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juin 2007

27/06/2007

私的制裁を誘発するプライバシー情報の公開

 「当て逃げ動画」ネット公開で波紋 車所有者は会社クビの件で昨日日本テレビから電話取材を受けました(私は、日本テレビから訴えられた企業の訴訟代理人なのですが、相変わらずそういうことは無視されます。)。この日は夕方から都市計画審議会に委員として出席しなければいけなかったのでカメラ取材には応じられなかったため、私の意見が使われたかどうかはわからないのですが、おおむね次のような回答をしました。

  1.  自動車の所有者がわかっているのであれば、その所有者に対して民事訴訟を提起すればよいことである。実際に誰が運転をしていたのかが重要であるならば、訴訟手続きの中で求釈明をしたり本人尋問をしたりという方法をとることが可能である。したがって、この所有者に関するプライバシー情報をネット上に晒すことの正当性はない。
  2.  現在のネット環境では、このような映像をネットにアップロードを加えれば、この所有者に対して私的制裁が加えられることが予測可能である。したがって、このような画像をアップロードする行為自体が不法行為を構成する可能性がある。

 なお、この件で、この自動車所有者やその勤め先6月12日朝から「犯人を出せ」「隠蔽(いんぺい)工作をしたのか」といった電話を殺到させたり、その取引先にまで抗議の電話を行い、「会社の画像を2ちゃんねるに出すつもり」で会社周辺をカメラを手にうろついた方々は、今後このような画像をアップロードする行為が不法行為となる蓋然性を高めたということができそうです。

24/06/2007

システム開発は慎重に

 年金の名寄せ問題というのは、そもそもはシステムが稚拙だったことが問題なのに、システム開発者の責任を問う声はメディアでは小さく、稚拙なシステムの下での作業を強いられた現場労働者を非難する声ばかりが大きく取り上げられるのは、マスメディアにいかなる意図が働いているのでしょうか(それとも、本当に彼らは何が問題なのかわかっていないのでしょうか?)?

 システムのコンピュータ化を受注した企業としては、発注先の従前の業務フローを十分に聴取した上で、発注者側の担当者と共同して要件定義等の作業を行っていくわけですが、その際、発注者側の担当者はどこにヒューマンエラーが発生しうるのかを十分には理解していない場合が多いので(人力システムだと、作業が遅い代わりに、多少のヒューマンエラーは吸収してしまうので、従前の人力システムのエキスパートが、コンピュータシステム化した場合に吸収しきれなくなるヒューマンエラーのポイントを自主的に過不足なく指摘することを望むのは無理があります。)、受注側の担当者が、想定されるヒューマンエラーを洗い出した上で、それをシステムで吸収するなり、業務フローの一部変更を進言するなりの措置を講ずるべきです。

 今回の問題でいえば、例えば、漢字で記載された氏名を仮名で入力する場合に、複数の入力者間でどのように「仮名」を統一的に入力させるか(あるいは、特定の人名についての仮名の充て方が入力担当者によってずれる場合に、このずれをいかにシステム的に吸収するか)という問題は、当時のマシンパワーの問題から人名を仮名で入力するという方針を採用した時点で、容易に想定できたことですから、システムの受注者としては、そのような問題があること並びにこれを解決するための手段を発注者の担当者に提示すべきだったと言えるでしょう。

 この問題を労組の問題にしている方々は、仮に社保庁の従業員は労組への加入が禁止され、女工哀史を彷彿させるような長時間休みなしの入力作業を無給でやらされていたら、人名にどのような仮名を充てて入力するかについて入力担当者の裁量に任されているシステム化において、入力担当者は違えどの同一人についてどの仮名を充てるのかという点に関し、一切の齟齬が生じなかったであろうと想像しているのでしょうか?

コメント欄におけるネガティブコメントの正当性の基準

 ブログのコメント欄におけるネガティブコメントが「正当な批判」でなくなるのはどういうときでしょうか。

 そのこととの関係で思い出すのは、私が司法修習生だったときに司法研修所の大講堂で聴いた平井宜雄先生の「良い法律論」についての講演です。要旨を一言で言ってしまうと、「反論可能性のある議論が良い議論だ」ということになります。逆にいうと、「反論可能性を与えない議論は悪い議論だ」ということになります。講演では、どのような法律論が反論可能性を欠く法律論なのかを具体論を交えて説明してくださった記憶があります。

 ブログのコメント欄におけるネガティブコメントが「正当な批判」の範囲にとどまっているかを考えるにあたっても、この「反論可能性」という考え方は参考になるような気がします。但し、「反論が可能か否か」を考えるにあたっては、論理的に反論が可能かだけではなく、物理的または心理的に反論が可能かということを考えないといけないし、さらにいうと物理面または心理面に関していえば反論の容易性の程度も斟酌しないといけないのかなという気がします。

 従って、前回のエントリーで取り上げた、名前欄に「異議あり」としか書き込めなかった匿名さんのコメントのように、ブログ主に非常に高い立証のハードルを課すことによって再反論を封じるようなコメントは「正当な批判」とは言えないということになります。

 また、社会人は限られた時間の中でブログを開設していますので、それに答えたり再反論をしたりするためには過度の時間や労力がかかるような質問や批判というのは正当な範囲を超えることになりがちです。ですから、短期間に沢山のネガティブコメントを特定のブログ主に投げつけるコメントスクラムは、その内容にかかわらず、批判としての正当性を失うことになります。

 また、同様にブログ主の時間には限りがありますから、沢山の質問や批判を投げつけられても、これらすべてに答えることは困難です。従って、ネガティブコメントの分量が多くなっていけばなるほど、批判としての正当性は薄れていきます。

 他方、礼儀正しさを欠く質問や批判に対して、まともに回答したり再反論したりという意欲を失うのは、人間の感情としては自然です。そういう意味では、「正当な批判」を行うためには、心理的な反論容易性を確保するという意味で、文体というのは重要です。従って、いかにもブログ主を馬鹿にしたような文体や、ブログ主に対する敵意剥き出しの文体だと、内容の如何を問わず、「正当な批判」の枠内にとどまらなくなる可能性が高いと言えます。同様に、ブログ主を本人が名乗っているとおりの名前で呼ばなかったり、あるいは、一見してふざけた捨てハンドルを名前欄に記入したりというのも、ブログ主からまともに反論する意欲を失わせますから、批判としては正当ではなくなる可能性が高まります。

