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janvier 2007

31/01/2007

一昨日の裁判について

 オーマイニュースの石川さんからメールで取材を受けたのでご回答をいたしたのですが、その後何の連絡もありませんので、石川さん宛のご回答をベースにしたコメントを出しておこうかと思います。

 依頼者を誹謗中傷する発言が特定の電子掲示板に長期間に亘り継続的に投稿されており、この間当該電子掲示板の管理人は当該誹謗中傷発言を削除する等の管理行為を行わず、また、当該電子掲示板の利用者による自浄作用も働かなかった。さらに、当該電子掲示板では、誹謗中傷発言の削除等の措置を講じないまま、当該誹謗中傷発言を含むスレッドを過去ログとして長期にわたり公衆がダウンロードできる状態に置くこととした。また、当該電子掲示板には、まともな苦情受付窓口がなかった。だから、やむなく、当該電子掲示板の管理人に対し、民事訴訟を提起した。本件はそういう単純な事件です。

 ですから、普通の弁護士が普通のルートで普通の条件で依頼されれば、普通に受任する類のものだと思います。

 法律論としては、従前あまり言及されてない様々な論点が含まれますので、かなり面白いとは言いうると思います。ただ、現実論としては、法的な責任を実際に負わされるリスクなしに特定人を自由に誹謗中傷することができる「無法地帯」を作り出す権限を電子掲示板の設置者に与えてよいのかということに帰着します。おそらく、一種の無政府主義にシンパシーを持つ一部の方々以外は、「それはよくない」と考えるのではないかと思っています。

 石川さんから、「2ちゃんねるに望むことは?」とのご質問がございましたので、簡単に答えておこうと思います。

 「2ちゃんねる」に対して強いて望むとするならば、他人を不幸にし又は他人に不快感を与えるために「2ちゃんねる」を悪用している「一部の人」たちを排除し又はその活動を抑制する方法を、真剣に追求して頂きたいと思っています。それは、現実社会で生活し、活動している人々のためだけではなく、「2ちゃんねる」上で年齢や性別、出身地、肩書き等にとらわれることなく有益な議論を日々繰り広げている方々のためにもなることです(「個」を埋没させることが予定されている匿名掲示板においては特に、「一部の人」の行為による評判の下落が全体に波及せざるを得ないことになります。)。

 そのための方法としては、次のようなものが考えられます。

  1.  削除要請や発信者情報の開示請求を受け付ける窓口をきちんと設け、被害者からの電子メールや電話やFAX、配達証明郵便や内容証明郵便等を受領できるようにする。
  2.  削除要請通知を受領したら、少なくとも平日であれば24時間以内に、第三者の権利を不当に侵害するものである疑いがあるも投稿ついては削除をし、削除をしない場合には削除しない旨とその理由を要請者に返答する。
  3.  発信者情報の開示請求を受領したら、投稿の際に記入するメールアドレスに宛てて意見照会を行い、当該メールが宛先不明で返ってきたり、指定された回答期限(7日間くらい)までに説得的な反論がなされなかった場合には、その投稿によりネガティブに言及されている張本人又はその代理人弁護士からの請求であることを確認した上で、速やかにIPアドレスを開示する。
  4.  スレッド名等から誹謗中傷発言が多数投稿される蓋然性の高さが予想されるスレッドについては1日1回、それ以外のスレッドについても1週間に1回程度は投稿の内容を確認した上で、信頼に足る資料に言及することなく他人の名誉を毀損する等不当に他人の権利を侵害するものであると疑うに足りる投稿については、直ちに削除する。
  5.  第三者の権利を不当に侵害する虞のある投稿について、一般の利用者からも、電子メール等での情報提供を求める。一般の利用者から指摘を受けた投稿については、少なくとも平日であれば24時間以内に確認し、不当に他人の権利を侵害するものであると疑うに足りるものである場合には、直ちに削除する。
  6.  第三者の権利を不当に侵害する虞のある投稿を繰り返し行う利用者については、そのアクセスプロバイダに通知して、警告や退会処分等を行うように求める。
等の措置を講ずれば、「一部の悪質な利用者」たちを相当程度抑制又は排除できると思います。

 一般の利用者が積極的に5の情報提供をしてくれるようであれば、4の巡回作業の頻度を減らすことができます。各「板」の住民による「自治」が機能し、スタッフによる定期巡回が不要になっていけば、昼間常駐するスタッフ数は3〜4人もいれば十分となっていくと思います。また、削除要請や開示請求の受付窓口についても、株式会社ニワンゴ等とスタッフを共用することでコストの削減を図ることもできるかと存じます。また、各コメントにつき原則IPアドレスが表示されるようにしてしまえば、発信者情報開示請求に関する事務を省略することができます。

 そして、これを実現したとしても、「一部の悪質な利用者」以外の、匿名で「まったり」とした議論を楽しみたいだけの大多数の利用者には何等の不利益も発生しないのではないかと思います。

 最後に、むしろ「2ちゃんねる」を誹謗中傷や悪質なデマを流布する目的以外の目的で活用している多くの利用者こそ、「2ちゃんねる」を誹謗中傷や悪質なデマの流布等に悪用する悪質なユーザーを排除するよう、西村さんに要求して頂きたいと考えています。

横の連絡

 オーマイニュースは、誰がどの件で誰を取材するのかについて少しは市民記者同士の横の連絡を取る工夫をした方がよいように思います。取材を受けるとそれなりに時間がとられるので、同じ媒体から同じような取材が複数くると、だんだん嫌気がさしていってしまいます。

名誉毀損サイトのオーナーに対する刑事告訴

 名誉毀損記事を垂れ流しにしている某サイトについて、サイトのオーナーに対する刑事告訴を漸く正式に受理してもらうことができました。最初に告訴状を提出にいってから約半年もかかってしまいました(警察が実際に動くまでにはさらに時間がかかると思います。)。担当の刑事さんは非常に親切だったので警察の対応に不満はないのですが、確かに時間がかかりすぎであるとは思います。

 ネットでの誹謗中傷に関しては、令状がなければ発信者情報を開示すべきではない云々という意見がたまにあるのですが、各警察署の知能犯課は同種事件をたくさん抱えていて順番待ち状態なので、刑事手続きによる救済頼りということでは、本当に困ってしまうのです。

 私は、各特定電気通信役務提供者にできないことをしろと言うつもりはないのですが、せめてできることはして下されば、被害者にとっても業者にとっても警察にとってももう少し快適になるのになあと思ってしまいます。

29/01/2007

インドの衝撃

 NHKの「インドの衝撃 第1回 わき上がる頭脳パワー」を見ていて、我が国の「愛国心」論議がなんて抽象的、観念的、道徳的な話に止まっているのだろうということを感じました。

 例えば、貧しい家庭の子供たちに非常に低廉な価格で数学等を教える(特に家庭が貧しくて特に優秀な若者30人に対しては、授業料を取らず、却って無償で寮まで提供して、最難関の理数系大学であるIIT大学への合格を支援する)予備校教師の「愛国心」は、「伝統や文化に対する愛着ないし誇り」なんて生やさしいものではありません。むしろ、出身階層により教育の機会が制限される伝統や社会システムに対する「怒り」すら、そこにはあるのでしょう。そして、その「怒り」こそが、彼を利他的な行動に駆り立てているわけです。

 そこには、他国やマイノリティを見下すことで或いは自国の伝統や文化を誇ってみせることで自尊心を満足させようという自己愛型の愛国心や、伝統や国益の名の下になされる上からの理不尽な要求を喜んで受け入れるマゾヒズム型の愛国心とは全く異なる「愛国心」があります。

 あるいは、そこにあるのは愛「国」心ではないようにも思えてきます。彼が愛しているのは、才能に溢れた若者たちであり、彼らにその才能を発揮させない「伝統」や「社会システム」の統合である「国」は、「愛」の対象ではなく、「怒り」の対象であるかもしれません。

 教育基本法が改正された今、学校教育の現場では、このような義侠心を「愛国心」またはそれ以外の呼称で、ポジティブなものとして教えることができるのでしょうか。私は、戦後民主主義の下で教育を受けているので、田中正造や佐倉惣五郎のような義侠心の持ち主をポジティブなものとして教えられてきたのですが、「伝統や文化に対する愛着ないし誇り」なんていう生ぬるい精神を植え付けたい文科省は、そんなことを今後も許すのでしょうか。

実証されない自負

 「日本の刑事裁判においては、被告人の99%以上に対して有罪判決が下される」という客観的なデータから何が読み取れるのかということが問題です。

 

  1. 検察官は、裁判官が確実に有罪とする程度の証拠がなければ起訴しないので、被告人の99%以上に対して有罪判決が下される
  2. 検察官は、それを見れば裁判官が有罪判決を下しにくくなる証拠を法廷に提出させないことができるので、被告人の99%以上に対して有罪判決が下される
  3. 裁判官は、検察官が起訴してきた被告人については有罪判決を下すのが原則であると考え、これを実践しているので、被告人の99%以上に対して有罪判決が下される

等の可能性があります。あるいは、「検察官が不十分な証拠で起訴してきたが、起訴された以上仕方がないということで裁判所はこれを有罪とした。すると、検察官は、裁判所はその程度の証拠でも確実に有罪とするものとして、起訴をするためのハードルを下げてきた。その後、そのハードルすらクリアできないレベルの証拠で起訴してしまう検察官が現れた。起訴された以上仕方がないということで裁判所はこれを有罪とした。すると、検察官は、裁判所はその程度の証拠でも確実に有罪とするものとして、起訴をするためのハードルを下げてきた。……」という負の連鎖反応を起こしている可能性だってあるのです。

