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08/08/2010

ペルシャ猫を誰も知らない

 昨日は、渋谷まで行き、映画「ペルシャ猫を誰も知らない」を見てきました。

 好きな歌を好きなスタイルで歌いたい──そんな今の日本では当たり前のことすら、現実には叶わない国や社会があり、その中でも才能のあるれる若者は国や社会の壁を突破しようともがいている。好きな音楽を演奏するというだけのことなのに、地下に潜り、逮捕と釈放を繰り返さえさなければならない。そんな現実がこの21世紀にもまだ残っている。

 そんな国だから映画の撮影も自由ではなく、ゴバディ監督は、当局に無許可でゲリラ撮影を敢行せざるを得なかったし、主役の2人は、撮影が終了した4時間後にイランを離れざるを得なかった(というか、イランを離れることを既に予定していた二人を主役にしたというべきか)わけです。

 もちろん、そんなイランだって、IT革命の波から全く自由であるわけにはいかなくて、登場人物は皆携帯電話を使っているし、イギリスやドイツとメールでやり取りしているし、コンピュータで自分たちの音楽を編集してCDを作成したりしているわけだし、西側の音楽に関する情報だって入ってきているわけで、むしろ、それだからこそもどかしさが強いのだろうなという気にさせられてしまいます。

 好きな音楽を好きなスタイルで当局の許可を得ずに演奏できる喜びを噛み締める、という意味でも、音楽業界で仕事をしているorしたいと思っている人は是非とも見るべき映画だと思いました(Pirates Rockとは違う意味で)。

Posted by 小倉秀夫 at 06:33 PM dans musique |

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» ペルシャ猫を誰も知らない de LOVE Cinemas 調布
カンヌ国際映画祭でカメラドール(新人監督賞)を獲得したイランのクルド人監督バフマン・ゴバディが、テヘランを舞台にとあるミュージシャンカップルを中心に描いた青春音楽ドラマだ。その殆どが実在するミュージシャンたちの音楽シーンを撮影するために、監督は当局に無断でゲリラ撮影を敢行したという。楽曲に併せて流れるテヘランの現実は、あまりにもリアルで、既視感のカケラもない。... Lire la suite

Notifié: 15 août 2010 à 15:50:32

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