流通であることと不要であることは結びつかない
「レコード会社が流通でしかない」とか言う話って、鏡に映った自分の顔もよく見えないぐらいぼんやりした二日酔い頭で書いたのか、レコード会社不要論のために単純化したおもしろ話か、どちらかだとしか思えない。なんて言い方をされてしまっているようです。
著作隣接権保護の根拠に関する一連の議論を前提知識として知っていれば「レコード会社が『流通』でしかない」という話は理解しやすいと思うのですが、なかなか難しいことでしょうか。準創作的な要素のある実演家は別として、それ以外の隣接権者については著作物を含む情報の伝達行為を、一定の独占権及び報酬請求権を付与することにより投下資本回収の機会を付与することで、奨励することにあります(実演家以外の隣接権者の行為についても準創作的な要素のあることを隣接権保護の根拠とする見解もありますが、中山信弘「著作権法」422頁が述べるとおり、「レコード製作者や放送事業者に創作的要素が皆無であるとはいえないが、この程度の創作的要素であればほとんどの企業に見られることであり、これだけでは保護の理由としては不十分」だと思います。)。そういう意味で、レコード製作者は、著作物等の情報を広く公衆に伝達する「流通」業者であって、ネット企業との間に本質的な差異はないのです。
それにしても「レコード会社が流通でしかない」とか言う話 を「レコード会社不要論のために単純化したおもしろ話 」と思ってしまうのは、流通を低き見過ぎなのではないかという気がします。私はなにしろ、中古品を含むゲームソフト販売店の訴訟代理人をやっていましたから、流通業者の話を生で聞く機会が結構あるわけですが、流通ってプロの仕事ですよ。自分たちをクリエイティブの側に位置づけている企業の方々って、流通業者をフリーライダーだと本気で勘違いしていて、準備書面等で流通業者に対する差別心を露骨に文章化されることがままあるのですが(まあ、厳密に言えば、実際に文章化しているのは、その種の企業についた弁護士ですけど)、あれっていかがものかと思っています。
Posted by 小倉秀夫 at 02:16 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | Permalink
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