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avril 2007

30/04/2007

「犯罪行為となる書き込みを知りながら放置する自由」をBBSに認めるべきか

 北海道大学の町村泰貴教授は、そのブログのエントリーで、「掲示板管理者が犯罪行為となる書き込みを知りながら放置していたということでどんどん立件されるようになれば、被害者救済には極めて大きく働くと同時に、BBSの自由は極めて大きく損なわれるだろう。」と述べています。

 この発言を素直に読むと、町村教授は、「BBSの自由」の中には、「犯罪行為となる書き込みを知りながら放置する自由」が含まれていると考えているものと読むことができ、かつ、その自由は「被害者救済」よりも重要である(従って、BBSの「犯罪行為となる書き込みを知りながら放置する自由」を守るためには被害者救済が疎かになっても構わない)とのニュアンスを読み取ることができます。

 町村教授は、「過剰防衛的削除がはびこるし、そもそも掲示板を開設するということ自体にも萎縮効果が生じてしまう」ことを心配されているようですが、むしろ、「犯罪行為となる書き込みを知りながら放置」しても刑事的な制裁の対象とならないということになると、アクセス数を向上させる手段として、「犯罪行為となる書き込みを放置する」掲示板をはびこらせる結果になることは十分予想ができることです。

 プロバイダ責任制限法を制定する際にも、「常時監視義務を負わせることは妥当ではない」ということは前提とされていましたが、「犯罪行為となる書き込みを知りながら放置する自由」を認めなければ「掲示板を開設するということ自体にも萎縮効果が生じてしまう」ということは斟酌されていなかったわけで、町村教授は今更何を仰っているのだろうという疑問を私はぬぐい去ることができません。

最近60年の諸外国の憲法改正の内容

 日本国憲法が発布後60年間一度も改正されていないことを強調して、憲法を改正すべきとする理由(の1つ)とする人もいるようです。「60年間変わっていないから変えるべき」だなんてことを言う人々が「保守」を名乗るのはおそらく一流の冗句なのではないかと思うのですが、言うまでもなく、法というものは「飽きたから変える」というものではありません。

 実際のところ、立憲民主主義が確立した諸外国においては、立憲民主主義の根幹を変容させるような憲法改正はほとんど行われていません。それらの国々での憲法改正のほとんどは、統治システムに関する規定の変更と、本来憲法ではなく法律で定めるべき些末的な条項の改正です。特に、連邦国家においては、連邦政府と各邦との権限分配を連邦憲法で定める必要がありますから、どうしても憲法改正の頻度は高まることになります。

 たとえば、米国憲法の場合、1945年以降の憲法改正は、

修正第二十二条 〔一九五一年確定〕

 第一節 何人も、二回を超えて大統領の職に選出されてはならない。他の者が大統領として選出された場合、その任期内に二年以上にわたって大統領の職にあった者または大統領の職務を行った者は、何人であれ一回を超えて大統領の職に選任されてはならない。ただし、本条の規定は、本条が連邦議会によって発議された時に大統領の職にある者に対しては適用されない。また、本条の規定は、それが効力を生ずる時に任期中の大統領の職にある者またはその大統領の職務を行う者が、その任期の残余期間中大統領の職にあり、または大統領の職務を行うことを妨げるものではない。

 第二節 本条は、連邦議会がこれを各州に提出した日から七年以内に、全州の四分の三の議会によって憲法の修正として承認されない場合は、その効力を生じない。

修正第二十三条 〔一九六一年確定〕

 第一節 合衆国政府の所在地を構成する地区は、連邦議会の定める方法により、もし同地区が州であると仮定すれば連邦議会に送ることのできる上院および下院の議員総数と等しい数の選挙人を選任する。ただし、その数は、いかなる場合にも、人口の最も少ない州の選任する選挙人の数を超えてはならない。同地区任命の選挙人は、各州任命の選挙人に加えられ、大統領および副大統領の選挙の目的のためには、各州選任の選挙人とみなされ、同地区に会合して、修正第十二条の規定する義務を履行するものとする。

 第二節 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を有する。

修正第二十四条 〔一九六四年確定〕

 第一節 大統領あるいは副大統領、大統領あるいは副大統領の選挙人、または連邦議会の上院議員あるいは下院議員のための、予備選挙その他の選挙に対する合衆国市民の投票権は、合衆国またはいかなる州も、人頭税その他の租税を支払わないことを理由として、これを拒否または制限してはならない。

 第二節 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を有する。

修正第二十五条 〔一九六七年確定〕

 第一節 大統領の免職、死亡、辞職の場合には、副大統領が大統領となる。

 第二節 副大統領職が欠員の時は、大統領は副大統領を指名し、指名された者は連邦議会両院の過半数の承認を経て、副大統領職に就任する。

 第三節 大統領が、その職務上の権限と義務の遂行が不可能であるという文書による申し立てを、上院の臨時議長および下院議長に送付する時は、大統領がそれと反対の申し立てを文書により、それらの者に送付するまで、副大統領が大統領代理として大統領職の権限と義務を遂行する。

 第四節 副大統領および行政各部の長官の過半数または連邦議会が法律で定める他の機関の長の過半数が、上院の臨時議長および下院議長に対し、大統領がその職務上の権限と義務を遂行することができないという文書による申し立てを送付する時には、副大統領は直ちに大統領代理として、大統領職の権限と義務を遂行するものとする。

 その後、大統領が上院の臨時議長および下院議長に対し、不能が存在しないという文書による申し立てを送付する時には、大統領はその職務上の権限と義務を再び遂行する。ただし副大統領および行政各部の長官の過半数、または連邦議会が法律で定める他の機関の長の過半数が、上院の臨時議長および下院議長に対し、大統領がその職務上の権限と義務の遂行ができないという文書による申し立てを四日以内に送付する時は、この限りでない。この場合、連邦議会は、開会中でない時には、四十八時間以内にその目的のために会議を招集し、問題を決定する。もし、連邦議会が後者の文書による申し立てを受理してから二十一日以内に、または議会が開会中でない時は会議招集の要求があってから二十一日以内に、両議院の三分の二の投票により、大統領がその職務上の権限と義務を遂行することができないと決定する場合は、副大統領が大統領代理としてその職務を継続する。その反対の場合には、大統領はその職務上の権限と義務を再び行うものとする。

