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09/08/2006

インターネット上の表現の自由の実質的な環境整備に向けて

「理戦」に掲載して頂いた原稿の一部を加筆修正したものです。


 現在の日本において、インターネット上での「表現の自由」は実質的に保障されているのだろうか。

 もちろん、日本国憲法が保障する「表現の自由」には「インターネット上での表現」の自由も含まれると一般に解されており、それ故、法令で規制された内容または法令で規制された方法で表現活動を行わない限り刑事罰を科せられることはないし、法令による規制も極めて限定されている。また、「インターネット上での表現」については国家権力はもちろん、ISP等の電気通信事業者も検閲を行うことが原則として禁止されている。このように、インターネット上での「表現の自由」が形式的に保障されていることは疑うべくもない。

 実際、私たちがインターネット上で表現活動を行う場合、たとえ政府の政策を批判するような内容であったとしても、逮捕され処罰される等の不利益をおそれて思わず躊躇してしまうということはない。私たちは、国家権力や大企業といったはっきりしたものではなく、もっと得体の知れないものを怖れて、表現内容の自己規制を行っているのが実情である。

 もちろん、憲法が保障する「表現の自由」は、自らの表現活動によって何らの不利益を被らないことまで保障するものではない。このことは、「インターネット上での表現」についてもそのまま当てはまる。その表現の内容または方法次第では第三者からの評価が低下することになるし、また、その表現の内容や方法について第三者から批判を受けることも十分にあり得るが、それは表現の自由を行使したことに伴う責任の範疇に属する。まっとうな表現者は、その発言の内容及び方法に責任を持つものであり、自らの発言へのまっとうな批判には堂々と再反論を行いまたはこれを甘受するのがその本来の姿である。

 とはいえ、その表現を受け入れられない人々からの誹謗中傷や人格攻撃、脅迫や嫌がらせ等を受忍することまでは、表現の自由を行使したことに伴う責任には含まれない。大量のいたずら電話や執拗な「監視」等についても同様である。ある種の表現を行うとこの種の不当な不利益が課せられるということになると、多くの人はその種の表現を行うことを回避することになり、そこに「タブー」が生ずることになる。

 このため、近代国家では、これらの妨害行為から表現者を守り、「表現の自由」を実質的に保障するために、司法制度を含めた国家権力を行使することとしている。市民社会もまた、脅迫や嫌がらせ等により他人の表現活動を妨害しようとする者を著しく低く評価するのが通常であり、そのような「市民社会の目」が一種の抑止力として働いている。このような妨害活動に対する抑止力が機能していることが「表現の自由」を実質的に保障するためには不可欠なのである。逆にいえば、妨害活動に対する国家権力による抑止力も「市民社会の目」による抑止も働かないところでは、妨害活動による「タブー」の形成が容易に行われることになる。

 では、「インターネット上での表現」についてはどうか。

 「インターネット上での表現」にはいくつもの特徴がある。そのうち、「表現の自由」の実質的な保障との関係で問題となるのは、発信の容易性・直接性と発信者の匿名性である。

 実は、発信の容易性・直接性と発信者の匿名性は、ともに「表現の自由」を実質的に保障するものとして期待された特徴である。特別な人でなくとも、特別な機械を用いずとも、誰からもスクリーニングされることなく、誰でも容易に情報発信ができる。そして、発信者の匿名性が保障されることにより、誰からも妨害を受けることなく表現活動を行うことができる。そのような環境をもたらしたインターネット革命により、一般市民は、単なる「表現の受け手」に甘んずるのではなく、「表現の送り手」として、「表現の自由」を満喫できる。これが、20世紀末に信じられていた「インターネット革命による薔薇色の未来」だった。

 しかし、現実は甘くなかった。インターネット上での表現活動の担い手が皆、他人の「表現の自由」を尊重できる理性的な人々であるならば、上述のようなアナーキズム的な「薔薇色の未来」が実現できたかもしれない。しかし、現実は違った。「インターネット上での表現」の特徴である発信の容易性・直接性と発信者の匿名性を、自分の気に入らない表現を妨害するために活用する人々が出現したのである。

 他人の表現活動を妨害する匿名表現者としてまず現れたのが、いわゆる「掲示板荒らし」である。これは、誰もが投稿可能な電子掲示板に自分の気に入らない表現が投稿されていることを発見したときに、当該表現の投稿者を誹謗中傷・人格攻撃したり、当該表現を曲解して難癖を付けたり、愚にもつかないような揚げ足とり的な質問を当該表現の投稿者に執拗に突きつけてこれを疲弊させようとしたり、ひどい場合には何の意味もない文字列の連なりや「アスキーアート」を当該電子掲示板に連続的に投稿することによって自分の気に入らない表現が掲示板上で表示されないようにすることをいう。

