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juillet 2007

29/07/2007

実名表示制と免許制

 実名登録制にせよ、実名表示制にせよ、それは免許制とは異なる概念です。

 例えば、インターネット通販を行うには特段の免許は不要ですが(販売にあたって免許が必要な商品については所定の免許はもちろん必要です。)、いざインターネット通販を行うにあたっては、そのウェブサイト上に氏名及び住所を掲載しなければなりません。個人事業主が自宅をベースにインターネット通販を行う場合、その個人の氏名と住所をウェブサイト上に表示しなければならないのです。

 「そんなことを義務づけてストーカーに襲われたらどうするのだ」と言ってみても、あるいは、「欠陥商品を売りつけたり、代金だけ受け取って商品を送らないような悪質な業者にだけ、氏名表示等を義務づければよい」と言ってみても、どうしようもありません。もちろん、悪質なインターネット通販事業者は海外のサーバを用いる可能性もありますし、そもそも外国法人が悪質な通販サイトを国内向けに開設する可能性もありますし、悪質な通販サイトは正しく氏名表示をしない可能性も十分にあるのですが、だからといって、匿名でインターネット通販を営む権利を認めようという動きは、私が知る限り、起こっていないようです。

28/07/2007

実名登録制と実名表示制

 韓国の実名登録制度はまだ施行されたばかりですので、どこまで効果があるのかはわかりません。結局のところ、この制度が成功するかどうかは、実際にネット上で他者にハラスメントを加えて人々が、この制度を介して、どの程度法的又は社会的責任を負わされるのかに係ってくるので、韓国国内での運用次第という側面が多分にあります。

 韓国の制度は、「実名登録制」であって、「実名表示制」ではないので、「そのようなハラスメントを他人に加えているのが自分であることを現実社会の知人(家族を含む。)に知られたら恥ずかしい」ということは抑止力にならない可能性があります。そうなると、「ネットを通じて他人にハラスメントを行うと民事又は刑事上の責任を負わされる危険がある」ということだけが抑止力になります。その点では、私が提唱させていただいている共通ID制と同様の面があるので、韓国の制度の運用実態については要注目ということになります。

 これでネットを「他人にハラスメントを加えてストレスを発散する手段」だとする方々や、「気に入らない意見に対しては執拗にハラスメントを加えて押すつぶしてしまえばいい」とする方々が激減していけば、「実名表示制」までは必要ではない(実名登録制まで実現すれば足りる。)とする見解が有力になるでしょうし、実名登録制の下でも実際に法的責任を負わされる確率は低いとして上記ハラスメントがほとんど収まらなければ、「実名表示制」の導入により「そのようなハラスメントを行っているのが自分であることを知られたら恥ずかしい」ということの抑止力を活用していかなければならないでしょう(この抑止力がそれなりに大きそうだと考えるのは、愛国者ぶって周辺諸国や国内マイノリティ等への憎悪を唱道しているような「少なくとも口だけはマッチョ」な方々が、勧告に従わなかった者に対して氏名等の公表をするくらいしか強制力を持たない人権擁護法案なんてものに慌てふためいていたこと等の事実があるからです。)。

 現実社会では必ずしも名札をつけて歩いているわけではないではないかとの批判もあるようですが、不特定人に対して情報を発信するということ自体他人の人格を傷つける相当の危険性を定型的に有しているわけですから、単に街を歩いているのと同格に扱うというわけにもいかないように思います。現実社会でも、違法行為が行われる蓋然性の高さと行われた場合の被害の大きさとを総合的に勘案した上で、特定の行為を行い又は特定の場所に来場する者について身元確認を厳格に行い、かつ、身元確認証の形態を義務づける例というのは少なからずあるのであり(例えば、普通乗用車の運転等)、インターネットで情報発信を行うにあたって同様の身元確認を行うとしてもそれはそれほど不思議なことではありません。

「個のモラル」によりネットの匿名性の弊害を是非とも除去していってください>松岡さん

 松岡美樹さんは、

 インターネットは有名・無名にかかわらず、ネットユーザの創造性を育ててきたクリエイティブな世界である。なのに前述の通り小倉さんによる実名の定義では、どんなに才能があろうが実名でなければその人の能力は認められない。とすれば小倉さんの主張は、インターネットの根幹にかかわる問題といえるだろう。

と仰っています。

 「実名/匿名」という対比と「有名/無名」という対比とを敢えて混同させて印象操作を図るあたりは、さすがはプロのジャーナリストです。また、

とすれば小倉さん的な実名主義に立てば、ekkenさんが何を書こうがその意見は存在しないことになる。

とも仰っているわけですが、やはりプロのジャーナリストは相手の見解を歪めて纏めるのがお上手だなあと感心させられます。普通に考えれば、匿名による発言だからといってそれが存在しないことにはならないからこそ、匿名による誹謗中傷やデマの流布等を問題視していることはわかるわけですが、論理飛躍を計画的に行うというのはこういうことなのでしょうか。「匿名によるネガティブコメントはスルーすべき」という見解の方が、「匿名の意見は存在しないことにすればいいではないか」という考え方を包含しているように思っていたのですが。

 また、松岡さんは、

「ブログ主の見解が間違っていた」という以外の理由でブログ主が質問に回答したり批判に答えたりということを回避してしまうような状況を作り出すネガティブコメントは、「正当な批判」とは言えなくなっていくということです。

という私の発言について、

 前回、私が書いたエントリ『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』でも指摘したが、小倉さんお得意の極論である。

との印象操作を一つ加えた上で(といいますか、松岡さんは「極論」という言葉の意味をわかっておられるのでしょうか。)、

 まず第一にこの定義は、書き込みの内容が正当でも「オレ様の気に入らないコメントは拒否する」というご都合主義とどうちがうのか?

と仰っています。「ブログ主の見解が間違っていた」という以外の理由でブログ主が質問に回答したり批判に答えたりということを回避してしまうような状況が作り出されているが故にブログ主が質問に回答したり質問に答えないということと、単に「オレ様の気に入らないコメントは拒否する」ということとの違いがわからない方がいるというのは新たな発見です。例えば、「コメントの数があまりに大量なのでブログ主がこれに回答しきれなくて回答しない」ということと「オレ様の気に入らないコメントは拒否する」ということとの間には大きな違いがあると思うのですが、そうは考えない人が本当にいるとすれば、大量のネガティブコメントを送りつけることによってブログ主が物理的に対処できない状態にすることには非常に意味があるということになります。松岡さんはその後で「 もうひとつ感じる疑問は、「これは要するに小倉さんご自身が、書き込まれた反論にいちいち反駁しないと気がすまない性分だからそう言ってるだけなんじゃないか?」という点だ。」とも仰るのですが、いちいち反駁しないと松岡さんのような方に「オレ様の気に入らないコメントは拒否する」というご都合主義と判断されてしまうので、なかなか「スルー」するのもリスクが高そうです。また、

 しかもこれはインターネットの構造的な特徴だから、仮に小倉さんが唱える実名制度を採用したとしても避けられるわけじゃない。もし短時間で大量に、内容が正当な実名の反論コメントがきたらどうするのか? 結局、実名制度は解にならないのだ。

という極論で対処しようとされるのですが、上記の意味で正当ではない批判を実名で行うのは行う本人もレピュテーションリスクが高まりますから、短時間で大量のネガティブコメントを特定のブログに投稿するということは、実名制のもとでは、相当程度減少することが予想されます。「100%の効果がなければ何ら対策はしない」という考え方を、一般社会は採用していないのです。

 また、

第二に、元記事がまちがってるとまではいえなくても、論理的に矛盾していたりする場合はどうか? で、その矛盾を指摘する正当なコメントが書き込まれたら?

とのことですが、「論理矛盾」も「間違っている」に含めて読んでいただいて結構です。

 結局、

結局、小倉さんがおっしゃることは、「オレは言いたいことを言う。だけど他人がオレ様に異論を述べるのは許さない」というのとどうちがうのか? だんだんワケがわからなくなってくる。

と松岡さんは仰るのですが、それは単に松岡さんが、「ブログ主の見解が間違っていた」という以外の理由でブログ主が質問に回答したり批判に答えたりということを回避してしまうような状況が作り出されているが故にブログ主が質問に回答したり質問に答えないということと、単に「オレ様の気に入らないコメントは拒否する」ということとの違いがわからない方だからではないかと思うのです。

 最後に、

 また仮にシステム的・技術的な対策があったとしても、それはインターネットの(責任ある)自由と創造性を損なう可能性はないだろうか?

 本来なら個のモラルに帰すべき問題に対し、システムや技術が必要以上に介入する危険性はないのか? 

との松岡さんのご見解ですが、「個のモラル」ではどうしようもない現状があるからこそシステムや技術による介入が要求されるのです。もちろん、松岡さんが、個のモラルに訴えることによって、匿名さんによる不当な個人攻撃等が際だって減少していけば、ネットにおける匿名を問題視する見解というのは自ずと下火になっていくと思いますので、是非ともがんばってください。

27/07/2007

被害者国選?

 昨日、滝川さんのニュース番組を見ていたら、光市母子殺人事件との関係で、被告人には国選弁護人がつくのに被害者にはつかないのはおかしいというようなことを解説員の方が力説されていました。

 弁護士が被害者の代理人として様々な活動を行うことはすでに広く行われていることですので注1、あとはその弁護士報酬を公的資金から出すかどうかという制度設計と予算措置の問題であって、弁護士法が社会正義の実現を謳っていることを強調しても意味がない話だとは思うのですが、マスメディアの方々は司法関係の話題になると議論のレベルが落ちますので、それは仕方がないのでしょうか。

 もちろん、被害者から相談を受けた弁護士の多くは、犯罪行為によって被害者が被った損害を一日も早く回復し、被害者がまた平穏な暮らしができるように努めるでしょうから、被疑者・被告人の手続的権利を制約すること=被害者の人権という不思議な公式を前提としてしまっている日本のマスメディアの方を納得される活動は「被害者に就く国選弁護人」の方はやらないような気がします。そうすると、メディアによる「被害者国選弁護人バッシング」が起きそうな気がしてきました。

注1ですから、光市母子殺人事件との関係で被害者遺族に弁護士をつけてあげたいと思ったら、テレビ局として、顧問弁護士等を紹介してあげたり、弁護士報酬を支払えるように、遺族の方がテレビ出演した際に高額のギャラを支払ったりしてあげればいいのではないかと思うのです。

舛添さんが当選したら

SANSPOによれば、

 事件後の会見で府警の対応の悪さを批判していた舛添氏はこの日も“噴火”。逮捕された男が「政治色や逃亡の恐れがない」という大阪地裁の判断で24日に釈放されたことに、「選挙期間中は拘留すべき他の候補者を襲うかもしれない」と憤り、「最近の裁判所はおかしい。裁判官がめちゃくちゃ。当選したら裁判所改革をしたい」とぶち上げた。

 刑事訴訟法を改正して「再犯の虞があること」を勾留理由に含めるということでしょうか、それとも刑事訴訟法上の規定にとらわれることなく被疑者を勾留するように意識改革でも行うのでしょうか。