修正第二十六条 〔一九七一年確定〕

 第一節 十八歳またはそれ以上の合衆国市民の投票権は、年齢を理由として、合衆国またはいかなる州もこれを拒否または制限してはならない。

 第二節 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を有する。

修正第二十七条 [一九九ニ年確定] 上院議員および下院議員の役務に対する報酬を変更する法律は、下院議員の選挙が施行されるまで、その効力を生じない。

の6回です(日本語訳は、駐日米国大使館による。)。 選挙に関するものが多いですが、米国は連邦制なので、州をまたいで統一的に行われるべき選挙については、連邦憲法に規定しておく必要があるのでしょう。これに対し、日本では、選挙に関する規定は専ら公職選挙法で定めますから、米国に比べて日本で憲法改正の必要性が低かったのはむしろ当然でしょう。こうみると、日本でも検討に値するのは、修正第25条と同趣旨の規定を導入することの是非くらいですね(小渕首相の例もありますから。)。

 また、憲法改正が頻繁に行われた例としてしばしば紹介されるベルギー憲法について言うと、フラマン語圏とワロン語圏の対立を前提とした、統一国家から連邦国家への国家再編の流れの中で段階的な憲法改正がなされている(石塚さとし「ベルギー・つくられた連邦国家」57〜90頁参照)のであって、日本とは状況が違いすぎると言わざるを得ません(新しい人権カタログを加える『加憲』は行われており、「私的及び家族的生活の尊重」や「公的情報へのアクセス権」等が1994年改正で補充されたとのことなので、そういう点は参考になるかもしれませんが。なお、1994年改正で補充された「人間の尊厳と社会権」条項について言えば、60年前に既に日本国憲法が取り入れているのです。しかも、「GHQの押し付け」ではなく、日本側の発案によって!)。

 日本の場合、立憲民主主義の原則に則った極めてできの良い憲法が60年前に日米の合作によって成立したわけですし、言語対立等から連邦制に移行しようとの声も上がっていませんので、この60年間憲法改正の必要が乏しかったということは、特に不思議なことではありません。

硬性憲法

 産経新聞は、「 【欠陥憲法 施行60年を前に】(下)厳しい改正条項 足かせ」という記事の中で、

だが、実際には現憲法は「不磨の大典」であり続けた。GHQ案そのままの、改正に手間ひまがかかる「硬性憲法」になっていることが理由の一つだ。逆に、改正のハードルが低いものが「軟性憲法」といわれる。

と述べています。しかし、これは憲法の「硬性」「軟性」の一般的な定義とは若干ずれています。一般には、「通常の立法とは異なる特別の手続きによるのでなければ変更できないとされるものを硬性憲法といい、然らざる憲法は軟性憲法と呼ばれる」(佐藤幸治「憲法」18頁)のであり、上記表現に近づけて言うのであれば、「改正のハードルが特にないものが『軟性憲法』といわれる」とするべきでしょう。

 で、「硬性憲法としての改正手続 に関する基礎的資料」が示すとおり、 今日の世界中の憲法の大部分は硬性憲法です。そして、「議会の3分の2の承認+必要的国民投票」というハードルは、日本のみというわけではなく(ベラルーシ、韓国、ルーマニア、モロッコ等)、「議会の4分の3の承認+必要的国民投票」というさらに高いハードルを設けている国もあります(フィリピン)。米国憲法の「議会の3分の2の承認+4分の3の州議会の批准」というハードルだって結構高いです。したがって、日本国憲法が硬性憲法であることを、60年間憲法改正がなされなかった理由とするのは、いかがなものかという気がします。

 むしろ、米国憲法の修正状況を見ると、なぜ日本国憲法が60年間も改正されなかったのかのヒントを得ることができます。Wikipediaの「アメリカ合衆国」の項から引用しますが、米国憲法の修正の歴史はだいたいこんなものです。

 

* 修正第一条~第十条:特に権利章典と呼ばれている(1791年)
* 修正第十一条:各州の司法権の独立(1795年)
* 修正第十二条:大統領と副大統領選挙における選挙人規定(1804年)
* 修正第十三条:奴隷制廃止(1865年)
* 修正第十四条:市民権の定義、市民の特権・免除、デュー・プロセスの権利および法の下の平等の州による侵害禁止、ならびに下院議員の規定(1868年)
* 修正第十五条:黒人参政権(1870年)
* 修正第十六条:所得税源泉徴収(1913年)
* 修正第十七条:上院議員の規定(1913年)
* 修正第十八条:禁酒法制定(1919年)
* 修正第十九条:女性参政権(1920年)
* 修正第二十条:アメリカ合衆国議会の会期と大統領選挙の規定(1933年)
* 修正第二十一条:修正第十八条(禁酒法)の廃止(1933年)
* 修正第二十二条:大統領の連続二期まで当選回数の制限(1951年)
* 修正第二十三条:合衆国議会議員定数の規定(1961年)
* 修正第二十四条:税金滞納理由による大統領、合衆国議会の選挙権の制限の禁止(1964年)
* 修正第二十五条:大統領が欠けた時の副大統領の昇格規定(1967年)
* 修正第二十六条:18歳以上の選挙権付与(1971年)
* 修正第二十七条:アメリカ合衆国議会議員の報酬の変更規定(1992年)

 これを見てわかるとおり、 修正第18条の「禁酒法の制定」を除き、市民の権利を制約する方向での改正には成功していません。改正がなされたのは、市民の権利や自由を拡張する改正や、統治機構の手続き面の改正がほとんどです。やはり、市民の権利や自由をより制約する方向での憲法改正を行うことは、民主主義国家では、なかなかに困難なのです。

 で、日本の改憲派が唱える憲法改正ってどういうものかというと、憲法第9条はともかくとすると、市民の権利や自由をより制限し、あるいは行政府の権限をより拡張しようというものがほとんどです(「環境権の創設」とか例外もありますけど。)。国民を主権者とする日本国憲法を制定させられたことを未だに根に持つ発言や、国民に基本的人権が尊重されている状態を「人権メタボリック」などとする発言から窺われる、「支配者意識」に基づく「もっと国民を思いのままに統治したい」という思いが詰まった憲法改正案など、おそらく民主主義国家では通らないのではないかと思うのです。

【追記】
 産経新聞では「改正条項が「硬性」のままでは、主権者の国民に憲法改正の是非を問うことすらできない事態が起きかねない。時代に則した内容へ憲法を改め続けていくためにも、現憲法の「3分の2以上」という高いハードルの見直しが迫られている。」とされているのですが、米国の例を見ても、「時代に即した内容へ憲法を改めていく」のであれば「3分の2以上」というハードルはさして高くない(実際、米国では、その要件をクリアして憲法改正を果たしているのですから。)というべきではないかと思います。

