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août 2006

31/08/2006

Gmailのスパム排除機能

 Gmail用のアドレスを取得して、従前の事務所系アドレスやプロバイダ系アドレス宛てに送られてきたメールをGmail系アドレスに転送するように設定したら、人身売買系を含むアダルト系のスパムメールはきっぱり遮断してくれるようになり、スパムメールのうざうざ感からかなり解放されるようになりました。

29/08/2006

池田さんによるオーマイニュース批判

 池田信夫さんが日本版オーマイニュースの批判をされているようです。

 確かに動作の重さに関していえば、システム側が批判されてしかるべきでしょう。

 ただ、旧態依然とした左翼的な記事もあったという点を批判するのはいかがなものかなあと思います(私の事務所は住基ネット訴訟では被告側に付いているし、そういう意味では斎藤さんとは敵味方に分かれているし、そういう意味では住基ネットに関してはこの人のいっていることは違うとは思うのですが、彼の意見も採用されている=全体として偏っている論は採らないのです。)。編集側がなるべく「中立」であろうとすれば、「旧態依然とした左翼的な記事」を排除するわけにはいかないわけで、むしろ、右側の人が奮起して、「旧態依然とした左翼記事のコメント欄に無理矢理匿名で乱入して悪口を言って帰る」のではなく、「市民記者」としてより魅力的な記事を投稿する気力がないこと自体を問題視すべきなのではないかという気がします。また、オーマイニュース日本版には私は関与していないのですが、この種の市民投稿側メディアでは、サービス開始当初の投稿者はどうしても元気の有り余っている人たちの割合が高くなりがちなので、そこだけで評価されるのはかなり厳しいという気がします。

 もちろん、池田さんは、実名で自分の意見を公衆に伝達する手段が多数ある方ですし、現に雑誌連載や実名ブログ等で伝達されているので、池田先生自らオーマイニュースの市民記者になる必要はないと思いますが、最初っからネガティブに評価して、「市民記者」の偏りを結果的に推進してあげる必要もないのではないかと思います。

 私も日本版オーマイニュースの創刊号には、サーバの重さ以外に不満はあります。それは、コメント投稿者の本人確認が甘いので、ブロゴスフィアと同じ間違いを犯しそうかなあという危惧感をもっているということです。匿名で無責任に記事作成者の悪口やレッテル貼りだけをしに来る人というのは、無意味といいますか、有害でしかないので、システム側としては、「旧態依然とした右翼的な記事」以外の投稿が憚られるようにしないためにも、匿名コメンテーターの暴走を防ぐ工夫をもう少ししてあげないといけないのではないかと思います。

27/08/2006

オーマイニュースの中立性

 佐々木さんから、トラックバックを戴きました。

 佐々木さんは、トラックバック元のエントリーの中で、

 しかし私が上記のコメントで書いたように、そうした新たな「場」「空間」を作り出すためには、そのプラットフォームに徹底した中立性が求められる。中立性のないプラットフォームには、そのプラットフォーム管理者の好みに偏った人たちしか集まらない。検索エンジンという巨大なプラットフォームを持ち、既存のシステムを破壊しているGoogleが圧倒的な支持を得ているのは、彼らがアルゴリズムという非人間的中立性を軸に据えることで、左右、新旧、文系理系、男女、貧富といったあらゆる面において徹底的に中立を担保しているからだ。
と仰っています。私は、日本版オーマイニュースは、この種の人的属性に着目したレベルの中立性は担保されるのではないかと思っています(「貧富」については、ネットへのアクセスが可能な程度の豊かさを必要とはしていますが。)。鳥越編集長に対しては、そういう属人的な要素で人を差別しない人であろうとの信頼を私は持っているからです。

 ただ、現実に編集者がいて編集作業を行う以上、2ちゃんねるやGoogleと違って違法なコンテンツは排除しなければならないでしょうし、違法とまではいえないかもしれないが品位を欠くコンテンツ(侮辱的だったり差別的だったりするものなど)や、根拠の乏しいネガティブコンテンツ等も排除するという選択肢をとる可能性は十分にありえます。また、極めて低額とはいえ、記事に対して報酬を支払う以上は、インフォマティブな情報が含まれていない記事は採用されない可能性が高いとは思います。その意味では、コンテンツ選択の中立性は完全には守られないかもしれませんが、どのような立ち位置にいる市民記者が優秀であり又は無能であるかによってオーマイニュース全体の傾向は決まってくるのであり、その点については、鳥越編集長やプロ記者の立ち位置をどうこういっても始まらないように思います。

 日本版オーマイニュースが2ちゃんねるやブロゴスフィアより左に偏るか否かは、むしろ、右派ないし極右の論客において、2ちゃんねるや匿名ブログ等で培った子供じみた手法を卒業して、匿名に逃げることなく、インフォマティブな情報を、しっかりとした根拠とともに、品位を保ちつつ公衆へと伝達する意思と能力のある人材がどれだけ出てくるのかにかかっているのではないかと思います。そういう意味では、日本版オーマイニュースによって試されているのは、むしろ右派陣営なのではないかとすら思ったりします。

日本の思想警察

 Washington Post紙がThe Prise of Japan's Thought Policeという記事を掲載し、日本における右翼による言論弾圧について報じています。

 その中で、"one top political commentator in Japan" (田原総一朗さん?)が、"I know the right-wingers are monitoring what I write and waiting to give me further trouble. I simply don't want to waste my time nor energy for these people."と述べているようですが、そのうざうざ感、よくわかるなあという気がします。
 より魅力的ないし説得的な見解を公表して相手を説得すると言うより、相手を監視し、相手に嫌がらせをして、その信ずるところを表現する意欲を奪ってやろうと虎視眈々と狙っている人々のお相手をしても、何も得るところはなく、単なる時間のエネルギーの無駄ですからね。

言論のフラット化が進んだネット社会

 言論のフラット化が進んだネット社会というのは、質の高いコンテンツを創出できる人々を、そうでもない人々が揚げ足取りなどで疲弊させて、コンテンツをネット上で公表する意欲を失わせることが横行する社会をいうのでしょうか。

 そうだとするならば、くだらない社会ですね。

 http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060826

ディマクコンダ

 今日のブロードキャスターで、マラウィでHIVの蔓延を食い止めるために「ディマクコンダ」を作詞し自ら実演して奔走する山田耕平さんのミニ特集を放送していました。

 山田さんのマラウィ国内での一連の活動はマラウィ国中に知られており、それは山田さん個人のマラウィ国内での評価を高めるのみならず、山田さんの国籍国である日本国のマラウィ国内での評価をも高めていきます。もちろん、イチローや松井のような超人的な活躍ぶりを外国で見せつけることもまた、その当人のみならず、その国籍国である日本の評価をしばしば高めますが、そのような超人的な活躍を見せつけなくとも、個々人が自分のできる範囲で国際社会の役に立つことを行うことによっても、その国籍国である日本の評価を積み上げることになります。「情けは人のためならず」というのは個人レベルの道徳律であるだけではないようです。

 それに引き替え、周辺諸国を悪し様に罵ったり、自国の旧体制の過去の汚点を正当化するために内輪でしか通用しないレトリックを使って内輪だけで盛り上がったりしている人々のなんと役に立たないこと!!彼らの言動はいくら積み重なっても、「ああ、日本って素敵な国だなあ」という評価が高まることなどない(民族差別主義者が大手を振るっている野蛮な国だということで日本の評価を貶めることはあるにせよ)のだから、日本を愛する気持ちが強いというのであれば、「そういう活動をする国民がいる国は素敵だ」と思わせるような活動にその貴重な時間を費やせばいいのに。

 ブロードキャスターによれば、8月30日に日本国内で発売される「ディマクコンダ」の印税収入で、山田さんはマラウィにHIV検査センターを建設するとのことなので、これを購入することによって、山田さんの活動を少しでも資金面から支えてみてはいかがでしょうか?

26/08/2006

日本版オーマイニュース

 日本版オーマイニュースの正式開店を間近に控え、佐々木さん藤代さんなどの名だたる論客がそれぞれの「日本版オーマイニュース論」を発表しています。しかし、私には、それらの評論は肝心なところで的を射ていないように思いました。

 日本版オーマイニュースが目指しているのは、おそらく、日本のインターネット文化に広まってしまった「2ちゃんねる」的なものの対極なのでしょう。日本版オーマイニュースでは、「プロ記者」はもちろん「市民記者」までもが実名報道を義務づけられることにより一つ一つの記事について責任を持つことを求められ、さらに、編集者の目を通して単なる誹謗中傷や根拠の乏しいデマ情報の類が排除されていくことが予定されています。つまり、そこでは、「記者」の裾野を広げるということ以外は、既存のマスメディアと同程度の情報フィルタリングは果たしていこうということが志向されています。

 そしてそれは、全ての情報をフラットに取り込んでその真偽のほどを確認するだけの余裕がなく、かつ、嘘を嘘と見抜けなくともどうでもよいとまでは開き直れない多くの受け手にとっては、あってしかるべき選択肢だったのだろうと思います。全ての情報がフラットに表示される環境下では、しばしばネガティブな情念に基づく非インフォマティブな情報やある種の政治的・宗教的立場から流されるデマ情報が場を支配してしまいがちですが、そういうものに貴重な時間を取られたくない人や、他人のネガティブな情念など見たくないという人々もまた少なからずいると予想されるからです。

