日本維新の会が公職選挙法の改正案を国会に提出したそうです。
同党のウェブサイトによると、国会議員の被選挙権に係る国籍要件について、「日本国民」であることの他に、「外国籍を有する日本国民(国籍選択期間内にあるもの及び国籍選択宣言をした者を除く)は被選挙権を有しない」という要素を付け加えるのだそうです。
現行公職選挙法は、議員の国籍要件については、10条1項柱書において「日本国民は、左の各号の区分に従い、それぞれ当該議員又は長の被選挙権を有する」と規定するにとどまりますので、立法技術的には、「被選挙権を有しない者」についての規定である同法11条の2に第2項を加えるか、11条の3という規定を新設するかするのでしょう。
しかし、そのような公職選挙法の改正がなされた場合、憲法違反とはならないのでしょうか。
まず、被選挙権の憲法上の根拠については見解が分かれています。
最判昭和43年12月4日刑集22巻13号1425頁によれば、
憲法一五条一項は、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」と規定し、選挙権が基本的人権の一つであることを明らかにしているが、被選挙権または立候補の自由については、特に明記するところはない。/ところで、選挙は、本来、自由かつ公正に行なわれるべきものであり、このことは、民主主義の基盤をなす選挙制度の目的を達成するための基本的要請である。この見地から、選挙人は、自由に表明する意思によつてその代表者を選ぶことにより、自ら国家(または地方公共団体等)の意思の形成に参与するのであり、誰を選ぶかも、元来、選挙人の自由であるべきであるが、多数の選挙人の存する選挙においては、これを各選挙人の完全な自由に放任したのでは選挙の目的を達成することが困難であるため、公職選挙法は、自ら代表者になろうとする者が自由な意思で立候補し、選挙人は立候補者の中から自己の希望する代表者を選ぶという立候補制度を採用しているわけである。したがつて、もし、被選挙権を有し、選挙に立候補しようとする者がその立候補について不当に制約を受けるようなことがあれば、そのことは、ひいては、選挙人の自由な意思の表明を阻害することとなり、自由かつ公正な選挙の本旨に反することとならざるを得ない。この意味において、立候補の自由は、選挙権の自由な行使と表裏の関係にあり、自由かつ公正な選挙を維持するうえで、きわめて重要である。このような見地からいえば、憲法一五条一項には、被選挙権者、特にその立候補の自由について、直接には規定していないが、これもまた、同条同項の保障する重要な基本的人権の一つと解すべきである。
とのことです。
もちろん、被選挙権とて絶対的な権利ではありませんので、公共の福祉に適合するように、一定の内在的な制約を受けることはあります。とはいえ、被選挙権が他の国民の人権と衝突するという事態は通常ないこと、被選挙権が制約されると言うことはその者の利益が害されるだけではなく、その者への投票を望むその他国民の選挙権を実質的に制約すること、不適格者は国民が選挙権の行使により排除すれば足りること等に鑑みれば、被選挙権の制限は極めて例外的な場合についてのみ認められると言うべきでしょう。
現行法上、被選挙権が制約されているのは以下の場合に限られています。
- 一定の年齢に満たない場合(10条1項)
- 禁錮以上の刑に処せられその執行を終わるまでの者(11条1項2号)
- 禁錮以上の刑に処せられその執行を受けることがなくなるまでの者(刑の執行猶予中の者を除く。)(11条1項3号)
- 公職にある間に犯した刑法197条 から第197条の4 までの罪又は公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律1条 の罪により刑に処せられ、その執行を終わり若しくはその執行の免除を受けた者でその執行を終わり若しくはその執行の免除を受けた日から五年を経過しないもの又はその刑の執行猶予中の者(11条1項4号)
- 法律で定めるところにより行われる選挙、投票及び国民審査に関する犯罪により禁錮以上の刑に処せられその刑の執行猶予中の者(11条1項5号)
- 公職にある間に犯した刑法197条 から第197条の4 までの罪又は公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律1条 の罪により刑に処せられ、その執行を終わり又はその執行の免除を受けた者でその執行を終わり又はその執行の免除を受けた日から5年を経過したが10年を経過していない者(11条の2)。
