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22/10/2006

自社が提供する場で執拗に行われる嫌がらせ等に関する学校等の責任とブログ事業者の責任の異同

 学校において特定の生徒が執拗な嫌がらせを受けていることを知りまたは知り得べきだったのに、学校側がこれを漫然と放置し、その結果、その生徒が登校拒否に陥ったり、自殺したりすれば、学校は批判を浴び、責任をとらされることになります。

 この場合において、「学校(≒業者)が利用者(≒生徒)の起こしたもめ事に首を突っ込めってこと」とか「学校に登校するってのは、肯定的でも否定的でもなんでも来いや、何時でも誰の挑戦でも受ける、ってことはないのかしらん」なんて疑問は出てこないわけです。

 もちろん、学校等で他人と接触して生きていく上では常に肯定的な言葉をかけてもらえるとは限らず、他人から批判的な言葉をかけられることはあると思うし、ある程度はそれを受忍することも必要でしょう。しかし、否定的な言葉の内容、具体的な表現態様、分量、頻度、継続期間によっては受忍限度を超えることになります。人間の心なんてそんなに強いものではありません。だから、学校内において言葉によるいじめが放置されれば、しばしば悲劇的な結末を迎えることになるし、だからこそ学校は生徒同士でいじめが行われていないかを常に中止し、これを防止または中止することが求められています。

 また、高校以上は義務教育ではないし、中学以下だって生徒に登校義務があるのではなく、生徒を登校させる義務が保護者にあるにすぎませんから、学校において執拗な嫌がらせを受けるのがいやならばその生徒が学校に来ないということは法的には可能なのですが、だからといって、「自分は学校に登校したいが執拗な嫌がらせは受けたくないから、執拗な嫌がらせをやめさせてくれというのはわがままだ。その生徒に嫌がらせをしてその生徒を排除したいと思っている他の生徒の思想良心の自由はどうなるのだ」とかそういうことを真顔でいえる人には会ったことがありません。

 ここではとりあえず学校の例を出していますが、人と人とが接触する場を提供する事業者(国・地方公共団体等が運営するものを含む)は、その提供する場において、執拗な嫌がらせが行われていることを知りまたは知り得べきだったのにこれを放置した場合には、そのことに起因する損害について責任を負わされる危険が十分にあります。

 で、ネット事業者だけがその種の責任から解放される合理的な理由はありません。「コメントやトラックバックを受け付けてるってのは、肯定的でも否定的でもなんでも来いや、何時でも誰の挑戦でも受ける、ってことじゃないのかしらん。」というご意見もあるようですが、コメント欄つきのブログを開設する一般ユーザーのうち、通常人の受忍限度を超えるような執拗な嫌がらせや誹謗中傷でもなんでも自分は受けて立つのだというほどの認識を持っている人がどれだけいるのかというと、実はあまりいないのではないかと思います。あるいは、「炎上は炎上される側に責任があるのだ」というネット上に流れるデマを信じて、「自分は問題のある発言はしないから、その種の嫌がらせを受けることはない」と信じているだけなのかもしれません。まさか、亀田選手の世界タイトルマッチを観戦して感動した旨を表明しただけで執拗な嫌がらせを受けるとは普通は予測していないと思いますし。

 ブログ事業者は、自社が提供するブログにおいては「コメントやトラックバックを受け付けてるってのは、肯定的でも否定的でもなんでも来いや、何時でも誰の挑戦でも受ける、ってこと」にするのであれば、その旨を予め表示しておくべきなのではないかというのが、前回のエントリーの趣旨です。「コメント欄つきのブログを開設した以上は、一般社会では受忍限度を超えるとされるような執拗な嫌がらせや誹謗中傷をコメント欄で受けてもこれを甘受しなければいけない」ということは一般のブログ開設者には必ずしも共有されていないのだから、ブログ事業者として、そういうローカルルールを設定するのであれば、予めその旨を登録時にわかりやすく説明しておきましょうという話であって、何故その程度のことに反対する人がいるのかは理解しがたいところです。利用者にある種の不利益が発生する蓋然性のあるサービスを提供する際にその不利益に関する説明を予めしておくなんて、現代の経済社会の中では当たり前のことではないですか。

 そういう説明をわかりやすくした上であれば、その会社が提供するブログサービスにおいては、「コメントやトラックバックを受け付けてるってのは、肯定的でも否定的でもなんでも来いや、何時でも誰の挑戦でも受ける、ってこと」であって、通常人の受忍限度を超えるような執拗な嫌がらせや誹謗中傷を受けても我慢せよということができるのかもしれない(まあ、それでも、人格に関することだからそうはならないかもしれませんが)ですが、実際には、私が登録手続をしたブログサービスにおいては一つも、「コメントを受け付ける以上は、どのような執拗な嫌がらせや誹謗中傷を受けても甘受して下さい」と書いてあるものはなかったし、一般論としても、「コメント欄つきのブログを開設した以上はそのコメント欄においてなされる執拗な嫌がらせや誹謗中傷について高度の受忍義務を負う」という見解は、少なくとも法律関係者の中では、ほとんど支持されていません(「対抗言論の法理」自体時代遅れの感がありますし、その他、ブログのコメント欄を治外法権の場にすべき理由はありませんし。)。

 それはそれで、そこのブログでは、自分が体験したこと、実際に取り組もうとしていること、あるいは研究の成果等を正直に表明するということは危険だということになりますから、そういうことをしたい人は他のブログサービスを選択すればよいということになります。

 まあ、だいたい「コメントやトラックバックを受け付けてるってのは、肯定的でも否定的でもなんでも来いや、何時でも誰の挑戦でも受ける、ってこと」なんてことを言い出す人に限って、「特定の発言を公言するってのは、その発言を公言したことによる倫理的、法的責任を甘受する、ってこと」ってことには耐えられず、匿名でその種の発言をしていたりするわけで、自分が甘受できないこと以上のことを他人に甘受するように身勝手に要求しているにすぎない人だったりするのは結構滑稽です。

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