ノイズを除去しないCGM
Consumer Generated Media(CGM)が既存のメディアに匹敵するものとなるためには、できる限りノイズを除去することが必要となります。何の手がかりもなしに「嘘を嘘と見抜」くことを要求されるメディアや、「100の発言のうち1つ真実があればよい」程度のメディアなんて、「嘘を嘘と見抜く」必要がない、赤の他人のゴシップ論議くらいしか使い道がないからです。
しかし、日本では、多くの事業者が、目先のアクセス数、投稿数にこだわって、ノイズを除去することに躊躇しがちです。すると、「悪貨は良貨を駆逐する」現象が起こります。質の高い情報を投稿できる人の多くは、満面の悪意で罵倒を繰り返されることに耐えられないし、その執拗な悪意に一々対抗するだけの時間もないし、そもそもCGMにこだわらなくともその見解・知見を(しばしば対価を伴って)発表する場があるからです。その結果、日本のCGMは、「確度の高い情報を効率的に入手する」ツールとしては機能しなくなってしまいました。
実際、最近のGoogleの検索効率の悪さには腹が立ちますし(お仕事の関係で特定の人や企業についての情報を検索する場合、匿名ブログや匿名掲示板での真偽不明のネガティブ情報の優先度は低いのです。)、アマゾンの書評にしても、☆印が何の参考にもなりません(著者を個人攻撃したいがために、ことさら低い☆を付けて投稿し、☆の数を少なくしたりしますし)。また、分野によるのかも知れませんが、少なくとも法律関係では、誰もが参加可能な匿名電子掲示板というのは、既存メディアで引用されうる程度のレベルを維持した議論が行われる場ではなくなっています。
「既存メディアがネットに脅かされている」といっても、既存メディアを脅かしているのはプロが作成したコンテンツを掲載しているサイト(例えば、ITMedia等があれば、汎用パソコン雑誌を買う必要性は薄れていきます。)やプロが作成したコンテンツを転載しているサイトであって、2ちゃんねるに代表される日本型CGMは全然既存メディアを脅かす存在にはなっていません。
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おおむね同意します。先日も出版関係者と「相手が紙だろうと、ネットだろうと、ライターにスキルが求められることに変わりはない」という話をしたばかりです。ただ、素人でもそこそこのモノを作れるという錯覚が既存のプロの評価の正当性をゆがめている可能性を思うと(悪貨が良貨を駆逐という状態)、CGM がプロの存在を脅かしている可能性を完全には否定できないように思います。
ちなみに、かつての『BASIC マガジン』や『欽ドン』も CGM みたいなものだったと言えそうですが、そこには“編者の目”がありましたね。また、ICPFシンポジウムで佐々木さんが紹介されていましたが、『電車男』の書籍化を成功させたのも、著者となっている中野さんという方が、何10万というノイズだらけの投稿の中から、ほんの何百かのエッセンスを拾い出した成果によるものだということでした。
このような「ノイズ除去装置」(装置と呼んでごめんなさいね ← ボカッ)がなければ、意味あるエントリがあってもノイズに駆逐されて終わってしまうでしょうね。
Rédigé par: mohno | 03/04/2007 13:32