「匿名」に関するekkenさんからの質問
ekkenさんから、
とのコメントを頂きました。小倉さんの「匿名」に対する考え方が今ひとつピンとこないので、質問です。
私・ekken(または越後屋健太)は「匿名」でしょうか?
もちろん辞書的な意味の「匿名」か否かではなく、ネットコミュニケーション上のそれについて、お答えいただければ幸いです。
ネット上での人格と現実空間での人格とを容易に同定できるのでない限り、「匿名」だと言わざるを得ません。そのネット上での発言の法的又は社会的な責任を現実空間での人格が実際に負うかどうかという点が、単なる別名使用と匿名の使用とを分けるポイントとなることでしょう。
「黒木ルール」は、「匿名でないと言いたいことが言えない」とするネットワーカーの多い日本の現状との妥協点を見いだそうとしたという意味で一定の評価をしうることは認めつつも、他方、ハイド的なキャラ設定をした固定ハンドル名を別途用意されると、「黒木ルール」が目指した健全なコミュニケーションの可能性は破壊されることになります。
もちろん、上記意味では「匿名」でない発言者だってついついコメント欄等でハラスメントを行ってしまうことはあるでしょう。しかし、その場合は、そのことによる法的な責任又は社会的責任を実際に負うことになります(例えば、相手があるマイノリティに属することを理由とする差別的な発言を繰り返せば、爾後、その人は差別主義者であるとして現実空間でも冷ややかな目で見られることになりますし、的外れな質問を大量に投げかければ、そのような痛い人間であるとして現実空間でも取り扱われる可能性があります。)。これに対し、上記意味での「匿名」性を維持していれば、少なくとも「権利侵害であることが明らかである」と相手方に立証されるような発言さえ回避しておけば、あとは、少々行き過ぎたハラスメント発言をしようとも現実空間での人格の評価は低下しないので、歯止めがかかりにくいし、捨てハンドルや、ハイド的なキャラ設定をした固定ハンドル名についていえば、自制的に歯止めをかけるインセンティブすら生じないわけです。
そのような法的又は社会的な歯止めを失った悪意に晒された状態で質の高いコンテンツを無償で公開してくれる人が次々と現れるということは期待できないわけで、実際、法学系についていえば、2ちゃんねるはすでに質的には見るに値しない状況になっていますし(ちゃんと文献や判例を引用した議論というのはほぼ見られないですし)、ブログについても、優秀な書き手の新規参入は遅々として進まないのが現状です。歯止めがかからないので、ヘイトメッセージや陰謀論はわあっと投入されますが、その種のものというのは、彼らが嫌う「マスメディアによる解説又は主張」以上に情報としての価値がありません。
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