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16/01/2007

匿名さんは「誰が言ったか」に過剰に拘る

 匿名ブロガー、匿名コメンテーターさんたちは、むしろ「誰が言ったか」に過剰に拘るからこそ、自分について「誰」という情報を秘匿することに過剰に拘るのでしょうし、「誰が言ったか」が重視される場合に一般に信頼度を増す方向で働く属性を持っている人が「誰」という情報を秘匿しないことについて強いネガティブ感情を有するのでしょう(mixiにおいて原則実名主義が採用されることに対する彼らの嫌悪感の泉源はそこにあるのでしょう。mixiユーザーの安全性に配慮するのであれば、むしろ、mixiに対し「本人確認の強化」を訴えるはずですから。mixiの本来的用法を考えると、「実名探し」を回避するために個人特定情報をアップロードしないという選択肢の方が異常なのだし。)。また、「誰が言ったか」に過剰に拘るからこそ、自己の属性を詐称したりするのでしょう。

 「誰が言ったか」をどれだけ重視するかは読み手の選択の問題なので、話し手の方が「誰が言ったかは重要ではない」といって話し手の属性情報を隠すというのはある意味不誠実だし、話し手としての自分は「誰が言ったかは重要ではない」としてその属性情報を隠しておきながら、読み手としての自分は「誰が言ったか」を重視して話し手の属性をネガティブに評価してみせることで内容に対する反論に代えてしまうというのは身勝手であるとすらいえます。

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Commentaires

 「誰が言ったかではなく、何を言ったかが重要である」というのは、当該文章の価値を判断する際に当該文章の書き手についての属人的な要素を斟酌するべきではないということですから、その書き手が他の場所であるいは以前に何を言ったかということすら斟酌すべきではないということになるはずです。
 斟酌すべきでないことが書き手の現実社会での肩書き等にみであって、書き手が別の場所で何を語ったかということは重視されるべきだと言うことになると、匿名を用いることによって、自分が別の場所で何を語ったのかを読み手に把握させないことは、読み手に対して不誠実だと言うことになりそうです。

この問題で共犯論しか論じないとなると、合格点は付かないように思います。作為の正犯性や不作為の正犯性もきちんと論じないといけません。

下の「予想問題」に対する回答をご自身のブログに書いてトラックバックしてみませんか?>こうさん。

刑法総論の問題としては結構面白いと思うのですが。

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