では、重国籍者が被選挙権を有するということは、これらの者が被選挙権を有することとするのと同様の問題があるのでしょうか。この点に関しては、昭和59年8月2日の参議院法務委員会における飯田忠夫参議院議員(公明党)と枇杷田泰助・法務省民事局長との議論が参考になります。
飯田議員は、戦前の旧国籍法の第16条が帰化人、その子、日本人の養子、入夫等が国務大臣とか大審院長、会計検査院長、帝国議会の議員となることを制限していたことを指摘した上でその趣旨を尋ねます。これに対し、批把田局長は「これは国の重要な意思決定あるいは国権の重要な作用を担当する者につきましては、かつて外国人であったという方については適当でないということを考えてこういう規定を設けただろうと思います。そのようなかつて外国人であった者については適当でないという考え方は、まだ十分に日本人になり切っていないのではないかという危惧がある、そういう者が国の意思を決める重要な地位に立つというふうなことは若干危険ではないかというような発想からこのような規定が設けられたというふうに古い書物などには書いておるところでございます。」と答えます。これを受けて、飯田議員は、「現在の我が国の国情から言いまして二重国籍者、これは前は外国人、まあ前は外国人じゃないとしても現在同時に外国人である、そういう人ですね。日本人であると同時に外国人であるという場合に、旧国籍法で心配されたようなことがないと言い得るかどうか、大変疑問が存在すると思いますが、この点についてはいかがお考えですか。」とたたみ掛けます。これに対し、批把田局長は、現行国籍法にそのような規定が敢えて置かれていない理由について「旧国籍法のようなそういう危惧の念というものをこれは持つ必要はないだろう、殊に非常に民主主義というものが強く打ち出されました新憲法下におきましては、そのようなもし他国籍もあわせ持つ者とか、あるいはかつて外国人であった方であっても、これは要するに国民の意思、そういうようなものによって重要な国権の作用を果たす者が選ばれていくということでありますから、そういうところで実質的にチェックできるであろうというふうなことも考慮されているところだと思いますが、現在ではそういうような危惧を法律上とる必要はないという立場にあるものと考えております。」と答えます。
飯田議員はなおも「二重国籍ということは、御承知のように現在日本人であると同時に外国人だと、こういうことですね。日本人と外国人とが同居しているわけなんですが、人間の心というものはなかなか外からわからないんです。日本人と外国人が同居している場合に、その人の心は日本人なのか外国の方を向いているのかはっきりしないでしょう。そういうはっきりしない人が我が国の総理大臣になる、国会議員になるということでいいのかどうか、日本の政治を左右することになることが、それで日本の国家主権は守られるかという問題に関連するんですが、その点はいかがですか。」と追及しますが、批把田局長は「確かに国の重要な地位に立つということは、国の将来をも決めるようなそういう意思決定をする立場にあるわけでございますので、したがいまして、日本の国というものを考え、そして日本の国民全体が連帯意識を持つ、そういうような考え方の強い方が望ましいことは当然だろうと思います。それを二重国籍者であるからといって、当然にそういう考え方がないだろうというふうに一つのパターンを決めて法律上制限をするということまでは必要ないだろう、それは日本国籍を持っておられる方であっても、場合によっては今申し上げましたような点においては十分でないという方もおられるかもしれません。ですから、それは個々の方の問題であって、法律的に一つのパターンを決めて、そしてある資格を奪うというふうなことはいかがなものであろうかというのが現行法の考え方でございます。」と答えるのです。
この後、飯田議員は、批把田局長では埒があかないと考えたのか、「二重国籍者に被選挙権を無制限で認めるということは政治上障害が起こらないと合理的に判断させる根拠がありますか、お尋ねします。これは今法務省ばかりお尋ねしましたので、自治省のお方と内閣法制局のお方に御答弁を願います。」と矛先を変えます。これに対し、浅野大三郎・自治省行政局選挙部選挙課長は、日本国籍のほか他の国の国籍を有する二重国籍者が国会議員となるということも現行法上可能ということになっていることを確認した上で、「お尋ねは、一体それで政治上障害が起こらないという合理的理由があるかどうかということでございますが、大変難しい問題でございます。ただ、私どもといたしましては、これまでのところそういう二重国籍者が選挙権を行使する、あるいは選挙によって選ばれる、公職についたことにょりまして何らかの障害が生じたという事例は承知しておらないところでございます。」と答えるのです。結局、この日、飯田議員は、政府委員の賛同を一切受けられずに終わります。