 いろいろ言い出すときりがないのですが、抽象的にまとめていうと、「ブログ主の見解が間違っていた」という以外の理由でブログ主が質問に回答したり批判に答えたりということを回避してしまうような状況を作り出すネガティブコメントは、「正当な批判」とは言えなくなっていくということです。

23/06/2007

個別事件で死刑廃止論を訴えるのはリスクが大きすぎる

 「名前」欄に「異議あり」としか書き込めなかった気弱な方から、「懲戒申立てはリスクのある行為」というエントリーに対して、次のような質問をいただきました。

あなたに証明できますかね?弁護士軍団が、「死刑廃止論を裁判に持ち込んでない」とか「裁判を遅らせていない」って事をさ。100%証明できます??100%無理ですよねぇ。

 「100%証明」というのが何を示すのかわからないのですが、合理的に考えれば次のようなことが言えます。

 死刑廃止論をこの光市母子殺害事件に持ち込むのであれば、「死刑制度がある以上死刑を科すことを裁判所が回避できない」場合でなければなりません。なぜなら、法定刑に死刑が含まる罪を犯したと認定されなかった場合はもちろん、法定刑に死刑が含まれる罪を犯したと認定された場合であっても、被告人に汲むべき情状も多々あり死刑を科すのは必ずしも適切ではないということであれば、裁判所としては、死刑制度存続の是非にふれることなく、当該被告人につき死刑を科すことを回避すれば済む話だからです。

 従って、この事件を死刑廃止論に利用するのであれば、むしろ、強姦殺人および殺人がなされたことに間違いはなく、その情状にも汲むべき点は全くないことを強調しつつ、そのような被告人に対しても死刑を科すことは憲法違反であるという主張をしなければならないのです。従って、立証されれば法定刑に死刑が含まれる罪を犯したとは認定されなくなってしまう今回の弁護方針は、「死刑廃止論を裁判に持ち込む」という目的があったとすると、却って逆効果なのです。

 そして、今回の弁護団は、刑事弁護については、日本の弁護士の中でもトップクラスの人たちであって、上記のようなことが理解できないとは考えがたいです。従って、この弁護団は死刑廃止論を裁判に持ち込むために殺意を否認する主張を行っているのではない、ということがわかります。

 次に「裁判を遅らせていない」ということですが、差戻審では、いずれにせよ弁護人が一定の事実主張およびその立証を行うことが当然に予定されている(新たな事実主張ないしその立証が不要なのであれば、最高裁で破棄自判すればよいだけのことです。)ので、そこで「殺意」を否定する事実主張とその立証を行うことは「裁判を遅らせる」ことにはなりません。そして、高等裁判所は、弁護側からの事実取調べ請求は通常なかなか認めてくれませんから、「引き延ばし」目的で証拠の取調べを請求しても却下されてしまいます。したがって、「裁判を遅らせる」目的であれば、あの段階で殺意の否認に走るのが合理性を欠きます。

22/06/2007

国民感情に反する弁護活動をするなというのであれば

 弁護人は、少なくとも被告人の精神疾患に由来する妄想を除いては、接見の際に被告人が述べた事実と異なる事実を法廷で主張すべきではありません(被告人が妄想にとらわれている場合、弁護人は被告人の精神鑑定を求め、刑事訴訟手続きの停止を求めるべきであって、漫然と訴訟手続きを進めさせてはいけません。)。訴訟戦略上恭順路線で行った方がよいと考えても、そのために被告人の事実に関する主張を押さえ込むためには、被告人を説得して同意を取り付けた上で行うべきであって、弁護人の勝手な判断で被告人の事実に関する主張を押さえ込んではいけません。弁護人は、被害者またはその遺族もしくは国民一般の感情を慮って、被告人の意向に反する弁護活動を行うことは許されていません。そして、それは、およそ西側先進国では共通のルールです。

 現行制度下での弁護人の職責を全うしている弁護士について、被害者またはその遺族もしくは国民一般の感情を害したからといって、懲戒が認められる可能性はないと思います。

 それが不満だというのであれば、むしろ、刑事訴訟法を改正して、「弁護人は、被害者またはその遺族もしくは国民一般の感情を害するおそれのある事実主張を行うときは、被害者またはその遺族、もしくは国民一般の感情を代表する者として政令で定めるものの事前の同意を得ることを要する」との条項を一つ設けるべきでしょう。そして、「政令で定めるもの」として、「テレビのワイドショーにおいて継続的にコメンテーターを務める者」を入れれば、ワイドショーで叩かれている被告人を弁護人が弁護することは許されなくなりますし、「インターネット上の電子掲示板およびウェブログのコメント欄で毎日平均10個以上のコメントを投稿している者」を入れれば2ちゃんねらーも納得の刑事訴訟制度ができあがります。

 もちろん、そのような制度を作り上げれば、日本は世界の笑いものだし、おそらく国連からは是正勧告がなされるだろうし、「日本と同じ価値観を有する」として価値観外交ができる相手国は中国や北朝鮮等に限定されていくのではないかと思いますが、それでも構わないという国民が大多数を占めるのであれば、憲法だって改正されてしまうので、詮方ないことです。

 実際にそのような法改正がなされるまでは時間がかかるでしょうから、光市母子殺害事件での弁護人の活動が許せないという方々は、平時の段階で、「私は、被疑者または被告人となった場合であっても、被害者またはその遺族もしくは国民一般の感情を害するおそれのある弁護活動を拒否します」という意思を表明したカードを作って携帯しておくといいのではないでしょうか。

21/06/2007

ニュースの情報程度の情報しか知らない人が気軽に申し立てるものではない

 しっぽのブログのエントリーにこのような記述があります。

 そうなると、懲戒請求を出すことのできる人間というのは、ニュースの情報以上を知りえる人間か、法律に一般人よりも詳しい人間か、難しい法律情報を仕事の合間に学習するだけの余裕のある人間、ということになり、懲戒請求をする権利っていうのは弁護士とかのもので結局一般国民の権利としては無いに等しい・・・というわけかな。