24/07/2007

自分たちが言論の抑圧者になっていることに気付かない(ふりをする)匿名さんたち

 昨日のエントリーに対するはてなブックマークコメントを見ていると、匿名さんたちは、自分たちが言論を弾圧する側に回ってしまっていることを認めたがらないようです(本当に気付いていないかもしれませんが)。しかし、「匿名であれば何をしても責任をとらなくても良い」システムにおいて、匿名さんが「自分の気に入らないことをしたりいったりする人々に対しては、相手が自分たちに屈するまで、誹謗中傷や悪質なデマの流布を繰り返す」ということを行っている現状では、誹謗中傷や悪質なデマを流布される等の私的制裁を受けてでも言うべきことは言わなければいけない、なすべきことはなさなければいけないという覚悟がなければ、匿名さんたちを刺激するようなことは言えないし、できないという雰囲気が醸成されます。「匿名批判」や「匿名言論の終焉」というのもまさに、「匿名さんに攻撃されることが予想できるので怖くて言い出せないこと」の一つです。

 毎日新聞の岩佐記者は次のように述べています。

 連載への読者の反響は今も続いている。匿名による情報発信をめぐり、賛否がはっきりと分かれる。取材班は連載に合わせて専用のブログを開設したが、誰でも見られるその書き込み欄には2chを擁護し、記事を批判する内容が圧倒的に多い。一方、取材班に直接送られたメールや手紙は逆に2ch批判が7割を占める。

 メールには「2chをブログに否定的に書くと攻撃される」「2ちゃんねらー(2ch利用者)から袋だたきに遭うので内容は公開しないでほしい」という意見が目立つ。ここにも匿名社会のゆがみが見える。

 このように、現状は、「匿名による言葉の暴力」に多くの人が嫌悪感を感じながら、そのことを表では怖くて言い出せない状態にあるということができるでしょう。私も、現実社会や電子メール等では、励ましの言葉を頂くことが多いです。匿名の暴力に対して社会全体がもううんざりしていることは、思想の左右を問わず、朝日新聞から、日経新聞、NHK、読売新聞まで、マスメディアが、これを批判的に捉える特集を組んでいることからも明らかです。毎日新聞のように比較的ネットに好意的だったところまで、ネットの匿名社会を批判的に取り上げていることは非常に象徴的です。

23/07/2007

既得権を打破しようとする声に対する反発なんてそんなものでしょう。

 ある種の「既得権」が社会に無視できないほどの害悪を与えている場合、私たちはこの「既得権」とどこかで対峙せざるを得ません。この場合、この「既得権」の上に胡座をかいている人々からの猛反発を受けることは避けられません。また、その「既得権」のもたらす害悪が未だ大きい場合、その「既得権」に嫌気を指している人々の多くは、これを打破しようという動きが相当程度盛り上がるまでは、「既得権」者たちによる弾圧を恐れるがあまり、その「既得権」がもたらす害悪について口を閉ざし、「既得権」に対し反旗を翻す人間に対しても冷酷に振る舞わざるを得なくなりがちです。

 日本のネット社会では、「匿名の陰に隠れて誹謗中傷を執拗に行う」という既得権が無視できないほどの害悪を与えていますから、私たちは、いずれ、これと対峙せざるを得ないのですが、これに対峙しようとすると、この「既得権」の上に胡座をかいている人々からの猛反発を受けることになります。

 だから、松岡さんから、

 ちなみに小倉さんが私の記事を論評した上記エントリに寄せられたブクマコメントを見れば、小倉さんの記事が第三者にどう見えるかが一目瞭然だ。

 だれも小倉さんに同意してないのがすごい(7/22現在)。

といわれても、「だから、何?」という気にしかなりません。今の北朝鮮で単身金正日による独裁体制を打破せよと訴えても、これに賛同する声は表では聴くことはできず、却ってそのような主張をする人間を罵る声で溢れるとは思いますが、おそらくそれは北朝鮮の大衆の真の声ではない。それと同じようなものです。

「ネット上でなら加害行為をしても安心」な社会では、ネット上に積極的に実名を掲載しなくとも安心はできないのです。

 ekkenさんは次のように述べています。

 実名や住所、勤務先などの個人情報を「発言の責任を求めるため」にわざわざネット上に公開しないことで解決だよね。

 オフラインで身体的・精神的・経済的な被害に遭わないためにも個人情報を自らばら撒くような、小倉弁護士の実名主義はめちゃくちゃ危険だ、ということ。

 しかし、ネット上に実名を表示しなければネット上で誹謗中傷されたり悪質なデマをばらまかれたりしないで済むわけではないので、実名や住所、勤務先などの個人情報をネット上に公開しないことでは、何も解決しないように思われます。というのも、普通に社会生活を送っていれば第三者に実名や住所、勤務先等の個人情報を知られる機会はたくさんあるからです。仮に、「まともな神経の持ち主」が日本のネット環境を見捨てて誰も実名で有意義な情報発信をネットでは行わなくなったとしても、ネット外で知った第三者の実名等の個人情報を利用して誹謗中傷したり悪質なデマをばらまいたりすれば従前通りのストレスの発散や言論弾圧を行うことができるので、さほど意味がないということが言えます(実際、米国の「cyberbully」にせよ韓国の「悪ブル」にしても、被害者は必ずしも「ネット上に自ら積極的に実名等を掲載した者」ではありません。でも、自殺にまで追い込まれてしまいます。もちろん、「どんなに執拗なハラスメントを受けようとも、スルーできなかった被害者がいけないのであって、加害者は悪くないし、加害行為を取り締まるなどもってのほか」といいたいのでしょうけど。)。やはり、ネット上で誹謗中傷や悪質なデマの流布を行うことのリスクを高める方向でしか、何も解決には向かいません。

 いずれにせよ、「実名で情報発信した以上何をされても仕方がない、嫌がらせ等をされたくなければ匿名の殻の中に籠もっていろ」みたいなルールをネット上に押し付けるとなると、ネットでの情報発信をきっかけに社会的な評価を急上昇させる若者の出現を抑制することができるから、若者に追い抜かされることを怖れる若くない人達には有利かも知れないですね。実際、「実名を知られたら一巻の終わり」的なNOVさん的世界では、「個」と結びつきかねないような情報を開示することは絶対に避けないといけないわけですから、自分が比較優位に立つ部分は決してネットに持ち込んではいけないわけで、結局そういう世界で情報発信を楽しもうと思ったら、どうしても他者に対する批判、非難、誹謗、中傷等に収斂しがちです。

 このあたりは、日本のネット右翼さんたちが自己の愛国者ぶりを誇示するにあたって、「私は、国家のため、あるいは地域社会のために、こんなに役に立つことをした」ということを示すのではなく(そんなことをしたら、個人として特定されかねません。)、国内のマイノリティや周辺国家、あるいはそれらの味方として彼らに記号化されている存在をあしざまに罵り、または彼らに対する制裁を声高に叫ぶこと(これなら、個人として特定され得ません。)に終始していることにも繋がってくるのかも知れません。個人として把握されないためには、役立たずでいることが一番ですから。

もう少し勇気を持って!

 NOV1975さんが「初心者が実名でブログを書くならば」とのエントリーをアップロードされています。

 「少なくとも現状でこれらの制約の元、実名で始められるブログというものは一体なんでしょうか。」といわれても、その「制約」なるものがかなり被害妄想的、といいますかかなり確度の低い危険をあげつらっているように見えますので、結論としては現実離れをしたものとなっています。もちろん、匿名の陰から一歩踏み出せない、勇気のない方々にとっては、匿名の陰から一歩も踏み出せない自分を正当化してくれる言説なので、はてなブックコメント等でも賞賛のコメントが集まっていますが、では実際に実名でブログを開設している人々がそのような危険に日々さらされているのかというと、そんなことはありません。実名を明らかにしながら様々に論議を呼ぶエントリーを次々アップロードしていた女子大生のはあちゅうさんですら現実社会ではなんということもなかったのであり、まして普通のお兄さん、おじさんたちならなおさらです。「特に、小さなお子さんがいるご家庭では、実名でブログを書き、そこに子供のことを書くことは致命的な失敗になりかねません。」といわれても、私たちは、小さな子供がいる場合にそのことをひた隠しにする文化を有しておらず、それてでいて誘拐事件の発生件数は非常に少ないのです。また、「例えば、グルメブログなど非常に危険です。自らの絶対の感性の元と言ったって味覚は人によって違いますから、まずいなんていったら訴えられるかも知れません。」といわれても、もともと料理評論家等は従前より実名・顔出しが一般的だったのであり、だからといってまずいと感じたことを正直にメディアに書いたからと言って訴訟になった例は日本ではなかったのではないかと思います。匿名ならば、料理そっちのけで料理人ないし経営者自体を誹謗中傷することもできるし、出される料理の内容について根拠のないデマを流すことも可能です(ライバル店関係者にとってはとても重要です。)。そういうことをしても訴えられないようにしようと思ったら、トレーサビリティの極めて低い匿名を活用する必要があることは事実ですけど。

 実名ブロガーを攻撃するのは、主として匿名ブロガー・コメンテーターさんたちであって、その攻撃手法は主として匿名の陰に隠れての誹謗中傷・デマの流布、ときおり電凸といったところです。電凸にしても、電凸の結果を匿名の陰に隠れてアップロードする機会を押さえてしまえば、電凸対象をみんなで馬鹿にしてルサンチマンを解消することがしにくくなりますから、無礼な電凸は減少することが予想されます。ネットでの誹謗中傷を封じたらもっと物理的な危害を加えるようになるかもしれないと心配する方もいるようですが、そんな勇気は彼らにはないように思います。

 また、初心者がブログを匿名で開設しつつ自制心を保つ方法について論じられていないのは残念です。

22/07/2007

先ず隗より始めよ、松岡さん

 松岡美樹さんが反論のエントリーを掲載したようです。

 なんでも、

 えっと、私が書いた上記の記事のいったいどこらへんに、「ネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」なんて意味の記述があるんでしょうか? 小倉さんにはぜひ具体的に指摘していただきたいものである。

とのことです。

 ただ、「小倉さん、それでもスルー力は必要ですよ」という記事の中で、

 また小倉さんはリアルの世界における例をあげて反駁している。だがこの論争は現実世界のそれではなく、あくまでネット上における暴言被害の話だ。

 そもそもスルー力はネット特有のコミュニケーション術であり、スルーが有効なのもネット限定の話だろう。なのにリアルの世界におけるいじめと関連付けては議論がそれてしまう。

としており、さらに、

 インターネットを使ったコミュニケーションでは、スルーすれば自分が傷つかなくてすむケースや、逆にカッカして相手を攻撃してしまうのを防げる例は多い。

としています。

 ここからは、松岡さんは、ネットでの暴言被害を現実世界での暴言被害と区別していること、並びに、(現実世界でなされたとすればスルーしても自分が傷つかざるを得ないものであっても)ネットでの暴言被害についてはスルーすれば自分が傷つかなくてすむと考えていることが読み取れます。確かに、「すべてのネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」とまでは言っていないのかもしれませんですが、ネットでのいじめや嫌がらせが被害者に与える被害について現実世界でのいじめや嫌がらせが与える被害よりは大したことがないと松岡さんが考えていると読み取っても誤読とは言えないでしょう。

