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mars 2007

31/03/2007

92年1月の用語解説記事に拘る前に

 従軍慰安婦問題を論ずる方々はどうしても対朝日新聞イデオロギー闘争に執心してしまう傾向があるようです。ただ、あまり公平な議論は行われていないような気がします。

 「挺身隊」と「慰安婦」とで新聞記事検索をかけると、「タイ南部の小さな町に、韓国人のハルモニ(おばあさん)を訪ねあてた。」という書き出しから始める記事の中に、

 ある日、釜山郊外で井戸の水を水がめにくんで頭に載せて帰ろうとしたら、日本人巡査が三、四人来た。「待て」と言われて身をかわした瞬間、水がめが落ちて割れ、巡査の服をぬらした。いくら謝っても許してもらえず、殴られたり、けられたりしたうえ、車の中に押し込まれた。それが人生の岐路となった。

 留置された部屋には若い女性がいっぱいだった。十日後に六人がダブダブの軍服を着せられ、「皇国使節団」として軍艦に乗せられた。1942年の秋だった。

 四十日間の航海のあと「昭南島」と呼ばれたシンガポールに着いた。日本軍のバラックに入れられ、翌日、慰安演芸会でアリランなどを歌わせられた。そのあと個室に連れて行かれ、休ませてくれるのかと思ったら、将校が入ってきた。この夜から、挺身隊員としての地獄の日々が始まった。

 慰安婦の生活は、昼間は兵隊の衣類の洗濯や兵舎の掃除、弾薬運びなどの重労働で、夜は兵隊のなぐさみものとなった。朝から何十人もの相手をさせられる日もあった。少しでも反抗すると、監督に殴られ、髪を引っ張られ、半裸で引き回された。人間以下の生活だった。

とする朝日新聞の1984年11月02日東京夕刊5頁の記事が最初ではないかと思うのですが、その次の記事は、「旧日本軍の従軍慰安婦。その事実と実態を舞台に再現する劇団夢屋の第三回公演「女子挺身隊」が、二十日から四日間、東京・下北沢の下北沢駅前劇場で上演される」から始まる

 従軍慰安婦とは、旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。昭和十三年から終戦の日までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。

 「お国のためだ」と何をするのかも分からないままにだまされ、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった。

 特に昭和十七年以降「女子挺身隊」の名のもとに、日韓併合で無理やり日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた。彼女たちは、砲弾の飛び交う戦場の仮設小屋やざんごうの中で、一日に何十人もの将兵に体をまかせた。その存在は、世界の戦史上、極めて異例とされながら、その制度と実態が明らかにされることはなかった。

とする讀賣新聞1987年08月14日東京夕刊13頁の記事のようです。1992年1月の解説記事は、この1980年代の朝日・讀賣両紙の認識の範囲を超えてはいないように思うのです。

 その後、讀賣新聞は、「元従軍慰安婦問題の誤解 論説委員・朝倉敏夫」という題で、「九二年一月、日本の新聞が、挺身隊動員は従軍慰安婦強制連行、とする大々的な歴史偽造報道をした。その報道を受けて、韓国の新聞は「十二歳の小学生まで動員、戦場で、もてあそばれたことに煮えくり返るような憤怒を禁じえない」とする社説を掲げた。」(1998年05月08日東京朝刊23頁)と報じて暗に朝日新聞を批判しているのですが、挺身隊、強制連行、慰安婦という3点セットは、讀賣新聞もまた、朝日新聞の先行記事とは別ソースで報じている(84年の朝日新聞の記事がタイ在住の韓国人の個人的な体験をそのインタビューを元に構成して報じただけなのに対し、87年の讀賣新聞の記事は、もう少しマスの観点から報じておりますので、84年の朝日新聞の記事の焼き直しではなく、讀賣新聞もまた独自取材をしたのではないかと思います。)わけで、それっていかがなものかなあという感じがします。

29/03/2007

「Resolution121」がどっかに飛んでしまっている

 昨今、従軍慰安婦問題で「狭義の強制連行がなかった」云々に拘っている人たちは結局何がしたいのか、私には理解しがたいところがあります。米国下院が「Resolution121」を可決しないように米国議員を説得する、あるいは「Resolution121」を可決されたとしてもそれは決議として不当なのだと国際社会に向けてアピールをしたいのであれば、「Resolution121」では何が語られており、そのうちどの部分が問題なのかを、「Resolution121」の文言に即して具体的に論ずることが必要です。

 しかし、ネット上の議論を見ていると、「『Resolution121』の文言に即して具体的に論ずる」ことよりも、従軍慰安婦問題を、対朝日新聞イデオロギー闘争のネタに使うことに熱心な方が多いように見受けられます。それは、朝日新聞をやたら毛嫌いしている日本国内の右派勢力の溜飲を下げるのに役立つのかも知れませんが、米国下院議員の説得にも、また、国際社会に向けてのアピールにも繋がりません(仮に、それらの発言を英訳しても同様です。)。また、下村官房副長官のように、否定しても受け入れられる余地がない部分まで否定してしまうと、却って、「ホロコースト否定論者」と見られてしまい、今後の発言について信頼性を失ってしまいます。

 河野談話に対する批判も同様で、具体的な文言に即しての批判というのは少ないように感じられます。私は、職業柄謝罪文言を起草したりすることも少なからずあるのですが、河野談話は、事実の有無について争いが残る部分は曖昧にしたりそもそも触れなかったりというふうにすることで、どちらの顔も立てているのであって、公的な謝罪文としてはそんなに悪くはないように思います。

27/03/2007

裁判官の給与に関する議論

 The Becker-Posner Blog"で、米国のPosner判事が裁判官の給与に関するエントリーをアップロードしています。

 とりあえず、面白そうな議論です(原文を理解してから、コメントするかも)。

24/03/2007

スマートフォン時代のブログデザイン

 外回りの際にW-ZERO3を持ち歩くようになって感じたことは、3カラム型のブログは、幅の狭い端末では本文が読めないということです。2カラム型ですら、サイドバーが固定幅で設定されるのが標準なので、本文が読みにくいです。

 スマートフォンが日本国内でも普及するようになったら、ブログのデザインもこれに合わせなければいけなさそうです(端末に合わせて、テンプレートを替えられれば一番いいのですが)。

coercion in a "narrow" sense

 米国下院のResolution121の内容は、ネットで読むことができます(英語ですが)。

 これを読むと、ここで問題視されている「強制」は「coercion of young women into sexual slavery」です。若い女性が慰安婦として働かされるに至る過程のどこかに強制があれば足りますし、その強制を旧日本軍が自ら手を下さなくとも、軍が委託した業者が継続的に強制を行っていた以上、旧日本軍による強制と同視されるのは仕方がないことです(カラオケボックスにおける客による歌唱がカラオケボックス経営者の歌唱と同視されるというよりはわかりやすいです。)。したがって、米国議会が上記決議を行うことに反対する際に、「家に乗り込んでいって強引に連れていった」等の例を「狭義の強制連行」と定義して「狭義の強制連行があったとの証拠はない」と言ってみても、反論としては的はずれです。

