« オーマイニュースの改革 | Accueil | 議論すること自体の問題 »

11/11/2006

声の大きな「悪」に寛大さを示し「人気者」でいたい人たち

 一般に、学校ではいじめる側の方がいじめられる側よりも声が大きいですから、「クラスで人気者」になりたい教師は、いじめに対して寛大な態度を示そう、あるいは、自分もいじめに荷担しようという欲求に駆り立てられるのでしょう。もちろん、それは教師の取るべき態度としては間違っているのであって、たとえクラス内でノイジーな生徒からブーイングを浴びようとも、いじめる側に対して毅然とした態度をとるべきです。

 それは、ネット上での誹謗中傷についても同様です。ネット上では匿名で執拗に個人攻撃している側の方が執拗に個人攻撃されている側よりも声が大きいですから、「ネットで人気者」になりたいインテリたちは、この巣の個人攻撃に対し寛大な態度を示そう、あるいは、自分も個人攻撃に荷担しようという欲求に駆り立てられる傾向があるように思います。もちろん、それは間違っているのであって、たとえネット上でのノイジーな人々からブーイングを浴びようと、このような執拗な個人攻撃に対しては毅然とした態度をとるべきなのです。

« オーマイニュースの改革 | Accueil | 議論すること自体の問題 »

Commentaires

Poster un commentaire

Les commentaires sont modérés. Ils n'apparaitront pas sur ce weblog tant que l'auteur ne les aura pas approuvés.

(Ne sera pas visible avec le commentaire.)

« オーマイニュースの改革 | Accueil | 議論すること自体の問題 »

octobre 2017
dim. lun. mar. mer. jeu. ven. sam.
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31