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01/30/2017

「PPAP」との商標を登録しても「PPAP」を歌うことは邪魔できない

 ベストライセンス株式会社が「PPAP」との文字標章について商標登録出願をした件に関して、様々な人が様々な見解を述べています。「未だ商標登録が認められていない現時点ではもちろん、仮に将来商標登録が認められたとしても、ピコ太郎はなお『PPAP』を合法的に歌い続けることができる」という結論は間違っていないものの、理由付けにおいて間違っている見解が多いようです。

 まず確認しなければいけないのは、そもそも「PPAP」の歌詞の中に「PPAP」という言葉は含まれないということです。「PPAP」と類似する文字列も歌詞には含まれません。したがって、「PPAP」を歌っても「PPAP」という文字列ないしこれと類似する文字列を使用しないわけですから、商標権侵害となるわけがありません。

 とはいえ、「PPAP」を音楽配信サービスで販売しようと思えばタイトル名として「PPAP」という表示をせずにはいられませんし、テレビ番組の中で「PPAP」を歌うとなれば(あるいは「PPAP」のミュージックビデオを流すとなれば)タイトル名として「PPAP」というタイトルを表示せざるを得ません。「PPAP」との文字列について誰かが商標登録してしまった場合には、そのようなタイトル表示は商標権侵害となるのでしょうか。

 現在の通説・判例を前提とすると、これは商標権侵害とはなりません。その理由は以下のとおりです。

 現行法において、「商標」の本質は、出所表示機能にあると考えられています。このため、出所表示機能を有さない標章についてはそもそも「商標」たり得ないし、出所表示機能を果たさない態様で標章を使用しても、それは商標としての使用にあたらないと解されています。

 そして、著作物の題号(タイトル)は、通常、出所を表示するのではなく、内容を表示する機能を有しているため、これを「商標」として保護することは適切ではないと考えられています。このため、著作物の題号はそもそも「商標」にあたらないとする見解や、著作物の題号としての使用は商標としての使用にあたらないとする見解が通説となっています(ただし、新聞や雑誌等の定期刊行物の題号や、百科事典・辞書類の題号については、「商標」性を認める見解が有力です。)。

 裁判所も、例えば、井上陽水がそのアルバムタイトルを「UNDER THE SUN」とし、これをそのCD盤の表面やジャケットに「UNDER THE SUN」「アンダー・ザ・サン」という標章を用いたことが、「おもちゃ、人形、娯楽用具、運動具、釣り具、楽器、演奏補助品、蓄音機(電気蓄音機を除く。)、レコード、これらの部品及び付属品」を指定商品とする「UNDER THE SUN」との登録商標に関する商標権侵害にはあたらないとしています(東京地判平成7年2月22日判タ第881号265頁)。また、表紙、背表紙に『高島象山』の文字が表示されていても、「図書、写真及び印刷物類」を指定商品とする「高島象山」との登録商標の使用に当たらないとした裁判例もあります(東京高判平成2年3月27日判時1360号148頁)。

 したがって、ピコ太郎が歌う楽曲のタイトルとして「PPAP」との標章を用いる分には、仮に第三者が「PPAP」についてどんな指定商品・役務について商標登録をしたところで、商標権侵害とはならないのです。

 なお、ベストライセンス株式会社は「PEN PINEAPPLE APPLE PEN」についても商標登録出願をしているようです(商願2016-116675)。これが登録されてしまった場合、ピコ太郎は歌詞の中で「PEN PINEAPPLE APPLE PEN」と歌えなくなるのでしょうか。

 もう、お分かりですね。ピコ太郎が歌詞の中で「PEN PINEAPPLE APPLE PEN」と歌っても、それは、その歌の出所を表示するものではない以上、商標としての使用には当たらないので、いかなる指定商品・指定役務についても、商標権侵害とはなり得ないのです。

Posted by 小倉秀夫 at 09:44 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

01/19/2017

森のくまさん

 パーマ大佐による「森のくまさん」について、童謡である「森のくまさん」についての馬場祥弘の訳詞に係るの同一性保持権を侵害するものであるとして、馬場氏よりクレームがつけられた件が話題になっています。

 ただ、パーマ大佐による「森のくまさん」の歌詞を見る限り、馬場氏の訳詞を流用している部分は、特に改変等をしておらず、単に、馬場氏の訳詞の一部と一部の間に、パーマ大佐が創作した文章表現を挿入しているだけのように見えます。

 そうだとすると、ここでは、「既存の言語作品の一部を複数切り取って、その間に、新たな文章表現を挿入することが、既存の言語作品に係る同一性保持権を侵害するものと言えるのか」ということが問題となると言えます。

 同一性保持権について定めた著作権法第20条1項は「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。 」と定めていますので、既存の言語作品をその意に反して切除すること自体が同一性保持権侵害にあたるのだとする見解もあり得なくはないでしょう。しかし、言語著作物は古来より「引用」されてきたことを考えると、既存の言語作品の一部が切り取られて別の作品に挿入されて利用されたとしても、必ずしもそれがその言語作品の全体だと受け取られるおそれが低く、その切り取られて別の作品に挿入された部分だけを見て、元の言語作品の作者に対する評価を決める人は希であると考えられるので、切り取り方が不適切で、その部分から感得される作者の人格的評価が歪められるような方法による場合を除けば、同一性保持権を侵害するものとまでは言えないのではないかと思います。

 パーマ大佐による「森のくまさん」についていえば、馬場氏の訳詞について、その部分から感得される作者の人格的評価が歪められるような不適切な切り取り方をしていないので、同一性保持権侵害にあたるとまでは言えないのではないかと思います。