29/04/2007

新聞とネットの関係について

 新聞とネットの関係について、小林恭子さんのこの記事はとても参考になります。クロスワードパズルがとても重要なことも含めて。

 日本のブロガーの中には、メディアは一次情報を流せばいいのだ、解説はいらないという人が少なくないですが、むしろ、ネットで第1報を流しても、詳しい解説が読みたくて新聞を買ってくれる人がいるようなので、やはり解説は重要みたいです。

 まあ、自分が専門知識を有しない分野では、誰だかわからない匿名さんの解説をネットで読むよりは、ある程度名の通った専門家の解説を読む方が間違いが少ないと考えるのは合理的です。

Blogging Code of Conduct

 O'Reillyさんがそのブログで発表した「Blogging Code of Conduct」の叩き台案は、様々に反響を呼んでいます。この叩き台案については、「ネットに詳しい」O'Reillyさんがブロガーのあるべき姿をどのように捕らえているのかを知る上でも、十分な手がかりとなりそうです。そしてそれは、日本の匿名コメンテーターさんたちが叫ぶ「ネットの常識」とはかなり距離があるように思います。

  まず、O'Reillyさんは、「We celebrate the blogosphere because it embraces frank and open conversation. But frankness does not have to mean lack of civility. We present this Blogger Code of Conduct in hopes that it helps create a culture that encourages both personal expression and constructive conversation.」(我々は、率直でオープンな会話を含むが故にBlogosphereを賞賛する。しかし、率直さというのは、礼儀正しさの欠如を意味する必要はない。我々は、個人の表現と建設的な会話を奨励する文化を創造するのに役立つことを願ってこの Blogger Code of Conduct (Bloggerの行動規則)を提示する。)としており、「フラット化」の意味を取り違えて礼節を書く内容・文体のコメントを投稿するあまたの日本のコメンテーターさんたちとの立脚点の違いは明らかです。

 その上で、第1条で、「 We take responsibility for our own words and for the comments we allow on our blog.」 (我々は、自分自身の言葉に対して、さらに、自分のブログ上にあることを容認したコメントに対して責任を負う。」としています。この原則はさらに、「we will not post unacceptable content, and we'll delete comments that contain it.」(我々は、「受け入れがたい内容」を投稿しないし、「受け入れがたい内容」を含むコメントを削除する。」ということで具体化します。

 また、 「We won't say anything online that we wouldn't say in person.」(我々は、面と向かっていえないことは、オンラインでもいわない。) としており、「匿名でないと言えないことを言うこと」こそがブログの本質だと考えている日本の匿名ブロガー・コメンテーターさんたちとは大きな一線が画されています。

 また、O'Reillyさんは、「We connect privately before we respond publicly. 」(我々は、公開のところで応答する前に、非公開に連絡を取り合う」ことを謳っており、それ故、「We require commenters to supply a valid email address before they can post」(我々は、コメンターさんたちがコメントを投稿する前に有効な電子メールアドレスを提供することを要求する)としています。 ちゃんと届くアドレスがわからなければ非公開で連絡を取り合うことなどできません。

 荒らしへの対応については、O'Reillyさんは、「We prefer not to respond to nasty comments about us or our blog」(我々は、我々や我々のブログについての不快なコメントに応答しない方がよいと思う」として「荒らしにはスルーが原則」と同じようなことを言っていますが、但しそれは「as long as they don't veer into abuse or libel.」(それらが悪口や中傷にまで行き着かない限りは)という限定付きです。

 こうみると、Web2.0というのは、匿名さんによる誹謗中傷を容認して建設的な議論を諦める環境を指すのではないことがよくわかります。これからWeb2.0的なシステムの構築をしていこうという企業は、ノイズを極小化して、建設的な議論が行われやすくする工夫をしていくのがいいのではないかと思います。

28/04/2007

MS Wordを使う場合

 文章を作成するのにどのアプリケーションを使用するのかという議論が、著名ブロガーの中で降って湧いたように行われています。

 確かに、普通に文章を作成する上ではMS WORDはオーバースペックだし、文脈を無視して箇条書き等に勝手にしてしまったりするので、これを使用することを避けたいのは山々です。実際、訴状や準備書面等を作成する場合は、Jedit等のEditorで文章を作成し、印刷するときはInDesignを使って出力するというのが通常のパターンです。

 ただ、そうはいっても、MS WORDを使わないとならない場合というのもどうしてもあります。

 まず、複数人でコラボレーションする必要がある場合です。複数の弁護士で事件を共同受任しているような場合や顧問先等からの契約書等の案文に手を入れるような場合です。「文章を作成するモードと、作成した文章をレイアウトし印字するモードとを峻別する」という考え方に賛同してもらうのは結構たいへんですし、複数人が手を加えて1つの文書を作成する場合には、MS WORDの変更履歴表示機能はそれなりに便利です。

 もう一つは、やたら脚注の多い文章を作成する場合です。Jeditにも脚注マクロはあるのですが、今ひとつ私にはフィットしないので、長めの論文を作成する場合にはMS WORDを使うことが多いです。Nisus Writer Expressもデモ版を使う分には悪くなさそうなのですが、脚注・後注を挿入すると、それまでドラフトモードで編集作業をしていても、勝手にページモードに移行してしまうのがどうも嫌です。ざっとみると、画面分割機能もなさそうですし。

 長文で脚注ばしばしなんていう文章を作成する人の割合というのはおそらく少ないのでそのような用途に最適化した製品を作れともいいにくいのですが、できれば、脚注・後注機能の使い勝手がよく、かつ、画面を2〜3分割できて、それでいてそれ以外には処理速度を遅くするような余分な機能を組み込まないことが選択できるWord ProcessorないしEditorを誰かが開発してくれると嬉しいです。

 

学校裏サイトの管理人の書類送検

 「『学校裏サイト』で中学生の実名を挙げた中傷書き込みを放置したとして、大阪府警が管理人の男を書類送検した」というニュースがITMediaで取り上げられていました。

 「学校裏サイト」という名称から、一定の割合で実在の生徒や教師を誹謗中傷する内容の投稿があることを織り込み済みであることが予想されますし、実際、特定の女子生徒の実名を上げての誹謗中傷発言の削除を学校側から要求されてもこの要求をはねつけているわけですから、保護者から被害届を受けた警察が書類送検をするのは当然のことといえます。この案件で警察が保護者に対して、「あなたのお嬢さんが我慢すれば全て丸く収まるのですよ。だから、こんな被害届など受け取れません。」なんてことを言いだしたら、この保護者及びその周囲の人々は警察は頼りにならない、警察はアングラ組織の味方なんだと思うことでしょう。