 オーマイニュースの市民記者になるための敷居は高くなく思想的に「左」の人々のみを市民記者として認めるという運用を予測しにくいこと(そもそも「右」「左」で割り切れる話題を扱いたい人ばかりではないようですし。)、また編集の段階で「ボツ」にしたところで別の場所でそのボツ原稿がアップロードされる可能性がある以上思想的に偏った編集作業はしにくいことを考えると、鳥越編集長がオーマイニュースの思想的な立ち位置を決められるということを前提とする批判はあたっていないように思います。もちろん、オーマイニュースでは実名報道が義務づけられる結果、匿名でなければ意見表明をできない人々はそこから排除されることとなるわけで、その結果、匿名でなければ意見表明をできない人々に支えられている色彩の強い極右ないし右派的な表現は、既存の匿名メディアよりは割合的に減少することが予想され、結果的に既存の匿名メディアよりは全体的に左寄りになることはあるのかもしれないですが、それは右派側の矜恃ないし意気地の問題であって、編集側の責任ではないのでしょう。

 もちろん、鳥越編集長は、ショービニズムを排除する意思を表明しているし、そのことをもって中立的でないと批判している人もおられます。しかし、多様な意見を採り上げることとあらゆる言論から中立であることは異なるし、オーマイニュースはあらゆる言論から中立であることは表明していないので、そこはそんなに批判すべきポイントかなあという疑問があります。ショービニズム的な表現って、特にそれが特定の国や人種や民族に対する侮辱的、差別的ないし攻撃的な表現を含むときには、先進国でも刑罰法規をもって禁止される例が少なくない(というか、人種差別撤廃条約を留保なしで批准した国はそのような国内法を作らないといけない)わけでそのような表現を含めた中立性を保つというのはそもそも無理がある話だし、ショービニズム的な表現を放置しておくとその言論環境の品位が落ちていってしまい、ショービニストと能動的アンチ・ショービニスト以外の人々が離れていってしまう危険があるのだから当然ではないかなあという気がします。

 また、オーマイニュースでは記事に対するコメントも市民記者か準市民記者(氏名やメールアドレスを登録した者)に限定していますが、この点も批判されているようです。佐々木さんは「すばらしい言論も平凡な意見も、あるいは妄想系のヨタ話もすべてがひっくるめてブロゴスフィアであり、フラット化というのはそれらをすべて引き受けなければならないということなのだ。」と仰るし、ニヤリさんは「ブロゴスフィアはたとえ玉石混交であろうとも様々な意見が混ざり合って、極めて自由かつ公平*1な議論が行えることが最大のメリットであり利点だった」と仰るのですが、そもそも現在のブロゴスフィアに問題点があると思っているからこそ新たなサービスを開始するわけだから、それはあたっていないように思います。実際、現在のブログシステムの欠点の一つは、記事投稿者とその読者とのコメント欄を通じてのコミュニティがわずか数人の「悪意のある人々」によって壊されるのを回避する手段がない点および自分の言説に一切の責任を負えない人々のプロパガンダの場に活用されることを回避する手段がない点にある点にあり、「仮面を被ることによって羞恥心をかなぐり捨てた暇人」に物量的に制圧されることを回避するためには、コメント投稿者にも一種の個別ID登録を義務づけるのは一つのあり得る解決策だと思います。

24/08/2006

分数計算ソフト

 分数を分数のまま計算してくれる(例えば、1/2+1/3=5/6と算出してくれる)Mac用のソフトをご存じの方がおられたら、教えてください。

 相続関係を引き受けてしまうと、時折、ものすごい面倒な分数計算が求められることがあるので、そういうソフトがあると結構嬉しいです。

靖国神社を国家護持すると

 靖国神社の国家護持を主張する人々は、靖国神社が人事権や予算編成権を国に管理される(「国営」になれば、当然のことです。)ことに賛同しているのかという疑問があります。

 その所轄官庁が総務庁になるのか厚労省になるのかわかりませんが、所轄の大臣に公明党系の議員が就任するということもあり得るし、与野党逆転すれば、旧社会党系の民主党議員が所轄の大臣に就任する可能性もあるわけです。そうなれば、彼らが行うトップ人事次第では、靖国神社のあり方が大きく変革される可能性もあるわけです。

 また、誰をどのように慰霊又は顕彰し或いはしなかったのかということは、行政行為として、行政訴訟による司法的な審査の対象となる可能性があり、これに対して、靖国神社側は「信教の自由」をもって対抗することはできなくなります(国家護持されて以降は、そこでの慰霊ないし顕彰は、私的行為ではなくなりますから。)。

 そう考えると、靖国神社の国家護持って、靖国信者のためにもなっていないような気がします。 

22/08/2006

ネオ自虐史観

 日本国憲法の下で運営されている日本国において多くの人々がそれなりに幸せに暮らしており、自分も戦後の日本国民としてその恩恵にある程度預かっているにもかかわらず、昭和前期から敗戦までの日本社会に幾分かの憧憬を抱き、戦後の日本社会の構造等を過度にネガティブに捉える見解のことを、「ネオ自虐史観」と読んではいかがでしょうか。

 ネオ自虐史観論者は、しばしば、戦後民主主義や平和主義等の戦後日本の繁栄を支えた社会構造等を攻撃しているわけで、そういう意味では戦後民主主義下の日本(といいますか、それは現在の日本そのものですね。)が嫌いな「ネオ反日」といってしまってもよいように思います。

21/08/2006

法テラスは求人方法を間違えている

 最長9年間しか就労できず、かつその間の経験がその後の業務に活かされることはないと信じられている「法テラス」への就職を未来のある若者に働きかけてもなかなか応じてもらえないというのは私には十分予測可能なことのように思います。「法テラス」への就職が合理的な行動となるのは、むしろ第一線で活動するのがそろそろきつくなってきたが年金や貯蓄で暮らすにはまだ早いと感じている高年齢層の弁護士たちです。既に資産形成があらかた終わっているこの層にとっては悪くない給与水準ですし、彼らにとっては「最長9年間の経験がその後の業務に活かされない」というのはさしてマイナスではないからです。そういう意味では、日弁連はアピール先を間違っているように思います。

 「自分たちではやる気が起こらない業務は若手に押しつければよい」という感覚から日弁連は早く脱却してもらいたいものです。

20/08/2006

日比谷焼打事件を想起する

 最近のネット界隈での極めてハードルの低い「反日」「売国」「媚中派」のレッテル貼りを見ていると、往年の日比谷焼打事件を想起させなくもありません。

 勝算のない強硬論や、ハイリスクの割に実利に乏しい強硬論、あるいは相手に対する過剰な恐怖心の裏返しとしての強硬論に与することは、別に唯一の愛国心の発露形態というものでもないし、それがおそらくうまくはいかないであろう(それどころか、相手の態度を硬化させ却ってマイナスになるであろう)高い蓋然性を予測している者にとっては、そのような強硬論に与することは、あまりに無責任すぎて耐えられなかったりするものなのです。

 強硬論をぶちまけるのは楽だし、正義感に酔いしれることができ、ストレスの発散にもなるかもしれません。ただ、世の中、馬鹿になりきれず、実現可能性を無視した強硬論にどうしても与することができない人間もいるので、そういう人をあまり嫌わないでやってほしいと思います。

 加藤紘一議員に対する一部ネット右翼さんのものの言い様を見ていてそう思った次第です。

cyberbullying

 ネットの匿名性というのは、現実社会での知人等をいじめるのにも活用できるようです。実際、Cnetが奉ずるところによれば、米国では既にこの点が問題となっているようです。

 Kylieさんの件は、結局、警察の調査により犯人が発見されることにより事態は解決の方向に向けて動き出したようですが、それでもその間にKylieさんが負った心の傷というのは察するにあまりあります。

 弁護士の間でも、「匿名性(極端なのはハンドルネイムもいらない「名無し」ばかりの2チャンネル掲示板群なんだろう)は、ネットにおいてなんとしても守るべきものです。」なんてことをいうもいるようですが、そういう方は、Kalieさんのような方から相談を求められた場合、どのようにアドバイスされるのでしょう。「落書きを広くできる社会であってこそ、(しょもないのが99あっても1つの大切な言論、情報提供があるものです、実際。)危ないファシズム、管理社会を止められるのだから」、「Kill Kylie Incorporated」(Kylie抹殺会社)という名のウェブサイトを立ち上げ」られたり、「同性愛者だと中傷」されたり、「別のクラスメートがKennyさんのハンドル名に似た名前でインスタントメッセージに入り、彼女が所属する陸上ホッケーのチームメートに対し、デートなどに誘うメッセージを立て続けに送りつけ」るなどされたりして、「いやがらせによって、学生生活のうち2年間がめちゃくちゃになり、友人関係は壊れてしま」う等の苦痛を味わっても我慢をしなさいとさらっと言ってのけるのでしょうか。

化けの皮?