 普通は一国の首相が的はずれな反論をするとは考えませんから(幸か不幸か、安倍首相は国際的には「鷹派」であって「右翼勢力に取り囲まれている」との評価は受けていますが、ブッシュJrと異なり「頭が悪い」人物であるとは広く認識されていません。)、例えばBBCなんかにも、「Abe questions sex slave 'coercion'」との大見出しの元で、

Japan's Prime Minister Shinzo Abe has said there is no evidence that women were forced to become sex slaves by the Japanese army during World War II.
と報じられてしまうのです。

 さらにいうと、英語メディアを見ていると、安倍首相やその周辺は「coercion」自体を否定しようとしていると報じられていると見られているわけです。例えば、ロイター通信のこの記事においても、河野談話は

admitted the Japanese military's role in setting up the brothels, and that many women were taken to and kept in them against their will
と位置づけられているのに対し、「A group of 120 ruling LDP lawmakers who argue that the apology went too far in acknowledging coercion by the Japanese military」の中山泰秀議員の発言として、
A group of 120 ruling LDP lawmakers who argue that the apology went too far in acknowledging coercion by the Japanese military
との引用がなされています。また、
Abe, who wants to revise Japan's pacifist constitution and restore pride in the nation's history, has sought to distinguish between a "broad" notion of coercion -- which he has said may have occurred -- while rejecting that coercion in a "narrow" sense of direct kidnappings by military officers took place.
とあることからわかるとおり、海外では、安倍首相は、「狭義の強制」(「狭義の強制連行」ではない)を軍当局による直接的な誘拐に限定して「狭義の強制」があったことを受け入れまいとしていると見られています。

 要するに争点についての認識ギャップがあるわけですが、Resolution121の本文はネット上で公開されており誰でもその内容を把握することが可能であること、狭義の「coercion」とは「kidnap」した上で特定の行為を強いることであるとは一般にいえないこと(日本政府自身、「kidnap」によらない「拉致被害者」という概念を認めている。)を考えると、この認識ギャップは、 安倍首相サイドに主たる責任があるというべきでしょう。

22/03/2007

オープンな場でしかセクハラの訴えを認めない企業

 ある企業において、セクハラ対策委員会が次のような方針を打ち出したら、その企業は十分なセクハラ対策をしている企業として認めてもらえるのでしょうか。

 社内におけるセクシャルハラスメント(性的嫌がらせ)を現在受けていて、それをやめさせてほしいと会社に希望する人は、社内のロビーに用意された掲示板に、名前、所属を記載した上で、誰からどのような言動を受けたのかを具体的に記載して下さい。社内のセクハラ対策ボランティアスタッフがそのうち何らかの対策をとるかもしれません。

 セクハラの訴えがあった場合に、その真偽を確認するために、「被害者」の名前や所属をセクハラ対策委員会は知る必要がありますし、セクハラをされたと訴えられた社員も、認否・反論するために、その「被害者」の名前や所属及び問題とされているセクハラ行為の具体的な内容を知る必要はあるでしょう。しかし、それを誰でも閲覧しうる場所において公開する必要はないはずです。それどころか、セクハラ対策をしてもらうためには、どのようなセクハラ行為をされたのかを周囲の目に晒さなければいけないと言うことになれば、周囲の行為の目に晒されることを怖れるあまり、セクハラ対策をしてくれと訴えることを躊躇してしまうことにも繋がりかねないといえます。

 ということで、上記のような方針を採用する企業があったとすれば、「セクハラを助長する意図」があると見られてもやむを得ないところです。

 では、権利侵害発言の送信防止措置の要求をオープンな電子掲示板上でしか受け付けない方針の電子掲示板管理者はどうでしょうか。

21/03/2007

資格を取れることと生業としうることとの違い

 米谷さんのブログの「定員削減論の背景となる事実認識(1)」というエントリーには次のような記載があります。

1 医学部の入試には学力の高い受験生が集まり,医学部の偏差値は総じて高くなっている。それは,医師という職業自体の魅力とともに,医学部に合格できれば,高い確率で現実に医師免許が取れるという要素を無視することはできない。仮に,医学部に入学しても医師になれる確率が40%に過ぎないということになればどうなるか。医学部の在学期間の長さ(6年)やその間のコストの負担と合わせて,リスクとリターンを評価することになる結果,優秀な受験生の多くが医学部を見捨てて他の進路を選択し,医学部の偏差値は暴落することが容易に予想される。

 ここには1つの間違いがあります。無視することができないのは、「医学部に合格できれば,高い確率で現実に医師免許が取れるという要素」ではありません。「医学部に合格できれば,高い確率で現実に医師を生業とすることができるようなるという要素」です。「医学部に合格できれば,高い確率で現実に医師免許が取れる」としても、医師免許取得後医師を生業とすることができる割合が40%にすぎないということになれば、やはり、「医学部の在学期間の長さ(6年)やその間のコストの負担と合わせて,リスクとリターンを評価することになる結果,優秀な受験生の多くが医学部を見捨てて他の進路を選択し,医学部の偏差値は暴落することが容易に予想され」ます。

 もっとも、医師の場合、国民健康保険制度が広く行き渡っていることもあり医師免許取得したのに医師を生業とすることができない確率は極めて低いので、医師資格を取得する確率と医師を生業とすることができる確率とはほぼイコールかもしれません。しかし、法曹の場合は違います。

 ほんの十数年前まで年間500人程度の新規法曹で需要をまかなえていましたが、その後、新規法曹を大幅に必要とするようになった社会経済情勢の変化はありません(強いていえば、M&Aの普及による大手企業法務事務所での新規法曹需要の増加を上げることができますが、しかしその規模は年間100人とか200人とかの規模に止まります。)ので、現在でも年間500人を大幅に超える新規法曹の需要というのは基本的にありません。ここ数年は、既存の法律事務所は、就職浪人を出さないために、結構無理をして新規法曹を採用してきたというのが実情ですが、それにも限界はあります。米国並みに商業登記簿制度を廃止し弁護士による宣誓供述書がなければ会社の資格証明もできないことにするとか、社内弁護士が作成したものを除く社内文書は全て包括的探査的証拠開示命令の対象とする等弁護士抜きでは社会経済生活が成り立たないような社会に作り替えない限り、年間3000人もの新規法曹の需要など日本社会にはありません。したがって、司法試験合格者数を前倒しで3000人にしたところで、新規法曹資格取得者のうち法曹を生業とすることができる確率が低下するだけで、法科大学院入学者のうち法曹を成業することができる確率が高まるわけではありません。

 したがって、新司法試験の合格者数をどういじろうとも、法科大学院の総定員数が新規法曹の需要を大幅に上回る場合は、法科大学院の在学期間の長さ(学部卒業後既習者コースで学部卒業後2年+1年(新司法試験受験期間)+1年(修習期間)=4年)やその間のコストの負担と合わせて,リスクとリターンを評価することになる結果,優秀な法学部生の多くが法科大学院を見捨てて他の進路を選択し,法科大学院の学力レベルは暴落することが容易に予想されるということになろうかと思います。

20/03/2007

何とか還元水

 松岡農水大臣は、「何とか還元水」が正確には何還元水なのかを国民に対し未だに説明していないように見えます。これで「説明責任を果たした」といわれても、様々な意味で「水」に注目している人々を納得させることはできないように思います。

