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10/09/2006

毛沢東主義が闊歩する「美しい国」?

 次期首相と目されている安倍晋三議員ですが、そのブレーンについては少々考え直した方がよいかもしれません。

 産経新聞によれば、安倍氏側近の下村博文衆院議員は、

例えば、子供たちに、1人で生きているのではなく、社会みんなで助け合って生きているのだと実体験してもらうために、奉仕活動、ボランティア活動を必修化しようという案がある。
と仰っているとのことなのですが、「子供たちに、1人で生きているのではなく、社会みんなで助け合って生きているのだと実体験してもらうため」という主観的な理由というのは、数ヶ月間の強制労働を憲法上正当化するには弱すぎるように思います。

 また、

それから、駄目な教師は辞めさせる。一方で、いい先生の待遇をよくするという体系に変える。親が学校に期待しているのは、いい先生だ。
とのことです。ただ、官邸が考える「いい先生」と親が期待している「いい先生」との間にはかなりの開きがありそうな気がしてなりません。いえ、まあ、何をもって「いい先生」というのかが述べられていないので、定かなことはわからないのですが。

 また、下村議員は、

私は文科政務官をしていたが、文科省にも共産党支持とみられる役人がいる
ということを問題視されているようですが、中央官庁の官僚の中に日本共産党という合法政党を支持する者がいることを問題視すること自体が大問題なのではないかという気がしてなりません。公務員が政治活動を行うことの是非については様々な議論がある(日本以外の先進国でこれを違法としている例を知らないのですが。)にせよ、公務員が特定の野党を支持していること自体を問題視するというのはそれ以前の問題かなと思います。

 「官邸機能の強化には、省庁の局長以上の人事については官僚ではなく政治が任用することが必要だ。」というのは、それはそれで一つの考え方だとは思うのですが、そのためには各政治勢力が「省庁の局長以上の人事」をまかないきれるだけの人材をプールしておく必要があるのですが、大丈夫なのでしょうか。日本のように、閣法中心のシステムでは、省庁の局長以上に要求されるスキルは結構高度なので、それに応えられる人材を養成するのって大変そうです。

 次に、山谷えり子議員は、

カリキュラムを実態に応じて見直すことができるのは、文科省ではなく官邸にきちんとした集団を作ることによって初めて実現する
と仰っているようなのですが、文科省ではだめだが官邸なら「カリキュラムを実態に応じて見直すことができる」きちんとした集団を作ることができるという根拠がよくわからないです。「中学の英語の必修単語を507から100に減らした。学力が落ちるに決まっている。」なんて仰っているようでは先行きが暗そうな気はします。「中学の英語の必修単語を507から100に減らした」→「中学では英単語を100しか教えない」ではないのですし。

 また、稲田朋美議員は、

それから、若者に農業に就かせる「徴農」を実施すれば、ニート問題は解決する。そういった思い切った施策を盛り込むべきだ。
と仰っているようですが、もうクラクラします。そんなこと憲法上許されるわけないではないかということをひとまず措くとしても、「徴農」した後どうする気なのか全く理解不能です。永遠の小作農として人生を全うさせる気なのか、国が責任をもって農地を提供するのか、どうなんでしょう。あるいは、「下放」や「労働改造」で人間の本質は変わりうるという毛沢東主義的な発想なのでしょうか。

 稲田議員はまた、「真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があること」という藤原正彦お茶の水大教授の発言を引用した上で、「そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない。」と仰っているわけですが、そういう思いこみを押しつけられても子供たちとしては迷惑としかいいようがありません(といいますか、この種の人たちは、「いざというときに祖国のために命をささげる覚悟」みたいな無駄に勇ましい話が好きですね。)。

 大人たちが勝手な思いこみで若者に奉仕を強いたり、労働改造を行ったり、命すら犠牲にすることうぃ要求する国にすると、若者たちはそういう国に生まれ育ったことを誇りに思えるようになるのでしょうか。

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Commentaires

私は、他人に「いざというときのために祖国のために命を捨てる覚悟」を求めるなら、まずご自身が率先して最前線にたち、その範を示されたらと言っているのですが。こういった指摘をするにあたり、なぜ私が安全なところにいれば説得力がなくなるのか、理解に苦しみます。

>「祖国のために命をかける」というような勇ましいことを言う人ほど、自分は安全なところにいるのが常ですから、全く説得力がありません。そんなことをいうのなら、ご自身が最前線に立って仕事をなさればよろしいのです。

 このような反論される方も安全なところにいるのが常ですから、自説に根拠がないことを自認するに等しく、説得力を見出せないと思うのですが?

権力は現実に触れると大きく変貌するのが常だ。安倍氏の提言本に「美しい国」という宣伝文句が使われているのが、正直、私には薄気味が悪い。「美しい国」とか「健康な国」とかいう文字を為政者が弄ぶときは気をつけた方が良いことは歴史が証明している。

 安倍氏本人はこの危険について案外気がついていないのかもしれない。「所得倍増」とか「列島改造」とか言っていた時代の方がずっと正直で、明るく、むしろ実際において健康だったのである。

by 西尾幹二
西尾幹二ブログより


「祖国のために命をかける」というような勇ましいことを言う人ほど、自分は安全なところにいるのが常ですから、全く説得力がありません。そんなことをいうのなら、ご自身が最前線に立って仕事をなさればよろしいのです。

ひもとく前にネットで検索してみるのもいいですよ。

初めまして。Hotwiredの頃からブログを読ませていただいてます。「徴農」に関しては自分も毛沢東を連想しました。以前から「もっともな意見だ」と納得させられる事が多く、一読者としていつも新エントリを楽しみにしています。

 エントリの本文記載内容のどこが、エントリタイトルの毛沢東主義と合理的関連性があるのだろうか?科学的関連性どころか自然的関連性すらナイヨーに見える私は不勉強だろうか?久しぶりに毛沢東語録でも紐解いてみよう。正解が見つかるかもしれない。

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