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02/09/2006

奉仕活動の強制と階級の固定化

 安倍晋三議員は、「政権構想の柱となる「教育再生」の一環として、国公立大学の入学時期を9月に変更し、高校卒業から大学入学までの間に社会奉仕活動を義務付ける改革案の検討を始めた」のだそうです。

 最初から支配する側の人間として生まれ育った方は、下々に義務を課すのが好きなのだなあというのが正直な感想です。未だ十分な財産形成を果たしていない若者に対して半年間も無報酬ないし低賃金の労働を義務づけるという発想が「再チャレンジ」をテーマにする政治家とも思えなかったりします。どうせ、大学生の生活費なんて親が出してくれるから半年くらいどってことないというくらいに考えているのでしょうが、親のすねを齧って生きていかれる若者しか視野に入っていない時点で、もはや彼の目には一握りの恵まれた国民しか「国民」として見てくれていないのではないかと強く疑ってしまいます。

 資格や学歴が全てではないにせよ、特筆すべき経験を有していない若者が資本主義社会の中で一定の金銭評価を受けるためにはそれなりに高く評価されている資格なり学歴なりを身に付けるのが近道の一つであることは否めない事実であって、それ故に、社会に出て労働市場に本格参入する時間をある程度遅らせてまで大学に入学したり、資格試験に向けての勉強に没頭したりするわけですが、それは、その若者がその学歴なり資格なりを習得するまでの期間無収入でも耐えられるだけの経済力がその家庭にあって初めて可能なのであり、その学歴なり資格なりを習得するのに要する期間が長くなればなるほどその習得に参加できる人の数が減少していってしまいます。法科大学院をはじめとする各種の専門職大学院構想のあたりから感じていることですが、現在の与党議員のほとんどが貧しさの経験のない二世議員であることに起因しているのか、無収入期間が長期化すると経済的に対応できない人々の存在を軽んじた改革が昨今大流行で困ったものだなあというのが正直な感想です。

 もちろん、その資格なり学歴なりを付与するにあたってはこれだけのカリキュラムをこなしてもらわなければならず、そのためにはこれだけの年月が最低限必要だというのであればそれは仕方がない面もあるのですが(でも、安倍議員が「価値観を共有している」と勝手に思いこんでいる欧州諸国では、授業料はただかただ同然で、未就労期間中の生活費を給付制の奨学金によって賄えるようにすることによって、教育を受けている期間の長期化が経済力の乏しい家庭出身の若者の将来選択の幅を閉ざさないような努力をしているのであって、単に「仕方がない」ではすまさないのですが)、「社会奉仕活動を一定期間義務づければモラルの改善に繋がるに違いない」という勝手な思いつきで無収入期間を延長するというのは、無意味といいますか、有害以外の何者でもないと言わざるを得ません。

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Commentaires

 イスラエルの大学進学制度を真似しているようです。イスラエルは,高校卒業後男子は3年間・女子は8ヶ月の兵役(or奉仕活動)が義務づけられています。そのあと,政府の援助金を得て,世界放浪の旅に出ます。大学1年生は23歳くらいです。

>まあ、それにしても、法曹資格保有者とは思えないような絡み方ですね。

 小倉先生も弁護士とは思えない「卑怯者」「臆病者」「愚か者」と誹謗中傷罵倒が激しすぎませんか?

 私も、大学の授業料や答練の代金等はバイトや奨学金(まあ、大隈奨学金とかももらえたりしましたので)で工面して在5で司法試験に合格しましたが、では、ロースクール制度のもとで法曹を目指すことができたのかというと多分に疑問です。

 まあ、それにしても、法曹資格保有者とは思えないような絡み方ですね。
 

>それは、その若者がその学歴なり資格なりを習得するまでの期間無収入でも耐えられるだけの経済力がその家庭にあって初めて可能なのであり

 親が金持ち坊やの我侭放漫意見ですか。
 私は家庭の事情から実家を出て東京の下宿でアルバイトによる自活を続け、予備校費用も自分で稼ぎ、8回目の挑戦でやっと司法試験に受かったクチです。親に経済力がなければ自分で稼いで私生活を削って学歴なり資格なりを習得すればいいんです。
 それにITにめっぽう強い弁護士を名乗っていたって基本的なコンピュータネットワーク知識に欠ける方もいらっしゃるので肩書きや学歴にそれほど重きをおかずに仕事してます。

 そういえば「肩書きと知識・経験」について、こんなことを言っている方もいましたな。
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 ある種の肩書きを有する人は、ある種の領域に関して、その肩書きを有しない人に比べて、高度の知識・経験ないし判断能力を有していると一般的に言える場合に、当該領域に関連する話題に関する見解を発表するにあたってその肩書きを明示することは、読み手にとって便宜であるということができます。肩書きだけでなく、その領域に関する実績や社会的な信用を伺わせる指標等が「プロフィール」という形で明示されていればなお便利です。特に自分が十分な知識・経験等を有しない領域に関しては、多様な見解がフラットに提示されていてもどれを信頼して良いのかということはなかなか判断に困ってしまうのであり、「論者の肩書きなどにとらわれずに、全ての見解をフラットに評価する」というのは「言うは易し行うは難し」というよりほかになく、そのため、「論者の肩書き」により検討ないし信頼する対象を絞り込むのは読み手の思考経済に大いに資することになるからです。
http://benli.typepad.com/annex_jp/2006/07/index.html
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