「研究者には引用されない本だ」
池田信夫さんは、「冷戦的ステレオタイプ」というエントリーにおいて、
もうひとつの根拠である"Japan's Comfort Women"も、田中利幸という共産党系の研究者が支援団体の証言集を英訳した2次資料で、研究者には引用されない本だ。と仰っています。
「共産党系の研究者」によるものであることを強調してその資料価値を貶めるのは、右派勢力には受けがいいかもしれませんが、およそ研究者が採るべき態度だとも思われません。慰安婦にされた方々が、どのようにしてそういう状況に至ったのかについては、慰安婦の方々の聴取り調査の結果こそが第一級の資料なのであって、それを英訳したものが(日本語が堪能ではないであろう米国議会付きの調査員にとって)第一級の資料の1つであることは疑うべくもありません。
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Voici les sites qui parlent de: 「研究者には引用されない本だ」:
» [戦争犯罪][文献紹介]「米軍はなぜ「慰安婦」を無視したのか」 [Apes! Not Monkeys! はてな別館]
何度か吉田裕からの孫引きというかたちで言及した田中利幸の「米軍はなぜ「慰安婦」を無視したのか [上][下]」(『世界』、1996年10月号、11月号)。著者は『知られざる戦争犯罪 日本軍はオーストラリア人に何をしたか』を書いた現代日本政治史家。 この論文は1)第二... [Lire la suite]
> 「共産党系」云々という非本質的な理由で資料価値を否定してしまう論法
もちろん、私は、この姿勢も支持していません。
慰安婦問題については、論点は "by government" であるかどうかと考えています。
Rédigé par: mohno | 16/04/2007 12:34
自分に都合の悪い資料は「共産党系」云々という非本質的な理由で資料価値を否定してしまう論法というのは、「事実」の有無を判断する姿勢ではないように思いますね。
「強制」があったことを裏付ける資料は「ステレオタイプに迎合するもの」であって資料価値がないことにしてしまえば、そりゃ、「裏付ける資料はない」ことに主観的にはなります。ただ、そんな議論をいくら英訳しても、およそ斟酌されないと思いますけど。
Rédigé par: 小倉秀夫 | 16/04/2007 11:32
※本文中、「Editorial Review」前に「>(半角)」が抜けています。
「結論ありき」で都合のよい材料をもちあげ、都合の悪い材料を見下すというのは、裁判でも同じでしょう。判断すべき対象は“事実”であり、社会的評価を気にして変えるものではないというのが私見です。
Rédigé par: mohno | 16/04/2007 09:59