 ネット上では、ナショナリズムにすがりついている自分を正当化するために「左翼、反戦平和、護憲、進歩派知識人などの嘘と化けの皮がネットに乗って一気にばれてしまった」みたいな発言をする人が少なからずいますが、実際のところは、反「左翼、反戦平和、護憲、進歩派知識人」の扇動にあっさり乗っかってしまう若者が少なからずいたというだけのことでしょう。人権擁護法案問題のときも女系天皇問題のときも、ネット上の議論があっさり陰謀論に行き着いてしまったあたり、「ネットのおかげでマスコミによる洗脳から目覚めた」と思いこんでいる方々のメディアリタラシーの底の浅さが露見してしまったわけですし。

 まあ、日本の若者の右傾化に関しては、「日本が戦争にコミットすることは自分の死に繋がりかねない」という想像力が欠如しているということが大きいのでしょう。現実問題として近隣諸国が日本を侵略してくる危険性は無いと本音ではほとんどの人が思っているわけですし(だからこそ、安心して日本海側に原子力発電所を建設できる。)、海外で戦争にコミットする分には、死ぬのはせいぜい自衛隊員であって自分たちではないと思っている(「日本では憲法が改正されても徴兵制など採用されるはずがない」という見解に「右傾化した若者たち」が飛びつくのは、「日本の国際的評価を高めるために血を流す日本人に自分たちはこれからも含まれないのだ」と思いこみたいからでしょう。)わけですから。また、「国」や「民族」単位で考えることにより、現実社会での個人としての自分の不甲斐なさを棚に上げて、「強者」の立場に立つことができるというのも、彼らにとっては魅力的なのでしょう。極左はともかく、中道左派〜左翼の人たちって結構個々人の救済に力点があったりする(「個々人の権利の救済」についての面倒見の良さでは、共産党系と創価学会系は結構すごいですから。)ので、そうするとどうしても「個人」を重視してしまうのすが、それが故に、現実社会での個人としての自分に自信がない人々は「左翼、反戦平和、護憲、進歩派知識人」に強い不快感を感じてしまうのでしょう。

 また、ネット上では、特に近隣諸国に対しては非妥協的に行動することを善とし、日本も一定の譲歩を行うことで妥協点を見出そうとする人を「反日」とか「媚○」などと罵る人々がいるわけですが、これなんかは、現実社会でシビアな交渉を行った経験が不足しているからなのではないかという気がしてなりません。現実社会での交渉経験が不足しているということは、「こちらが拳を高く振り上げていれば相手は折れてくるはずだ」という根拠のない自信に繋がりがちであり(あるいは、自信というより、現実社会では強く自己主張をした経験がないからこそ、「『力』を背景に拳を高く振り上げることができたら、相手に私の望みを聞き入れさせることができたであろうに」という反実仮想からくる憧れを、自己を「日本国」に心理的に同一化させることにより、「日本国の行動」を通して実現しようとしているだけかもしれませんが。)、そのあたりが対東アジア政策に関する彼らのやたら強硬な主張に繋がっているのではないかという気がしています。

19/08/2006

proxyによるストーキング

 日本では、「proxyによるストーキング」というと、proxyサーバを活用したcyberstalkingのようなものを思い浮かべがちですが、実際には、この言葉は別の意味で用いられています。

 嫌がらせ行為を自ら実行するのではなく、嫌がらせ行為を行うように他人を煽ることを、「stalking-by-proxy」(代理によるストーキング)というのだそうです。2ちゃんねるや監視サイト等で、特定のブログへのコメントスクラムや電凸を煽るような行動も、ここでいう「stalking-by-proxy」に含まれるのでしょう。Bocij「Cyberstalking」100頁によれば、一人の被害者ではなく、たくさんの人を操ることができるので、「sense of power」を増大させるのだろうとのことです。

 Bosij・前掲100頁によれば、「stalking-by-proxy」は、グループ全体への嫌がらせや政治的目的の追求にも用いられるようで、極右団体が敵と戦うために、ガソリン爆弾の製造・貯蔵の説明書とともに、著名な反差別主義者たちの氏名と住所を流布させていた件などが例示されていました。Bocijも、テクノロジーを活用したこのような「stalking-by-proxy」の社会学的または心理学的な要因についてはよくわかっていないと述べていますが、一方で、極端な見解を持っている集団との関係では、「The influence of the group and its message may cause indivisuals to surrender to the group's authority, making them submissive to its suggestions and wishes.」という説明が可能なのではないかと述べています(Bosij・前掲101頁)。

 「stalking-by-proxy」に限らず、「極端な見解」をお持ちの方々によるコメントスクラムや粘着君などのcyberstalking活動の動機としては、しばしば、彼らの集団の権威に他人を屈服させたいという点があるのだろうなあということを、日本のcyberstalkerさんたちを見ていると思ってしまいます。

18/08/2006

What Motivates Cyberstalker?

 昨日、大文字焼を見に、京都に行ってきました。そして、今日、帰りの新幹線の中で、Paul Bocijの「Cyberstalking」(副題: Harrassment in the Internet Age and How to Protect Your Family)を読んでいました。

 その中の「What Motivates Cyberstalker?」という章では、「普通の」人をCyberstalkerならしめる要因を、大きく「TECHNOLOGICAL FACTORS」と「SOCIAL FACTORS」とに分けた上で、「TECHNOLOGICAL FACTORS」には「Increased Access to Technology」や「Increased Familiarity with Technology」の他に、「Ability to Remain Anonymous」や「Ability to Disguise Activities」、「Abikity to Destroy Evidence of Deviant Activities」などを取り上げ、「SOCIAL FACTORS」には「Disinhibition」や「Deindividuation」、「Dehumanizing Others」、「Perceptions of Power and Control」、「Physical and Emotional Distancd」、「Formation of Strategic Identities」、「Lack of Policing」、「Formation of Deviant Groups」などを取り上げています。

 日本のコメントスクラムや粘着君を想定しながら読み進めると「当たっている。当たっている」という感じがしてきて、その種の人は世の東西を問わずいるのだなあとある意味感心してしまいました。

17/08/2006

不真面目な文体やレトリックを用いた批判コメントを投稿する人の目的

 ブログ主が真面目に立ち上げたエントリーに対して、不真面目な文体やレトリックを用いた批判コメントを投稿する人の目的はいったい何なのでしょうか。

 文体やレトリックが不真面目であればあるほど、これを無視したり削除したりすることに対する社会的な許容度は高くなります。もちろん、無視したり削除させたりすることでそれを逆手にとってレッテル張りをするというテクニックはあり得なくはないのですが、そこまでしてブログ主への人格攻撃を行いたい動機というのはよくわかりません。

 あるいは、それらのコメンテーターさんたちは、Aという人が、Bという人のCという意見に対し、不真面目な文体やレトリックを用いた批判を執拗に行った場合に、「Bという人のCという意見は間違っている」と感じ取ってしまう程度のリタラシーの持主に囲まれて生きており、そのような手法は、「Bという人のCという意見は間違っている」と広く信じ込ませるためのものとして功を奏していると考えているのでしょうか。現実空間では少し考えがたいことなのですが、あるいは、ネットの外では他者と真摯な意見交換をした経験が乏しい人は、ネット特有の「極めて得意な考えの持主でも、共鳴者がある程度は見つかるため、『自分たちこそが実はマジョリティなのだ』との倒錯を覚えてしまう」現象により、そのように真剣に信じてしまっているのかもしれません。

 あるいは、そのようなことは十分承知しつつも、匿名の陰に隠れていてさえも、相手と真面目に対峙するだけの意気地がないために、ついつい不真面目な文体やレトリックを用いてしまうのかもしれません。有り体に言えば、あれはあれで精一杯虚勢を張っているつもりなのかもしれません。

 もちろん、不真面目な文体やレトリックを用いた批判コメントによりそのエントリーの信頼性が低下する等の効果が生ずるとは思っていないが、そのような不真面目な批判コメントでコメント欄が埋め尽くされることによってブログ主がブログを継続する意欲を失ったり、そのような不真面目な批判コメントが継続的に投稿されているのを見て健全な感性を持った読者が居たたまれなくなってそのブログを定期巡回する意欲を失ったりすればそれはそれでよいという程度の目的でしかないということも考えられなくはありません。もっとも、なぜにそこまでしてそのブログを邪魔したいのかという動機はよくわかりません。

 あるいは、そのブログ主がブログでの表現活動や真っ当な読者との交流を通じて高い評判を勝ち得ることを快く思わない人のために自主的に又はその委託を受けてそのような妨害工作を行っている場合もあり得るかもしれませんが、それも不毛な話です。

15/08/2006

Anonymity Providerの刑事責任

 Anonymity Providerは、その利用者が提供された匿名性を利用して違法行為を行っていることを具体的に知った後は、同様の匿名性を利用した違法行為が行われないようにしかるべき措置を講ずる条理上の義務を負うとはいえないでしょうか。

 で、同様の匿名性を利用した違法行為が再び行われることが予見可能であり、これを回避することが可能であれば不法行為責任は成立するし、特段の措置を講じなければ同様の匿名性を利用した違法行為が再び行われるかもしれないと認識しつつそれならそれで構わないと認容した場合には、そこで中立性を失い、刑事的に幇助犯ないし共同正犯に問われるということにならないでしょうか。

 例えば、ある匿名電子掲示板で特定の人物について立てられたスレッドの中ではその人物に関する誹謗中傷発言が多数投稿されていることを知っていた場合には、その掲示板の管理者はその人物に関するスレッドを全て閉鎖し今後立てない等の措置を講ずるべきであって、その人物に関するスレッド内では再びその人物に関する誹謗中傷発言が投稿されるかもしれないと認識しつつそれでも構わないとしてその人物についてのスレッドを削除せず放置しまたは新たに立ち上げる行為は名誉毀損ないし侮辱罪の幇助といいうるのではないかという気がします(なお、掲示板管理者が被害者からの発信者情報開示請求にゆえなく応じない場合には、そのことが当該掲示板の利用者に伝わることを認識していた場合には、当該掲示板における違法なコメントの投稿を行うに当たっての安心感を与えたという意味で、もはや中立的ではない精神的な幇助を行ったといいうるようには思います。)。