 特に、何らかの顕著な効能があることを謳って実際にそのような高価格で「何とか還元水」を売りつけている業者がいるとすれば、薬事法違反その他の問題にも発展しかねないのです。

 まずは、厚生労働省あたりが松岡大臣から事情聴取をすべきかと存じます。

18/03/2007

「証拠がない」という言い分に広報戦略はあるのか

 従軍慰安婦に関して狭義の強制連行があったとの証拠はないと安倍首相が宣言することによってどのような国際世論の変化を起こそうとしていたのかはよくわからないのですが、安倍首相がそのような発言をしたことを受けて第二次世界大戦時の日本についての印象が少しでも改善された旨を表明している外国政治家や海外メディアが存在するようにはどうも見えません。池田さんは吉田証言に信用性がないことを強調されていますが、英語メディアでは、元慰安婦たちの米国上院での証言が重視されているようなので、「証拠がない」といってしまうことにより、「あの方々を嘘つきの売春婦というのか」という反発すら招いているようです(法律家の感覚だと、証言も立派な証拠の1つです。そして、米国の政治家の多くは法律家出身です。)。結局のところ、対外的には「逆効果」だったということが言えそうです。

 例えば、George MasonUniversityの"History News Network"に掲載されたTessa Morris-Suzuki氏の「The Truth About Japan's So-Caled "Comfort Women"というエントリーによれば、

What purpose do Abe's and Aso's denials serve? Certainly not the purpose of helping defeat the US Congressional resolution. Their statements have in fact seriously embarrassed those US Congress members who are opposed to the resolution.The main strategy of these US opponents of Resolution 121 was the argument that Japanese government had already apologized adequately for the sufferings of the "comfort women", and that there was no need to take the matter further. By their retreat from remorse, Abe and Aso have succeeded in neatly cutting the ground from beneath the feet of their closest US allies.
とのことであり、安倍発言は却って米国議会内の親日派議員を追いつめることに繋がっているようです。そのこと自体は最初から予想された事態であって(政府関係者が歴史修正主義的な発言を行うことによって、その国の対外的な評価が向上した例はほとんどなく、評価が低下した例ならばたくさんあります。)、そのことを予想していなかったとすれば、今の日本政府にはまともに広報戦略を行える人はいないのではないかとの危惧が頭をもたげてきます。。

 あるいは、米国との関係に亀裂が入っても構わないから「狭義の強制があったとの証拠はない」といいたいのだという考え方もあり得るのかも知れませんが、自衛隊員等の命を危険にさらしたり中東諸国との間に積み上げてきた信頼関係を壊す危険を冒したりしてまで自衛隊員をイラクに派遣することにより積み上げてきた米国との関係を危うくしてまで言わなければならないことなのかというとかなり疑問です。安倍首相にとっての優先順位は、敗戦前の日本政府の名誉>米国との関係>自衛隊員の生命・身体なのかも知れませんが、それは倒錯しているように私には思えてなりません。

17/03/2007

裁判所との感覚の齟齬と不見識との関係

 ライブドア事件について落合先生は、

特に、重い意味があるのは、問題となった犯罪が、まだ1審とはいえ、裁判所によって、懲役2年6月の実刑という判断が示されるだけの「重大な犯罪」であった、ということだと思います。「この程度のことで検察庁が動くのはおかしい」などと言っていた人々は、自らの不見識を多少は反省したほうが良いでしょう。
と仰っています。

 そうはいっても、裁判所が下した量刑と自分の感覚とに齟齬が生ずることを「不見識」であるとするためには、裁判所の量刑が検察官の求刑にむやみに引き摺られることがないということが前提となろうかという気がしますが、日本の刑事裁判において概ねそのようなことがいえるのかというと、どうかなあと思ったりはします。また、その後発覚した同種案件についての取扱いを見る限り、属人的な要素を度外視したときになおも起訴価値があるとの認識が検察内部にすらあるのかは多分に疑問だったりはします。

 こういう判決を目にすると、いろいろな問題点はあるにしても、裁判員制度の下で「判決の形成過程」に市民が関与することに一縷の希望を見出したくなってしまいます。

15/03/2007

「歴史上の汚点」に対する政府の対応

 ヨーロッパでの日本ブームはまだまだ続いているようですけど、日本を好きになってくれる外国の方々って「歴史に何の汚点もない」からこそ日本が好きだというわけではなくて、「歴史に何らかの汚点があるか否かにかかわらず」日本を好きになってくれています。だから、60年以上前の日本において、軍隊が南京で大虐殺を行ったり、植民地ないし軍事制圧した地の女性を軍が慰安婦としていた等の過去の汚点を認めたところで、現在及び近未来の日本の国際的評価が下がるということはありません。

 他方、「歴史上の汚点」をなかったことにしよう、あるいは汚点ではなかったことにしようという動きに対する国際社会の評価というのは昨今非常に厳しいものがあります。トルコなんかもアルメニア人虐殺の問題ではかなり厳しい批判を浴びており、キプロス紛争と並んで、EUに加盟させないための口実に使われてしまいかねない状況です。特にそれが歴史学者による純粋に歴史学的な探求ではなく、右派による政治的な運動の一環としてなされている場合には国際社会は極めて冷ややかであり、かつその動きにその国の政府が関与ないし支援した場合にはその国の国際的な評価までもが低下していきます。

 安倍首相が従軍慰安婦問題でコメントしたことが国際問題化したのはまさにそういう問題だったということができます。安倍首相がなすべきことは、むしろ日本政府が保管し未だ公表していない資料を内外の歴史研究者に公開するとともに、米国政府が保管している資料の早期公開を働きかけることであって、「歴史上の汚点」をなかったことにしよう、あるいは汚点ではなかったことにしようという動きに積極的に与するものではないという姿勢でいるべきではないかと思います。

法システムにおいては唯一であることも絶対であることも不要である

 「固定ハンドルの抑止力」というエントリーに対し、NOV1975さんが、

告発はどうでもいいけど、トレーサビリティーって何だろう。ストーカビリティー?いずれにしても抑止力を期待するのであればそれは実名が唯一の手段でも絶対の手段でもないよね。
というはてなブックマークコメントを付けています。

 確かに、抑止力を実現するための唯一の手段とか絶対の手段なんて基本的にないのですが(「ネット上の誹謗中傷」に限らず、人間が他の人間に対してもたらすあらゆる害悪について見たって、特定の手段が単体で抑止力を実現するための唯一の、あるいは絶対の手段となることをはありません。)、そこで立ち止まっていたら、その害悪から人々を守ることなんか少しもできやしません。殺人を犯罪と法的に位置づけ、捜査機関や裁判制度を整備して実際に殺人を犯した人のほとんどが長期の懲役刑を科せられるようになったからといって、殺人を完全に抑止することはできません。他方、殺人を重い刑罰を課すことによって法的に監視しなくとも、多くの人は他人を殺したりはしません。法律以前に、道徳的な抑止力が働くからです。

 では、殺人犯に重い刑罰を科す法制度は、殺人行為に対する抑止力のために唯一の手段でも絶対の手段でもないから、廃止すべきかというと、そのことに賛同する人というのはおそらくほとんどいないでしょう。完全には抑止できなくとも、それなりに抑止できれば、社会的あるいは法的なシステムとしてはそれなりに有効なものであると評価しうるのです。

