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22/10/2006

闘わない奴等が笑っている姿の醜さ

 国歌を斉唱したくなければ公立学校の教師を辞めろとか日本から出て行けとかいう人の発想と、誹謗中傷されたくなければコメント欄を閉鎖しろという人の発想はよく似ています。この発想は、人間としての尊厳を奪われたくないというのであれば、人間としての尊厳が尊重されない場から勝手に立ち去ればよいのであって、その場に居続けながらにして人間としての尊厳を奪われたくないというのはわがままだとするものです。この発想は、「いじめられたくなければ学校に来なければいい」とか「セクハラされたくなければ会社に来なければいい」という考え方に繋がります。

 この発想は、しかしながら、基本的人権の尊重擁護を謳う西側先進国の一員たるわが国における基本ルールとしては認められるべきではないものです。公立学校の教師は国歌を斉唱するために雇われたものではなく、ブログ主は誹謗中傷を受けるためにブログを開設しコメント欄を設置することを許されたものではなく、女性労働者はセクハラを受けるために雇われたものではなく、生徒はいじめを受けるために入学を許されたものではありません。したがって、教師も、ブログ主も、女性労働者も、生徒も、自らの意思でそのような場に入り、そしてそこに居続けているからといって、そこで行われる人格権の侵害を甘受しなければならないという理屈はありません。彼ら・彼女らは、そこで人格権侵害が横行していることに抗議の声を上げ、そこで横行している人格権侵害を撲滅するための具体的な措置を場の提供者に求めることができるのです。

 中島みゆきは「ファイト!」という歌の中で繰り返し「闘う君の唄を 闘わない奴等が 笑うだろう」と歌っていますが、ネット上には、闘わない人が闘う人達を笑う(「嗤う」という字をあてた方がよいでしょうか?)声で満ちあふれています。嗤うだけにとどまらず、「闘うな」、「長いものに巻かれろ」というメッセージを醜悪な表現方法で必死に投げつけ続けています。闘う勇気がなかった彼らは、闘う者に対する嫉妬心等から、闘わなかった自分を正当化して自尊心を保つためか、闘う者をネガティブに表現することに腐心しています。しかし、その努力は、自分が闘わなかった結果流れ落ちていった境遇の改善には繋がりません。匿名の陰に隠れているが故に第三者からはそれが自分の姿だと気付かれる危険が小さいにせよ、必死の形相で他人に嫌がらせをする醜い敗北者に自分を貶めるだけのことです。

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