 また、GMO Internet社の「Whois Protect Service」の利用者がこれを利用して匿名で取得したドメイン名を用いたウェブサイトにおいて第三者の名誉を不当に毀損する発言を掲載していることを知った場合、GMO Internet社としてはそのような発言の削除を削除させるか、削除しない場合には「Whois Protect Service」の提供を中止する義務を有するのであって、このまま「Whois Protect Service」を提供し続ければそのような名誉毀損発言を掲載し続けるかもしれないと認識しつつそれならそれで構わないとして漫然と「Whois Protect Service」の提供を続けた場合には、名誉毀損罪の幇助犯となるのではないかという気がします。あるいは、「Whois Protect Service」の利用者がイエロージャーナリズム的なサイトを運営していることを知った場合には、「Whois Protect Service」の提供を続けると再びそこで名誉毀損発言が繰り返されるだろうという予測が普通たつわけで、「Whois Protect Service」により匿名性が確保されていることを良いことに再び裏付け調査を行わずに著名人のスキャンダルネタがそのサイトで取り上げられるかもしれないということを認識しつつ、「Whois Protect Service」の提供を続けた場合には、名誉毀損罪の幇助犯となりうるのではないかという気がします。

14/08/2006

Anonymity Provider の削除協力義務

 ブログサービスや掲示板サービス等を提供している事業者のなかには、緊急の連絡先をそのトップページに掲載していないところが多いですが、これってとてもまずいことのように思います。一刻も早く削除しなければならない書き込み(例えば、「私をレイプして下さい」との文言とともに、若い女性の氏名・住所・電話番号等が掲載されていた場合など)が発見されたときに、緊急の削除措置等を求めることができないからです。

 まあ、「レイプして下さい」まで書いてあると警察に駆け込むことで対処できるかもしれませんが、例えば、女性の顔写真と氏名・住所・電話番号だけが画像つき掲示板に投稿されていた場合などは、警察も必ずしも対処できないので、大変そうです。

 Whois Protect Serviceを提供しているGMO Internet株式会社も、Whois Protect Serviceを利用してドメイン名を取得した者がWebサイトの開設に用いているサーバを管理していないので違法なコンテンツを削除することはできないが、Whois Protect Serviceを利用して違法なドメイン名を取得した者の氏名および連絡先は教えられないとのことのようで、このサービスを利用した者により上記のような違法な書き込みがなされ緊急に削除してもらう必要が生じたときは、「警察よ。私の願いを届けて俊敏に動いてくれ」と祈るような気持ちで警察に駆け込むしかないということになりそうです(なんたって、GMO Internet社が、「このサービスについてはプロバイダ責任制限法第4条第1項の適用はないから契約者情報の開示には応じられない」と突っぱねてきたらプライバシー情報削除の仮処分を申立てることすらできないので、被害者はストーカーになされるがまま堪え忍ばないといけないということになります。)。

 まあ、それで被害者の女性が襲われるという事件に発展すれば、このWhois Protect Serviceはネットストーカー御用達ツールとしての人気が高まり、GMO Internetの株価も上がって、ネットストーカーたちとGMO Internetとの間に「Win-Win」の関係が生まれそうですが、それはインターネット全体で見れば、結局のところ、インターネット社会の無法地帯化に寄与することにしかならないので、社会的には多大なる害悪を生じさせるものであるといえそうです。

 そのような悲劇が発生する前に、GMO Internet社を含め、匿名での表現活動を可能または容易にするサービスを提供する者(Anonymity Provider)は、その利用者が掲載した違法な情報を緊急に削除するための手段を用意し、かつ、その内容および利用方法を掲載したページにトップページからリンクを貼るなどしてわかりやすく表示すべきなのではないかと思ったりします。

その手法は取扱注意

 他人の論理を批判するにあたって、その論理を示した文章に含まれる語句のいくつかを他の語句と入れ替えることによって、その論理のおかしさを示すという手法があることは認めるし、私も使わなくもないのですが、これは、どの語句とどの語句とを入れ替えるかという点においてセンスが欠けていると、単なる痛々しい難癖にしか見えなかったりします。また、この手法って、結構揚げ足取り感が強いので、多用するとかなり痛々しくなります。また、自分は匿名の陰に隠れてしまっている人が相手の属人的な要素を取り上げて攻撃するということも、かなりげんなりです。こういうのって、他人からどう評価されるのかを気にしながら議論をする経験値の多寡の問題なのかもしれませんが。

 私に粘着されている方がどういう方々なのかは何人かを除けば定かには存じませんが、もし学生さんが含まれているのであれば、折角なのだから現実社会でも通用する手法を身につけた方がよいのではないかなあと思ったりはします。「2ちゃんねる的手法」が通用する空間って、現実社会ではなかなか見あたらないわけですが、学生さんは学校を卒業したら現実社会のルールの中で、議論をしながら、他人に自分の主張を一部でも聞き入れてもらわないといけないのですから。

 いやまあ、私は、中古ゲーム屋さんとは仲が良いので、基本的にゲーム規制に対しては比較的消極的なのですが、それでも松沢知事のブログの粘着君にはかなり痛々しさを感じてしまいます。

12/08/2006

FATAL PURITY

 愛国心教育の必要性を訴える人についての疑問の一つは、彼らは子供たちに自分のような大人になってもらいたくて愛国心教育の必要性を訴えているのか、自分のようにはなってもらいたくなくて愛国心教育の必要性を訴えているのかということです。

 それはともかく、ちょっと前にAmazon.comに注文していたRuth Scurrの「FATAL PURITY──Robespierre and the French Revolution」が今日届きました。8月は比較的時間の自由度が増す月なので、ちょっと歴史物にチャレンジしてみようかなという感じです。

 それにしても、愛国者好きの方にとって、Robespierreってどう映るのでしょうね。

ロースクールの学部化

 現在のロースクール制度は、私以外のブロガーにも評判が悪いようです。

 ロースクール制度の問題の一つは、ロースクールを「大学院」に位置づけたところです。

 ロースクールを「法学部」の中の1学科として位置づけていれば、自分の能力や法曹の未来に疑問を抱いたときに転身しやすいですし、人生の中で無収入でいる期間も短くて済みます。企業が法務部のスタッフとして採用するにしたって、1歳でも若い方が好まれます。

 それに、渉外業務をやろうと思ったり、研究者への道を歩んだりしようと思ったら、さらにそこから留学したり、研究者用の大学院教育を受けたりしなければいけないわけで、よくよく豊かな親御さんを持たない限り、そんなに無収入期間が長期にわたることには普通は耐えられないと思います。

 もちろん、「学部」だとある程度一般教養や体育などもやらないといけないわけですが、同じ内容を3年間で詰め込むよりは、一般教養等を交えつつ4年で学んだ方が、学ぶ方も楽です。他学部で学士以上の学位を持っている人のためには、一般教養科目等を免除して、3年で単位を履修して卒業できるようにしてしまえば、現在の未収者コースと同じ年限で卒業できます。

 では、ロースクールを「大学院」に位置づけるメリットはあるのかというと、卒業生が英文の名刺に「Judicial Doctor」と書き込める(争いはありますが)程度の話であって、大したことはありません。「他学部出身の人には『大学院』としてのロースクールの方がよいのだ」とのことでしたら、大学院としてのロースクールと学部としてのロースクールを併存させればよいように思います(あとは、統一「新司法試験」および法律事務所等での採用活動の中で、好ましくない方が淘汰されていくだけの話です。)。

 ということで、私としては、ロースクールの「学部化」を提案します。

ネット上での「愛国者」さんたちの行動パターンを自分の子供に見習ってほしい?

 仮に教育基本法が改正されて「愛国心教育」が公立学校で義務づけられると子供たちはどういう大人たちに育っていくのでしょうか。

 本当は、公立学校で一律に義務づける前に、「愛国心教育が大切だ」と考える関係者たちが私塾として「愛国者塾」を開設し、自分の子供を「愛国者」にしたい親が子供をそこに通わせてみたらよいと思うのですが(その結果、「愛国者」として成長した子供たちの前途が洋々たるものとなれば、世の親たちは、公立学校に通うしかない自分の子供たちにもそのような「愛国心教育」を受けさせろと文科省や教育委員会に要求を突きつけていくことでしょう。)。

 しかし、「ゆとり教育」のときでもそうですが、どうもこの種の社会的な実験を、いきなり他人の子供を実験台にして無理矢理開始したいという大人たちが多いことには困りものです。やはり、公立学校に通う全国の子供たちを実験台にする前に、「それはポジティブな効果があるものなのか。そしてネガティブな副作用はないのか」ということは、できる限り検証していくべきなのではないかと私などは思ってしまうのです。

 「愛国心教育」がどのような効果をもたらすのかを検証する一つの方法としては、現在の教育制度にもかかわらず「愛国心」が涵養された大人たちの行動原理を観察するという方法があります。彼らの行動原理が「自分の子供たちにはこうあってほしい」と思えるようなものであれば、公立学校で「愛国心教育」を行うということにポジティブな評価が得られるでしょうし、彼らの行動原理が「自分の子供たちにはこうなってはほしくない」と思っていまうようなものであれば公立学校で「愛国心教育」を行うということにネガティブな評価が増えるでしょう。

 そして、その方法としては、「ネットの匿名性を利用することによって、社会のしがらみから解放されて、本音で行動」している方々のうち強い「愛国心」をお持ちの方々が、自分のサイト・ブログで、あるいは他人のブログのコメント欄で、あるいは2ちゃんねるに代表される匿名電子掲示板で、どのような活動をしているのかを調べて見るとよいのではないかと思います。そして、有権者に対して、「自分たちの子供や孫たちにこういう大人になってほしいか」ということを問いかけてみるとよいのではないかと思います。

