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29/03/2007

「Resolution121」がどっかに飛んでしまっている

 昨今、従軍慰安婦問題で「狭義の強制連行がなかった」云々に拘っている人たちは結局何がしたいのか、私には理解しがたいところがあります。米国下院が「Resolution121」を可決しないように米国議員を説得する、あるいは「Resolution121」を可決されたとしてもそれは決議として不当なのだと国際社会に向けてアピールをしたいのであれば、「Resolution121」では何が語られており、そのうちどの部分が問題なのかを、「Resolution121」の文言に即して具体的に論ずることが必要です。

 しかし、ネット上の議論を見ていると、「『Resolution121』の文言に即して具体的に論ずる」ことよりも、従軍慰安婦問題を、対朝日新聞イデオロギー闘争のネタに使うことに熱心な方が多いように見受けられます。それは、朝日新聞をやたら毛嫌いしている日本国内の右派勢力の溜飲を下げるのに役立つのかも知れませんが、米国下院議員の説得にも、また、国際社会に向けてのアピールにも繋がりません(仮に、それらの発言を英訳しても同様です。)。また、下村官房副長官のように、否定しても受け入れられる余地がない部分まで否定してしまうと、却って、「ホロコースト否定論者」と見られてしまい、今後の発言について信頼性を失ってしまいます。

 河野談話に対する批判も同様で、具体的な文言に即しての批判というのは少ないように感じられます。私は、職業柄謝罪文言を起草したりすることも少なからずあるのですが、河野談話は、事実の有無について争いが残る部分は曖昧にしたりそもそも触れなかったりというふうにすることで、どちらの顔も立てているのであって、公的な謝罪文としてはそんなに悪くはないように思います。

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Commentaires

> 欧米での評価
その(現在の)評価が、間違った記事が元になっているので、(決議案だけでなく)“元”を直さなければなりませんね、という話ですよね。
一度評価が定着してしまうと直すのはなかなか難しい、という話は理解しますが、それこそ何もしなければ定着した評価を受け入れたとみなされかねません。そんな姿勢では、北方領土も竹島も失ってしまうのではないですか?

 「あの文章から事実をはるかに超えた状況を想像する」といわれても、決議文の文言を離れて勝手に想像されて批判される側は、「ご勝手に」としか言いようがないでしょう。そんなことをやってみても、欧米での評価は揺らぎないわけです。結局、「国内的なイデオロギー闘争」としての意味しか持たないわけです。
(ヨーロッパ基準だと、歴史修正主義的な言説(ホロコースト否定論やトルコによるアルメニア人虐殺の否定論に対する態度を参照。)に表現の自由を認めないですから、日本は何をやっているのだと言うことで評価を下げることはあるでしょうけど。) 。
 

> 「Resolution121」では何が語られており、そのうちどの部分が問題なのか

それは、前コメントに書いたつもりなのですが、それが事実に即した見方だとおっしゃるのであれば見解の相違です。大半の人は、あの文章から事実をはるかに超えた状況を想像するように“私は”思いますし、そう思っている人は他にもいるようです。

また、決議案121号は「ひとつのアウトプット」に過ぎません。現に wikipedia でも問題が起きましたし、決議案が否決されても、すべてが解決するわけではないでしょう。その元凶が誤った報道されたことがあるという話の中で、決議案の解釈だけにこだわっても話はかみ合いません。

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