自動作曲と依拠
近年はAIブームです。私的には、近年のAIの嚆矢は、ヤマハが提供した「VOCALODUCER」なのではないかと思っています。
それはともかく、作曲、とりわけ主旋律の作成作業というのは、普通の人が発生できる音階が限定的であることから、ただ作ればいいのであれば、コンピュータ向きの仕事であると言えます。コードと主旋律の中で使われる音階との間のルール設定をした上で、コード進行に関して一定のルール付けをしておけば、聴くに堪える主旋律が生まれる蓋然性が高まります。
もちろん、それらの多くは「聴くに堪える」というだけで、商用音楽として訴求力を持つものが生ずる蓋然性はさほど高くはないでしょう。コンピュータが自動作曲したものを商用音楽として利用しようと思えば、コンピュータが自動作曲した大量の主旋律の中から商用音楽としての利用に耐えるものを、人間が聴いてピックアップする必要が生ずることでしょう。
主旋律をゼロから作り上げる才能はないが、コンピュータが自動作曲したものの中からピンときたものを拾い上げる才能に秀でている人材が音楽業界で大きな地位を占める社会が近い将来やってくるかもしれません。その場合に備えて考えておくべきことが2つあります。
1つは、この「コンピュータが自動的に作成する膨大な数の主旋律の中から、商用音楽としての訴求力を有するものをピックアップする作業」を、ピックアップ作業するものによる著作物の創作行為(とりわけ「作曲」)と見て良いのかということです。もちろん、コンピュータが自動的に主旋律を作成する作業自体を著作物の創作行為とする方向で立法をしていこうという見解があることは承知しているものの、コンピュータが自動的に主旋律を吐き出した時点では、そこに何人の思想も感情も表現されていないので、立法政策としての方向に疑問を抱いてしまうので、こういう問題設定をしているわけです。「ピックアップする行為」を著作物の創作行為とし得るのであれば、何をピックアップするのかという点にその人の思想又は感情の表出を見ることができるというわけです。
もう一つは、コンピュータが自動的に作成した膨大な数の主旋律の中に、先行作品と同一または類似するものが含まれていた場合に、これをピックアップして利用する行為は著作権侵害に当たるのだろうかと言うことです。複製権侵害や本案権侵害等が成立するためには、先行著作物と同一又は類似の表現を利用したというだけでは足りず、その際に先行著作物に依拠していたことが必要だとされています。しかし、コンピュータが自動的に主旋律を生み出す時点では、コンピュータもこれを操作する人もその自動作曲プログラムを組んだ人も、その先行著作物と同一または類似する旋律を吐き出してやれと考えているわけではありませんから、先行著作物への「依拠」があったと見ることは困難です。
では、コンピュータが自動的に作成した主旋律の1つが先行著作物と同一又は類似していることを知りつつ敢えてこれをピックアップして利用した場合、その先行著作物に「依拠」しているといえるのでしょうか。少なくとも建前上は、それが先行著作物と同一又は類似であることを知りつつも、コンピュータが自動的に作成した主旋律を利用しているに過ぎない以上、その先行著作物自体には依拠していないと言えるでしょうか。依拠していないといってしまうと理論的には楽ですが、そうすると、音楽については、先行のヒット作品と同一または類似する主旋律をコンピュータが自動生成するのを待てばこれを無許諾で利用できることになり、先行著作物の保護の範囲が狭くなりすぎるのではないかとの戸惑いも生じます。
この問題に答えを出すためには、依拠とは何なのか、なぜ依拠がないと著作権侵害が成立しないとされるのかについて、もう少し考察を進めていく必要がありそうです。
Posted by 小倉秀夫 at 02:49 PM dans au sujet de la propriété intellectuelle | Permalink
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