 弁護士会の懲戒申立って、一見して明らかに理由がないものでも「スルー」することが制度上許されておらず、全ての申立てに対して綱紀委員会が審理をし決定を下さなければならないし、申し立てられた側は答弁書を作成して提出したり、綱紀委員会に呼ばれたら出頭して弁明したりしなければいけないので、弁護士会及び申し立てられた弁護士の双方に結構な負担がかかります(いつものネットイナゴのノリで懲戒申立をされると、綱紀委員会の人的リソースには非常に限りがありますので、本来懲戒されるべき弁護士の懲戒が先送りにされる可能性もあります。)。

 ですので、ニュースの情報程度の情報しか知らない人が気軽な気持ちで申し立てるのはやめて下さいというより他にありません。

必然的に生ずるミスのリカバリーを従業員に無給で行わせるの?

 木村剛さんが次のようなことを仰っています。

本当にお願いだから、社会保険庁の方々には、「何も新しいことをしなくて結構です」と言いたい。頼みから、派遣社員のコストを保険料から払わないでもらいたい。ビラの作成費用も保険料から出さないでもらいたい。万が一にも、そんなことはしないと信じているが、今回の対応のための残業代なんて絶対に払わないでもらいたい。

 つまり、木村さんは、社保庁に対し、労働基準法を無視した「サービス残業」を職員に強いるべきだといいたいようです。

 今回の問題は、入力を担当した末端労働者の質の問題というより、入力ミスをチェックするシステムを組み込まなかったシステム設計者側の問題だし(入力作業担当者がしっかりしていれば膨大な量の単純データの入力がミスなく入力されるというのは現実離れした仮定だし、人名に読み仮名を振る場合にこれを入力担当者の知識に委ねるというのは、漢字とよみが1対1対応していないこともあり、そもそも無理があるというべきでしょう)、そもそも、今後入力の見直し作業等にあたらされる労働者というのは、当時入力ミスをした労働者と同一ですらないのです。どうして彼らに無給労働を強いるという発想が出てくるのかわかりません。

 といいますか、この種の「一定割合でミスが発生する作業」を業務の一環として命ずる場合、「ミスをリカバリするのに必要な作業」まで業務の一環として給与支払いの対象とするのが普通の企業のあり方だと思うのですが、木村さんの会社は違うのでしょうか。

20/06/2007

懲戒申立てはリスクのある行為

 刑法172条は次のように定めています。

人に刑事又は懲戒の処分を受けさせる目的で、虚偽の告訴、告発その他の申告をした者は、三月以上十年以下の懲役に処する。

 ここでいう「懲戒の処分」には弁護士会の懲戒処分も含まれていると一般に解されています。すなわち、弁護士会に虚偽の懲戒申立をした場合には、虚偽告訴等として、三月以上十年以下の懲役を科されうるということになります。

 産経新聞社のizaによれば、「山口県光市の母子殺害事件で殺人罪などに問われた当時18歳の元少年(26)の弁護人に対する懲戒請求が、弁護人の所属する法律事務所や所属弁護士会にメールで多数送られていることが分か」ったとのことです。なんでも、「ネット上には、懲戒処分請求の理由として「弁護人らは意図的に裁判を遅らせている」「被害者感情に配慮すべきだ」「持論の死刑廃止論を特定の裁判に持ち込むべきではない」などと、弁護人らに批判的な書き込みが目立つ。」とのことですが、報じられているところから判断すると、上記事件の弁護人は「持論の死刑廃止論を特定の裁判に持ち込」んではいないようですし、「弁護人らは意図的に裁判を遅らせている」ことを示す証拠もなさそうです。ということは、これらの事由を根拠に懲戒申立てをすると、虚偽告訴等罪の客観的構成要件に該当することになりそうです。

 すると、あとは故意ありといえるかが問題となります。虚偽告訴等においては申告事実が虚偽であることにつき確定的故意があることを要するか、未必の故意でもよいのかについては、学説上は対立があります。但し、最判昭和28年1月23日刑集7巻1号23頁は未必の故意で足りるとしています。すると、申告事実が真実であるとの確信はないが「「死刑廃止運動を牽制(けんせい)する事実上の抑止効果になるのではないか」云々という理由で懲戒申立てを行うのは、結構危険です。

 まあ、虚偽告訴等罪で摘発されなかったとしても、

被告の本件懲戒請求は、理由のないものであることが明らかであり、しかも、被告の立場に立った通常人であれば、上記各主張が上記綱紀委員会等において採用され得ないものであることは容易に知り得たものということができ、それにもかかわらず、被告は、本件懲戒請求を行ったものであり、本件懲戒請求申立書の記載内容、表現等にも照らすと、本件懲戒請求は、弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くというベきであり、被告は、少なくとも過失による不法行為責任は免れないというべきである

として、懲戒申立人が100万円の支払いを命じられた裁判例(名古屋地判平成13年7月11日判タ1088号213頁)もあり、民事的なリスクがあることも否めません(こっちは、ご本人が懲戒可能性について主観的にどう思っていようと、「採用され得ないものであることは容易に知り得た」で責任が認められていることに注意して下さい。)。

 一般には、懲戒申立てが却下されても弁護士も面倒なので、刑事告訴や損害賠償請求訴訟の提起等はしないのですが、この件については、刑事弁護人の弁護活動に対する攻撃といった側面があるので、あえて司法的救済を求めてくるかも知れません。

現実社会では、恋愛感情等がなくとも、執拗な嫌がらせは規制可能である。

 ネットでの議論をみていると、現実社会での執拗な嫌がらせ行為に関する法秩序について、誤解があるような気がします。ストーカー防止法の適用を受けるためには、嫌がらせをする人がされる人等に関して恋愛感情等を有していることが求められますが、恋愛感情等がない嫌がらせについては被害者は何もできないというわけではありません。

 例えば、労働組合が会社の代表者等の自宅付近で連日「演説」を行った件に関して、大阪地判平成8年5月27日労働判例699号64頁は、

一 被告は、原告A、同B及び同Cに対し、その組合員又は第三者をして、右原告ら三名の自宅(大阪市平野区〈以下、略〉)の南側出入口の門から半径二〇〇メートル以内において、街頭宣伝車で押し掛け、スピーカーを使用して演説を行うなどして、右原告ら三名の平穏な生活を妨害したり、名誉を毀損したり、誹謗中傷する一切の行為をしてはならない。
という主文で、差止め命令を下しています。裁判所は、この会社経営者に対し、「スルー力」を要求しなかったのです。

19/06/2007

To be seen or not to be, that is a question.