 また、1.の場合には、「裁判官が確実に有罪とする程度」というのがどの程度なのかによってずいぶんと意味合いが変わってきます。「裁判官が確実に有罪とする程度」というのが極めて低いレベルであるとするならば、「裁判官が確実に有罪とする程度の証拠がなければ起訴しない」といっても、嫌疑なし・嫌疑不十分で不起訴となる度合いというのはそれほど高くはないということができます。

 検察関係者(検察OBの弁護士の一部を含む。)は、しばしば、「検察官は、裁判官が確実に有罪とする程度の証拠がなければ起訴しないので、被告人の99%以上に対して有罪判決が下される」のであり、かつ、「裁判官が確実に有罪とする程度」というのは「合理的な疑いを容れない程度」であると一般に対して説明します(例えば、ここ)。しかし、このことを実証するデータというのは特に提示されることはありません。もちろん、研究者等は、嫌疑不十分で不起訴となった案件の証拠関係を閲覧することは通常できませんから、上記検察関係者の説明に対する反論というのも難しいのですが(過去の新聞記事を検索してみると、「殺人」の場合、被害者の死因が解剖により特定されずに嫌疑不十分になるというパターンが多いように思います。)。

 もっとも、この点については、特に痴漢事件に関して、「ほとんど『被害者』の供述しかなくても、起訴がなされ、有罪判決が下される」ということが昨今問題となっており、「『合理的な疑いを容れない程度』の有罪証拠がなければ検察は起訴をすることはなく、裁判所も有罪判決を下すことはない」ということにつき、疑問が呈されているところです。しかし、この疑問に対して、「痴漢については、政策的な理由から、起訴をするための心証のラインを引き下げている」とか「痴漢においては、『被害者』の供述の信用性に疑いを抱くのは合理的ではない」等の理由が提示されているわけではありません。

28/01/2007

「チャレンジ」してきた政治家とそうでない政治家

 安倍政権は「『再チャレンジ』可能な社会」というのを1つの政策課題に掲げています。が、特定の道徳的規範を押し付けようということほどには熱心ではないように見えます。それは、安倍政権には、「再チャレンジ」どころか、「チャレンジ」する必要すらなく育った方々が多いからではないかという気がします。

 世界を見回すと、政治的なトップはマイノリティ出身者が少なからずいるようです。面白いのは、米国、フランスとも、次期大統領の有力候補にマイノリティ出身者がいることです。民主党の最有力候補の一人であるバラック・フセイン・オバマJr.氏はケニア系移民の2世ですし、フランス大統領選の最有力候補であるニコラ・サルコジ氏はハンガリー系移民の2世です。これに対抗するのが、米国であればヒラリー・クリントン氏、フランスであればマリー・セゴレーヌ・ロワイヤル氏、と、どちらも女性であるところも注目されます。

 さらにいうと、上記4人のうち、オバマ、ヒラリー、サルコジの3氏が弁護士資格を有しており、ロワイヤル氏が元行政裁判所判事ということで、司法に関与していた経験を有しているというところも、日本の政治状況とは大きく異なり、注目されます。といいますか、政府の主要ポストに法曹出身者がいないというのは世界的に見ると珍しいことですし、この辺が日本の外交交渉の弱さ等に関連してくるのかもしれないと思ったりしなくもありません。

27/01/2007

山下進弁護士を救え

 なんか大変そうな事件に関するブログです。

 検察としては、こういう案件でも「裁判所は確実に有罪判決を下してくれるものだ」と確信しているからこそ、起訴しているということなのでしょうか。

 まあ、錦鯉を川に放流したことが器物損壊に当たるとされた事件で、「裁判所は確実に有罪判決を下してくれるものだ」と確信してしまうくらい、刑事裁判官に対する信頼の厚い検察のことだから、そうかもしれないと思わなくもないのですが。

26/01/2007

起訴率の低さと無罪率の低さとの関係

  矢部先生

 検事は、事件の起訴不起訴を決める際の事実認定にあたって、全ての証拠の証明力を、有能な弁護士による批判にさらされた後の状況を想定した上で、それらの証拠を裁判官はどのような評価をするであとうか、という目で検討し、弁護士による批判に晒されたとしても裁判官が有罪とするに足る証拠があると判断したときにだけ起訴する、というのが原則です。
 つまり、裁判官の立場に立って事件を考えて、裁判官が間違いなく有罪にすると認められる事件だけ起訴しているということです。

と仰っています。しかし、「裁判官が間違いなく有罪にすると認められる」とは言えないとして起訴を断念する場合、嫌疑なし又は嫌疑不十分ということで不起訴とすることになっているのですが、統計上そのような理由で不起訴とする例はそれほど多くありません。不起訴とする理由の大半は、情状や起訴価値を加味しての「起訴猶予」です。例えば、罪名別検察庁終局処理人員をみると、平成14年度の不起訴件数のうち、起訴猶予が89万6759件であり、嫌疑なし及び嫌疑不十分を含む「その他」は5万0345件でしかありません。責任能力がない故の嫌疑なし又は嫌疑不十分が相当数あるものと思われる殺人罪等を除くと、起訴猶予以外の理由で不起訴としている割合の小ささに気がつくはずです。家裁送致などを外して考えると、嫌疑なし・嫌疑不十分等で不起訴となる割合は約2.6%にすぎません(殺人の場合嫌疑なし・嫌疑不十分等で不起訴となる割合は3割を超えますが、強盗だと12.5%、放火で24.7%です。)。

 この数字から何を読み取るのかということは、諸外国の不起訴率や無罪率がわからない(起訴便宜主義と対峙する起訴法定主義というのは、公訴に値する嫌疑がある場合には検察官は起訴をしなければならないとする考え方であって、捜査の結果嫌疑がないか又は不十分な場合にも起訴しなければならないとするものではありませんので、無罪率が高い諸外国でも、嫌疑不十分を理由とする不起訴というのは相当数あるのではないかと思います。ここを参照。)ので難しい面もありますが、ただ、起訴率の低さから「裁判官が間違いなく有罪にすると認められる事件だけ起訴している」ということを説明することには躊躇を感じます。

25/01/2007

「無罪になりそう」のライン

 「日本の刑事裁判において有罪率が高いのは、無罪になりそうなものを検察が最初からふるいにかけているからだ」という一種の神話は日本国内においてだいぶ流布されていますが、これはある種のトートロジーが含まれています。「どの程度の証拠がそろえば有罪としてくれるか」「どの程度処罰範囲を拡張する方向に法解釈をしてくれるか」ということに関する日本の刑事裁判官の傾向についての認識なくして、「無罪になりそうなものを検察が最初からふるいにかけ」ることは不可能だからです。

 で、日本の刑事裁判においては、「どの程度の証拠がそろえば有罪としてくれるか」についてのハードルは極めて低いと言わざるを得ません。そのことがわかりやすい形で現れたのが、「痴漢冤罪」です。なにしろ、ほとんど唯一の証拠である「被害者」の証言が重要な部分で二転三転しても、被害者証言に信用性を認めて、有罪にしてしまう例など珍しくないのですから。そういう意味では、痴漢に関していえば、被害者の供述調書がとれていれば、「無罪になりそうだから、嫌疑不十分として不起訴にする」必要が検察にはないと言えます。

 「どの程度処罰範囲を拡張する方向に法解釈をしてくれるか」についても、日本の刑事裁判所のハードルは比較的低いです。これは刑法各論を勉強しているとわかると思います。実際、条文だけ見ていたのでは「この行為にその条文が適用されるなんて誰も思わないよ」みたいなのが結構あるので、司法試験の、特に択一試験対策としては、トリビア的な裁判例を頑張って覚えないといけなかったりするのです。

世界最速のインディアン

 今日は、マッカーサー駐日ニュージーランド大使主催の特別試写会にご招待頂きましたので、「世界最速のインディアン」というニュージーランド映画を鑑賞してきました。

 「数々の困難にめげず、夢を実現する男の物語」という、ある意味「映画の王道」的な仕掛けの映画ですが、それだけに素直に楽しむことができる映画だなあと思いました。ベースが実話なので、もちろん荒唐無稽なセッティングやストーリー展開はできないのですが、それでも、ベースとなる実話の主人公が破天荒な人物なので、立派に娯楽作品たり得ているというところが凄いところです。

23/01/2007

ドメイン名執行の際の管轄裁判所(訂正)

 壇先生から反論を頂きました。

小倉先生の説をとると、登記・登録が対抗要件に過ぎないはずの登記された賃貸借や、特許の通常実施権、著作権などについては民事執行法167条2項の登記等を要するものとして扱われている実務をどう理解するのであろうか。

といわれてしまうと、著作権について強制執行をかけたことがないので不安になってしまいます。

 それに、せっかく法律実務家同士が議論をしているので、きちんと文献を引用しないのもどうかと思いましたので、民事執行法の注釈書をきちんと読んでみることとしました。

 すると、香川保一監修「注釈民事執行法7」44頁(三村量一執筆担当)には、民事執行法167条に関して、

本条2項は、法144条2項の規定する債権所在地について、その特則となるものである。したがって、権利の移転について登記等を要するその他の財産権であっても、法144条1項の例により、第一次的には、債務者の普通裁判籍の所在地を管轄する地方裁判所が管轄執行裁判所となり、債務者の普通裁判籍がないときにはじめて、差し押さえるべき財産権の所在地を管轄する地方裁判所として、登記等の地を管轄する地方裁判所が管轄執行裁判所となる。