 では、パーマ大佐による「森のくまさん」における、馬場祥弘の訳詞の一部の利用が、訳詞者である馬場氏の名誉または声望を害するものであって、馬場氏の著作者人格権を侵害する(著作権法113条6項)ものと認められるかというと、これが一種のパロディであることが明確であること、その方向も特に一般の人をして嫌悪感を抱かせるようなものではないことを考えると、難しいのではないかと思います。

 童謡である「森のくまさん」についての馬場氏の訳詞は、JASRACによる管理がなされており、馬場氏は翻案権以外の著作権を有していないので、馬場氏自体がパーマ大佐等に対して著作権を主張することはできません(だから、「同一性保持権侵害だ」と言っているのではないかと推測します。)。

 では、JASRACは、パーマ大佐等に対して著作権を行使することができるのでしょうか。

 おそらくその場合、馬場氏の訳詩の一部を切り取ってパーマ大佐版のの「森のくまさん」に利用したことが著作権法32条の適用を受ける「引用」にあたるかどうかが問題となろうかと思います。

 パーマ大佐が新たに挿入した部分の方が明らかに多いので、主従関係が認められることが明らかです。明瞭区別性について言えば、実際のパフォーマンスにおいて、原曲たる「森のくまさん」の一部を歌っているのか、パーマ大佐が新たに創作した部分を歌っているのかが区別できるようになっていれば、十分に満たされるのではないかと思います。

 あとは、いわゆる「本歌取り」という目的が著作権法32条にいう「報道、批評、研究その他の引用の目的」に含まれるのか、そして含まれる場合に、パーマ大佐版「森のくまさん」における馬場氏の訳詞の利用が、「目的上正当な範囲内で」行われたといえるかどうかが問題となろうかと思います。パーマ大佐版「森のくまさん」のストーリー展開を前提とすると、「目的上正当な範囲内で」行われているように私には思えるのですが。

Posted by 小倉秀夫 at 12:37 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)

01/10/2017

自動作曲と依拠

 近年はAIブームです。私的には、近年のAIの嚆矢は、ヤマハが提供した「VOCALODUCER」なのではないかと思っています。

 それはともかく、作曲、とりわけ主旋律の作成作業というのは、普通の人が発生できる音階が限定的であることから、ただ作ればいいのであれば、コンピュータ向きの仕事であると言えます。コードと主旋律の中で使われる音階との間のルール設定をした上で、コード進行に関して一定のルール付けをしておけば、聴くに堪える主旋律が生まれる蓋然性が高まります。

 もちろん、それらの多くは「聴くに堪える」というだけで、商用音楽として訴求力を持つものが生ずる蓋然性はさほど高くはないでしょう。コンピュータが自動作曲したものを商用音楽として利用しようと思えば、コンピュータが自動作曲した大量の主旋律の中から商用音楽としての利用に耐えるものを、人間が聴いてピックアップする必要が生ずることでしょう。

 主旋律をゼロから作り上げる才能はないが、コンピュータが自動作曲したものの中からピンときたものを拾い上げる才能に秀でている人材が音楽業界で大きな地位を占める社会が近い将来やってくるかもしれません。その場合に備えて考えておくべきことが2つあります。

 1つは、この「コンピュータが自動的に作成する膨大な数の主旋律の中から、商用音楽としての訴求力を有するものをピックアップする作業」を、ピックアップ作業するものによる著作物の創作行為(とりわけ「作曲」)と見て良いのかということです。もちろん、コンピュータが自動的に主旋律を作成する作業自体を著作物の創作行為とする方向で立法をしていこうという見解があることは承知しているものの、コンピュータが自動的に主旋律を吐き出した時点では、そこに何人の思想も感情も表現されていないので、立法政策としての方向に疑問を抱いてしまうので、こういう問題設定をしているわけです。「ピックアップする行為」を著作物の創作行為とし得るのであれば、何をピックアップするのかという点にその人の思想又は感情の表出を見ることができるというわけです。

 もう一つは、コンピュータが自動的に作成した膨大な数の主旋律の中に、先行作品と同一または類似するものが含まれていた場合に、これをピックアップして利用する行為は著作権侵害に当たるのだろうかと言うことです。複製権侵害や本案権侵害等が成立するためには、先行著作物と同一又は類似の表現を利用したというだけでは足りず、その際に先行著作物に依拠していたことが必要だとされています。しかし、コンピュータが自動的に主旋律を生み出す時点では、コンピュータもこれを操作する人もその自動作曲プログラムを組んだ人も、その先行著作物と同一または類似する旋律を吐き出してやれと考えているわけではありませんから、先行著作物への「依拠」があったと見ることは困難です。

 では、コンピュータが自動的に作成した主旋律の1つが先行著作物と同一又は類似していることを知りつつ敢えてこれをピックアップして利用した場合、その先行著作物に「依拠」しているといえるのでしょうか。少なくとも建前上は、それが先行著作物と同一又は類似であることを知りつつも、コンピュータが自動的に作成した主旋律を利用しているに過ぎない以上、その先行著作物自体には依拠していないと言えるでしょうか。依拠していないといってしまうと理論的には楽ですが、そうすると、音楽については、先行のヒット作品と同一または類似する主旋律をコンピュータが自動生成するのを待てばこれを無許諾で利用できることになり、先行著作物の保護の範囲が狭くなりすぎるのではないかとの戸惑いも生じます。

 この問題に答えを出すためには、依拠とは何なのか、なぜ依拠がないと著作権侵害が成立しないとされるのかについて、もう少し考察を進めていく必要がありそうです。

Posted by 小倉秀夫 at 02:49 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | | Commentaires (0) | TrackBack (0)