 落合先生は、この事件との関係で、

刑事罰も、社会統制の1つの手段である、という見地に立って、可能な限り、他の制裁手段を選択し、それではまかなえない場合に、必要かつやむを得ない限度で刑事罰を選択、発動する、という謙抑的な取り扱いが必要でしょう。

仰っているのですが、 プロバイダ責任制限法が妨げとなって、ネット上の誹謗中傷に対して民事的に救済を受けることが非常に困難となっている現在、刑事手続きに頼らざるを得ない状況が増大していることを軽視してそのような主張をしてみたところで、「では、どうしろと?」という疑問に答えることはできないでしょう。

社会がますます複雑化し、人々の考え方も多様化する中で、かつてはなかったタイプの紛争が増加の一途をたどる現状にありますが、持って行き場のない紛争は、警察へと持ち込まれ、警察が一種の「最終処分場」に無理矢理させられている傾向があります。それは、警察にとっても不幸なことであり、そういった現状が、警察の貴重な各種リソースを拡散させ有効に機能できない状態に追い込んでいることにもなっていますが、それはともかく、何でもかんでも警察へ、怪しからん奴は刑事罰を、という行き方が、果たして妥当なのかという問題意識は必要でしょう。

という落合先生の一般論は間違っていないのかも知れません。しかし、その解決手段として、「持って行き場のない紛争は、被害者が、泣き寝入りしたまま墓場まで持って行くべき」とするのは法治国家の否定であって、 我々が採るべきものではありません。インターネット上での誹謗中傷等の紛争に関して警察の負担を軽減するためには、誹謗中傷発言を投稿した人物のトレーサビリティを高める工夫をしたり、損害賠償や謝罪広告等まで求めうるようなADRをISPやブログ・掲示板事業者等が作り上げたりするなどの工夫を、これらの事業者等が中心となって構築する等すべきなのではないかと思ったりします。

22/04/2007

「従軍」という言葉

 ネット上での従軍慰安婦論争を見ていると、「従軍慰安婦」という言葉自体を用いること自体を問題視している人が少なくないようです。

 しかし、それらの人には申し訳ないのですが、「従軍」という言葉は、「軍により強制された」という意味合いを含みません。そのことは、「従軍記者」「従軍看護婦」等の用語例からも明らかだと思います。ネット上で国士気取りの方々は、「味方」以外の言葉を勝手に悪意に解釈しては憤ってみせる傾向があるようです。

 なお、国会の議事録を検索してみると、「慰安婦」という言葉が最初に用いられたのは、昭和23年11月27日に開かれた衆議院法務委員会です。

○村專門員 陳情者は大阪府接待婦組合連合会会長松井リウであります。私たち就業婦の中には、戰爭中白衣の天使として第一線に從軍し満洲、中支、南支、南方各地域において、また軍の慰安婦として働きおり引揚げたる者、その他夫が戰死し子を持つ者、元ダンサー、女給、看護婦、女店員、女工等と諸種の前職を持つておる者ばかりで、いずれの職域においても、現在の接待婦以上のことをいたさねば生活ができず、その上他の方面においては衞生設備は不十分なるため、健康上おもしろくなく、不幸にして病氣にかかりましたら、一般の開業医にかかりますと藥價、治療費が高くかかり、いくらくふうして働いても医者の奉公をしておるようなもので、治療はおろか生活もろくにできず、衣類等を賣り盡くして現在の職業に入つて來ている者が少くないのであります。

 また、昭和37年04月11日 の衆議院社会労働委員会では、次のようなやりとりがあります。

○小林(進)委員 個別のケースはあとでお話しします。時間がありませんから、一つずつ問題をお聞きします。    次に、軍の慰安婦ですね。私も兵隊に行きましたからよく知っていますが、慰安婦は、陸軍でもどこの部隊にも所属部隊がございました。こういう慰安婦が敵襲を受けて敵弾によって倒れた、こういう場合は一体どういう処置を受けるのでしょうか。
○山本(淺)政府委員 いわゆる大陸等におりました慰安婦は、軍属にはなっておりません。しかしながら、敵襲を受けたというような、いわゆる部隊の遭遇戦といったようなことでなくなられた場合におきましては、戦闘参加者として準軍属の扱いをしておるはずでございます。

 また、昭和43年04月26日の衆議院社会労働委員会では、次のような発言があります。

○後藤委員 (中略)大東亜戦争当時、第一線なり、いわゆる戦場へ慰安婦がかなり派遣されておったと思うのです。私も内々これらの派遣されたいきさつにつきまして、できるだけ、どういうふうな計画でどういうふうにやられたかを調べようと、かなり苦心をしたわけでございますが、聞くところによりますと、無給軍属ということで派遣をしておる。さらにこの派遣につきましては、それらの業者と軍との間で、おまえのところでは何名派遣せよというようなことで、半強制的なようなかっこうで派遣されておるというようなことも私聞いておる次第でございますが、さらにこれらの派遣された慰安婦につきましては、戦場におきまして、戦闘がたけなわになると、あるいは敵の急な襲撃等があった場合には、看護婦の代理もやっておる。さらに弾薬も運ぶというような、さながら戦闘部隊のような形でやられておるというような実績もかなりあると聞いておるのです。

 これらの用例からすると、「従軍慰安婦」という言葉こそ平成2年にならないと出てきませんが、「慰安婦」に「従軍」的な要素があることはかなり古い段階から認識されていたということができそうです。

20/04/2007

佐世保簡裁へ

 今日は、一昨日急遽受任した事件の関係で、佐世保簡裁に行ってきました。

 長崎空港から佐世保に向かったのですが、冷静に考えると福岡空港からJRで佐世保入りした方が楽だったかなあと少々反省しています。

 「佐世保」ということで佐世保バーガーをお昼に食べてみました。見た目は大きくないので軽いかと思いましたが、ハンバーグパテの上に、厚めのベーコンがのる形態でしたので、結構腹持ちが良かったです(その後にジャンボシュークリームを食べたのがいけなかったのかも知れませんが。)。

19/04/2007

法テラスの俸給

 法テラス(日本司法支援センター)の理事長の俸給は929,000円、役員報酬規定によれば、常勤理事の俸給は827,7000円、非常勤理事の日当は31,700円です。実際には、俸給にはこれに地域手当(本部詰めなら、赴任地は東京ということになりますから、職員給与規定によれば、「一級地」として18%加算ですね)が加わりますから、理事長は月額109万6220円、常勤理事は97万6866円をもらっている計算になります。

 ところで、岡口裁判官も紹介されているように、自由と正義58巻4号では、法テラスのスタッフ弁護士の給与が手取り27万円で固定であるとか、米国でも公益活動専従弁護士の給与水準は3万ドル程度でありそれでも名門ロースクールの卒業生がわんさかやってくるだとかいろいろなことが書いてあります。もちろん、米国では公益活動専従弁護士になるとロースクール時代に貸与を受けた奨学金はチャラになるけど日本の場合そういうシステムではないとかそういうことは書いていないなあとかとも思いましたけど、現場で働いている若いスタッフにそういう給与水準を強いるのであれば、法テラスの理事長、常勤理事も、そんなに俸給をとるなよと正直言って思いました。

 公判期日が1回増えるごとに加算される国選弁護人の報酬額が3000円なのに、法テラスの非常勤理事は1日法テラス本部に通うと31,700円ですか。刑事事件の公判廷10期日分以上の仕事を1日でしているのですか。まさか!