とあります。

 また、東京地裁債権執行等手続研究会編著「債権執行の諸問題」5頁(小山田治郎執筆担当)には、

権利の移転について、登記・登録を要するその他の財産権に対する強制執行の管轄は、登記・登録の地であるとの規定(民執167条2項)されているが、民事執行法167条1項がその他の財産権に対する執行手続きには特別の定めがあるものの他債権執行の例によると規定していること、執行債務者の権利防御の便宜を図ると共に債務者の普通裁判籍所在地の近くに利害関係人が多いことについては、金銭の支払いを目的とする債権に対する執行と同様であること等から、民事執行法167条2項は、直接に管轄裁判所を定めたものではなく、第二次的管轄についての補充規定であって、差し押さえるべきその他の財産権の所在地のみなし規定であると解されている。

とあり、最高裁判所事務総局編「民事書記官実務の手引き(執行手続──債権編)」84頁が参照されています。

 したがって、ドメイン名が「権利の移転について登記等を要するもの」にあたるかどうかにかかわらず、債務者の住所地を管轄する地方裁判所が執行裁判所というのが正しいようです(前掲「債権執行の諸問題」が平成5年9月発行ですので、その後実務が変更していれば別ですが。)。蓋を開けてみれば、至極単純な話ですね。

 ということで、ドメイン名を差押える場合の執行裁判所を債務者の住所地を管轄する地方裁判所とすることを原則とする理由について、従前の説明を訂正させて頂きたく存じます。

追記

 壇先生から、

もっとも、私の心配する問題はその先である。つまり、その説で裁判所を説得できるかである。昔の民事執行法逐条解説(商事法務)では二次的管轄の規定とはしていない。裁判所の決定等は見たことがない。条文操作としてはちょっと無理がある。というわけで、私には、裁判所から難色を示されたときに、上記文献だけで裁判所を説得する自信はない。実際に受任しないが、もし差押えの申立をするとしたら裁判所が難色を示さないことを願うのみである。
との追記をいただきました。私は、東京地裁債権執行等手続研究会編著「債権執行の諸問題」と最高裁判所事務総局編「民事書記官実務の手引き(執行手続──債権編)」で示されている見解について裁判所が難色を示す可能性は、全くないとはいわないまでも、大きいとは思っていなかったりします。

21/01/2007

譲渡承認要求、登録申請、名義書換申請

 壇先生から、早速反論をいただきました。

 

(2)について言えば、電話加入権やゴルフ会員権は権利移転に登記等を要しないことは、ほぼ間違いない。つまり、電話加入権は、(1)執行による売却→(2)譲渡に関する証明書をつけて譲渡承認請求→(3)承認で対応されている。そもそも登録は不要である。

しかし、ドメイン名の登録の手続を見れば、(1)ドメイン名の登録申請を申し込む→(2)登録される→(3)運用する組織のネットワークやネームサーバを用意する→(4)登録したドメイン名に対するネームサーバを設定する→(5)運用可能。という手続のようである。登録を要しないというためには、(2)なしに権利を取得した者が(5)の状態になる必要がある。指定事業者がネームサーバなどを書き換えたら、登録者とは別の人間がドメインを運用することもできないことはないだろうが、それはドメイン制度の運用から考えて問題である。

とのことです(元記事に機種依存文字が使われているので、正確に表示されていないおそれあり。)。

 しかし、「譲渡承認請求」というか、「名義書換申請」というか「移転登録申請」というかは、他方当事者側が名付けた用語の違いにすぎないのであって、法的には、契約当事者の地位の移転についての他方当事者の承諾要求にすぎません。これを「登録」と名付けるか否かで執行裁判所の管轄が変わるというのはおかしな話です。それよりは、「その他の財産権で権利の移転について登記等を要するもの」とは、登記等が権利移転の対抗要件ではなく有効要件となっているものをいうと考えるのが明快です(債権執行の執行裁判所が第三債務者の住所地ではなく、原則債務者の住所地とされていることとも整合性があります。)。

 なお、壇先生は、電話加入権の場合は「登録は不要である」とされていますが、電話加入権についても権利者が移転した場合にはその旨が帳簿に記録されます(電気通信事業法施行規則68条)。これを「登録」といわないのは、単なる言葉の問題です。また、預託金制ゴルフ倶楽部において、名義書換完了前は、会員権の譲受人は会員としての施設の利用をすることはできません。

20/01/2007

あるある大辞典2

 ダイエットのために納豆を探し回ってむりやり2パックも食べていた人はとんだ無駄骨でしたね(ここ)。

 「あるある大辞典2」の「実験結果」や外国の研究者の発言(の吹き替え)については、この納豆パックの回以外も捏造ではないのか調べた方がよいのではないかという気がします。

「一部の人」物語

 Aさんは、生徒の自由を最大限尊重することを校是とする学校「甲」を、交通量の多い大通り沿いに設立しました。学校「甲」は、入学も自由、退学も自由。授業料も不要。運営費用は、企業から広告を集めることで賄うことにしました。

 学校「甲」では、生徒の自由が最大限尊重された結果、レベルの高い研究やクラブ活動をする生徒も出てきましたが、他方、生徒の言葉遣いが粗野になりがちになったり、社会常識を逸脱した非常識な発言も目指すようになりました。

 学校「甲」では、学校の前を通りかかる人に、教室の窓から、牛乳やらペンキやらをぶっかけて遊ぶ人が出てきました。しかし、生徒の自由を最大限尊重するという学校「甲」の校是のもと、先生たちもこれをたしなめませんでした。牛乳やらペンキやらをぶっかけられた近隣住民らがAさんに抗議しても、Aさんは「それは生徒たちが勝手にやったことだ。教員の人数も足りないので全ての窓をずっと監視しているわけにはいかないので生徒が窓から牛乳やらペンキやらをぶっかけることを止めさせることはできない」といって抗議を無視しました。「それならば、牛乳やらペンキやらをぶっかけた生徒に責任を取らせるから、牛乳やらペンキやらをぶっかけたのは誰かを教えてくれ」と近隣住民がAさんに求めると、「うちでは監視カメラをおいているわけではないから、誰が牛乳やらペンキやらをぶっかけたのか自分も把握していないので教えられない」といってAさんはこれを断りました。

 学校「甲」では学校の窓から通行人にめがけて牛乳やらペンキやらをぶっかけても何の責任も取らされないという評判は次第に広がり、ストレスをため込んだ生徒さんたちがいろんなところから学校「甲」に集まるようになりました。生徒さんたちの悪戯行動は次第にエスカレートしていき、とうとうボーガンで通行人を射るという事件が起こってしまいました。

 事ここに至ると警察も座視しているわけに行かなくなりました。そこで地元の警察署長BはAさんを呼び出し、学校「甲」の各窓に監視カメラを設置し、生徒が通行人に危害を加える事件が起こった場合はその生徒の名前を警察に教えるように求めました。この要求に応じないとAさん自身が逮捕されかねない雰囲気だったので、この要求には渋々応じました。この結果、窓からボーガンで通行人を射て遊んだ生徒さんについては逮捕者がでるようになりました。

 しかし、生徒から牛乳やらペンキやらをぶっかけられた近隣住民が「警察署長さんからの要請に応じて監視カメラを入れたのだから、牛乳やらペンキやらをぶっかけてきた時間と窓が特定されれば、牛乳等をぶっかけてきた生徒が誰なのかわかるはずだ」とAさんに詰め寄りましたが、Aさんはがんとして悪戯をした生徒さんの名前を教えませんでした。このようなAさんの姿勢がストレスをため込んだ生徒さんたちの評判を呼び、通行人にペンキやらをぶっかけて嫌がらせをしてストレスを発散させたい生徒さんたちが学校「甲」にどんどん集まるようになりました。

 もちろん、学校「甲」の生徒全員が通行人に牛乳やらペンキやらをぶっかけて遊んでいたわけではありません。自分はそういうことはしないが、他の生徒が通行人に牛乳やらペンキやらをぶっかけ、それで通行人が困る姿を見て楽しむ生徒さんもいましたし、そういうことには関心を持たず、レベルの高い研究やクラブ活動に明け暮れる生徒さんもいました。しかし、彼らにしても、他の生徒さんが牛乳やらペンキやらをぶっかけたりするのを抑止するような措置を講ずることをAさんに求めることはありませんでした。却って、牛乳等をぶっかけられる通行人にはこういう特徴がある云々といって、むしろ被害者のことを責め出す始末です。

 そうこうしている間に、学校「甲」の近隣住民の間での評判は地に落ち、学校「甲」の生徒だというだけで後ろ指指されるようになりました。学校「甲」に広告を出す企業も、風俗産業やらなんやらの怪しい企業ばかりになっていきました。「通行人に牛乳やらペンキやらをぶっかけて遊んでいるのは生徒の一部であって、レベルの高い研究やクラブ活動も行われている」と言ってみても、学校「甲」の生徒というだけで白眼視される状況は続きました。

 他方、ストレス発散のために通行人に牛乳やらペンキやらをぶっかけて遊ぶ楽しさを覚えてしまった一部生徒さんたちは、学校「甲」の校舎から牛乳やらペンキやらをぶっかけることに飽きたらず、よその建物に行って監視の不十分な窓を見つけるやそこから通行人に牛乳やらペンキやらをぶっかけるという遊びを繰り返しました。このことにより、学校「甲」の評判はなおいっそう落ちていきました。

