国立メディア芸術総合センター(仮称)
里中満智子さんが次のように述べています。
マンガは“原画の収集・保管”が難しい。既に本として見られない物もあるし、失くしたくない、文化遺産としてのマンガ原稿がたくさんありますが、作者が亡くなった後、散逸してしまう事もあります。散逸の危機にあるマンガの原稿を保存する、劣化したマンガの原画を修復するなど、公的な施設でしか出来ない事をやるべきです。
関連してその原画の作品がどういう作品なのかという事をアーカイブで見せるという事が有効です。国立メディア芸術総合センター(仮称)がその窓口機能を担って、既存の施設とうまく連携して行ければといいと思います。
この種の資料館作りをする上での最大の関門は如何に遺族(の一部)の反対に遭わないようにするかということなのですが(遺族全員の承諾がなければ,散逸の危機にあるマンガの原稿を保存する、劣化したマンガの原画を修復する,デジタルアーカイブを作成するということはできないのですから。),国立メディア芸術総合センター(仮称)構想の中に,そのような遺族の権利を制約していこうという発想まで含まれているのかというと大いに疑問です。そこをクリアしないと,箱物はできたけど,箱物の中身はがらんどうということだって十分あり得るのです。
もちろん,生前に預けたっていいのですが,国立メディア芸術総合センター(仮称)が完成したら,自分が保管している原稿を無償で寄贈し,その修復やデジタルアーカイブ化を無条件で許可・同意するという漫画家がどれだけいるのかというと,結構疑問だったりします。しかも,権利自体は漫画家個人ではなくて,法人が有している場合が少なくなく,その場合,その種の法人は漫画家が死んだ後もスタッフで続編作って喰っていこうとする傾向があるので,そうなると,原稿だってなかなか手放さないのだろうなと危惧したりします。
国立メディア芸術総合センター(仮称)の箱物を設計する前に,その辺の覚悟の程を,漫画家たちが示すのが先ではないかと思ったりします。
Posted by 小倉秀夫 at 02:07 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | Permalink
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Commentaires
原稿そのものではないけれど、出版され、献本された作品については、国立国会図書館がアーカイヴしてくれているのですし、小倉さんがおっしゃるように、問題は、それをどうやって公開、利用させるかということでしょう。
新たなハコモノを作る手間暇を著作権制度の再検討にあてるべきというなら、まさにそのとおり。
Rédigé par: Inoue | 20 juil. 2009, 13:52:05
訂正
×どうしてもやらなければとならない事業というなら、
○どうしてもやらなければならない事業というなら、
でした(謝 「と」だけで逆の意味に(汗
↓
Rédigé par: comap墨田 | 22 juin 2009, 16:04:13
これですからね。面倒で都合が悪いシーンにさしかかるとぱぱっと主人公中心で解決しちゃうというのが日本漫画マインドですからw
↓
>里中さんは「漫画家の生活は確かに厳しく、見返りは必要」としながらも、「労働と文化は問題が異なる」と反論。漫画家やアニメーターの生活は、社会保障で解決すべき問題とした。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/04/news104.html
アニメ漫画界の搾取構造のツケなんだけど、そういうのは国民負担に回せばいいだけ、と、こういうものの考え方ですから。
まぁ文化庁もここは退き際戦略じゃないのかと。政権交代後泥沼に引き込まれてもかなわない。漫画文化ドリームは自民体制とともに終局でしょうね。どうしてもやらなければとならない事業というなら、完全民間資本でやればいいこと。こういう特定業界枠のが国民負担でいけるとなると、じゃぁ車文化発信で、とか、世界一で認められてるから日本エロ文化発信で、とかどんどん拡張しかねません。
Rédigé par: comap墨田 | 22 juin 2009, 15:54:08
まぁ里中さんのものの考え方は、現実も漫画のように解決できるという感じじゃないですか。彼女からは宗教に近いそういう確信を感じます。でも日本は政府までが漫画論理を、これは使える、いいもんだとばかりに、まじめに取り入れてますんでね。
Rédigé par: comap墨田 | 22 juin 2009, 14:54:43