14/03/2007

固定ハンドルの抑止力

 m_um_uさんからコメントの投稿をいただきました。ただ、このブログは1日に何アクセスをしては不毛なネガティブコメントを投稿し、挙げ句の果てにはどれがなりすまし発言かを具体的に特定することなく「なりすまし発言をされたからお前が探して削除せよ」とか言い出す方々に久しく粘着されてコメント欄の管理に時間を取られましたので、素性のわかっている方以外のコメントは反映させないことにしています(あの種の方々のコメントって、いくら誠実にお答えしてもきりがないですし、そのために時間を費やしても議論のブラッシュアップに全然繋がらないのですもの。実名系ブロガーのコメント欄への粘着君って、「著名人や社会的地位の高い人物に上から目線で文句を付けている自分」に酔っているだけという側面が多分にありますし。)。トラックバックは原則受け付けていますので、そちらを利用して頂ければ幸いです。

 その上で言及すると、現実社会での人格とのトレーサビリティが低い固定ハンドルについての信用というのは、1つの抑止力としては期待できないということがいえるかと思います。「固定ハンドル」はいつでも、いくつでも作ることができるので多重人格を演じやすいし、その固定ハンドルを利用して社会生活を送っていない以上、その固定ハンドルが如何に悪名をとどろかせることになろうとも自分の社会生活に何らの悪影響も受けないからです。実際、特定の人や集団を罵ることしかしていない固定ハンドルなんて、ネット上にいくつもあります。人権擁護法案騒動のときの反対派の意見を見ていても、固定ハンドルでヘイト発言を繰り返している人たちは、その言動が現実社会での人格と結びつけられると現実社会の自分が周囲から白い目で見られることの恐怖を感じている反面、現実社会での人格と結びつけられない限り、そのハンドル名が周囲から如何に白眼視されようとお構いなしに、ヘイト発言を繰り返し第三者の人格を踏みにじることができるように見えます。

 また、「内部告発」についていえば、結構繰り返し述べていますが、トレーサビリティの低いブログや電子掲示板というのは真摯な内部告発には不向きな場です。「内部告発」を受けて調査等に動き出す立場に立って考えてみて下さい。そのような場所には、根も葉もない虚偽の「内部告発」が溢れており、どれが真摯な内部告発だかわからないのです(調査資源の人的資源は有限です。)。しかも、ブログや電子掲示板では、証拠資料の提出を受けることはできないし、検証可能な程度に具体性をもたせるべく追加の質疑をすることもできません。しかも、「内部告発」の外形を有する発言を削除せずに放置しておけば、「内部告発」もどきにより、企業等の名誉・信用は不当に毀損される状態が続いてしまいます。さらにいえば、真摯な内部告発というのは、情報源が限られるので、匿名でなされても企業として情報源をある程度特定できる場合が少なくないので、その場合は秘密裡に報復をすることが可能になってしまいます(そして、電子掲示板等で匿名で「内部告発」をした場合には、内部告発者保護ルールが発動しません。)。

発言者の属性の真正性の検証可能性

 m_um_uさんからトラックバックをいただきました。

 

 池田センセや小倉さんが「匿名 / 顕名」という古臭くてどーでもいいギロンをしてる間に、上祐さんがmixiを始めた。もちろん実名で。

 両センセの主張に従えば上祐さんを信じるべきなのだろう。信じるまでいかなくても匿名よりは胡散臭くない、と。

とのことなのですが、まあ不思議な読解力を持った人がいたものです。

 私にしても池田先生にしても、実名を用いた発言は全て信じるべきであるという話はしていません。実名を用いるというのは1つの抑止力を働かせることを自分に課すということであり、さらに、発言者の属性が発言の信用性に一定程度影響を与える場合(それはその人の職業、地位、肩書き、実績等である場合も含みますが、それに限られず、当該テーマを議論する際に提示する事実との距離である場合も含みます。)にその属性の真正性について検証可能性を付与するということです(匿名者は、自分は特定の属性を有していると積極的にアピールする場合もあるし、特定の属性を有することをことさら秘匿する場合もあります。匿名者は、匿名でいることにより、特定の属性を有すること又は有しないことについての検証可能性を読者に与えていないということが可能です。)。

 もちろん、上祐さんについては、その実名を明らかにした時点で、発言者がどのような属性を有しているのかを多くの人が知ることになり、しかも、そのことによって、多くの人にとって多くのテーマについて、却ってその発言の信用性を低下させることになるかもしれません。それを含めて、読み手に発言の信用性を判断する資料を与えるのが「実名を用いて発言すること」の根幹です。

 抑止力を働かせることを自分に課すという点に関しては、実名を用いずとも、内なる理性のみで「一線を越えた言動」を行うことへの欲求を抑えられる方もおられることでしょう(ただし、トレーサビリティの低い仮名を用いることで低くなった抑止力のもとでついつい「一線を越えた言動」を行ってしまう弱い人間が多いから、匿名性が問題とされるのです。)し、現実社会での人格とのトレーサビリティの高低によって様々な程度の抑止力を働かせることが可能でしょう。しかし、属性の真正性についての検証可能性を読み手に付与するという点については、属性についての認証機関を設ける等しない限りは、少なくとも実名か又は現実社会での活動で現実に通常使用している名称を用いない限り、全く意味を有しません。

13/03/2007

実務修習のキャパシティ

 黒猫さんのブログのエントリーをきっかけに、実務修習の引受先がないという問題がクローズアップされています。

 日弁連のウェブサイトによれば、2007年3月1日段階での日本全国の弁護士の総数は2万3160人。修習指導担当になるには最低7年の弁護士経験が必要だということですので(裁判官、検察官経験者は、弁護士経験5年でもよいそうですが)、2000年の段階で既に弁護士であった1万7126人(−自然減+元裁判官等の退官組等)が、指導担当が可能な弁護士の総数ということになります。なお、この中には現在留学中の方々や企業内弁護士、また高齢で半分隠居中の弁護士など指導担当に適さない方を大いに含みます(ちなみに、私も分野が著しく偏っている弁護士なので、指導修習担当の資格外です。)。

 現状この程度のキャパシティしかないのに、旧60期と新60期合わせて約2500名の司法修習生を全て引き受けるということは、実際問題としてなかなかに困難です。とはいえ、指導修習担当に適した弁護士の数はいきなり増えるということは期待できませんので、そもそも2007年の段階で2500人も司法修習生にしてしまうということ自体が、現実を無視した施策であったということができます。

 裁判所だって、判事と判事補合わせて約2500人(この中には修習生の指導には携わらない高裁判事や地裁支部の判事・判事補を含みます。)で2500人もの司法修習生を受け入れるのだから、大変な話です。といいますか、常識的に考えれば、真っ当なOJTなんて無理だってことがわかります。

 法曹人口を増やすということを是としたとしても、そのペースというのは、法曹養成制度が機能する範囲内にとどめないと現場が混乱するだけのことです。平成の3大ダメ改革の筆頭に掲げられるであろう司法改革のずさんさを実に物語るエピソードです。