 現場で働いている人間に奉仕を強いて、事務方が甘い汁を吸うという構図は、もういい加減ヤメにしてもらいたいものです。

18/04/2007

インターネットカフェ等における匿名性その他の問題

平成18年度総合セキュリティ対策会議「インターネット・ホットラインセンターの運営の在り方及びインターネットカフェ等における匿名性その他の問題と対策」は、インターネットの専門家たちは同じような危機意識を抱いているのだなあと言うことを改めて認識させます。

 サイバー犯罪が発生した場合、警察では、当該犯罪が行われた時点のログ等から、どのコンピュータにおいて犯罪が行われたかを特定するとともに、そのコンピュータを誰が使用していたのかを明らかにし、被疑者を特定することが必要である。しかし、近年、インターネットカフェ、プリペイド式データ通信カード、フリースポット等のように、不特定の者がインターネットを利用することができる施設・サービスが増加しており、それらの中には、利用や機器購入の際に本人確認を行わないものも見られるところである。こうした利用者の匿名性の高い施設・サービスがサイバー犯罪に利用された場合には、仮にログ等から犯行に使用されたコンピュータ、プリペイド式データ通信カード、無線LANカード等を特定することができたとしても、これらを使用した被疑者を特定することは困難である。

 また、この匿名性の問題は、犯罪捜査の分野に限られたものではない。例えば、こうした利用者の匿名性の高い施設・サービスを利用した情報発信により、特定の者の権利利益が侵害された場合には、特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(平成13 年法律第137 号)に基づきプロバイダ等から発信者情報の開示を受けたとしても、被害者が加害者を特定して責任追及を行うことは困難である。

 上記のとおり、インターネット利用者の匿名性は、サイバー犯罪の捜査の大きな障壁となっている。

 例えば、インターネットカフェでは、事業者が利用者の本人確認を行い、コンピュータの使用状況を記録していなければ、犯行に使用されたコンピュータが判明したとしても、それを使用した被疑者を特定することは困難である。また、不特定の者が利用することができるフリースポットや、購入時に本人確認が不要なプリペイド式データ通信カードを使用してサイバー犯罪が行われた場合、被疑者の特定は非常に困難である。現にこの匿名性を悪用した事案の発生も見られる。平成17 年中に警察が認知した不正アクセス行為592 件のうち、平成18 年5月末の時点で未検挙のものは277 件であり、そのうち212 件(認知件数の35.8%、未検挙の件数の76.5%)は、匿名性が障害となって捜査に進展が見られないものである。中でも、インターネットカフェのコンピュータが使用され、当該店舗又は当該コンピュータまでは判明したものの、利用者に関する情報が存在しないために捜査に進展が見られないものが139 件(認知件数の23.5%、未検挙の件数の50.2%)と、多数に上っている。

 また、首都圏及び近畿地方の二つの都道府県警察では、平成18 年1月から同年3月までの3か月間に、インターネット・オークションを利用した詐欺(以下「ネット・オークション詐欺」という。)のうちインターネットカフェのコンピュータを使用したものを8件認知しているが、そのうち平成19 年2月1日までに検挙に至ったものは1件にとどまっている。未検挙の理由としては、ログ等から犯行に使用された店舗又はコンピュータまでは判明したものの、利用者に関する情報が存在しないために被疑者を特定することができないものが6件、利用者に関する情報は存在するがコンピュータの使用状況が記録されていないために被疑者を特定することができないものが1件となっており、インターネットカフェの利用者の匿名性が捜査の障壁となっている状況がうかがわれる。

等の指摘は、「IPアドレスから発信者をトレースすることができるから、現在でも完全な匿名性はない(だから、共通ID等を導入する必要はない)」との認識が如何に現実離れしているのかを物語ります。

 また、ネット上では、「インターネットカフェ経由の犯罪だって検挙された例がある(だから、共通ID等を導入する必要はない)」という意見が語られがちですが、

他方、匿名性を悪用したサイバー犯罪であっても、例えば数多くの関係者からの事情聴取、様々な電子データの解析等を通じて被疑者の特定に成功し、検挙に至る場合がある。しかし、その際には、膨大な捜査体制や費用を要し、かつ、捜査期間が長期にわたることが通例であり、捜査の効率は決して高いとは言い難い。また、捜査に協力する国民にとっては、数多くの照会、事情聴取等に応じる事実上の負担が大きく、さらに、納税者としての立場から見ても、捜査の効率が低いことは望ましいことではない。
との指摘はこれに対する反論として十分です。さらにいえば、発信者情報開示請求権を行使して民事的な解決を図ろうという場合には、「数多くの関係者からの事情聴取、様々な電子データの解析等を通じて被疑者の特定」を行うことは不可能なのですから、なおさら「インターネットカフェ経由の犯罪だって検挙された例がある」ということには何の意味もないことがわかります。

匿名の居場所は注意深く設計される必要がある

 Jaron Lanierの「Jaron's World: Sex, Drugs, and the Internet──Does anonymity breed nastiness in the online world?」というエントリーが話題になっています。

 なかでも

Anonymity certainly has a place, but that place needs to be designed carefully.
(匿名には、確かに、しかるべき居場所がある。しかし、その場所は注意深く設計される必要がある。
という言葉は、含蓄のある言葉です。
anonymous groups of people should be given only specific questions to answer, questions no more complicated than voting yes or no or setting a price for a product. To have a substantial exchange, you need to be fully present. That is why facing one’s accuser is a fundamental right of the accused.
という言葉がこれに続きます。

 匿名による情報発信が許される場所を提供する場合は、注意深く設計されなければならない。それは、O'reillyが先頃発表した「Blogger's Code of Conduct」の草案の

We take responsibility for our own words and for the comments we allow on our blog.
とも共通する発想でしょう。O'reillyは、さらに
it seems to me that we need to eschew the idea that we bear no responsibility for the tone that we allow on our site. A site owner does have the ability to delete inappropriate comments, to ban IP addresses, and to impose moderation systems or shut down comments entirely if the greifers get out of hand.
としています。「他人が投稿したコメントにまで責任がとれるか」と居直って済ますのではなく、ブログのオーナーもやれることはやれといっているわけです。もちろん、商用ブログサービスを利用する場合もまた、匿名性ができる限り悪用されないように、システム設計を考えなければならないということです。日本のCGM事業者はとかく匿名性の悪用を黙認する方向でサービスを提供してきたわけですが、それは「責任の放棄」というべきだということになるのだと思います。

14/04/2007

「Yuki」は女性名?