 どなたかが、

別にネット上のコンテンツに限らずさまざまなコンテンツにおいて、人々、というかわれわれは普通にタグ付けやコメント記入をしているわけで、ひどいゲームのことを糞ゲーといってみたり、どうしようもないスポーツ選手や、政治家やらに向かって新聞読んだりテレビ見たりしながらぶつぶつ言うのは、まあ人の常だろう。はてブはそれを可視化しただけであって、はてブのせいでそれが発生したわけじゃないような気がするんだよなあ。
述べておられます。

 可視化されなければ問題とならないものが可視化されると問題となることがしばしばあることは、普通に社会生活を送っていれば分かりそうなものです。単にぶつぶつ言いたいのであれば、批判対象を含む不特定又は多数人の目に触れないようなところで言っていればよいだけのことです。はてなブックマークは、その「ぶつぶつ」を可視化させたわけだから、そのことによって生ずる悪影響を回避するために一定の経営資源を注ぐ責任がはてなには発生するはずです。はてながその責任を果たさなければ、はてなのお陰で、日本のブログが情報源としての価値をさらに失っていくだけのことです。

Balance-Toi

 ネットイナゴ問題の本質を捉えていない方から、ずいぶんと批判されているようです。

 この問題は、プラグマティックにいえば、如何にして優秀な書き手をブログ界に参入させ、または、引き留めるかという問題です。だから、コメント投稿者としての党派性を剥き出しにして、専門家系ブロガーの立場を十分に配慮しない立論をいくら行ってみても、結局彼らに逃げられてしまうだけで、詮方ない話になってしまいます。

 もちろん、そのような有益な情報をブログ等の公開領域に書く方が間違っているのだという意見もあることでしょう。しかし、Google等の検索エンジンを通じてデータベース化される領域に蓄積されるべきは、優秀な書き手による優れた考察なのか、匿名でなければとても恥ずかしくて公言できないネガティブな感情の吐露なのかといえば、私は前者なのではないかと思います。そういう意味では、むしろ匿名でなければ言えないようなコメントこそ、不特定多数人の目に触れないような閉鎖的な場所に押し込める方が、合理的です(この点において、特定のエントリーに対するネガティブ感情の吐露を当該エントリーの書き手を含む公衆の目に触れさせてしまう現行のはてなブックマークは、そのことによる書き手の更新意欲を減衰させることを回避する他の手段を持たないこととも相まって、言論環境に対する負荷が大きい、非常に不合理なシステムということが言えます。)。

 なお、「専門家系ブロガーの立場を十分に配慮する」ということは「専門家系ブロガーを批判するな」ということではありません。専門家系ブロガーは批判を受けること自体は慣れています。ただ、彼らも人間ですから、Civilityを欠く攻撃に大量に晒されると滅入ってきますし、下らない揚げ足取りのお相手に時間をとられるとブログ更新を継続する意欲を失っていきます。実際、専門家系や著名人系の実名ブロガーがコメント欄やブログ自体を閉鎖するきっかけとなった粘着君やイナゴさんたちのコメントというのは、大抵の場合、極めてCivilityを欠くものだったといえます。

18/06/2007

「英語圏のネット世界」とはかけ離れた場所の提供者からの苦言について

 梅田望夫さんがそのエントリーの中で次のように述べておられます。

  こんなことはグローバリゼーションという文脈で、多くの人がすでに語っていることだけれど、「英語圏のネット世界」は、それが本当にカジュアルに自然に具現化されようとしている世界だ。「日本人・イコール・日本語圏・イコール・ネット上の日本語圏」の世界にいるだけだと、こればっかりはなかなか実感できないかもしれない。頭でわかってもね。

 「次の十年」、いまの大学生が三十代に入る頃、さらに加速した変化が「仕事をめぐる世界」「職業をめぐる世界」に起きているだろう。いまは「そういう時代なんだ」ということを認識して「緊張感を持って生きる」ってどういうことかを考えてほしいな。

 しかし、はてなが提供する、匿名の陰に隠れてだらだらと人の悪口を述べるのに便利な各種サービスに漬かっていると、「英語圏のネット世界」での「グローバルな競争」からは最も遠いところにおいて行かれてしまうのではないかと思うのです。だいたい「自分には実名を明示するメリットはない」云々と嘯いて匿名性のぬるま湯に漬かったままで上から目線で他人を見下すエントリーやブックマークコメントを量産するだけの人生を送る人々のお陰で利潤を得ておきながら、今更「『緊張感を持って生きる』ってどういうことかを考えてほしいな」と言われたって、どうしてもある種の白々しさを感じてしまいます。

 「社会が悪いのは誰かのせいだみたいに考える人がいるみたいだけど、政府だって『こういう大変化』の前ではぜんぜん無力という面もあるよ」とのことだけど、しかし、「個」がいくらあがいたって組織を代えていかなければどうにもならないことはしばしばあるのであって、確かに漫然と「誰かのせいだ」みたいに考えるのは無意味かも知れないけど、具体的に問題点を改善することができる組織に問題点を改善するように要求することって、「個」がドンキホーテ的に歯を食いしばって頑張るよりよほど効果がある場合もしばしばあります(だからこそ、民主主義社会では、利害関係をある程度共通する者たちが徒党を組んで政治的に闘争するのです。)。

17/06/2007

ここのコメント欄の管理

 このブログのコメント欄ですが、以前、匿名のくせになりすまされた云々と執拗に騒ぎだてする方がおり、コメントの管理が面倒くさくなりましたので、どこの誰が投稿したのか私が確認できる方の投稿のみを受け付けるようにしています。

 リアル社会の知り合い以外でも、実名で開設されているブログを示してメールで名乗り出てくだされるなどして、どこの誰かを確認できるようにしていただければ、法的に問題があるもの以外は、大抵のものは掲載させていただきます。

 ココログがもう少しまともなコメント認証方式を採用してくれればそこまでしなくとも済むのですけど。

「静観」ではなく「積極的な改善要求」なら「甘受」よりサバイバル確率を上昇させるのでは?