11/03/2007

堀切菖蒲園の歌

 こちらにアクセスすると、私の地元である「堀切菖蒲園」を題材とした、「堀切菖蒲園の歌」が聴けます。

 なお、来週の「出没!アド街ック天国」は、隣町のお花茶屋(私が通っていた共栄幼稚園と双葉中学校はお花茶屋にあります。)を取り上げるのだそうです。

匿名コメントの典型的な4パターン

 Maui Community CollegeのCarl Schroeder先生は、そのブログのエントリーで、

I think that all anonymous comment makers are in the broadest sense coward.
とした上で、匿名コメントの典型的なパターンを
  1. a determination to stem ill effects of the blog or vlog,
  2. a false accusation or information,
  3. an effort to spread rumors,
  4. a desire to silence the blogger/vlogger
の4つに分類しています。

 1.は一見ポジティブに評価しているように見えますが、1.の具体例を挙げながら「This anonymous needs not discourage such a brilliant vlogger」としてきっちり落としていますから、Schroeder先生は1.の用例を含めて、広い意味で「coward」だといっているようです。

 米国は比較的実名文化だといわれていますが、やはり、虚偽の情報を流したり、根も葉もない噂を広めたり、他のブロガーを黙らせようとしたり、という邪な目的でコメントを投稿する人たちは、世の東西を問わず、匿名でコメントを投稿するのだなあといったところでしょうか。

宿泊客のブラックリスト

 Solove先生のこのエントリー及びコメント欄では、豪加米国のホテル業界がネットワークを作って宿泊客に関するブラックリストを作るという最近の動きについて論争が起こっています。

 ホテルの備品(タオル等)を勝手に持って帰ったり、禁煙者用の部屋でたばこを吸ったり、室内で破壊的な行動を取ったり、ホテルのフロントを侮辱したり、宿泊料等を支払わずに逃げたりすると、ブラックリストに載せられてしまうようです。もっとも、客が希望する条件の空室がある場合ホテル側が客を選別して宿泊を断ることが禁止されている国や州では、そのようなブラックリストを作って何の意味があるのだという意見もあるようなのですが、これに対して、Miriam Cherryさんはそのコメント欄で、

Aren't we just giving them the same incentives to behave (and not steal the towels) that hotels are under?

という推論を展開しています。

 これに対して、Solove先生は、

A business can readily reinvent itself; it can change and redeem itself. And if its name gets too tarnished, it just changes its name, as many companies have done under these circumstances. Or If the company is really bad, it goes bankrupt and the people running it start a new company or go elsewhere. In contrast, when people are blacklisted, it is unclear whether they ever have a chance to redeem themselves.

として、ホテルが客から悪評を付けられるのと、客がホテルから悪評を付けられるのとは対称ではないのだという反論をされています(まるで、実名ブロガーと匿名ブロガーとの非対称性を言い表されているようです。)が、「ホテル側は名前が汚されたら名前を変えればいい」っていうのはどうかなあという感じはします(名前を変えたって、今の時代、ホテルが過去の悪評から逃れることができるとも思えません。)。

10/03/2007

掲示板管理者等に無理のない範囲で実効的な監視義務を負わせてみる立法論

 インターネット上での誹謗中傷問題を解決するために、次のような法制度を導入するということも考えられます。

  1.  特定電気通信役務提供者には、特定商取引法上の販売業者又は役務提供者と同様の氏名等表示義務を課す
  2.  自己の特定電気通信設備を第三者の特定電気通信役務の用に供する特定電気通信役務提供者には、当該第三者の氏名表示等の正確性を確認する義務を課す。
  3.  不特定人に送信されると第三者の権利を侵害する虞のある情報が自己の特定電気通信設備の記録装置に記録され不特定人に送信され得る状態となったことを知った後72時間以内に送信防止措置を講じない場合には、当該特定電気通信役務提供者が当該情報を発信したものとみなす。不特定人に送信されると特定の第三者の権利を侵害する虞のある情報が同一人により1年内に5回以上自己の特定電気通信設備の送信装置に入力されたことを知った後72時間以内に自己の特定電気通信設備の送信装置への当該発信者による情報の入力を防止する措置を講じない場合も同様とする。
  4.  当該情報が不特定人に送信されるとその権利を侵害される虞のある者その他の第三者から、当該特定電気通信役務提供者の氏名等として表示された連絡先に宛てて当該情報についての送信防止措置等要求が発せられた場合、その要求が通信手段の障害等により遅配された等の事情がない限り、通信手段等の性質に鑑み通常当該要求通知が当該特定電気通信役務提供者に到達するものと思料される日時に当該特定電気通信役務提供者が3.の事実を知ったものとみなす。正確な氏名表示等がなされていない場合には、3.の情報がその記録装置に記録され又は送信装置に入力されたときに、当該特定電気通信役務提供者が3.の事実を知ったものとみなす。
  5.  自己の特定電気通信設備を用いてなされた特定電気通信に係る損害の賠償又は送信防止措置を命ずる確定判決(裁判上の和解等確定判決と同等の効果を持つものを含む。)が成立した後2週間以内に当該命令等を履行しない場合、当該特定電気通信役務提供者が当該特定電気通信役務及び同種の特定電気通信役務を提供することを禁止する。
  6.  5.に違反して特定電気通信役務を提供した者には懲役刑を科す。
  7.  6.については、国外犯も処罰する。
  8.  特定電気通信設備を用いてなされた特定電気通信に係る損害の賠償又は送信防止措置に関する訴訟については、被害者の住所地を管轄する地方裁判所を第1審の専属管轄裁判所とする。

 イナゴ対策にはなりませんが、匿名掲示板対策や中傷目的ブログ対策にはなるでしょう。まあ、第三者が提供する特定電気通信設備を用いて特定電気通信役務を提供する者(例えば、商用ブログサービスを利用したブログ開設者等)については、当該特定電気通信設備の提供者が氏名・住所等の確認を行っていること、並びに、仮名のままで利用可能な裁判外紛争解決手続きを利用することに予め同意していることを条件に、仮名+電子メールアドレスの表示で済ますという方法もあるのでしょうけど。

08/03/2007

無理をおして高齢者と会うのは

 ご高齢の方と面談を予定していた当日体調が不良であった場合に面談予定をキャンセルすることをあまりネガティブに評価してもらいたくない今日この頃です。特に、体調不良の原因がウィルス性のものである疑いが高い場合、無理をおしてご高齢の方との面談を決行してしまうと、取り返しのつかないことになる虞すらあるのです。

07/03/2007

ネットの匿名さんの方が啓蒙思想丸出しでは?