 あとは、「ネットのおかげで、マスコミや日教組の洗脳から解け、愛国心に目覚めた」方々の人生が、愛国心に目覚めることによってどう変わったかがわかると、「自分の子供や孫たちにそのような人生を歩んでもらいたいか」という判断を有権者ができるのでなおよいと思うのですが、これは「『愛国心』に溢れている方々のネット上での言動や行動パターン」とは異なり、調査が難しそうです。

09/08/2006

インターネット上の表現の自由の実質的な環境整備に向けて

「理戦」に掲載して頂いた原稿の一部を加筆修正したものです。


 現在の日本において、インターネット上での「表現の自由」は実質的に保障されているのだろうか。

 もちろん、日本国憲法が保障する「表現の自由」には「インターネット上での表現」の自由も含まれると一般に解されており、それ故、法令で規制された内容または法令で規制された方法で表現活動を行わない限り刑事罰を科せられることはないし、法令による規制も極めて限定されている。また、「インターネット上での表現」については国家権力はもちろん、ISP等の電気通信事業者も検閲を行うことが原則として禁止されている。このように、インターネット上での「表現の自由」が形式的に保障されていることは疑うべくもない。

 実際、私たちがインターネット上で表現活動を行う場合、たとえ政府の政策を批判するような内容であったとしても、逮捕され処罰される等の不利益をおそれて思わず躊躇してしまうということはない。私たちは、国家権力や大企業といったはっきりしたものではなく、もっと得体の知れないものを怖れて、表現内容の自己規制を行っているのが実情である。

 もちろん、憲法が保障する「表現の自由」は、自らの表現活動によって何らの不利益を被らないことまで保障するものではない。このことは、「インターネット上での表現」についてもそのまま当てはまる。その表現の内容または方法次第では第三者からの評価が低下することになるし、また、その表現の内容や方法について第三者から批判を受けることも十分にあり得るが、それは表現の自由を行使したことに伴う責任の範疇に属する。まっとうな表現者は、その発言の内容及び方法に責任を持つものであり、自らの発言へのまっとうな批判には堂々と再反論を行いまたはこれを甘受するのがその本来の姿である。

 とはいえ、その表現を受け入れられない人々からの誹謗中傷や人格攻撃、脅迫や嫌がらせ等を受忍することまでは、表現の自由を行使したことに伴う責任には含まれない。大量のいたずら電話や執拗な「監視」等についても同様である。ある種の表現を行うとこの種の不当な不利益が課せられるということになると、多くの人はその種の表現を行うことを回避することになり、そこに「タブー」が生ずることになる。

 このため、近代国家では、これらの妨害行為から表現者を守り、「表現の自由」を実質的に保障するために、司法制度を含めた国家権力を行使することとしている。市民社会もまた、脅迫や嫌がらせ等により他人の表現活動を妨害しようとする者を著しく低く評価するのが通常であり、そのような「市民社会の目」が一種の抑止力として働いている。このような妨害活動に対する抑止力が機能していることが「表現の自由」を実質的に保障するためには不可欠なのである。逆にいえば、妨害活動に対する国家権力による抑止力も「市民社会の目」による抑止も働かないところでは、妨害活動による「タブー」の形成が容易に行われることになる。

 では、「インターネット上での表現」についてはどうか。

 「インターネット上での表現」にはいくつもの特徴がある。そのうち、「表現の自由」の実質的な保障との関係で問題となるのは、発信の容易性・直接性と発信者の匿名性である。

 実は、発信の容易性・直接性と発信者の匿名性は、ともに「表現の自由」を実質的に保障するものとして期待された特徴である。特別な人でなくとも、特別な機械を用いずとも、誰からもスクリーニングされることなく、誰でも容易に情報発信ができる。そして、発信者の匿名性が保障されることにより、誰からも妨害を受けることなく表現活動を行うことができる。そのような環境をもたらしたインターネット革命により、一般市民は、単なる「表現の受け手」に甘んずるのではなく、「表現の送り手」として、「表現の自由」を満喫できる。これが、20世紀末に信じられていた「インターネット革命による薔薇色の未来」だった。

 しかし、現実は甘くなかった。インターネット上での表現活動の担い手が皆、他人の「表現の自由」を尊重できる理性的な人々であるならば、上述のようなアナーキズム的な「薔薇色の未来」が実現できたかもしれない。しかし、現実は違った。「インターネット上での表現」の特徴である発信の容易性・直接性と発信者の匿名性を、自分の気に入らない表現を妨害するために活用する人々が出現したのである。

 他人の表現活動を妨害する匿名表現者としてまず現れたのが、いわゆる「掲示板荒らし」である。これは、誰もが投稿可能な電子掲示板に自分の気に入らない表現が投稿されていることを発見したときに、当該表現の投稿者を誹謗中傷・人格攻撃したり、当該表現を曲解して難癖を付けたり、愚にもつかないような揚げ足とり的な質問を当該表現の投稿者に執拗に突きつけてこれを疲弊させようとしたり、ひどい場合には何の意味もない文字列の連なりや「アスキーアート」を当該電子掲示板に連続的に投稿することによって自分の気に入らない表現が掲示板上で表示されないようにすることをいう。

 また、21世紀に入り、いわゆるブログによる表現活動が普及するようになると、自分の気に入らない表現が記載されているブログのコメント欄に当該表現の投稿者を誹謗中傷・人格攻撃したり、当該表現を曲解して難癖を付けたり、愚にもつかないような揚げ足とり的な質問を当該表現の投稿者に執拗に突きつけてこれを疲弊させようとしたり、ひどい場合には何の意味もない文字列の連なりや「アスキーアート」を当該電子掲示板に連続的に投稿する「粘着君」や、複数人が相乗的に意思を補強し合いながら特定のブログのコメント欄に上述のようなコメントをブログ開設者が対処できないくらい沢山投稿する「コメントスクラム」(あるいは「ネットイナゴ」)現象が現れた。

 これらの「荒らし」や「粘着君」は、発信者の匿名性が高度に保障された状態で、容易に直接的に情報を発信することができる「インターネット」というメディア特性の賜物である。つまり、匿名(トレーサビリティの低い仮名を含む。)を用いている分には、公然と他人に執拗ま脅迫や嫌がらせを行おうとも、市民社会の冷ややかな目線が現実社会の自分に向けられることはない。また、従前、警察は、生命・身体等への脅迫の場合を除いては、匿名の発信者による妨害活動を取り締まる意欲を見せておらず、逆にいえば、生命・身体等への脅迫を行わなければ、如何に執拗に嫌がらせ等を行っても刑事罰を科せられる虞はほぼないのが実情である(もっとも、全くないわけではない。)。また、ISP等は嫌がらせ等の被害者からの協力要請には極めて冷ややかであり、また、海外のプロキシーサーバ経由でコメントを投稿された場合被害者が民事的に当該プロキシーサーバから発信者のIPアドレスの提供を受けることが事実上困難であるため、被害者からの民事裁判によって「粘着君」らによる妨害活動を抑止することはあまり期待できない。

 これら「荒らし」や「粘着君」等のコメントは、電子掲示板やブログの管理人が有する削除機能を用いて削除をしても、すぐに同内容のものが貼り付けられるだけなので、実質的に無意味である(特定の掲示板やブログ等に1日の半分は張り付いているとおぼしき「粘着君」は決して珍しくはない。)。また、「荒らし」や「粘着君」等は、一般のインターネットユーザーと同様に、インターネット回線に接続する度ごとにその加入するISPからIPアドレスの割り当てを受けているし、「粘着君」等の中には、海外の公開プロキシーサーバや国内の(おそらく非意図的な)公開プロクシー等を経由することで適宜IPアドレスを変更させつつブログ等にアクセスしてくるから、特定の「荒らし」や「粘着君」のコメント投稿をブロックすることも困難である。「はてなID」や「TypeKeyID」のようにコメント欄への入力用に用いることが可能なIDを発行するサービスもあるが、これらの発行会社は、ID発行時に指定されたメールアドレスにメールを送信する程度の本人確認しかしておらず、しかも上記メールアドレスとしてYahooメールなどの無料メールアドレスを指定することも許容しているため、一つのIDからの投稿を禁止してもまた別のIDを取得されて投稿されるだけであるから、まさにいたちごっこである。では、「誠実に対処」すれば「荒らし」や「粘着」等が収まるかというと、何をもって「誠実な対処」とするかの要求水準が著しく高いので、「誠実な対処」により「荒らし」等を収めようというのはまさに「言うは易し、行うは難し」である。また、「言論には言論をもって対抗するのが原則である。『荒らし』や『粘着君』を黙らせたかったら堂々と議論して彼らを論破すればよい」との考え方もあり得る。しかし、「論破されて退散する」というのはあくまで「恥」という感情を前提とするが、インターネット上では発信者の匿名性が高度に保障されているおかげで、匿名で活動する「荒らし」や「粘着君」等には「恥」という概念が希薄であって、ブログ開設者等の「ターゲット」がどんなに的確な反論を繰り返したところで、一向に退散しないのである(しかも、「コメントスクラム」の場合、「質問」なり「批判」なりが複数人から同時並行的に浴びせられるし、それらのうち比較的まともなものを選んで反論しても、「あいつは反論しやすいものにしか反論しない」との難癖を付けてくるのが関の山である。)。そうなると、あとはブログ開設者等と「粘着君」等との消耗戦が待っているだけということになるが、その場合、まっとうな社会生活を送っているブログ開設者等は圧倒的に不利である(「粘着君」等がどのような社会生活を送っているかについては彼らが原則匿名であることもあって必ずしも明らかではないが、コメント等の投稿時間等を観測する限り、一般的な社会人よりは時間に余裕のある人々であることが推測される。しかも、「コメントスクラム」の場合、そのような時間に余裕のある人々と多勢に無勢で消耗戦を戦わなければならない。)。したがって、「荒らし」等を鎮めるために「言論には言論をもって対抗する」というのは、そのために健全な社会生活を犠牲にする覚悟が必要である。