 梅田望夫さんは、そのブログエントリーの中で、次のように述べています。

 「ネットは悪い、誰かがこの状況を何とかすべきだ」という思考回路を働かせて静観を決め込むよりも、良い面を見つめてでもネットの海に飛び込んで、能動的に何かをして、厳しい目にあったりもしながら強くなっていくほうが、特に若い世代は、中長期的にサバイバル確率が上がるだろう、そのほうがうんとよく生きることができるだろう、そう確信しているのである。

 しかし、「静観を決め込む」のではなく、ネットの問題点を分析し、ネット事業者等に問題点の改善を求めていくのであれば、ネットの現状を所与のものとして受け入れその中でただもがき苦しんでいくよりも、その方がうんとよく生きることができるだろう、そう私は確認しているのです。

 それは、ネットの問題に限ったことではありません。労働環境が悪ければ、労働環境の改善を求めていく方が、その劣悪な労働環境の中で良い面を見つめることで厳しい目に遭うことをずっと甘受するよりも、うんとよく生きることにつながるのではないかと思うのです。個々人の要求では既得権者に軽くあしらわれるとしても、仲間を集めて徒党を組んで代表者を決めて正規に圧力をかけたり、法廷闘争に持ち込んだりして、環境の改善を目指す方が、中長期的なサバイバル確率を上げることができるのではないかと私は確信しているのです。

 システムの問題点により不利益を被っている側が梅田的オポチュニズムを実践してくれれば、そのシステムにより利益を得ている側は万々歳です。若い非正規雇用労働者が生活保護給付金以下の所得水準で働き続けてくれれば企業は儲かりますし、ブロガーたちがはてなブックマークで執拗な誹謗中傷や人格攻撃を受けることを甘受してくれれば、はてなにとってはアクセス数の上昇による利益を享受することができるのでしょう。では、そのことが、現在そのシステムにより不利益を被っている側の中長期的なサバイバル確率を上昇させるのかというと、多分に疑問です。

 特に若い世代は、よりよい環境の構築に向けて現状の改善を正々堂々と要求することを覚えた方が、中長期的なサバイバル確率は上がるでしょう。そういう意味では、内容の当否はともかくとして、はてなブックマーク問題について池田先生がとった行動というのは、学ぶべき点が多いのではないかと思うのです。

大隈候の生家

 14日木曜日に大阪高裁で判決の言渡しに立ち会った後福岡に行き、リッチモンドホテル天神福岡に宿泊し、15日木曜日に佐世保簡易裁判所で調停期日に出頭し、その後西海橋コラソンホテルに宿泊し、翌16日に佐賀に寄ってOokuma大隈重信候の生家等を見学して、福岡空港から羽田経由で自宅に帰ってきました。

 コラソンホテルは景色はよいし建物は悪くはないのですが、室内LANはないし、ロビーに無線LANは通じていないしということでネット環境に問題がある(PHSの電波は届いていたので、W-ZERO3経由でメールの送受信はできていたのですが)のが非常に不便でした。建物の外装にお金をかけるのもいいですが、今時のホテルはネット環境の構築にもお金をかけないとつらいのではないかと思うのです。少なくとも、ビジネスの前日から乗り込むホテルとしてはネット環境が整備されていないホテルは問題外ですし。

16/06/2007

「罵倒されることは幸福なことだからはてなは罵倒対策しなくてよいよね」ってことでしょうか?

 梅田望夫さんは、そのエントリーの中で次のように述べています。

たとえば小林秀雄や司馬遼太郎といった故人の作品を読み返すとき、彼らはネット上に溢れる無数の読者の「作品に対する感想や批判(ときには罵倒)」を読む機会を得なかったんだなあと思い、現代に生きる幸福を痛感する。

 おそらく、梅田さんの目には、亀田興毅の世界タイトルマッチを見て感動したとブログで書いたことにより見ず知らずの人の心を(憎悪の方向で)動かし、アスリート失格云々と自分を執拗に罵るにまだ至らしめたことを知った上村愛子さんはとても幸福に見えるのでしょう。「批判からもたくさんのことを学ぶことができる」?あの件で上村愛子さんに「批判」から何を学べというのでしょう?採点競技における採点がしばしば端からは不可解に映ることなんて、同じく半分は採点競技であるモーグルの日本代表である上村さんが知らないわけないじゃないですか。だからといって、八百長が行われたと断ずることは無意味だし、勝者の姿に感動を覚えることは間違っていないはずです。

 ネット上に溢れる無数の読者による罵倒を読む機会があって罵倒される人はなんて幸福なんでしょうという梅田さん的な考え方に立てば、人々に他人を罵る場を与えて利益を得るはてな株式会社は、他人を罵る人々だけでなく、罵られる人をも幸福にする優良企業であると位置づけることができます。まあ、なんてポジティブな生き方なのでしょう。

 しかし、梅田さん的ポジティブさというのは、所詮は現実を無視したポジショントークでしかないわけで、現実には、「ネット上に溢れる無数の読者の『作品に対する感想や批判(ときには罵倒)』」を読むことは幸福だとは捉えられていません。実際のところ、小林秀雄や司馬遼太郎クラスの現代作家や随筆家は、コメント欄付きのブログを設置してまで「ネット上に溢れる無数の読者の『作品に対する感想や批判(ときには罵倒)』」を読もうとはなかなかしていないのです(梅田さんと対談をした平野啓一郎さんですら、ブログはコメント欄なしですし、公式サイトではメールアドレスが明記されているものの、「※お送りいただいたメールは、メール管理人が受信・管理し、管理人の判断で平野 啓一郎に転送されますが、場合によっては転送されないメールもありますことを御了承ください。」との注記が記載されています。)。

