言論の自由を確保を匿名性の保障によりなそうとすると弊害が大きすぎてバランスを欠いてしまう
落合先生は
匿名性があるからこそ、主張したいことが自由に主張できる、自由な言論が根底から支えられる、という側面も、見逃すべきではないと私は思います。と仰っています。
しかし、私たちが追及すべきは、匿名性になど頼らなくとも主張したいことが自由に主張できる社会であって、匿名の陰に隠れなければ主張したいことが主張できない社会などというのは「自由な言論が保障された社会」というに値しません。
もちろん、「主張したいことが自由に主張できる社会」といっても、事実無根のデマや誹謗中傷あるいは執拗なストーキング行為等は、その被害者の人権を大いに損ねるが故に一定の制約を受けるべきなのですが、発言者の匿名性を保障することによって「主張したいことが自由に主張できる」社会を構築しようとした場合、被害者の人権を大いに損ねるが故に例外的に規制すべき言論についてまで「やりたい放題にできる社会」になり果ててしまいます。
私には、匿名の陰に隠れた場合に限って主張したいことが自由に主張できる社会を構築するために、匿名の陰に隠れさえすればどんな酷いことをいっても逃げおおせることにしてしまうというのが、そんなにバランスのとれた話であるようには思われません。実名だと政府批判をしただけで逮捕され実刑に処せられるが、匿名の陰に隠れればクラスのいけ好かない子に執拗に死ねと要求し続けてついにその子を自殺に追いつめても一切法的な責任を課せられることがない社会というのがバランスのとれた自由な社会であるとは思えません。
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Commentaires
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某巨大掲示板は、「犯行予告」系では警察に協力しますが、誹謗中傷系では警察の要請にも協力していないのではないですか(先日、警察に行ったときに刑事さんがそう仰っていましたし、実際、誹謗中傷系での協力ってあまり記憶がありません。)?
なお、先日の自殺未遂のケースは、加害者が現実空間での教師による追及に口を割ってしまったケースであって、それはたまたまこの加害者がそこまでは擦れていなかったというだけのことで、一般化するに及びません。ネットでの匿名による執拗な人格攻撃は、人を自殺にまで追い込むのだということを注目しておけばよいでしょう。
Rédigé par: 小倉秀夫 | 26/10/2006 08:54