 学校「甲」で、文科省検定教科書に囚われずレベルの高い世界史の議論を続けているCさんは、「なんだ僕たちまで白い目で見るのですか」と、町会長さんに尋ねました。町会長さんは言いました。「なんで君は、君の学校の生徒さんを真剣にたしなめないんだい。何で君は、Aさんに、学校「甲」の生徒さんによる悪戯を止めさせるように強く求めないんだい。何で君は、生徒の悪戯を放置し続ける学校「甲」に居続けるのだい。悪さをしているのはそりゃ『一部の人』だろうよ。でも、その『一部の人』の悪さを容認し、擁護している場に君はなおも居続けているんだろう。それで、白眼視するなっていうのは虫が良すぎるのではないかね。」

 (以上はフィクションであり現実の人物・団体とは全く関係がありません。)

ドメイン名の差押え〜「ラ」か「リ」か

 「ゴルフ会員権の差押えとドメイン名の差押え」に対して、壇先生より言及して頂きました。そこで、若干の補足をしたいと思います。

 まず、

確かに、実体的権利と登録の相対効的な考えというのはそうだろうが、日本では多くの登録・登記が実体的な権利の効力発生要件ではない。問題は日本ではその立場を徹底すると不動産ですら本来的には(実際には明文があるので登記を要するのだが)執行に登録等を要しない物になりかねないことである。執行裁判所を説得できるのだろうか。むしろ、ICANNの統一ドメイン名紛争処理方針では登録と明記されているので、登録を要するというほうが素直だと思うが。

とのことです。ただ、ドメイン名の「登録」が  の「登録」にあたるとすると、譲渡命令や売却命令に基づき買受人が代金を納付したときは裁判所書記官が職権で移転登録手続きを取ることになる(民事執行法167条5項にて準用する82条1項1号)のですが、それも何か違うかなという感じはします(「jp」ドメインの執行の場合、登録手続きは書記官が職権でやってくれるのですか?)。また、電話加入権やゴルフ会員権などが「権利の移転について登記等を要するもの」とされていない(これらの差押えの管轄裁判所は、債務者の住所地の地方裁判所であって、NTTやゴルフ倶楽部の所在地の地方裁判所ではない。)ですし、「権利の移転について登記等を要するもの」との文言を敢えて広く解する理由が裁判所にはないのではないか(債権者の住所地とも債務者の住所地とも隔離した場所を執行の管轄裁判所とすることは通常デメリットが大きいです。)と思います。特に最近話題になっている某サイトについていうと、損害賠償を命ずる判決が確定しているにもかかわらずこれに従う意思がないことが公然と表明されているわけですから、そのような者に対する強制執行の範囲をあえて抑え気味にする方向で法解釈を行う気に裁判所がなるのかなあという疑問を持ったりもします。

 また、

第三債務者というからには、どのような権利かを明らかして差押債権目録に記載しなくては裁判所の受付ではねられる。

とのことですが、JPRSの「ドメイン名とは」によれば、

ドメイン名の登録者は、当該ドメイン名を所有するのではなく、一定期間使用する権利を持っているとする考え方が、一般的となっています。

とのことです。差押債権目録には、差押えの対象範囲がわかる程度にその法的な性質を書けばよいので、そこは難しくないように思います。ゴルフ会員権の差押えのときだって、会員のゴルフ倶楽部に対する具体的な権利の内容を差押債権目録にぐだぐだ書いたりしないしないわけですし。

 さらに、

小倉先生は、レジストラをレジストラは「第三債務者又はこれに準ずる者」にあたるとされている。裁判所には「第三債務者又はこれに準ずるもの」は誰か、それはなぜかを説明しなくてはならない。

 誰かという点ではレジストリか?レジストラか、ICANNか。ICANNの統一ドメイン名紛争処理方針を見る限りでは、レジストラの可能性が高いが、私には分からない。

とのことですが、確かにこの点は難しいですね。ドメイン名登録者の権利として一番重要なのが、自己が使用するサーバのIPアドレスを表象するものとして特定のドメイン名を独占的に使用する権利であることを考えると、ドメイン名データベースを管理しているレジストリの線も捨てがたいです。

18/01/2007

アマゾン・ジャパンと特定商取引法

 インターネット通販もまた、特定商取引法上の「通信販売」としての法規制を受けます。

 その法規制の中には、「販売業者又は役務提供事業者の氏名又は名称、住所及び電話番号」(特定商取引法施行規則8条1項1号)及び(販売業者又は役務提供事業者が法人であって、電子情報処理組織を使用する方法により広告する場合には)その代表者または通信販売業務の責任者の氏名(同8条1項2号)を表示する必要があります(特定商取引法11条)。なお、表示の方法としては、「消費者が最初に見ることができるページ画面など冒頭部分に表示すべきであり、止むを得ず冒頭部分への表示ができない場合には、冒頭部分から表示箇所へ到達可能となるような方法を講じたり、契約の申込み画面に到達するには、必ずこれらの販売業者等の主体に関する表示がなされている画面を経由しなければ到達できないような方法を、予め講じる必要がある(通達)」とされています(齋藤雅弘・池本誠司・石戸谷豊「特定商取引法ハンドブック[第2判]」108頁(日本評論社・2003))。

 で、アマゾン・ジャパンのサイトを見ると、少なくともトップページには、「販売業者又は役務提供事業者の氏名又は名称、住所及び電話番号」や「その代表者または通信販売業務の責任者の氏名」の表示はありません。トップページの一番下にある「Amazon.co.jp について」をクリックしても、「お問い合わせはこちら」をクリックしても、これらは表示されません。

 「スタッフ募集」をクリックすると、「アマゾン ジャパン株式会社 採用係」の所在地は表示されるのですが、 「アマゾン ジャパン株式会社」の電話番号も、「その代表者または通信販売業務の責任者の氏名」も表示されません。

 また、アマゾン・ジャパンで商品を注文すると、「注文を確定する」段階で、下の方に小さな文字で「アマゾンジャパン・ロジスティクス株式会社 返品受付係」の所在地は表示されますが、販売業者であるアマゾン・ジャパンの「氏名又は名称、住所及び電話番号」は表示されませんし、その代表者または通信販売業務の責任者の氏名も表示されません。

 また、「お問い合わせはこちら」をクリックすると、右端部分に、

電話でのお問い合わせ
以下のボタンをクリックして電話番号を入力してください。折り返しお電話いたします。
という表示があるのですが、これでは特定商取引法上の電話番号の表示義務を満たしません。

 実は、トップページの下端にある「ヘルプ」をクリックしてヘルプページにアクセスし、左端中段の「プライバシー・保証」のところをみると、「特定商取引法に基づく表示」という文字列があり、これをクリックすると、アマゾン・コム インターナショナル セールス インクの所在地と運営統括責任者の氏名、並びに、「日本でのお問い合わせ先」としてアマゾン ジャパン株式会社の所在地及びフリーダイヤルが表示されます。ただ、これって「当該広告に……表示しなければならない」という特定商取引法11条の要件を満たしているのか、疑問の余地がないわけではありません。

 「Amazon.co.jp について」をクリックすると、

2000年11月1日に営業を開始したAmazon.co.jpは、お客様がオンラインで求めるあらゆるものを検索、発見できる、世界で最も顧客重視の企業であることを目指します。
という文章がまず目にはいるのですが、そうであるならばお客様保護のために定められた国内法を技巧を凝らさずに遵守すべきではないかと思ったりします。

換価のためにドメイン名が差し押さえられた海外事例(1)

こちら

17/01/2007

ゴルフ会員権の差押えとドメイン名の差押え

 2ちゃんねるに対する強制執行の方法として「2ch.net」の競売という話は仲間内では従前から出ていた話なので、意外視する人が多いこと自体が意外だったりします。実際、米国では、既にトライされているわけですし(ただ、米国の「property」概念と日本法の「その他の財産権」とは若干のずれがあるのかも知れません。)。

 いわゆる契約上の地位のうち、民事執行法167条1項の「その他の財産権」にあたるとして強制執行の対象となっているものとして代表的なのは、賃借権と、電話加入権です。

 その他、「その他の財産権」にあたるとして強制執行の対象となっているものとしては、預託金制ゴルフ倶楽部の会員権があります。東京高決昭和60年8月15日判タ578号95頁は、

記録によれば、本件会員権は、いわゆる預託金会員組識ゴルフ会員権と称せられるもので、抗告人所有のゴルフ場施設の優先的利用権、会費納入等の義務、預託金返還請求権という債権債務から成り立つ包括的な債権契約上の地位であるが、かかる地位は、財産的価値を有し、執行債権の引当てとなる適格をもつものというべきであるから、民事執行法167条1項にいう「その他の財産権」に当たり、同法145条の差押命令の対象となり得ることはいうまでもないし、また、これが譲渡性を有することはその財産権としての性質上当然のことであるから、これにつき同法161条1項の譲渡命令を発し得ることも論をまたないというべきである。

とした上で、

本件会員権に係るお茶ノ水カントリー倶楽部の会員権の譲渡については、同倶楽部の会則により名義書換料の支払や理事会の承認等を経なければならないこととされているが、そのような条件が付されているからといつて、更には、現在右会員権の名義書換えが停止されているとしても、それゆえに右会員権をもつて譲渡性のない一身専属権ということはできないし、また、譲渡命令による譲渡は、私法上の特定承継の一種にすぎないから、当事者間において有効に譲渡し得る財産権である以上はこれをその対象とすることができると解されるのであつて、右のような手続等が必要とされ、かつ名義書換が停止中であることは、譲渡命令を発する妨げとなるものではない。本件譲渡命令によつて本件会員権は譲渡の当事者である相手方両名の間においては有効に移転するのであり、ただ、名義書換えが再開されて右の手続等が履践されない限り、抗告人に対する関係では右移転の効果が生じないだけのことである。

