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02/03/2007

「実名」を敢えて名乗らない言い訳には説得力がない

  匿名コメンテーターの方々は、自分が匿名でコメントを投稿していることをネガティブに評価されることを許せない傾向が強いようです。そして、自分が匿名でコメントを投稿することについていろいろな言い訳をするわけですが、実に説得力がありません。

 社会的強者でなかろうが、名前が平凡であろうが、私たちは通常実名を名乗って生きているのです。実名だけでは自分がどこの誰であるのかを特定できないと思えば、これに一定の属性情報を付加するのです。「実名を名乗っても確認しようがない」というのは現システムの欠陥であり、共通IDシステムを導入するなどして改善した方がよいとは思いますが、そのことは「実名を名乗らない」理由にはなっていません。

 「自分には実名を名乗るメリットがないので実名を名乗らない」なんてことをクラスや職場で言い出したら、大抵の場合は変な人扱いされます。ネットでのみ接触する人々よりも、現実社会で接触する人々の方が、「逆恨みの逆犯罪」を起こす可能性が高いと思うのですが、「逆恨みの逆犯罪から守ってくれる保証がない限り、実名を明かすことはできない」なんていって職場の同僚にハンドル名しか明示しなかったら、やはり変な人扱いを受けます。銀行の窓口に行ったところ窓口の女性の名前が「棺桶銀行員」云々というハンドル名でしか表示されていなかったら、その銀行自体が変な銀行扱いされます。窓口の銀行員には実名を名乗るメリットがないという説明を延々聞かされたって、その銀行を引き続き利用する気は失せそうです。

 「匿名の内部告発は重要だ」としても、その人のその発言が真摯な内部告発でないのであれば意味がない話です。現実社会での「匿名の内部告発者」は、内部告発をするときだけ匿名なのであって、普段から実名を明かさずに生きているわけではありません。「私は、将来匿名で内部告発をするかも知れないので、実名は名乗りません」なんて言い出したら、やはり変な人扱いをされます。

 「街中を名札を付けて」云々論についていえば、コメントを投稿するという行為は、「街中をふらっと歩く」というのとは異なり、ブログ主や批判の矛先との関係性を生じさせる行為ですから、同列に扱えと言う方が無理な話です。吉野家で牛丼を食べる場合は吉野家としては客は暴れることなくそしてお金を支払ってくれればいいのであってそれ以上の信頼を「客」に求めないと思いますが、「議論」というのはその相手方との間に一定の信頼感がないと成り立ちにくいので、議論を行うにあたっては実名を含めた自分の属性情報をある程度オープンにする方がよいと思います。私たち弁護士が裁判所で行う訴訟活動では、当事者の実名等が明らかになっていれば代理人の実名等を相手方に対して明らかにしなくとも物理的には動いていくとは思うのですが、「自分は奥ゆかしいから」とか「逆恨みの逆犯罪が怖いから」といって訴訟代理人がハンドル名しか名乗らなかったら、和解交渉等はしにくいだろうなあと思ったりします。その代理人とは信頼関係が築けなさそうですから。

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Commentaires

銀行の窓口は例として適切ではないと思います。普通は、銀行に用があって窓口を訪れるのであって、窓口のAさんに用があるわけじゃないからです。しかし、応対に問題があったとき(あるいは感謝したいとき)には、Aさんを特定できないと困るという“保険”として名前を示しておくべきとは思います。
意見を発することは、これとは違うと思います。新聞の投書欄などは特に理由がなければ昔から実名が原則でした。実のところ、私は元々、発言の中身こそが重要と思っていたので匿名(ハンドル名)容認派でしたが、現状を鑑みると、そのような悠長な考えは引き出しの奥底にしまわねばならないとも思っています(残念ながら)。これは「時代による変化」と思っていますが、変遷したのは匿名性の広まりであって、人間性は変わっていないのかもしれません。
もっとも実名にある程度リスクがあるのは事実だと思います。私自身、本筋に関係ないところで勤務先名を出されて辟易したことがここ数カ月で2回ありました。
ところで「窓口の“女性”」という例え方をするのは「性差別だぁ」という批判を受けるかもしれません。

このブログは先生の庭なわけですから、
先生がお好きなルールで運用されてかまわないのですよ。「先生との関連性において実名が明らかな人」例えば私だけを書き込み許可にする、ということでやればいいわけです。(あまりブログが楽しくなくなるというデメリットは大きいわけですが)

でも僕自分のブログではそういうルールでやることはないし、匿名の人であっても自由に書き込んでほしいと思っています。(そのわりには書き込みが少ないんですけど)

ブログの設定のしかたによって、その間にいろいろな制限の仕方があるわけですから、そのブログ主のしたいよーに、すればいいんです。

つまりここはクラスや職場ではないし、街中をフラット歩くわけでもない、その中間の情報空間だと思うのです。例えば酒場で隣人と会話する。そんな感じでしょうか。そのときに「私は実名を名乗るので、相手も実名でなければ話したくない」という人もいれば、「実名をあさかずとも楽しければいい」という人もいることでしょう。

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