実は、飯田議員は、昭和59年5月10日の参議院法務委員会でも、重国籍者の被選挙権についての議論を仕掛けています。
飯田議員は、まず、外国人の基本的人権についての一般論から入ります。「十四条は必ずしも外国人と国民との間の平等をどんな場合でも保障するというのじゃなくて、国に対して余り直接の影響のない分野においては保障する、例えば民事問題などについては保障するが、いわゆる選挙権だとかいったような問題、あるいは兵役の義務でも構いませんが、こういうような問題については日本人と外国人との間にはやはり差別を設けるのだ、設けても憲法違反にはならないのだというふうな受け取り方をしてもよろしいでしょうか。」との確認を行い、関守・内閣法制局第二部長から「ただいま申し上げましたとおり、外国人につきましても法のもとの平等という考え方は押し及ぼされて考えられてしかるべきであるということが最高裁判所の判例などからも言われているわけでございますけれども、その場合に、すべて同じでなくてはいけないということではなくて、合理的な理由があれば個々に合理的な範囲における異なった取り扱いをするということも憲法上許されるということでございまして、御指摘の選挙権等につきましては、これは事柄の性質上、国民が国家の政治に参画するということでございますので、それを外国人に認めないということが憲法上許されないということにならないことは当然だろうと思います。」との答弁を引き出しています。
その上で、飯田議員は、「もう一つ法制局にお尋ねをしたい点、同じく憲法十四条の保障の問題ですが、重国籍者にも無制限に保障が行われるかという問題です。今度の父母両系主義をとりますと重国籍者が出るのですが、この場合に、その重国籍者にも憲法十四条の保障は無制限に差別をしないという保障がなされるのか。重国籍者は日本籍を持っていますからね。お尋ねします。」とたたみ掛けます。これに対し、関部長は「重国籍者というのは、何と申しましょうか、日本の国民であると同時に外国籍を有するという特別の立場に立つ人でございますが、先ほど申し上げましたように、要はそういう異なる取り扱いをするということが合理的であるかどうかということになるかと思います。それによって決せられるべき問題であろうというふうに考えます。」と答えます。これを受けて、飯田議員は、「日本人と外国人との間がはっきり差別が分かれておる場合には、これは合理的だというふうに考える場合も出てくるでしょうね。例えば外国籍の者が日本の総理大臣になるとか国会議員になるなんていうたら困りますからね。これはもうはっきりできると思いますが、日本国籍と外国国籍と両方持つように今後なりますので、その場合に重国籍者に対して憲法十四条は無制限に適用になるか、つまり参政権も制限しないで与えるのか、こういうことなんです。また高級公務員、例えば各省の次官だとかあるいは局長だとか、そういう職につくことを認めるのかどうか。これは行政、政治の問題に密接に関連いたしますので、法制局の御意見がそのまま将来通ることになるから、これ気をつけて御答弁願います。よろしくお願いします。」とさらにたたみ掛けます。しかし、関部長は「重国籍者につきましては日本国民であると同時に外国の国籍を有するという特別の立場の方々でございます。こうした重国籍者の参政権あるいは公務員になる能力の制限の可否の問題につきましても、結局はそれが合理的なものと言えるかどうかという点にかかるわけでございまして、これを判断いたしますには、やはりその制限を必要とする事情あるいはその制限の内容、程度などなどを慎重に考慮いたしまして判断すべき問題である、こういうふうに考えております。」と言ってかわします。で、飯田議員は、「どうも抽象的なお言葉ではっきりしませんので、具体的にお尋ねいたしますが、二重国籍者、これは日本の国籍を与えますと外国の方で国籍の離脱を認めなければ二重国籍になりますからね。そういう人が憲法十四条を盾にとって自分も被選挙権があるのだと、こういうわけで衆議院議員の立候補を届け出たとしましょうね。この場合に、法制局の御意見として恐らくこれは選挙管理委員会の方からどうだと言って聞いてくると思いますが、そのときにどのような御返答になるのかお答えを願います。」と深追いを始めます。