と判示しています。

 これをドメイン名登録者としての地位に当てはめると、ドメイン名の移転にあたってレジストラの承認等の手続が必要となるとしても、譲渡命令を発する妨げになるものではなく、本件譲渡命令によつてドメイン名登録者の地位は譲渡の当事者である相手方両名の間においては有効に移転するのであり、ただ、レジストラにおいて名義書換え手続等が履践されない限り、レジストラに対する関係では右移転の効果が生じないだけのことであるといえる可能性があります。すると、レジストラにおける名義の書換えは、ドメイン名登録者としての地位移転の有効要件ではないということになりますので、同法167条2項の適用を受けず、債務者の普通裁判席の所在地を管轄する地方裁判所を執行裁判所とする(同法144条1項)ことができそうです。すると、債務者が持っているドメイン名が「.jp」ドメインでなくとも、日本の裁判所で、日本法の下で、執行手続きを行えそうです。

 もちろん、レジストラは「第三債務者又はこれに準ずる者」にあたりますから、差押え命令はレジストラにも送達される必要がありますから、「.jp」ドメイン以外の場合、司法共助手続を利用して、海外のレジストラに向けて差押え命令を送達しなければなりません。これに相当な時間をとられるというのは、確かにネックではあります(例えば、米国に向けて領事送達の方法で送達を行う場合、送達が完了するまでに平均3ヵ月かかるとされています。)。ただ、費用については、翻訳費用を除けば、大したことはなかったはずです(昔1回やったことはあるのですが、具体的な金額は忘れてしまいました。)。

 また、譲渡命令や売却命令(同161条1項)の方法による換価を行うにあたっては、債務者審尋を行う必要があるとされています(同法161条2項。なお、ゴルフ会員権について、大阪高決昭和61年9月17日判時1213号94頁)。もっとも、債務者審尋については、「債務者が外国にあるとき、又はその住所が知れないときは、この限りではない」(同法161条2項但書)とされており、債務者が住民票上の住所地にいない場合には、債務者審尋は不要となりそうです。

16/01/2007

匿名さんは「誰が言ったか」に過剰に拘る

 匿名ブロガー、匿名コメンテーターさんたちは、むしろ「誰が言ったか」に過剰に拘るからこそ、自分について「誰」という情報を秘匿することに過剰に拘るのでしょうし、「誰が言ったか」が重視される場合に一般に信頼度を増す方向で働く属性を持っている人が「誰」という情報を秘匿しないことについて強いネガティブ感情を有するのでしょう(mixiにおいて原則実名主義が採用されることに対する彼らの嫌悪感の泉源はそこにあるのでしょう。mixiユーザーの安全性に配慮するのであれば、むしろ、mixiに対し「本人確認の強化」を訴えるはずですから。mixiの本来的用法を考えると、「実名探し」を回避するために個人特定情報をアップロードしないという選択肢の方が異常なのだし。)。また、「誰が言ったか」に過剰に拘るからこそ、自己の属性を詐称したりするのでしょう。

 「誰が言ったか」をどれだけ重視するかは読み手の選択の問題なので、話し手の方が「誰が言ったかは重要ではない」といって話し手の属性情報を隠すというのはある意味不誠実だし、話し手としての自分は「誰が言ったかは重要ではない」としてその属性情報を隠しておきながら、読み手としての自分は「誰が言ったか」を重視して話し手の属性をネガティブに評価してみせることで内容に対する反論に代えてしまうというのは身勝手であるとすらいえます。

「ドメイン名の強制競売」に関する文献(1)

とりあえず、1つ。↓

SEIZING DOMAIN NAMES TO ENFORCE JUDGMENTS: LOOKING BACK TO LOOK TO THE FUTURE

14/01/2007

刑法の予想問題(1)

 これから法学部は後期試験のシーズンですので、刑法の予想問題を1つ作成してみました。トピカルな問題が好きな先生にあたっている場合は、要注意です。

 【問】

 Aは、電子掲示板甲の運営者である。ただし、実際には、Aは大まかな方針を決めた上で、発言の削除等の実際の作業はBに委ねている。電子掲示板甲は、匿名でコメントを投稿することが可能であった。Aは、名誉毀損の被害者からの発信者情報の開示請求を受けても、これに応じないこととしていた。また、Aは、電子掲示板甲における名誉毀損発言等の削除要請は公開の掲示板でしか受け付けないこととし、また、名誉毀損発言等の削除要請がなされても、被害者が企業や著名人等である場合には削除は行わないこととしていた。また、Bは、電子掲示板甲においてどのようなコメントが投稿されているかを定期的にチェックし、スポンサー企業ではない企業が広告等を投稿していることを発見した場合にはこれを削除することにしていたが、特定人の名誉を毀損するコメントを発見してもこれを自主的に削除することはなかった(Aは、Bのこのような管理方針を知った上で容認していた。)。Aは、電子掲示板甲において、ある話題に関してのコメントの連なり(スレッド)ごとにコメント数が一定数に到達すると、程なくして、当該スレッドを電子掲示板から削除するとともに、そのスレッド内の一連のコメントを「過去ログ」として特定の電子ファイルに格納した上でウェブ上で公開することとしていたが、その際に特定人の名誉を毀損するコメントを削除することはなかった。

 Cは、電子掲示板甲において、その名誉を毀損するコメント(以下、「コメント乙」という。)を大量に投稿された。Cは、Aの電子メールに宛ててコメント乙の電子掲示板甲からの削除を要請したが、Aはこれを放置した。その後、Bは、コメント乙を含むスレッド内の一連のコメントを「過去ログ」ファイルに格納した上でこれをウェブ上で公開したが、その際にコメント乙を削除しなかった。

 Dは、電子掲示板甲が上記のように運用されていることを知りながら、電子掲示板甲のために用いられているサーバコンピュータの保有者Eに広告料を支払い、もって、AがEにサーバ利用料を支払わずとも電子掲示板甲を維持できるようにしていた。

 A及びB、Eは、名誉毀損罪の正犯(共同正犯を含む)または従犯としての責任を負うか。ただし、A、B、C、Eは日本国内に在住する日本国民とする。

「美しい国、日本」に「る」を一個挿入するだけで

 「美しい国、日本」に「る」を一個挿入するだけで、「鬱・苦、強いる国、日本」になるのですね。

 奥谷さんには申し訳ないけれども、日本の労働者は、既に甘やかされてなんていないです。企業と労働者との力関係は決して対等ではないということは、現代の日本でも十分に当てはまるので、一定の労働者保護法制の必要性はなくなってはいないわけですし。

13/01/2007

ドメイン名の競売

 ドメイン名の強制執行問題についての議論が最近ネット上ではが、大げさに考えられすぎのように見えます。

 論点としては、

ドメイン登録者たる地位が「不動産、船舶、動産及び債権以外の財産権」(民事執行法167条1項)に該当するか

該当するとした場合に、

「権利の移転について登記等を要するもの」(同167条2項)に該当するか

該当する場合は裁判管轄が「その登記等の地」になります。

 次に問題となるのが、

「第三債務者又はこれに準ずる者がないもの」(同167条3項)に該当するか

該当するとすれば差押えの効力は差押え命令がドメイン登録者に送達されたときに生じますし、そうでない場合、例えばレジストラが「第三債務者又はこれに準ずる者」にあたるとした場合には差押え命令がドメイン登録者とレジストラに送達されたときに差押えの効力が発生します。

 で、差し押さえたドメイン登録者の地位を換価する方法ですが、不動産、船舶、動産及び債権以外の財産権に対する強制執行については、「特別の定めがあるもののほか、債権執行の例による」とされています(民事執行法167条1項)ので、債権執行の例を見てみますと、民事執行法161条に、

1 差し押さえられた債権が、条件付若しくは期限付であるとき、又は反対給付に係ることその他の事由によりその取立てが困離であるときは、執行裁判所は、差押債権者の申立てにより、その債権を執行裁判所が定めた価額で支払に代えて差押債権者に譲渡する命令(以下「譲渡命令」という。)、取立てに代えて、執行裁判所の定める方法によりその債権の売却を執行官に命ずる命令(以下「売却命令」という。)又は管理人を選任してその債権の管理を命ずる命令(以下「管理命令」という。)その他相当な方法による換価を命ずる命令を発することができる。
2 執行裁判所は、前項の規定による決定をする場合には、債務者を審尋しなければならない。ただし、債務者が外国にあるとき、又はその住所が知れないときは、この限りでない。

という規定がありますので、売却命令を発するか、または、「その他相当な方法による換価」として競売を命ずるのではないかと思います。

 で、換価が実現すると、換価の申立てを行った債権者のみならず、執行力のある債務名義の正本を有する債権者であれば原則誰でも売得代金から配当を受けることができます。で、なお余れば余った分が債務者に交付されます。

 で、債務者が当該ドメイン名を使えなくなるのは、当該ドメイン名について登録者の地位が売却先または競落人に移転し、レジストラがその旨の登録を行ったときであって、当該ドメイン名について差押えを行ったときではありません。もっとも、ドメイン名を失ったことによって債務者または第三者が損害を被ったとしても、換価の申立人 は何らの法的責任も負いません。

 強制執行の管轄が日本の裁判所にある場合、ドメイン登録者の地位が売却先または競落人に移転するだけのことですから、レジストラとしては、これに沿った登録事項の更新をすることを拒絶する理由はないでしょう。