 私は梅田さんには、是非とも小林秀雄や司馬遼太郎クラスの現代作家や随筆家に対して、「『ネット上に溢れる無数の読者の「作品に対する感想や批判(ときには罵倒)」を読む』ことはとっても幸福なことなので是非ともはてなにコメント欄付きのブログを開設するように」と説得してもらいたいし、仮にネットに溢れる無数の読者からの悪意剥き出しの批判や罵倒が寄せられてもコメント欄を削除したりブログを閉じたりせず、前進で幸福を痛感してもらいたいと説得してもらいたいものです。

15/06/2007

嫌がらせに強い人だけしか残らないのでは面白くない

 小飼さんからトラックバックをいただきました。

 本blogの定期購読者ならお分かりの通り、私は梅田望夫をblogosphereでもっともどついてきた一人でもある。そして彼がそれを「痛感」していることも知っている。そして私は、彼がそれで倒れないことも知っている。

 もちろん、匿名さんたちからの執拗な誹謗中傷に強い人もいます。しかし、そういう特殊な人の言論しかブログでは読むことができない、とすればそれはマイナスです。だって、世の中には、小飼さんや梅田さんや私や池田さんより優秀な人たちがいて、その人たちがその知見を無償で公開し、質疑に応ずることをやぶさかではないと思っていたとしても、その人が執拗な誹謗中傷に強くない普通の人だと、それをブログでは読めないのですから。私は、小飼さんのブログも楽しみにしていますが、もっとすごいブログも読みたいのです。

 また、muffdivingさんは、次のように仰っています。

自分で何かを公の場でやろうとするんだったら、批判や電波に対するリスクは常に付きまとうわけで、これはリアルだろうがブログだろうが一緒だ。結局、テメエの場所はテメエしか守れねえわけで。それすらできないんだったら自分で何かを表現する以前の問題だと思いますがね。

 しかし、現実社会では、執拗な嫌がらせに対しては、法が介入するようにできています。学校や職場で、執拗な嫌がらせが特定の個人に向けて執拗になされているのを知りながら、「テメエの場所はテメエで守れ」なんてことを言ってこれを放置していたら、法的な制裁が責任者に発生します。個々の嫌がらせ行為を逐一把握するのは不可能だ、といってみても責任を逃れることは難しいです。

 現実社会は、例えば「騒音おばさん」問題の時に、「別に聞き流せばいいではないか」とか、「嫌がらせがいやなら引っ越せばいいじゃない」とか、「あのおばさんが何であんなに怒っているのかを考えて、あのおばさんの怒りを買わないように生き方を考えろ」などと被害者に泣き寝入りを強いることは求めずに、「騒音おばさん」を逮捕・起訴することを選択し、おおむねその選択は受け入れられたのです。

14/06/2007

Lil' Bush

Comedy Centralの「Lil' Bush」は面白いですね。ブッシュ大統領以上にチェイニー副大統領がぼろくそなんですね。

「多少のコストを覚悟」させたら優秀な書き手は逃げてしまう

 ekkenさんは「荒らしを許容するわけじゃないけど、誰にでも書き込みができるスペースを設けている以上、迷惑な書き込みを削除するというような多少のコストは覚悟しておいたほうが良いだろうなぁ。」と仰るのですが、実際には、そんな覚悟を求められるくらいならばブログでの情報提供などしないという方向に、特に質の高い情報を提供できそうな人々が向かってしまうだろうということは容易に想像がつくのであって、現実に日本のブログ界はそういう方向に向かっています(ネットでの匿名発言に寛容な佐々木俊尚さんですら、もはやコメント欄付きのブログは持っていないし、コメント欄なしのブログですら久しく更新していません。)。不当な個人攻撃を執拗に受けている人々に「スルー力が足りない」だの「せっせとコメントを削除すればよい」だの「コメント欄を閉じればいい」だのと要求するのは、ネットのあちら側の甘えでしかないようにすら思えます。こんな状態で、「ネットがあれば新聞はいらない」なんて、なんて質の高い情報の要求されない世界に住んでいるのだろうと感心してしまいます。

 結局、今の商用ブログ環境だと、匿名の陰に隠れて他人のブログのコメント欄でブログ主等を執拗に個人攻撃することを恥じ入ることがない人々や集団が事実上支配することとなり、彼らのの知的レベルにブログ界が長期的に収斂してしまうことが予想されるのであり、情報サービスとしては、メディアを飲み込むどころか、メディアに鼻で笑われるようなレベルのものにしかならなくなります。

 「匿名の陰に隠れることができるブログのコメント欄では、こんな僕でも、あんな人やこんな人に、こんなにすごいことが言えるのだ」という高揚感を覚えてしまうと、その既得権益を手放したくないという気持ちになるのは不思議なことではないのですが、でも、彼らって、ブログの情報材としての価値を高めていないように思われます。

【追記】

NOV1975さんから、

別にそんな人にブログで書いてもらう必要もないんじゃ?他に書くとこがあって、そこで満足しているなら。ネット上の発信元はそもそもブログである必然性すらない。そんな人に配慮するために存在するわけでもない

というブックマークコメントをいただきました。この辺はスタンスの問題なのですが、私は、各分野の専門家によるレベルの高いエントリーがブログにアップロードされ、そこでその分野に興味を持った素人との交流や同じ分野を専門とする人々との高度な議論がなされるのをむしろ読みたい反面、匿名でなければ言いたいことが言えない人々が匿名であるが故に傍若無人にブログ主を中傷しブログ主を困惑させる様子は特に見たくはありません。ブログ主に対しては誹謗中傷を受け続けることすら覚悟させる一方、匿名コメンテーターにはそのコメントを投稿したことにより受けるべき社会的評価の低下や法的責任すら回避させてあげる現在のシステムでは、「各分野の専門家によるレベルの高いエントリーがブログにアップロードされ、そこでその分野に興味を持った素人との交流や同じ分野を専門とする人々との高度な議論がなされる」ことがなかなか期待できないのが残念です。

13/06/2007

阿比留記者にとって、労働組合の意義って何?

