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03/03/2007

「既存メディア対ネット」ではなく「良識対悪意」だ

 「2ちゃんねるとコメント承認制」というエントリーに対し、NOV1975さんが

誹謗中傷だと判断して削除という発想に恐怖を覚える。悪意に立ち向かうには検閲しかないというのか。

というブックマークコメントを付けています。

 この方が恐怖を覚えることなく生きて行かれる社会というのがどのようなものなのかはわかりませんが、悪意の対象や中立的第三者が悪意剥き出しの誹謗中傷発言をその管理する設備を用いて掲載することを当然視する発想自体に、言いしれぬ「甘え」を感じます。自分たちの悪意をその相手方や世間は受け止めて真摯に応対すべきであるという発想の延長線上には、自分たちが精一杯悪意を振り向けたのに自分たちに屈しない者に対して脅迫行為までしてしまうメンタリティがあります。

 いわゆる「ネット君臨」問題について佐々木さんや藤代さんは、「既存メディア対ネット」という対立構造を描くわけですが、しかし、一部のネット利用者がその悪意をぶちまける道具としてネットを利用することについての嫌悪感ないし問題意識というのは「既存メディア」の側の人間だけが持っているわけではなくて、むしろ、それは「既存メディア」側に限定されない世間の常識的な物の見方に合致しているのではないかと思います。さくらちゃん問題の纏めサイトを見せられても、さくらちゃんの両親に怒りや不信感を抱く人よりは、難病に罹患した幼い娘を抱えた両親に対しこんなくだらないことで執拗に食い下がり心労を加えている人々の悪意に対し嫌悪感を覚える人の方が多いのではないかなあと思うのです。だから、あの件に関していえば「ネットを利用すればこんなこともできる」とポジティブに捉えるのではなくて「ネットを利用するとこんなことまでできてしまう」とネガティブに捉えるのは、「時代に取り残された既存メディアの自己保身的な発想」ではなくて、「社会の多数派の良識的な感覚にマッチした発想」ということになるのでしょう。つまり、「ネット君臨」問題での対立構造は、「既存メディア対ネット」ではなく、「世間の良識対ネット上の悪意」だったわけです。

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Commentaires

 さくらちゃんの事件については、いくら匿名さんたちが「死ぬ死ぬ詐欺」とかいって盛り上がっても、警察はこれを詐欺として立件していないし、NHKもさくらちゃんのご両親に懲戒を加えていないというのが実情です。ネットで盛り上がっている最中も、募金は順調に集まり、さくらちゃんは無事渡米して手術を受けることができました。結局、さくらちゃんのご両親に対する批判は、それがマスメディアに取り上げられ一般に知られるようになった後も、一部のネットワーカーさんから外には広がっていないわけです。つまり、「ネット世論」なるものは、ネット外の世論とは乖離するに至っているわけです。

なんだかあまり法曹らしくない論理展開ですね。

>「既存メディア」側に限定されない「世間の常識的な物の見方」
この「世間の常識的な物の見方」とはなんなのか。(どこでだれが、規定・判断することができるのか。

従来新聞というのはある種の権威をもって「社会の見方や意見」というものをアプリオリに規定することが可能でした。それは記者が取材した2-3名の取材対象者との世界を彼らはそう表現してはばからなかったわけです。

ところがブログや掲示板によって、社会の見方や意見というものが大量直接ネットに表現されるようになり、時には報道取材を質量とも凌駕する情報量を持ったいわばネット世間というものが登場してきたわけです。
それにより、既存メディアが大衆の意見を代弁でできる(つまり「だれか」ということをあきらかにせず、「大衆とわれわれ」=あいまいな主語を駆使することによって記事を書くことができる特権性が、いろいろな場面で検証を受けているということだと思います。

>「さくらちゃんの両親に怒りや不信感を抱く人よりは、難病に罹患した幼い娘を抱えた両親に対しこんなくだらないことで執拗に食い下がり心労を加えている人々の悪意に対し嫌悪感を覚える人の方が多いのではないかなあと思うのです。」
そういう人が多いか少ないかどちらの社会的影響力が強かったのか。だれも調べたり情報を持っていないと思うのです。(まさに主観の問題)ですから、「多いのではないか」という曖昧な意見の多寡を根拠に

>だから・・・・ネットを利用するとこんなことまでできてしまう」とネガティブに捉えるのが・・・「社会の多数派の良識的な感覚にマッチした発想」

と言い切るのは難しいでしょう。

「社会の多数派の良識的な感覚」「世間の常識的な物の見方」論点が分かれている問題において、この言葉をアプリオリに権威性を借りて使うのは難しい時代になったのだと。佐々木さんが言われていることはこのようなことではないでしょうか。

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