 また、21世紀に入り、いわゆるブログによる表現活動が普及するようになると、自分の気に入らない表現が記載されているブログのコメント欄に当該表現の投稿者を誹謗中傷・人格攻撃したり、当該表現を曲解して難癖を付けたり、愚にもつかないような揚げ足とり的な質問を当該表現の投稿者に執拗に突きつけてこれを疲弊させようとしたり、ひどい場合には何の意味もない文字列の連なりや「アスキーアート」を当該電子掲示板に連続的に投稿する「粘着君」や、複数人が相乗的に意思を補強し合いながら特定のブログのコメント欄に上述のようなコメントをブログ開設者が対処できないくらい沢山投稿する「コメントスクラム」(あるいは「ネットイナゴ」)現象が現れた。

 これらの「荒らし」や「粘着君」は、発信者の匿名性が高度に保障された状態で、容易に直接的に情報を発信することができる「インターネット」というメディア特性の賜物である。つまり、匿名(トレーサビリティの低い仮名を含む。)を用いている分には、公然と他人に執拗ま脅迫や嫌がらせを行おうとも、市民社会の冷ややかな目線が現実社会の自分に向けられることはない。また、従前、警察は、生命・身体等への脅迫の場合を除いては、匿名の発信者による妨害活動を取り締まる意欲を見せておらず、逆にいえば、生命・身体等への脅迫を行わなければ、如何に執拗に嫌がらせ等を行っても刑事罰を科せられる虞はほぼないのが実情である(もっとも、全くないわけではない。)。また、ISP等は嫌がらせ等の被害者からの協力要請には極めて冷ややかであり、また、海外のプロキシーサーバ経由でコメントを投稿された場合被害者が民事的に当該プロキシーサーバから発信者のIPアドレスの提供を受けることが事実上困難であるため、被害者からの民事裁判によって「粘着君」らによる妨害活動を抑止することはあまり期待できない。

 これら「荒らし」や「粘着君」等のコメントは、電子掲示板やブログの管理人が有する削除機能を用いて削除をしても、すぐに同内容のものが貼り付けられるだけなので、実質的に無意味である(特定の掲示板やブログ等に1日の半分は張り付いているとおぼしき「粘着君」は決して珍しくはない。)。また、「荒らし」や「粘着君」等は、一般のインターネットユーザーと同様に、インターネット回線に接続する度ごとにその加入するISPからIPアドレスの割り当てを受けているし、「粘着君」等の中には、海外の公開プロキシーサーバや国内の(おそらく非意図的な)公開プロクシー等を経由することで適宜IPアドレスを変更させつつブログ等にアクセスしてくるから、特定の「荒らし」や「粘着君」のコメント投稿をブロックすることも困難である。「はてなID」や「TypeKeyID」のようにコメント欄への入力用に用いることが可能なIDを発行するサービスもあるが、これらの発行会社は、ID発行時に指定されたメールアドレスにメールを送信する程度の本人確認しかしておらず、しかも上記メールアドレスとしてYahooメールなどの無料メールアドレスを指定することも許容しているため、一つのIDからの投稿を禁止してもまた別のIDを取得されて投稿されるだけであるから、まさにいたちごっこである。では、「誠実に対処」すれば「荒らし」や「粘着」等が収まるかというと、何をもって「誠実な対処」とするかの要求水準が著しく高いので、「誠実な対処」により「荒らし」等を収めようというのはまさに「言うは易し、行うは難し」である。また、「言論には言論をもって対抗するのが原則である。『荒らし』や『粘着君』を黙らせたかったら堂々と議論して彼らを論破すればよい」との考え方もあり得る。しかし、「論破されて退散する」というのはあくまで「恥」という感情を前提とするが、インターネット上では発信者の匿名性が高度に保障されているおかげで、匿名で活動する「荒らし」や「粘着君」等には「恥」という概念が希薄であって、ブログ開設者等の「ターゲット」がどんなに的確な反論を繰り返したところで、一向に退散しないのである(しかも、「コメントスクラム」の場合、「質問」なり「批判」なりが複数人から同時並行的に浴びせられるし、それらのうち比較的まともなものを選んで反論しても、「あいつは反論しやすいものにしか反論しない」との難癖を付けてくるのが関の山である。)。そうなると、あとはブログ開設者等と「粘着君」等との消耗戦が待っているだけということになるが、その場合、まっとうな社会生活を送っているブログ開設者等は圧倒的に不利である(「粘着君」等がどのような社会生活を送っているかについては彼らが原則匿名であることもあって必ずしも明らかではないが、コメント等の投稿時間等を観測する限り、一般的な社会人よりは時間に余裕のある人々であることが推測される。しかも、「コメントスクラム」の場合、そのような時間に余裕のある人々と多勢に無勢で消耗戦を戦わなければならない。)。したがって、「荒らし」等を鎮めるために「言論には言論をもって対抗する」というのは、そのために健全な社会生活を犠牲にする覚悟が必要である。