 強制執行の管轄が日本の裁判所にない場合は、管轄裁判所の所在する国や地域の執行法の定めによることになりますが、資本主義経済を基本とする社会において、新しい種類の財産に対する換価制度がないところはほぼないのではないかと思います。

 なお、法律家系ブロガーの中で民事訴訟法系といえば、やはり町村先生と岡田先生が思い出されますので、この両先生の解説を待つのがよさそうです。

11/01/2007

ネット上での名誉毀損の慰謝料額の相場

 和久一彦他「名誉毀損関係訴訟について──非マスメディア型事件を中心として──」判タ1223号49頁以下は、ネット上での名誉毀損事件についての名誉毀損の成立基準や慰謝料額の相場観を知る意味でも参考になります。

 例えば、ある人材派遣会社にについて、ウェブサイト上で、「働く人間を食い物にして成長して来たような、そして今衰退の過程をたどる企業」等掲載し、また、同サイト上に設置された掲示板に「この会社はスタートから道徳的に問題のある設立をしていることは『はじめに』のコーナー記載の通りです」等の書き込みをした場合の慰謝料は300万円となっています。

 また、自らのホームページに「のこぎりを突きつけられ、振り回されて殺されかけた」「無法者、悪党。犯罪者」などの書き込みがなされた場合の慰謝料は、実際に原告が会社の休憩室で被告に対しのこぎりを振り上げた事実がある、被告は刑事裁判で有罪となっている等の事情が斟酌された結果、20万円とされています。

 また、原告が管理運営する電子掲示板上になされた自己の書き込みが削除されたことに立腹して、同掲示板上に原告を非難罵倒する書き込みを繰り返し、また別の電子掲示板において「氏ね」「くたばれ」「デブ」「○○(注:原告の氏名)が欲求不満である」旨の罵倒書込みを多数回繰り返した場合の慰謝料額は100万円とされています。

 ネット上での誹謗中傷の場合、未だ信用度はマスメディアほどではないにしても、伝播力についてはマスメディアと引けをとらない場合も少なくないので、マスメディアに対する名誉毀損訴訟の場合の慰謝料相場ほどではないにせよ、それなりの慰謝料額が認められる可能性が高いということが言えそうです。

10/01/2007

匿名ならばネットで内部告発をしても安全なのか

 内部告発と実名・匿名の関係ですが、匿名の方が必ずしも告発者が保護されるとは言い難いのが難しいところです。

 というのも、匿名の方が実名よりも有利に働くのは、匿名だと告発者が被告発者に特定されない場合に限られるからです。匿名であっても告発者が特定されてしまう場合には、実名で告発をした上で告発者として手出しをされにくい状態(手出しをされても対抗しうる状態)に自らをおいてしまう方が安全性が高まります(例えば、告発者が匿名でいる間は、実際は報復人事としての左遷であっても、通常の業務命令として転勤・配置転換を告発者に命ずることが行いやすく、この場合に匿名の告発者は当該転勤・配置転換命令は報復人事であるとの抗議がしにくくなります。これに対し、実名で告発を行った場合には、告発者に転勤・配置転換を命じた場合には、内部告発に対する報復人事であるとの評価を甘んじて受けなければいけませんし、訴訟等で争われた場合にはそのことが弱みになります。)。

 では、匿名で内部告発した場合に告発者が被告発者に特定される可能性というのはどの程度あるのかといえば、告発の対象となる事実を実際に告発されている程度に把握している人がどの程度いるのかということによります。警察や検察等の捜査機関の捜査の端緒となればいい程度の情報であれば告発者が特定される蓋然性は低くなるのに対し、メディアが責任をもってそれを掲載しうる程度に真実性が証明できるほどに詳細な事実が提供されている場合には、被告発者に特定される可能性がより高まります。

 すると、内部告発がなさた後、内部告発を受け取った人らが裏付け捜査(調査)を行った上でその結果得た資料を付け加えて公表がなされるタイプの場合は、内部告発者自身が最低限どの程度の事実を掴んでいたのかが被告発者にわからないので告発者が特定される蓋然性が低くなります。これに対してるのに対し、内部告発を受け取った人らによる裏付け調査の結果が付加されることなく告発者の認識している事実がストレートに提示されるタイプの場合は、内部告発者自身が最低限どの程度の事実を掴んでいたのかが被告発者にわかってしまうので、告発者が特定される蓋然性が高くなります。とはいえ、後者のタイプの場合、内部告発者が把握している事実をできるだけ具体的に、沢山提示しないと、メディアサイドとしては、真実性の証明ができないので、内部告発者から受け取った情報を掲載しにくくなります。

 そういう意味では、ネット上での表現の匿名性を尊重することは、真摯な内部告発者の安全を守り、真摯な内部告発を奨励する役には今ひとつ立たないように思います。実際、原則実名のオーマイニュースのみならず、匿名可であるブログや、2ちゃんねる等の電子掲示板でも、真摯な内部告発なんてほぼないのです。

08/01/2007

平野さんたちへのインタビューを見て

 Parsleyさんがオーマイニュース日本語版の平野編集次長らにインタビューされた様子が、Parsleyさんのブログに掲載されています。

 平野さんらの受け答えは極めて常識的なものだと私は感じました。といいますか、市民型ジャーナリズムを推し進めていこうと思ったら、普通、ああいう方向になるだろうなと思いました。もちろん、編集部が一切のリスクを引き受けるという方針もあり得なくはないのでしょうが、その場合は、編集部としては、全面的にリスクを引き受けるに値するものだけを掲載するという方向で採用の基準を高くせざるを得ないでしょうから、いずれにせよ、2ちゃんねる基準に慣れきってしまった甘えん坊さんたちを満足させることはできなかったでしょう。

 あと、面白いのは、「誰が書いたかではなく、何が書かれているかが重要である」という意味をオーマイニュースの編集陣は正しく理解しているのに対し、アンチな方々は「俺様基準」でこの点を批判しているというところです。「記事を、記者の属性や行動等と切り離して、そこに書かれている内容のみから評価する」のであれば、その記事の記者が、その記事とは別の場所において、どのような言葉遣いをしたか等ということは、重要ではありません。オーマイニュースの場合、「誰が書いたかではなく、何が書かれているかが重要である」という見解に与せず、「誰が書いたかも重要である」という読者のために、「誰が書いたか」を原則明示するようにしており、「誰が書いたかではなく、何が書かれているかが重要である」という見解を読者に押し付けているわけでもありません(平野さんの「仮にオーマイの記事にも署名が載って、ブログでまったく別の言論活動を行っているとしたなら、その人の言論の信頼性が弱まります。」という発言は、そのことを示唆しています。)。

 といいますか、「誰が書いたかも重要である」とするならば、なおさら対読者匿名制など採用できるはずがありません。「誰が書いたかではなく、何が書かれているかが重要である」としても法的な責任主体を明示するという意味で原則実名制を採用するというのは採りうる選択肢ですが、「誰が書いたかも重要である」としつつ原則匿名性を採用することは論理的には困難であるように思います。

安藤百福

 CNN Internationalを見ていたら、安藤百福さんの話題を3分50秒もやっていました。日清の「No Boarder」キャンペーンまで触れられているあたりはさすがだと思いましたが、「Freedom」キャンペーンにまでは触れられていないあたりはさすがアメリカだと思ってしまいました。

「内部告発や危険水域からの発言」以外の言論に際してまで匿名表現を用いることは匿名の濫用とはならないか。

 匿名での表現を認めるべきとする根拠が「内部告発や危険水域からの発言」を守ることにあるのだとしたら、むしろ、「内部告発や危険水域からの発言」以外の言論に際してまで匿名表現を用いることは、匿名の濫用とすら言いうるのではないかという気もしてしまいます。少なくとも、「内部告発や危険水域からの発言」を守るために匿名での表現を認めるべきとする人々は、「内部告発や危険水域からの発言」以外の言論に際してまで匿名表現を用いることは自粛すべきなのではないかと思うのです。

07/01/2007

作曲の外注

 Thomas L. Friedmanの「The World Is Flat」では、「Globalization 3.0」という概念がしばしば出てきますが、J-Popについての楽曲制作作業のスウェーデンミュージシャンへの外注というのもまさに「Globalization 3.0」ですね。

 この記事でもあるとおり、当面は歌詞を除けば、委託作業を日本人ミュージシャンに限定する理由はないですし、ネットインフラが整備されたことにより、楽曲データのやりとりは、日本ースウェーデンという遠隔地に互いにいたままでも何の支障もなくなってきていますから(プロデュースまでスウェーデンミュージシャンにやってもらおうと思うと、まだ、ボニー・ピンクのように訪瑞しないといけないかもしれませんが。)。

2ちゃんねる準拠のネットリタラシーよりグローバルスタンダードなジャーナリズムとしての倫理を

 「オーマイニュースに2ちゃんねるの亜流になることを望んでどうなるのか。」というエントリーに対して、BigBanさんに、反論のエントリーを立てて頂きました。

 BigBanさんは、鳥越さんに対して「何しろネットリテラシーがなさすぎる」と仰るのですが、鳥越さんがやろうとしているのは、匿名電子掲示板でもなければブログでもない、ネットを活用した市民ジャーナリズムなのですから、ジャーナリズムとしての倫理に合致させることを優先させたのは1つの見識というべきでしょう。

