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11/04/2007

インターネット上ではなぜ「ナショナリスト」が元気なのか。

 池田信夫さんが「なぜインターネットはナショナリズムを強化するのか」というエントリーを立ち上げています。

 答えは簡単で、「『ナショナリズム』という枠組みは、上から目線で他人を罵るのに便利だから」という程度の話です。なにしろ、「自分に反対する奴は、反日売国奴又は工作員」ということにしておけばいいわけです。また、個としての自分を高く評価させることは難しいため、「日本国籍を有する男児である自分」を高く評価するという「ナショナリズム」的な文脈の中で、「日本国籍を有する男児」ではない何か、あるいは、「日本国籍を有する男児」にシンパシーを抱く何かに対して、上から目線で攻撃する。これが、日本のインターネット上のナショナリズムの実体です。ネットによって公衆に向けて発言する機会を得たが、「個としての自分」を前面に押し出すとなめられてしまうので、「国」ないし「民族」というものに自分を同化させることが選択された。そういうことです。

 所詮はその程度のものなので、彼らは客観的に「お国のため」に役に立つことなどはしないわけです。周辺諸国や国内マイノリティを罵ったり、自国の前王朝を褒め称えて見たところで、何の役にも立たないわけですが、それでもネット上ではいっぱしの国士気取りなのです。彼らが軽蔑してやまない「左翼」の人たちというのは、実は現実社会に想起した諸問題をよい方向に解決していく上で重要な役割を演じてきたわけですが(例えば、公害問題や消費者問題などは、『左翼』陣営の情熱があったればこそ、ここまで何とかなったという面が否定できません。)というのは、そのような「人々の生活に実際に役に立つこと」に関しては、ネット上のナショナリストたちはそもそも関心がないわけです。

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Commentaires

それはしかし、「M資金があるという証拠はどこにもない」という代わりに「M資金などない」と表現しているということではないでしょうか。
また原爆の例で挙げたとおり、“被害者の印象”から、決議案に書かれている "by goverment" が肯定されることには疑問を感じます。

 「ここボク」の主人公は、再現ビデオを作成するなどして積極的に無罪立証を行っていますし(未見ですが)、それ以前に痴漢被疑事件の場合は、被疑者・被告人自身の供述も又、(自称)被害者の供述・証言と同価値の「聞取り調査」の対象です。だから、被疑者・被告人がどうとうと「私はやっていません」と言っても不思議ではありません。
 これに対し、「強制連行はなかった」といっている人達は、慰安婦の募集過程を実際に統括していたり分担していたりした人ではないのです。だから、証拠もないのに「強制連行はなかった」と言い切ってしまうのはおかしいのです。

『それボク』の主人公も「やってない証拠」を見せられなかったのですよね?
↑未見ですが。
広島や長崎で聞き取り調査をして「アメリカは大量破壊兵器により非人道的な大量殺戮を行った」という結果が得られても、それが対象者の実感としては正しいものであったとしても、「アメリカは非人道的な大量殺戮者だった」という史実は残らないでしょう。

振り出しに戻りますが、別に河野談話やResolution121が間違っているという証拠もないのです。あれを批判している人は、あそこに書かれていない事実を攻撃しているだけですから。あるいは、現代史の調査方法としては特に希有ではない「聞き取り調査」の手法に対して、「反対尋問を経ていないから証拠価値がない」云々という無理難題をふっかけていたりとか。

> 受け入れられる可能性の高低
> 評判の下落の大小

だからって“事実”を曲げるべきではないでしょう(前にも書きましたが)。これを言い出すと“振り出し”(=『それボク』)に戻ってしまうのですが。
小倉さんのおっしゃるとおり、それが「細かい部分」であるなら、たとえば決議案から私が“事実を超えた想像を招きかねない”と指摘した「細かい部分」を取り払って(あるいは“事実”に即して書き直して)もよいのではないでしょうか。しかし、それをホンダ氏らが受け入れるかどうかは大いに疑問です。再び例え話で恐縮ですが、「中には不幸な状況があった」のと「不幸な状況を政府が指示した」かどうかは、「パラグアイで誘拐があった」のと「北朝鮮が誘拐を指示した」というくらいの違いがあります。というより、そのレベルであれば広義の謝罪が表明されているので、何をいまさらという話になるでしょう。だから、それは全然「細かい話」だとは認識していないわけです。

 ネット上で元気なナショナリズムというのは、「国単位での利己心」なんてご立派なものではなく、個人単位の自己愛の延長でしかありません。自己愛の延長にすぎないから、それが受け入れられる可能性の高低や、その主張をし続けることによる評判の下落の大小等を考慮しないし、自分が気に入らないもの(朝日新聞や中国政府)による謀略論等に落ち込むことができるのです。

私のブログでよく書いていますが、私はそもそも利己を否定しません(補足すると、他人に「利他的であれ」というのが大嫌い)。愛国心というのは国単位で考えれば利己心であるのは間違いないわけですが、それをもって否定すべきものとは考えません。たとえば、慰安婦問題に関する小倉さんの指摘も「強い反論は結果として国の利益にならない」という意味で“国の利益”を考えた主張なのではないのでしょうか。

左右の定義についてはほぼ同感で(なので辞書解釈と断りました)、同じように右翼=国粋主義者のような決め付けはいかがなものかなあと思います。個人の感覚でいうなら左翼という“言葉”は、イコール“反対野党”のような印象があり、諸問題の解決に重要な役割を果たしたという実感はないですね。意義ある市民活動がある、という話は別にして。

 愛国者の中には、愛国心から自ら利他的な行動をとる人もいるとは思いますが、昨今ネットで元気な「ナショナリスト」はそうではありません。インターネットで強化されたのは、利他心の一種としてのペイトリオティズムではなく、自己愛の延長線上にある「ナショナリズム」だという話です。

 なお、右か左かの振り分けを、共産主義(社会主義)か資本主義かで分ける枠組みは今時流行っていないように思います。実際、右よりの人が他人を「左翼」とカテゴライズする場合その人が共産主義者か否かを検証しているわけではないのに、その見解が採りに足らないことを印象づけるために、マルクス主義を批判したり、旧ソ連が既に崩壊したことを持ち出したりするのはいかがなものかなあと常々思ったりします。

いくらなんでも、これは極論が過ぎると思います。ナショナリズム(国家主義)や自由主義は1か0で選択するものではないと思いますが、少なくともナショナリズム=役立たずという決め付けには反対です。世界的にナショナリズムが時代遅れだというわけでもないでしょう。そもそも、左翼=社会主義(共産主義)という辞書解釈からすれば、民主主義を目指す日本共産党も含め日本は総右翼ですしね。護憲を訴えるサヨクの人は、憲法第一条を御存じなのかどうか:-p
もっとも池田氏のエントリは、こんなエントリもあるので、どうかなーとは思いますが。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a3cfc4d2849586c8001e759e144fcd87

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