 とはいえ、放置しておくわけにもいかないのが実情である。以前は、「荒らし等は、相手をせずに放置しておけば直に飽きて立ち去っていく」として「荒らしにはスルーが原則」という言い方がされていたが、最近の「荒らし」や「粘着君」等は実に「飽きない」のである。「荒らし」や「粘着君」等に居座られている状態では、正常な感覚を持っている閲覧者はコメントを投稿しにくい(ブログを開設する人の多くは、まともな人のまともなコメントが返ってくることを期待してブログという形式を選択しているのであり、「荒らし」や「粘着君」等にコメント欄に居座られてまともな人もまともなコメントが投稿されにくくなっている状態というのは、決して望ましい状態ではない。まともな人のまともなコメントが投稿されなくなるという点ではブログのコメント欄を閉じる場合も同様であり、「荒らしが嫌ならばコメント欄を閉じればよいだけのことだ」という見解は、まともな人のまともなコメントが投稿されることを期待するブログ開設者の権利を不当にないがしろにするものである。)。また、当該ブログの開設者が「粘着君」等に執拗に嫌がらせされている状態を見ているだけで居たたまれなくなって人のよい閲覧者が当該ブログの定期巡回をやめてしまう例だってある。第一、自分が開設したブログのコメント欄が、自分に不快感を与えることを目的としたコメントで埋められている状態でブログを更新することは、あまり楽しいものではない。

 このため、「荒らし」や「粘着君」等に取り憑かれた不運な電子掲示板やブログの多くが、閉鎖や公開の停止へと追い込まれることになった。また、多くのブログ開設者が、自分のブログが「粘着君」等に取り憑かれるのを怖れて、「粘着君」等を刺激しかねない話題を避けるようになった(「粘着君」等がどのような話題に刺激されるのかはある程度の類型化が可能であり、ある程度経験を積んだブログ開設者は意識的ないし無意識的にこれを類型化して、その種の話題を回避している。)。

 このように、日本におけるインターネット上の言論空間は、発信者の匿名性を高度に保障してしまったがために、匿名の「荒らし」や「粘着君」等による言論妨害を抑止する実効的な手段をもたず、それ故に、自制心が乏しくかつ一般人よりも時間に余裕がある人々を刺激しかねない内容が一種の「タブー」と化してしまったのである。しかも、「荒らし」や「粘着」は、金も権力も腕っぷしの強さも切れ味鋭い論理性もなくとも、ほんの数人でもあるいはたった一人でも行えるため、インターネット外の言論空間では特に問題視されることなく表現できるような内容でも、これをブログのエントリー等で公表してしまうと、「荒らし」や「粘着君」に取り憑かれる原因となってしまうのだ。そういう意味では、現在の日本のインターネット環境は、インターネット外では安心して語れることすら、「粘着君」等に取り憑かれるのを怖れるがあまり、語ることを躊躇せざるを得ない状況にあるといえる。

 では、ネット外では安心して語れることをネット上でも安心して語れるようにするためにはどうしたらよいのだろうか。  

 方法は、大きく分けて2つあり得る。一つは、「荒らし」や「粘着君」による投稿をフィルターする実効的なシステムを、ブログや電子掲示板の機能として導入することである。もう一つは、匿名性の保障の程度を下げることによって抑止力を働かせることである。