 さらに松岡さんは、

 逆に攻撃された側(または攻撃と“感じた”側)は、極端なネガティブ思考に陥りやすい。しかもその否定的な思考は瞬間的に、かつ激情を伴って湧き上がることが多い。だから「それがはたして攻撃なのか、そうじゃないのか?」、あるいは「自分のことを指しているのか、ちがうのか?」を、反芻して考える心理的余裕がなくなる。

 で、実際には事実関係を確認しようとする指摘にすぎないのに、攻撃されたと感じてしまう。あるいは、相手は異論を述べて正当な議論をしようとしているだけなのに、自分は非難されたと誤認してしまう。

 さらには自分のことじゃないのに「これは私を非難してるにちがいない」「あの人は私が嫌いなんだ」などと、勘ちがいに基づくオーバーリアクションをしてしまいがちだ。

等として、ネット上での暴言被害と被害者側が感じるのは単なる被害者側の過剰反応に過ぎないかのように印象操作をしています。実際には殆どの場合は、攻撃を受けているブログ主は非常に誠実にコメントに対処したり、じっと我慢したりしているわけです。例えば、大黒摩季さんのブログが炎上した際には、初期段階から、「あなたはのうのうとこれからも生きていくのでしょうね。」、「まさに外道」「人殺し/一生恨むから」「んで、腹黒摩季さんは/いつ自殺するの?」などのコメントが投稿されていますが、一晩寝かそうと何しようと、「相手は異論を述べて正当な議論をしようとしているだけ」とは考えられないでしょう、普通の神経なら。で、放置しておくと、図に乗ってどんどん誹謗中傷する人間が集まってくる(又は同じ人間がさらに誹謗中傷をエスカレートさせていく。)ことが予想されるわけです。「それでも、一晩寝かせなさい。」ですって!!これ以上被害者を非難してどうしようというのだというのが正直な感想です。

 あの記事は、特定のブログをつぶしてやろうという勢力が、コメント欄で誹謗中傷発言を執拗に投稿することをブログ主から抗議されたら、「自分たちは事実関係を確認しようとしているに過ぎない」あるいは「自分たちは異論を述べて正当な議論をしようとしているだけ」なのに何を「勘ちがいに基づくオーバーリアクションをして」いるのだと逆に開き直るきっかけを与えたわけです(今後、いろいろなケースで攻撃者が開き直る際にリンクされる可能性がありますね。)。したがって、ネット上での暴言被害は見過ごすことができないと考えている編集者からの仕事が減るのはそれこそ自己責任だし、他方で、ネット上は無法地帯でいいではないかと考えている編集者からはより一層仕事が増える可能性もあるわけです。といいますか、松岡さんは、その覚悟もなしに、あの記事をASCIIの編集部に送ったのでしょうか。

 っていいますか、松岡さん自身が、自分が批判されたとなると、全然スルーできていないではないかという気がしないでもありません。

初心者にこそ実名でブログを開設することをお勧めする。

 これからブログを開設しようという人に対しては、私はむしろ最初から実名で始めることを勧めます。それは主に二つの理由からです。

 一つは、せっかく貴重な時間を使って才能を生かしてエントリーを公表したのであれば、そのことによる社会的評価の向上や人脈の豊饒化等の現実社会でのメリットを享受してもらいたいからです。ブログを開設する以上、質の高いものを目指して欲しいです。

 もう一つは、「匿名」の魔力に魅入られて他人を誹謗中傷する人になってもらいたくないからです。被害者になることより、加害者になることを恐れて欲しいからです。もちろん、匿名環境でも自制心を失わないブロガーもおられますが、しかしながら、自制心を失い、現実社会では決して行わないであろう言動を繰り広げている残念な匿名ブロガーさんを私たちは沢山見ています。

真っ当な神経の持ち主に参加を回避させるシステムに敢えてする意味がわからない。

 確かに、まともな神経の持ち主はブログなんか開設しないということにすれば、コメントスクラムにより精神を傷つけられることはなくなるでしょう。ただし、「サイバーいじめ」でよく行われているような、誰かが自分の名前を騙って自分の社会的評価を低下させるようなエントリーを書き続けたり、あるいは、誰かが自分を誹謗中傷したり悪質なデマを流布したりすることによる精神的並びに経済的な損失を回避することは、ブログを開設しないことによってはできません。私たちの実名を含む個人情報は、普通に生きていると、かなり多くの人に把握されているため、自らネット上でこれを公表しなくとも、現実社会で自分のことを知っている人々によって、ネット上に持ち込まれる危険があるからです。結局、「まともな神経の持ち主はブログなんか開設するべきでない」ということを社会のコンセンサスにすることによって回避しうる害悪は、コメントスクラム等程度だということが言えます。

 あるいは、「ブログ上に書かれていることなど全く信用するに値しないし、そのようなものを見ること自体社会人としての嗜みに欠けることである」というコンセンサスが社会の間に醸成されていけばよいのかもしれません。しかし、そうしてまでブログ環境まで「2ちゃんねる化」させる意味がどこにあるのか私にはよくわからないです。

 そんなことよりも、ネットの実名化を推し進めることによって、誹謗中傷やデマの流布や嫌がらせを行うことのリスクを現実社会と同程度に高めることにより、そのような行為を抑制していくことの方がよほど現実的です。CONCORDEさんは、「未来にわたって絶対の安全が保証される」のでないと実名での参加ができないようなのですが、私たちの大部分は、「未来にわたって絶対の安全が保証される」わけではない現実社会において、社会的制裁や法的制裁が実効的に機能することにより相当程度抑制される前提のもとで、実名を含む様々な個人情報を様々な人々に提供しつつ社会生活を行っています。「『未来にわたって絶対の安全が保証される』までは、私は実名を含む個人情報は一切提供しない」といわれても、そのような人と関わり合いを持つとその人により犯罪行為や不法行為等がなされたときに十分な対処を行うことができない危険が高いので、比較的まとも度の高い社会ではむしろそのような方にお引き取りを頂くことでしょう。

21/07/2007

新聞の非署名記事とネットの匿名投稿

 「出べその親方」さんが次のようなことを述べています。

しかし、そんなことを言ふ新聞の情報はどうだらう。こちらも匿名ではないのか。最近の新聞はどうでもいい記事は署名記事にするが、スキャンダルを曝いたりした時には決つて匿名である。
新聞の記事は新聞社の名前があるから匿名ではないと言ふかも知れない。それなら、ネットの掲示板もアドレスがあるから匿名ではないとも言へる。現に犯罪予告を書き込んだ者は逮捕されてゐる。

 しかし、新聞の場合は記事に関する権利義務の主体は個々の記者ではなく、新聞社自体です。だから、記事によって第三者の権利を害したときの法的な責任は新聞社が負うし、違法とは言えないまでも品位を欠く記事を掲載すればそのレピュテーション・リスクは新聞社が負います。

 しかも、新聞においては、個々の記者というのは、取材し草稿を作成する役割こそ担っているものの、実際に紙面に掲載されるか否かの判断のみならず、掲載する場合にどのような文章、論調にするかの判断も、新聞社が編集権の名の下にコントロールします。どの話題を取材し記事にするのかというところから、「業務命令」がくだされている場合だって少なくはあります。そういう意味で、新聞記事の場合、その作成主体が、個々の担当記者ではなく、組織体としての新聞社(ないし、せいぜい当該媒体部門)であると見るのが実態に即しているという場合が少なくありません(といいますか、そういう場合の方が多いでしょう。)。

 これに対し、ネットの場合、掲示板の管理者やブログサービスの提供者や投稿者のアクセスプロバイダ等の編集作業を経ることなく、投稿やエントリーが公表されます。また、掲示板の管理者やブログサービスの提供者や投稿者のアクセスプロバイダ等がどの話題を取材して記事にするのかを「業務命令」する場合も希です。したがって、個々の投稿等によって第三者の権利を害したときの法的責任は、第1次的には個々の投稿者が負うのであって、掲示板の管理者等は、削除要請等に誠実に対処している限りは、法的責任を原則負いません。また、違法とは言えないまでも品位を欠く投稿等によるレピュテーション・リスクも、基本的には個々の投稿者等が負うのであって、掲示板の管理者等が負うことは原則注1ありません。

 したがって、新聞において個々の記者がその実名を名乗らないことと、ネットにおいて個々の投稿者等がその実名を名乗らないことの意味ないし効果は全く異なります。もちろん、ネットの場合においても、個々の投稿等が第三者の権利を侵害した場合に、掲示板の管理者やブログサービスの提供者や投稿者のアクセスプロバイダ等が法的責任を負ってくれるということであれば、投稿者等が実名を名乗る必要性は多少低下することになります。

注1
 その種の発言をずっと放置していたり、削除要請に応じなかったりすると、掲示板等をその種の発言をする場として提供していたと見られ、法的又は社会的な責任を負わされることはあり得ます。

追伸
 新聞社相手に何件か名誉毀損訴訟を代理人として提起してきた私の経験からすると、実際の担当記者の実名を新聞社がひた隠しにしたというケースは実際問題として知らないです。外部の取材源は教えてくれませんが。

20/07/2007

「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会 中間取りまとめ」に対する意見・提出バージョン

 結局、このような内容で提出しました。現在の系列システムの下で集中排除原則ということを言ってみても空しいだけだなあ(空しいだけならいいけど、徳島(特に山間部)のようにすぽっと抜け落ちるところに対する手当が、まねきTVのようなサービスの補助なしにはなかなかなしがたいというのもいかがなものかなあと思うものですから、ちょっと書き加えてみました。


8頁以下「メディアコンテンツ規律の再構成」に関して、

 公衆に対して「同じ情報を同時に受信させる」ことを目的とするか否かということで「放送」と「公然性のある通信」とを法的に峻別することに合理的な理由はないと常々考えておりましたので、今回の中間とりまとめの方向には基本的に賛成です。

 但し、規制のメルクマールとしては、
  1) 公然性の有無ないし程度
  2) インフラの希少性
の2つを軸にすべきではないかと思います。公衆への情報伝達能力が大きく、かつ、「電波の希少性」により新規参入者を極めて制限しなければならない地上波テレビ放送については、政治的な中立性を求める必要性は今後もあるでしょう。しかし、多チャンネル型衛星放送やケーブルテレビ、ミニFM等は「電波の希少性」はそれほど気にしなくとも良いので、「政治的な中立性」をそれほど要求する必要はないように思います。