 また、BigBanさんは、

「アメリカン・スタンダードがそうである」とか、「先行する韓国版がそうであるからとかいう理屈は、議論の本質を不明確にするだけであり、意味がないと考えられる。
と仰るのですが、「Oh! My News」の日本語版としてサービスを開始している以上、大元の韓国版の仕様を基本的に引き継ぐのは当然のことです。韓国版の仕様を基本的に引き継がないのであれば、「Oh! My News」の日本語版であるとの看板を掲げる必要はないし、むしろ掲げるべきではないといってもよいかもしれません。

 また、BigBanさんは、「善意の匿名の言論に対する考え方」を説明すべきと仰っています。しかし、なぜ説明する必要があるのかは明らかではありません。匿名で言論したい人や匿名の言論を読みたい人は、匿名の言論を原則許容しているメディアを用いればよいだけの話です。多くのメディアは主たるターゲットというものを想定して方針を組み立てるわけですが、その際に、「なぜ、このカテゴリーに属する人々を主たるターゲットに含めないのか。詰め碁を掲載しない詰将棋パラダイスの編集部に「詰め碁に対する考え方を説明すべき」と躍起になっているような滑稽さを感じます。

 もっとも、オーマイニュースの編集部における「匿名の言論に対する考え方」は既に明らかにされているということはできます。ただ、「善意か悪意か」という分け方をしていないので、「善意の匿名の言論に対する考え方」を説明せよというBigBanさんの要求に応えることになっていないというだけのことです。つまり、「オーマイニュース」では、

ペンネーム掲載を希望される場合は、その理由(告発や非難など、実名掲載によって記者自身が不利益を被る可能性があると編集部が判断した場合、ペンネーム掲載が可能となります)
との方針を示しており、「原則不可、特別の事情があれば例外的に許可」ということです。これは、オーマイニュースが目指しているのが(市民型)ジャーナリズムであり、市民記者自身が重要な情報源であるということを考えると、「ジャーナリズムの倫理」に合致しているといいうるのです。例えば、American Society of Newspaper Editorsが「ASNE Statement of Principles」の第4条において
Pledges of confidentiality to news sources must be honored at all costs, and therefore should not be given lightly. Unless there is clear and pressing need to maintain confidences, sources of information should be identified.
と謳っているように、情報源を秘匿すべき「明白かつ差し迫った必要性」がない限り、情報源は明らかにされるべきであり、オーマイニュース社の上記方針はこの基準と同方向を指向するものと評価できます。

 BigBanさんは、「問題は記事やコメントの質であり、実名・匿名の問題ではない。」とされますが、元讀賣新聞の論説委員である前澤猛さんが、「『情報源の明示』を考える — コーエン事件と鬼頭事件から」において、

「情報提供者の身元(アイデンテイテイ)、つまり取材源は出来るだけ明らかにすることによって、記事の質が高まり、新聞の信頼が保証される」という確信、そして、「情報源は公開が原則で、秘匿は例外」とする原則は、アメリカのジャーナリズムが体験した過去の情報操作や誤報事件の反省から、次第に強まってきたものだ。
と述べておられますとおり、情報提供者の身元をできるだけ明らかにするということは、記事やコメントの質を高めるためにも、有益なことなのです。

 また、BigBanさんは

「甘受しなければならない」のではなく、対応すべきは対応し、ひどいものはスルーするなり、削除なりすればいい話。ひどいものにはアクセス禁止や名誉毀損による対抗訴訟もありうるだろう。そういう「試練」の元に、論壇系ブロガーは皆日々発言を行っている。小倉さんもそうしているだろう。なぜ言論組織(この場合はオーマイニュース)に属した途端に保護されなければならないか
とも仰っています。確かに、現在のブログ環境では、ある種の思想傾向を有している人々の意に沿わない言論をアップロードすると、その種の思想傾向を有している人々から執拗な攻撃を受けますし、そうなると様々な不利益を甘受しない状況にあります。しかし、それは「言論」に対する環境としてあるべき姿ではありません。本来は、一般のブロガーだって、ある種の思想傾向を有している人々の意に沿わない言論を公表した場合に、その種の思想傾向を有している人々から、匿名でないととても恥ずかしくて言葉にできないような罵倒や人格攻撃を受けないで済むようにシステム的に守られるべきなのです。

 また、BigBanさんは、

そもそも、市民記者は「ジャーナリスト」ではなかったのか?薄謝とは言え、報酬を受けるプロであろう。「ジャーナリスト」であれば取材の過程でそうした「攻撃」をされることへの、技術的・かつ精神的な修練と、対応能力を持つことは要求されるのではないか。「市民記者」だから、あるいは「アマチュアのようなものだから」過剰に攻撃するのはおかしいというのであれば、公的空間で論議を呼ぶ記事を投稿することを最初から編集部は市民記者に求めず、記者も身辺雑記にとどめればよい。
とも仰っています。しかし、プロのジャーナリストであろうがアマチュアのジャーナリストであろうが、執拗な罵倒や人格攻撃を甘受することなど求められていません。公的空間で論議を呼ぶ記事についての議論は、実名を明らかにして行っても恥ずかしくない論理及び表現にてなされることが求められます。実名を明らかにしては恥ずかしくて口に出せない言葉こそ、せいぜいチラシの裏にでも書いておくにとどめるべきなのです。

04/01/2007

wikipediaと内部告発

 Beyondさんから、次のようなご質問を受けました。

で、「コメント欄もwikipediaも内部告発の場ではない」において、
考えてみれば、「wikipedia」もまた、内部告発や危険水域からの匿名での発言などというものを掲載する場ではありません。
などと、Wikipediaでの匿名性を問題視しているが、「掲載する場ではない」とする法的な根拠はなんだろうか?

 「wikipedia」が内部告発や危険水域からの匿名での発言を掲載する場所でない理由は、それが「Wikipedia:基本方針とガイドライン」に反するからです。

 つまり、「wikipedia」においては、「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。」との方針が採用されており、また、「ウィキペディアは何でないか」という項目において、

事実の暴露や報道を行う場ではありません。もっぱら知られていない事実を公表することが目的ではありません。事実ならば何を書いてもよいわけではありません。個人のプライバシー、また特に不謹慎とみなされる場合のある事象の記述に関しては、それが事実であっても保守的な態度で記述を避けるべきです。
とされています。

 ですから、wikipediaは、「信頼できる情報源が公表・出版している内容」ではない「内部告発や危険水域からの匿名での発言」を掲載する場ではないということができるのです。

ネット対マスメディア?

 インターネットが一部のユーザーに悪用された事例をマスメディアがネガティブな論調で報じた際に「マスコミによるネット叩き」等といって感情的に振る舞うのは、いかがなものかなあという気がしたりします。

 日本におけるインターネットの利用状況というのは、全てが素晴らしいことばかりではなく、ネガティブな面も相当にあるわけですから、そのネガティブな点にマスメディアが注目するのは別に不思議なことではありません。もちろん、実際に非難されているのは「一部の悪質なネットユーザー」であっても、それを「ネット対マスメディア」という対立構図に持ち込めば、マスメディアへの対抗意識から「一部の悪質なネットユーザー」のもたらす害悪を矮小化する言説がネットに広まるだろうという計算もあるのかもしれませんが、それはそれでアンフェアかなあという気がしてなりません。

 むしろ、大多数のネットユーザーは、一部の悪質なネットユーザーによるネットの悪用を抑制する方向での改革を推し進めた方が、より快適なネット環境を手に入れることはできるは、旧世代からの偏見をはねのけることには繋がるは、で一石二鳥なわけで、「一部の悪質なネットユーザー」をかばい立てするメリットは何一つないようにすら思えます。

03/01/2007

オーマイニュースに2ちゃんねるの亜流になることを望んでどうなるのか。

 私の「コメント欄もwikipediaも内部告発の場ではない」というエントリーに対する回答として、BigBanさんがエントリーを立ち上げていますので、これに対して答えてみましょう。

問題はオピニオン会員のコメント権を実名化したことにあるのではない。オーマイニュースは、創刊当時から、「匿名投稿」を排除し、「実名投稿」を推奨する姿勢を持っていた。それが、鳥越氏の一連の2ちゃんねる批判に繋がったし、その延長に、コメント欄の炎上があり、オピニオン会員制度の見直しがある。汚いコメントが飛び交ったので、実名推奨したのではない。順序が違うと思う。このメディアはスタート当初から実名を重んじ匿名を嫌う立場のメディアなのである。理由は「信頼できないから」「無責任だから」「悪意の投稿があるから」としているが、その発想のベースには「2ちゃんねらー」への敵意がある。
とのことですが、オーマイニュースは当初より、各記事毎にその記者名を明らかにしたくない合理的な理由がある場合には記者名を公表しないことを認めていたわけです。記者自身の体験をベースにおくファクト系の記事に関していえば、各市民記者こそが「情報源」である以上、「情報源は、秘匿すべき合理的な理由がない限りこれを明示する」というアメリカン・スタンダードに合致しています(「取材源を秘匿する」という約束は、そのような約束をしてでもその情報を報道する価値があるという例外的な場合以外にはすべきではないし、そのような約束をした場合にはこれによる不利益は記者や報道機関が負うというのが、アメリカン・スタンダードです。)。オーマイニュースは、韓国版からスタートし、英語版が日本語版に先行していますから、日本語版においてもこの「市民記者の実名原則」が採用されることは、鳥越編集長の意向にかかわらず、既定路線だったと思われます。そういう意味では、「市民記者が望むならば対読者匿名性を保障すべきだ」という批判は、安易に取材源を秘匿する既存の日本のマスメディアの無責任さをオーマイニュースにも押し付けようとしているにすぎないものだということができます。ファクト系の記事に関していえば、「実名が重んじられ、匿名が軽んじられる」ことは、当然のことなのです。

