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25/10/2006

匿名の卑怯者への対処方法を公教育で教えるとしたら

 私の「ブログ事業者がなすべき事前説明」というエントリーについて、はてなブックマークで「 んなもん、義務教育のうちに教えとけ。」というコメントがついています。

 では、ブログにおけるコメント欄についての社会の「ルール」を学校教育で教えることとなった場合、どのような教え方がなされるでしょうか。

 「ブログ主がブログのコメント欄を開放し、誰でもコメントを投稿できるようにした以上、ブログ主は、現実社会では受忍限度を超えるものと評価されるであろう誹謗中傷でも受忍しなければならない」という教え方がなされる可能性は、残念ながらないように思います。むしろ、「ブログ主がブログのコメント欄を開放し、誰でもコメントを投稿できるようにしたからといって、匿名の陰に隠れてブログ主等を誹謗中傷するようなコメントを投稿してはいけません」という教え方がなされる可能性の方がはるかに高いように思います。学校教育においては、「違法な行為でも見つからなければやって構わない」ということは教えない傾向が強いからです。

 では、「ブログ事業者は、匿名者による誹謗中傷コメントの執拗な投稿がなされているときに、ブログ主の側に立って必要な対策を講ずることはないから、現実社会では受忍限度を超えるものと評価されるであろう誹謗中傷を受忍できない人は、コメント欄付きのブログを開設してはいけない」という教え方がなされる可能性はあるでしょうか。「ブログ事業者は、匿名者による誹謗中傷コメントの執拗な投稿がなされているときに、ブログ主の側に立って必要な対策を講ずることはない」というのは現在の日本の主な商用ブログサービスについては大凡そうであるものの、それを普遍的なものとして現場で教えてしまうものかということには疑問の余地がないわけではなく、個別の教師が現在の現実を踏まえてそのように教えることはあり得なくはないにせよ、教科書的な教え方としてはそのような教え方をするのは難しそうです。

 では、「匿名者による誹謗中傷コメントの執拗な投稿がなされているときにブログ主の側に立って必要な対策を講ずることはないブログ事業者が提供するブログサービスにおいては、現実社会では受忍限度を超えるものと評価されるであろう誹謗中傷を受忍できない人は、コメント欄付きのブログを開設してはいけない」との教え方がなされる可能性はどうでしょうか。これなら悪くはなさそうですが、ただ、「匿名者による誹謗中傷コメントの執拗な投稿がなされているときにブログ主の側に立って必要な対策を講ずることはない」ブログかどうかが前もって示されていない現状では、どのブログ事業者が提供するブログサービスならば、現実社会では受忍限度を超えるものと評価されるであろう誹謗中傷を受忍できない人でも、コメント欄付きのブログを開設できるのかと質問されると、現場の教師は困ってしまいそうです。また、不法がおおっぴらにまかり通っているときにその不法を自分だけ避けて済ませるという生き方を公教育の中で当然のこととして教えてしまうことには、躊躇を感ずる向きも多いのではないかと思います。

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