9頁 「特別メディアサービス」について

 地上波テレビ放送の免許を受けた民間企業は、地上波テレビ放送の高い情報伝達能力故に、他の情報インフラよりも様々な点で競争上優位に立っており質の高いコンテンツを制作しやすい環境にあるのだから、その放送するコンテンツについては、あまねく国民にこれを伝達する義務を負うべきです。したがって、物理的にあまねく国民にそのコンテンツを伝達できない場合には、インターネット等を用いたコンテンツの転送を認めるべきです。もちろん、「契約による権利処理」でこれが実現すれば問題はないのですが、それが実現しそうにない場合は、著作権・著作隣接権の例外規定を新設してテレビ放送コンテンツのネットを利用しての転送をインターネット事業者等が行えるようにすべきだと思います。
 「放送の多元性・多様性・地域性の確保」を目的とするのであれば、むしろ東京キー局の放送番組の転送はインターネットや衛星放送、ケーブルテレビ等に任せた上で、各地の地上テレビ放送局は原則独自番組を制作し、放送するようにするべきではないかと思います。現在の系列放送局システムでは、東京キー局が制作する相対的に質の高い番組を日本国中の人が視聴できるようにするという点も、各ローカル放送局が制作する多様かつ地域性に富む番組を地域の住民が視聴できるようにするという点も中途半端になっています。

9頁以下 「一般メディアサービス」について

 放送・公然性のある通信で商業用レコードが公衆送信されることの商業用レコードの売上げに与えるプラスまたはマイナスの影響に関しては、公衆に対して「同じ情報を同時に受信させる」か否かではなく、公衆が特定の楽曲を任意のときに視聴できるか否かによって大きく違ってきます(特定の楽曲を任意のときに聴けるというわけではない場合、特定の楽曲を任意のときに聴きたいというユーザーはその楽曲の複製物を別途入手することが必要となるのであって、商業用レコードの売り上げを不当に阻害することにはなりません。)。したがって、公然性のある通信であっても、特定の楽曲を任意のときに聴けるという状態を作出しないもの(ストリーミング型のインターネットラジオなど)については、事後的に2次的使用料を支払えば、実演家やレコード製作者の事前の許諾がなくとも、商業用レコードに収録された楽曲を公衆送信(送信可能化及びその過程での一時的複製を含む)を行えるようにすべきです。

10頁 「公然通信」について

 誹謗中傷情報やデマ情報を公衆に流布させることにより被害者に甚大な損害を与えうることは、当該情報が公衆に向けて同時に発せられるか、求めに応じて時間差で発せられるかによって変わるものではありません。従って、公然性のある通信についても、放送と同様に、法的な責任主体の氏名・住所等の登録・届出等が求められるのではないかと思います。つまり、地上波テレビ放送を除く放送及び公然性のある通信については、事前抑制を行わず、中立的ではないコンテンツを流布させる自由を認める代わりに、司法手続き等による事後的な規制に完全に服するようにすることが求められると言うことです。もちろん、末端利用者のプライバシー保護を行うことによる利用者の増大を図る事業者(匿名電子掲示板の管理人や匿名での登録をも可とするブログ事業者等)もあり得るとは思いますが、この場合は、利用者が負う法的責任を実際に当該事業者が担保することを条件に、末端利用者の氏名・住所等の登録・届出等を免除するという救済策はあり得るとは思います(事業者が一旦被害者に対して賠償金を支払った上で、末端利用者に求償すればよいのですから。)。ただし、このように末端利用者の責任を事業者が肩代わりをする場合には、確定判決に基づく賠償金の支払義務の履行を事業者が怠った場合には総務省が当該事業者に対し事業の停止を命じることができるようにした方がよいと思います。特に自然人がこれらの事業主体となっている場合には、「賠償金を支払わなくとも刑事的制裁を受けずに済むのであれば、賠償金を支払わない」と開き直ることも可能だからです。
 放送や公然性のある通信の内容によるトラブルに関しては、これを安価かつ迅速に解決する裁判外紛争処理手続きを用意することが望ましいように思います。というのも、私の弁護士としての実務経験から言うと、特定人の社会的評価を低下させかねない情報を流布させるにあたって殆ど裏付け調査を行っていない例が少なくなく、それ以前に、その者についての社会的評価を低下させかねないその事実摘示が公共の利害に関するものではなく、かつ専ら公益目的でなされたとは言い難い例が多いため、情報の発信者側に、当該摘示事実の公共性、当該事実摘示にあたっての目的並びに裏付け調査の内容及び結果を事情聴取し、明らかに真実性の抗弁が成立しそうにないものについては、裁判所の審理を待つまでもなく、放送または公然性のある通信の主体に対し、しかるべき責任を負わせるのが適切だからです(放送または公然性のある通信による特定人に対する権利侵害行為は継続的・反復的になされることが多く、裁判外紛争処理手続きによる迅速な解決は、さらなる権利侵害行為を未然に防ぐという意味では重要です。)。

ネットでの暴言被害の方がより深刻だ。

 松岡美樹さんは、

 また小倉さんはリアルの世界における例をあげて反駁している。だがこの論争は現実世界のそれではなく、あくまでネット上における暴言被害の話だ。

 そもそもスルー力はネット特有のコミュニケーション術であり、スルーが有効なのもネット限定の話だろう。なのにリアルの世界におけるいじめと関連付けては議論がそれてしまう。

仰っています

 しかし、「ネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」みたいな認識はもやは古い、牧歌的なものであるとしか言いようがありません。諸外国では、「cyberbully」(サイバーいじめ)を重大な問題と認識し、何とかこれを克服できないか模索している最中だというのに、まあなんということでしょう。

 Nancy E. Willard率いる「he Center for Safe and Responsible Internet Use」の「Parent Guide to Cyberbullying and Cyberthreats 」は、次のように述べています。

It is widely known that face-to-face bullying can result in long-term psychological harm to targets. This harm includes low self-esteem, depression, anger, school failure and avoidance, and, in some cases, school violence or suicide. It is possible that the harm caused by cyberbullying may be greater than harm caused by traditional bullying because . . .

 つまり、サイバーいじめによって引き起こされる害悪は伝統的ないじめによるそれよりも深刻だというのが、現在での見方です。

 私は、ASCIIさんとはあまりおつきあいがないので、ASCII社内又はASCIIと外部ライターの間で取り交わされる「事実関係を確認しようとする指摘」や「異論を述べて正当な議論」をするやり方というのがどのようなものなのかわかりませんが、私は、ネットイナゴにおそわれてブログが閉鎖に追い込まれたり、ブログ主がエントリーの更新をやめたり、コメント欄を閉鎖するに至ったりした例を見たときに、イナゴさんたちが、普通に「事実関係を確認しようとする指摘」や「異論を述べて正当な議論」をしようとしていたのに、「逆に攻撃された側(または攻撃と“感じた”側)は、極端なネガティブ思考に陥」っただけであるという例は殆どないのが実情です。ASCII社内での議論がどう行われているのかわかりませんが、一般には、何人もの誰だかわからない人からしばしば粗野な、あるいは侮蔑的な口調を用いて、いつ終わるともしれずネガティブ言及され続けるという自体は生じないようにしているはずです。

19/07/2007

ネットで実名を隠しても成りすましを防ぐことはできない。

 ekkenさんは、次のように述べています。

しかし、もし僕が実名でブログ運営をしていたとしたら、この成りすましブログ(あるいはコメント)により実生活への影響も考えられるわけでして、全ての人が実名とは限らないネット上での発言において、「顕名」という立場を選んでいて良かった良かったと思う次第です。

 しかし、この「成りすましブログ(あるいはコメント)」問題とは、ネット上において実名で発言していなかった場合にも発生します。といいますか、米国などの「サイバーいじめ」では、ターゲットの実名を冒用してその評判を貶めるような発言をするというのはよくある手法です(日本でも、プロフ(自己紹介サイト)でなりすましいじめなどが起きていることが報告されています。)。この場合、「サイバーいじめ」を行っている主体はしばしば被害者のクラスメート等、被害者と現実社会で接触のある人々なので、ネット上で実名発言しないことによってはこのリスクを回避することはできません。

 これを回避するためには、本人確認をした上で登録がなされるID認証が、少なくともその実名を冒用された人間から照会を受けた場合にはID登録者と発言名義人との同一性について(発言内容それ自体の違法性の有無に関わりなく)照会に応ずるという形で運用されることが必要となります。そういう意味では、私が提唱する共通ID制を導入するという方が、「成りすまし」対策としては有効です。

「出る杭を打つ」日本の悪弊をネットに持ち込みたくはない

 CONCORDEさん には申し訳ないのですが、「匿名の陰に隠れることで規範意識を麻痺させたものが、誹謗中傷等を執拗に行うことにより、自分の気に入らない言動をネットから駆逐していく」という意味での「弱肉強食・優勝劣敗」を維持するメリットというのを私は見いだせずにいます。だからこそ、そういう現状を克服する仕組み作りをすべきだといっているわけです。

 「匿名性が保障されないと何も言えないが、匿名性が保障されると歯止めがきかなくなる人たちによるネガティブフィードバック」というものが、それ以外の情報の送受信の可能性を多分に犠牲にしてまで守る価値があるのかというと、そこまでの価値はないと思っています。

 その上で、

再度問いますが、なぜ躊躇している人に参入を薦めようとされますか、のみならず再参入までさせたがりますか。
ブログに、ネットに、一体何を見出しておられるのですか。

というCONCORDEさんの問いかけに応えるならば、「商業的価値にとらわれない言論の場」であって、そこに「大人の交流」が加わればなお良いと思いますが、「臆病者たちのストレス発散の場」とするには勿体ないと思っています(そういうことはそれこそ、不特定又は多数人の目に触れない閉鎖型の小規模SNS等でやるべきだと思うのです。)。もちろん、商業的価値を生み出せる人間になるための登竜門の一つとして活用するのもありだと思いますし、商業的価値のあるコンテンツを生み出せる人が一種のAnnexとして商業的価値とは離れた作品を公表する場所として活用することもありだと思いますし、また、政治的な団結を呼びかけ又は意見を集約していくことに活用するのもありだと思います。それらはいずれも「匿名性が保障されないと何も言えないが、匿名性が保障されると歯止めがきかなくなる人たちによるネガティブフィードバック」よりは一般に読むに値します。しかし、「実名が知られたらゲームオーバー」的なルールの下では、このような活用を行うことは厳しくなっていきます。

 「出る杭を打つ」日本の悪弊をネットに持ち込んでどうしたいのか、実名言論をネットからパージしたがっている方の真意を測りかねています。

18/07/2007

NOVさんルールの行き着く先

 NOV1975さんは、次のように述べています。

ネットで活動することを決意した人がネットでネガティブフィードバックを受けて文句を言うのは大抵ハラスメントではなかろう。ネットで活動することを止めればいいのだから。