 とはいえ、放置しておくわけにもいかないのが実情である。以前は、「荒らし等は、相手をせずに放置しておけば直に飽きて立ち去っていく」として「荒らしにはスルーが原則」という言い方がされていたが、最近の「荒らし」や「粘着君」等は実に「飽きない」のである。「荒らし」や「粘着君」等に居座られている状態では、正常な感覚を持っている閲覧者はコメントを投稿しにくい(ブログを開設する人の多くは、まともな人のまともなコメントが返ってくることを期待してブログという形式を選択しているのであり、「荒らし」や「粘着君」等にコメント欄に居座られてまともな人もまともなコメントが投稿されにくくなっている状態というのは、決して望ましい状態ではない。まともな人のまともなコメントが投稿されなくなるという点ではブログのコメント欄を閉じる場合も同様であり、「荒らしが嫌ならばコメント欄を閉じればよいだけのことだ」という見解は、まともな人のまともなコメントが投稿されることを期待するブログ開設者の権利を不当にないがしろにするものである。)。また、当該ブログの開設者が「粘着君」等に執拗に嫌がらせされている状態を見ているだけで居たたまれなくなって人のよい閲覧者が当該ブログの定期巡回をやめてしまう例だってある。第一、自分が開設したブログのコメント欄が、自分に不快感を与えることを目的としたコメントで埋められている状態でブログを更新することは、あまり楽しいものではない。

 このため、「荒らし」や「粘着君」等に取り憑かれた不運な電子掲示板やブログの多くが、閉鎖や公開の停止へと追い込まれることになった。また、多くのブログ開設者が、自分のブログが「粘着君」等に取り憑かれるのを怖れて、「粘着君」等を刺激しかねない話題を避けるようになった(「粘着君」等がどのような話題に刺激されるのかはある程度の類型化が可能であり、ある程度経験を積んだブログ開設者は意識的ないし無意識的にこれを類型化して、その種の話題を回避している。)。

 このように、日本におけるインターネット上の言論空間は、発信者の匿名性を高度に保障してしまったがために、匿名の「荒らし」や「粘着君」等による言論妨害を抑止する実効的な手段をもたず、それ故に、自制心が乏しくかつ一般人よりも時間に余裕がある人々を刺激しかねない内容が一種の「タブー」と化してしまったのである。しかも、「荒らし」や「粘着」は、金も権力も腕っぷしの強さも切れ味鋭い論理性もなくとも、ほんの数人でもあるいはたった一人でも行えるため、インターネット外の言論空間では特に問題視されることなく表現できるような内容でも、これをブログのエントリー等で公表してしまうと、「荒らし」や「粘着君」に取り憑かれる原因となってしまうのだ。そういう意味では、現在の日本のインターネット環境は、インターネット外では安心して語れることすら、「粘着君」等に取り憑かれるのを怖れるがあまり、語ることを躊躇せざるを得ない状況にあるといえる。

 では、ネット外では安心して語れることをネット上でも安心して語れるようにするためにはどうしたらよいのだろうか。  

 方法は、大きく分けて2つあり得る。一つは、「荒らし」や「粘着君」による投稿をフィルターする実効的なシステムを、ブログや電子掲示板の機能として導入することである。もう一つは、匿名性の保障の程度を下げることによって抑止力を働かせることである。

 前者は、一人で大量に発行を受けることが困難なIDを用いなければコメント等の投稿ができないようなシステムを導入すればよいだけのことであるから、実はそれほど高いハードルではない。「TypeKeyID」等の汎ブログ的な共通IDを入力しなければコメントを投稿できないこととする機能を各ブログ事業者がその利用者が選択できるようにしておき、そのような機能が選択された場合には、特定の共通ID(もちろん、各ブログサービスごとにIDを発行しても構わないが、共通化した方が利用者としては便利であるし、事業者としてもコストの削減が容易である。)を用いてのコメント投稿をブロックできるようなオプションを選択できるようにした上で、共通IDの発行を受けるにあたっては、パスワード等の通知を受けるための連絡用のメールアドレスとして、フリーメール系以外のメールアドレスを指定することとすれば、かなりの精度で「粘着君」をブロックすることができる(企業・団体系のメールアドレスにせよ、ISP系のメールアドレスにせよ、発行主体は同一人に頻繁にメールアドレスを発行することは通常ないし、所属企業や契約ISP等を追加又は変更して別の発行主体からめーリアドレスの発行を受けるのはコストがかかるので、フリーメール系のメールアドレスを用いてのID登録を禁止すれば、投稿禁止措置を受けるたびに新たなIDを取得することの困難性は飛躍的に上昇する。)。この場合のIDの発行主体は、メールアドレスを中心にデータ管理を行えば足り、ID保有者の氏名・住所等の氏名・住所等の個人情報を把握することは必ずしも必要ではない。

 後者は、発信者がどこの誰であるのかを迅速にトレース(追跡)できるシステムを構築することと、そのシステムを利用して発信者がどこの誰であるのかが開示される条件をより緩やかにすることによって実現される。

 公衆に向けて有線又は無線のLANを提供する事業者が少なからず存在し、また、既に海外の公開プロキシサーバが悪用されている現在の日本では、もはやIPアドレスをキーとして発信者をトレースするという構造には限界がきている。IPアドレスに代わる発信者追跡方法としては、MACアドレスをキーとする(その場合、イーサネットカードの所有者に氏名住所等の登録義務を課すことが必要となる。)等の手法も考えられなくもないが、匿名の表現者による言論妨害を抑止するためには「表現の匿名性」のみを制限すれば足り、そのために「存在の匿名性」までも制限するシステムはなるべく回避すべきである。そう考えると、インターネット上で情報を発信する場合には、IDの発行主体がIDの保有主体の氏名・住所等を確実に把握しているIDを用いることが必要とされるシステムを採用するというのは一つの選択肢であろう。

 また、発信者情報の開示条件をより緩やかにする方法としては、大きく分けて2つの方法があり得る。一つは、警察等からの照会でなければ開示に応じないという原則を維持しつつ、匿名でなされた表現による名誉毀損、侮辱、信用毀損、営業妨害等については、被害者から刑事告訴ないし被害届が提出された場合には警察は原則速やかに捜査を開始することとする方法である。もう一つは、民事上の権利を行使するために必要がある場合には裁判外の発信者情報照会に迅速に応ずる義務を発信者情報保有者に課すこととする方法である。いずれの方法においても、例えば、電子掲示板やブログのコメント欄に、エントリーやコメントに対する反論としての意味をなさないアスキーアートや新聞記事等のコピペ等を執拗に大量に投稿して電子掲示板やブログのコメント欄の機能を実質的に低下させる行為や嫌がらせ目的で特定の者に対し「監視」する旨を告げたり「監視スレッド」等を立ち上げたりする「e−つきまとい」行為等が既存の法の枠組みでは必ずしも違法とはいえないとされる場合には、サイバーストーキングに関する法制を整備してこれを違法化することによって、インターネット上での表現活動を妨害するような陰湿な行為を抑止することが可能である。

 これに対しては、発信者の匿名性が高度に保障されないとすると、匿名性が保障されているからこそ表現できたことが表現できなくなってしまうとする反論がありうる。しかし、「インターネット上で情報を発信するにあたっては、氏名・住所等の個人情報との結びつきが確保されているIDを用いることを要求するシステム」は、発信された情報と結びつく形で発信に用いたIDを表示するものとなることが通常予想されるが、しかしながら、そこでは常に実名表示が義務づけるものとなることは通常予想されない。IDのほかに実名表示を義務づける必要性がないからである。すると、問題は発信者情報が開示される条件をどこまで緩やかにするのかという点に帰着する。そしてそれは、「自分は他人を批判したり他人に不快感を与えかねない表現はしたいが、その表現をしたことで法的または社会的な不利益が自分の身に及ぶことは受け入れられない」という要請にどこまで配慮すべきかという政策判断の問題となる。表現の自由を行使した場合の責任は、実名を用いて表現を行った者も、匿名でまたは仮名を用いて表現を行った者も同様に負うべきであると考えれば、上記のようなわがままな要請には応える必要はなく、その発言を行ったのが自分であると知られた場合に予測される不利益に耐えられないような発言は匿名でもすべきではないというべきである(なお、いわゆる「内部告発」については、法的な内部告発ルールに則ったものについてのみ法的に定められた保護を与えることとすればよいのであって、悪意のデマ情報の流布との峻別がつかない「ネット上での匿名発言」に「内部告発」としての保護を与える必要はない。)。

 憲法学では「言論の自由市場」という用語がしばしば用いられる。「市場」における競争は、一定の公正なルールの下で行われるときその機能を最もよく発揮できるのであって、同じ「市場」に参入する第三者に執拗な嫌がらせを行って「市場」からの排除を狙ったり、当該第三者を取り囲んで需用者がアクセスしにくい状況を作り出したりする行為が放置されている状況下では、良質の「商品」が「市場」で提供されにくくなってしまう。このため、「市場」においては、参加者の「目」によるルール違反行為の抑止や、「市場」管理者による悪質な参加者の排除、国家権力による悪質な参加者への制裁等を行うことにより、「市場」における競争は、一定の公正なルールの下で行われるための環境整備を行っている。そして、この「一定の公正なルールの下で行われるときその機能を最もよく発揮できる」という「市場における競争」の特性は、「言論の自由市場」においても当てはまる。

 今日、商品等については、「市場」における競争が公正なルールの下で行われるための環境整備が相当程度なされている。インターネットという「言論の自由市場」においても、「市場」における競争が公正なルールの下で行われるための環境整備を行っていくことが、今日求められているといえそうである。

07/08/2006

Cool down, please.