 前者は、一人で大量に発行を受けることが困難なIDを用いなければコメント等の投稿ができないようなシステムを導入すればよいだけのことであるから、実はそれほど高いハードルではない。「TypeKeyID」等の汎ブログ的な共通IDを入力しなければコメントを投稿できないこととする機能を各ブログ事業者がその利用者が選択できるようにしておき、そのような機能が選択された場合には、特定の共通ID(もちろん、各ブログサービスごとにIDを発行しても構わないが、共通化した方が利用者としては便利であるし、事業者としてもコストの削減が容易である。)を用いてのコメント投稿をブロックできるようなオプションを選択できるようにした上で、共通IDの発行を受けるにあたっては、パスワード等の通知を受けるための連絡用のメールアドレスとして、フリーメール系以外のメールアドレスを指定することとすれば、かなりの精度で「粘着君」をブロックすることができる(企業・団体系のメールアドレスにせよ、ISP系のメールアドレスにせよ、発行主体は同一人に頻繁にメールアドレスを発行することは通常ないし、所属企業や契約ISP等を追加又は変更して別の発行主体からめーリアドレスの発行を受けるのはコストがかかるので、フリーメール系のメールアドレスを用いてのID登録を禁止すれば、投稿禁止措置を受けるたびに新たなIDを取得することの困難性は飛躍的に上昇する。)。この場合のIDの発行主体は、メールアドレスを中心にデータ管理を行えば足り、ID保有者の氏名・住所等の氏名・住所等の個人情報を把握することは必ずしも必要ではない。

 後者は、発信者がどこの誰であるのかを迅速にトレース(追跡)できるシステムを構築することと、そのシステムを利用して発信者がどこの誰であるのかが開示される条件をより緩やかにすることによって実現される。

 公衆に向けて有線又は無線のLANを提供する事業者が少なからず存在し、また、既に海外の公開プロキシサーバが悪用されている現在の日本では、もはやIPアドレスをキーとして発信者をトレースするという構造には限界がきている。IPアドレスに代わる発信者追跡方法としては、MACアドレスをキーとする(その場合、イーサネットカードの所有者に氏名住所等の登録義務を課すことが必要となる。)等の手法も考えられなくもないが、匿名の表現者による言論妨害を抑止するためには「表現の匿名性」のみを制限すれば足り、そのために「存在の匿名性」までも制限するシステムはなるべく回避すべきである。そう考えると、インターネット上で情報を発信する場合には、IDの発行主体がIDの保有主体の氏名・住所等を確実に把握しているIDを用いることが必要とされるシステムを採用するというのは一つの選択肢であろう。

 また、発信者情報の開示条件をより緩やかにする方法としては、大きく分けて2つの方法があり得る。一つは、警察等からの照会でなければ開示に応じないという原則を維持しつつ、匿名でなされた表現による名誉毀損、侮辱、信用毀損、営業妨害等については、被害者から刑事告訴ないし被害届が提出された場合には警察は原則速やかに捜査を開始することとする方法である。もう一つは、民事上の権利を行使するために必要がある場合には裁判外の発信者情報照会に迅速に応ずる義務を発信者情報保有者に課すこととする方法である。いずれの方法においても、例えば、電子掲示板やブログのコメント欄に、エントリーやコメントに対する反論としての意味をなさないアスキーアートや新聞記事等のコピペ等を執拗に大量に投稿して電子掲示板やブログのコメント欄の機能を実質的に低下させる行為や嫌がらせ目的で特定の者に対し「監視」する旨を告げたり「監視スレッド」等を立ち上げたりする「e−つきまとい」行為等が既存の法の枠組みでは必ずしも違法とはいえないとされる場合には、サイバーストーキングに関する法制を整備してこれを違法化することによって、インターネット上での表現活動を妨害するような陰湿な行為を抑止することが可能である。

 これに対しては、発信者の匿名性が高度に保障されないとすると、匿名性が保障されているからこそ表現できたことが表現できなくなってしまうとする反論がありうる。しかし、「インターネット上で情報を発信するにあたっては、氏名・住所等の個人情報との結びつきが確保されているIDを用いることを要求するシステム」は、発信された情報と結びつく形で発信に用いたIDを表示するものとなることが通常予想されるが、しかしながら、そこでは常に実名表示が義務づけるものとなることは通常予想されない。IDのほかに実名表示を義務づける必要性がないからである。すると、問題は発信者情報が開示される条件をどこまで緩やかにするのかという点に帰着する。そしてそれは、「自分は他人を批判したり他人に不快感を与えかねない表現はしたいが、その表現をしたことで法的または社会的な不利益が自分の身に及ぶことは受け入れられない」という要請にどこまで配慮すべきかという政策判断の問題となる。表現の自由を行使した場合の責任は、実名を用いて表現を行った者も、匿名でまたは仮名を用いて表現を行った者も同様に負うべきであると考えれば、上記のようなわがままな要請には応える必要はなく、その発言を行ったのが自分であると知られた場合に予測される不利益に耐えられないような発言は匿名でもすべきではないというべきである(なお、いわゆる「内部告発」については、法的な内部告発ルールに則ったものについてのみ法的に定められた保護を与えることとすればよいのであって、悪意のデマ情報の流布との峻別がつかない「ネット上での匿名発言」に「内部告発」としての保護を与える必要はない。)。