 NOV1975さんの上記意見を抽象化すると、「ハラスメント」が成立するためには、被害者において、当該「ハラスメント」が行われた場にいることが必要不可欠であることが必要であるということになりそうです。この見解にたった場合は、高校以上の学校や塾などでのいじめは「ハラスメント」にはあたらないし、学区外での転校が広く認められている自治体においてはいじめは「ハラスメント」にあたらないということになりそうです。また、職場等においても、「被害者」において、どうしてもその職場で仕事を継続しなければいけない特段の事情がある場合を除き、セクハラもパワハラも「ハラスメント」にはあたらないということになりそうです。もちろん、趣味のサークルや稽古事などの場ではどんなに嫌がらせをしようといじめを行おうとそんなものは「ハラスメント」にはあたらないということになりそうです。NOVさんルールの下では、いじめや嫌がらせを受けるのがいやならば、その場にいることをやめればいいのですから。しかし、それは、現実社会のルールとは明らかにかけ離れたものです。

 ekkenさんには申し訳ないのですが、結局、匿名表現の自由を日本のネット上で堅持しようと思うと、この種の、「ネット上で嫌がらせをして何が悪い。嫌がらせをされたくなければ、ネットに近づかなければよい」的な極論にどうしても行き着いてしまうのではないかと思うのです。最近の私の意見に対する反論を見ていても、匿名さんによる嫌がらせ行為を抑制する方向での対案というのは、残念ながら、見られなかったわけです。「妥協点」を見いだそうにも、匿名さんの側には一切妥協する姿勢がないのですから、どうしようもありません。あとは、ネットを「地上の法が及ばない無法地帯」とすることに社会が同意するかどうかに係っているということができるでしょう。「卑怯者たちのパラダイス」からはまともな神経の持ち主はどんどん立ち去っていきます。ブログの2ちゃんねる化が進んでいくだけのことです。そして、日本人には、Web2.0は荷が重すぎた。そんな絶望的な事実が残るだけのことです。

17/07/2007

トラックバックを消すにあたってトラックバック元のサイトには飛ばない。

 私のブログに送ったトラックバックを消されたことを不満に思っておられるがいるようです。

 ただ、私としては、トラックバックについては、タイトル及び最初の何十文字かで「エントリーとは関係のないスパムトラバではないか」と判断したら、リンク先の内容を確認することなく消します(リンク先の内容を確認するためにリンクを踏むと、スパム業者の術中にはまる危険がありますので、そういうことは基本的に避けます。)ので、トラックバックを消されたくない方は、エントリーのタイトルと最初の何十文字かを工夫した方がよいように思います。

 もっとも、件のエントリーについては、私のブログのどのエントリーにトラックバックを送って頂いたのか記憶が定かではないのですが、改めて読んでみますと、どのエントリーとも関連性が薄そうには思いました。

16/07/2007

「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会中間取りまとめ」についてのパブリックコメント案

 公衆に対して「同じ情報を同時に受信させる」ことを目的とするか否かということで「放送」と「公然性のある通信」とを法的に峻別することに合理的な理由はないと常々考えておりましたので、今回の中間とりまとめの方向には基本的に賛成です。その上で、次のような意見を申し述べたいと思います。

 公衆への情報伝達能力が大きく、かつ、「電波の希少性」により新規参入者を極めて制限しなければならない地上波テレビ放送については、政治的な中立性を求める必要性は今後もあるでしょう。しかし、多チャンネル型衛星放送やケーブルテレビ、ミニFM等は「電波の希少性」はそれほど気にしなくとも良いので、「政治的な中立性」をそれほど要求する必要はないように思います。

 また、地上波テレビ放送の免許を受けた民間企業は、地上波テレビ放送の高い情報伝達能力故に、他の情報インフラよりも様々な点で競争上優位に立っており質の高いコンテンツを制作しやすい環境にあるのだから、その放送するコンテンツについては、あまねく国民にこれを伝達する義務を負うべきです。したがって、物理的にあまねく国民にそのコンテンツを伝達できない場合には、インターネット等を用いたコンテンツの転送を認めるべきです。もちろん、「契約による権利処理」でこれが実現すれば問題はないのですが、それが実現しそうにない場合は、著作権・著作隣接権の例外規定を新設してテレビ放送コンテンツのネットを利用しての転送をインターネット事業者等が行えるようにすべきだと思います。

 また、放送・公然性のある通信で商業用レコードが公衆送信されることの商業用レコードの売上げに与えるプラスまたはマイナスの影響に関しては、公衆に対して「同じ情報を同時に受信させる」か否かではなく、公衆が特定の楽曲を任意のときに視聴できるか否かによって大きく違ってきます(特定の楽曲を任意のときに聴けるというわけではない場合、特定の楽曲を任意のときに聴きたいというユーザーはその楽曲の複製物を別途入手することが必要となるのであって、商業用レコードの売り上げを不当に阻害することにはなりません。)。したがって、公然性のある通信であっても、特定の楽曲を任意のときに聴けるという状態を作出しないもの(ストリーミング型のインターネットラジオなど)については、事後的に2次的使用料を支払えば、実演家やレコード製作者の事前の許諾がなくとも、商業用レコードに収録された楽曲を公衆送信(送信可能化及びその過程での一時的複製を含む)を行えるようにすべきです。

 また、誹謗中傷情報やデマ情報を公衆に流布させることにより被害者に甚大な損害を与えうることは、当該情報が公衆に向けて同時に発せられるか、求めに応じて時間差で発せられるかによって変わるものではありません。従って、公然性のある通信についても、放送と同様に、法的な責任主体の氏名・住所等の登録・届出等が求められるのではないかと思います。つまり、地上波テレビ放送を除く放送及び公然性のある通信については、事前抑制を行わず、中立的ではないコンテンツを流布させる自由を認める代わりに、司法手続き等による事後的な規制に完全に服するようにすることが求められると言うことです。もちろん、末端利用者のプライバシー保護を行うことによる利用者の増大を図る事業者(匿名電子掲示板の管理人や匿名での登録をも可とするブログ事業者等)もあり得るとは思いますが、この場合は、利用者が負う法的責任を実際に当該事業者が担保することを条件に、末端利用者の氏名・住所等の登録・届出等を免除するという救済策はあり得るとは思います(事業者が一旦被害者に対して賠償金を支払った上で、末端利用者に求償すればよいのですから。)。ただし、このように末端利用者の責任を事業者が肩代わりをする場合には、確定判決に基づく賠償金の支払義務の履行を事業者が怠った場合には総務省が当該事業者に対し事業の停止を命じることができるようにした方がよいと思います。特に自然人がこれらの事業主体となっている場合には、「賠償金を支払わなくとも刑事的制裁を受けずに済むのであれば、賠償金を支払わない」と開き直ることも可能だからです。
 放送や公然性のある通信の内容によるトラブルに関しては、これを安価かつ迅速に解決する裁判外紛争処理手続きを用意することが望ましいように思います。というのも、私の弁護士としての実務経験から言うと、特定人の社会的評価を低下させかねない情報を流布させるにあたって殆ど裏付け調査を行っていない例が少なくなく、それ以前に、その者についての社会的評価を低下させかねないその事実摘示が公共の利害に関するものではなく、かつ専ら公益目的でなされたとは言い難い例が多いため、情報の発信者側に、当該摘示事実の公共性、当該事実摘示にあたっての目的並びに裏付け調査の内容及び結果を事情聴取し、明らかに真実性の抗弁が成立しそうにないものについては、裁判所の審理を待つまでもなく、放送または公然性のある通信の主体に対し、しかるべき責任を負わせるのが適切だからです(放送または公然性のある通信による特定人に対する権利侵害行為は継続的・反復的になされることが多く、裁判外紛争処理手続きによる迅速な解決は、さらなる権利侵害行為を未然に防ぐという意味では重要です。)。

誹謗中傷の内容が荒唐無稽であることは被害者にとって救いにはならない

 いじめを含むハラスメントって、そりゃ、外部から見ればハラスメントをしている方が不正義だし、おそらく外部の人はそう思ってくれているのだろうという意識は被害者の側にもあるでしょう。いじめられていることを子供に打ち明けられた家族だって、「お前は全然悪くない」くらいは言うでしょう。でも、親が「うちの子供はこんなことをされています。何とかしてください」と学校にいいに行ったときに、校長先生が「どうせあんな奴らの言っていることなど周囲の人間が真っ当だと思ってやしませんよ。だから、○○くんが気にしなければ済むことですよ。どうせどんな対処をしたっていじめを根絶することなんてできないんですから、我々はいじめを止めさせるなんて無駄なことをする気はありません。おかあさんが、「お前は悪くない。気にすることはないんだよ」といって○○くんをしっかり抱きしめてあげてください」といって何らの対策も講じないこととしたら、いじめ自殺の悲劇を回避できるのかというと、仮にその児童の母親がその通りのことを実践したとしても、かなり疑問です。

 ハラスメントについて「強くなれ」といわれて強くはなれないのが現実だからです。だから、私からみると、被害者に強くなれと要求することでハラスメント対策を終えてしまうというのは、非常に非現実的であるように思えてなりません。それよりかは、ハラスメントが行われていることが発覚したときにこれを継続させないような場の運用を行うこと及びハラスメントを行うことに自制心が働くようにハラスメントを行ったものに対して現実的に制裁が加えられるようなシステムを講ずることの方がよほど現実的です。

 そのためには少なくとも確実に法的な制裁が加えられるようにトレーサビリティの低い匿名・仮名の使用は禁止し、できることならば(法的制裁はコストが高いので)ハラスメントについては社会的制裁が加えられるようにトレーサビリティの高い実名等を用いることを原則とすることが求められます。残念ながら、匿名の陰に隠れることで、自分の気に入らない人間に対して、ハラスメントを行って私的制裁を加えることを「ネットの本質」だと勘違いしているユーザーが多い日本のネット環境の元では、もはややむを得ないのではないかと思うのです。確かに、実名が原則だと、度量の狭い自動車メーカーに勤める従業員が自動車の性能等を評論するブログ等を立ち上げるのは勇気がいるようになるかもしれませんが、そのようなブログ等を相当の覚悟なしでも解説できるようにするというメリットは、ネットで横行している匿名さんたちによるハラスメントについて被害者に泣き寝入りを強いる以外の有効な対策を講じさせないことによるデメリットを凌駕するものではないように思われてなりません。

15/07/2007

iza!のユーザーブログ

 iza!のユーザーブログって、凄いですね。

 凄く勇ましい発言を繰り返しすっかり「憂国の士」気取りの方々と、イザンヌ狙いのルックスに自信のある若い女の子たちという、一見接点のなさそうな人たちが、「iza!ブログ」というプラットフォーム上で共存しています。

 イザンヌ狙いの女の子たちが堂々と顔写真及び実名(または芸能活動で実際に用いている芸名)をブログ上に掲載しているのに対し、勇ましい憂国君たちは、顔写真を掲載しないことはもちろん、自分の個人情報を一切出すまいとびくびくしているように見えます。その対比が実に倒錯的です。

 で、ブログで実名を出すことのデメリットですか。どんなデメリットを想定されているのか私にはよくわからないのですが、たとえ多少はあったとしても、イザンヌ狙いの女の子たちがやすやすと乗り越えられる程度のものでしかないように思われます。