 他方、記者自身の体験をベースとせず、既報の情報を寄せ集めてそこに論評を加えるという形を取るオピニオン系の記事についてはどうかというと、「2ちゃんねる」に代表される「匿名のオピニオン」の現状を見れば、虚偽の事実摘示により第三者の名誉を毀損したりしたはといいますか、ファクト系の記事に関していえば、悪意に満ちた、無責任なものが多いことは事実でしょう。もちろん、「匿名か否か」と「悪意に満ちた、無責任なものか否か」は完全に1対1対応しているわけではありませんが、ある程度の相関性があると考えれば、「実名を明示できない合理的な理由を明示できない記者による記事はオピニオン系のものであってもオーマイニュースでは採用しない」というのは、十分にあり得る選択肢です(「オピニオン系の記事に関しては匿名でも受け付けるが、「悪意に満ちた、無責任なものについては、記事として採用しない」という方針を採った場合には、ある思想傾向を持った集団がその意に沿わない思想傾向を持つ人々に対する悪意に満ちた、無責任なオピニオン記事を投稿し続けた場合に、果たしてそれらを記事として採用しないという運用を貫いたときに、そのこと自体を「オーマイニュースの思想的偏向」を示すものとして歪んで援用される虞が十分にあります。しかし、プロバイダ責任制限法第3条第1項の免責を受けられないオーマイニュース編集部に、悪意に満ちた、無責任なオピニオン記事を割合的に掲載し続けるという選択肢は法務的に採りにくいですし、「2ちゃんねる」の後発メディアであるオーマイニュースとしては「2ちゃんねる」的なものに閉口している読者をターゲットとするのが合理的ですから、匿名記者による悪意に満ちた、無責任なオピニオン記事を排除するのは、営業方針としても十分な合理性があります。)。

 また、

また、「内部告発や危険水域からの発言」が無かった理由は明快であり、オーマイニュースが表面的にはそうした「スクープ」を口では志向、推奨しつつも、これらの投稿が市民記者からされるための、あるいはコメンターに対しての環境を整えたり、彼らを防衛したりする意志が全くと言っていいほど、なかったからであることの当然の帰結ともいえる。そして今後も、そうした記事やコメントは、ほとんど望めないであろう。
とのことですが、「スクープ」のようなファクト系の記事に関して、そのような投稿が市民記者からなされるための「環境」ないし「防衛したりする意志」というものが何を指すのかが私には理解できません。それが、「市民記者の記事については、それにより名誉を毀損される被害者が現れても、被害者に泣き寝入りを強いる『環境』ないし『意志』」ということであれば、プロバイダ責任制限法第3条第1項による免責を受けられない、「損害賠償を命ずる確定判決をいくつ受けようとも収入源を秘匿することにより知らん顔する」ことができないオーマイニュースにそのようなことを望んでもそれは無理というものです。2ちゃんねるでは珍しくもない中傷記事がオーマイニュースに掲載されたら、その被害者の代理人たる弁護士は、躊躇なくオーマイニュース社を被告として訴訟を提起することでしょう。で、名誉毀損の場合の慰謝料相場が30〜50万円という時代はとうに終わっています。

 また、

しかし、これが一般的な職場の勤め人であれば、どうか。実名で、自分の職場や関連する官公庁などの問題を扱うことができるか。それでなくても人の実名をネット晒して言論に圧力をかけることに異様なエネルギーを持つ人たちが横行している昨今である。それを押し切って実名で発言しろと主張すること自体が最初から無理がある。/やはりオーマイニュースにも、小倉弁護士にも、このあたりの水域から発言する人たちの微妙な立場への理解は少ないように思えてならない。
とのことですが、では、匿名OKの2ちゃんねるやブログ等において、一般的な職場の勤め人が自分の職場や関連する官公庁などの問題を扱っている例がどれほどあるのかというと、実のところ大いに疑問です。2ちゃんねる等では肩書き詐称など日常茶飯事です。

 また、

「コメント欄の罵倒によって投稿意欲がなくなった」という市民記者の「悲鳴」は私も何度か耳にしたが、それではこうした記者に伺いたいのは、一体何を期待してオーマイニュースに登録して記事を「目立つところで」書かれたのかということである。こうしたメディアで、見解の分かれる政治的な問題を論評したり、甘い論理の記事を投稿したりすれば、攻撃の言葉を浴びるのはあらかじめ覚悟を決めてかかるべきなのであり、それによって「やる気がなくなる」なら、その記者の発信のモチベーションが、元々その程度のものであった、それなら無理に発信するほどのものではあるまい。と言えば言い過ぎだろうか。
とのことですが、「見解の分かれる政治的な問題を論評した」からといって罵倒を浴びたり人格攻撃を受けたりすること甘受しなければならない理由はないわけです。また、揚げ足を取られる余地が全くないとまではない記事を書いたからといって罵倒を浴びたり人格攻撃を受けたりすること甘受しなければならない理由はないわけです。そんなことを甘受しなければならないとなれば、それこそよほど強固な意志を有している人々しか、「自分の意に沿わない意見の持ち主に罵倒を浴びせたり人格攻撃をしたりすることを躊躇しない人々の意に反すること」を伝えられなくなります。「罵倒や人格攻撃に耐性のない人の提供する情報など知るに値しない」のであればそれでもいいのかもしれませんが、有益な情報を実体験した人の全てが「罵倒や人格攻撃に耐性のある人」である保障はないし、有益な専門的な知見を有している人の全てが「罵倒や人格攻撃に耐性のある人」であるとは限らないわけで、「罵倒や人格攻撃に耐性のない人の提供する情報」を捨て去っていたら、Webから有益な情報の一部ががっぽりと抜け落ちてしまいます。

 また、

これも少々論理がおかしいと思う。「編集者等が容易に検証することが不可能な記述」は匿名によってのみなされるわけではない。Wikipedia編集においても、歴史的な事象はともかく、現実的なテーマに関するディープな情報提供は、むしろ事象に関わる利益を持つ、あらかじめ推定可能な人物によってなされる場合が多いのであり、それらの利害対立から問題がゆがめられることはあるが、匿名だからといって提供される情報が「検証しづらい」わけではない。ここでも実名性と情報の質との相関関係はそれほど単純ではないのである。つまり情報の「検証しやすさ」と投稿者の「実名性」の関連を必然化するには考察が足りないと思う。
とのことですが、「内部告発」に代表される「一次情報」が匿名で持ち込まれる場合には、その情報が「偽」であることが公表済みの情報により立証可能であるごく例外的な場合を除き、検証のしようがないのが原則です。例えば、Aという大学教授についてのwikipedia記事において、「平成○○年より、裏口入学詐欺に関与」という未公表情報が加えられた場合、それが「真摯な内部告発」である可能性は完全には否定できないけれども、悪質なデマである可能性も相当あるわけで、では、検証できるのかといえば通常はできないわけです。もちろん、実名を明示した会員により「平成○○年より、裏口入学詐欺に関与」という未公表情報が加えられる可能性だってあるわけですが、その場合、その会員がどのような立場にいてどのようなきっかけでその情報を知ったのか等からその情報の真偽を検証することが可能となります。そういう意味では、情報源の匿名性と情報の検証のしにくさとの間には高度の関連性があるとしか言いようがなく、この点を捨象して「実名」と「匿名」との差異を相対化しようとする見解というのは、政治的にすぎるように思えてなりません。

02/01/2007

Japanese Dream

 新年あけましておめでとうございます。

 年明け最初のエントリーということで、「夢」に関する話題を1つ。

 「American dream」という言葉がありますが、では、「Japanese dream」という言葉はあるのでしょうか。あるとしたらどのような意味なのでしょうか。

 結論から言うと、「Japanese dream」という言葉が歌詞に使われている楽曲は実在しています。1つは、 Alisha's Atticという女性2人組が歌う「Japanese Dream」、もう一つは、The Cureという英国のロックバンドが歌う「A Japanese Dream」という楽曲です。

 では、どういうニュアンスで「Japanese dream」という言葉が用いられているのかというと、私には良く理解できなかったりします。

 Alisha's Atticの「Japanese Dream」では、

And she sleeps like a baby in her Japanese Dream
And she flies like an angel in her Japanese Dream

云々と歌われているのですが、この歌詞の中の「she」の願望というのは「all she wants to do is Get back to his arms」とか「All she thinks about is his slender body on her skin」という類のものでしかないようです。「Japanese Dream」は日本でのみリリースされた作品なのに、未だに日本女性に対するイメージってそんなものなの?という感じがしてなりません(まあ、10年前の作品ですが。)。

 The Cureの「A Japanese Dream」の方はもっと不可解です。

 

That was a Japanese dream alright

の「That」は、その直前までの部分を指すのでしょうけど、

I get down on the floor
Like I am praying to the lord
Burning like a monkey
等の情景が、この歌の中の「I」の夢の描写であるにせよ、なぜに「Japanese」という言葉と結びついたのか、理解が困難です。

 「Californiaは温暖な土地だ」という共通理解があって初めて「California Dreami'」のあの歌詞が成立するように、Alisha's Atticの「Japanese Dream」やThe Cureの「A Japanese Dream」を成立させるためには、少なくとも英国人の間に「Japan」に対するある種の共通理解があるのではないかとは思うのですが、それが何であるのかはよくわからないとしかいいようがありません。

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