 ネット上ではしばしば「反日」というレッテルを他人に貼る人をよく見かけます。ただ、その基準はよくわかりません。

 コメント欄で「アネさんの情報収集力、分析力は群を抜いて素晴らしいです。」と絶賛されている 「憂国のシャングリラ2」の「【謎の慰安婦本】著者・田中ユキの正体は親北研究員」というエントリーをみると、【田中利幸は定番の反日研究者】という中見出しの下に、

田中利幸の活動は『朝日新聞』でも取り上げられている。原爆投下の犯罪性を問う“国際民衆法廷”の設置を画策しているとのニュースだった。

参照:「国際民衆法廷」研究者ら実行委発足へ

www.k3.dion.ne.jp/~a-bomb/news.htm

“民衆法廷”とはバウネットのお株ではないか…実際に田中利幸の講演内容を見ると、かなり香ばしい反日脳の持ち主であることが分かる。

参照:国際シンポ「ジェンダーと国民国家」

www.medical-tribune.co.jp/ss/2004-8/ss0408-1.htm

との記載があります。

 しかし、原爆投下については日本は「被害者」側ですから「原爆投下の犯罪性を問う」のは、一般的にいえば、愛国心に基づくということはあっても、その逆ということは考えにくいでしょう(そのどちらでもなく、汎国家的な人道主義に基づくということはあるかもしれませんが。)。

 また、「ジェンダーと国民国家」のシンポでの講演内容の要旨を見ると、日本軍の中国等における戦時売春システム及びGHQ占領下での専用娼提供システムについての説明をした後に

歴史家がその責任を果たすためには,慰安婦の受けた厳しい試練を正確に記録し,体系的に分析することが必要だ。軍隊による性的搾取を可能にした社会や政治の構造・価値観は何か。その比較研究が大切である

と述べているのであり、特に、実体以上に日本政府(旧日本軍を含む。)の活動を低く評価しようとするものではありません。ひょっとして、日本政府の活動を批判的に検証することをもって「反日」といってるのかとも思いましたが、自社連立政権時代の日本政府の活動を批判的に検証する人々はどうも「反日」とは呼ばれていないようですので、批判的に検証すると「反日」とされる「日本政府の活動」とそうでない活動というのが、彼らの頭の中にはあるのでしょうね。

 この程度のことから「田中利幸の手による『日本の慰安婦』は、研究書と言うよりも謀略書である。」と言い切ってしまうのは、いくら何でも言い過ぎではないかなあと思ってしまいます。

 なお、このエントリーには、

【女性名で米国人をダマす幼稚な詐欺】

「ユキ」という日本女性の名前は一般的で、外国人でもそれが女性名と分かる者も多いだろう。著者がマーガレットやキャサリンであれば「女性だな」と考えるのと同じだ。

推測だが、田中利幸は敢えて著者として女性名を使った…

とあるのですが、名前が「○○ゆき」(○○にはいろいろな文字が入ります。)という日本人男性が、英語圏向けに、「Yuki」というニックネームを名乗ることというのはよくあることです(通常「ユキ」ではなく「ユーキ」と発音します。)。まあ、それ以前に、「ユーキ」と発音する名前を持っている日本人男性も多い(例えば、「斎藤祐樹」等)のだから、「Yuki」=女性名として陰謀論を繰り広げるのはいかがなものかなあと思ったりはします。

「研究者には引用されない本だ」

 池田信夫さんは、「冷戦的ステレオタイプ」というエントリーにおいて、

もうひとつの根拠である"Japan's Comfort Women"も、田中利幸という共産党系の研究者が支援団体の証言集を英訳した2次資料で、研究者には引用されない本だ。
と仰っています。

 「共産党系の研究者」によるものであることを強調してその資料価値を貶めるのは、右派勢力には受けがいいかもしれませんが、およそ研究者が採るべき態度だとも思われません。慰安婦にされた方々が、どのようにしてそういう状況に至ったのかについては、慰安婦の方々の聴取り調査の結果こそが第一級の資料なのであって、それを英訳したものが(日本語が堪能ではないであろう米国議会付きの調査員にとって)第一級の資料の1つであることは疑うべくもありません。

 それに、Amazon.comのを見る限りにおいては、むしろ評判がよい書籍のようです。池田さんは何を根拠に「研究者には引用されない本だ」と仰られているのかわからないのですが(もう購入されて読まれたのでしょうか?)、Google Scholarで調べてみると、研究者に引用されていないわけではないようです。

 池田さんに

さらに悪いことに日本にも、この田中利幸氏のように、欧米のステレオタイプに迎合して英文で「業績」を出す人々がいる
とまでいわれてしまっている田中さんの本ですが、
This is not just about 'Japan'; it is about Japan and the US and Australia and Italy and the systematic sexual ravaging that is part of how states conduct war.
–Mary Katzenstein, Professor of Government, Cornell University
と評されているところを見ると、そんな安直な本でもなさそうな気がします。

 都合の悪いことが書かれている文献の資料価値をこのような稀薄な根拠で貶めてみても、国内で管を巻く役にしか立たないように思えてなりません。

12/04/2007

民法772条

 朝日新聞の報道によれば、

 「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」と推定する民法772条の規定を議員立法で見直そうとする与党プロジェクトチーム(PT)の動きに対し、長勢法相は6日の閣議後会見で「性道徳や貞操義務についても考えないとならない」と述べた。法務省は同日に一部見直しをする民事局長通達案を正式発表。同省側は「通達を出せば立法は必要ない」と対決姿勢を強めている。

 民事局長通達案は「離婚後に懐胎したことが証明できた場合」に限って「現夫の子」と認める案。

とのことです。

 ネット上では、右派が現実主義的であるかのごとく主張する人々の声が大きいようですが、この例を取っても、むしろ右派の方が理想主義的というか非現実的であるように思います。