 憲法学では「言論の自由市場」という用語がしばしば用いられる。「市場」における競争は、一定の公正なルールの下で行われるときその機能を最もよく発揮できるのであって、同じ「市場」に参入する第三者に執拗な嫌がらせを行って「市場」からの排除を狙ったり、当該第三者を取り囲んで需用者がアクセスしにくい状況を作り出したりする行為が放置されている状況下では、良質の「商品」が「市場」で提供されにくくなってしまう。このため、「市場」においては、参加者の「目」によるルール違反行為の抑止や、「市場」管理者による悪質な参加者の排除、国家権力による悪質な参加者への制裁等を行うことにより、「市場」における競争は、一定の公正なルールの下で行われるための環境整備を行っている。そして、この「一定の公正なルールの下で行われるときその機能を最もよく発揮できる」という「市場における競争」の特性は、「言論の自由市場」においても当てはまる。

 今日、商品等については、「市場」における競争が公正なルールの下で行われるための環境整備が相当程度なされている。インターネットという「言論の自由市場」においても、「市場」における競争が公正なルールの下で行われるための環境整備を行っていくことが、今日求められているといえそうである。

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Commentaires

【要精読再掲】

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2006/08/cool_down_pleas.html#comments


>もうひとつだけ、付け加えるとしたら。

>>ネット上での誹謗中傷や侮辱、嫌がらせ等

>望まぬプライバシーの暴露も充分に嫌がらせです。

>嫌がることをやめさせようとして、嫌がることを助長しては本末転倒だと。
>本末転倒だから意味がないのだと、私は常日頃からそう述べている。
>だから、プライバシーの問題は上でも下でもなく同レベルなんですよ。

>>自分の個人情報が暴かれることについて件のサイトのblog主が恐怖感を抱くのは理解できる範囲内にあります。

>俺だったら、クッキーを使ってまで私生活の詮索に粘着曝しをされるより、コメントスクラムにあう方がましだね。
>私生活を詮索されて自宅や勤務先まで突き止められ、ネットで電話番号まで曝されて、電凸や街宣かけられ、心身が疲労して引越しや転職を余儀なくされた人が身近にいるから。

> いずれにしろ、人のパソコンの中身を覗き見するのと同じクッキー情報を公開するのはいけないことに変わりはありません。それを曝した上で、要するに、一方的に「粘着」のレッテルを貼り付けて、この人は有意義な人生を送っている人間ではないと誹謗中傷しているわけですから、この行為の法的正当性を認める理論があったら知りたいものです。

>おかしいとは思わないかしら。
>ボウヤの共通IDが実現したら、プライバシーが剥奪されるだけでなく、オンライン上の出来事で実際にはそう簡単に家まで押しかけることができなかった「黒ムツさん」や「虫けら」が、自宅にやってくるかもしれないことになるのよ。
>それって、とっても怖い「嫌がらせ」じゃなくって?
>表現の匿名性の保障やプライバシー権というものを、無闇に誹謗中傷されたり侮辱されたりしない権利や執拗な嫌がらせを受けない権利より高く置くことはしていない人がそんな嫌がらせを可能にするなんて矛盾していないかしら?

> いかなる理由にせよ、他人のプライバシーをネットで曝すのはネチケット違反です。目的は手段を神聖視しません。

> 申し上げ忘れましたが、他人のクッキーに基づくログの詳細をブログで公表するのは不穏当ですよ。早々に削除することをお願いします。

> また、犯罪行為やこれに準ずる重大な不法行為でもないのに、アクセスログを詳細に曝したり、Whois登録データの詳細を曝したりするのは、逆らったらこうなるぞという返り血の制裁を想起させる一種の恫喝行為と疑われてしまうので、ネチケットの観点からも避けた方がいいかと思います。

>同じ過ちをしていないか危惧される
http://www.virtual-pop.com/tearoom/archives/000067.html

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