 産經新聞の阿比留記者がそのブログで、社保庁と自治労が過去に交わしていた労働協定である「覚書」「確認事項」の一部を紹介した上で、「民間企業では絶対に考えられない大切な扱われぶりだと思うのですが、私の勘違いでしょうか。」としています。

 「端末機操作は、専門職化せず、一般職員が行う」とした以上は、各職員が従前の職務をこなしつつ端末操作を行うのでしょうから、「窓口装置の1人1日の操作時間は、平均200分以内とし、最高300分以内とする」ことが「民間企業では絶対に考えられない大切な扱われぶり」といわれると違うのではないかという気がします。

 また、阿比留記者は、「とにかく、社保庁は何を決めるにも、何を導入するにも「労働強化はしない」「処遇改善に努める」と自治労側に一筆入れて約束しなければならなかったようです。」ともおっしゃるのですが、西側先進国の感覚では、「労組はそのためにあるのだから当然」ということになるのではないかと思います。もちろん、日本の民間企業の中には労働三法を守る気がないところも多々あるとは思いますが、だからといってそれを公務員等にも押しつけて、労働者の基本的権利を低い水準で平準化しても仕方がないように思います。

 それはともかく、今回の社保庁の問題は、社保庁の職員が短時間しか働かないために入力作業が滞っているということが問題となっているのではなく、紙のデータをコンピュータに入力する際の入力ミスをチェックする仕組みがなかったということが問題なのですから、社保庁の労働環境が民間企業である産経新聞社よりも良好であることを嘆いてみても仕方がないように思うのです(長時間、休憩も取らせずに入力作業をやらせれば、入力ミスなど起こらなかったはずだといえればいいのですが、おそらくは逆でしょう。)。

 むしろ、当時のコンピュータの能力を前提としても名寄せの方法が妥当であったのか、マニュアル作成の段階で入力ミスをチェックするシステムを作らなかったのかということ等が問題とされるべきでしょう。

 なお、この問題で安部内閣の支持率が急落したのは、安部首相の初期の対応として、国会で「それなら、あなたは、証拠も持たずに来た人にも、全員に、支払え というんですか!?」 と言ったことがとても子供じみていると国民の目に映ったことに主な原因があるのだとは思っています。

元高級官僚は渡り鳥して得た退職金を何に使っているのだろう

 中央官庁のキャリア官僚で、国からもらった退職金では飽き足らず、複数の特殊法人や所管の企業を足り歩いては高額の退職金をかき集める人たちって、そうやって集めたお金を何に使っているのか、いつも不思議でなりません。

 国家公務員の場合年金が手厚いですから、普通に生活する分には、年金で十分まかなえます。年金+アルファの贅沢をするったって、限度があるではないですか。歳なんだし。20代で自由に使えるお金が1000万円あったらあれもやりたい、これもやりたいという話になるとは思うのですが、60歳を超えたら生活費のほかに年1000万も浪費するのって大変ではないかと思うのです。

 今の政府の人たちって「愛国心教育」とかお好きですけど、せいぜい「お国のために命を捧げよ」といわれてこれを拒否する程度のことしかできない若者に、そのようなことすらさせないために「愛国心」を植えつける前に、50歳を過ぎたキャリア官僚を集めて、「愛国心」を説き、後輩官僚が無用の配慮をして国益に沿わない政策を行ってしまうことを回避するために、自分たちが特殊法人等を渡り歩くことを自粛するように促すことの方が重要なのではないかという気がしてなりません。

 あるいは、今の大人たちを教育することはできないので、今の子供たちに「愛国心」を植え付けることによって、彼らが大人になったときは今の大人のようなことをさせないようにしたいということなのかもしれませんが、今の子供たちがキャリア官僚になり50歳を過ぎて退職するころまで待っていられるのかという疑問があったりします。

「コメント欄を閉じればいい」のか?

 前回のエントリについて、「コメント欄を閉じればいいではないか」という趣旨のコメントがありました。

 ただ、コメント欄等で執拗な誹謗中傷を受けたブログ主が、「コメント欄を閉じれば誹謗中傷コメントを見ずに済むから、ブログの更新を継続しよう」と考えてくれるとは限りません。質の高いエントリーを継続的に投稿できる専門家の多くは、紙媒体等にもコラム等を執筆する機会があり、そこまでしてブログを更新する必要性を欠くからです。

 また、仮にそのブログ主がコメント欄を閉じるにとどめブログの更新は継続することにしたとしても、これにより読者とブログ主との間の交流は大いに制約されることになります。

 コメント欄で匿名の陰に隠れてブログ主を誹謗中傷したり個人攻撃を行ったりする自由を容認することに、上記のような副作用を超える価値を見いだすことができるのかというと、少なくとも情報源としての価値についていえばそのような価値はありません。あとは、そのようなコメントを投稿して他人(特に、自分よりも社会的に恵まれた境遇にある人々)を不快にすることないしそのようなコメントによりそのような他人が不快な思いにさせられていると認識することストレスの発散効果にどの程度の価値を置くのかということが問題となるくらいです。

 そのように考えてみると、「コメント欄を閉じればいい」といってみても、それはネットイナゴがシステム的に放置されることの副作用を軽視できる理由にはなっていないように思います。

12/06/2007

ブログ主にスルー力を求めることのコスト

 ブログ主に高度の「スルー力」を求めることでコメント欄等での誹謗中傷問題を解決しようとすると、ブログを用いて情報発信することのハードルは高くなります。特に、誹謗中傷や人格攻撃を執拗に受けて非常に不愉快な思いをしてまで無償で公衆に向けて情報発信をしなくとも情報発信をすることが可能な専門家や著名人がブログを用いて無償で情報発信を行おうというインセンティブは大いに削がれることになります。といいますか、いくら誹謗中傷をしても、これに耐えて、引き続き無償で質の高いエントリーをアップロードしてくれる人が次々と参入してくれると期待する法が虫がよすぎると言えます。