 だって、夫との婚姻関係が実質的に破綻した後正式離婚が成立する前に別の男性との間に子供ができることって、「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」と推定する民法772条の規定があろうとなかろうと、少なからずあるわけです(実際、民法772条の規定がある現在において、そういう事態が発生しているからこそ、法改正の必要が叫ばれているのです。)。そうである以上、立法者は、そういうふうにして生まれてくる子供がいることを前提に考えなければいけないわけです。もちろん、「親子関係の本質はDNAの継承ではなく、法的に承認された『家』の継承である」と考えて、妊娠時点での母親の婚姻関係を重視するという見解もあり得ないわけではありませんが、長勢法相の反対論はそうではありません。「婚姻関係が破綻をしていても、正式に離婚が成立するまでは、妻は貞操を守るべき」という古くさくかつ片務的な道徳観を国民に押し付けることに熱心なだけです。そこでは、「どちらの男を父親とするのが子供にとって良いことなのか」という観点は一切見られません。

11/04/2007

インターネット上ではなぜ「ナショナリスト」が元気なのか。

 池田信夫さんが「なぜインターネットはナショナリズムを強化するのか」というエントリーを立ち上げています。

 答えは簡単で、「『ナショナリズム』という枠組みは、上から目線で他人を罵るのに便利だから」という程度の話です。なにしろ、「自分に反対する奴は、反日売国奴又は工作員」ということにしておけばいいわけです。また、個としての自分を高く評価させることは難しいため、「日本国籍を有する男児である自分」を高く評価するという「ナショナリズム」的な文脈の中で、「日本国籍を有する男児」ではない何か、あるいは、「日本国籍を有する男児」にシンパシーを抱く何かに対して、上から目線で攻撃する。これが、日本のインターネット上のナショナリズムの実体です。ネットによって公衆に向けて発言する機会を得たが、「個としての自分」を前面に押し出すとなめられてしまうので、「国」ないし「民族」というものに自分を同化させることが選択された。そういうことです。

 所詮はその程度のものなので、彼らは客観的に「お国のため」に役に立つことなどはしないわけです。周辺諸国や国内マイノリティを罵ったり、自国の前王朝を褒め称えて見たところで、何の役にも立たないわけですが、それでもネット上ではいっぱしの国士気取りなのです。彼らが軽蔑してやまない「左翼」の人たちというのは、実は現実社会に想起した諸問題をよい方向に解決していく上で重要な役割を演じてきたわけですが(例えば、公害問題や消費者問題などは、『左翼』陣営の情熱があったればこそ、ここまで何とかなったという面が否定できません。)というのは、そのような「人々の生活に実際に役に立つこと」に関しては、ネット上のナショナリストたちはそもそも関心がないわけです。

都知事選07についての考察

 都知事選は石原都知事の3選という形で終わりました。

 この結果は、民主党が浅野さんを支援するという形しかとれなかった段階で予想できたといえます。

 しかし、この都知事選の結果を「都民の右傾化」とか「左翼の退潮」とかに結びつけるのは間違っているように思います。何しろ、石原都知事自体は、前回の選挙と比べて得票数、得票率とも減らしているわけですから。

 おそらく民主党は何か勘違いをしていると思うのですが、東京で生まれ育った人は、東京的なものに対する愛着が強い(「日本的なもの」ではなく、あくまで「東京的なもの」です。)ので、東京的な要素の弱い人が選挙に出ると大きなハンディを負うことになります(何しろ、美濃部亮吉、青島幸夫の2都知事が東京出身ですし、鈴木俊一氏も府立二中出身です。)が、そのハンディを乗り越えるほどには民主党は東京で絶対的な人気があるわけではありません(自民・公明の組織票があっても、秋田的な明石さんはそのハンディを乗り越えられなかったわけですし。)。

 しかし、民主党はなぜか、東京において、自民党側の候補者よりも東京的でない候補者を送り出しては敗れ去るという間違いを繰り返します。私が生まれ育ち今も住んでいる葛飾区は、福島的要素の強い平沢勝栄さんが小選挙区で選出されているわけですが、その平沢さんに対して、いかにも島根的な錦織淳さんをぶつけても、なかなか勝つことは難しいのです(それでいて、私の高校の同級生なんかを、何の縁もゆかりもない愛媛で立候補させるのだから、戦略的に見てむちゃくちゃです。)。

 同じように、神奈川的な石原さんに対し、宮城的な浅野さんが東京で戦っても大きなハンディを負うことは目に見えています。実際、思わずプレスリーを踊ってしまうセンスは、東京的な有権者を醒めさせるのに十分でしょう。そういう選挙民の機微を理解しない選挙戦略を続けている限り、民主党はなかなか自民党に打ち勝つことはできないような気がします。

 では、菅直人さんが立候補していたら石原さんと互角に戦えたかというと、やはり難しかったような気がします。菅さんは、東京の人というより、多摩の人という感じがするからです。で、多摩の人は鈴木さんでこりごりというのが城東地区で生まれ育った私の感覚です。

 では、民主党としてはどうすべきだったのかというと、東京的な吉永小百合さんの擁立に失敗した以上、東京的な吉田万三さんに相乗りすべきだったのだろうと思います。どうしても独自候補にこだわるのでしたら、菅さんよりは、東京的な蓮舫さんの方がまだ可能性があったように思います。

10/04/2007

夏休みの宿題

 毎日新聞によれば、

 大学によると、准教授は昨年6月、ゼミ生に夏季の宿題として高度な課題を課し、女子学生は一部を提出していなかった。准教授は12月、未提出の3人に「提出しなければ留年」などとメールを送信。期限の1月15日夕、未提出の2人のうち女子学生だけに催促のメールを送った。女子学生は「留年すると分かっています。人生もやめます」と返信。同夜、同県みどり市の渡良瀬川に投身自殺した。

 大学の調査委員会はゼミ生や他の教員からの事情聴取で、宿題が2年生としては難解で留年通告が女子学生を自殺に追いやったと結論付けた。

とのことです。

 「2年生としては難解」とされる宿題がいかなるものであったのかわからないのですが、未提出が3人だけだとすると、「3人以外は提出できている程度の課題を課してもいけないのか」ということになってしまいそうです。今後高崎経済大学としては、(1) 夏休みに宿題は出さないか、出したとしてもその学年であれば誰でも答えられるものに留める、(2) 夏休みの宿題を結局提出しなくても単位を付与する、(3) 未提出の宿題を出すように催促などせず、黙って単位を落とす、(4) 特定の科目を落としてもとりあえず4年生にはなれるようにして「留年」という概念をなくす、のどれかを徹底することが必要となりそうです(早大法学部は(4)ですが。)。