 ガ島通信の藤代さんは、「ネット君臨」の記事に関連して、

いまだに、マスコミが世論をリードしているという啓蒙思想が丸出しなのです。さしずめ『正義は毎日にあり』。
述べるのですが、今一番自分たちの価値基準を他人に暴力的に押し付けようとしてくるのは、ネットの匿名さんたちです。なにせ、さくらちゃん騒動にしたって、「寄付を募る前に先ず家を売れ」云々という独自の規範をさくらちゃんの両親に押し付けようとしていたわけですから。

 しかも、マスコミの場合は、その提示する価値基準が世論と乖離すればするほど「見てもらえなくなる」ことで淘汰されていくわけですが、ネットの匿名さんたちは、自分たちの価値基準とは異なる価値基準をもっている人のブログのコメント欄に執拗にコメントを投稿するという究極の「プッシュ型」手法により自分たちの価値基準を受け入れることをこれでもかと押し付けてくるわけです。相手が自分たちの価値基準を受け入れることだけでなく、自分たちの価値基準を受け入れない相手がブログを閉鎖するなどしてネットから距離を置くことすらも「勝利条件」の1つに掲げているようなので、自分たちの価値基準を受け入れない人の人格を相手のブログのコメント欄で執拗に全否定してみたり、相手に不快感を与える以外に意味がないコメントを執拗に投稿してみたり、あるいは脅迫まがいのことをしたりすることすら厭わないわけです。町山さんの例や上村さんの例を見る限り、この手法は、他のコメンテーターから総スカンを食っても継続可能です。相手が自分たちに屈するまでいつまでも嫌がらせを続けていれば済むのであり、所詮ネット上では匿名ですから、ネット上の仮想人格がどんなに総スカンを食ったって、現実社会での自分の社会的評価が落ちるわけではないので、どんな醜悪な手法だって厭わずに使えてしまうのです。

 私は、訴訟代理人として、マスコミを相手に名誉毀損訴訟を提起してきましたから、マスコミの手法のひどさは知っていますが、でも今のネットの匿名さんたちのやっていることは、マスコミ以下です。マスコミの病理部分のみを受け継ぎ、さらに悪化させていったように思います。

06/03/2007

同じ「救う会」でも匿名さんの対応は大違い

 吉田望さんは、さくらちゃん騒動との関連において、

それがその後の小倉秀夫弁護士のブログを読んだりコメントを書いたりしている間に次第にその「違和感」の正体が明らかになってきました。

それは日本の慈善団体の多く(この場合トリオジャパン)は「会計の説明責任」を果たしていない、ということです。

当たり前すぎたでしょうか。

仰っています

 しかし、吉田さんの分析では、「なぜさくらちゃんの命を救うための募金についてのみ、あれだけ大騒ぎをしたのか」ということが説明できていません。例えば、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」もまた、そのウェブサイトにて「インターネット募金」を募集しています。しかし、そのウェブサイトの記載を見る限り、募金がいくら集まったのか、そして何にいくら使われたのかに関する報告は掲載されていません。「さくらちゃんを救う会」では公認会計士による会計監査は受けていないかも知れないけど一応募金総額と支出報告はあるのですが、拉致被害者を救う会については、会計監査以前に、募金総額も支出報告もウェブサイト上に掲載されていません。しかし、トリオジャパンに会計の透明性を求める匿名さんたちが救う会についても同様に会計の透明性を求めているかというとどうもそうでもなさそうです。同じ「救う会」でも、ネットの匿名さんの対応は大違いです。

 吉田さんにせよ、佐々木さんにせよ、なぜ彼らが、さくらちゃんの命を救うために募金活動についてのみ極度に高度の透明性を求めたのかということを考えてみた方がよいのではないかという気がします。「会計報告の透明性」というのは嫌がらせを行う際の大義名分にすぎないのであって、究極の目的は、募金活動を断念させ、さくらちゃんが渡米して臓器移植手術を受けること自体を断念させたいだけだったと考えると、彼らがさくらちゃんのときだけ高度の透明性を要求した理由はすっきりと説明できます。拉致被害者を救う会に嫌がらせをして募金活動を止めさせたところで、さくらちゃんのための募金活動を断念させるのとは異なり、「ネット上で嫌がらせをすれば(その匿名性のおかげで自らは安全地帯に身を置いたまま)現実社会での人間の命さえ左右できるのだ」という歪んだ達成感が得られそうにはありません。

 特に、佐々木さんはがんだるふ氏にインタビューしていたのだから、「なぜさくらちゃんのケースでのみそんなに要求水準を高く設定したのか」を尋ねるべきだったのではないかという気がしてなりません。

04/03/2007

匿名さんたちは自分たちを買いかぶりすぎ

 匿名のネガティブコメントが嫌がられる理由について、匿名コメンテーターさんたちは自分たちを買いかぶりすぎているようです。

 匿名さんたちが嫌われるのは、「そのネット上での活動が現実社会での評価や社会的ないし法的に地位に影響しないことが期待できるが故にその行動に歯止めが利かない」点がメインであって、その指摘が核心を突いているからでも何でもないのです。実際、匿名さんたちの悪意剥き出しのネガティブコメントというのが核心を突いている例というのは滅多にありません。

 多くのブロガーが匿名さんたちのコメントに対して誠実に応対する気を失っていくのは、理性の歯止めを失った匿名コメンテーターさんたちに誠実に対処しても無駄だという徒労感を感じるからです。実際、彼らが提示する「誠実に対処した結果炎上が見事に鎮火した例」というのは匿名さんの言葉の暴力に屈した例がほとんどであって(例えば、上村愛子さんなどは、全く非がないのに一方的に謝罪したわけです。)、ブログ主に対する悪意を包み隠さないコメンテーターがブログ主から誠実な回答によりそのネガティブコメントに理由がないことを納得しこれまでの言動を謝罪して立ち去っていくということは滅多にありません。結局、「歯止め」が聞かないから、自分たちの要求が聞き届けられるまでいつまでもだだをこね続けることが可能であるし、自分たちの要求をのませるために非合法な言動を繰り返し公然と行うことすら可能なので、彼らは「折り合いを付ける」ということがありません。そういう人たちとの議論は往々にして不毛です。

 実際、匿名のコメンテーターさんたちが徒党を組んで押し付けようとしている規範というのが現実社会で受け入れられているのかというと、そういうことはないのが実情です。さくらちゃん騒動が知られるようになった後も、さくらちゃんのご両親を非難する声は現実社会ではほとんどあがっていないし、「寄付を求めるときはその前に自宅を売る」という匿名さんたちが押し付けようとしたルールは現実社会では受け入れられていません。また、「亀田興毅さんの世界タイトルマッチを見て感動するようではモーグルの選手として失格である」という声も現実社会では上がっていません(上村さんは、あそこでとにかく謝罪したからモーグルの選手として社会から再び迎えられるようになったわけではなく、仮にあそこでネット社会に失望してブログを閉じたとしても、モーグルの選手として何事もなかったように社会は受け入れたでしょうし、ほとんどのファンは離れなかったことでしょう。)。

 もちろん、ネットの匿名性を維持したままでも、その剥き出しの悪意を理性で押さえる方法というのがあればよいのでしょうが、匿名擁護論者の方々からは、具体的に有効な代替策を聞くことがありません。「黒木ルール」は悪意を剥き出しにするためにネット上に別人格を作り出している「ネットハイド」に対して全く無力です。

03/03/2007

「既存メディア対ネット」ではなく「良識対悪意」だ

 「2ちゃんねるとコメント承認制」というエントリーに対し、NOV1975さんが

誹謗中傷だと判断して削除という発想に恐怖を覚える。悪意に立ち向かうには検閲しかないというのか。

というブックマークコメントを付けています。

 この方が恐怖を覚えることなく生きて行かれる社会というのがどのようなものなのかはわかりませんが、悪意の対象や中立的第三者が悪意剥き出しの誹謗中傷発言をその管理する設備を用いて掲載することを当然視する発想自体に、言いしれぬ「甘え」を感じます。自分たちの悪意をその相手方や世間は受け止めて真摯に応対すべきであるという発想の延長線上には、自分たちが精一杯悪意を振り向けたのに自分たちに屈しない者に対して脅迫行為までしてしまうメンタリティがあります。