14/07/2007

飲酒運転について「被害者が気にしなければ済む」という人はいない

 NOV1975さんがこのように述べています。

これに対応する手段が実名化なのでしょうか。「飲酒運転による交通事故で人が死ぬから自動車全廃しよう、明日から」的な発想から言うと「業務用車両以外使用禁止」みたいな感じですが、当然業務用車両も飲酒運転するので解決になりませんね。

 飲酒運転に対する対応策は、飲酒運転をしてはいけないとのメッセージをことあるごとに強調するとともに、しばしば飲酒がなされる現場では飲酒した人が運転しないことを再度確認、強調し、さらに、抜き打ち的に又は検問所を置いて飲酒チェックをし、さらに、飲酒運転の結果死傷事故を生じさせた場合には厳罰に処することとし、飲酒運転自体を抑制する方向を目指しています。もちろん、自動車全廃などは求めていないし、だからといって、「そのような措置を講じても飲酒運転は0にはならない。飲酒運転の車両が暴走しても被害者が良ければ済むことだし、運悪く衝突されて死傷しても被害者やその遺族が気にしなければ済むことだから、飲酒運転自体を抑制するような措置は講ずるべきではない」という方向は目指していません。

 また、スピード違反について言えば、さらに、オービス等を設置し、速度違反を認知した場合には車両ナンバーと運転者を撮影して、これを検挙できるような工夫をし、速度違反自体を抑制する方向を目指しています。もちろん、オービス等を設置しても速度違反は0にはなりませんが、だからといって、そのような対策は無意味であるとの見解はあまり見られず、また、「速度違反の車両が制動しきれなくても、被害者が良ければ済むことだし、運悪く衝突されて死傷しても被害者やその遺族が気にしなければ済むことだから、飲酒運転自体を抑制するような措置は講ずるべきではない」という方向は誰も目指していません。

 その行為の行使者が探知されがたい状況では少なくない人が社会的又は法的規範を無視して行動しがちである以上、そのような行動が比較的多くなされる場において行為者を探知しやすくする工夫というのは、しばしば行われていることです。「そんなことをしても被害は0にならないから、そのような対策を講ずるべきではない。そんなことより、被害者が気にしなければ済むことである」ということは、ネット上での匿名さんによる誹謗中傷問題以外では語られることすら少ないのです。

13/07/2007

「被害者が気にしなければよい」との呪文で被害者をどう防備するの?

 Sirokuroさんから、トラックバックを頂きました。

しかし自分は、未来の被害者を無防備のまま公衆の面前に放り出すつもりは更々御座いません。

 小倉先生は「被害者が気にしなければ済む」がお嫌いのご様子ですが、つまり小倉先生は被害者は「無防備であってしかるべきだ」と仰るのでしょうか。

 無防備でも安心して発言できる場を整えようとする心構えは大変素晴らしく思います。

 しかし理想ではなく「今できること」を考えるのも大事なのではないでしょうか。

 「加害行為を防止なんかしなくとも、被害者が気にしなければ済む」と言ってのけることが未来の被害者の防備につながるのでしょうか。もしそれが本当であれば、教育現場としてはとても楽です。ホームルームの時間にでも、「いじめられても、被害者が気にしなければ済みます。クラスメートからどんなに酷いことを言われても気にしない強い人間になってください」と諭すだけで、いじめ対策は終了です。企業の総務・人事部としても楽ちんです。研修の際に、女性従業員に対して、「セクハラをされても気にしなければよい」ということを教え込めば、セクハラ対策は終了です。いじめをなくす、セクハラをなくす等という困難な作業に立ち向かう必要がなくなります。もはや、すべてのハラスメントはこれをなくしたり減らしたりする努力をする必要はありません。すべきことは一つ。「何をされても気にするな」と教え込むことだけです。

 でも、実際には、いくら外野の人間がお気楽に「気にしなければ済むことだ」といっても、気にせずにはいられないのが人間です。むしろ、執拗な嫌がらせを受けているのに、「お前が気にしなければ済むことだよ。そんなことでみんなの手を煩わせるなよ」みたいなことを言われて、苦しい胸の内を打ち明けることすら許されないような雰囲気作りを行い、かつ、その執拗な嫌がらせを受けている状況が未来永劫続くような絶望感を与えていけば、少なくない人は自ら死を選んだり、精神障害を起こすことにより精神的な苦痛から自らを解放する道を選ぶことにもなりそうです。

 で、加害行為を減少させる努力をせず、単に「被害者が気にしなければ済むことだ」と表明してみせることによって、被害者はいかなる意味で防備されるのでしょうか。

12/07/2007

「受忍限度」ではまだ納得しないでしょうか?>otuneさん

 「 誹謗中傷が溢れる美しい国日本!」というエントリーに関するotuneさんから「定義を曖昧にしたまま「指摘・議論=誹謗中傷・いじめ」と強弁するのは小倉弁護士blogだとこれで何回目だろ? 」というはてなブックマークコメントを頂きました。「指摘・議論=誹謗中傷・いじめ」とは言ってはいないのですが、一種の印象操作かも知れません。

 本来は正当な権利行使となりうるものであってもその程度、頻度、分量、態様等によっては不法行為や犯罪行為たりうることは、現実社会では常識の部類に属することだと思うし、だからといって、特定の行為についてその程度、頻度、分量、態様等によっては特定の類型の不法行為等足りうるという指摘は、当該行為=当該不法行為ということを意味しないということは、例えば債務の履行の督促はその程度、頻度、分量、態様等によっては恐喝足りうるという指摘が「債務の履行督促=恐喝」を意味するものではないということを想起して頂ければ容易に理解可能ではないかと思います。

 また、定義が曖昧だといわれても、権利の行使が不法行為等と評価されるに至る分水嶺というのは、社会常識に従えばだいたいはっきりしているわけですが、これを数行単位ですぱっと切り分けるのは大抵の場合難しいわけで、では定義がはっきりしないからどのような程度、頻度、分量、態様等で行われたとしても権利の行使は不法行為たり得ないという結論になるのかというとそういうことでもありません。

 あえて短い言葉で表現するとすれば、「受忍限度を超えたか否か」ということを現実社会で生活する一般人の感覚で判断するということになるのでしょうが、これも考慮要素を文章で表現しようと思うと、個別の事案ごとに、多様な要素を総合して斟酌することになろうかと思いますので、すぱっとした定義がお好きな方にはご納得頂けないように思います。

「実名が明らかになったら負け」という殺伐したルールの下では質の高いコンテンツは期待できない

 ekkenさんはさらに

仮に誰もが実名でなければコメントができない・ブログ上での意見表明もできない、となったとしてですよ、じゃあネット上の発言が原因となって、トラブルに巻き込まれることはないのか、というとそんなことは全くないわけです。
とのも言っています。

 それはそうです。ただし、トラブルが発生した場合に、「被害者が泣き寝入りする」以外の方法でトラブルを解決できる可能性は、一方当事者が匿名の場合とそうでない場合とでは圧倒的に異なります。

 また、

僕だって誹謗中傷の対象にされるのは勘弁願いたいのですが、とりあえず詳細な個人情報を明かしていなければ、肉体的被害は免れるわけです。精神的ダメージをゼロにするのは難しいですが、心を鍛えることで最小限に抑えることは可能です。小倉さんは匿名性の維持をネガティブなイメージで固めることばかりに拘っているようですが、匿名性を維持することでセキュリティを高めている人もいるわけです。
とのことですが、匿名性を維持することでしかセキュリティを高められないシステムの下では、匿名性を維持したままでも発信できる程度の情報しか発信できません。「自分がどこの誰であるのかを知られたら何をされてもやむを得ない」というルールの下では、現実社会での自分の実体験や自分の専門領域に関するエントリーを公表するのは非常に危険であって、するべきではないという方向に流れがちです。するとそこでは、メタな議論や形而上的な議論、あるいは特定の人や組織や民族や人種を攻撃する議論などに流れがちです。

 なお、この種の話をすると大抵印象操作が試みられるのですが、いわゆる「炎上」といわれる例は、決して、批判等が現実社会で許容される範囲に止まっている場合ではなく、現実社会でこのような内容、分量、文体でなされていたとしたらハラスメント認定されていたであろうものばかりです。「ネット上には地上の法は適用されるべきではない」との考えに立たない限りは、いい加減抑制されるべきものとしかいいようがありません。

 もちろん、様々な利害から、「ネット上には地上の法は適用されるべきではない」と考えている人たちが少なからずいて、そのような人たちからは私の提案が評判が悪いのは仕方がないことです。

 なお、一般人には実名で語るメリットがない云々と嘯く人も少なからずいるのですが、ポジティブなコンテンツを継続的に実名で投稿し続けることができれば、それは現実社会での評価を向上させることにつながり、それは様々な意味で現実社会での利益をもたらすことにつながります。それまで無名だった人が、ネットでの情報発信をきっかけに現実社会での地位をジャンプアップさせたなんて、それこそ沢山の実際例がある話です。「実名で語るメリットがない」云々と言っている人々は、単に、そういう機会を生かすだけの向上心を欠いているだけであるということができます。

誹謗中傷が溢れる美しい国日本!

 ekkenさんはこのように述べています。

これまで何度か書いてきているので、ログにリンクしておきます。

* 不快なブクマコメントを見えなくするよりも、気にしないようにする方が健全だ
* ブログのコメント する者の自由・される者の自由
* ネガティブコメントを気にし過ぎることもない

 これが対応策として成立するのであれば、肉体的な苦痛を伴わない学校でのいじめや、強姦・強制わいせつに至らないセクシャルハラスメント、あるいはマスメディアによる名誉毀損等の対策も、「被害者が気にしなければ済むことだから、何の対策も講ずる必要はない」ということで終わってしまいます。別に、朝登校してみたら教室の黒板に自分の名前とともに「死ね」等の罵倒表現が連日書き込まれるという事態が生じたとしても、あるいは、休み時間のたびにあるいは授業中も含めて数人に取り囲まれて延々と「ばか」だの「死ね」だの言われ続けるという自体が連日続いたとしても「被害者が気にしなければ済むことだから、何の対策も講ずる必要はない」ということで終わってしまいます。そりゃ、学校や先生は楽です。むしろ、先生も一緒になって、「確かにあいつは生きている価値がないよな。もっと言ってやれ」みたいなこと申し向ければ教室内では人気者になれる可能性もあります。もう文部科学省も厚生労働省も、いじめ対策やセクハラ対策に頭を悩ませる必要はありません。「被害者が気にしなければ済む」。これでおしまいです。

 で、そうなれば、他に選択の余地がある限り、まともな人間はそこから脱出していくことになるでしょうね。もっとも、「被害者が気にしなければ済むことだから、何の対策も講ずる必要はない」社会では、被害者がどこまで逃げても、加害者たちはどこまでも負ってきて、最後は、被害者が自殺するか精神に異常を来すところまで追い詰められるかもしれません。そうなれば、加害者たちは、満面の達成感ですごい幸福な思いに浸ることができるかもしれません。

