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11/28/2007

「思いやり」より「思い入れ」

 岸博幸エイベックス取締役は、前々回も取り上げた「著作権法改正巡る2つの対立・「思いやり」欠如が招く相互不信」という文章の中で、

もちろん、クリエーターを甘やかせと言う気はない。クリエーターの側も、環境変化に対応した新たなビジネスモデルを追求すべきである。ただ、その実現には時間がかかるのだから、それまでの間は、関係者もプロのクリエーターに思いやりを持って接するべきではないか。プロのクリエーターも賛同できる新しいアプローチを提案するなど、色々なやり方があるはずである。
とも仰っています。


 ただ、直近の話をするのであれば、プロのクリエーターに思いやりを持って接せよと関係者に要求する人よりは、プロのクリエーターに思い入れを持って「これを買って聴いてみろ」と辺り構わず勧めて回る人の方が、よほどプロのクリエーターの役に立っているのではないかと思います。私たち消費者は、抽象的な「コンテンツ」にお金を支払うのではなく、個別具体的なアーティストの、あるいは、個別具体的な作品にお金を支払うのですから。そして、不思議なことに、著作権者ないし隣接権者の権利範囲の拡大乃至その実効性の向上を声高に叫んでいる官僚や実務家、研究者からは、往々にしてプロのクリエーターに対するそのような思い入れを感ずることができないのです。


 ということで、Kwalの"Exilé "(→
Kwal - L? o? j'habite - Exilé
)は、コーラスとラップの調和がゾクゾクするくらい凄いので、是非とも聴いてみてください。

Posted by 小倉秀夫 at 02:31 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle |

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Commentaires

>声高に叫んでいる

仕事として叫んでおられるからではないでしょうか。

実は興味がないために何にも思い入れができない人が、そうした冷めた負の面を勝手に「全体的な公正さを司る立場に立つが故の長所」に転じてしまい、勝手に上の立場に立つ事例が少なからずあると思います。

ずいぶんと声高に堂々と主張するところから、その人を「ああ立派な人なんだろうなあ」と思っていたら、後日、何の興味も関心もないただの部外者であったことが判明したりしますね。ただ声が大きかっただけで、それだけで誰も反論などをしなかった、と。まさかそんなにどうしようもない素人だとは誰も思わなかったりして。

戦時中には汽車が皇居の前を通ると、勝手に大声で「天皇陛下に敬礼」と叫ぶ人がいて周囲の人を困らせていたそうで、いつの時代でいるものなのですね。

私はこの手のやからはどいつもこいつも嫌いで、声の大きさや態度のでかさにだまされないように気をつけなければと思っています。静かに「それは違うだろう」と普通に言えばいいのですね。

Rédigé par: bun | 6 déc. 2007, 09:33:09

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