 いわゆる「ネット君臨」問題について佐々木さんや藤代さんは、「既存メディア対ネット」という対立構造を描くわけですが、しかし、一部のネット利用者がその悪意をぶちまける道具としてネットを利用することについての嫌悪感ないし問題意識というのは「既存メディア」の側の人間だけが持っているわけではなくて、むしろ、それは「既存メディア」側に限定されない世間の常識的な物の見方に合致しているのではないかと思います。さくらちゃん問題の纏めサイトを見せられても、さくらちゃんの両親に怒りや不信感を抱く人よりは、難病に罹患した幼い娘を抱えた両親に対しこんなくだらないことで執拗に食い下がり心労を加えている人々の悪意に対し嫌悪感を覚える人の方が多いのではないかなあと思うのです。だから、あの件に関していえば「ネットを利用すればこんなこともできる」とポジティブに捉えるのではなくて「ネットを利用するとこんなことまでできてしまう」とネガティブに捉えるのは、「時代に取り残された既存メディアの自己保身的な発想」ではなくて、「社会の多数派の良識的な感覚にマッチした発想」ということになるのでしょう。つまり、「ネット君臨」問題での対立構造は、「既存メディア対ネット」ではなく、「世間の良識対ネット上の悪意」だったわけです。

02/03/2007

平成19年2月の検索キーワード

 最近30日間の、本館を含むbenliブログへの検索キーワードです。「森進一は荒らしよりも強し」といった感じです。


1
おふくろさん騒動
405
5.5%
2
弁護士
243
3.3%
3
おふくろさん
234
3.2%
4
la_causette
195
2.7%
5
小倉秀夫
161
2.2%
6
著作権
159
2.2%
7
インドの衝撃
126
1.7%
8
精密司法
113
1.5%
9
名誉毀損
112
1.5%
10
世界に一つだけの花
105
1.4%
11
歌詞
101
1.4%
11
就職
101
1.4%
13
起訴
90
1.2%
14
benli
82
1.1%
15
ロースクール
81
1.1%
16
著作権法
73
1.0%
17
立ち読み
68
0.9%
17
まねきTV
68
0.9%
19
法科大学院
66
0.9%
20
不起訴
64
0.9%
21
まねきTV
63
0.9%
22
起訴猶予
62
0.8%
23
就職難
60
0.8%
24
内部告発
59
0.8%
25
アマゾン
55
0.8%
26
ネット
54
0.7%
27
winny
53
0.7%
27
オーマイニュース
53
0.7%
27
ブログ
53
0.7%
30
北風と太陽
49
0.7%
31
billboard
45
0.6%
31
森進一
45
0.6%
33
ダウンロード
43
0.6%
34
裁判
40
0.5%
35
慰謝料
39
0.5%
36
匿名
38
0.5%
37
司法試験
37
0.5%
38
菅理徹
35
0.5%
39
付帯決議
34
0.5%
39
世界最速のインディアン
34
0.5%
41
誹謗中傷
33
0.5%
41
起訴率
33
0.5%
43
図書館
32
0.4%
44
訴訟
30
0.4%
44
視聴
30
0.4%
44
電話番号
30
0.4%
44
意味
30
0.4%
48
恋のマイアヒ
29
0.4%
48
相場
29
0.4%
48
2ちゃんねる
29
0.4%
48
カラオケ
29
0.4%
48
JASRAC
29
0.4%
53
テレビ番組
28
0.4%
53
烏賀陽
28
0.4%
55
youtube
27
0.4%
55
小倉
27
0.4%
55
オリコンチャート
27
0.4%
55
ハンカチ王子
27
0.4%
59
2006
26
0.4%
59
刑事告訴
26
0.4%
61
2ちゃんねる
25
0.3%
61
CCCD騒動
25
0.3%
61
jasrac
25
0.3%
61
収入
25
0.3%
61
音楽
25
0.3%
66
法務博士
24
0.3%
66
日本
24
0.3%
66
問題
24
0.3%
66
インターネット
24
0.3%
70
違法
23
0.3%
70
小倉弁護士
23
0.3%
70
批判
23
0.3%
73
騒動
22
0.3%
73
印税
22
0.3%
73
新司法試験
22
0.3%
73
itunes
22
0.3%
73
福井秀夫
22
0.3%
73
de
22
0.3%
73
ドメイン
22
0.3%
73
いじめ
22
0.3%
73
まねきTV事件
22
0.3%
82
mac
21
0.3%
82
作曲家
21
0.3%
82
合格者数
21
0.3%
85
民営化
20
0.3%
86
デサフィナード
19
0.3%
86
複製
19
0.3%
86
オリコン
19
0.3%
86
スルー力
19
0.3%
86
フランス
19
0.3%
91
アルファベット
18
0.2%
91
Winny
18
0.2%
91
法テラス
18
0.2%
91
パワハラ
18
0.2%
91
安藤百福
18
0.2%
91
夜間
18
0.2%
91
数字
18
0.2%
91
判例
18
0.2%
91
2007
18
0.2%
100
録画ネット
17
0.2%

「実名」を敢えて名乗らない言い訳には説得力がない

  匿名コメンテーターの方々は、自分が匿名でコメントを投稿していることをネガティブに評価されることを許せない傾向が強いようです。そして、自分が匿名でコメントを投稿することについていろいろな言い訳をするわけですが、実に説得力がありません。

 社会的強者でなかろうが、名前が平凡であろうが、私たちは通常実名を名乗って生きているのです。実名だけでは自分がどこの誰であるのかを特定できないと思えば、これに一定の属性情報を付加するのです。「実名を名乗っても確認しようがない」というのは現システムの欠陥であり、共通IDシステムを導入するなどして改善した方がよいとは思いますが、そのことは「実名を名乗らない」理由にはなっていません。

 「自分には実名を名乗るメリットがないので実名を名乗らない」なんてことをクラスや職場で言い出したら、大抵の場合は変な人扱いされます。ネットでのみ接触する人々よりも、現実社会で接触する人々の方が、「逆恨みの逆犯罪」を起こす可能性が高いと思うのですが、「逆恨みの逆犯罪から守ってくれる保証がない限り、実名を明かすことはできない」なんていって職場の同僚にハンドル名しか明示しなかったら、やはり変な人扱いを受けます。銀行の窓口に行ったところ窓口の女性の名前が「棺桶銀行員」云々というハンドル名でしか表示されていなかったら、その銀行自体が変な銀行扱いされます。窓口の銀行員には実名を名乗るメリットがないという説明を延々聞かされたって、その銀行を引き続き利用する気は失せそうです。

 「匿名の内部告発は重要だ」としても、その人のその発言が真摯な内部告発でないのであれば意味がない話です。現実社会での「匿名の内部告発者」は、内部告発をするときだけ匿名なのであって、普段から実名を明かさずに生きているわけではありません。「私は、将来匿名で内部告発をするかも知れないので、実名は名乗りません」なんて言い出したら、やはり変な人扱いをされます。

