「無罪になりそう」のライン
「日本の刑事裁判において有罪率が高いのは、無罪になりそうなものを検察が最初からふるいにかけているからだ」という一種の神話は日本国内においてだいぶ流布されていますが、これはある種のトートロジーが含まれています。「どの程度の証拠がそろえば有罪としてくれるか」「どの程度処罰範囲を拡張する方向に法解釈をしてくれるか」ということに関する日本の刑事裁判官の傾向についての認識なくして、「無罪になりそうなものを検察が最初からふるいにかけ」ることは不可能だからです。
で、日本の刑事裁判においては、「どの程度の証拠がそろえば有罪としてくれるか」についてのハードルは極めて低いと言わざるを得ません。そのことがわかりやすい形で現れたのが、「痴漢冤罪」です。なにしろ、ほとんど唯一の証拠である「被害者」の証言が重要な部分で二転三転しても、被害者証言に信用性を認めて、有罪にしてしまう例など珍しくないのですから。そういう意味では、痴漢に関していえば、被害者の供述調書がとれていれば、「無罪になりそうだから、嫌疑不十分として不起訴にする」必要が検察にはないと言えます。
「どの程度処罰範囲を拡張する方向に法解釈をしてくれるか」についても、日本の刑事裁判所のハードルは比較的低いです。これは刑法各論を勉強しているとわかると思います。実際、条文だけ見ていたのでは「この行為にその条文が適用されるなんて誰も思わないよ」みたいなのが結構あるので、司法試験の、特に択一試験対策としては、トリビア的な裁判例を頑張って覚えないといけなかったりするのです。
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