しかし、関部長は、「今のような問題につきましても、憲法十四条というのは、先ほども申し上げますように物事の性質に応じて合理的な異なった取り扱いをすることまでを禁じているわけではないということでございますので、今ここでちょっとその点についてどうというふうに申し上げにくいのでございますけれども、そういう制限をすることの可否についても、今申しましたようないろいろなそれを判断するべき要素というものを勘案いたしまして検討を加えるということになると思います。」と言ってなおもかわします。飯田議員はなおも追及の手を緩めません。「今私のお尋ねしたのは、選挙権とか被選挙権を与えるかどうかということなんですよ。それで、これはもう明確にお答えできると思いますが、つまり重国籍者、これは外国の主権に奉仕する義務を有する者でしょう。国籍を持っておる以上はその国の国民ですから、その国の国民は国の主権者です。例えばアメリカの国民はアメリカの主権者でしょう。同時に日本の主権者である。そういう場合に被選挙権を与えるということになりますと、アメリカの国に忠誠義務を尽くすことを要求されておる人が日本の国会議員になる、場合によっては自由民主党に属すれば総理大臣にもなる、こういうことになりましょう。そういう場合に具体的な条件を考えてなんていったようなことで済むかどうか。いかがですか。」と質問をします。関部長は、いよいよかわしきれないと判断したのか、「私どもは先ほど申しましたように憲法十四条というのは合理的な差別を禁止するものではないと考えておりますので、一概にそういう制限ができないものではないというふうには考えておりますけれども、今すぐ選挙権なり被選挙権の制限についてどうかということはなかなか難しい問題だろうということで、さらに検討させていただきたいというふうに考えるわけでございます。」と答弁します。深追いが失敗してしまいました。
でも、飯田議員はめげません。なおも、「主権国家の立場から考えますと、二重国籍で外国の国籍を持っておる人が日本の憲法を盾にとって主権国家に反するような権利を要求するということは権利の乱用ではないか。権利の乱用であれば、憲法上認める必要はないのではないかと私は考えますが、法制局はどうお考えになりますか。」と追及します。しかし、さすがにこの立論には無理がありすぎるので、関部長に「重国籍者になるということは各国の国籍法の法制の違い等によりまして生じてくるわけでございまして、それによってそれぞれの国の法制のもとにおいて参政権が得られるということになります場合に、その権利があるということになったからといって主張できないということに必ずしもならないのじゃないか。それが権利の乱用になるというふうには私どもは考えておりません。」と答えられてしまいます。
結局、飯田議員の努力は実を結ばず、重国籍者に被選挙権を認めるべきでないとの見解は政府委員たちの賛同を得られぬまま終わるのです。
昨今の議論もまた、この飯田議員の議論の繰り返しに過ぎず、重国籍者から一律に被選挙権を奪うことの合理性を根拠づけるものは見当たらないようです。
そもそも、選挙で選ばれる公務員(議員や自治体の首長など)は、様々な利害ファクターの代弁者としての性質を必然的に有しており、その選出母体や主たる支持者層の利害を全体の利害より優先させる可能性が不可避的にあるわけです。私たち有権者は、各立候補者が、特定の利害ファクターの代弁者であることを十分知りつつ、それを考慮要素に加えた上で、当該利害ファクターの利害を代弁しすぎる場合には対立候補者に投票するなどして、そのチェックを果たすことができるわけです。だからこそ、特定の利害ファクターの代弁者となり得ると言うだけの理由で被選挙権を奪われることはないわけです。そうだとすれば、重国籍者が、もう一つの国籍国という利害ファクターの利害を代弁する傾向にあると言うことが仮に言えるとしても、そのことは一律に被選挙権を奪う合理的な理由とはならないということになります。
さらに言えば、日本を常居所地として選んでいる重国籍者が、もう一つの国籍国という利害ファクターの利害を代弁する傾向にあると言うことは、全く実証されていないわけです。普通に考えれば、重国籍者であろうと、現実に通常生活している国籍国と、単に籍を抜かずにいるだけの国籍国とで利害が対立する場合には、現実に通常生活している国籍国の利害を優先させた方が、そこで生活している自分にとっても通常有益なわけで、敢えて、通常生活していない国籍国の利害を優先させる必要はないわけです。
これらの点に鑑みれば、重国籍であると言うことを理由として被選挙権を制限しようという日本維新の会の公職選挙法改正案は憲法違反のそしりを免れないだろうと思います。
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