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11/28/2008

日本法透明化プロジェクトのシンポジウムでの発言の趣旨

 今日のシンポジウムで言いたかったことの前半は概ねこんな感じの内容です(まあ,シンポジウムですから,予定通りに全て語れるわけでもないのですが。)。


 著作権法には表現活動に対する規制立法という側面があります。新たなコンテンツを創作して発表するというのももちろん表現活動ですが,他人が創作したコンテンツを配布するのも表現活動ですし(政治的なビラ配りを考えていただければわかりやすいと思います。),また,表現の自由の1カテゴリーとして「知る権利」を認める通説的な考え方に従えば,他人が創作したコンテンツを「知る」こともまた「表現活動」として憲法第21条による保護の対象となります。それ故,著作権法という表現活動規制立法が表現の自由を不当に制限する違憲なものとならないようにするために,著作権等に一定の制限を加えることは,憲法上の要請であり,国際人権規約B規約上の要請でもあるといえます。

 このことから,立法府においては,表現の自由に対する不当な制限とならないように適切な著作権等の制限規定を設けておくことが求められるとともに,司法府においては,著作権法の諸規定を合憲的に解釈したり,一般条項を活用したりするなどして,表現の自由を不当に制限しないような著作権法の解釈・運用をしていくことが求められます。この,著作権法が表現の自由を不当に制約することを回避するための一般法理を「フェアユース」と呼ぶのであれば,それは現行法の下で特別な立法を要せずして裁判所が援用することは可能な(といいますか,むしろ望ましい)のでしょうし,それを「一般条項」という形で明文化することはさらに望ましいと言うことになろうかと思います。

 さて,著作権法による表現規制は,概ね,表現内容に対する規制と,表現の方法に対する規制とに分かれると思います。多くの場合,既存の著作物等と同じ表現を用いなければ想定した内容を表現できないということではないので,「表現の方法に対する規制」ということになると思いますが,翻案とか,引用とかという領域では,特定の既存著作物に用いられた特定の表現を組み入れること自体が「表現内容」の中核をなす場合がありますので,この場合は,さらに「表現内容に対する規制」という側面が強くなっていくこともあろうかと思います。

 表現方法に関する規制については,憲法学説的には,「立法目的は正当であっても,規制手段について,立法目的を達成するために『より制限的でない他の選びうる手段』を利用することが可能であると判断される場合には,当該規制立法を違憲とする,いわゆるLRAの原則が広く支持されていますが,最高裁判所は,いわゆる猿払事件の大法廷判決以来,「合理的関連性」基準を用いているとされています。

 これによれば,表現行為の時・場所・方法の規制は,① 禁止の目的、② この目的と禁止される表現行為との関連性、③ 表現行為を禁止することにより得られる利益と禁止することにより失われる利益との均衡の三点から検討して,当該表現行為を規制することが「合理的で必要やむをえない限度にとどまる」と認められるときには,憲法上許容されるということになります。では,これを著作権法による表現行為の規制に当てはめてみるとどうなるでしょうか。

 まず,著作権法による表現規制の目的をどう捉えるかですが,古典的なインセンティブ論を言い換えるとすると,著作権法による表現規制の目的は,「著作物の創作・流通に資本を投下しない競業者を排除することによって投下資本回収可能性の維持し,もって資本投下を奨励する」ことにあるということになろうかと思います。以下は,ある特定の行為を禁止することとこの目的との関連性があるのか,あるとすればどの程度の関連性があるのか,そして,その行為を当該行為を禁止することにより得られる利益と禁止することにより失われる利益との均衡が取れているのかということを勘案して,著作権法により当該表現行為を禁止することが「合理的で必要やむをえない限度にとどまる」と認めらるかを検討していくことになります。

 例えば, ある企業の総務部において,テレビのニュース番組等で自社がどのように取り上げられているのかをチェックするために,全てのニュース番組を会社が購入し本社の総務部内に設置されている家庭用ビデオ機器で録画する行為を考えてみましょう。これは,企業内での複製は企業内の少人数かつ閉鎖的領域内で使用する目的でなされたとしても著作権法30条1項の適用を受けないとする多数説に従った場合には,複製権侵害行為ということになります。しかし,このような企業内録画というのは,テレビ局等が提供している正規商品では代替できず,従ってテレビ局等の商品・サービスとは競合関係に立ちません。従って,著作権法によってこのような録画行為を規制することは,規制目的との間に合理的な関係がないので許されないということになろうかと思います。その結論を導く論理としては,著作権法30条1項を,企業内複製であっても権利者の提供する正規商品等と競合しない複製については適用されるように合憲的な解釈を行うか,または,そのような複製は著作物の公正な利用にあたるから複製権侵害とはならないとするか,表現の自由を不当に制限する態様での複製権の行使は権利の濫用に当たると解釈するかは,理論的な枠組みの問題ということになります。

 また,東京キー局の放送を受信してインターネットを介して同時再送信する場合を考えてみましょう。これが,関東広域圏内に限り同時再送信する場合,本来その放送が届くべき人にその放送を届けているだけですから,テレビ局の投下資本回収可能性を何ら損なっていないのであり,仮に再送信事業者に営利目的が認められるなどの理由でこれを規制することがあれば,憲法適合性が問題となっていきます。他方,関東広域圏外へも同時再送信する場合には,① これを禁止することとテレビ局の投下資本回収可能性の維持との間に関連性がどのくらいあるのか,そして,② これを禁止することにより得られる利益(正直よく分からないのですが)と,禁止することにより失われる利益(東京キー局の放送を関東広域圏内居住者と同時に視聴できるということは,情報の地域格差を解消するという利益があります。)との均衡等を勘案して,その憲法適合性を判断するということになります。

 今日の小島先生のレポートでは,「著作権の制限規定は厳格に解釈しなければならない」とのテーゼ自体の妥当性が問われました。しかし,著作権の制限規定を拡張的に解釈することにより著作権法が表現行為を不当に規制することを解釈できるのであれば,それを「権利」の方から見て「合憲的限定解釈」と表現するか否かはともかくとして,むしろ好ましいことであって,何ら憚る必要はないということになりそうな気がします。

 なお,表現の方法に対する制限についてLRAの基準を適用できるとすれば,当該行為を差し止めなくとも行為者に権利者への金銭給付を義務づければ投下資本の回収可能性を維持できると裁判所が判断した場合には,差止請求を棄却して,損害賠償義務のみを課したり(宇奈月温泉事件等を考慮すると現行法下でもできる可能性はありますが。),判決をもって強制許諾を命じてしまうということも出来るのかもしれません。まあ,LRAの基準は我が国の最高裁は採用しないのですから仕方がありません。

Posted by 小倉秀夫 at 09:52 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle |

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