 最近ココログはアクセス解析が少し充実しました。

 この解析ツールを利用して、ある1人の方のla_causetteを開設して以来のアクセス状況を見てみると下記のとおりとなります。どなたかは存じ上げませんが、私のブログに粘着してもあなたの人生の改善には繋がりませんので、もう少し有意義に人生をお過ごし下さい。

  1. 2006.8.7 12:54 一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん
  2. 2006.8.7 12:54 トップページ
  3. 2006.8.7 12:54 無駄な努力 in 2006年8月
  4. 2006.8.7 12:54 トップページ
  5. 2006.8.7 12:53 Help him
  6. 2006.8.7 12:53 トップページ
  7. 2006.8.7 11:05 トップページ
  8. 2006.8.7 11:05 「la_causette」開設
  9. 2006.8.7 11:04 トップページ
  10. 2006.8.7 11:04 トップページ
  11. 2006.8.7 11:04 匿名の卑怯者さんの評判
  12. 2006.8.7 11:03 匿名の卑怯者さんの評判
  13. 2006.8.7 11:03 トップページ
  14. 2006.8.7 11:02 一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん
  15. 2006.8.7 11:02 トップページ
  16. 2006.8.7 11:02 無駄な努力 in 2006年8月
  17. 2006.8.7 11:02 トップページ
  18. 2006.8.7 11:01 Help him
  19. 2006.8.7 11:01 トップページ
  20. 2006.8.7 9:00 無駄な努力 in 2006年8月
  21. 2006.8.7 9:00 トップページ
  22. 2006.8.7 7:13 Help him
  23. 2006.8.7 7:13 トップページ
  24. 2006.8.7 7:04 無駄な努力 in 2006年8月
  25. 2006.8.7 7:03 トップページ
  26. 2006.8.7 7:03 トップページ
  27. 2006.8.7 7:03 一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん
  28. 2006.8.7 7:03 トップページ
  29. 2006.8.6 22:48 一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん
  30. 2006.8.6 22:48 トップページ
  31. 2006.8.6 19:27 トップページ
  32. 2006.8.6 18:20 一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん
  33. 2006.8.6 17:51 一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん
  34. 2006.8.6 17:27 一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん
  35. 2006.8.6 17:23 一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん
  36. 2006.8.6 17:23 匿名の卑怯者さんの評判
  37. 2006.8.6 17:23 一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん
  38. 2006.8.6 16:23 一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん
  39. 2006.8.6 16:13 一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん
  40. 2006.8.6 16:10 トップページ
  41. 2006.8.6 11:16 トップページ
  42. 2006.8.6 11:11 匿名の卑怯者さんの評判
  43. 2006.8.6 11:11 トップページ
  44. 2006.8.6 11:10 一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん
  45. 2006.8.6 11:10 トップページ
  46. 2006.8.6 9:11 匿名の卑怯者さんの評判
  47. 2006.8.6 9:11 トップページ
  48. 2006.8.6 8:38 トップページ
  49. 2006.8.6 8:38 Virtual Exam (Ogura Virsion)
  50. 2006.8.6 8:38 トップページ
  51. 2006.8.6 8:38 匿名の卑怯者さんの評判
  52. 2006.8.6 8:36 お花畑 愛子に群がるイナゴかな
  53. 2006.8.6 8:36 匿名の卑怯者さんの評判
  54. 2006.8.6 8:35 匿名の卑怯者さんの評判
  55. 2006.8.6 8:35 匿名の卑怯者さんの評判
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Help him

 レコード輸入権騒動のときにお世話になった川内博史議員のブログが、靖國厨な方々に襲われています。

 国の為に戦った方々は、後の日本人が、ネットかどこかで仕入れた怪しげな知識を振りかざして目上の人に匿名で汚い言葉を投げつける社会がくることを願って命をかけたわけではないだろうにとか、中国共産党が自己の政権維持のために反日感情を煽っているというのであれば、わざわざ日本の首相が靖国神社を参拝してあげることによって中国共産党の政権維持を手助けしてあげる必要はないではないかとか、そういうことは思ったりしますが、まあ、川内議員のような有能な議員が、既に誤りであることが指摘されている情報を恥ずかしげもなく持ち出して他人を罵るくだらない人間に煩わされるのは日本社会にとって損失なので、この道の専門家の方に応援を頼むことにしましょう。>よろしく、青狐さん。

無駄な努力 in 2006年8月

 私のブログのコメント欄でいくら稚拙なレトリックを用いて頑張って抵抗してみたところで、「他人のブログのコメント欄に、他人を攻撃したり揶揄したり嫌がらせしたりするコメントを匿名で投稿する人は卑怯だし、それが複数人により、あるいは何回も行われる場合にはより卑怯度が増す」ことは否めないのだから、「卑怯」と言われたくなかったら、自分の行動パターンを改めればいいのになあと思います。

 嘘だと思ったら、炎上しているブログのコメント欄や、粘着されているブログのコメント欄をプリントアウトして、自分が一番信頼できる人に見せて、「こうやってブログ主の誤りを正すべく匿名で頑張っている人を「卑怯」という人がいるのだけど、どう思う?」と聞いてみたらいいのではないかと思います。

06/08/2006

一般の匿名ブロガーからも軽蔑されるイナゴさん

 同じく匿名で発言している人々からも、「他人のブログのコメント欄に匿名でその他人を攻撃するコメントを投稿する人々」が非常にネガティブに捉えられている理由を考えてみましょう。

 まず、ブログ主に賛同したり、ブログ主を応援したり励ましたりするコメントを匿名で投稿する人たちについては、通常、卑怯、卑劣、卑屈、陰湿等の評価を受けることがありません。それは、その種のコメントには、特定の者(ブログ主)に不快感を与えようとしているという要素を見出すことができないので、卑怯、卑劣、卑屈、陰湿等からはほど遠いからではないかと思います。

 次に、「卑怯、卑劣、卑屈、陰湿等の評価」というのは、攻撃対象のブログのコメント欄に投稿するときに最も高まるということはいえそうです。もちろん、特定人を攻撃するために匿名のブログやウェブをわざわざ立ち上げる「ヲチ」系サイトの管理人はそれはそれで「痛い」わけですが、そうはいっても他人のブログのコメント欄にそのブログ主を攻撃するコメントを匿名で投稿し続けるというのは、不快なコメントを確実にそのブログ主の目に触れさせることを目的としているという意味でも、そのブログにおいて形成されていたコミュニティ自体を傷つけるという意味でも、また、ブログ主らによって適切に反撃された場合でも知らん顔して逃げられるという意味でも、より「卑怯」感が増すわけです。それは、chappie16さんの「反論意見言いたかったら自分でブログ作って書き込めば誰も迷惑掛けずに自分の意見を主張できるし、それができないなら正々堂々自分を名乗ってから反論を書けば…なんて思ってしまいます。」というコメントに現れているように思います。

 結局、匿名ネガティブコメンテーターさんは、匿名ブロガーや、匿名ポジティブコメンテーターさんからも、軽蔑されるべくして軽蔑されているということですね。

05/08/2006

匿名の卑怯者さんの評判

 他人のブログのコメント欄に匿名でその他人を攻撃するコメントを投稿する人々のことを私以外のブロガーがどのように評価しているのか見てみることとしましょう。これをみると、この種の人たちを「卑怯」と評価することがネット社会での常識にも合致することがはっきりします。


浜口望海さんの「79r.p.m」の「言霊

「炎上」というのが今に始まった現象ではないとはいえ、やはり居たたまれない。 ネット社会の匿名性が産んだ現象だということはアタマでは理解できるが、 実際にこういう状態を目にすると、正直、吐き気がする。

なんと卑怯なことか・・・。

chappie16さんの「やまびこひかりの本州縦断ファン日記」の「ブログは自己発信の場

この際だから毒吐きますが卑怯だし、バカとしか言いようがないですね。

反論意見言いたかったら自分でブログ作って書き込めば誰も迷惑掛けずに自分の意見を主張できるし、それができないなら正々堂々自分を名乗ってから反論を書けば…なんて思ってしまいます。

magicvonさんの「『都落ちオヤジ』のひとりごと(めざまし愛ちゃんからサッカー日本代表まで)」の「亀田批判について

昨晩からTBSや亀田選手のHPに批判の電話やメールが殺到したようです。この現象はつい先日W杯で協会への批判が繰り広げられた時よりスケールが大きくなっていますが、あいかわらず日本人は匿名という壁に隠れて他人を批判するという恥ずべき卑怯者ばかりのようです。

TAMAさんの「TAMAの広く浅く所々深い趣味の世界」の「2006年08月01日 「ツイナのオニ」のこと知っています?

「ネットなら身元が割れないから、好き勝手にあること無いこと書いてやれ〜」 という態度はあまりにも卑怯じゃないですか?

