電子書籍とプラットフォームの選択権
昨日は、早稲田大学で行われたJASRAC公開講座「電子出版をめぐる著作権法上の課題」を聴講してきました。で、最後に質問もしました(後でツイッターで聞けばいいではないかという声はこの際無視です。)。
質問の背景はこういうことです。
電子書籍について、著者、出版社、利用者の3者関係で語られることが多く、実際今回の公開講座でもそうだったのですが、実務的には、プラットフォーマー(Kindleを出しているAmazon等)を含めた4者関係で考えないといけないのでは、という問題意識があります。そして、プラットフォーマーに関しては、通常の人は何種類もの端末を持ち歩かないでしょうから、必然的に寡占化します。それは、音楽配信サービスにおいてもビデオゲームについても見られる現象です。
で、音楽配信サービスでは、特定のプラットフォーマーと特定のレコード会社が強い結びつきを持っていたことにより、そのレコード会社が隣接権を持っている楽曲についてはそのプラットフォーム用にしか配信サービスを行うことができないという事態が発生しました。つまり、実演家が、他のプラットフォーム向けにも自分の楽曲を配信したいと考えても、実演家にはプラットフォームを選択する自由がなかったわけです。
このことは、電子書籍に関して、出版社に強い権限を与えると、同じように出現する可能性があります。出版社に送信可能化権を含む広い版面権を付与した場合や、出版権に送信可能化権を含めた場合もそうですし、利用許諾契約により送信可能化に関する独占的利用許諾(再許諾権を含む。)の設定を受けた場合もそうです。で、それでいいんだろうか、ということがひとつの問題です。作家としては、できるだけ多くの人に自分の作品を読んでもらいたいと考えるのが一般的であり、「特定のプラットフォームを市場で優位に置く」ために自己の作品の普及が犠牲になるというのは耐え難いのではないかということです。
もう一つ、昨日は直接質問しなかったこととして、プラットフォーマーからその作品の配信を拒まれた場合をどう考えるのかという問題です。今は電子書籍は紙の書籍の補完でしかないので、それで大して困ることにはなりませんが、電子書籍がむしろ主流となり、紙の書籍はむしろマニアグッズになっていった場合、プラットフォーマーからその作品の配信を拒まれると、その作品を広く流通させる機会が大きく損なわれることになります。すると、そこでは、プラットフォーマーは、緩やかながらも、事実上の検閲を行いうるということになるが、それでよいのかということです。「検知→可能型」のアクセス制御を法的に保護するということは、プラットフォーマーによるコンテンツ支配を許すということになるのです。そして、その弊害は、電子書籍において「検知→可能型」のアクセス制御がなされるときに最も大きくなります。
前者の問題は契約でクリア可能ですが(でも、実際にはそんなところに最初から気を配れる作家ってほとんどいないのでは?)、後者は契約ではクリアできないので、立法的な対処をしておくべきなのでは?ということです。
Posted by 小倉秀夫 at 01:01 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | Permalink
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