 誹謗中傷が社会に溢れ、被害者はただただこれを堪え忍び泣き寝入りするしかない美しい国日本!っていうところを目指そうってことでしょうか。

11/07/2007

他に対処方法が見あたらない以上、同定性の問題は重要

 匿名だからとって、匿名でなければできないような個人攻撃や誹謗中傷、ストーキング行為等を行っていなければ、匿名の卑怯者と蔑まれることはないわけですし、匿名だからといってそういう卑劣な行動に踏み出す人がごくまれにしか見られないのであれば、ネットの匿名性が問題とされることもないのですが、現実には、匿名でなければできないような卑劣な行為を行うことによって、自分の意見と異なる意見をネット上から封殺しようという方々は後を絶たないので、ネットの匿名性が問題とされるのです。

 韓国で施行されたネットの実名登録制にしたって、匿名の卑怯者たちによる個人攻撃の被害が放置できないほどに大きくなってしまったために、窮余の一策として導入されたのであって、韓国の政治家だって、韓国の匿名さんに自制心があれば、そんなことはしたくはなかったでしょう。

 韓国の制度は実名登録制とは言ってもとりあえずは実名が表示されるわけではないので、社会的制裁を慮っての自制は期待できず、これが実効性を有するかどうかは、被害者が採算を度外視してでも泣き寝入りせずに法的措置を講ずることが一般化するか否かにかかっており、それゆえ、実効性を有しないおそれは十分にあるとは思います。とはいえ、何かをしなければ、どんどんエスカレートするだけのことです。

 ekkenさんには申し訳ないのですが、ekkenさんのエントリーを読んでも、「では、この現状をどうするの?」というのが全然見えてこないのです。「誹謗中傷されたくなければコメント欄を閉じればいい」ったって、誹謗中傷ははてなブックマークでだってできるし、特定人を個人攻撃するためにネット上のキャラクターを一つ作ってそのキャラクターにブログを一つ持たせたっていい、あるいは電子掲示板で特定人を個人攻撃するためのスレッドをずっと維持していたっていいわけで、結局、特定人を誹謗中傷する人間を白日の下に晒す以上の対抗策って当面見あたらないのです。

 もちろん、匿名で特定人を誹謗中傷することを厭わないような人々の気に障ることはネット上でも現実社会でも言わなければいいのだという意見もあるとは思うのですが、それでは、「俺たちの気に障ることを言ったら荒らしてやるぜ」という脅しに多くのブロガーが屈するネット社会というのがそんなに好ましいものなのかというと私には大いに疑問です。

 「匿名ではあるが卑怯なまねはしないので匿名性を奪わないでほしい」という方々は、匿名の卑怯者による執拗な人権侵害について被害者に泣き寝入りを求めたりこれを回避するために被害者に義務なきことを行うことまたは権利の行使を控えることを要求するのではなく、匿名性の保障を高度に保障しつつ匿名が卑怯な行為に悪用されることを回避するための方策を模索すべきなのではないかと思うのです。

 残念なのは、「私の匿名を奪おうとするのはけしからん!」とただ既得権にしがみつくばかりで、ネットの匿名性のもたらす弊害を除去するために、匿名発言者の側で何ができるか、又は、システムの側にどんな対処を求めようか、という議論が殆ど見られないことです。

同定に必要な情報

 ekkenさんは、次のように述べています。

だけどちょっと待って下さい。この考え方では、メディアに登場する著名人(作家、政治家、タレント、スポーツ選手など何でも良い)以外の大部分のネットユーザーは、たとえ本名を使っていようが匿名の扱いになるのではないでしょうか。

 これは僕も含めて多くの人が既に指摘していることだけど、田中太郎などのありふれた名前(実在する田中太郎さんに何ら他意はありません、念のため)の人物が本名を使っていようとも、それをオフラインでの人格と結びつけるのは困難です。名前の他にも詳細な個人情報を明かさない限りは、どこの誰とも分かりません。いや、彼と近しい人であれば、その書き込み内容から判別する事は出来ると思うけど、他の多くのネットユーザーにとっての田中太郎は「ネットで本名を使っているらしいブロガー(あるいはコメンテーター)」という認識でしかないのです。

 しかし、それは違うように思います。

 確かに、実名を述べるだけで現実社会の人格とほぼ同定されるのは小飼弾さんのような珍しい名前の持ち主に限定されているでしょう。だから、私たちは、現実空間で自己紹介を行うにあたって、実名にプラスアルファして、個人の特定に資する情報を付加します。別にそんなに詳細な個人情報をいきなり初対面の相手に提供する人は多くはないですが、何らかのディレクトリ的な情報を初対面の相手に提供するのは一般的です。別に「メディアに登場する著名人」であろうとなかろうと関係はありません(著名人の場合、顔写真を掲載するだけで同定できるという違いはありますが、顔写真を出さない場合には、特殊な氏名でない限り、容易に同定されるためには何らかのディレクトリ的な情報を提供することが必要です。)。実際、英語圏のブログを見ていると、プロフィール欄に相当量のディレクトリ的情報を掲載している例は枚挙に暇がありません。

 また、そのようなディレクトリ的情報が明示的に付加されない場合にはありふれた実名は意味がないのかというと、確かに訴訟等により法的責任をとらされるリスクが増加しないという意味では効果が乏しいとは言えますが、彼に近しい人に彼のネット上での活動が知られてしまう可能性が高まるとは言えるわけで、そのことは、端から見て恥ずかしいハラスメントを行うことを躊躇させる要素ともなり得ますので、意味がないとは言えません。

 もちろん、共通IDシステムなどで、住所等の詳細な個人情報は必要なときに開示されるシステムを用意しておくことが望ましいことは間違いないのですが、現状のシステムの下でも、特に相手を批判したりする場合には、自分を同定するのに役に立つ程度の情報を相手が容易に知りうる状態に置く程度の堂々さは、日本のブロガーに求めても良いのではないかと思います。

10/07/2007

説得する相手は私や池田先生ではない。

 「ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる。」というエントリーにはたくさんのはてなブックマークコメントを頂いています。

 ただ、この種のネガティブコメントの問題点を指摘するエントリーに対して、ブログ主を個人攻撃してみても始まらないことは、そろそろ覚えても良いのではないかという気がします。何だかんだいっても、私にせよ、池田先生にせよ、ブログ主がほとんど保護されず、ネガティブコメンテーターが我が物顔でやりたい放題に暴れ回っている現状において、ネガティブコメンテーターに阿ることなく、エントリーをアップロードし続けているわけですから、そういう人に対し、「匿名の(自分の対する)嫌がらせを防ぎたいだけならブログを会員制にしたらどうですか」(by feather_angelさん)みたいな話をしても仕方がないのです。

 むしろ、ネガティブコメントに嫌気がさしてブログをやめてしまった人や、ネガティブコメントの攻撃を受けることに恐れをなしてブログを開設することを躊躇している人を、ブログを開始ないし再開しようという気にさせられなければ、ブログの情報源としての価値は下落することはあっても向上することはないのです。

 情報としての価値は、一般的には、ネガティブコメント、特に匿名でなければ言えないようなネガティブコメントの方が低いのだから、ブログの情報源としての価値を高めるのであれば、匿名でなければ言えないようなネガティブコメントこそ、それこそ不特定人の目に触れないような会員制の場所に誘導すべきなのではないかという気がしてなりません。

「匿名」に関するekkenさんからの質問

 ekkenさんから、

 小倉さんの「匿名」に対する考え方が今ひとつピンとこないので、質問です。

 私・ekken(または越後屋健太)は「匿名」でしょうか?

 もちろん辞書的な意味の「匿名」か否かではなく、ネットコミュニケーション上のそれについて、お答えいただければ幸いです。

とのコメントを頂きました。

 ネット上での人格と現実空間での人格とを容易に同定できるのでない限り、「匿名」だと言わざるを得ません。そのネット上での発言の法的又は社会的な責任を現実空間での人格が実際に負うかどうかという点が、単なる別名使用と匿名の使用とを分けるポイントとなることでしょう。

 「黒木ルール」は、「匿名でないと言いたいことが言えない」とするネットワーカーの多い日本の現状との妥協点を見いだそうとしたという意味で一定の評価をしうることは認めつつも、他方、ハイド的なキャラ設定をした固定ハンドル名を別途用意されると、「黒木ルール」が目指した健全なコミュニケーションの可能性は破壊されることになります。

 もちろん、上記意味では「匿名」でない発言者だってついついコメント欄等でハラスメントを行ってしまうことはあるでしょう。しかし、その場合は、そのことによる法的な責任又は社会的責任を実際に負うことになります(例えば、相手があるマイノリティに属することを理由とする差別的な発言を繰り返せば、爾後、その人は差別主義者であるとして現実空間でも冷ややかな目で見られることになりますし、的外れな質問を大量に投げかければ、そのような痛い人間であるとして現実空間でも取り扱われる可能性があります。)。これに対し、上記意味での「匿名」性を維持していれば、少なくとも「権利侵害であることが明らかである」と相手方に立証されるような発言さえ回避しておけば、あとは、少々行き過ぎたハラスメント発言をしようとも現実空間での人格の評価は低下しないので、歯止めがかかりにくいし、捨てハンドルや、ハイド的なキャラ設定をした固定ハンドル名についていえば、自制的に歯止めをかけるインセンティブすら生じないわけです。

 そのような法的又は社会的な歯止めを失った悪意に晒された状態で質の高いコンテンツを無償で公開してくれる人が次々と現れるということは期待できないわけで、実際、法学系についていえば、2ちゃんねるはすでに質的には見るに値しない状況になっていますし(ちゃんと文献や判例を引用した議論というのはほぼ見られないですし)、ブログについても、優秀な書き手の新規参入は遅々として進まないのが現状です。歯止めがかからないので、ヘイトメッセージや陰謀論はわあっと投入されますが、その種のものというのは、彼らが嫌う「マスメディアによる解説又は主張」以上に情報としての価値がありません。

ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる。

 ekkenさんから私について言及していただきました。

僕は以前、「管理人が不快感を覚える可能性のあるコメント」のことをネガティブコメントとし、それを大きく4つに分類しました。(参考:ネガティブコメントのガイドライン)
  1. 事実確認(便宜上「第一種ネガティブコメント」とする)
  2. 異論・反論・批判 (便宜上「第二種ネガティブコメント」とする)
  3. 誹謗・中傷・侮辱(便宜上「第三種ネガティブコメント」とする)
  4. コピペ(荒らし)(便宜上「第四種ネガティブコメント」とする)

何か意見を述べるブログにおいては、上の二つは「避けてはいけないコメント」だと思うのですね。

 1.や2.が「匿名でなくともできる」通常の態様でなされるのであればそうでしょう。しかし、1.や2.だって、言葉遣いに問題があったり、生活の片手間にブログの維持管理を行っているに過ぎないブログ主がおいそれとは応えられないであろう分量の投稿を行ったり、ブログ主が誠実に対処しても同じことを何度も何度も繰り返したりすれば、それは立派にハラスメントになります。ハラスメントになるようなコメントはなるべく避けなければいけないのです。

