的要素が加えられた場合には、著作物としての実質的同一性を失うとされることが多い(橋本英史「著作物の複製と翻案について」379頁)。実演やレコードのように「翻案権」が法定されていないものについても同様に考えるべきか。

    •  プログラムの著作物の場合は、既存のプログラムの変数名だけを変更した場合のように、実質的同一性の範囲を狭く解すべきとする見解もある(藤原宏高=平出晋一「プログラマのための最新著作権法入門」109頁)。また、翻訳文については、原文に忠実な原翻訳文と、読みやすさを優先させた翻訳文との間には実質的同一性はない(東京高判平4.9.24判時1452号113頁[サンジェルマン殺人狂騒曲事件])。

    •  先行作品の一部分を複製した場合に当該作品全体について複製権侵害が成立するとするのか、当該部分の複製が行われたと解するか(二重起訴禁止の原則や既判力の範囲との関係で差異が生じうる。)。

    •  他方、既存の著作物の全体を新たな表現等の中に利用した場合であっても、一般人が通常の注意力を持って新表現等を見た場合に、既存著作物の本質的な特徴(例えば、「書」であれば、文字及び書体の選択、文字の形、太細、方向、大きさ、全体の配置と構成、墨の濃淡と潤渇(にじみ、かすれを含む。)などの表現形式を通じて、文字の形の独創性、線の美しさと微妙さ、文字群と余白の構成美、運筆の緩急と抑揚、墨色の冴えと変化、筆の勢い等)を直接感得することが困難である場合には、新表現等において既存著作物は再製されたとはいえない(東京高判平14.2.18判時1786号136頁[照明器具用宣伝カタログ事件])。

Posted by 小倉秀夫 at 06:31 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle |

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