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12/11/2006

議論すること自体の問題

 「議論すること自体を封鎖するのは言論弾圧だ」みたいな声が昨今右の方からわき上がっているようです。  

 確かに、原則としてはそうです。一般市民のレベルでは、名誉毀損や侮辱等にならない範囲内で何を議論してもよいでしょう。また、民主主義の発達した国々では、変わったことを仰る議員がいることはある程度織り込み済みですから、「仕方ないなあ」というくらいには思ってもらえなくもないのでしょう。

 ただし、政権政党の幹部がある提案を議論の土台に載せるということは、その国ではその提案は選択可能なものであると認識されているということのメッセージになりますから、そのメッセージがネガティブな影響を各方面に与えることが予想される場合には、「政権政党の幹部はその議論をすべきではない」ということになります。だから、米国の大統領やそのスタッフは黒人奴隷制度の復活制度の是非を議論するようなことはしませんし、ドイツの政権政党はユダヤ人をガス室送りすることの是非を議論するようなことはしません。政権政党の幹部がそのような議論をしたとしたら、おそらくブーイングの荒らしでしょうし、おそらく「議論すること自体を封鎖するのは言論弾圧だ」といってかばってくれる人はほとんど現れないでしょう。そういう意味で、政権政党の幹部等高い地位についた人々についていえば「議論すること自体がけしからん」という話題は確かにあるのです。

 「独自の核武装論」についていえば、政権政党の幹部がこれを議論するということは、国土防衛の手段として核兵器を独自に保有することは政策として選択可能であるとその国では認識されているとのメッセージを国内外に発することになりますが、そのことは、「国土防衛の手段として核兵器を独自に保有」しようとしている北朝鮮政府に対してそれは「選択が許されない政策」だとしてこれを止めさせようとしている国際社会を裏切るような話なので、非難囂々となることは仕方がないことです。

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Voici les sites qui parlent de 議論すること自体の問題:

» 核武装論と二重決定・ゼロオプション [週刊オブイェクト]
世論調査で72%が核武装議論を容認 [Lire la suite]

Notifié le le 14/11/2006 à 08:48 PM

Commentaires

 「日本の核武装」というのも極論に近い話なのですが(国際社会からの経済制裁に耐えられる社会構造になっていませんので。)。

 まあ、最近の現実離れした右派の方々を説得する言葉を私は有していないとは思います(勇ましいことをいって拳を振り上げれば相手が怖がって譲歩してくるはずだという単調な人間観は、現実社会で戦った経験が乏しいからではないかという気はしなくはありません。)が、北朝鮮に対する脅威をマスメディアが煽っても核武装賛成論に世論は流れてはいないし、むしろ、ノイジー・マイノリティな方々の間で勝手に盛り上がっている感はあります。「外交上の駆け引き論」にしても、右の方々の間でのみ通用している我田引水的な議論に終始しているように見えますし。

Rédigé par: 小倉秀夫 | le 13/11/2006 à 12:59 AM

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