法システムにおいては唯一であることも絶対であることも不要である
「固定ハンドルの抑止力」というエントリーに対し、NOV1975さんが、
告発はどうでもいいけど、トレーサビリティーって何だろう。ストーカビリティー?いずれにしても抑止力を期待するのであればそれは実名が唯一の手段でも絶対の手段でもないよね。というはてなブックマークコメントを付けています。
確かに、抑止力を実現するための唯一の手段とか絶対の手段なんて基本的にないのですが(「ネット上の誹謗中傷」に限らず、人間が他の人間に対してもたらすあらゆる害悪について見たって、特定の手段が単体で抑止力を実現するための唯一の、あるいは絶対の手段となることをはありません。)、そこで立ち止まっていたら、その害悪から人々を守ることなんか少しもできやしません。殺人を犯罪と法的に位置づけ、捜査機関や裁判制度を整備して実際に殺人を犯した人のほとんどが長期の懲役刑を科せられるようになったからといって、殺人を完全に抑止することはできません。他方、殺人を重い刑罰を課すことによって法的に監視しなくとも、多くの人は他人を殺したりはしません。法律以前に、道徳的な抑止力が働くからです。
では、殺人犯に重い刑罰を科す法制度は、殺人行為に対する抑止力のために唯一の手段でも絶対の手段でもないから、廃止すべきかというと、そのことに賛同する人というのはおそらくほとんどいないでしょう。完全には抑止できなくとも、それなりに抑止できれば、社会的あるいは法的なシステムとしてはそれなりに有効なものであると評価しうるのです。
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