 「街中を名札を付けて」云々論についていえば、コメントを投稿するという行為は、「街中をふらっと歩く」というのとは異なり、ブログ主や批判の矛先との関係性を生じさせる行為ですから、同列に扱えと言う方が無理な話です。吉野家で牛丼を食べる場合は吉野家としては客は暴れることなくそしてお金を支払ってくれればいいのであってそれ以上の信頼を「客」に求めないと思いますが、「議論」というのはその相手方との間に一定の信頼感がないと成り立ちにくいので、議論を行うにあたっては実名を含めた自分の属性情報をある程度オープンにする方がよいと思います。私たち弁護士が裁判所で行う訴訟活動では、当事者の実名等が明らかになっていれば代理人の実名等を相手方に対して明らかにしなくとも物理的には動いていくとは思うのですが、「自分は奥ゆかしいから」とか「逆恨みの逆犯罪が怖いから」といって訴訟代理人がハンドル名しか名乗らなかったら、和解交渉等はしにくいだろうなあと思ったりします。その代理人とは信頼関係が築けなさそうですから。

発信は情報開示義務の不履行

  発信者情報を任意に開示しないプロバイダ等に対して、従前は発信者情報開示請求訴訟を提起したり、発信者情報開示仮処分の申立てをしてきたわけですが、むしろ、端的に、発信者情報開示義務の不履行を理由とする損害賠償請求訴訟を提起するのが直接的でよいかも知れません。開示請求者は、発信者情報が開示されていたとしたら民事裁判制度により実現できていたであろう権利が、プロバイダ等による発信者情報の開示義務の不履行により実現されなくなるという不利益を被るわけですから、この「差額」を金銭評価したものこそが、プロバイダ等に請求できる「損害」ということになるように思います。

 あと、問題は「重過失」要件をどう捉えるかですが、発信者に意見照会をしなかった場合、あるいは意見照会をしても真実性の抗弁の要件となる事実主張を発信者から受けられなかった場合、それにもかかわらず発信者情報を任意に開示しなかったプロバイダ等には重過失認定をしてもよいのではないかと思いますし、文面等から専ら公益を図る目的が看取できないのに発信者情報の任意の開示を拒んだ場合も、プロバイダ等に重過失を認定してもよいのではないかと思います。通常「重大な」過失が否かが争われる場合、行為者がどのような法的義務を負っているのかを正確に知っていたか又は容易に知り得たかということは問われていないからです。

01/03/2007

「法テラス」においては、「事前準備をした上で公判に挑む」というのは、弁護人の自己満足の範囲に属する

 私は、最近国選弁護を受任していない(というか刑事弁護時代を受任していない)ので法テラス後の国選弁護報酬について気にとめていなかったのですが、改めてみてみると、「国選弁護で手抜きをしない弁護士は市場で淘汰されよ」という仕組みになっていることに気付かされます。

 例えば、国選弁護を受任したところ、どうもこれは本気で冤罪っぽいということになった場合を想定してみましょう。この場合、公判期日は2〜3回では収まらないし、公判期日では朝から夕方まで証人尋問でびっしりということも十分想定されるでしょう。では、例えば、痴漢冤罪事件の第4回公判期日において、「被害者」に対する尋問を、検察側主尋問1時間、弁護側反対尋問2時間、再主尋問・再反対尋問、補充尋問等含めて1時間やったとして、弁護人の報酬はいくら加算されるかといえば、単独事件であれば2万9100円、つまり、何の準備もせずぷらっと法廷に行って反対尋問して帰ってきたとしても1時間あたり7275円、これは駅前のクイックマッサージよりは少し高いけれども、ハワイ風のロミロミ等よりはずっと安い値段です。まして、2時間の反対尋問のために10時間の準備をしたりしてしまうと、1時間あたり約2079円。派遣先企業が派遣会社に支払う報酬だって、もう少し高そうです。

 まあ、クイックマッサージ並みの時間単価(1時間あたり6000円)を確保しようと思ったら、4.85時間以上はかけてはいけませんので、上記の場合、準備にかけてよい時間は0.85時間≒51分です。「被害者」の捜査段階での供述調書を精査して客観証拠との矛盾を探し出して反対尋問に向けて尋問事項メモを作る余裕などありません。つまり、「法テラス」においては、「事前準備をした上で公判に挑む」というのは、弁護人の自己満足の範囲に属するという位置づけなのだろうと思います。

むしろ君が代についてピアノ伴奏を命ずる校長の音楽センスのなさこそ責められるべきでは?

  那須最高裁判事は補足意見で、

学校が組織として国歌斉唱を行うことを決めた以上、音楽教諭に伴奏させることは極めて合理的な選択。職務上の義務として、伴奏させることも必要な措置として憲法上許される
述べたとこのことです。

 しかし、果たしてそうでしょうか。「君が代」という歌を純粋に音楽的にとらえた場合に、あの歌は本来ピアノ伴奏で歌うような歌ではないと私などは思うのです。メロディラインをピアノでただなぞるだけではとても心弱な感じですし、メロディをベースに長3和音を「ダン、ダン、ダン」と叩くだけでは重厚感が出てきません。この歌は、低音の管弦楽器を重厚に重ねていかないと楽曲としてぱっとしないのです。

 したがって、「学校が組織として国歌斉唱を行うことを決めた」としても、自前でオーケストラやブラスバンドをもっているところでもない限りは、オーケストラに演奏させて収録したカラオケテープを再生して伴奏するのが合理的なのであって、音楽教師にピアノ伴奏をさせるというのは全然合理的ではありません。といいますか、「国歌斉唱」にあたって「音楽教師にピアノ伴奏をさせよう」と思った学校校長は、君が代をピアノ伴奏したときどのように聞こえるのかを頭の中できちんとシミュレートした上で、オーケストラ演奏によるカラオケテープの再生よりも式典に相応しいと考えたのだろうかという疑問が先ず頭をよぎります。大石さんは、

ただ、記事にある、この53歳の女教師は、いつ頃からこんなバカなことを始めたんだろう。
と仰いますが、むしろ、この校長は、いつ頃から君が代をピアノ伴奏で斉唱させようなんてセンスのないことを考え始めたのだろうという疑問の方が私には強いです。

 藤田判事は控えめに

「君が代」以外は演奏していたのに、「君が代」については演奏しなかったことにより、参加者に「違和感」を与えるかもしれないけれども
と述べたようですが、例えば「仰げば尊し」みたいなある程度リズム感のある歌ならピアノ伴奏でもいいのです。しかし、「君が代」は、悲しいかな、リズム感のない歌なのです(リズム感のあるアレンジをするとそれはそれで処分されてしまいそうですし)。この歌の生命線は「重厚感」であって、それを出すにはピアノ伴奏では荷が重すぎます。だから、君が代の斉唱のときだけオーケストラバージョンのカラオケで伴奏させる違和感よりも、君が代をピアノ伴奏で斉唱させる違和感の方が大きかったはずです。

 この校長は、本当に音楽的センスのない方だったのか、単に女性音楽教師に嫌がらせがしたかったのか、単に「上からの指導」に従っただけなのか、その辺のところが知りたいところです。

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