中立的行為による幇助の成否について(再論)
某所で、Winny事件の最高裁判決についての評釈を書きました。そちらは、判例評釈のフォーマットにしたがって論述していきましたが、こちらは単なるブログですので、Winny事件の各段階での判決やこれについての評釈等を読んだ上で、中立的な技術の公衆への提供者の刑事責任について、現段階で考えていることを備忘録的に書いていこうと思います。
価値中立的な技術を公衆に提供すると、それを用いた特定の法益に対する具体的な侵害がある程度の頻度で発生する。しかし、それだけで、その技術の提供者は、その特定の法益侵害行為を容易にしたといっても良いのだろうか。今回の最高裁判決、とりわけ多数意見は、この点から出発しています。
幇助責任を問う以上、特定の法益侵害の発生する蓋然性を有意に高めたことが必要だ──この前提に立ったとき、その蓋然性の高まりは、何と比べてのものなのかを特定する必要があります。
「正犯者がその技術を手にしなかった場合」と比べてしまうと、特定の法益侵害の発生する蓋然性は有意に高くなったといえる範囲が広くなってしまいます。価値中立的な技術の公衆への提供行為はその提供を受ける相手の個性に着目することなくなされているのですから、それが幇助行為として処罰の対象とされるほどに正犯の行為を通じた法益侵害の蓋然性を高めたかどうかは、個々の正犯についてみるのではなく、その技術の提供を受けた人々全体についてみるべきだというべきです。
では、その技術の提供を受けた人々による正犯行為により特定の法益侵害の発生する蓋然性が高まったかどうかは、何と比較して判断するべきでしょうか。
新しい技術というのは、常に既存の技術に何か新たなものを組み合わせることにより成立します。そして、既存の技術も正犯の行為を通じて同種の法益侵害を発生させる蓋然性を有している場合、この蓋然性が既存の技術と新しい技術とで有意に差を生じさせない場合、新しい技術を提供することにより、正犯の行為を通じた法益侵害の蓋然性を高めたことにはなりません。そのような技術の提供行為を幇助犯として処罰の対象とすることは正当ではありません。すると、新しい技術を公衆に提供したことについて特定の犯罪の幇助責任を問いうるのは、まず、既存の技術に「新しい要素」を付加することにより、正犯行為を通じた法益侵害発生の蓋然性を有意に高めたことが必要だというべきです。
では、それだけで足りるのかというと、そこには疑問があります。正犯行為を通じた法益侵害の蓋然性を有意に高める「新たな要素」が、その技術の社会的な有用性を高めるものであった場合には、そのような新しい技術の公衆への提供を刑罰をもって禁止することは、科学技術の発展を阻害することとなりかねないからです。そこでは、侵害の蓋然性が高まる法益の重大性および蓋然性が高まる程度と、その「新たな要素」がもたらす有用性とを比較考慮した上で、後者の要素が勝る場合には、当該新しい技術を公衆に提供する行為にはなお社会相当性があり、当該法益侵害の蓋然性が高まったとしても幇助犯として処罰するに足りる違法性を欠いていると解するべきです。
ここで注意すべきは、技術は長い年月をかけて累積的に「新しい要素」を付加していくことにより発生していくものだということです。それ故、比較対象とすべき「既存の技術」をどこにおくのかが問題となります。ただ、技術の発展段階を網羅的に押さえることは困難であること、それを公衆に提供することが幇助犯として処罰に値する技術と同程度の法益侵害発生の蓋然性を有する新たな技術の公衆への提供を容認すべき理由はないことを考えると、どこに置いても構わないというべきだと思います。ただ、正犯行為を通じた法益侵害発生の蓋然性が相当低かった初期の既存技術と比べた場合には、それと問題の「新しい技術」との差異となる「新しい要素」の有用性が高まるため、幇助犯として処罰するに足りる違法性を欠くこととなる可能性が増大することとなります。したがって、実際には、社会的に容認されている直近の既存技術と比較していくことになると思います。もっとも、Winny事件の場合、公衆との「ファイル共有」という技術、あるいはその中でも「検索用サーバ不要型ファイル共有」という技術を、「社会的に容認されている技術」と位置づけられるかは、争点となり得るところだと思います。
そして、これらの要素を勘案した結果、当該新しい技術を公衆に提供する行為は幇助犯として処罰するに足りる違法性を客観的に有しているとなった場合に、当該技術の提供者が上記考慮要素を認識し、正犯による特定の法益侵害の発生の頻度が高まることを認容して、当該技術を公衆に提供した行為者に幇助の故意を認め、その技術の提供を受けて果たして当該法益侵害行為を行った正犯との関係で幇助犯として処罰しうると解するべきでしょう。当該技術の利用者によって特定の類型の法益侵害行為が1回以上行われる可能性があることを認識・認容していただけでは幇助の故意を認めることはできず、当該価値中立的な技術の公衆への提供行為を特定の類型の法益侵害の幇助行為と認めるに至る考慮要素を認識・認容している必要があるというのは、Winny事件最高裁判決と考えを一にしています。
Posted by 小倉秀夫 at 01:16 AM dans au sujet de la propriété intellectuelle | Permalink
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