堀田 志庵さんの「同じ酸素吸っているんだ!!」の「非人間

ホントに愚かな奴らだよね…。
(中略)
匿名だから言いたいコトばっか言ってさ。
セコイ人間だよね。

キックさんの「キックのブログ・Z」の「ブログが炎上する事件について

だけど、それ以上に匿名である事をいい事に、有名人とはいえ、応援して結果を賞賛した「あくまで第三者の」上村愛子に対して、悪意のあるコメントを書きまくる奴は卑屈で陰湿。

ニシノ説論者さんの「ニシノ説」の「オーマイニュース

自分は姿を隠して暗闇から他人を批判したり中傷したりする行為は、上記の価値のいずれでもない。ひと言で言うなら卑怯なのである。そんな言論まで保障する必要性はない。

 ブログの世界は匿名が主流のようだ。しかし、実名を示した上での言論と匿名での言論ではその信頼性に雲泥の差が生じることについては誰も異論はないだろう。

Mikiさんの「Sweet★Mikiss」の「人は、弱いから群れるのではなく群れるから弱いんだ。。

匿名を盾にした差別表現は卑劣な行為だと思う。


と比較的最近のエントリーをみても、匿名の陰に隠れて他人を攻撃する人々の評判はかなり悪いことがわかります。「匿名で」ということに各自重点を置いた上で、その種の行動を行う人のことを、「卑怯」「卑劣」「卑屈」「陰湿」等のネガティブな評価を下しています。

04/08/2006

お花畑 愛子に群がるイナゴかな

 スキー、モーグルの日本代表である上村愛子さんのブログが、いわゆるネットイナゴに襲われています。

 「ブログが炎上するのは、ブログ主に問題があるからだ」論というのは、自身匿名で他人のコメント欄に粘着して他人に不快感を与えたり、他人のブログのコメント欄での健全なコミュニケーションを邪魔したりして楽しんでいる方々が自己弁護のために持ち出したりすることがある議論ですが、上村さんの件のエントリーは、スポーツ観戦をして感じた感動を素直に書き表しただけのものであり、何の問題もないものであったということができます。もちろん、「上から目線で」云々という問題もありませんし、他人に意見を押し付けるものでもありません。

 当該ゲームの判定に不満のある人はいるかもしれませんが、だからといって、当該ゲームに素直に感動し、その気持ちを素直に表明したにすぎない上村さんのブログのコメント欄に、上村さんを非難するコメントや上村さんの人格を攻撃するコメントを投稿するという行動に繋がるというのはまさに異常というより他にありません。

 「ブログが炎上した場合、ブログ主はまず謝れ」論に従ったのか、上村さんは翌日のエントリーで「皆さんの意見やTVや新聞で昨日の試合の事を聞いたりして今とにかく思う事は、ボクシングの判定基準もぜんぜん知らないのに軽々しくコメントしてしまったんだと思って反省しています。」「このブログは今までこういう状態になったことがなかったから本当に幸せだったけど、自分の浅はかなコメントのせいでこうなってしまった事を本当に申し訳なく思います。」などのしなくともよい謝罪をしていますが、それでもなお「責任とって閉鎖してください。。。」みたいなコメントを匿名で連続的にポストする粘着君は立ち去れないのが実情です。

 私は、匿名の陰に隠れて、他人に不快感を与えたり他人のブログを閉鎖に追い込んだりする目的でコメントを投稿する人達は「卑怯」と呼ぶにふさわしいと思っているのですが、「ネットとはそうやって楽しむものだ」と信じ込んでいる人々には、それは許されない「罵倒」だったり「レッテル張り」だったりと思われているようです。一度ご両親や配偶者、恋人などに、ご自身の匿名での活動を打ち明けて、それは「卑怯」と呼ばれるに値しない、正々堂々たる行為なのか、聞いてみたらいいのではないかと思う今日この頃です。

ハンドル名の使用について

<p> 名無し系や通りすがり系のハンドル名や、他人の実名またはハンドル名と同一又は類似したハンドル名、他人を侮辱ないし揶揄する意図が見て取れるハンドル名等のご使用は、私のブログのコメント欄では用いないで下さい。
<p> その種のハンドル名を使用して投稿されたコメントについては、内容の如何を問わず、削除させて頂きます。

EntryのTitleに関する二律背反

 ココログやTypePadのようなMovable Typeのブログにおいては、エントリーのタイトルを1 byte文字で書けばそれがURLに反映されるけれども、1byte文字のタイトルは日本語圏の読者への訴求力が低いですし、逆にエントリーのタイトルを漢字かな交じり文で書けば日本語圏の読者への訴求力は高くなりますが、URLは無機質な符号になってしまいます。

 あちらを立てればこちらが立たず。難しいものです。

鳥越俊太郎さんの予測はおそらく外している

 鳥越俊太郎さんが「戦争を知らない若い世代が、経済発展した韓国に違和感を覚え、過去にあった差別意識を再生産した。」と発言したことについて、ネット上では話題になっているようです。私も、鳥越さんのこの分析はあたっていないように思います。

 むしろ、ネット上で「嫌韓厨」が目立つのは、現実空間での個としての自分について「語るべきもの」がないような人たちでも意見を公表できる空間だからだというところではないかと思っています。そのような人々がネット空間で優越感に浸るためには、0の価値しか持たない自分より価値の低い者、すなわち、マイナスの価値を持つ者を探さないといけないわけで、そのための一手段として、特定の民族を自民族よりも価値の低いものとみなす民族差別に行き着いたとみるべきでしょう(彼らの民族差別に「経験の裏打ち」が感じられないのは、優越感ゲームに参加するために観念的・人工的に作り上げた差別だからなのでしょう。)。そして、もちろんこの種の民族差別は一人でやっていると痛いのですが、幸か不幸か、ネットという空間は、同レベルの人間と出会い、なれ合うには適している空間なので、その種の「自尊心維持装置としての民族差別」を共有している人々との間である種のコミュニティを作られるようになったということなのでしょう。

 そして、それらのコミュニティがある程度大きくなっていき、彼らをターゲットとして商品を提供することが儲けに繋がりそうだとなれば、資本主義の原理として、彼らをターゲットとした商品が次々と提供されるようになるわけで、その典型例が「嫌韓流」だったりするのでしょう。

03/08/2006

Virtual Exam (Ogura Virsion)

 町村先生がご自身のブログで情報法に関する問題を出しているので、私もまねをしてみることにします。夏休みで時間のある学生さんは考えてみてはいかがでしょうか。

【問題】

 電子掲示板の管理者は、当該電子掲示板を利用して行われた犯罪(著作権等侵害罪、名誉毀損罪、営業妨害罪、侮辱罪、わいせつ物公然陳列罪、児童ポルノ法違反等)の正犯(共同正犯を含む。)または幇助犯として処罰されないようにするために、電子掲示板の管理、運用または仕様の策定にあたってどのような点に注意すべきかを論じなさい。

顧客によるハラスメントと企業の対応

 積水ハウス事件は、案の定ネット右翼さんたちを大いに刺激したらしく、ネット上では話題のようです。

 もっとも、この事件は、企業法務実務の観点からも目が離せない問題を提起しています。つまり、従業員が顧客から不当なハラスメントを受けた場合に企業としては如何に対処すべきかという問題がそこには横たわっているのです。

 目先の業績だけを考えれば、顧客からのハラスメントに対してはこれをじっと甘受することを従業員に求めるのが簡単です。しかし、顧客から一定の種類ないし程度のハラスメントを受けること(そして、そのことが顧客から受ける対価に含まれていること)が予定されている業務において従業員もそのことを承知した上でその業務に従事することを承諾した場合はともかくとして、通常は、顧客からのハラスメントが社会的な許容範囲を超えるものであった場合にそれを甘受することを強いることは許されないというべきでしょう(したがって、顧客からのハラスメントを甘受せず、当該顧客に対し裁判上または裁判外で対抗措置をとった従業員に対し、そのことを直接または間接の理由とする懲戒処分を下すことは、実際に営業収入の低下に繋がったとしても、許されないというべきでしょう。)。また、顧客から一定の種類ないし程度のハラスメントを受けることが予定されている業務に従業員がそのことを承知した上で従事することとなったとしても、それは受忍限度のレベルが高くなるだけの話であって、高くなった受忍限度のレベルを超えてハラスメントが行われた場合になおじっと我慢することを企業が従業員に求めることはやはり許されないというべきでしょう(例えば、幼稚園の保母さんは、児童からスカートめくりをされることは受忍すべきといえるかもしれませんが、その父兄からスカートめくりをされることまでは受忍すべきとはいえないでしょう。)。

 では、企業の業務に従事している際にその業務に関連して従業員が顧客からハラスメントを受けた場合に、従業員が当該顧客に対して法的な権利救済を受けることを支援する義務までも企業は負うのかというのは難しい問題です。企業の業務に関連して従業員がハラスメントを受けることになった以上、権利救済を受けるために必要な限度で当該従業員が休暇を取ることを認めたり、証人を含めた証拠の収集に企業が協力すべき義務を負うという議論はあり得ると思います。

 それを超えて、さらに弁護士費用を出してあげる義務まで認めるのは難しいかなと何となく思います。もっとも、優秀な従業員を確保しまたはつなぎ止めるために、一種の福利厚生として、弁護士費用の会社負担を含めた支援政策を採用するというのは十分ありだと思います。

02/08/2006

「la_causette」開設

 別館(Annex)としてTypePadを使ってきましたが、英文のマニュアル・ヘルプを読むのが面倒になってきたので、知財関係以外の話題は、ココログ内の「la_causette」ディレクトリでエントリーを立ち上げることにしました。
(日本の会社の方が、いろいろな要請もしやすいですし)

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