 この準教授を懲戒するとすれば、「他の学生に度を越したセクハラ発言などの暴言があった」という部分ではないかという気がします。「催促のメール」の具体的な言い回しによっては、その点が問題視される余地はあるのでしょうが。

09/04/2007

欧米では**だ

 池田信夫さんの「左翼の最後の砦」というエントリーに、

「日本は遅れている」「欧米では**だ」というのが、戦後の左翼(および近代主義者)のマントラだった。そういう「他民族中心主義」の幻想は、あらかた崩れてしまったが、いまだに残っている最後の砦が歴史認識と地球環境だ。
との記載があります。

 もちろん、左翼ないしリベラルな方々は、少なくとも主観的には「より素晴らしい社会を実現したい」という心情がありますから、現在の日本よりも素晴らしい社会モデルが欧米にあれば「日本は遅れている」「欧米では**だ」という言い方をすることはあると思います(例えば、「アメリカでは、Bob Dylanの楽曲もJames Bluntの楽曲もiTunes Storeでダウンロードすることができるのに、日本ではできない。」とか。)。ただ、それを「他民族中心主義」と捉えるのは間違っているように思います。むしろ、欧米等で実現している、我々をより幸せにしてくれそうな社会システムを日本にも導入してほしいと思うからこそそういう言い方をするわけですから、それは、まさに「自分たちのコミュニティ中心主義」の表れであるというべきでしょう。

 「日本は遅れている」「欧米では**だ」というのは、最近はむしろ右派において目立つような気がします。「欧米では、何度も憲法改正が行われているのに、日本は遅れている」とか「欧米では、直間比率が逆転しているのに、日本は遅れている」云々という話は、むしろ右サイドから聞かされた話です。

 しいて違いがあるとすれば、右派勢力が「欧米では**だ」という言い方をするときは、現在の日本よりも普通の人々の幸せを妨げるような社会システムを実現しようとする際にしばしば活用されるということでしょうか。

 いやまあ、確かに欧米では戦後に何度も憲法の改正がなされていることは事実なのですが、自民党の改正私案に見られるような、基本的人権の制約を広範囲に認める方向での改正はほとんど行われていないし、まして旧世代の道徳律を憲法に盛り込んで新世代に押し付けるような方向での改正は行われていないと思うのですが。

05/04/2007

より多くの人がより不幸な社会を高く評価する人が愛国者気取りであることの不思議さ

 日本の近現代史のうち、経済の発展及び自由の確立により多くの国民をより幸せにすることに成功した時期をネガティブに評価し、戦争の惨禍により多くの国民を相当の不幸に追い込んだ時期をポジティブに評価する人々がお互いを愛国者と位置づけ、前者をポジティブに評価し後者をネガティブに評価する人々は「反日」云々と罵られる理由というのは、私には、理解不能だったりします。

 戦前の日本は素晴らしく、戦後民主主義により日本はダメになったとお嘆きの皆様は、農村部では生きていくために娘を身売りしなければならないような社会が続いてくれた方が良かったと思いなのでしょうか。

03/04/2007

ノイズを除去しないCGM

 Consumer Generated Media(CGM)が既存のメディアに匹敵するものとなるためには、できる限りノイズを除去することが必要となります。何の手がかりもなしに「嘘を嘘と見抜」くことを要求されるメディアや、「100の発言のうち1つ真実があればよい」程度のメディアなんて、「嘘を嘘と見抜く」必要がない、赤の他人のゴシップ論議くらいしか使い道がないからです。

 しかし、日本では、多くの事業者が、目先のアクセス数、投稿数にこだわって、ノイズを除去することに躊躇しがちです。すると、「悪貨は良貨を駆逐する」現象が起こります。質の高い情報を投稿できる人の多くは、満面の悪意で罵倒を繰り返されることに耐えられないし、その執拗な悪意に一々対抗するだけの時間もないし、そもそもCGMにこだわらなくともその見解・知見を(しばしば対価を伴って)発表する場があるからです。その結果、日本のCGMは、「確度の高い情報を効率的に入手する」ツールとしては機能しなくなってしまいました。

 実際、最近のGoogleの検索効率の悪さには腹が立ちますし(お仕事の関係で特定の人や企業についての情報を検索する場合、匿名ブログや匿名掲示板での真偽不明のネガティブ情報の優先度は低いのです。)、アマゾンの書評にしても、☆印が何の参考にもなりません(著者を個人攻撃したいがために、ことさら低い☆を付けて投稿し、☆の数を少なくしたりしますし)。また、分野によるのかも知れませんが、少なくとも法律関係では、誰もが参加可能な匿名電子掲示板というのは、既存メディアで引用されうる程度のレベルを維持した議論が行われる場ではなくなっています。

 「既存メディアがネットに脅かされている」といっても、既存メディアを脅かしているのはプロが作成したコンテンツを掲載しているサイト(例えば、ITMedia等があれば、汎用パソコン雑誌を買う必要性は薄れていきます。)やプロが作成したコンテンツを転載しているサイトであって、2ちゃんねるに代表される日本型CGMは全然既存メディアを脅かす存在にはなっていません。

01/04/2007

むしろ、冒涜では?

 3月30日付の産経抄に次のような記載があります。

奴隷を商品として扱うのは古代社会にもあったし、戦前の日本では貧農の娘が売られた。いまから思えば言語道断、けしからん行為だが、当時の売春は合法だった。どちらにしても、過去の歴史を現在の基準で免罪や断罪したりするのは誤りだ。

 ネット右翼さんあたりの言説としてはありふれている感がありますが、仮にも全国紙のコラムの文章としてはいかがなものかという気がします。「売春が合法である」からといって、「売春させる目的で女性を売買すること」が合法であるとは必ずしもいえないのであり、まして断罪が許されないほど倫理的であるとはいえません(オランダ等売春が一部合法化されている国は現在でもありますが、それらの国で「貧農の娘が売られた」場合にこれを断罪するのが誤りとされるわけではありません。)。

 実際、戦前の日本でも、「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買取締二關スル國際協定」「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買禁止二關スル國際條約」「婦人及児童ノ賣買禁止二關スル國際條約」等を批准することにより、売春をさせる目的で女性を人身売買することは「断罪させるべきもの」として理解されていたわけです。

 従軍慰安婦問題で旧日本軍の行為を正当化したいあまり、1930年代後半から1940年代前半の日本において、売春させることを目的とする人身売買が通常の商行為として認められていたかのように主張される方もおられるようですが、その段階でもその程度の人権感覚ないし倫理価値しか持ち合わせていなかったかのように彼らが主張することは、当時の日本の倫理基準に対する冒涜にむしろなってしまうような気がします。

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