 もちろん、匿名の陰に隠れて人に嫌がらせをすることを数少ない生き甲斐の一つにしているコメント投稿者に「嫌がらせを止めろ」と言ってみても自主的に止めることはないのでしょうが、「嫌がらせくらい甘受せよ」「嫌がらせを受けたくなければコメント欄を閉じよ」と言ってみたって、有益なコンテンツを発する能力を有する多くの人はそのような窮屈な思いを覚悟してまでブログに参入してくれることも期待しにくそうです。なかなか、洗礼者ヨハネのようにはいかないのです。

 したがって、結局のところ、匿名でないと恥ずかしくてできないハラスメントがコメント欄でなされるのを見ていたいのか、そのようなハラスメントが横行する環境では投稿されない質の高いエントリーを見たいのかという選択を、システムサイドとしてはしないといけないわけです。前者が優先されている限りにおいては、ブログなんてものは、低レベルの罵り合いが横行するだけの、情報源としては価値の低いメディアになりさがるだけのことです。電子掲示板が転げ落ちた道と同じ道をブログも転げ落ちていくだけのことかもしれませんが、日本人は「Web2.0」環境を、特定人にハラスメントを行ってストレスの発散を行うための道具としてしか結局活用できなかったというのでは何とも寂しい限りです。

09/07/2007

神頼みの新自由主義

 「5号館のつぶやき」さんが、次のようなことを書いています。

 基本的には、何年もポスドクを続けさせるということは、研究者として育てているということです。それなのに、その後で研究職はないよというのは、裏切り行為以外のなにものでもないということが再確認できました。その裏切り行為の総元締めをしているのは、日本の科学および教育政策担当者であると思うのですが、責任者は誰も出てきませんでしたし、それを強く追求する番組にもなっていなかったと思います。

 とりあえず、生まれてしまった大量のポスドクと水ぶくれしてしまった博士後期課程をどうするのかという政策担当者の声は是非とも聞きたかったのですが、出てこなかったということは、自分たちは何もしないという答なのかもしれません。

 私は、国も民間も含めて博士がどのくらい必要なのか、ポスドクを経験した研究者がどれくらい必要なのか、そうしたことをはっきりと把握した上で、大学院および博士研究員をどうしていくべきなのかという議論が必要だと思っていますが、そういう議論は中央教育審議会や「教育再生会議(笑)」で行われているでしょうか。

 文部科学省は、法科大学院制度でも同じ過ちを繰り返しています。少なくとも学部卒業後、最低でも2,3年かけて法科大学院を卒業させ、卒業後に新司法試験を受験させ、さらに司法修習を受けさせる、というのは法曹として育てるということです。それなのに、それだけの関門を全てクリアして法曹資格を取得しても、一部のブランドロースクールの卒業生と二世君以外にはOJTの場所などないよ、法曹資格を取ったからって法律家として働けると思ったら大間違いだと突き放されても、「そんな無責任な!!」というより他にありません。さらにいえば、「司法研修所を出て法曹資格は取ったけれども、法律家としての採用がなかった人材」を企業が採用するのかというと、企業に対するアンケート調査の結果を見るとかなり悲観的であり、どうもその年齢までずっと無職でプラプラしていた人と同程度の処遇を覚悟しなければいけなさそうな雰囲気です。

 平成に入ってから、少し考えれば予想のつくことを、少しも考えずに、「神の見えざる手」に委ねることにしてしまう「神頼みの新自由主義」に基づく政策が次々と我が国では実現しています。ポスドク大増員計画も、法科大学院制度も、典型的な「神頼みの新自由主義」の無惨な失敗例ということができそうです。

08/07/2007

Yale大学学長の公開書簡

 どうも、学校に関する匿名掲示板というのは、サイバーいじめの道具として利用されがちです。

 「The most prestigious college discussion board in the world」を自称する「AutoAdmit」もまた、特定の学生の実名をあげて汚い言葉を投げつけたり、根も葉もないデマを流したりするのに活用される傾向にあるのは、洋の東西を問わないようです。

 ZDNetの「Law school deans bash site as racist, ‘descpicable’」という記事によれば、Yale ロースクールの学長が公開書簡を掲示板運営者に送ったし、「Defamation suit tests online anonymity」によれば、被害にあった学生も、投稿者の発信者情報の開示を求めて召喚状を発布したようです。

 被害学生は、根も葉もないデマによって、本来ならオファーがあってもおかしくないインターンシップのオファーが得られないなどの実害を受けているとのことで、こういうことを行う匿名の卑怯者が一日も早く白日の下に晒されて天文学的な賠償金の支払いを命じられたら良いのではないかと思ってしまいます。

 さすがにYale大学は全米でも1.2位を争う名門大学だけあって、学長が、「Such anonymous, personal attacks on individuals are despicable.」(特定人に対するこのような匿名の個人攻撃は卑怯だ。、「We must stand together in speaking out against these indecent and intolerant attacks on our students, and, wherever possible, take action to stop these attacks.」(我々は、我々の生徒たちに対するこれらの下品で偏狭な攻撃を非難するためにともに立ち上がり、可能な限りどこでも、これらの攻撃を停止するための措置を講じなければならない)と言い切ってくれるのだなあと感心してしまいます。

 日本でサイバー法に詳しいとされている研究者たちだと、むしろ、被害学生に対して、「スルーせよ」だとか「それだけの個人攻撃を受けるということは被害者の側に問題があったのではないか」とか言い出しかねないし、まして、却って匿名の卑怯者たちの矛先が自分たちに向かいかねない現状できちんとこの種の行為を非難できる大学人というのはあまりいないのではないかという危惧があります。

06/07/2007

内部告発者を守るための実名ブログ

 日本では、ネット上での表現の匿名性を保障せよと主張する側から、その必要性を基礎づける数少ない理由の一つとしてあげられる「内部告発者の保護」ですが、Internet Herald Tribuneの2007/07/03の記事を見ていたら、むしろのその逆の事例が報じられていました

 すなわち、Jayashreeは、少ない給料を賄賂やキックバック等で補填する役所の同僚を非難することに熱中している夫の身を守るために、ブログを開設し、夫が内部告発者であることを沢山の人に知らせようとしているのです。「YouTube時代には、インターネット上でちょっと有名になった人物を殺害するのは難しくなっている」と考えてのことです(インドでは、内部告発者に対する報復の程度が日本とは少し異なります。)。

 本当に権力が腐敗している社会でのリアリズムというのはこういうことなのだろうなということを感じさせる記事でした。

05/07/2007

訴訟を提起されている場合の代理人報酬すら「公費の無駄」なら弁護士の大幅増員計画自体が壮大な無駄かも

 群馬県の吉井町では、現に訴訟を提起されているときに、弁護士に報酬を支払って訴訟代理を委任することが「公費の無駄」であるとする見解が町議会の多数派を占めているのだそうです。

 こういう社会においては、弁護士の数を増員する必要性って全くないのではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。あるいは、司法研修所を出たものの一般の法律事務所に就職できなかった新規弁護士がたくさん排出されれば、上記事件のように、無償で訴訟代理を引き受けてくれるはずだというのが、大幅増員推進論者の算段かも知れません。ただ、高橋伸二弁護士はある程度功成り名遂げた方ですので1件くらい無償でやっても生活に響くことはないと思いますが、生活基盤すら確立していない「いきなり独立」弁護士に無償労働を強いるのは酷というものです。法科大学院で、「霞を食べて生きる仙術」までしっかり教えてくれると良いのですけど。

04/07/2007

公務員が優遇されすぎているのか、民間が冷遇されすぎているのか。

 朝日新聞によると、

総務省は3日、地方公務員の技能労務職員7職種の給与を、民間企業のほぼ同種の従業員と比較した調査結果を発表した。平均給与月額で最も差が出た電話交換手では、地方公務員が民間より1.87倍高かった。

とのことです。

 多分この記事を読んで、「公務員はけしからん」みたいな意見を述べる人が多いのだろうなとは思いましたが、その下の部分を読んでみると、必ずしもそうは言えない気分になります。

電話交換手は地方公務員の平均が39万8600円(平均年齢47.9)なのに対し、民間の平均は21万3200円(同41.4)と1.87倍の差があった。

 地方公務員の電話交換手(役所に電話して「○○担当の係につないで下さい」というと、しかるべき係の人につないでもらえるわけですが、その役目を担っているのが電話交換手です。)は平均年齢47.9歳で月給が平均39万8600円ですから、別に不当に高いわけではありません。むしろ、平均年齢41.4歳で平均月給21万3200円という民間の給与水準が低すぎるのです(朝日新聞社の大卒(22歳)の初任給が2006年4月実績で24万6730円ですから、平均年齢41.4歳にして、朝日新聞の新入社員よりも月額3万円以上低いのです。)。

[追記]

 なお、賃金センサス平成17年第1巻第1表によれば、男女・学歴を問わない全賃金労働者中、45〜49歳の者の平均年収額は約593万円(「決まって支給する現金給与額」は39万2500円)であり、高卒男子に限定しても約572万円(「決まって支給する現金給与額」は39万0000円です。これに対し、高卒女子の40〜44歳の平均年収額は約313万円(「決まって支給する現金給与額」は22万2000円)です。

自称愛国者はなぜ「現在の我々」の評価を守ろうとしないのか

 それにしても、戦中レジーム下の指導者の問題点を指摘されるととても熱心に反論するのに、日本国内の違法コピー率が25%であり、違法コピーによる損害額が約17.8億ドルと世界ワースト5位であるなどとして、現在の我々があやふやな根拠に基づいて不当に非難されていても黙りこくっていて反論しようともしない方がネット上に多いのはいかがなものかという気がします(上記摘示の根拠があやふやな点については、本館のエントリーを参照。)。

 といいますか、戦中レジームの指導者なんていう、現在の我々とは時間的にも階級的にも遠く離れた人々の擁護に割くエネルギーがあったら、現在の我々の価値なり倫理なりを貶める動きと戦った方が良いのではないかと思うのですが、愛国者を自称し、反対者を「反日」呼ばわりすることに躊躇しない方々ほど現在の我々に対する評価を貶める動きに対して寛容なのはなぜなのだろうかと思う夏の日の昼下がりです。

03/07/2007

濫用される「批判されるのがいやならばコメント欄を閉じればいい」

「批判されるのがいやならばコメント欄を閉じればいい」という言い回しを、ブログ主に対する人格攻撃や言いがかりをブログ主から批判されたりたしなめられたりしたコメント投稿者が用いるのは、何だか誤用という感じがします。

 この言い回しは、ブログ自体のシステムをどうするのかということにあたって誹謗中傷等を減少させる試みをすべきという意見に対する反論としてなされるのであれば、それは一つの対抗軸としてあり得るかもしれないのですが、現実に誹謗中傷等を行っている人が、誹謗中傷していることを批判されたときに、その批判をかわすための論理に使ってはいけないように思うのです。

 むしろ、「ネガティブコメントを批判されるのがいやならば、ネガティブコメントを投稿しなければよい」という方がすっきりきます。

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