 実際、少なくとも法学系について言えばすでにその弊害は発生しており、日本では、法律家系ブロガーはなかなか増えません。サイバー法系や知財系はネットとの親和性が高いし、粘着くん等の行動も研究の範囲内に含まれるのでまだしも、伝統的な法領域の研究者は、若手を含めても、なかなかブログ界に新規参入してきません(例えば、民事訴訟法系ブロガーって、せいぜい町村先生くらいしか思いつかないでしょう?)。

 ブログ主に対する誹謗中傷や人格攻撃を執拗に行っても事実上何の責任も実社会で追わずに済む現在の商用ブログシステム(匿名プロクシ経由だとほぼ追跡されませんし)は、コメントの書き手の垣根を低くし、特定のブログエントリーに大量のコメントが投稿される状態を作出しやすいので、ブログ事業者としてはそのような環境を変えたくないという気持ちは強いのでしょう。ただ、ブログ主に対する誹謗中傷や人格攻撃というのは一般に情報としての価値が低いので、そのようなコメントを投稿することのハードルを低い状態で維持することにより、質の高い情報発信を行うことが可能な専門家等のブログへの参入のインセンティブを削ぐことは、ブログの情報源としての価値を貶めることになります。

 そんなこんなで、梅田望夫さんがどんなに煽っても、日本ではWeb2.0って、情報サービスとしてはあまり成功していないのです。

11/06/2007

人が余っているのに大量採用計画を前倒しせよって!!

 6月8日付の週刊法律新聞を見ていたら、政府の規制改革会議が5月30日に規制改革第1次答申を決定したこと、その中で、「現在の目標である平成22年ころまでに合格者年『三千人』を前倒しして達成することの検討などを求めている」ことなどが報じられていました。

 現在程度の合格者数ではなおも需給が逼迫しているという状況が判明したというのであれば「合格者年『三千人』を前倒し」することを検討するのは合理的だと思います。しかし、現実はその正反対であり、現在の合格者数ですら大量の失業者が生まれそうだという状況下にあります。そのような状況の下で、「合格者年『三千人』を前倒し」することを検討することを求めるセンスというのは私には信じがたいところがあります。規制改革会議の議長が会長を務める日本郵船では、仕事がなくて新人を配属させる部署がない状況下でも、大量採用計画を前倒しして実施するのでしょうか。

 また、上記答申には「チェック機能をマーケットに委ねられるように必要多数の資格者を社会に送り出し、競争的環境を作り出すべきである。これにより、併せて法曹資格者が必ず法曹職に就かねばならないというドグマからの脱却を図り、リーガルマインドを持つ多様な人材が多様な職業に就く素地も生み出すことができる」としているそうなのですが、法科大学院の卒業生や新規法曹資格取得者を採用する予定のない国内企業が殆どであることが各種調査によりはっきりした現時点において、このような建前論を振りかざしてみても、空しさばかりが募ります。

 といいますか、Wikipediaによれば、日本郵船は、「「郵便汽船三菱会社」(日本郵船の前身:国有会社であった日本国郵便蒸気船会社と三菱商会が合併して設立)は、アメリカやイギリスの名門海運会社に握られていた日本の航海自主権を、政府の援助や三菱銅山の利益を元に、激しい値下げ競争を行うことで手に入れた。/その後、三井系国策会社である「共同運輸会社」とさらなる値下げ競争を行ったことで、海運業の衰退を危惧した政府の仲介で両社が合併し、日本郵船会社が設立」ということで、政府の力で設立され、大きくなったという側面が強い会社なのに、何でそんな市場競争万能論を振りかざせるのか不思議です。

06/06/2007

運転免許の更新

 今日は、午前中に、自動車運転免許の更新に行ってきました。東京23区内に自宅も職場もあるので、自動車を運転する必要はないし、実際運転してもいないのですが、身分証明書としてないと不便なので、大人しく更新してきました。

 普通免許という区分がなくなって、中型(ただし80t以下限定)という区分になったのだということを初めて知りました。概して弁護士は、仕事に直結しない法律はあまり知らなかったりします。

 学生時代に免許を取ったときには右目の視力が悪かったので眼鏡限定だったのですが、今回は両目で視ての視力検査だったので、無事裸眼で視力検査を通過しました(今年に入って結膜炎で目医者に行ったときに視力検査をさせられた結果左1.2、右0.9だったので、大丈夫かなとは思っていましたが。)。

05/06/2007

善良なプロバイダからの相談

 奥村弁護士は、次のように述べています。

 リンクとか掲示板管理者の逮捕で、善良なプロバイダからの相談が多くなっています。

 以前、何かのガイドラインへのパブコメ募集の際、どうも対応が鈍いというか緩いので、「そんなに甘くないですよ。判例状況説明しましょうか?」と申し出たら、「わかってるから結構です」という回答でした。未公開の裁判例も多いし、理論構成も右往左往なのに。

 心地よいアドバイスをして上げる方が商売的には有利かなあという気がするのですが、私も、ファイルローグ事件では悲しい思いをしていますし、地上の法律の及ばない無法地帯を作るためにインターネットが存在するという考え方には与しませんので、違法行為の蔓延を食い止めるためにできる限りのことをすべきだとアドバイスをした上で、技術的、費用的にどこまでの対策を講ずることが可能かを検討していくことになります。警察の人的リソースを考慮すると、所詮は「一罰百戒」的な摘発をするくらいしかできないとは予測しますが、「一罰」が自社に降りかかってきたときのダメージはとてつもなく大きいのです。

 「プロバイダ等は利用者による違法行為の蔓延を放置していても法的責任を負わされるべきではな」く、また、「利用者が匿名で情報発信を行う権利は最大限守られるべきだ」と主張さえすれば、プロバイダ等が地上の法律が及ばない場所を作り上げることを司法府や立法府が認めてくれるというのならば、あとはその結果もたらされる悲劇に知らん顔できる図太ささえあれば済む話になるのでしょうが、現実社会がそこまでネットに譲歩しなければならない理由を誰も説得的に説明できていないような気がします。

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