発言者の属性の真正性の検証可能性
m_um_uさんからトラックバックをいただきました。
池田センセや小倉さんが「匿名 / 顕名」という古臭くてどーでもいいギロンをしてる間に、上祐さんがmixiを始めた。もちろん実名で。
両センセの主張に従えば上祐さんを信じるべきなのだろう。信じるまでいかなくても匿名よりは胡散臭くない、と。
とのことなのですが、まあ不思議な読解力を持った人がいたものです。
私にしても池田先生にしても、実名を用いた発言は全て信じるべきであるという話はしていません。実名を用いるというのは1つの抑止力を働かせることを自分に課すということであり、さらに、発言者の属性が発言の信用性に一定程度影響を与える場合(それはその人の職業、地位、肩書き、実績等である場合も含みますが、それに限られず、当該テーマを議論する際に提示する事実との距離である場合も含みます。)にその属性の真正性について検証可能性を付与するということです(匿名者は、自分は特定の属性を有していると積極的にアピールする場合もあるし、特定の属性を有することをことさら秘匿する場合もあります。匿名者は、匿名でいることにより、特定の属性を有すること又は有しないことについての検証可能性を読者に与えていないということが可能です。)。
もちろん、上祐さんについては、その実名を明らかにした時点で、発言者がどのような属性を有しているのかを多くの人が知ることになり、しかも、そのことによって、多くの人にとって多くのテーマについて、却ってその発言の信用性を低下させることになるかもしれません。それを含めて、読み手に発言の信用性を判断する資料を与えるのが「実名を用いて発言すること」の根幹です。
抑止力を働かせることを自分に課すという点に関しては、実名を用いずとも、内なる理性のみで「一線を越えた言動」を行うことへの欲求を抑えられる方もおられることでしょう(ただし、トレーサビリティの低い仮名を用いることで低くなった抑止力のもとでついつい「一線を越えた言動」を行ってしまう弱い人間が多いから、匿名性が問題とされるのです。)し、現実社会での人格とのトレーサビリティの高低によって様々な程度の抑止力を働かせることが可能でしょう。しかし、属性の真正性についての検証可能性を読み手に付与するという点については、属性についての認証機関を設ける等しない限りは、少なくとも実名か又は現実社会での活動で現実に通常使用している名称を用いない限り、全く意味を有しません。
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